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日航機123便の事故から35年の慰霊とその真実、Covid-19、スケッチ35th anniversary from the crash of JAL flight 123,covid-19,skech CamScanner-library_ story (4456)2020.8.8The book 「New facts about the crash of JAL flight 123」 published 3 years ago,but I throw it away without recognition.This is an appeal from a different perspective on the JAL accident. The secret that former Prime Minister Nakasone brought to the graveyard may have been written in it. So how will the media report on August 12th?On the other hand, the PCR test in Japan does not reach the value of 100,000 tests. The parliament remains absent even though asymptomatic infected people must be detected and quarantined asap.Shouldn't "The Grapes of Wrath" explode more? The movie "the public" was also the anger of the general public facing the administration.もう3年もまえに出版された本なのに、気付くことがなく捨てられようとしていた。日航機事故に関する別な視点からの訴えである。中曽根元首相が墓場まで持って行った秘密がこれに書かれていたのではないだろうか。さて、8月12日にメディアはどのように報道するのだろうか。一方日本のPCRテストはなかなかなん十万という値に達しない。無症状感染者を早く見つけ隔離しなければ収拾が付かないというのに国会は休会のままだ。「怒りのぶどう」をもっと炸裂させるべきではないか。映画「the public」も行政に立ち向かう一般市民の怒りであった。■今週の1枚 Mont Saint-Michel 7/25(土) NHK 総合「神秘のヨーロッパ 絶景紀行【崖の上に街があった】」に英国・セントマイケルズ・マウント(聖ミカエル山=Mont Saint-Michelモン・サン=ミッシェル)があった。ちょうど仏・ノルマンディにある「モン・サン=ミッシェル」と対峙しているような形になっていて意味は同じだという。絵はフランスのモン・サン=ミッシェルで、大きな図版の画用紙一杯に描いた絵である。すこし色付けしてみた。知り合いのcaminoのメンバーが今年5月に訪れる予定の世界遺産であったのでそれにも思いを馳せた。島の中にあるホテルに泊まったのを覚えている。浴槽の正面にドカッとビデが置かれていた。西洋文化というのはそのような文化である。コロナが蔓延する理由も分からぬでもない。目次徒然の記その1 日航機123便の事故から35年 徒然の記その2 Covid-19 日本・世界状況 徒然の記その3 引越しその6 徒然の記その4 真鶴合宿徒然の記その5 第1水曜会での雑談徒然の記その6 映画「図書館 the public」徒然の記その7 ZOOM会議徒然の記その1 日航機123便の事故から35年 2020.8.5(水)■自衛隊によるJAL123に向けて発射された「ミサイルの標的機」がなんらかの影響を垂直尾翼に与えて、それが原因となり墜落を招いたのではないか? 口が裂けても言えない暗黒の真実とは?S60(1985)年8月12日 pm7時 翌日のヨーロッパ便搭乗を控えていたスチュワーデス(CA)青山透子(とうこ)さんは、女子寮で夕食時に機影が消えたとの速報が飛び込み騒然となったと。その後この日航機事故を追い続け2010年に「天空の星たちへ-日航123便 あの日の記憶」を出し、続いて2017年に「日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る」を出版。本人は東大で博士号を取得しノンフィクション作家として歩み講演活動などを展開。今回は引っ越しの本の整理で、カミさんから薦められ、後者の方を読了した。驚くべきことが書かれており、恐ろしいほどだ。青山さんは乗務員全員と乗客の無念の死を「事件」として捉え訴求し続けている。中曽根康弘元首相(1912-2018)が墓場まで持っていくとした秘密はこのことではなかったかと。事件の真相をもし我々が知ったら日本はコロナどころではない、大パニックとなってしまうのではないかと危惧する。少し前なら日航機に関する変な言動があれば、行方不明となってしまうような不測の事態が起こっていたという。もう中曽根も亡くなったし事件関係者も多くは他界しているであろうし時効事件と言うこともあり、そんな物騒な事態とはならないと思うが何があってもおかしくはないほどの驚愕すべき内容である。35回忌の8月12日を前にして、本当の真相を明らかにし御霊に報告してもらいたいものである。この本は下記のように言っている。[カッコ]は明言を避けている部分。・JAL123便(JA8119号機 ボーイング747型機)18:12離陸 (乗客509人、乗務員15人計524人) 12分後「ドドーンドン」という衝撃音、「パーン」という甲高い音も。助かった落合さんが聞く。「あぶない、まずい」という機長の声がボイスレコーダに録音される。・18:24:41 大島、伊豆半島の中間でスコーク700(緊急事態)発信。・その時刻に相模湾内で、護衛艦まつゆきは短距離艦対空誘導弾[誘導ミサイル[炸薬非搭載]長さ3.7m、直径20.3cm 赤色。上では標的機と記述。]をテスト中。[赤い吸着爆弾を発射したか?]・[誘導弾[複数]の一つはJAL123便の垂直尾翼に衝突、一つは、機体左腹部に大きな赤い楕円体として吸着する or 付きまとう。?]・なんらかの異変が圧力隔壁に及び、破損部分が広がりその先にある垂直尾翼が吹き飛んだ。という説が公式には有力。圧力隔壁には修理ミスがあったという。・自衛隊機Fファントーム戦闘機2機がJAL123号を[仮想敵機として、赤い楕円体を目指して]追尾。・焼津で大きく旋回し北東に進路を取る。・Fファントーム2機はひつこくJALを追いかける。・JAL123便は大月上空を一周旋回するも振りほどけず。・米軍横田基地は緊急着陸を準備 18:45。[2階建てジャンボをコンクリの滑走路へ着陸させるのは困難と判断]・これとは別に米空軍C130H輸送機が大島上空でJALの異常事態をキャッチ。アントヌッチ空軍中佐がJALを追尾。しかし群馬県上空で退去を命じられる。・Fファントーム2機 吾妻郡上空を飛ぶのを地元の多数の人たちが目撃。18:45茨木県百里基地へ。・JAL123便は長野県側の高原への胴体着陸を目指し、緊急着陸の態勢に入ろうと一周旋回。・尾翼が御巣鷹山(1565m)山頂付近に触れ、墜落(18:56:26)。4つに分解。最後尾は後ろ向きにスゲノ沢(神流川上流)に滑落。植林した真新しい斜面でブラシの効果があり衝撃は他の部分より少なかった模様。自衛隊はレーダ消滅地点を36°2'N、 138°41'Eと伝達。(これは墜落現場36°00'05.14"N 138°41'46.51"Eから4kmしか離れていない御巣鷹の尾根北側で、位置が上野村、御巣鷹山稜線とほぼ特定される。)・にも関わらず、人命救助より優先された事態があった。・乗客として乗り込んだ客室乗務員の落合由美さんは、自衛隊ヘリコプターに手を振るも気付かれず。その時、周りでは約100名ほどの生存があったと証言。死後長い時間がたっていない生暖かい遺体が多かったと検死の医者が話す。・自衛隊はヘリ4機を派遣していた。[ミサイルを回収し、証拠隠滅のため墜落現場をガソリンとタールで焼き払う。]・現場の遺体の多くは、ジェット燃料(灯油成分)による火傷に加え2度目の火傷で炭化状態となる。・落合さんの居た場所の沢筋は、たまたま死角となって証拠隠滅作業から免れる。・墜落場所はすぐ特定できたのに、21時近くまで、長野県、群馬県と場所の攪乱で、「墜落場所不明」との報道が流れ続けた。・JAL側は燃料切れの時刻21:35に「墜落に間違いが無い」と報道。・地元の村長が「墜落はわが村」と通報しているのにそれは無視された。場所が特定されたのは翌朝になってから。その時点から生存者の捜索が始まった。・最終的に4人が救助された(事故発生から20時間、生存者発見から3時間)。・8月15日 事故現場にあり墜落の重要な証拠になる圧力隔壁は捜索の邪魔として5分割に裁断された。 現在日航で展示されているのは継ぎ合わされたもの。赤い物体、Fファントーム2機、山に落ちた音 などを書いた小学生や、中学生の文集が残っており揺るがぬ証拠ともなっていて実況報告のような形で残る。1987年に至る286回までもの事故調査委員会では、「隔壁劣化を見逃したことが大きい」とした内容であり、1889年刑事事件としての捜査では11月22日に検察は全員を嫌疑不十分として不起訴処分とし、捜査本部は解散した。しかし誰も自衛隊を咎(とが)めなかった。これらは茶番劇だったのか?これで分かった。米国側が事故の一因とされた隔壁修理ミスへの回答が消極的だったことと、隔壁と垂直尾翼の実物大風洞実験が行われなかった理由が。もしこれが当っているとしたら、「森・カケ・サクラ」どころの話ではない、隠ぺい体質の、腐りきった日本の中枢部と言わざるを得ない。今後の検証・・ブラックボックスの完全公開、相模湾内の落下物(垂直尾翼)の回収、本当の真相を知る人の勇気ある発言。もう過去のように抹殺されることはないだろうから。徒然の記その2 Covid-19 日本・世界状況 2020.8.8(土)■世田谷区がついに動き出した。「いつでもどこでもだれでも無料のPCR検査を」 東京都世田谷区の保坂展人区長が4日、日本記者クラブで会見し、PCR検査の大幅な増加など今後の取り組みに意欲をみせた。現在は、1.地域外来・検査センター、2.帰国者・接触者外来、3.PCRセンターで検査し、最大363件を実施。約600件まで拡充する。東京大先端科学技術研究センター児玉龍彦名誉教授の提案で「PCR検査を一桁増やす」ことなども検討している。また病床確保支援のため2億664万円の2次補正予算も手当した。大学の研究機関を総動員すれば東大だけでも1日10万件のPCR検査が可能という。何をもたもたしているのか。日本政府。■中国では人口752.4万人の香港全市民のPCR検査が行われようとしている時に、人口94.5万人の世田谷区全区民のPCR検査がどうしてできない? 再度繰り返す。何をもたもたしている日本。喝っ!!!■世界分析グラフ・・(ジョン・ホプキンズ大学データ 2020.8.7 午後9:33のデータに基ずく)世界の感染者は8/7に1,900万人を超す。平均1日で25.8万人。死者71.6万人。平均1日で6千人。感染者数は 米1位、ブラジル2位、インド3位、ロシア4位、南アフリカ5位、メキシコ6位米の感染者488万、ブラジル291万。インド203万。米国が寝てきた。1日の感染者は米国が6万人すこし下向。ブラジルは5.3万人と米国に迫ってきた。、世界 人口(億)、累計数(K) 、前日+K 、 死者(D)、前日+D、 100万D、 K-2W:1W比率、 D-2W:1W比率全世界 7713、 19,128,901、+289,213、 715,555 、+7,239 、8,498.3 、1.01、 1.05アメリカ合衆国 329.065 4,884,406、+60,176、 160,111、 +1,843、 487、 0.85、 1.03ブラジル連邦共和国 211.05、 2,912,212、+53,139、 98,493、+1,237、 467、 0.94、 1.01インド 1366.4 、2,027,074、 +62,538、 41,585、 +886、 3,248.8、 1.11、 0ロシア 145.8、 875,378、+5,191、 14,698、+119、 100.8、 0.95、 0.83南アフリカ共和国 58.6 、538,184、 +8,307、 9,604、 +306 、163.9、 0.76、 9.76メキシコ 127.6 、462,690、 6,590、 +50,517、 819 、+396、 1.02、 0ペルー共和国 32.51、 455,409、+7,785 、20,424 、+196、 628、 1.85、 1.38チリ共和国 18.95、 366,671、 +1,948、 9,889、+97、 522、 0.89、 0 31位 スウェーデン王国 10.1、 82,323、 +356、 5,766 、+0、 570.9、 0.14、 0アジア人口百万人比で、死者は日本12.5人、台湾0.3人、韓国5.8人、ベトナム0.1人。死者が少ないと豪語するのは早い。台湾、ベトナムが0.1人なのである。日本は台湾、ベトナムの成功事例に学ぶべきである。グラフ1 世界の感染者数直近の2w,1wの比率で1以上の国・地域(1週間の新規感染者数が前週のそれより増えている国・地域)は85で全202の半数を切った。カーポヴェルデ(アフリカ)405、ガイアナ(南米)127、エスワティ118(アフリカ)、ジプチ(アフリカ)82.2とアフリカ勢が急進の勢い。感染者も1千万人を超えた。南米では12ヵ国のうち9ヵ国が入っている。 中米では23ヵ国のうち12ヵ国が入っている。米国、ブラジル「、メキシコ、アルゼンチンの新規感染者数同、インドネシア、日本、韓国米国はやっと落ちついてきたか。韓国は安定、日本とインドネシアがここに来て激しく立ち上がってきている。グラフ2 域別感染者数推移と死者数の推移(地域別人口100万人グラフ)南米(空色)、北米(濃い赤)ともに接近。アフリカはまだ低いレベル。欧州は落ち着いてきている。グラフ3:日本:クルーズ船を含む感染者累計と毎日の増加分もはや完全に第2波のような様相。第2波の山はどこにくるのだろう。グラフ4:特定警戒地域のその後。GoToキャンペーン以降全国で感染者増。東京、大阪、愛知の傾向が似ている。東京、大阪、神奈川の比較 1日の感染者数の推移値の規模は違えど、7月22日からの立ち上がりはどの都道府県も似ている。 徒然の記その3 引越しその6 2020.8.8(土)■10月22日の引っ越し、11月末の更地引き渡しに向けて、過酷な断捨離。その6■今日もリサイクルへ・・本、ダンボールなど山のようにあるリサイクル品は近所の集積場に置いておくには迷惑になるだろうからとせっせと工場に運び入れているのである。そこは毎週金曜日にどっと外に持ち出すらしい。衣服、本、金属などの場所が確保されていてそこに積み上げる。■netで「引っ越し見積もり」のサイトにアクセスした途端4000社あると言われている日本中の引っ越し業者から一斉に電話が鳴りだした。不動産売買と違いこちらは桁外れに多いのだ。中でも大阪・堺に本社があるS社のモットーは「10分」以内に顧客対応するということである。翌日には見積もりに来宅した。「早割り」と「相見積もりをせず一発で決めた」 という条件でかなり安い見積もりとなった。繁忙期は3月から4月という。コロナには関係しないと言っている。ダンボール箱は大小50箱までは無料だというので、9月1日に持ってきてもらうことにした。■スケッチ・・最終的にスケッチブック120冊5千枚の絵もディジタル化しておこうと思う。CamScannerで撮影をし始めた。speedは15分/1冊。合計30時間もかかる代物である。総じて山岳の絵が多い。懐かしいものばかりだ。全部終わったらPDF化し、幾枚かをディジタル画像としてメルカリに出展して見よう。その実物だけを置いて全部破棄しようと思っている。2004年以降は、だいたいが絵日記blogの原画であるが、それ以前の何千枚かの絵はときどきこの絵日記blogでも振り返ってみよう。上のモン・サン=ミシェルの絵がそれである。スケッチブックの一コマ・・PDF化してファイル毎に整理。2004年3月のスケッチ帳。■日記・・お袋の日記もでてきた! 親父の日記はPDF処理をして、一巻のみを保存しあとは冊子をばらして資源ごみへ。納戸の奥から今度はお袋の日記もでてきた。字体が似ているようで似ていない。サインが無いため判然としないが「9」の文字を時計回りで書いているのでたぶんお袋のであろう。話しには聞いていたのだ。同じようなスタイルで共に机に向かってせっせと書いていたのであろう。親父と同じようにルーズリーフに新聞の「天声人語」を毎日全文を書き写し、別のページに天気の徒然を書いていたようである。昭和60年8月13日の日記には、「ジャンボは自動操縦なのにどうして落ちたのか?」と綴られていたりした。さらに今を思い返せば当日以降の天声人語は何を書いていたのだろうと、・・これまた捨ててしまってから惜しくなってしまった。netで簡単には検索できないからだ。新聞社に問い合わせれば可能であろうが。■家宝・・木の入れ物に茶碗セットが5椀など。どうも什器や掛け軸などが恭しく重箱のように木の箱に入れられている物は貴重なのであろう。捨てられず、畳の部屋に積んである。最後には観念するであろうか。徒然の記その4 真鶴合宿 2020.8.1-2(土日)■「ヨット合宿+真鶴合宿」の筈が、梅雨明けが遅れ曇りの日が続いたことと、コロナ増加ということでクルーズ参加予定者の中に小学生が居たこともあり早々とヨットの方はキャンセルされていた。通常の真鶴合宿が外来5名と出張シェフ夫婦、"アルベルゲ"ホストを入れて9名で執り行われた。フェースシールドやマスクの準備、寝る部屋は1人1室でというのが条件で泊まった人は3人。小生はテラスでのテントを割り当てられた。このテント、セッティングに失敗をし、傘のような構造物のみをお腹に直接載せて寝ることに。大きなコウモリを背負っている感じ。その間、蚊に刺されさんざんな目に。途中からテントを諦めダイニングの大理石にマットを敷いて就寝。朝方再度挑戦してみた。このテント 米国製というがメーカー名は無くnetで組み立て方、仕舞い方などをサーチしたのであるがかいもく分からず。長い折り畳みのポールが4本、短いのが2本と合計6本で傘のように広げて梁の先をシートの端々に固定することによって自立するようになっている。梁は2,3mもありかなり長いもので四苦八苦。昨夜は酔っている勢いもあり、組み立て中ひっくり返って窓にあった網戸を壊してしまう。思い出すのは、ベルギーで、買ったばかりのドイツ製テントを森の傾斜地に闇夜で組み立てた時と状況は似ている。日本語を除く全世界各語で書いた長い説明文をペンライトで照らしながら、5角形のテントを組み上げた時を思い出すのだ。テントというのは使う前に習熟しておかないととても一発では組み立てられないということを。しかもスペースが限られたテラスでは無理ではなかったかと。悪戦苦闘しながら結局畳み方もわからずそれに格闘すること数時間! その間、壊れた網戸を修復する輩1人と。日曜日の午後はそんな風にして静かに過ぎていった。午前はその作業の前に、デロンギのエスプレッソマシンにてコーヒーを飲む。カチャとハンドルをセットすると旨い香りのエスプレッソが専用容器に注がれる。ミルク温め用のフロッサーでもあればヨーロッパのBarを再現できる。今はコヒーのみだ。ぺちゃんこのタブレットを中に置くだけでも泡立ち良いコーヒーが出来るのだ。粉を軽くタッピングする円形のツールも付いている。もう何杯も"禁断の"コーヒーを飲んだ。砂糖はサッカリンのような米粒で甘い。何杯お代わりをしただろうか。そのテラスには地上から見えるのはホップの実が生え上がってきている。地ビールに挑戦と言う。これも楽しみだ。徒然の記その5 第1水曜会での雑談 2020.8.5(水)■コロナに泣いてばかりでは経済が萎むばかりと、旧サラ文幹事の元気な老人が今月も銀座1丁目の「魚屋 一丁」に集まった。今回はこじんまりと7名ほどで。実はオフレコとなっており公言はしていなかったのだが。すでに1200万人が接触確認アプリをロードしているというのに、このグループは反応は遅い。皆キョトンとしている。次回からは必須条件にしよう。接触アプリ無しでは都心をうろついてはいけない。といっても映画館などでは電源を切っているので肝心なところで働いていないため万能ではない。コロナ用免疫力アップ方法などを議論・・ある男性は夫婦で山芋を食べていると。梅干しにしろオーガニックな食材はコロナに強いのではないかと思うのだ。家を片付けて高機能の老人ホームのような施設に入ろうかという人がおられる。奥様の形見の和服が山のようにあるため、タダでもよいので、着てくれる人が居れば差し上げたいという。ガレージセールのような形である。当方もそのような形で、捨てるのではなく再利用される場合はあげるようにしたほうが良いのではないかと。徒然の記その6 映画「図書館の奇跡 the public」 2020.8.5(水)■家を出て118分もかかる「コレド室町2」にあるTOHOシネマの13:00から始まる映画「図書館の奇跡the publoc」を観てきた。時間設定を間違ったものだから大変。JR神田駅から銀座線ホームへ。「三越」駅でA6出口へ。コレド室町1から2へ地下を急ぐ。3Fまでエスカレータを利用しホールで発券処理。5番シアターへ12:57入場。これほど焦ったアクセスはない。たっぷり時間があると思ったのに13:00を「13時台」とかってに解釈していたのが大きな間違い。「図書館」というタイトルの映画。大学時代に「図書館長」という要職に祭り上げられ入学式や卒業式にはステージ上に胸にリボンを付けて座らせられていた者にとって看過できない映画である。使命感を持ってみるべき映画だろう。しかし都心でしかやっていない。オハイオ州シンシナティ(五大湖の南、シカゴから南東に400km、NYから南西に900km、北緯39°(日本で言うと陸前高田の緯度)、西経84.3°)の市立図書館での物語である。極寒の2月だろうか。ホームレスを収容するシェルターからあぶれた人達70名あまりが籠城するというのだ。実直な図書館員のスチュアート(エミリオ・エステベス)がホームレス側につき、立てこもる。検察官、メディア、警察と闘うのであるが、その時手に取った本はJ・スタインベックの「怒りのぶどう(The Grapes of Wrath" 上記英文に記載)」である。資本主義に打ちのめされた弱者である農民に替わってここでは社会の底辺にうごめく貧困層が正当に声をあげ「間違い」を正そうとする庶民の戦いである。警察と対峙するとき暴力的な態度ではなく「丸腰で無垢」という手段で立ち上がるのだ。感動の最終場面は、衝撃的でもある。徒然の記その7 ZOOM会議 2020.8.6(木)■高校の同窓生を集めてZOOM会議を月一回開催しており定着しそうである。「タイル表示」させておけば、だれが喋ってもすぐわかる。大阪の輩は、大いにお酒を飲んで歓談し、3密で集団感染すべきではないかと豪語する。それには一理ありと。この方 いつも面白く、警察と病院には近づかないことをモットーに人生を歩んでおられる。酒は百薬の長という喩を持ち出し、酒をこよなく愛し、奈良は箸墓(はしはか)古墳を巡る旅に皆をいざない、絵も上手。彼はさらに言う、「医」という文字の古い「醫」には酒という漢字が備わっているのだと。なるほど。説得力はある。ZOOMの背景として古代文字を額にした部屋を映すご婦人は「医」の文字の「矢」は弓矢と槍の「矢」をあらわし、とがったやじりの部分がメスの意味を持つと。医の文字の矢を囲う【匚】は箱をあらわし、メスを入れる箱の意味を持つのだと。まぁこれだけで医の文字は現在の外科療法をあらわしたものとなっているようだ。調べると輩の言うように昔の字は「医」の下に、釣り針を意味する「殳」、薬壺や酒を意味する「酉」、みことのりを意味する「巫」、両手を意味する「ΨΨ」の5部からなる非常に難しい字体だった。その簡略形が「醫」なのだ。畑の収穫や、千枚田の手入れの写真を掲載したりとみんな短時間で近況を報告してくれる。マスクばかりをしているので、久しぶりに紅をさしましたという女性も居る。この会議は生活力向上にも役立っているようである。ここで出たのが「運転経歴証明書」。これを取得した女性がおられた。当方などこのコロナ禍で高齢者講習や認知テストなど邪魔くさくてうけておらず免許証失効の期日も近い。免許証を返上しようと思い切って警察署に足を運んだ。このZOOM会議、なかなか機動力を与えてくれるものだ。CamScannerで撮影するとトリミングで台形補正してくれる。上がその例。証明書取得には2ヵ月かかると。コロナの影響で作業が混んでいるとのこと。(編集後記)・・毎週土曜日午後に発行している絵日記blogです。その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Aug 8, 2020
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パリ・サンマルタン運河?・・story(3201)2013.9.22江東区 横十間川(よこじっけんがわ)の景色・・小名木川と横十間川にX字の形に架かる橋「クローバー橋」から水門橋を眺めた。川に高低差があるので堰がある。この景色を一目見て、「これって、パリ?」と思わずつぶやいた。パリ、北東部にあるヴィレット辺りからセーヌ川に流れ込んでいる「サンマルタン運河」と風情が似ているのである。水道管がアーチ状になっている光景は同じ。水門橋の上は幅10mほどの歩行者専用のスペースで、幼児たちの遊び場兼、体操広場のような趣。横十間(よこじっけん)親水公園がここから始まる。950m南下すると仙台堀川とまた直行し、その少し先で西に曲がって大横川までの860mの水路。これが全体に公園になっているのである。わくわくするエリアである。秋の紅葉時もう一度訪れてみよう。オケ練習のない日曜日昭和54年11月に創設された我が府中市民交響楽団。爾来34年。日曜日午前中はオケ練習と決まっている。多くの方が寛ぐであろう「日曜日」が34年間も”休出”なのである。ところが3連休が続くようになったためか、今日はお休みで、明日の月曜日が練習日と変則。これできっと間違えた団員が多いのではないか。大使館に勤める団員は、お国のカレンダーに倣うため月曜日は休日ではないと嘯(うそぶ)くが。Picture1(sketch-direction 146° pm4:30 Sketch point:From Clover-bridge,Suimonbashi-bridge,Yokojikkenn-river,Kotoku,Tokyo, Japan.JapanGPS 35.685075,139.820694(°)(35°41'6.27" N,139°49'14.5" E)標高7mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.645569,139.615544(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Sep 22, 2013
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東府中_story(2690) 2012.4.18スカウトペース(15分2km):所謂「ボーイスカウト走り」閏日(2月29日)から今日までもう48日間も車を運転していない。もっぱらジョギングであらゆる仕事をこなしている。やれ郵便局だ、「杜のホールはしもと」への練習室の利用承認手続きだ、日用雑貨店カインズホームへ物置き分解用の工具を物色、 などあらゆる仕事は飛脚姿で用を足す。続いて、桜が満開、芝桜が見ごろ・・など地域の情報をgetしてから、その場所に行くのもすべて この2本の脚である。ガソリンは使わないので地球環境に優しいと思いきや、CO2を余計に排出しているのでその分を差し引かなければならないが。ところが寄る年波、帰りがきつくなっている。そこで今日は「ボーイスカウト走り」をしてみた。・・40歩走って、40歩歩くこれを無限に繰り返す(15分2kmをkeep)・・・この走りを知ったのは、2012.3.10(土)23:00-23:55 NHK総合「3月11日のマーラー」である。すみだトリフォニーホールで開催された ダニエル・ハーティング指揮 新日本フィル のマーラー5番の演奏会(聴衆が105人だけの演奏会であったが、神が降りてきたと絶賛された演奏内容であった。6月20日は3月11日と同じプログラムでチャリティーコンサートが行われた。)の模様がドキュメンタリー仕立て紹介された。リハーサルのために会場に向かっていたホルン奏者(大野雄太さん:2011.10から東京交響楽団首席ホルン奏者)は有楽町で電車がstopしてしまい、墨田区にあるトリフォニーホールまで約10km弱を走ったという。新大橋通りなどを使って隅田川を渡ったはずである。このときの走りが「スカウトペース:ボーイスカウト走り」であるという。息が切れずに本番で吹くことができたと言う。このアレンジバージョンとして40を、1,2,3ではなく、1,1,2,2というように片方の足を繰り出すタイミングでカウントしていくという手法でturbo流の「ボーイスカウト走り」をしてみた。漫然と走り、歩くというのではなく、走りと歩きを交互に規則正しく入れていくというのがミソであろう。80歩づつでも構わいとみた。結構長距離を息も切らさず走れるものである。すこし感動した。東府中京王線下り。東府中駅に着く寸前に、見事な新緑の風景があった。オケ会場に行くにjはまだ10分ほど余裕があった。駅に降りてからその場所にいくと、公道と思った新緑の道はなんと「府中自動車教習所」のコースの一部であった。コースに武蔵野の面影を残した教習所で日本一景色がよい自動車教習所ではないだろうか。大いに感動した。4月15日の風景 東府中駅前 府中自動車教習所姥桜も残り、欅の新緑がうっすらと。Picture1(sketch-direction 0° am8:50 Sketch point:Higashi-Fuchu,Fuchu City,Tokyo.JapanGPS 35.668492,139.496797(35°40'6.57" N,139°29'48.47" E)標高53mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.579014,139.305981(°))を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Apr 18, 2012
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ローソク温泉(その3)_story(1433) 2008.12.12 掲載が12時間遅れています。湯之島ラジウム鉱泉保養所から岐阜県中山間農業技術研究所からの恵那山夕日で真っ赤に焼ける前山と背景の恵那山。森閑とした中に楚々と聳える。最下部は、研究所の建物。さて、ローソク温泉(岐阜県中津川市高山2200-2)を後にして来た道をrunningしている。途中寄り道などで、岐阜中山間(ちゅうさんかん)農業技術研究所の坂道を上っていた時のことだ。ちょうど夕焼けで、恵那山と、前山がピンクと真っ赤にそまる瞬間があった。目に焼き付けてからまた走ろうと思ったが、身体が「待て!」と言う。聞いてみると、「これを逃す手はない!」と。夕焼けは3分で終わる。さっそくスケッチブックを広げスケッチを開始した。車ではなく、実際に「地べた」を走っているからこそ、いろんな瞬間に出会えて結構楽しい。幸い、野の花や側溝の水音、木の下に集められた柿の実などは、何十年車で走っていても気づかないものであるが、歩いたり、走ったりして地面を這うように見ているためこうしたものと会話ができる。景色の変化を肌身で感じることができる。日本の色、世界の色Japanese-color_world-color(その15)今回は紫系統(38色のその1)330色以上の名前の付いた色からpurple_color系統のパターン1。11/27から連載しています。数値はCMYK値スケッチ情報:絵は(120° pm4:34 GPS:Google Earth 地名=中津川 スケッチpoint 35.482300 ,137.467644 (単位は°)(北緯、東経表示では、35°28'56.28" N,137°28'3.52" E))Google Earth(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)都心では、ストリートビューが楽しめます。
Dec 12, 2008
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雪空の中津川_story(2654) 2012.3.13フロント昨晩は驚いた。送別会からの帰り、ホテルまで特別に送ってもらった車から降りてフロントに到着すると、本学の女子学生が受付をやっていた。ポンタカードを出してポイントをためてもらい、カードで支払いを済ませて鍵を受け取るまでの一連の動作をベテランより15%くらい遅いものの、てきぱきとこなす。キャッシュカードを受け付けのテーブルの上に置いたままであったため、「お客から預かったカードは、機械に挿入するまでは自分の手元に置いたほうがよかろう」・・とアドバイス。アルバイトながら、他バイト先と違って、丁寧な言葉を学べるということでこのホテルを選んだ。見習いを経て正式にフロント係りについていたのだ。努力家の留学生である。秋入学のため9月に卒業となるが、すでに内定している会社から、日本語にさらに磨きをかけよといわれて行動に移したのだ。見上げたものである。そのホテルからご来光を拝むことができた。時刻は6時50分頃。(岐阜市の日のデータは6:07であるが、ここ中津川は山が聳えているため相当遅い)恵那山の前にある「前山」の鞍部から日が昇った「前山」からのご来光手賀野のホテルから。徒然の記 断捨離ができていない!研究用途で買ったものながら減価償却が済んだものは総務に了承を取って貰っていくことにした。プリンターやiPODなど。sagawaに電話し1mx1mの箱4箱もってきてもらった。どんな大きな箱かと思ったが、蓋の部分を足して1mなので、正味は50cmしかない。机の中身や、本棚など、ごちゃごちゃしたものを詰め込むと4箱になってしまった。blogもこのどさくさに下書きをしておこうとして画像が入ったUSBメモリを探したがない。荷物に詰め込んでしまったようだ。何としたことか。最重要フォルダが詰まっているUSBである。又また箱を開けてUSBを探し出すというハメに。2箱目で出てきてよかった。なにか悪い予感がしていたのだ。机の上にあったもろもろを掃き捨てるように袋に入れた中に交じってしまっていた。し、しかしだ、この4箱、明日に家に届いてからなんとする?だんしゃり(断捨離)ができていない! いっそのこと全部捨ててきたほうがよかったのでろうか。口実ではあるが、その他にいっぱい捨ててきたものの、最後に残ったのが毛布などを含めてダンボール4箱。良しとしてまぁ、家で開けてみて判断しよう。Picture1(sketch-direction 90° am6:45 Sketch point:Hotel -Tergano,Natsugawa-City,Gifu Pref.JapanGPS 35.480958,137.499450(35°28'51.45" N,137°29'58.02" E)標高357mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.626156,139.227728(°))を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Mar 13, 2012
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Tokyo Marathon2008_story(1134) 2008.2.17石原大会長のスタート合図でマラソン(42.195km)、10kmの同時スタート東京マラソン2008 スタート風景号砲の直後、大砲が鳴り、筒から紙吹雪が打ち出される。ランナー33000人が続いた。右・・都議会議事堂中央・・新宿住友ビル、右・・新宿三井ビル左・・ハイアットリージェントHotel、新宿第一生命ビル日陰ながら、新宿三井ビルからの反射光をうけて暖かくなった。 快晴の2/17(日)、am9:10 号砲でスタート。北京オリンピック選考を兼ねたTopアスリート集団に続く33000人の市民ランナーが一斉にスタートした。それと同時に大砲が炸裂し、紙吹雪が吹き上げられた。紙を拾ってみるとハート型の白い紙であった。なかなか酔狂である。ニュースでは昨年の雨では30分かかった最終ランナーまでのスタート時間が20分で済んだということである。今回の東京マラソンは、NYマラソンと比較してみることを楽しみにした。まず、東京マラソンのスタート直前は、いたって行儀がいい。清潔。コースの道路は3~4車線とかなり広い。演奏は太鼓演奏が多い。ゴールが東京ビッグサイトという超巨大な施設。この面積を利用できるのでいたってコンパクト。制限時間7時間。国籍 大半が日本人。ちょろちょろと外国人。その中でも韓国人が多かったようである。NYマラソンではスタートぎりぎりまで、お小水をとるための尿瓶がまわってきたり、その場でジャージャーとやるやからが多く、下品にも感じた。弁明するなら圧倒的に寒いため辛抱できないという点があろう。スタテン島からのスタートは1.6kmの長さがあるハドソン川を渡る2段構成の橋。これがすごい。恐怖の長上橋である。道路は5区を回るうちに狭い道幅もけっこうあり。応援がひきも切らないのは同じ。ジャズなどの生演奏が多い。ボランティアが300万人と圧倒的に多い。ゴールはセントラルパークの中。荷物バスが線状に1kmほど並ぶ。制限時間(無制限?)翌日の朝ゴールする人を付き添うパトカーと応援のランナー。これは感動の一瞬で、毎年NYタイムズに出る。国籍・・3万人のうち米国人は1万人以下と思われる。全世界からやってくる。turbo717 手記NYマラソンから9年振りのフルでしたが4時間という平凡なタイムでゴールしてしまった。快調に飛ばしていたもののあと10km(銀座を平和通りへ曲がったあたり)で戦意を喪失し、しかも7km(豊洲)5kmで足がつってしまった。練習不足である。沿道の人からスプレーで助けてもらったりと快復まで暫らく歩く必要がありました。1km-10or11分と言う程のペースダウンでした。ところが 「応援有難う!」と皆に大声を掛けているうちにtopスピードに戻っていた。2km手前からほとんど泣いていた。感動したからだ。そのままゴール。よい思い出になった。応援、有難うございました。 絵は(0° am9:10 Google Earth 地名=東京都庁 スケッチpoint 35.689142 ,139.692453 (単位は°)(北緯、東経表示では、35°41'20.91" N,139°41'32.83" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)しますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Feb 17, 2008
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小坂滝めぐり_story(1487) 2009.2.4下呂市小坂町は日本一滝の多い町である。落差5m以上の滝が216箇所確認されている。「NPO法人飛騨小坂200滝」が環境整備と滝のガイドツアーを行っている。滝見物にはガイドの必要な場所も多く、初級・中級・上級の各コースに分かれており、ステップアップする楽しみを提供している。1800mの標高にあった、無名の滝が最近「千畳の滝」と命名された。数々の「岐阜じまん」のなかから、ついにH20年8月23日に、この「下呂市小坂(おさか)の滝めぐり」が【岐阜の宝もの】として選ばれた。昨年の夏に紹介した濁河温泉の仙人滝、白糸の滝、緋の滝も216滝のひとつだ。御嶽山の産物だ。三ツ滝には、円空がここで座禅したという座禅岩がある巌立公園の中にあり三ツ滝までは延長600mの滝見遊歩道が整備されている。厳冬の時期は、カンジキか、アイゼンがないと、氷の道でステンということになる。三ツ滝不動明王・・円空が仏像を作りながら諸国を巡るなかで、小坂郷長瀬村紙屋治良七家に身を寄せた。この家には、天性の美貌と優和を備えた娘が住んでいた。仏門円空もこの女性に思慕の情禁じ得ず、仏像がうまく彫れない。悟るところあって、三ツ滝の岩上で座禅をしたという。座禅している時に、夢幻の中に滝不動明王の暗示を感得し清浄の気持ちから聖観音、善女竜王、善財童子の三尊を刻み、コース・・・1.下呂→小坂町(JRひだおさか)→小坂川→(runnig)→落合→濁河(にごりご)川→厳立(がんだて)→三ツ滝(往復:雪道)2.小坂町→萩原町(JRひだはぎわら)→新日和田トンネル→馬瀬川→栃尾(running)→矢形→美輝の里(往復)3.栃尾→東仙峡金山湖→岩尾ダム→ぬく森の里温泉→金山町→白川口→恵那市→中津川市絵は(180° am8:23 Google Earth 地名=下呂 スケッチpoint 35.908925 ,137.337717 (単位は°)(北緯、東経表示では、35°54'32.13" N,137°20'15.78" E)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)しますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Feb 4, 2009
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Turbo717 ブログ訪問者の皆さま、Turbo 717の息子です。大変ご報告が遅くなりましたが、父が去る3/27に永眠いたしましたことをご報告申し上げます。長らくの御愛読、誠にありがとうございました。本ブログに詳細ありますとおり、皆様の応援を励みに約1年間の闘病生活を送っておりましたが、残念ながら力尽きてしまいました。マラソン、スケッチ、読書、登山、オーケストラに歩き塾、興味の赴くまま、あらゆることに全力で向き合った人生であったと思います。その足跡を残すべく、本ブログもしばらくは閉鎖せずに維持いたしますので、故人を思い出したまにはアクセスいただけると幸いです。Dear valued visitors,I am son of Turbo717. I have something I need to inform you. My father, Turbo717, passed away on 27 March 2024. I applogize for letting you know it so late. But we really appreciate your warm support and friendship with him. As you know, he had been fighting with cancer for a year, and got a lot of energy from your messages, but he couldn't beat it,, His life was fulled with wonderful moments and joys. We won't close this blog for more years. Please visit sometimes again and recall him.Thanks, Son of Turbo717, on behalf of his family.
Sep 29, 2024
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