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「丑寅の二人旅」第7弾 奈良・福井・加賀旅行 後編 2008年9月3-6日9月6日: 加賀から再度越前に戻り、東尋坊です。 近くに芦原温泉、三国温泉があり、そこからの観光客も多い。 (って云うか、そちらが東尋坊観光の本拠地) 東尋坊から、越前海岸沿いに加賀方面に10分程走ると、「雄島」と「越前松島」が、一応景勝地だけど、観光客よりも殆どが釣り人。 写真は「越前松島」 越前海岸から海岸線を走り、再び加賀橋立町「北前船の里」北前船の船主屋敷跡が「資料館」になっています。 北前船は、江戸末期の商社。主に、加賀から北は、越後・東北を経由して蝦夷(松前、函館)、西は山陰沖を走り、関門海峡を経て、瀬戸内海を通って大坂へ、商売・物流で財を成しました。 時には、薩摩にも足を延ばしたり、抜荷(幕府専売の御禁制品:俵物(ナマコ/干し鮑/フカヒレ)や唐物(琉球・中国からの朝鮮人参など)を扱ったりもしたようです。 加賀の北前船船主としては「銭五」が有名で、南原幹夫著の小説「銭五の海」で描かれています。 当時の廻船問屋としては、この北前船の他、薩摩の廻船問屋も有名です。 内陸部に入り、能美市九谷焼陶芸村へ。九谷焼資料館を見学、その前面にショップと窯元があります。 写真は、ショップ街の中心広場に据えてある「九谷焼のモニュメント」と、咲いていた「やまぼうし」。 旅の最終目的地金沢、兼六園(後楽園・偕楽園・兼六園)。 お目当ては、兼六園よりも近江町市場。 通路が縦横に走っていて、かなり広い。鮮魚の種類が多く、しかも安い。 早々と、わかし、イカとか買い込んだので、急いでクーラーボックスに収納する為に車に。 おかげで市場のほんの一部しか廻れなかった。大きな街は、いつも駐車に苦労します。 市場近くの・・・エムザは16:00から駐車料金がタダ。 停めさせて貰いました。 一応、中のレストランで夕食を取りましたので。後は一路埼玉まで、一気に帰ります。 以上、「丑寅の二人旅」 第7弾 奈良・福井・加賀旅行の終了です。
2009.03.02
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「 丑寅の二人旅」 第7弾 奈良・福井・加賀旅行 前編 2008年9月3-6日9月3日: 03:55 所沢ICに滑り込み、関越・圏央路・中央高速・東海環状・伊勢湾岸・東名阪を乗り継ぎ、10:00に長谷寺到着小さな門前町ですが、風情・趣があります。 写真は、「山門」と有名な「登廊」(登廊は全部で399段)、それと緑に浮かぶ「五重塔」 女人高野と呼ばれる室生寺は、長谷寺から車で30分程度奥の院までの険しい石段(全部で700段)が有名(かなりキツイです) 写真は、「山門」と「奥の院への石段」この日は、奈良信貴山の観光ホテル泊まりです。 9月4日: 奈良を遅めの昼前に出発、若狭に向かいます。途中、京都大原三千院に立ち寄り。 「往生極楽院」、「わらべ地蔵」と山門前の「門前町」 更に若狭方面へ。「鯖街道 熊川宿」の写真3題。 若狭は、高浜町・おおい町・小浜市・若狭町・美浜町・敦賀市の六つの市町を言うのかな?まず小浜市、NHK朝の連ドラ「ちりとてちん」の舞台”はまかぜ商店街”で、「ちりとてちん」の幟を確認、時間が押し気味だったので、本日の宿の敦賀に急ぎます。敦賀半島手の浦の民宿。 若狭は、漁師民宿が多く、売りは越前蟹と河豚。夕食の献立: 1)河豚のカルパッチョ 2)ずわい蟹半身 3)刺身(ぶり/甘えび/鯛/蛸/イカ 4)河豚の酢味噌あえ 5)河豚唐揚 6)鯛の塩焼き 7)梅そば 8)鯛味噌汁 9)サラダ 10)茶碗蒸 敦賀手の浦海岸の養殖筏(河豚の養殖?) 9月5日: 若狭・越前の観光 若狭の梅丈岳「レインボーライン山頂公園」へ。 写真は:1)かわらけ投げ: NHK朝の連ドラ「ちりとてちん」で、糸子(和久井映見)がかわらげ投げをした場所2)誓いの鍵: 観光客(カップル)がお御籤のように取付けた鍵がいっぱい。3)山頂からみた見方五湖4)五木の園の碑: 近づくと五木ひろしの「ふるさと」の唄が流れる。 ちりとてちんでは、この唄が流れる場面が頻繁に、本人も出演してたし・・・ 敦賀に戻り、気比の松原(一応日本三大松原のひとつ)を見て、日本海さかな街(魚市場)で昼食用に焼鯖寿司を購入。 名物の焼鯖(串に刺した鯖丸ごとを焼いたもの)は、ちょっと食べにくいのでパス。越前陶芸村へ。 公園のベンチで焼鯖寿司を食べる。 陶芸村の越前焼きモニュメント。 曹洞宗大本山永平寺です。 座禅修行の道場です。寺の内部(堂・殿)観光(参拝)に先立ち、案内係りのお坊さんが、寺の僧堂・仏殿など施設を丁寧に説明してくれます、お坊さんは当然正座、思わずこちらも正座!!!内部の写真、修行中のお坊さんにカメラを向けなければ、好きに撮って頂いて結構ですとの事、 世界遺産になった某金色堂、デッカイ字で、「写真撮影禁止」だからなぁ・・・排他的なところとか、権威主義的なところが全く無く、感じ良かったです 好きですね、こう言うの!!!永平寺の写真3題。 今夜の宿、加賀温泉郷へ。 国道346のトンネルが開通したので、永平寺から加賀温泉まで40分程度、近いです。 宿は、加賀温泉郷の観光ホテル、バイキングの夕食は種類も多く、無料のマッサージチェア、コミックコーナー、サウナ付き大浴場、それで格安の部類なので、結構お薦めです。 ー 奈良・福井・加賀旅行 後編に続く -
2009.03.01
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「丑寅の二人旅」第6弾 裏磐梯・会津旅行 2008年8月8-9日8月8日: 05:00出発。 常磐自動車道でいわき湯本に。 08:00前にいわき湯本に到着。 駅前のブランズ通りです。 どうやら写真のようなブロンズ像が9体あるようです。 写真の像の名称は「ワンモア タイム」。 いわき市は、スパリゾートハワイアンズでも 有名(フラガールと言う映画もあった)。 ついでに、港の魚市場にも立ち寄り。 旅の最初なので、何も買わず、見るだけ。 いわき湯本から、裏磐梯へ。 磐越自動車で猪苗代磐梯高原IC、そこから一般道で 裏磐梯ビジターセンターへ。 磐越自動車のかなりの区間(特に郡山JCTまで)は、 片側1車線。 (追い越し車線の無い高速道路は、チョット問題かも) 五色沼遊歩道を1時間程歩きます。 五色沼遊歩道には8個の沼が点在。 咲いていた百合の花と五色沼(後の写真の五色沼の後方は磐梯山)。 五色沼近くの諸橋近代美術館で、サルバドール・ダリの彫刻/絵画を鑑賞。8月9日: 裏磐梯から南下し、会津若松、更に南の下郷町を観光します。 塔のへつり(下郷町): 大川の渓流沿いの、川の流れや風雨により浸食された約100m に渡る奇岩が立ち並ぶ景勝地。 それぞれ名前の付いた9個の塔岩と数個の奇岩が あり、吊橋で川を渡り「へつり」の根元部分を歩く。 会津鉄道「湯野上温泉駅」: 茅葺屋根の駅舎(「塔のへつり」の近く) 大内宿: 会津若松と日光今市を結ぶ会津西街道の宿場町。 全国的にはマイナーな宿場町 (?)なのに、凄い人込みでした。 会津若松に戻ります。 途中、芦ノ牧温泉を通過。 鶴ヶ城です。 会津若松の新しい名物(?)、ソースカツ丼が流行っています(ボリューム満点)。 JR只見線七日町駅に入ってきた列車(野口英世と母親が描かれている)。 さざえ堂: 「ピサの斜塔とさざえ堂・・・・」という川柳(?)の張り紙ありました。 以上で、「丑寅の二人旅」裏磐梯・会津旅行の終了です。
2009.02.28
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2009.02.27
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「丑寅の二人旅」 番外編その2 2007年以前の旅行のスクラップ帳2005年5月: 西伊豆から中伊豆、東伊豆を廻った旅行。沼津ICから修善寺、土肥、伊豆の西海岸を走り堂ヶ島へ。 中伊豆を経て、伊豆長岡。翌日、伊豆東海岸に出て帰宅。土肥の「世界一の花時計」(右下の女性二人が歩いている部分は足壺マッサージ。花時計を廻るように設置されています。) 西海岸に沿って、恋人岬」・「黄金崎」観光。 田子漁港、仁科漁港を廻ります。写真: 1)仁科の浮島海岸 2)何処だったのか記憶が定かでない漁港の温泉小屋 堂ヶ島の「天窓洞」です。 中伊豆筏場近辺の「わさび田」と東伊豆の「城ヶ崎」 2005年6月: 南会津高原に咲いていた野生のルミナスです。 以上、番外編その2の終了です。
2009.02.26
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「丑寅の二人旅」・番外編 (2007年以前の旅行のスクラップ帳です。)旅行記の体を成してませんが、悪しからず。2005年8月: 伊豆 「修善寺の独鈷の湯」 2005年10月: 群馬県六合村 「尻焼温泉 露天風呂」(川自体が温泉。 道路から丸見え)、六合村 「穴地獄」(緑色はチャツボミゴケ。 火山性酸性の水に生育する苔)碓氷峠の「眼鏡橋」 2006年3月: 伊豆「石廊崎」、 「雲見温泉の漁師民宿の夕食」、「同民宿の玄関のドラえもん」 2006年5月: 山梨県河口湖 「河口湖ミューズ館」(与勇輝の人形館:可愛いく、ノスタルジックな人形達です) 2006年5月: 那須「トリックアート美術館」と「鹿の湯」(那須七湯のひとつ。42℃から48℃まで、異なった温度の湯船が6つあったと記憶します。48℃は流石に熱かった。) 「殺生石」(鹿の湯の近く。火山性ガスが噴出す地獄。 九尾の狐が化けた「玉藻の前」が退治され、毒ガスを噴出する大岩になり、それが更に粉砕された石のひとつと言う伝説。 2006年7月: 信州霧ヶ峰高原 「八島ヶ原湿原」と咲いていた「ニッコウキスゲ」 蓼科「バラクラ・イングリッシュガーデン」と「花:2題」 松本市「縄手通りのシンボルの蛙」 2006年8月: 水上温泉「谷川岳 一の倉沢」(有名なロッククライミングのメッカ)「上越線 土合駅」(日本一のモグラ駅。清水トンネル内に下りホームがあり、駅舎と下りホーム間の階段は、462段/長さ338m。 上りホームは地上) 「奈良俣ダム」(日本有数の高さと美しさを誇るロックフィル式ダム)と咲いていた「蒲の穂」 2006年10月: 那須連山 「沼原湿原」(草紅葉) 「那須連山 朝日岳の紅葉の山肌」 「茶臼岳」(火口へのトレッキング) 2007年3月: 大洗・那珂湊「霞ヶ浦の蓮根畑」と「那珂湊の魚市場 2題」(品数豊富、かつ安い) 2007年10月: 四万温泉・伊香保温泉・碓氷峠「甌穴」(中之条 四万温泉手前にある。 川底の石が流されず、同じ場所で揺り動き、大きな穴をくり抜いたもの。 大きなもので直径2-4m)「旅館 積善館」(四万温泉の木造3階建の由緒ある旅館。 四万温泉はNHK朝ドラで一躍有名に)「石畳通り」(伊香保温泉の名所。 石段の両側に「石段の湯」、土産物屋が並ぶ) 「旧信越線のトンネル」と「眼鏡橋」(碓井峠にある旧信越線の線路跡。 アプト式鉄道時代に使用。 トンネルを抜けると眼鏡橋の上に出る) 2007年11月: 奥飛騨温泉郷 栃尾温泉他「番所の滝」(安房トンネルから乗鞍高原方面へ走る)「平湯温泉から眺めた北アルプス」(奥飛騨温泉郷の玄関口にある平湯温泉)「平湯大滝」 「福地温泉 昔ばなしの里のレトロな広告」と「外湯」(温泉に入り、昼食を。囲炉裏で岩魚を焼いていた) 「新穂高山頂から眺めた北アルプス」(頂上は雲が。 槍ヶ岳?)
2009.02.18
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「丑寅の二人旅」第四弾 北海道旅行・後編 です。6月19日: 今日は釧路湿原から札幌まで、約350km。 高速は使わず、一般道で。 一般道でも、なんか皆スットバシテマス。一気に日勝峠(国道274: ほぼ中間点)まで来ました。 富良野、美瑛にも行きたいが、今回は時間的に無理。 来年までお預け。 進路は西、夕張に到着。 高倉健と賠償千恵子が主演した映画「黄色いハンカチ」のロケ跡です。 札幌までもう少しですが、やけに白バイが目に付く。 7月に開催される洞爺湖サミットの警戒なのか? 交通違反を取られない運転を。 札幌に到着。 流石に政令指定都市、車が多い。 中島公園近くのビジネスホテルにチェックイン。某ネット宿予約サービスで「女性に人気」と謳っていたホテルで、素泊りで¥2,800/人+駐車料¥1,000と格安。 謳い文句通り、静かで、綺麗な部屋でした。地下鉄で大通り公園へ。 生憎札幌到着直前から降り出した雨が続いています。大通り公園の散策は、文字通り一瞥するだけ。 狸小路の商店街を西から東へとブラブラします。 今日の夕食は、札幌と言えば「スープカレー」。 狸小路と地下街との交差点辺りのお店(スタッフは全員女性)に入りました。 写真: チキン、ベジタブル、海老(チキンは骨付き腿肉) 6月20日: 函館まで、約260km。 今日も一般道を走ります。小樽、積丹半島は、例によって、来年までお預け。函館は赤レンガ倉庫街(金森赤レンガ倉庫)に到着。 近くのレストランで昼食(写真)、それから赤レンガ倉庫のショップ巡り。 元町周辺に移動。 函館山の山麓の石畳の小径を巡り、函館ハリスト正教会、チャーミーグリーンの坂(TV・CMで一躍有名になった)、チャチャ登り(CHA CHA)、旧函館区公会堂、を見学。 定番の夜景を見に、函館山頂上へ。 観光客を乗せたバスが何台も。 細い山道で行くバスと還って来るバスがすれ違いに四苦八苦。 頂上の展望台は、案の定、人ヒトひとで大混雑。 撮影の絶好ポイントの展望台最前列には、貼りついたまま、金輪際動こうとしない不心得者が。 「えーい!夜景と一緒に、お前らも撮ってやる。 証拠写真だ!!」 だけど、写真はブレブレ。 宿の近くで、月光仮面の像を見つけました。 原作者が函館出身? 6月21日: 北海道ともお別れ。 フェリーで大間に。 今度は、在来船(ばあゆ)。青森より近いので、運行時間は1時間40分。 途中、イルカ群れの並走(泳)に出会ったが、シャッター・チャンスを逃し残念。大間のマグロの大間。 本州最北端の大間崎、有名なマグロのモニュメント(正面からのも)と土産物屋さん。イカのポンポン焼きを食べました。 下北半島を、どちら回りするか迷った挙句、時計回りで八戸へ。 仏が浦は次の機会に。大間の隣、風間浦村のイカ釣り漁船。 対岸の函館と津軽海峡を挟んだこの辺りは、有数のイカの漁場です。 更に隣の大畑村で、内陸に切り込んで(恐山方面)、奥薬研温泉の夫婦かっぱの湯です。レストハウスの壁のレトロ調ポスター。 近くに、「かっぱの湯」「隠れかっぱの湯」の露天風呂もあります。 恐山の麓を通り、一路八戸へ、6時間余りのドライブ。 下北半島はけっこうデカイです。JR八戸駅隣の物産館らしきビルに展示されていた三社大祭の山車。(天皇陛下が御覧になった時の山車で特別に豪華な拵えと注釈があった様に記憶します。)今日は、八戸と泊まり。 6月22日: 湊日曜朝市へ。 生憎、小雨模様。 200店位あるのか、鮮魚・海産加工品・野菜などの店が並んでいます。 生イカ、鰊等を買い、クーラーボックスに氷詰し、出発。 (八戸の湊朝市、本当の意味で八戸市及び近隣の町の台所と言う評判だったので期待してましたが・・・・、わざわざ日曜朝市を選んだのが空となったのかも? 平日にリベンジしたいです!) 八戸の西側、太平洋岸の蕪島ウミネコ繁殖地です。 白く写っているのがウミネコ。 奥入瀬渓流(写真)から十和田湖(写真:湖畔の乙女の像)を回ります。 奥入瀬、十和田湖、青森を代表する景勝地だけど、北海道を廻った後で、疲れもあり、雨模様でもあり、何かおざなりな観光になってしまったのが心残り!!ここから、一路埼玉県まで、約650kmのドライブ。 東北自動車道のSA毎に休憩し、ETC深夜割引を得る為に、浦和本線料金所を23日午前0時10分に通過、自宅着は0時55分でした。 以上で、「丑寅の二人旅」第四弾 北海道旅行 全編の終了です。font>
2009.02.17
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「丑寅の二人旅」第四弾 北海道旅行・中篇 です。6月16日: サロマ湖から知床ウトロに向かいます。網走を通り越して、小清水原生花園に到着。 ここでも、花を愛でるには、時期を外しています。 少しだけ咲いていたハマナス。 原生花園からしばし釧網本線の電車と併走。 知床ウトロ手前のオシンコシンの滝。 知床ウトロを代表する名所の一つだけあって、流石に観光客がいっぱい。 水量が凄いです。 いよいよウトロに。 車を道の駅の駐車場に停め、歩いてウトロの街を散策。ゴジラ岩、確かにゴジラそっくりです。 でかいしぃ!! 能登半島か、何処かにも、ゴジラ岩があった筈ですが、ここのが、一番似てるんじゃない。 ゴジラ岩の横の道の前方にオロンコ岩が。でかっ!! 岩を刳り貫いたトンネルの先は、知床観光船波止場早速、登ります。 頂上からのウトロ港(知床観光船乗場が見えます)方向の眺めです。 いろいろ趣向を凝らした土産物屋さん・飲食店・民宿、観光客向けのアピールだけど、街並としては、悪くない。 ウトロ漁港の漁船、獲物は何だろう? 知床五湖に向かいます。 一湖・二湖を周り、三湖への入り口で「ヒグマ出没の為、通行禁止」の札が。 写真は一湖(後方の山は羅臼岳?)。 知床自然センターに立ち寄った後、フレペの滝へ。 フレペの滝へのアプローチの草原にいたエゾジカの親子。 ウトロの街中に戻り、ホテルにチェック・イン。 今日の宿は、ウトロの観光ホテルを、素泊りで。前日のサロマ湖の民宿で冷凍して貰った毛蟹を食べました。ホテルから眺めたウトロ港風景(ゴジラ岩の背中、オロンコ岩も見えます)。 ホテルは夕陽を眺めるのに最高の場所とのこと) 6月17日: 羅臼に向かいます。 (カムイワッカ湯の滝は、ここ数年、7月中旬-9月初旬の期間以外は行くことが出来ない。 来年は、時期を合わせて、必ず行きます。)知床横断道路(国道334)でウトロ-羅臼が結ばれている。 途中、キタキツネが、車の横まで来て、人懐っこそうにこちらを眺めていました。 (シャッターチャンスを逃し、写真は無し)ほぼ中間点にある知床峠から眺めた羅臼岳。羅臼の街に入る少し手前にある「熊の湯」(露天風呂マニアには有名なところ)。 近くでキャンプでもしているのか、外国人のカップルがお湯に入りに来ていました。 「道の駅らうす」の鮮魚店でお土産のタラバガニを買い、宅配便で送付。晴天で空気が澄んでいれば国後島が見える筈ですが、生憎、曇天で、国後島は見えず。 根室海峡沿いの国道335を南下。 標津町から中標津空港方面へ。 町道川北北7号線にあるメロディーロード。 車が走ると、タイヤと路面の接触の具合で、「知床旅情」のメロディーが奏でられる。更に南下して野付半島。 野付半島ネイチャーセンターとトドワラ(トドの木が立枯れしたもの)を見学。 因みに、ナラの木が立枯れしたものはナラワラ。野付湾は、名物北海シマエビの漁場、白い帆の舟(打瀬舟:うたせぶね)で漁をします。(写真では、判り難いですが) 野付半島は、砂州でなく砂嘴(さし)。 根室に向かいます。 白鳥で有名な風蓮湖、と春国岱(風蓮湖と根室湾を区切る砂州)のネイチャーセンターを見学。 根室半島南側の花咲ガニの花咲へ。 花咲灯台のすぐ下に「花咲灯台車石」(直径6m、国の天然記念物)が。 周辺には、小さな車石がいくつも点在。JR花咲駅は廃車の再利用。 根室市内へ。 駅前のかに市場をブラブラ、根室名物「エスカロップ(ピラフの上にとんかつを乗せて、デミグラソースがかかっている)」で、遅めの昼食。根室駅の前のロータリー内に、無料駐車スペースが、旅先での無料駐車場は、本当に有り難い。 観光客用に無料駐車場を解放しているところと、バッチリと駐車代金を取ろうとしているところなど町によって様々。 データが集まればブログで公表しようかな!根室マルシェ・デ・キッチン(スーパー)で夕食を買い込む。 本日の宿は、摩周温泉の観光ホテルに素泊り。 ホテルに入る前に、摩周湖に直行。先日見えなかった摩周湖がバッチリです。 6月18日: 摩周温泉から国道391を南下、釧路湿原を目指します。途中、シラルトロ湖の手前の湿原にあった民宿兼喫茶店に入り、朝食を。 この日は、小雨模様で寒かったので、丑はホットミルク、寅はホットコーヒーを。サルボ展望台: うーん! 展望はいまいち、釧路湿原らしい景色は見えなかった。 近くに咲いてた花です。 釧路市湿原展望台は、小雨と霧で視界が悪く、遊歩道を100m程で断念、釧路の市街地へ昼食を終えた頃には、雨もあがったので、細岡展望台へ。写真は、細岡展望台、展望台からの湿原、湿原を走るノロッコ号、釧路川の流れ、釧路湿原駅です。 今日の宿は、釧路湿原内、シラルトロ湖畔にある温泉大浴場のある民宿。 小雨に濡れて寒かったので、早めに宿に入りました。 ラワンブキの写真:北海道は、いたるところに、ラワンブキが自生しています。 「北海道旅行 後編」に続く font>
2009.02.16
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「丑寅の二人旅」 第四弾 北海道旅行・前編。2008年6月11-26日 13日間の長旅です。6月11日: 18:30 埼玉県を出発、青森を目指し、東北自動車道をひた走り。 約700km自己最長のロング・ドライブ。6月12日: 04:30青森フェリー・ターミナルに到着、7:30の乗船まで暫く仮眠を。デビューしたての「ナッチャンWorld」、青森-函館間を1時間40分(従来の半分の時間)で結ぶ高速フェリーに乗船。(この高速フェリー、08年10月頃に、運行廃止となりました。次回も利用したかっただけに残念) 函館港到着後、函館観光は後回しにして、洞爺湖まで直行。ここでの観光は、1)有珠山(有珠火口原:ロープウェイで山頂の展望台へ) 2)銀沼大火口 3)昭和新山 4)西山火口散策路 5)洞爺湖昭和新山は、低いが、荒々しい山肌とその色彩が印象的。西山火口散策路は、2000年の有珠山の噴火の跡が見られます。(写真:昭和新山と藤/有珠山山頂から眺めた昭和新山と洞爺湖 / 有珠山麓の土産物屋さん/西山火口散策路の噴火で埋もれたアパート) この日の宿は、洞爺湖畔の観光ホテル。 1泊2食付で、¥5,450と超格安。一汁三菜ならぬ一汁七菜一炊込御飯、お得です。写真は夕食の七菜の一つ。(この時期、洞爺湖では湖上花火を開催していました。 船から花火を打ち上げながら、湖上を移動していきます。 ほぼ一周するのかな?) 6月13日: 洞爺湖から登別温泉へ。 県道2号線(洞爺湖登別線)だと近い。最初は、「大湯沼」: 沼全体が温泉。 沼底から湧き出るお湯は150℃、沼の表面温度は50℃とのこと。 登別の名所地獄谷。 登別温泉にある15個の地獄の中で、最も代表的な地獄。観光ズレしてますが、一見の価値はある街です。 今回は温泉はパス。 13:00 登別温泉を出発し、帯広に。 260km程の道のり。 国道36、苫小牧を経由、国道274、日勝峠を越え、国道38で帯広。 帯広駅周辺を歩いて散策。 夕食は、ジンギスカン鍋、帯広名物「豚丼」、何にするか迷った末に、量重視で、「焼肉バイキング」に決定。(写真は、名物豚丼の店「ぱんちょう」です。) この日宿は、駅近くのビジネス・ホテル。 6月14日: 帯広から阿寒湖へ。 途中、足寄に立ち寄り。(松山千春の出身地?) JRの駅舎に併設されている道の駅があります。 大きなラワンブキ(名物?)が。 北海道のこの辺りにはラワンブキが至る所に自生しています。 そういえば、学生時代に北海道を、当時の国鉄の周遊券で旅行した際、宿でフキの煮付けが多く出て来たなぁ!オンネトー(北海道三大秘湖の一つ)です。 近くに、オンネトー温泉(雌阿寒岳登山口)、オンネトー湯の滝があるが、パス。 阿寒湖に到着。 有名なアイヌコタンを見学。 更に、阿寒湖関連の写真を3題:泥火山(ボッケ:灰色のドロドロ)は、阿寒湖遊歩道に数箇所あります。 「阿寒の森のコロポックル(小人の神様)の像」、アイヌコタンの脇にあります。 湖畔の街にあった手湯 阿寒湖から川湯温泉(屈斜路湖と摩周湖の間)に。相撲記念館にある横綱大鵬の銅像(大鵬の出身地?)。 街中には、随分昔に話題になった「クッシー」の像が、未だに置いてあります。 今日の宿は、川湯温泉の観光ホテル。 6月15日 ホテルの支配人から教えて貰った穴場「さくらの滝」と「神の子池」に向かいます。「さくらの滝」は遡上するさくら鱒の滝登りが見れるとの事。(残念ながら、今日は見れませんでした。) 続いて「神の子池」、神秘なブルーの池(写真)、大当たりです。裏摩周展望台: 文字通り「霧の摩周湖」状態、何も見えません。 再び、川湯温泉を突っ切って、硫黄山へ。 写真は、硫黄が黄色く固まっている大きな噴気孔と、卵を茹でる弁当箱が置いてある小さな噴気孔。 硫黄山から屈斜路湖。 屈斜路湖の砂浜を掘ると、自分専用の露天風呂になる:「砂湯」です。 続いて、「コタン温泉露天風呂」:水際にある露天風呂、男湯/女湯の仕切りは、一枚の岩だけ(秘湯マニアには欠かせない露天風呂)。(入りたかったんですが・・・・、カップルが入っていたので・・・遠慮しちゃいました!!) 「屈斜路コタン」:屈斜路湖のアイヌコタン/アイヌの生活の様子が展示されています。 写真では、解り難いですが、真っ黒になった丸ごとの鮭の燻製が吊り下がっています。 屈斜路湖の西に位置する美幌峠: 屈斜路湖全体が眺められます。 峠にある美空ひばりの歌碑です。 網走を経由して、サロマ湖に。 サロマ湖の砂州にあるワッカ原生花園です。砂州とは、砂が堆積してできた海と湖の間の細長い仕切りです。サロマ湖や天の橋立の様に、対岸まで到達している仕切りが「砂州」で、野付半島の様に、対岸まで届いていない仕切りは「砂嘴(さし)」との事。残念ながら、花園を楽しむには、少し時期を外しました。 サロマ湖畔を半周ほど走り、キムアネップ岬の先にある道の駅に立ち寄り、そこから来た道を戻り、サロマ湖畔(常呂町)にある民宿に入りました。 多くの人が、ネットの旅行記に書いている民宿で、今回の旅行の目玉の一つです。 評判の夕食です: 1)タラバガニ(2肩/人) 2)あさりの酒蒸し 3)炙りホタテ 4)揚げワカサギのあんか け 5)毛蟹(1匹/人) 6)蒸し牡蠣 7)煮鱧のあんかけ 8)茶碗蒸 9)揚げ鮭おろし あえ 10)しゃぶしゃぶ(ズワイガニ/ホタテ/糸コンブ) 11)刺身(さより/つぶ貝/ 甘エビ/カニ) 12)ホタテ・グラタン 13)卵葛煮 14)カニあんかけ 15)銀むつ 16)サザエ和え物 17)サラダ 18)雲丹御飯 19)ホッキ貝バター焼 20)吸い物 (カニ足入り) 21)チーズケーキ流石に食べきれない、毛蟹2匹は、冷凍して貰い、翌日、おやつとして頂きました。(車に、常にクーラーボックスを積んでいます。)写真は、夕食の一部。 朝食も、嬉しい限りです。 「北海道旅行 中篇」に続くfont>
2009.02.15
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「丑寅の二人旅」第三弾 能登旅行・後編です。1. 4月22日 能登半島の和倉温泉からの出発です。 七尾市内の能登食祭市場(七尾フィッシャーマンズワーフ)に立ち寄り。 (寅は、魚市場が好きで、機会がある都度立ち寄ります。 因みに、好みの魚市場は、 「八戸の湊朝市」、「金沢の近江町市場」、「宮古の魚菜市場。 )市場を楽しんだ後、白川郷へ。能越自動車道・東海北陸自動車道を乗り継いで、白川郷に入りました。 近くに「五箇山」もありますが、今回はパス。白川郷は、観光客も多く(修学旅行の生徒さんも)、さすがに観光ずれしていますが、合掌造り集落は、世界文化遺産だけあって、一度は訪れる価値があります。公開されている民家(神田家)の内部を見学し、郷内歩き周り、(時期も時期、桜が満開)春の白川郷を満喫。 写真は: 1) 川辺で水遊びをする女子生徒(キャッキャッとはしゃぐ黄色い歓声も。 水遊びも良いですけれど、合掌造りの観賞も忘れずにネ!) 2) 今が満開の桜 3) 合掌造りの民家 4) 丘の展望台から眺めた白川郷 白川郷から、下呂温泉へ。 一般道を走る予定だったが、山越えの道が通行止。 再度東海北陸自動車道に乗り、高山市近くで降ります。高山-下呂温泉間は、国道41号線を走るつもりが、カーナビ君によって、クネクネした山道走らされました。 どの道を走行したのか今でも分かりません。本日の宿は、下呂温泉の観光ホテル。 夕食は種類も豊富なバイキング。 サウナ付きの大浴場も広く、無料のマッサージ・チェアも装備されていて、それで値段も格安の部類なので、大満足。(コミック本も沢山置いてあります)2. 4月23日 下呂温泉から、飛騨高山、高遠市へ。飛騨高山、有名な朝市です。 朝市は、高山陣屋の朝市と宮川河岸の朝市の二箇所。余談ですが、日本三大朝市の内2つ輪島の朝市・飛騨高山の朝市を今回の旅で制覇。更に余談ですが、日本三大朝市の三つ目は2説あって、千葉外房勝浦の朝市と佐賀呼子の朝市が争っています。蕪などの野菜を買い込みました。 高山は、民芸店などが建ち並び、レトロ調の風情のある街。 写真は: 1)朝市風景 2)桜吹雪が綺麗だった桜 3)高山祭屋台会館近くの飛騨工芸 の匠の街並 高山から長野県の高遠市に向かいます。 国道361号線の開田高原で眺めた木曽の御岳山(写真)。 前から走りたかった権兵衛トンネルを通ったので満足。 高遠市は、NHK大河ドラマ(山本勘介)で有名になりましたが、高遠城址公園のコヒガン桜が有名です。 残念ながら、数日遅く、完全に葉桜状態。桜は駄目でしたが、 「絵島の囲い屋敷」(大奥の女中の絵島が、歌舞伎役者と恋仲になった事で、お咎めとして蟄居させられた館です。 蟄居は28年に渡りました)を見学。 写真は: 絵島囲い屋敷の碑 と 屋敷の塀の忍び返し。 高遠市を最後に、一路埼玉に帰りました。以上で、「丑寅の二人旅」第三弾 「能登旅行(含白川郷・飛騨高山・高遠)の終了です。
2009.02.14
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「丑寅の二人旅」第三弾。 能登旅行・前編08年4月20-23日 能登半島をぐるりと周り、その後、岐阜県白川郷・下呂温泉・飛騨高山、長野県高遠に足を伸ばします。1. まずは、能登半島攻略。 4月20日 04:00(ETC深夜割引を得る為、未明の出発)所沢ICから高速に、関越自動車道・上信越自動車道・北陸自動車道を乗り継ぎ、小矢部ICから一般道を走り、羽咋市で能登半島の背中(日本海側)に出て、そこから輪島市に。最初は、能登金剛、志賀町の29kmに渡る日本海海岸一帯の景勝地。 (1) 旧福浦灯台: 現存する日本最古の木造灯台。 (2) 巌門(写真): 能登金剛の中心的名所。 空洞門となっていて、向こう側が見える。 能登金剛を海から眺める遊覧船の船着場。(写真) その他、「鷹の巣岩」「幸せの巌門橋」「松本清張歌碑」があります。 (3) 世界一長いベンチ: 全長460.9m ギネスに登録されている。 (4) 義経の舟隠し: 嵐に遭遇した義経一行が舟を避難させた場所と言われています。 (確か他の地方にも「義経の舟隠し」的な名所があった記憶が? 定かでは無いですが!) 近くに「ヤセの断崖」も。 能登金剛を過ぎて、更に北へ。 輪島市の手前、西保海岸近の「男女滝(なめたき)」と「桶滝」。滑らかな流れの「男女滝」は、独特の風情が。 「桶滝」は、岩に開いた穴から水が流れ落ちて来ます。 海岸沿いの国道249号線を、輪島市を越えて、能登半島の先端方向に暫く走ると、曽々木海岸。 ここでは、(1) 白米の千枚田(写真)やっぱり、田植えか稲刈りの時期でないと見映えがしません (2)窓岩(写真) (3)垂水の滝を見学。 更に、足を伸ばして、珠洲市の道の駅すず塩田村。 古来の揚げ浜塩田の塩の精製実演を見学。ここから、輪島市まで戻ります。有名な「輪島塗」の店を回り、その後、「キリコ会館」を見学。 能登キリコは、切子燈籠→切籠→「きりこ」で、御神灯を灯す木枠と和紙で出来た、高さ4-5mの燈籠です。(写真) 本日の宿は、輪島市内の民宿です。 今日の夕食は、1)鯛の塩焼き 2)鰯と海老のフライ 3)鰤と甘えびの刺身 4)えいの煮付け 5)ズワイガニのボイル 6)もずくと柚子しおから7)サザエのつぼ焼 8)蛤の味噌汁 写真はその一部です。 2. 4月21日 まず、有名な輪島の朝市。 道の両側に、露店がギッシリと。「蟹・鰤の高級品から、大衆魚・雑魚?までの鮮魚」、「雲丹・海苔などの瓶詰め品」、「野菜」、「日用品」、「輪島塗の小物」などの店が。 輪島の朝市から、能登半島の先端を周って、半島の顎(富山湾側)の和倉温泉まで走ります。半島先端に行く途中で見かけた「大漁の鯉のぼり」。 詳しい地名は、・・・・・、忘れましたぁ!。 「椿展望台」を経て、先端の「禄剛崎灯台」に到着。 灯台と標識です。(何故か、上海、釜山、ウラジオストックまでの距離表示が!) 禄剛崎からは、富山湾側を走ります。 見附島(別名 軍艦島)と恋路海岸のえんむすびの鐘。(確かに軍艦ですが、別の連想は○○頭?) この辺りも珠洲市。 珠洲焼資料館に立ち寄ります。 能登半島に喰い込んだような形になっている七尾湾(北・南・西の3つの湾)の真ん中に能登島があります。 「ツインブリッジのと」を通って能登島に入り、能登島の中を小一時間ドライブし、「能登島大橋」を渡って和倉温泉に。これで能登半島を海岸線に沿って、ほぼ一周走行しました。 今日の宿は、和倉温泉の旅館。本日の夕食です:1)刺身(甘えび・サザエ・鯛・まぐろ) 2)小付け(鶏唐揚・海老・里芋炊き合せ) 3)小付け(塩辛・さざえ山葵漬・蛸塩辛) 4)小鉢(上新粉団子・鱒寿司・サヨリ・鰆西京焼・牛蒡鶏肉巻・もろきゅう) 5)ホタルイカ酢の物 6)しめじ和え物 7)茶碗蒸 8)牡蠣フライ 9)牛たたき 10)鰊そば 写真は夕食の一部です。 「能登旅行 後編」に続く
2009.02.13
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「丑寅の二人旅」の第二弾、南紀旅行08年3月18-22日(4泊5日)の旅 1.3月18日 ETC深夜割引40%を狙って、自宅を03:30に出発一路伊勢まで、所沢ICから高速道路リレー、関越自動車道・圏央道・中央自動車道・東海環状自動車道・伊勢湾岸自動車道・東名阪自動車道・伊勢自動車道(日本の高速道路網って凄い!)11:00頃伊勢に到着。早速、「伊勢神宮」を参拝。 神宮・神社の格式では、伊勢神宮はNo.1でしょうか? その後に続くランキングは? 出雲大社、春日大社、平安神宮、熱田神宮?。 明治神宮は稼ぎはNo.1かもしれないけど、格式ランキングではどうなのかな?伊勢神宮内宮をゆっくり散策した後、「おかげ横丁」をブラブラし、名物「伊勢うどん」を食べる。 銘菓「赤福」は本店を眺めるだけ。 伊勢うどんで腹ごしらえして、志摩に向かいます大王灯台まで行きたかったが、次第に道が細くなったのと、有料駐車場以外に車を止めれそうな場所が無かったので、「波切漁港」を眺めるに留めました余談ですが、3年程後に大王灯台リベンジ成りました、大王町、絵描きの街として有名になっていました 波切から英虞湾に突き出た「桐垣展望台」に。写真は、「桐垣展望台」から眺めた英虞湾(浮かんでいるのは、牡蠣の養殖筏?) 志摩は、外側の太平洋と内側の英虞湾に囲まれたリアス式海岸の複雑な地形なので、いたるところに絶景ポイントが。 もっと廻りたかったが、流石に長時間のドライブの疲れが出たので、宿に向かいます。本日の宿は、鳥羽市相差町にある漁師民宿、(平日の辰の日と巳の日は、格安サービス料金/一泊二食付で¥7,000を切る値段) 民宿に併設して料理屋も運営しているだけに宿の売りは海の幸料理。今夜の客は丑・寅だけ、「お風呂は広い男湯だけ用意したので、貸切で使用してください」とのこと。この日の夕食です。1)刺身船盛り(鯛、海老)2)ボイル海老、帆立バター、サラダ 3)鯵の刺身 4)メバルの煮付 5)ホタルイカの煮付 6)牡蠣の蒸焼き 7)その他小付け 8)雲丹ごはん。 2. 3月19日 この日は、熊野灘沿いに走り、和歌山の新宮から那智勝浦町へ。生憎、朝から雨。 伊勢海老のモニュメントが見送ってくれました。 熊野灘の絶景も雨で台無し、ひたすら国道42号線を和歌山に向かって走ります。写真は、途中の道の駅で購入した昼食代わりの「きす寿司」、と珍しい「さんまの丸干し」(後日、NHKの番組でこの「さんま丸干し」が紹介されていました)それにしても、雨の熊野灘ドライブは駄目! 晴天の時に、リベンジしたいです。 昼過ぎに、新宮の熊野速玉大社(熊野三山のひとつ)に到着。 駆け足で熊野速玉大社を参拝した後、那智勝浦市向かいます。 雨が激しくなって来たので、那智大社などの観光は、明日に延ばし、早めに、本日の宿(駅近くの温泉民宿)に避難。本日の夕食です。 献立: 1)茄子のおひたし 2)秋刀魚の酢の物 3)鯨の大和煮 4)マグロのフライ 5)マグロの胃袋味噌和え 6)イルカの刺身 7)豆腐のグラタン 8)まぐろのカマ 9)紀和牛のすき焼き 10)刺身(まぐろ、ぶり、もいか)(後日、何とかと言うアメリカ映画で話題になった太地町は直ぐ近く) 3. 3月20日 太地町の「くじら博物館」へ、 鯨の骨格・身体の各種部位、新旧の捕鯨道具、昔の捕鯨の様子を模した模型などが展示されています。 写真は、シャチのショー。 太地町から那智大社へ、 写真は、「熊野那智大社」(熊野三山のひとつ)と、それに隣接する「那智山青岸渡寺と那智の滝」。 那智から本宮へ、 途中、熊野川の「瀞峡(瀞八丁)」を目指しましたが、次第に山道が細くなり、「落石注意」の看板と、小さな落石の跡が・・・、止めます! ルート変更、本宮へ。写真は、「熊野本宮大社」(三つ目の熊野三山)と「八咫烏(やたがらす)のシンボル」(ご存知の通り、「八咫烏」はサッカーWC日本チームのシンボルに採用されました) 今夜の宿は本宮近くの熊野の名湯、湯の峰温泉に。写真は、「湯の峰温泉の街並」と名所「つぼ湯」。「つぼ湯」は川岸の小さな小屋の中に、刳り抜いた小さな湯船、文字通り「つぼ」のような、がある。二人が入れるかどうかの大きさです。 宿は、湯の峰温泉の民宿、 こんな山間の小さな温泉町に、スウェーデン人の4人家族(両親と娘に息子)と同宿民宿の娘さんが、夕食の献立を一品一品、英語で説明していました。 その外国人の娘さんは、「鹿刺し」(deer)は食べれなかったみたいです。生肉が駄目だったのか、鹿が可哀想だったのか、どちらでしょうか?それにしても、こんな山奥まで旅する外人さん、それも家族四人で、相当の「日本通」??献立は: 1)鮎の塩焼 2)こんにゃくの味噌田楽 3)茶碗蒸 4)猪肉のすき焼き 5)鹿刺し 6)山菜天麩羅 7)自家製味噌サラダ 8)茶蕎麦 写真は一部です。 4. 3月21日 湯の峰温泉から奈良県十津川村を通って信貴山に向かいます。 十津川に沿って走る国道168号線を北上。 十津川村の名物といえば、1)日本一面積の広い村。2)谷瀬の吊橋(写真) 3)野猿:人力ロープウェイ(写真)どうやら、自由に使えるみたい。(ハッキリとは分かりませんが) 信貴山に到着です。 フルネームは、信貴山真言宗総本山朝護孫子寺です。 寅がシンボルです。信貴山といえば、戦国武将の, 松永久秀、織田信長に反抗・降伏を繰り返し、最後は名器「平蜘蛛の釜」を携えて爆死した、の縁の地です。 この日は、信貴山に泊まります。 5. 3月22日: 一路埼玉まで帰ります「丑寅の二人旅」第二弾終了です
2009.02.11
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「丑寅の二人旅」第一弾 08年1月28―31日台北旅行08年1月28日: 19:30台北/桃園国際空港着。パック・ツアーなのに、当日の到着者は丑寅の二人だけ。 現地代理店の車で市内のホテル(北城大飯店)にチェックイン。 夜の9時を過ぎていたが、夜食を食べに街中に。 事前にネットで調べておいた「林東芳牛肉麺」へ。 ネット情報通り、地元の人ご用達の店だけあって、店先は現地の人の行列。 15分程待って、お目当ての牛肉麺にありつけました。 トロトロの牛筋がいっぱいで美味でした。 1月29日: パック・ツアーに含まれている無料ツアーで台北市内観光に。この日の参加者も、丑寅の2人だけで、マイクロバス/ガイド・通訳さんを占有。1. 忠烈祠: 抗日戦争/辛亥革命の殉死者を祀っている。 日本人観光客がいっぱい。 衛兵の交代式が名物なので、その時間に合わせるように次々と観光バスが到着。大手門(?)で衛兵が交代し、奥の本殿(?)までの広い中庭を衛兵が並んで行進、その後を観光客がゾロゾロと、親カルガモの後を追う子カルガモ状態。 2. 故宮博物館: 蒋介石が北京の故宮から持ってきた(盗んだ? 戦災からの避難?)文物を貯蔵・展示。翠玉白菜(白菜そっくりな翠)等、面白そうな物が多くあったけれど、丑・寅共に、歴史・工芸への造詣が浅いのが悔やまれる。 3. 民主記念館: 蒋介石のでっかい銅像が鎮座している。 ガイドさんの話だと、蒋介石は、台湾の発展よりは、自身の中国本土への帰還に重きを於いていたようです。 4. 龍山寺: なにを祀ったお寺か、忘れました。 台湾/香港のお寺は、仏教・道教・儒教が混在しているですね。 観光客だけでなく、地元の人も多く賑わっています。 中国の人は、縁起物が好き、色々な占い・お御籤が。台北は人口の割りに狭い街、お寺のすぐ傍には、オフィースビルが。(写真)飾り物の龍(写真:位によって3本指-5本指を使い分け)。ちょっとケバめな装飾(写真)。 5. 台北101: 訪問当時は世界一高いビル。508m/101階建て。背は高いけれど、フロアー面積が小さいので、近くから見ても「でかい!!」って感じはあまりしなかった。 六本木ヒルズの方が「デカイ」という圧迫感はありそう。写真は、下から見上げたものと、展望台から地上を眺めたもの。 6. 観光途中に、ガイド本で有名な「鼎泰豊」で小籠包の昼食。日本人観光客で店の前まで溢れていました。 夕食は、MRT台北駅近くにある四川料理レストラン「小魏川菜館」へ。「麻婆豆腐」、「宮保鶏丁」(これは強烈に辛かったけど凄く美味しかった)、「蝦入りの春巻きの片面に胡麻を付けて揚げたもの」(これも凄く美味しかった)、それとスープと炒飯。 食い気が先立ち、写真を撮るのを忘れてしまいます。 (食べかけの写真でごめんなさい) 1月30日: オプショナル・ツアーで九イ分(人偏に分:チュウフン)へ。 昔の金鉱の街。 海岸の小高い丘の坂道の両側に茶芸館・食べ物屋・土産店などが立ち並んでいて、チョットした迷路風の路地街となっている。数十年時間が遡ったような雰囲気があり、一度は訪れる価値があります。何か有名な映画のロケ地になった場所です。(千と千尋・・・、街並の参考になった所だとか?) 九イ分への半日ツアー終了後、MRTで淡水に。 台北の北の河口にある街。 淡水名物の蝦巻屋さん。 街中の食堂で昼食。 「阿給(あげ)」:油揚げに春雨・野菜が入っている/チョット甘め。「酸辣湯麺」:これは美味しかった。 「餃子」 夕食は、ガイド本で有名な好記坦仔麺店へ。(店先の柱や壁に店に訪れた日本の芸能人の写真が貼ってありました)坦仔麺と蝦巻(魚の練り物に蝦のぶつ切りを入れ揚げたもの:美味しいです)。 1月31日: 朝から生憎の雨。台北駅周辺をブラブラし、近くにあったパン屋で惣菜パンを購入し、駅近くのデパートのフードコートに持ち込み昼食としました。 同日16:45の便にて帰国。 丑寅の二人旅第一弾でした。
2009.02.10
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