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ダブル レインボウ9月27日(土)午後2時~3時頃網地島から東北の方向に見るどうです、素晴らしい二重虹でしょう。観天望気 かんてんぼうき(天気にまつわる言い伝え)では、暴風雨の兆しを意味しているのだそうです。どうして、こんなに美しい虹が出来るのでしょうか。(科学的な考察は考えたくないですね。)世俗では、嫌なニュースが相変わらず飛び回っているようですね。やはり、世間も暴風雨なのでしょうか。もっともっと、荒れる兆しなのでしょうか。でも、世俗の事は私にとってはまったく興味が無い。心配もしていないし、不安も無い。大いなる存在に、見守られているから。私は、島でのん気に1時間も虹を眺めている。LET IT BE レット・イット・ビーそんな気持ちです。
2008.09.30
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今回の青森の旅は、命の水 を汲みに行くことがメインでした。そのついでに、温泉を楽しみ、青森県の一部を堪能させていただきました。でも、島に帰ってから思うこと、それはこの島の良さを再認識する旅でもありましたね。元来、景観としての山は静で、海は動。それは、初めから認識していたのですが・・・奥入瀬渓流を散策しても、八甲田山の山々を見ても、それなりには美しいのですが、島の景観と比較したら、やはり軍配は島に上がりそう。最も美しいとされている奥入瀬渓流にしても、島の四季折々の美 をまざまざと見せ付けられている私には、今一つ、グッと来るものがありませんでした。砂浜や変化にとんだ磯の景観、そこに生息している生物の営み、潮や風の変化で織りなす波やウネリ、正しく生きている地球の生命そのものを感じさせずにはいられない。又しても、島の素晴らしさを再認識させていただきました。そして、もう一つ。3つの温泉に宿泊させていただきましたが、そこで出された料理。どこのホテルや旅館でもほとんど同じでした。確かに、それなりには美味しいのですけど・・・ねえ。私は、ベジタリアンではありません。肉類は食べませんが、魚はいただきます。酒も楽しみます。なんせ、在るがままを生きると決めてますから・・・また、島には安全安心の食材が揃っているからなのでしょうけどね。もちろん、加工された食品は一切食べません。始めから、全部作ります。まあ、それはいいとして、・・・島で食べている料理の方が、ずっと美味しいのに気付かされました。新鮮な魚介類、採れたての無農薬有機栽培の野菜。又しても、島での私の食生活がいかに豊かであるかを知らされました。だから、自ずとこの島に住むことを許された事に対する歓びと感謝の念は、計り知れないものなのですね。又、この島に14年間住んでみて、解った事があります。それは、いくらお金があって島に住みたいと思って物件を探しても、縁の無い人は住む事が出来ないのです。反対に、いたってスムーズに住む事を許される人もいます。これって、面白いですよ。私の所に、年間10人位は島の物件を探している方が見えますが、住めない人は、住めません。これも縁なのでしょうね。だから、余計に日々の島の生活に歓びと感謝の気持ちが募るのでしょうね。奥羽山脈に沈む夕日。この時は、一日を感謝する時間です。
2008.09.27
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久しぶりに、のんびりと旅を楽しませていただきました。元来、ストレスが溜まらないと言うか、発生しない生き方をさせていただいていますんで、気分転換なんてものは私には縁が無かったのですが。旅は、たまには良いもんですね。奥入瀬渓流です。美しい所です。そして、またまた神に見守られているという、至福の歓びに浸ることができました。何の間違いやトラブルも無く、10年ぶりの八甲田山。そして、命の水の湧き出ている場所にまたしてもスムーズに導かれました。やはりその場所は、神々しい霊気漂う神秘に満ちた場所。残念ながら、写真を撮るような事は出来ない場所でした。そこで、20リットルタンクに6個、汲ませていただきました。これで、縁ある方にお分けする事も出来ます。しかし、この水を飲んで病が治ったりしても、本質的な癒しにはなりません。やはり、本人の内面が変わらないと、また別の形で不都合が生じるでしょう。自分がしてもらった分以上に、他の人にして上げられる愛が大切ですね。感謝とは、心に思うだけでは成就しない。「ありがたい」と、思った次が大切。「ああ、こんなに良くしてもらった。今度は、私がして上げる番。」と自然に思えて、行動する。その思いが、愛ある行動に移って、初めて感謝したという事なのでしょう。だから、日々感謝出来る人は、誰でも菩薩様になれるという事。アセンションに繋がるのでしょうね。
2008.09.23
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命の水それは霊山である青森県八甲田山系から、こんこんと湧き出る水。飲めば、薬以上に医療効果が望めると言われている水。皮膚につければ、皮膚病が治り肌が若返ると言われている水。何年放置していても、まったく腐らない水。藻を始め、一切の生物の生存がその水の中ではできないと言われている水。多くの人が、この水で助けられたと言っている。いつしか、命の水と言われるようになりました。医者に見離された末期癌が治ったという話も聞きました。私の母も、2年もてば・・・と医者から言われたのが、15年も生かされました。この水を、明日から汲みに行ってきます。湧き出ている場所が解ったのは、やはり大いなる存在の導きでした。広い八甲田山の、何千何万の湧き水の中から、ピタリと知らされたその場所は、あまりにも神々しく、霊気漂う場所でした。最後に汲みに行ったのは、もう10年位前になるでしょうか。そのままであれば、そこに行けばこんこんと湧き出ているはず。キリスト教会の言う“ルルドの泉”と似たような水と思われます。ルルドの泉そう言えば、山の霊気?を目で確認できたのも、この八甲田山だったな~~。
2008.09.17
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どの角度より、見れど美しきものあらじ、良き角度より見るが、よろしも藤 秀翠どの角度から見ても美しいと思える存在は無い。良き角度を見つけて、そこを観るのがよろしい。美しい花でも、どちらから観たほうが美しいか、見るべき角度がありますね。私の場合、料理人でもありますから、料理を盛り付けるにしても、美が要求される。同じ素材でも、盛り付け方一つで大きく変わる。中学生の頃から、父親の影響で盆栽や植木といった、大変じじむさい趣味も持っていたんです。(ちょっと、変わっていましたね。)そこで、いつも気にかけるのは、やはり“美”です。無理の無い、自然な形に“美”は宿ります。盆栽や植木の“美”は、大宇宙のバランスを表現します。バランス、調和を崩した所に美は存在しない。私達人間関係にも、見るべき角度があるようです。よき角度とは、その人の良い所を見る角度でしょう。ここでも、人間関係の基本とも言うべき“許す”という事が出てきます。短所に見える部分を許すという事。自分も今まで許されてきたのだから、(今こうして存在していること事態、許されているという事。)許す事が、調和でありバランス、美なのでしょう。そして、適材適所とでも言いましょうか。その人に相応しい生きる場所や役目があります。「水を得た魚」とか、反対に「岡に上がった河童」とか。その人が光り輝く場所があるようです。私の場合、都会ではなくこの島でした。そういう場所を提供し合える為には、より深い理解が必要ですね。まず、自分自身を深く理解する。己を知るという事。そして、相手を知るという事。美しいと思える方向で、相手を観る、自分を観る。そうすれば、争いは起きません。認め合い、許し合い、認め愛、許し愛・・・・・本当の豊かさとはなんだろうと考える。先ず、最低限以上の衣食住が足りている。(良寛禅師は、それすらも無所有に近かった)次に来るのは、物質的豊かさではない。心の豊かさ。さてそれは?すべてを受け入れ、許せるという事。これが、本当の豊かという事かもしれない。弥勒の世とは、こういう人々の世なのでしょうね。秋の七草の一つ、フジバカマです。秋なのですね~~そう、明日は十五夜ですね。
2008.09.13
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仙人草ってご存知ですか?今の時期、道端や野にたくさん咲いている白い花のこと。この草が、民間療法で扁桃腺の腫れや発熱に効果があるといわれています。元来この草は毒草で、絶対に口にしてはいけないそうです。方法は、いたって簡単。葉を採ってきて、指で潰す。汁が出るくらいになったら、体の一部に傷バンで張る。30分くらい放置したら、その後に剥がす。これで終わり。体に抗体が出来るそうで、かなりの期間、それが持続する。一生、扁桃腺の炎症で悩む事は無くなる人も多いとか。詳しくは、ここを見てください。http://mezamashi0.hp.infoseek.co.jp/-----*****-----*****-----*****-----そして、島では定番になってきたヨモギです。今年も、今がヨモギを摘む最後の時期になりました。本当に良く効くヨモギエキス。虫刺され、かぶれ、火傷等、皮膚の事なら結構良いです。宿泊がてら、島の汚れの無いヨモギを摘んでゆくお客様もいますね。1000ccのエタノールに漬け込みました。3日で出来上がり。深い緑をしていますね。作り方はここ。2006年6月4日の日記島での生活は、その辺にある草や木から、薬や食料を調達できます。「何も無いけど、すべて在る。」余計なものは無いけれど、生きて行く上での必要な物は、すべて揃っているのがこの島です。
2008.09.09
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人間関係で、相手を気遣う付き合いの大切さは言うまでもありません。でも、相手を気遣うあまり、遠慮する場面も出てきます。特に、会話の中にそれが現れる。本当は、これを言いたいのだけれど、言ったら相手が傷ついてしまうかもしれないから。だから、一番言いたい事は引っ込めて、二番目に言いたい事しか言えない。ここで言う所の一番言いたい事って、多くは我慢しつづけた先の批判的な言葉です。言いたい事を言えないから、心の中にもやもやが広がる。一人の相手だけなら良いのだけれど、それが複数となると困ったもの。大きなストレスとなりますね。そんな経験、ありませんか?私も、都会で生きていた時はそうでした。特に、組織の中に入っていると、それが顕著に出てしまっていた。だから、当時の私のような自己中心的傾向がある人間は、ぶつかりもしましたね。島に来てからは、それが無くなってきました。“接しても、交わらず”というのが、付き合いの基本ですから。私とは、基本的な生きる方向が違っていた為、交わり様が無いという事でしょうね。あまり、ベタベタとした付き合いはしません。今年の春頃からでしょうか、相手が厳しいと思えるような言葉はまったく発しなくなりました。1番も2番も無い。きっとそれは、アセンションの成就と時を同じくしていると思われます。相手を気遣う、許すと言う感情がいつでも前面に出ていると、相手が気付くまで待てる事が出来てきます。例え、相手が気付かなくてもそれはそれで良しです。当然、私の尺度と相手の尺度は違いますから私の価値観を押し付ける事は、もちろんしない。だから、厳しい言葉は使わなくなりました。いつも、その場面でしゃべる事は相手を気遣う言葉になっている。けっして自分を抑える、という事でもないし、忍耐もしていない。相手に答えを見いだそうとはしない。相手に、変わってもらおうとは思わない。自分の中や自然の中に答えは見いだせるから。あらゆる疑問の答えは、すべてが自然の中にある。風の中に耳を澄ませば、我を導く声がする。これが、在るがままなのでしょう。右端の白いのは、ホール主任のロンちゃんです。向こうに見えるのは、田代島。
2008.09.05
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岩もあり、木の根もあれど、さらさらと、たださらさらと、水の流るる京都女子大学創設者の甲斐和里子さんの詠んだ詩です。私の大好きな詩。水は、形が無く自由自在。状況によって、柔軟に、如何様にも変化する。氷にもなるし、水蒸気にも。あらゆる生命の源でもある。川のせせらぎは、何があっても川上から川下へ。よどまず、停滞せず、流れてゆく。-----*****-----*****-----*****-----島に来る前、私はヨットマンでした。クルージングヨットには、長期滞在用に真水を積んでいます。その真水が、何年経っても腐りません。その理由は、停泊中でもいつでもチャポチャポと動いているから。動きが止んだ途端に水は3日で腐ります。-----*****-----*****-----*****-----遊びで、魚飼育の為の水造りに没頭した時期がありました。その時知ったことで、接触濾過というのがあります。大変汚い汚水を、どんな条件でも良いからパイプで上から下に流します。何の濾材も使用しないのに、30km流すときれいな飲める水になるそうです。パイプの内壁に接触するから。現場で、30kmもの距離は無理だから、短い距離でやろうとしたものが今の浄化槽や濾過槽です。-----*****-----*****-----*****-----水をきれいにするのは浄化槽。身魂をきれいにするのも、澱んではいけない。停滞してはいけない。澱みとは、行動が伴っていない事。愛が足りない事。自らが光輝いていない事川の如く、さらさらと。不都合も不都合と思わず、さらさらと。苦しい時も楽しい時も、只ひたすらにさらさらと。
2008.09.01
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