反カルトからの自由

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TT早川

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2010.10.04
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カテゴリ: カテゴリ未分類
反カルト陣営の一部の人間から「統一協会幹部」だと誹謗される私に対し、米本さんは全面的に信頼して韓定食氏の投稿IPを送って下さいました。「もしかしたら私のブログが米本さんにご迷惑をおかけしているかもしれない」と思っていた私としては、とても嬉しかったです。しかし同時に、米本さんに私の正体を隠したまま、今後もこのブログを続けることに、良心の呵責を感じました。ですから、私の正体を明かすことにします。

米本さんには今まで黙っていましたが、私は米本さんと同じ時期に業界紙の世界にいました。私は、ある食品系新聞の記者をしていました。米本さんは当時、仲間から米(ヨネ)さんと呼ばれていましたね。ですから、以後は「米さん」と書かせていただきます。

私は、何度か米さんと酒を飲み交わしたことがあります。実際にお付き合いできたのは、米さんが業界紙からフリーに独立するまでの1年間くらいでした。

西武・堤清二氏の記者会見後の懇親会で名刺交換をして、2次会で銀座の妙齢ママのいるところで初めて一緒に飲んだ「オットセイ君」が私です。「あげあげ」の意味が分からなかった、あの「オットセイ君」です。そのあとも数回、八重洲地下の居酒屋に誘ってもらいました。米さんのお気に入りの「京都の玉乃光」は、あまり酒が強くなかった私にも飲みやすかったです。それでも「おまえ、あまり飲まないなあ」と何度も怒られました。それでつい飲み過ぎて、店の中でゲロしてしまい、米さんたちに介抱されたことかありました。今でもあのときの気分の悪さは覚えています。

米さんの記憶に残っていてくれると、嬉しいのですが…。「早川」は本名ですが、米さんには「オットセイ君」のほうが記憶にあると思います。下の名前は公に出したくありませんが、ちょっと珍しい漢字を使います。だから米さんに「オットセイ君」とあだ名を付けられたんですが…。覚えていてくれたら嬉しいです。

米さんは繊研新聞におられたから、当時からおしゃれでした。好きなブランドを聞きましたが、カランバなんたらとか私には縁のないものだったので、よく覚えていません。

私が米さんを「心の師」と仰いだのは、初めて会った銀座での飲み会からです。「業界紙を欧米のような専門紙レベルに格上げするべし!」という心意気に、同じ業界紙記者として本当に感動しました。実際に繊研新聞は、米さんの在職中に電波新聞の発行部数を追い抜いて日本一になりました。いやあ、すごかったです。「きっと米さんが社内でいろんな改革をしているんだろうな」と思っておりました。

あの出会いから1年後に、米さんは独立してルポライターになりました。私は、同じ業界紙の世界からルポライターになった米さんを羨ましく思いました。最初は単なる羨ましさだけでしたが、「カルトの子」を読んで、銀座での飲み会のときと同じような感動を覚えました。それ以来、米さんのようにジャーナリストとして独り立ちしたいと思い……、まあ、その後の私の人生については省略します。今はプー太郎兼農業兼両親の介護という感じですから、だいたい想像はつくでしょう。(笑)

八重洲の地下で数人の仲間と一緒に飲んでいるとき、米さんが「共産党員ばかりの繊研新聞」と語り出すと、そのあとひとしきり、民青の話に花が咲いたことがあったでしょう? 実は私はそこであまり気分が良くなかったのです。なぜなら私は、 元統一協会信者 です。

(とうとうカミングアウトしてしまった…)

食品系新聞社に入った当初、カープから住まい近くの教会の所属に移り、日曜だけ礼拝ヘ通っていました。あのころはまだ高額エンドレス献金の時代ではなかったです。しかし、私は教会に躓きました。祝福に疑問を抱いたのですが、誰も納得いく解答を示してくれなかったからです。

祝福の意義や価値は分かるんですが、どうしてすぐに家庭を出発できないのか、明確な教えがなかったのです。理想家庭を築こうというのだから、祝福を受けたら40日聖別という教義上の期間を過ぎたら、すぐに家庭を持たせるべきだろうと思っていました。

私は、世界平和を実現するとか、日本を共産主義から守るとか、そういう高尚な動機でカープに入ったわけではなく、霊の親(勧誘者)の女性に惚れたのが大きな理由だったのです。統一でいうところの「分別」されきっていない信者だったわけです。早く結婚したかったのです。

教会長に質問をするも、彼もまだ祝福を受けていなかったから、満足いく回答がもらえませんでした。当時は1800組(イチハチ)までしか祝福者がいなかったから。そのイチハチの人たちが、祝福から2年経っていたのに家庭を出発していなかったから疑問を抱いたのです。

教会長に頼んで何人かの幹部を紹介してもらいましたが、彼らの話も私を満足させてくれなかったのです(ちなみに、このころ知り合った幹部に現在の系列会社社長がおり、今回の調査に協力してくれた)。こういう点に不満を感じ、次第に教会には行かなくなりました。確か、教会へ行かなくなって2年後くらいに、米さんと知り合ったと思います。

私はカープにいたときから「自分は文教祖がメシヤだと信じているが、それを誰もが納得するように証明できない」と割り切っていました。だから統一と縁を切ってからは、逆にかなりキリスト教の勉強をしました。「どちらが信ずるに値するかな」というニードで勉強したのです。結論は、「イエスも文氏も、どっちもどっち」でした。

今は無神論者ですが、キリスト教教義にも統一協会教義にも詳しいと自負しています。特に「カルトの子」を読んでからは、いろんな宗教について研究しました。エホバの証人の新世界訳の聖書も読みました。第4イスラエルの本も現在読解中ですが、読みこなす力量はあると自負しています。むろん、米さんの著作は、発表されるたびに欠かさず読んでいました。

数年前より、私は諸事情(両親の介護が大きい理由ですが)から現役を引退して、家庭菜園(私は農業と称していますが)を趣味にしています。そんな折り、私が「心の師」と仰ぐ米さんの「火の粉」ブログが開設しました。各方面からの火の粉を払うために、私にも何かできないかと思いながらブログを読んでいました。そこへ、バカな統一信者が書き込んできたので喝を入れたのです。それで終わらず、そのうちSAKA氏が米さん批判を始めたので、義憤にかられて徹底的にやっつけてしまいました。

その後、 ブログ「人をののしる統一教会員」のコメント欄

ヨシュア氏の批判をしているうちに、今度はヨシュア氏を擁護して米さん批判を繰り返している韓定食氏やSDG氏の正体が気になりました。「第4イスラエル」の名前が出たので、彼らのHPの残骸や本を読んでみると、韓定食氏らの主張とよく似ていることに気づきました。

米さんが反対している拉致監禁に対して、第4が拉致監禁を容認するのであれば、なおさら韓定食氏やSDG氏の正体を追及しなければなりません。そこで、昔付き合いのあった教会幹部たちに聞きまくったのです。

今まで「早川」の正体を米さんに黙っていた理由は、私が元統一協会員だと米さんに知られるのが嫌だったからです。やっぱり、尊敬する人にカミングアウトするのは勇気がいるものです。どうもすみませんでした。





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Last updated  2010.10.04 20:28:22


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