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丑寅の二人旅 第110弾 群馬と新潟で紅葉を 11月26日紅葉狩り、一昨年は滋賀県で殆ど落葉状態、昨年は山梨県で青々状態、2年続きの失敗今年は訳ありで宿の日程が11月26日と先に決まったので、紅葉前線の進行にやきもきしました最初は群馬県高崎市の少林山達磨寺の紅葉、 達磨寺は10月末に続いての訪問良い具合に紅葉が進んでいます今がピークかどうかは、ちょっと分り難いイチョウは十分に紅葉していますイチョウは紅葉期間が長いですイチョウの黄色だけでなく赤もありましたが、達磨寺、紅葉する樹木の種類が少ないのかな? 続いて渋川市の五徳山水澤観世音(通称「水沢観音」)文字通り、「門前市を成す」でお店が並んでいます10月に訪れた佛光山法水寺(台湾のお寺)は、水沢観音の北1km足らずの所にあります紅葉も今が盛りみたいです鐘楼、1打100円でご回向出来ます六角堂(六角二重塔)、下の部分(地蔵尊がおられる部分)を左に回転させてご供養を願えます、左廻しです境内はそれほど広くはないです、伽藍も多くないですが、参拝者は多いですね近くの伊香保温泉、有名な水沢うどん、水沢観音がコラボし合っているみたいです本堂(観音堂)群馬県から新潟県に入ります南魚沼市の毘沙門堂普光寺山門(仁王門)が秀逸なのですが、修繕中で2階から上部分が防護幕で覆われて見えません1階天井の双竜図板絵(谷文晁 作)二階には、毘沙門天二十八使者像、天女の舞の天井画、釈迦出山の図がある筈ですが、見れなかったです。 尤も、修繕中でなくても、二階に登れたのかどうか不明です回廊石像仏としては日本最大と言われている不動明王鐘楼と味のある太い樹小川が良い感じに境内を隔てています ー 2日目に続く ー
2024.11.26
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丑寅の二人旅 第109弾 上毛野(かみつけの)の国:群馬県 2日目 10月22日2日目最初はローズガーデン、近場に2か所のローズガーデンがあり、秋薔薇のイベントが:一つは、秋のローズガーデンフェア9/28-10/20、2日前にフェア自体は終了もう一つは、秋のローズフェスタ10/19-11/10、3日前にフェスタが始まったばかりどちらが薔薇の見頃なのか? 悩ましいところですが、始まったばかりの敷島公園門倉テクノばら園に決めました平日の朝10時前ですが、駐車場は8割がた埋まっています薔薇は十分に見頃ですこの薔薇、名前はイングリッド・バーグマンその他に、Princess MichikoとかPrincess Aiko、ドナルド・レーガン、オードリー・ヘプバーンとかいろいろありましたご本人からの承諾を取っているとは思えないですねばら園周りの松林もなかなかですサボテンばら園は前橋市、そこから南に44km甘楽町、富岡製糸場の割と近くのこんにゃくパークです工場見学と無料バイキングコーナーとこんにゃく・白滝・こんにゃくゼリー等販売コーナー・詰め放題コーナー平日ですが満員状態昨日の宿は、真田昌幸縁の岩櫃城跡の近く、木材を配した建屋でした ー 第109弾 上毛野(かみつけの)の国:群馬県 終了です ー
2024.10.22
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丑寅の二人旅 第109弾 上毛野(かみつけの)の国:群馬県 10月21日訳ありで、緊急避難的に一泊旅行、近場と言う事で群馬県を選択群馬県と言えば、草津温泉・富岡製糸場・伊香保温泉・わたらせ渓谷鉄道・利根川上流のダム群、その他には余り無さそうな・・・それでも探せば、それなりに有りました最初は高崎市の少林山達磨寺本堂の縁側に達磨が積み重ねられています達磨寺の創建は1700年代初頭で、それ程古いお寺ではないです元々は曹洞宗で、明治になって黄檗宗に改宗本堂です、御本尊は、北極星を神格化した北辰鎮宅霊符尊ですが、初めて聞きました本堂、正式には霊符堂、は法要・祈祷の際にお坊さんと一緒でなければ入れないみたいです大きな達磨さん徳川三つ葉葵の紋、水戸徳川光圀と何か縁があったみたいです観音堂、草が生えた茅葺屋根が何とも・・・鐘楼石段の向こうにあるのが総門池の鯉猪が居ました体長1.5m程の大きな猪、本堂の裏側に、写真を撮り損ねました、残念です続いて達磨寺から北に9km、かみつけの里「上毛野はにわの里」とも言います、保渡田古墳群を中心とした史跡公園、5世紀後半から6世紀初頭に造られた3基の前方後円墳「二子山古墳」「八幡塚古墳」「薬師塚古墳」がありますが、薬師塚古墳は発掘・復元されていないみたい八幡塚古墳の全容、墳丘全長96m、墳丘高8m往時の古墳は、石と埴輪で飾られていたとのことで、それが再現されています埴輪の種類:円筒埴輪・朝顔型埴輪・人型埴輪・動物埴輪など動物には:馬・鹿・鶏・鵜・猪円筒埴輪、一番単純「こわい顔の埴輪」、古墳の一番外に、盾を構え、こわい顔をした兵士の埴輪が並んでいます古墳を悪霊から守るガードマン墳丘の頂点から石室への入り口、観光用に鉄材で補強円い島「中島」、墳丘の周りに4か所、古墳被葬者への葬送の祭りが行われた場所だとか?かみつけの里から北に15km、渋川市伊香保、佛光山法水寺台湾仏教のお寺さん2018年に創建された新しいお寺さん有名な水沢観音のほぼ隣一番の売りは、絶景、238段の石段を登って振り返った絶景がこれ!(238段を登らずに、車で境内横の最上段の駐車場まで来ましたが)赤木山と渋川市が広がりますさしずめ山門ですね(日本のお寺だと)デカイのですが、荘厳さはいまいち本堂ですが、中には本殿とか美術館とか一言で言えば「千手千眼観音」(掌に眼がついてます)詳しく言うと、千年もの間彫り続けられた敦煌の大壁画を、台湾の女優が立体的に復元した観音様、慈悲宝殿に安置されています本堂の中の本殿「大雄宝殿」、純白の大仏様が鎮座します仏像様よりも装飾を凝らした大空間の部屋自体が仏様のパワー本堂・美術館・本殿を参拝(巡り)が終わると、ベジカフェ(滴水坊:台湾カフェ)に辿り着きますバーワン(Bawan Vegetarian Meat Dumpling)Vegetarian Meatって意味不明、しっかり肉入ってます台湾朝食バーガー本堂の中とか、石段とかに小僧さんが沢山います見ざる言わざる聞かざるの小僧さん鍾乳石、何万年も掛けて成長した、その時間の長さを尊んでいるみたいです時間が相当巻いています達磨寺で、本堂とかに入らなかったから、それと群馬県は近いですねなので、2日目での訪問予定だった八ッ場ダムに行きます法水寺から北西に車で1時間ほど八ッ場ダム完成は2019年、運用開始は2020年かな?ダム湖(八ッ場あがつま湖)、湖を横切っているのはJR吾妻線、元の線路は湖に沈みました八ッ場ダム、名前は有名ですが、それ程大きくはないです計画から完成まで68年、「一向に進捗しないダム」の代名詞として有名になりました天端から下に堤体を撮影総事業費5千億円以上、ダム史上最高額だったとか民主党政権時代に、事業中止を表明して、同じ政権時代に事業再開を宣言したみたいですね下から堤体を撮影ダムが造られた吾妻渓谷・吾妻川、そこそこ深い山の綺麗な景観JR吾妻線に日本一短い鉄道トンネル「樽沢トンネル:7.2m」がありましたが、ダム建設に伴い、トンネル部分は廃線部分となり別の場所に付け替えられました (写真は2010年11月に撮影したもの)この廃線部分とトンネルは観光用の自転車型トロッコ「アガッタン」として運用されています ー 2日目に続く ー
2024.10.21
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丑寅の二人旅 第108弾 お得な宿を見つけたので山梨へ 2日目前夜は富士五湖湖畔の宿2日目も朝から小雨状態、笛吹市にある松本山 大蔵経寺(しょうほんざん だいぞうきょうじ)に真言宗のお寺さん、創建は722年とか山門脇の松の姿が良い大きなお寺ではありません池泉回遊式庭園と仏画がセールスポイントと触れ込みなのですが・・・・最初はお庭手前は石庭風の枯山水、奥が池泉鑑賞式庭園殆ど石庭ですね、植木が添えられているのも愛嬌池泉鑑賞式庭園、池に鯉はいなかった池の縁まで石庭が池と石と緑の配置が巧みです赤がアクセントになってます蓮の花が咲いていたら、凄かったでしょうね小さいながら、かなり巧みに石組み・草木・池・石庭が整えられています、手入れも良いです、思っていたのを遥かに超えていました続いて仏画、主に現代仏画です阿弥陀如来?、大日如来?、知識が乏しくて・・・湧水の流れに紅葉ですか?お釈迦様?と右下は壊れて錆びた戦車と機関銃です大日如来様?かぐや姫、これが一番気に入りました天井画「龍」天井画「鳳凰」これは現代仏画ではありません、絹本著色仏涅槃図(室町時代 霊彩筆 絹本著色、国の重要文化財)廊下に飾られていましたが、レプリカかな? 本物は秘蔵でしょうね金屏風所狭しと、絵画・調度品などが置かれています小物・置物も至る所に六地蔵さん蓮根に石を詰めたみたいな花手水、器の黒に花が映えます木の枝をサルボボが登っている?仏画の数、数えていませんが、50枚以上かな、置物は50?100?現代仏画、想像以上大蔵経寺、凄いです昨夜の「お得な宿」(某自治体の保養所ホテル、居住者以外も利用可)会席料理、食前酒・先附・前菜・お椀・お造り・お凌ぎ・焼物・炊合せ・揚物・酢の物・食事・水菓子一泊2食で¥11,600(税込み)2日間ずっと小雨、偶に曇り、山梨県なのに富士山全く拝められませんでした ー 第108弾 「お得な宿を見つけたので山梨へ」終了です ー
2024.10.05
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丑寅の二人旅 第108弾 お得な宿を見つけたので山梨へ 2024年10月4日山梨県は近場なので、結構頻繁に行っているので、殆どの観光スポットは廻っていますが、今回は「お得な宿をみつけた」ので是が非でも行かなくては。当初は忍野八海に行くつもりでしたが、朝から雨、雨の中での忍野八海はなかろうと急遽目的地を変更、南アルプス市にある安藤家住宅に茅葺屋根の長屋門豪農・豪商の屋敷は長屋門が定番ですね屋敷が建てられたの1708年安藤家は元々武田家の家臣ですが、この地に居を構えた時点では帰農して豪農になっていたみたいです玄関・庭に続く中門、身分の高い人だけが通れて、それ以外は手前の勝手口から勝手口から入ったところが土間です、台所も兼ねてますね土間の上は天井がなく、茅葺屋根に続く吹き抜け囲炉裏からの煙で燻され害虫駆除効果も奥座敷から土間方向の眺め玄関そこそこ広い庭、一際存在感のある老松角度を変えての老松更に違う方向からの老松最後は絵になった老松こちらは枝振りが面白いアカマツ安藤家住宅からほぼ北に44km、北斗市、長野県の手前、平山郁夫シルクロード美術館過去に一度来ていますが、美術館は所蔵コレクションの展示の入れ替えとか、企画展とかがあったりするので、毎回新しさに出会えますこれは日本の阿弥陀様みたいですねシルクロード、ガンダーラ(インド)、パキスタン、アフガニスタン、中国辺りの石仏・浮彫像がいっぱいこの石仏は、天山山脈辺りから?浮彫の仏像ですが、 寺院とか建物の壁に彫られていたのでしょうねガンダーラからの出土? 阿修羅??この浮彫は柱の一部でしょうねこの日の企画展の一つ「中央アジアの染織と文化」ウズベキスタンの掛布、綿の生地に絹糸の刺繍みたいなウズベキスタン民族衣装、綿と絹ウズベキスタン?の陶器唐三彩に似た色合いですが、駱駝なので中央アジア平山郁夫の代表的な作品、砂漠を行く駱駝のキャラバン、場所はアフガニスタンであったり、イランだったり、シリアのパルミラ砂漠だったりこれは太陽が出ているので朝こちらは、月が出ている夜、キャラバンは女性ですもう一つの企画展「大乙嫁語り」展平山郁夫シルクロード美術館の直ぐ近く、車で5分程三分一湧水(さんぶいちゆうすい)湧水を3つの村に平等の配分するための設備ですちょっとした林のなかにあります ー 2日目に続く ー
2024.10.04
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丑寅の二人旅 第107弾 掛川から焼津へ 2日目2日目の最初は丸子宿の「とろろ汁の丁子屋」丸子宿は本来は鞠子宿、場所は静岡市駿河区丸子この茅葺屋根の店が丁子屋安藤広重(歌川広重)の浮世絵東海道五十三次 丸子宿で描かれた「とろろ汁のお店」鞠子宿 丁子屋と書かれています広重の浮世絵の碑、描かれている2人の旅人は東海道中膝栗毛の弥次さん・喜多さんを思わせますこちらは東海道膝栗毛の十返舎一九の碑最後は同じ丸子にある吐月峰柴屋寺(とげっぽうさいおくじ)庭園が自慢の名勝開祖は連歌師宗長、宗長は今川氏親(今川義元の親父)に引きたてられたみたいです連歌師なので、人を集め連歌の会を催し、歌を作るとなると風流な庭の造園に注力しました。「吐月峰」は庭の借景の山(峰)を「月を吐き出す峯」に見立てたとかこんもりした槙の樹左が開祖の宗長 ー 第107弾 掛川から焼津へ 終了です ー
2024.09.05
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丑寅の二人旅 第107弾 掛川から焼津へ 2024年9月4日迷走台風10号に振り回されました。最初の予想だと、旅行前に通り過ぎる筈だったのが、大きく西に迂回して、九州・四国で足踏み停滞仕方がないので、一旦宿の予約をキャンセル、台風が消滅した9月2日に再予約最初は掛川城元々は今川氏の拠点、その後徳川家康が領有、秀吉が家康を関東に追い遣った後山内一豊を配置、天守閣は山内一豊が構築門ですが、大手門ではないです、裏門?天守閣、1994年に復元、日本で最初に木造で復元鉄筋コンクリートでの復元の方が簡単ですね別の角度からの天守閣石垣の麓に山内一豊と千代のモニュメント天守閣からの掛川市街の眺め掛川城ジオラマ御殿です日本で現存する4か所の城郭御殿の一つ、有名なところでは京都の二条城元々本丸にあったのが地震で倒壊後、二の丸に再建された「藩の公的式典の場」「城主の公邸」「藩内の政務を司る役所」の3つの機能畳部屋が多くあります婚礼用?の着物竹灯篭、御殿とは直接関係ないのかも竹の丸本丸・二の丸に加え後に拡張された曲輪、天守・本丸に続く道筋に会って家老など重臣を住まわせ城の防衛の目的も現在は明治時代に大商人が建てた近代和風建物跡が残っている竹の丸から天守閣を眺める掛川城から南に16km清水邸庭園江戸時代からの廻船問屋清水家の庭園池には水面に蓮、水中に藻さらに錦鯉姿の良い松何か? モニュメント掛川市から西の島田市にふじのくに茶の都ミュージアム島田市・牧之原市・菊川市にまたがる牧ノ原台地は有数のお茶の産地茶畑が広がり、お茶の直売所が点在する牧ノ原台地を走ってミュージアムに到着日本・中国・アジアなど各地のお茶を展示紹介写真はトルコの茶器こちらはお茶うけ? 煮豆・黒豆お茶の樹、お茶製造の器具、茶葉、色々展示されていましたが、何故か撮影しませんでした今日の宿からの眺め、焼津漁港の裏手です ー 2日目に続く ー
2024.09.04
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丑寅の二人旅 第106弾 新潟は柏崎から長岡・魚沼へ 2日目宿の前は漁港です早朝5:30頃漁船が出港しました宿の壁に多くの油絵が展示されて、Cafe & Gallery がありましたので、画廊を兼ねているみたい宿の裏、神社、石段が辛そう調度品の箪笥、韓国のものみたいです狸の剝製2日目の最初は長岡市の長谷川邸、庄屋を務めた豪農の屋敷跡茅葺屋根の長屋門が表門、茅葺屋根の長屋門は珍しいですね長屋門から眺めた母屋ですが、この入り口は玄関ではないですね玄関は門から直接見えない様に設えられているのですかねこちらが玄関、何故か現代風なアニメの掛け軸法事の際に坊さんに入ってもらう風呂(専用風呂)坊さん用風呂の為だけの湯沸かし竈こちらは料理用竈雪隠(トイレ)、蓋は黒漆塗り最後は魚沼市の目黒邸国の重要文化財、1797年(寛政9年)建造、割元庄屋の豪農の屋敷新潟県には何故か多くの豪農・豪商の屋敷跡があります。母屋、母屋の建物面積は175坪土間から茶の間・仏間・奥の座敷・奥の小座敷を通して庭に抜けます囲炉裏竈農耕器具の展示機織り機械の展示狸の剥製 ー 第106弾 新潟は柏崎から長岡・魚沼へ 終了です ー
2024.07.16
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丑寅の二人旅 第106弾 新潟は柏崎から長岡・魚沼へ観光地としてはマイナーな柏崎市柏崎市と言えば「柏崎原発」くらいしか思い浮かびません最初は「風の丘 柏崎コレクションビレッジ」今でこそ、柏崎と言えば原発ですが、その昔江戸時代末期に縮布の行商で栄えた街、日本全国の取引先と交流を持ち、商売のみならず文化も吸収した事から、柏崎は「コレクション」の街になったみたいですと言う事で、コレクションビレッジには三つの家があります最初は同一庵藍民芸館幟など藍染の布製品これも藍染製品、 左下に一部だけが写っているのは「筒描木綿 鳳凰図 屏風仕立て」明治ベロ藍陶磁上述の藍染布製品と共にこの同一庵藍民芸館の名前となった藍色の製品ベロ藍とは、ベルリンから来た藍色の顔料少し前NHKの時代劇ドラマ「広重ぶるう」で歌川広重が愛用したベロ藍の青が描かれていましたなにか分かりませんが、椅子とテーブルみたいです千手観音像ですが、千手が凄まじい、日本製ではないですね、中国かチベットかインドか?続いて「痴娯の家」達磨に虎、福助らしきものこちらも雑多な人形、名古屋・尾張の文字も日本各地の玩具を集めたみたいです郷土玩具館ちょうど和紙の人形特別展が催されていました、和紙(紙粘土?)のレッサーパンダ三つ目の家は「黒船館」撮影禁止なので写真はありません印象に残っているのはペリーの肖像画・イラスト柏崎コレクションビレッジの次は、同じ柏崎市にある松雪山荘紅葉の名所ですが、この時期の緑も悪くないです園内には木村茶道美術館が併設陶芸家神山清子懐古展が開催されていました信楽焼の陶芸家でしょうか?信楽自然釉面取壺??国宝級の茶碗でお茶を楽しめるのですが、予約で満席でした初日の最後は柏崎市史跡飯塚邸塀を巡らせた外観は如何にも広そうな屋敷表門は屋敷門、屋敷門とは居住スペースのある棟の中央辺りに門を拵えたものみたいですね江戸時代末期に建造母屋(主屋)、正面の入り口は玄関ではないみたい、勝手口?玄関と庭に通じる門昭和天皇全国御巡行の際、昭和22年10月10-11日期間の行在所として飯塚邸に滞在天皇陛下が御使用された風呂、その為だけに新設され、その後一切使用されていないそうです母屋の奥の新座敷棟二階は天皇陛下の寝室・居間としてご使用され、これもその後は一切不使用裏山を散策された時のお写真庭は昭和天皇から名前を賜った秋幸苑苔が凄いです佐渡島で産出される赤玉石、庭石として重宝されます屋敷門に拵えられた蔵にあった展示品宿は海辺の寺泊寺泊なので夕食は海の幸 ー 2日目に続く ー
2024.07.15
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丑寅の二人旅 第105弾 会津 2日目宿泊は東山温泉、会津若松市街地から車で20分程結構緑が深いですそれと山からの湧き水なのか? 水が豊富2日目最初は会津武家屋敷会津藩家老西郷頼母の屋敷庭のオオテマリ敷地面積2400坪なかなかの庭です表玄関御成の間奥に居るのが藩主の松平容保、手前が屋敷の主西郷頼母会津戦争で敗戦が濃厚になった時、西郷頼母の家族(妻・娘他)は自刃だけど西郷頼母自身は鶴ヶ城落城前に逃げ出し、明治36年まで生存しました、再婚までして西郷頼母像白虎隊は会津のヒーローですが、大政奉還が終わった後の戊辰戦争徳川慶喜はさっさと謹慎、江戸城も無血開城戦争したくて堪らなかった敵方の西郷隆盛、幕府側の土方歳三も戦命、戦好きの二人に翻弄されたみたいな?しなくて済んだ戦、避けられた犠牲最後は御薬園会津松平氏庭園庭の一部が薬草畑オオヨモギです国指定の名勝庭園の風景です ー 第105弾 会津 終了です ー
2024.05.11
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丑寅の二人旅 第105弾 会津 5月10日会津若松市は鶴ヶ城です鶴ヶ城は通称で正式名称は若松城みたい戊辰戦争でボロボロになった天守閣は1874年に取り壊され、1965年に再建お城の石垣の石の積み方は、結構適当に積む方式とか、綺麗に並べて積む方式とか、色々あります、野面積み、切込みハギ・打ち込みハギ等々これは典型的な野面積みですね武者走りが拵えられている石垣写真右側の階段が武者走り、火急の時に大手門・櫓・天守に迅速に行けるように拵えたもの松が綺麗でした何故か敷地内に赤べこが、会津の銘品です江戸城は徳川、大阪城は豊臣と、誰の城とハッキリしているお城は稀で、城主が何回も変遷しているお城が多数みたいですね鶴ヶ城も8回城主が変わっています、天守閣を拵え、城下町を整備し、お城を確たるものにしたのは蒲生家です幾つかの城主自慢の兜が展示されています、加藤家の兜は卍の字高名な伊達家も上杉家も、一時期城主でした角が立った兜それでも鶴ヶ城と言えば、松平家、最後の城主となった松平容保幕末の最末期に京都守護職に任命され、鳥羽伏見の戦いの後、徳川慶喜と共に江戸に逃れ、自分の意志に反して会津戦争に突入、鶴ヶ城落城時の藩主でした鳥の羽が粋な兜戊辰戦争(会津戦争)状況が、天守の第3層でジオラマやデジタル・プロジェクション等で展示・紹介されています天守の各層での展示とは別に、第5層からの展望が良いです真下の鶴ヶ城公園の眺めお弁当を広げている人も会津若松市市街と新潟方面の山並み茶室「麟閣」、千利休の子の少庵が立てた茶室鶴ヶ城の次は、会津塗伝承館 鈴善会津漆器の展示と販売、5つの蔵と茶やがあって、最初は会津塗の製品・技法・道具等の紹介する伝承蔵定番の会津塗お椀重箱、お盆?、三宝に盃、文箱丸いのは金虫食いと言う模様かも?何かの箱ですが、螺鈿細工が施されています漆塗り課程での道具酒桶です掛け軸かな?唐人凧伝承蔵の他に、美術蔵、漆器蔵(販売店)、体験蔵、地酒蔵、蔵の茶やがあります - 2日目に続く -
2024.05.10
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番外編「ふじの咲く丘」 5月3日急に思い立って群馬県藤岡市の「ふじの咲く丘」に藤を見に行くことにゴールデンウイークの後半4連休の初日なので、高速道路の渋滞を少しでも避ける為に、早めの朝6時半出発を予定しましたところが、当日朝5時半にドラぷらをチェックしたところ、既に所沢ICから坂戸西ICまで19kmの渋滞で、通過時間が60分と言う事で、高速は止めて、一般道で80km行程ですが、高速から逃げて来た車も多く、2時間40分掛かりました。藤棚はほぼ盛況こちらは菖蒲かカキツバタ石楠花(しゃくなげ)ですね綺麗な花でしたアゲハ蝶丘からの藤岡市遠望屋台です ー 番外編「ふじの咲く丘」 終了です ー
2024.05.03
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丑寅の二人旅 第104弾 新潟市のお屋敷と長岡・南魚沼で 2日目2日目最初は南魚沼市の曹洞宗雲洞庵越後一の寺、日本一の庵寺と謳っています人々が言うのではなく、御自身が仰っています何が越後一で、何が日本一なのか、分かりませんでした杉の巨木が凄いです庵寺とは尼寺ですね雲洞庵の歴史は古く、藤原鎌足の孫の母親が庵(雲洞尼僧院)を結んだのが最初で、1300年ほど前の事その時点では尼僧院、尼寺・庵寺ですね、これが日本一の庵寺の謂われでしょうか?因みに藤原鎌足は、中大兄皇子と共に、645年に大化の改新を成した人ですね山門です、通称赤門その後1429年に上杉憲実が曹洞宗雲洞庵を開創、この辺りが「越後一の寺」でしょうか?上杉家は藤原氏からの子孫筋みたいですね山門からの境内の眺め鐘楼それにしても、このお寺さん、境内は苔だらけ苔生した地蔵さん苔と池豪雪地帯ですから、この境内は間違いなく冬の2-3か月は数mの雪で覆われます雪と苔は関係があるのでしょうか?苔生した幹・枝・根?苔の石仏、後は本堂境内から本堂に入ります欄間が立派です欄間、彫刻と言えば、越後のミケランジェロと称される石川雲蝶の天井画(彫刻)有名な西福寺が割と近くにあります木魚「雲洞庵の土をふんだか」と言うフレーズがあるみたいです山門から本堂に続く境内の石にお経を一字一石で記されているから「石を踏んでお経を学べ」から転じて、「雲洞庵で曹洞宗を修行しなければ一人前の禅僧には言えない」と言う意味らしいです本堂の中心瑠璃壇暗くて良く見えないのですが、千手千眼観音様です「土を踏んだか」に呼応したのか「関興寺の味噌をなめたか」のフレーズもあります意味は同じで「関興寺で修業して初めて一人前の禅僧だ」です2回から眺めた苔の境内襖絵南魚沼にある塩沢宿に向かいます塩沢宿は中山道の高崎宿から分かれて、日本海の北陸道の寺泊宿に繋がる三国街道の宿場です最初は塩沢つむぎ記念館鯉のぼりで塩沢4大織物を展示1.麻の越後上布 2.絹の塩沢紬 3.絹の夏塩沢 4.絹の本塩沢塩沢つむぎ記念館ですが、展示が40% 販売が60%みたいです小物の展示・販売塩沢の4大織物越後上布に対して近隣の小千谷に小千谷縮も有名です反物上布か絹か? 雪駄とか洋風仕立てのニューファッションです塩沢宿牧之通りの雁木牧之通り、白壁・蔵風、綺麗に昔の街並みに整えています整った街並みは良いのですが、何かひとつふたつ目玉が欲しいですね、観光客を呼び寄せる為のリサイクル専門の和服着物屋さんリサイクルにしても安いですこの時期牧之通り50-60店舗で「ひな雪見かざり」が行われていましただけど外からだと「全然見えない分からない」でした着物リサイクルのお店の雛飾り山は水墨画の風景でした ー 第104弾「新潟市のお屋敷と長岡・南魚沼で」終了です ー
2024.03.30
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丑寅の二人旅 第104弾 新潟市のお屋敷と長岡・南魚沼で 3月29日今回は新潟県は新潟市まで走り、それから西に戻って長岡市、更に南下して南魚沼市と回る予定です出発時は雨、昼頃には晴れる予報ところが、群馬県に入る手間辺りから関越道渋川伊香保-沼田区間が霧の為通行止めの情報が更にカーナビに駒寄PAから渋川伊香保ICまでの区間が渋滞で真っ赤な表示に、渋川伊香保ICでは駄目と判断して駒寄PAのスマートICから一般道に脱出、沼田の一つ先の月夜野ICまで一般道を走りましたが、対向車線は沼田・月夜野から逃げて来た新潟方面からの車が続いていました最初は北前船の時代館 新潟市文化財「旧小澤家住宅」江戸時代後期から活躍した商家小澤家の店舗兼住宅米穀商から始まり、廻船問屋・運送・倉庫・地主・石油商まで発展した豪商大きな仏壇、越中富山辺りの豪商の仏壇はもっと大きいですね茶の間です寝間の小花模様・幾何学模様・結露ガラスの窓硝子屋内の道具蔵(家財蔵)にからくり人形と雛人形が展示されている筈だったのですが、何もなく空っぽでした 他の何処かに貸出展示出張中なのかな?仕方なく、土間に置いてあったカエルを撮影敷地は1600㎡、延べ床面積860㎡紅梅が綺麗に咲いていました庭はそれほど大きくはありません、石を多く巧みに配置してます、紀州石・御影石・佐渡赤玉石などを北前船で運んできたらしいです続いて同じ新潟市で旧小澤家住宅から車で10分ほどで国指定の名勝旧斎藤家別邸です「にいがた庭園街道」に記載されている屋敷・庭園のひとつ(「にいがた庭園街道」は新潟県北東部の下越地区(新潟市から村上市辺り)の150km程にある屋敷・庭を巡る街道で、昨年2023年8月の第101弾「新潟県で屋敷と庭とお寺さん」で回りましたが、回り残したもののひとつが旧斎藤家別邸です)斎藤家は明治から昭和初期に活躍した新潟の三大財閥の一つの豪商、出身は越前三国だとか屋敷内の見どころのひとつ3枚の桐の鏡板に描かれた板戸絵牡丹孔雀図花卉図竹鶏図3枚の板戸絵、作者は日本画家佐藤紫煙土蔵にあった雛人形達敷地面積は1300坪本屋敷の一番の見どころは、広い池泉式回遊庭園と庭屋一如(ていおくいちにょ)と言われる庭と建屋の調和ところが先の能登半島地震の被害を受けて、庭への回遊は閉鎖中、庭と建屋の調和も見られませんなので屋敷内からの庭の眺めだけです、西の間からの竹林東の間からの池泉の眺め二階大広間からの主庭・池泉二階大広間からの松玄関・受付脇での小物販売新潟市から中越の長岡市の「長岡発酵巡り」へ長岡市摂田屋(せったや)、店の名前でなく、地名ですここにある発酵の店は:① 摂田屋6番街 発酵ミュージアム米蔵② 吉乃川 酒ミュージアム 酒蔵③ 旧機那サフラン酒の鏝絵(こてえ)④ 江戸時代からの醤油醸造元 越のむらさき⑤ 味噌と醤油の醸造元 星野本店等々③のサフラン酒の醸造元建屋と酒蔵の鏝絵です酒蔵の鏝絵全ての窓の扉に鏝絵①の摂田屋6番街 発酵ミュージアム米蔵、直売店みたいです朝の関越道一部通行止めの影響で1時間ほど遅れてます長岡発酵巡りも鏝絵と米蔵2か所で終了魚沼市大湯温泉の宿に向かいます宿からの川の流れの眺め宿の置物鷲と瓢箪 ー 2日目に続く ー
2024.03.29
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丑寅の二人旅 第103弾 歴博以外は茨城県 2日目 2月1日2日目も博物館、「かすみがうら市歴史博物館」霞ヶ浦を霞ヶ浦大橋で渡ってすぐ近くにありますお城ではありません、お城を模した博物館の建物目玉は縮尺1/2の帆引き船でしたが、館内撮影禁止展望台からは霞ヶ浦の一望を期待したのですが・・・、殆ど見えません最後は結城紬霞ヶ浦から北西へ、60km、栃木県との県境の結城市のつむぎの館紬は絹なので、軽くて、暖かくて、光沢があって、丈夫で昔の昔は野良着として着られたことも有名なところでは、大島紬・久米島紬・牛首紬・結城紬結城紬の反物、ユネスコの無形文化遺産に登録された特別な結城紬は、地機(じばた)で手織りされたものだけで、「結」の印が押されます値段は1反100万円・300万円のものも「糸つむぎ」「絣くくり」「地機織り(じばたおり)」、結城紬製作工程余談ですが徳川家康の次男結城秀康はこの地の結城家に入ったのですね今回の旅は某ホテルチェーンの「蟹食べ放題」キャンペーンに誘われて、積雪・道路凍結を避けて、選んだのが潮来のホテル潮来のあやめは時期外れ、鹿島神宮・笠間稲荷・笠間焼工房は割と最近訪問しているので、選んだのが佐倉市の歴博と結城の紬です蟹食べ放題、追加が来ます ー 第103弾 歴博以外は茨城県 終了です ー
2024.02.01
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丑寅の二人旅 第103弾 歴博以外は茨城県 2024年1月31日2024年最初の二人旅、茨城県稲敷市(霞ヶ浦に面して、潮来市の西)の大杉神社日本唯一の夢むすびの神社とか、「あんばさま(安婆嶋)」縁の神社とか言われているようです。「神社って、地味で何処も同じ」と言う印象を持っていたのですが、ここは境内は大きくありませんが、色々あって、面白いです一の鳥居二の鳥居鳥居の回廊絵馬奉納弓の射的、縁起・祈願ですか?お狐さんが居るので、稲荷神社の部分も?お寺だと山門ですが、神社だと神門?立派な神門は、楼門? 二重門?稲荷神社部分の本殿?大杉殿とありますから、こちらが本家の本殿ですね回廊と呼ぶのか、参道でしょうか?柱の模様が・・・、凝ってます多くの神社で見られる小さな社(やしろ)、祠(ほこら)ここでも5つ6つありました、これは大国神社小さな社祠の由来は何でしょうか?建物の梁の下にある飾り彫刻、名称は? 欄間飾り?彫られている絵は物語になっている事が多いですね石の桃に土器(かわらけ)の破片、土器を割っての祈願? 運試し?大杉神社に隣接する安穏寺安穏寺の塀安穏寺の塀安穏寺の住職と大杉神社神主が同じ? そんな事はありえません境内に咲いていた紅梅、早咲きですか?大杉神社に大型観光バスが1台止まっていました大杉神社での御祈祷を含んだツア-なのかな?大杉神社の次は歴博、国立歴史民俗博物館茨城の旅ですが、訳アリで、稲敷市から成田空港を素通りして千葉県は佐倉市の国立歴史民俗博物館に第1展示室は先史・古代: 古墳時代までナウマン象狼です革を鞣す母娘、ほぼ原始時代にしては可愛い過ぎませんかこちらは石から鏃を作る親子こちらもほぼ原始時代にしては、顔立ち良すぎこれは何だったか? 粽みたいな? お婆さんと孫ですか土偶です、下段の真ん中は「縄文のビーナス」みたい銅鐸ですね、祭祀に鐘のように鳴らしたみたいですが、何だか銅の無駄遣いに思いますが続いて第2展示室: 平安時代から安土桃山時代まで平安時代の家屋、竈があります蔵ですね、金持ちの家、貧富がハッキリして来たみたいです平安時代の街並み、溝は排水溝かな、公家っぽいのが二人御朱印船物売りですが、何ですかね? 油売り?鮎を売ってます、道端での売り子? それにしては着物が良すぎませんか大鋸(おが)引き、中国から入って来た大きな鋸、室町時代です大道芸ですね第3展示室 近世: ほぼ江戸時代北前船、北海道から大阪を往復北海道小樽・函館から日本海の庄内酒田、越後、金沢、境、下関から瀬戸内海で大阪へ北海道からの俵物、昆布・鮑・海鼠江戸の街並み、日本橋河岸と高瀬舟ですか?こちらは日本橋広小路?第4展示室: 民族、「列島の民俗文化」をテーマに展示 (撮影禁止なので写真ないです)第5展示室 近代: リニューアルで閉鎖中でした第6展示室 現代: 1930年代から1970年代まで 戦争関係が多かったので撮影しませんでしたかなり駆け足での観覧でしたが、それでも3時間弱かかりました、歴博を東京でなく、京都でもない佐倉市に置いたのはスペースの問題でしょうか?歴博(国立歴史民俗博物館)正面です ー 2日目に続く ー
2024.01.31
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丑寅の二人旅 第102弾 山梨県で紅葉を 11月9日 2日目2日目最初は甲府市にある曹洞宗光沢山青松院山宮町と言う小高い山の裾野を切り開いた住宅地に在りましたが、坂道・小道が多く、駐車場が六差路の際に、入るのに難儀しましたちょっと変わった山門保育園が併設されているので園用の門も兼ねているのかなユーモラスな石仏、諏訪の「万治の石仏」を連想しました庭園が有名ですが、手直し最中みたいです本堂は新しいですね続いて、同じ甲府市の甲斐善光寺武田信玄と上杉謙信の川中島合戦(5回に渡る)で、信濃の善光寺焼失を危惧した信玄が、御本尊などを甲斐の国に避難させ、後にそれを安置する甲斐善光寺を建立したのが始まり信濃の善光寺は無宗派ですが、甲斐善光寺は浄土宗本堂です手前の枝が横に走った松が面白いですね本堂から眺めた境内本堂の内陣、金色の天蓋、御仏の上にあるので仏天蓋でしょうか鐘楼ですやや小さめの大仏様、顔立ちが若いです境内の池、水の透明度が高い、伏流水でしょうか山門です山門を通して本堂を眺めました予定を変更して、急遽山梨ジュエリー・ミュージアムへ山梨県と言えば水晶の産地水晶・ダイヤモンド・金・プラチナ他を散りばめたネックレス・指輪などを小一時間掛けて鑑賞続いて山梨市の根津記念館へ「鉄道王」と呼ばれた初代根津嘉一郎の実家の邸宅を保存・公開する記念館、嘉一郎は東武鉄道の社長など鉄道会社24社、その他多くの会社経営にかかわった実業家屋敷正面です庭から屋敷を眺めました客間から土蔵入り口竈玄関の飾り物「象牙の鷲」龍の屏風名勝庭園「笛吹川」、和風庭園ではないですこれを川に見立てているのですね写りは良くないですが、侘助の花花に上下はありませんが、茶道なんかでは、品の良さとして侘助・椿・山茶花の順番でしょうか何の木か知りませんが、凄く捻じれています映水、棚町宜弘、二人の作品が展示されていました映水の作品こちらも映水です映水の作品棚町宜弘の襖絵ですね棚町宜弘作 子安運河の写生、横浜市神奈川区子安これ凄いです紅葉は遅れていますが、干し柿の季節です最後は甲州市木賊地区、かなり山間の場所天目山 栖雲寺標高が1050mなので、紅葉もそこそこ進んでます「蕎麦切」発祥の地らしいです餅みたいな「蕎麦かき」を、「饂飩」状に細く切ったものが「蕎麦切」ですか?石碑の前に蕎麦が植わってます本堂です蕎麦祷観音、「そばいのりかんのん」と読むのでしょうか?観音様、子供を抱いています子安観音???六地蔵今回3度目の紅葉?熊注意の標識が新しい、今年は熊が多い ー 丑寅の二人旅 第102弾 「山梨県で紅葉を」終了です ー
2023.11.09
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丑寅の二人旅 第102弾 山梨県で紅葉を 2023年11月8-9日 初日最初は身延山久遠寺標高がそこそこ高いので、紅葉を期待しましたが、駄目ですね、青々してます菩提梯、高低差104m・287段の石段です、上から見下ろしました久遠寺山門から境内へのルートは・ 一番急な厳しい菩提梯・ 菩提梯より少しは楽な男坂・ 緩やかですが距離があって時間のかかる女坂・ 歩いて登りたくない人は斜行エレベーターで境内、五重塔と鐘楼祖師堂祖師堂の正面の欄間などへの豪華な飾り・彫刻有名な久遠寺の枝垂れ桜、今は枝だけ奥の院からの眺望、微かに富士山が、麓の川は富士川「御手植杉」、日蓮上人が植えた杉がここまで大きくなりました奥の院の山門から覗いた「思親閣」紅葉です、久遠寺唯一の紅葉奥の院から戻って、久遠寺の山門スニーカー、草鞋や下駄が吊るされています、奉納されていると言うことですか?山門に大草鞋が飾られているのは、仁王様の草履ですが、スニーカーを奉納する意味は???仁王様ですか?こちらは総門です久遠寺の門前町にあるオールドノリタケを展示しているミュージアムに行く予定でしたが、当面休館中とのこと久遠寺から北上して市川三郷町へ余談ですが、10年間更新していないカーナビだと、多くの道路が無くなります今走っている中部横断道の大部分はナビに表示されません市川三郷町の金剛山宝壽院境内です、奥は本堂地元市川高校の甲子園での戦績の石碑、1991年春は準決勝まで行ってます親子地蔵と高野くん、高野くんですから真言宗ですね山門鐘楼カーナビでこの狭い踏切に案内されました無理でしょう、車両通行禁止(除軽・小特)、迂回しました今宵の宿は甲府市、宿の庭です ー 2日目に続く ー
2023.11.08
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丑寅の二人旅 第101弾 新潟県で屋敷と庭とお寺さん 3日目9月1日最後の庭園は貞観園「にいがた庭園街道」からは外れて、柏崎市です貞観園に向かう道すがら、3つの洞窟みたいな穴ハッキリとは分かりませんが、防空壕跡でしょうか?貞観園の主は村上家、大地主の豪農だったようですが、千町歩地主だったかどうかは分かりません貞観園の主屋「亭観堂」土間の凄い梁、欅です、豪雪地帯ならではですね鶴の襖絵広間から三之間・二之間に続く畳廊下全ての襖に結構な絵が三之間の襖絵畳廊下側面を飾る雲竜図の襖絵、黒字に錦糸の大刺繡、西陣織です(写真左、斜めに写っている)弓と槍庭は池泉回遊式庭園で京風が元母屋には草之玄関(土間に)・行之玄関(広間手前に)・真之玄関(一番奥二之間横に)三つが拵えられていますこれは真之玄関ではなさそう?これは玄関? これはそうですね、玄関のひとつこれも三つのうちの一つの玄関、草之玄関は撮影から漏れたみたい主石賓木の法の則っとり、主人の石・お客の木が配されているとか茶真中央の建屋は茶室・環翠軒、庭園内には五つの茶室があります池泉回遊式庭園なのに立ち入り禁止、年に一度庭園内散策のツアーが組まれるらしいです観瀑亭、東屋です庭全体が苔で覆われて良い趣きに佐渡から持ってきた赤玉石緑に向こうに垣間見えるのは、現村上家の住居、元の屋敷は国指定名勝庭園になってしまったので、奥に移り住みました「新潟県で屋敷と庭とお寺さん」千町歩地主が渡邊家・市島家・伊藤家・原田巻家・(村上家は不明)、大正13年の農商務省(現在の農林水産省)の調べでは、北海道を除く全国での千町歩地主は9軒で、その内5軒は新潟県に居たらしいです ー 第101弾 「新潟県で屋敷と庭とお寺さん」終了です ー
2023.09.01
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丑寅の二人旅 第101弾 新潟県で屋敷と庭とお寺 2日目-28月31日市島邸の次も農民屋敷、豪農の館 北方文化博物館場所は新潟市江南区敷地8,800坪(渡邊邸3,000坪、清水園4,600坪、市島邸8,000坪)建坪1,200坪 部屋数65の純日本式住居屋敷の持ち主は伊藤家渡邊家、市島家と違い最初から農民、千町歩地主で所有する田畑は1370町歩(1370ヘクタール)、作徳米3万俵、越後随一の地主でした(市島家は大正13年時点で越後最大の千町歩地主、伊藤家は戦前の昭和で越後随一の地主)台所、住み込み雇人は50人、毎朝炊くこめは60kg(1俵)この俵1つを毎朝炊いていたのですね囲炉裏、1.8m四方三間続きの茶の間、開け放てば27畳来客を迎えた部屋玄関、和風ではないのかな?大広間・座敷、ここから眺める庭園が秀逸回遊式庭園ですが、立ち入り禁止「謎の天狗面」と「謎の女性」伊万里の大皿6代目伊藤文吾の婚礼祝いの献立表、5m程の紙2枚に書かれています、3日3晩の宴だったとか三楽亭、書斎兼茶室正三角形の建坪11坪、敷地・畳・柱殆どが三角形「にいがた庭園街道」の村上市から始まる150kmの最終が南蒲原郡田上町の椿寿荘位置的には燕・三条に近いですね越後蒲原豪農 原田巻家の離れ座敷「椿寿荘」入り口の薬医門、有名な宮大工の作玄関の衝立「猩々の舞」、八方睨みで描かれているので何処から見ても「目が合う」「つま先がこちらを向く」角度を変えて撮りましたが、果たして分かるかどうか?原田巻家も、ご多聞に漏れず、千町歩地主、1,300町歩の田畑を所有立派な仏壇です、但し仏間でなく、取敢えずの仮の間椿寿荘はメインの屋敷でなく離れ座敷なので、敷地880坪、建坪140坪とそれ程広大ではありませんその代わりに、資材に銘木・銘石を使用したり、名工を招いて作り上げたり、贅を尽くしていますクスノキの1枚板に菊の透かし彫りの欄間、越中伊波の彫り師の作手前から三の間・二の間・上段の間、床の間の床がまちには輪島塗が使われています上段の間からの庭の眺め、額縁効果を狙って窓が切られています縁側の庇を支える丸桁は吉野で切り出した20mの一本物の吉野杉庭は枯山水須弥山を模した五重の石塔今宵は弥彦神社に近い岩室温泉に泊まります宿の風景3題池に浮かべた盥、「佐渡のたらい舟」を模しているのかな? ー 3日目に続く ー
2023.08.31
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丑寅の二人旅 第101弾 新潟県で屋敷と庭とお寺さん 2日目8月31日新発田市の清水園です新発田藩の下屋敷写真右側が下屋敷、左の茅葺は足軽長屋新発田藩藩主は江戸時代を通して溝口家、石高は六万石からのちに十万石になっています下屋敷敷地は4600坪 (昨日の渡邊邸は3000坪でした)書院内部の畳縁側主座敷書院玄関前池泉回遊式庭園、兎に角池がでかい池越しの書院の眺め、松が多いですね松が多く、でかい庭ですが、纏まりが悪いかな茶室(夕佳亭)、池の周りに五つの茶室が配されています甲冑と駕籠貝合わせの蛤堀部安兵衛の画忠臣蔵で有名な堀部安兵衛は新発田藩藩士の子供で当地の出身ですが、お家は断絶したので、新発田藩には仕えていません足軽長屋茅葺平屋で八軒長屋足軽長屋の1軒は入り口土間、板間、6畳2室と裏側に炊事場と土間こちらは藩士石黒家の武家屋敷木羽葺屋根に冠木門間取りは6つ以上かな? お茶を立てる炉切りもあります石黒家は70石取りでした武家屋敷の次は農民(豪農)屋敷同じく新発田市にある市島邸敷地は8,000坪(渡邊邸は3,000坪、清水園は4,600坪)、建坪600坪越後最大の千町歩地主でした(千町歩地主:1000町歩(1000ヘクタール)以上の田畑・山林を保有する地主)田畑1830町歩、山林3000町歩、米収穫3万俵明治初期に建てられた屋敷長い塀が続いています市島家は新発田藩藩主溝口家に随従して丹波(兵庫県)から移って来ているので、元は武士みたいですね表門、屋根の湾曲が良いですね総欅材破風造り四脚門前土蔵、水瓶・大豆樽土蔵の中茶会用の炉切りがなされています仕事部屋? 金庫があります渡り廊下、本座敷と家族居住の母屋をつないでいます書斎は洋風、オルガンもあります仏間が2間池泉回遊式庭園茶室(松籟庵)説教所、毎月17日に僧侶を招いて村人を集め説教を行った若しかして、「村民にすれば、凄い有難迷惑」 ー 2日目の2に続く ー
2023.08.31
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丑寅の二人旅 第101弾 新潟県で屋敷と庭とお寺さん 8月30日村上-関川-新発田-阿賀野-五泉-新潟を結ぶ全長150kmの街道で美しい庭園と屋敷などを取り上げている「にいがた庭園街道」なるパンフレットがありますそれを参考にプランを立てました、題して「新潟県で屋敷と庭とお寺さん」最初は関川村(村上市の西隣)の渡邊邸新潟県は殆ど長野県みたいな西部の上越、中部の中越、北東部の下越、佐渡島の佐渡の4つの地域に分けられますが、関川村は下越ですなまこ塀が見事です渡邊邸屋敷の外観、白いなまこ塀と黒塀は如何にもお屋敷と言った風情3,000坪の敷地に500坪の邸宅と6つの蔵渡邊家は、元は村上藩の藩士で郡奉行(郡代?お代官様)をしていました。村上藩主松平大和守直矩が姫路に国替えの際に、家督を嗣子に譲り隠居、関川に転居2代目以降は廻船業・酒造業・両替商・農業・林業を営み、山林1000町歩・水田700町歩保有の大地主に(豪農豪商・大庄屋)収納した小作米は1万俵屋敷周りの堀に錦鯉中越の長岡市・小千谷市は錦鯉の産地ですから、錦鯉は売るほどあります渡邊家は武士から商人に転籍しましたが、財政難の米沢藩にお金を用立てした繋がりから、米沢藩の勘定奉行格扱いとなり、更には四百五十石の知行も貰っています屋敷の一番の見どころは、「通り土間」母屋を貫通する土間に面して、茶の間・中茶の間・台所を配置。下の写真は茶の間から中茶の間・台所を眺めたもの写真の左が通り土間、右下が台所、右真ん中が中茶の間、その奥が茶の間。通り土間は吹き抜けです土間入り口から中茶の間・台所の眺め中茶の間には囲炉裏が、茶の間には神棚が、どの様に使い分けたのか?台所、大きな竈3つに特大竈が1つ薪も半端なく要ります中茶の間の囲炉裏茶の間の神棚大座敷、奥は二之間、その奥は納戸座敷ここは数寄屋風だとか雛人形? 何故かお内裏様(男雛)ばかり屋根にも特徴が下の段は木羽葺屋根、杉を柾目に沿って薄く割った材を引き詰めたもの上段は石置木羽葺屋根で、木羽葺屋根に石を置いたもの石置木羽葺屋根の模型、当屋敷に使われている置石は一万五千個池泉回遊式庭園回遊式庭園なので、周りを歩いて楽しめる筈なのに、立ち入り禁止に池泉鑑賞式庭園になっていたのは残念二階からの眺め関川村役場です、渡邊邸HPに「関川村役場駐車場をご利用ください」とありましたので、利用させて貰いました関川村から村上市に移動光浄寺の山門です曹洞宗のお寺さん山門脇の仁王様本堂、そう言えば鐘楼がないですね小さなお寺さんですから本堂内部、こじんまりしてますが、綺麗に整頓されていて良い感じこう言う装飾の名称は? 欄間とは違う? 額?輝く観音様、「御前立」です涅槃図、螺鈿細工?涅槃図? 曼荼羅?シルクロード画家「平山郁夫」画平山郁夫画 其の二庭は裏山を借景に住職の奥様、「こんな所に、何しに来たの?」って、怪訝そうな顔でしたが、このお寺が「にいがた庭園街道」の載っているですよ!同じ村上市に在る普済寺曹洞宗のお寺さん、本堂池泉回遊式庭園築山からの眺めが良いです池には蓮、時期・時間が悪いのか、花は咲いていません裏山を借景に「花の寺」の別名があるのですが、この時期は咲く花は乏しいですね電気柵で守っています、守る作物は? 守る相手は? 猪?今宵の宿は、月岡温泉に、宿の池の鯉宿の置物、小粒のカボチャ? ー 2日めに続く ー
2023.08.30
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丑寅の二人旅 第100弾 駿河と伊豆 2日目 7月14日昨日は沼津のKKR(国家公務員共済組合連合会)の宿に宿泊国家公務員でなくても一般人でも泊まれます(国家公務員など組合員は安く泊まれますが)旧沼津御用邸の隣です2日目は沼津から伊豆半島の首部分を西から東に横断して熱海へ余談ですが、伊豆半島首部分の横断、おそらく十国峠と思われる辺りから熱海に下る道の勾配凄いですセカンドでのエンジンブレーキだと全然足りません、、ローでのエンジンブレーキです熱海観光は一点集中で起雲閣だけです大正時代の建物で、熱海三大別荘の一つ所有者は3人変わっています当初は純和風、途中から洋間が追加されました暖炉の備えた洋間ローマ風呂シャンデリア、昭和20年頃から別荘から宿に変わりました山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、舟橋聖一、武田泰淳など文豪・小説家も多く滞在。坪内逍遥の似顔絵現在は熱海市の所有の文化財窓ガラス越しの松窓ガラス越しの庭と別棟窓ガラス越しの・・・・窓ガラス越しの・・・・窓ガラス越しの・・・・今気づきましたが、駿河・伊豆、松が多いですね、三保の松原の影響?この庭は、古い建物が映(うつ)ると映(は)えますね起雲閣の貸出ギャラリーで開催されていたアニメ作家月岡貞夫展駿河・伊豆は富士山近傍、走行中大きく見えた時もありましたが、全て霞んだシルエットだけ下の写真もシルエット ー 第100弾 「駿河と伊豆」 終了です ー
2023.07.14
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丑寅の二人旅 第100弾 駿河と伊豆 初日ー2 7月13日龍華寺から西に走り、三保半島は名勝三保の松原でございます有名ですが、「松が生えているだけじゃないの?」と言う感覚がないでもないですね松が群生して生えているこの景色、ちょっと違和感が。林とか森とかは、山とか起伏のある場所とか、岩のごつごつした場所での鬱蒼とした木々の印象があるので、平坦な砂地での群生にちょっと違和感が。なので、松林でなく松原なんですね羽衣の松(三代目)三代目って、三人目の天女様ここで裸におなりあそばされました?ではないですね三代目の松、横から石に祈願を、石絵馬松原の先は駿河湾そして、これが三保の松原 全景(半景?)東西に7km、3万本の松「神の道」、御穂神社に続く500mの松並木近くに最近出来た文化センター「みほしるべ」があります三保の松原から更に西に走ります由比本陣公園ここもまだ静岡市清水区です由比宿、東海道16番目の宿場、当時は本陣(大名が宿泊する施設)1軒と脇本陣1軒、旅篭屋が32軒、そこそこの宿場でした何故か溝には亀が亀本陣公園は4つの施設御倖亭、東海道広重美術館、東海道由比宿交流館、芝生広場御倖亭は明治天皇が小休なされて離れを復元したもの玄関には何故か「さるぼぼ」の置物左の大きなのは「さるぼぼ?」、 手前右は「這い子人形」つるし飾りは、花・エビ(桜エビ)伊豆稲取の「つるし雛」「吊るし飾り」みたいですね建物自体はそれほど大きくはないです茶室「結仁斎」枯山水、小堀遠州作枯山水、小堀遠州作御倖亭の前の庭「松榧園」東海道広重美術館企画展「広重か 北斎か」が開催中浮世絵に刺激を受けたゴッホの作品(上下とも右側がゴッホの油絵)本陣公園近くの土産物店の門前に置いてあった人形 ー 2日目に続く ー
2023.07.13
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丑寅の二人旅 第100弾 駿河と伊豆 7月13日駿河と伊豆、駿河は大河ドラマ「どうする家康」でタイムリーな場所、現在の静岡県中部辺りですね。浜松を中心とする西部は三河、東部は伊豆となるのかな?最初は日本平ですが、「日本平って何なの?」日本平は神話まで遡ります、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征でこの地を平定し、山の頂上から四方を眺めたところから「日本平」と呼ばれるようになったと言われていますが、それでもやっぱり「何なの?」です日本平の花、紫陽花は時期を過ぎて、萎れてます日本平の百合、こちらは今が旬日本平の謳い文句は茶園越しに仰ぎ見る富士山、眼下に見える清水港、伊豆半島、三保松原、駿河湾、静岡市街地、南アルプスのパノラマビュー要は360度の美しい眺望・絶景「眼下に見える静岡市街地」は鈍よりした曇り空では「眼下に見える駿河湾」もこの日の唯一の「眼下の眺望」は駐車場(日本平ロープウェイの駐車場)最近出来た日本平の名所「日本平 夢テラス」ラウンジと展望テラス展望回廊は木(木組み)を基調に展望回廊を下から眺めると、木組みが分かります「赤い靴」の像、赤い靴履いてた女の子と母親日本平の南側に久能山東照宮があります上述の日本平ロープウェイで結ばれています標高は日本平が307m 久能山東照宮が216mなので、ロープウェイで降りていくことになります何年か前に久能山東照宮参拝した際、カーナビ設定ミスで南の参道入り口に到着し、1159段の階段を汗だくで上る破目にそれでも、駿河湾と名産の石垣苺ファームを眺めながらの参拝登山も良いものでした次は 観富山龍華寺(りゅうげじ)庭と蘇鉄とサボテンが有名なお寺さん樹齢300年以上と推定される大サボテン大仙人掌(だいさぼてん)、「大きな仙人の手」、読み方と漢字の意味が上手く合ってます行啓門、昭和天皇(皇太子時代)がご参拝された際、山門から庭に行かれるように、その為だけに拵えた門龍華寺の直ぐ外は、静岡市清水区の市街地石の顔を描いたり、さながら石の絵馬手前が祖師堂、向こうが本堂祖師堂の内陣・須弥壇何故かすごく明るい(結構暗い所が多いのに)蘇鉄です、山門を入ってすぐ、背の高い2本の蘇鉄至る所に蘇鉄が「境内の蘇鉄雄株は、日本で最古最大で国の天然記念物に指定されている根廻6mで、樹齢1,100年と推定される。雌株は、根廻4mで樹齢800年と推定される」との事ですが、どれがそれなのか?これがそれなのかも?お寺さん自慢の庭園「観富園」定番の池も配置されています低いながらも風情のある、盆栽的な松、なにやら名前が付いていたみたいな須弥山式庭園と言うらしいですが、裏手の小山を須弥山に見立てているのかな?庭から山門の眺め日蓮上人と梵鐘、龍華寺は日蓮宗のお寺です蓮が咲いていましたこちらも蓮山門 ー 初日の2に続く ー
2023.07.13
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丑寅の二人旅 番外編 いろは親水公園 6月17日紫陽花が見頃だと言うので「いろは親水公園」に来ました名もなき花、違います、名は有ります、名前を知らないだけ雑草、違います、雑草と言う花・草はありません新河岸川、濁っています、それと流れが遅い、何故?新河岸川、向こうは市役所 紫陽花、青です土が酸性だと紫陽花は青い花を咲かせますこちらは赤、アルカリ性の土壌なので赤い紫陽花赤ですが、少し薄い、中性に近いアルカリ性?紫陽花ロード道の右側(新河岸川サイド)は赤、左側は青、土壌の性質が違うのかな?多分酸性・アルカリ性の肥料を使い分けたのでしょうね 柳瀬川、この先で新河岸川に合流 ー 番外編 「いろは親水公園」 終わりです ー
2023.06.17
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丑寅の二人旅 第99弾 長野・飯山・野沢温泉村 2日目2日目の最初は飯山雪深い事で有名な飯山、一時期日本一の積雪記録を持っていたのでは?飯山線です、越後と信州を結ぶそれなりの幹線でしたが、北陸新幹線が出来てからは本数がめっきり減ったみたいです雁木通り、雪深い街ですから別名「仏壇通り」、その名の通り両側に仏壇店が並んでいます3-4軒に1軒は仏壇店みたいな飯山仏壇は有名、写真の仏壇は百六十万円・百七十万円「寺の町」としても有名、46か所のお寺さんがあります称念寺です称念寺の牡丹称念寺の芍薬妙専寺の新緑、称念寺の隣綿花ですね高橋まゆみの人形高橋まゆみ人形館は休館日だったので、飯山ふるさと館で展示されていた人形飯山市から野沢温泉村へ13km20分ほど麻釜(おがま)、100度の熱泉湧き出している源泉野沢温泉村の道、迷路です左右斜めに上下が組み合わさって、上下が入ると、左右を間違えると元の下の道に簡単には戻れないみたいな野沢温泉村から東に走り、新潟県の津南・十日町を通り関越道の塩沢石打インターに出ます55km1時間の新緑の中のドライブです途中の道の駅で購入した「くちなし」、走行中車内に匂いをプンプン振り撒いていました2・3日したら黄色に変わってきました、それが普通なのですか? ー 第99弾 長野・飯山・野沢温泉村 終了です (次回は第100弾です)ー
2023.05.17
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丑寅の二人旅 第99弾 長野・飯山・野沢温泉村全国旅行支援が7月末まで延長されていますが、殆どの地域で予算が枯渇したみたいですなので、宿泊費支援も地域クーポンも貰えません色々事情があるのでしょうが、最初のGoToトラベル以降、宿の料金が軒並み値上がりしているみたい20-25%、一泊二食付きで3-4千円程度上がっている感触です最初は長野市は善光寺浄土真宗・日蓮宗・臨済宗等々に属さない無宗派のお寺さん三重塔かと思いきや、結構新しい建造物、日本忠霊殿、戊辰戦争以降の英霊を祀っています姿が三重だから三重塔と言っても良いのかも山門ですこちらは本堂、国宝ですまぁ多くのお寺さんでもそうなのですが、本堂内部はNo Photography今時本堂内部の写真なんかネットに溢れているのだから、禁止しても意味ないのに善光寺の躑躅松と山門松と躑躅と鐘楼松の向こうに大きな地蔵さん半分枯れたような枝振りが見事かな???六地蔵さん、向かって右端の地蔵さんだけが片膝を立ててます求めがあれば、直ぐに助けに出られるように片膝を立てていらっしゃるのです善光寺仲見世通り信州名物「おやき」各種「漬物」昔は樽から量り売りでしたが、今は樽に真空パック仁王門仁王門の直ぐ外、宿坊街みたいです門前を木立で覆うのですね宿坊街・仲見世・境内の順序ですか?善光寺の隣、長野県立美術館・東山魁夷美術館今回の特別展は「超絶技巧」、その中から「木彫りの烏賊のスルメ」観光は長野市・飯山市・野沢温泉村ですが、宿は新潟県妙高高原、距離は38km1時間ほどの新緑の中のドライブです妙高山、手前はゲレンデ ー 2日目に続く ー
2023.05.16
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丑寅の二人旅 第98弾 埼玉で花見 初日-2長瀞には10か所近くの桜スポットが北桜通りは先ほど散策したところ、南桜通りは長瀞駅から反対側に1.5kmに200本のソメイヨシノ通り抜けの桜も有名ですが、八重桜が主体なので、未だ開花していません宝登山参道はソメイヨシノで今が見頃、宝登山神社の枝垂れ桜はピークを過ぎていますちっちゃな桜のトンネルと言うのもあります岩田桜は薄紅色の新種、井戸の桜並木も見頃これから行く法善寺の枝垂れ桜はエドヒガンの変種法善寺の枝垂れ桜です小さな山門エドヒガン、ちょっと紅色が入っている? 変種?確かに僅かに紅色桜の幹は結構黒いので、白い花とのコントラストの妙鐘楼と花と緑と池と濃いピンク桜ではない、何ですか?長瀞の花見、今回は北桜通りと法善寺の2か所某情報サイトの埼玉県桜名所ランキング、長瀞はNo.8ですが、バリエーションが多く楽しめる点では権現堂に負けてないですね明日は秩父市に3月29日: 清雲寺、枝垂れ桜の名所全景を狙ってみましたが、収まりきらなかった多くの紅と白が乱立(クリックで拡大します)アートなアングルを狙って白いのはエドヒガン、早咲きなので幾分ピークを過ぎています樹齢600年のエドヒガン、少し緑、葉が出始めています紅いのはベニシダレ、遅咲き、今が満開ピーク大小30本の枝垂れ桜があります青空にベニシダレが映える雲水に扮してのロケ、TVではなさそう、雑誌かパンフレット?一つの樹に紅白の花、源平枝垂れ桜かな?山門と枝垂れ濃い紅を接写、 ベニシダレ? ハナカイドウ?紅と黄色「埼玉で花見」、幸手市権現堂公園・長瀞・清雲寺の3か所、その他候補地は:本庄児玉のこだま千本桜は権現堂を選択したのでスキップ東秩父村の桃源郷「花桃の郷」は5日遅かった秩父の「美のやま公園」は開花したばかり ー 第98弾 「埼玉で花見」 終了です ー
2023.03.29
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丑寅の二人旅 第98弾 埼玉で花見3月28日: 異常に早い今年の桜の開花「早すぎるかな」と懸念していたら、何と「遅いかも」に変わりました最初は幸手市の権現堂公園の桜堤の桜朝の8時、既に屋台が出揃っています駐車場には続々と車が入ってきます権現堂公園の桜、埼玉県の桜の名所ランキングNo.1(某情報サイトで)桜堤1kmに1000本のソメイヨシノどちらに行こうか迷ったランキングNo.5の本庄児玉の「こだまの千本桜」は5kmに1100本ゆっくり遠くまで散歩したい人は「こだま」、ギュッと凝縮されたのが好きな人は権現堂1㎞続く桜堤です2週間ほど前のアド街ック天国・幸手市で、幸手市民が口を揃えて「幸手市?何もない、何もない、あるのは権現堂公園だけ、権現堂公園」幸手市、人口減少が続いているらしいです、唯一自慢の権現堂公園(クリックで拡大します)「夜明けには晴れる」の予報に反して霧雨が降り続いていますなので未だ人は少ないです、多くの人が車の中で、雨が止むのを待っている状態ソメイヨシノは満開 週末の25・26日も既に満開で絶好の花見タイミングだったのですが、両日とも雨、昨日の月曜日は晴天、今日も晴天の筈が一向に雨が取れません桜の密度が高いのと、大きく育った桜なので迫力満点(クリックで拡大します)堤の下は全国の有名処の桜を植樹しています吉野山のシロヤマザクラ、伊豆の河津桜、高遠のコヒガンザクラとか権現堂花見のもう一つの目玉、桜と菜の花の競演現在の時間9時40分、雨は上がりましたが、どんより曇ったまま、「青空と桜」とならなかったのが残念です続いて長瀞、若干渋滞に巻き込まれたので、到着は12時15分漸く晴れて、青空です長瀞の花見スポットは10か所近くあって、ソメイヨシノ、八重桜、枝垂れ桜と種類も多く開花・満開時期もずれますここは主にソメイヨシノの「北桜通り」、今が満開(クリックで拡大します)長瀞駅から続く全長2.5kmの通りに400本のソメイヨシノ青空に桜が映えます、花見は晴天に限ります権現堂はソメイヨシノと別区画で菜の花だけ、対して長瀞は桜と他色々が混在黄色いのはレンギョウですねモクレンでしょうね所々に見かけます、紅い花、ハナカイドウでしょうか黄色ですが・・・「北桜通り」終点の高砂橋の下を「長瀞ライン下り」が通ります ー 初日ー2に続く ー
2023.03.28
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番外編2023/22023/2/12 東京ドームシティ「世界らん展2023」です 胡蝶蘭ですねランの中で唯一知っている名前 目立ちます、格好良いです 華やか ウツボカズラみたい? コブラ(何とか)ですフラワーデザイン、一種の活け花ですか? フラワーデザイン2フラワーデザイン3小石川後楽園 梅小石川後楽園 梅2宝憧寺 梅宝憧寺 梅2 ー 番外編2023/2 終了です ー
2023.02.12
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丑寅の二人旅 第97弾 近江へ、紅葉は駄目かな? 3日目近江、滋賀県なので琵琶湖米原市の青岸寺です微かに紅葉が残っています小さな山門、地面には紅葉が落ち葉に最近新装した小ぶりな前庭小さな地蔵さんですが、身に付けているのは結構な袈裟石の折り鶴鬼瓦と臼みたいな手水と祠狸、信楽焼、立派な袈裟評判の庭園、 枯山水でしょうか?角度を変えて良い庭ですが、少し小さいですね灯りで飾りを本堂に木魚可愛らしい置物、本堂の隣の部屋に喫茶室を拵えていました、抹茶だけでなく珈琲も提供します全国旅行支援二人で二泊したのでクーポンは12,000円土地の土産物だけではナカナカ消費出来ないので新米を買いました ー 第97弾 近江へ、紅葉は駄目かな? 終わりです ー
2022.12.08
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丑寅の二人旅 第97弾 近江へ、紅葉は駄目かな?12月7日2日目の最初は西明寺、(金剛輪寺・百済寺と合わせて湖東三山)小さな白い花を咲かせている不断桜黄色い実は千両実は葉の上に付きます赤い実は万両実は葉の下に垂れ下がります万両ですね西明寺、苔が良い趣を出してます池泉回遊式庭園、この角度が書院から眺めるベストな構図、緑と石組みの妙庭の後部の築山を少し登った位置からのショット更に築山頂上から池・書院を眺める構図個人的にはこの構図が一番好きです本堂から境内を眺めたショット本堂から国宝の三重塔を眺める殆ど唯一残った紅葉西明寺から近江八幡に移動します近江八幡の近江商人の繁栄を支えた水路(八幡堀)沿いにある「瓦ミュージアム」前の小路、瓦が埋め込まれていますこちらが瓦を焼いた「だるま釜」、レプリカですが八幡瓦として名を馳せて、大いに売れたみたいです何故近江八幡で瓦なのか?琵琶湖で取れた泥土が藻を含んで瓦に適したとか、本願寺の屋根の葺き替えで大量の瓦需要があったからとか言われています。八幡堀巡りをしますここが船着き場・乗り場・受付船頭さん、この日は冷え込みました、なので古典的な泥棒さんスタイル堀の水は結構澱んでます、清流ではありません西の湖を経由して琵琶湖に通じた水路(堀)、近江商人の繁栄を支えました、堀沿いには蔵が残されています柑橘系の樹国指定の重要文化的景観ですが、生活が第一なので、洗濯物干し国の「重要文化的景観」第1号に認定されています近江商人の出自は大雑把に言うと近江八幡・五箇荘・日野の三箇所近江八幡は八幡堀があるので、それだけで近江商人足跡を喧伝できます近江商人屋敷跡・街並みを整備してアピールしている五箇荘に向かいます当時の屋敷が保存されていますお目当ての屋敷跡中江準五郎邸は、本日から数日「貸し切り」の貼り紙、入れません多くの人が撮影機材を運び込んでいて、何やらロケみたいです仕方がないので、日野に向かいます「今日は春夏冬中です」=秋がない=あきない=商い中です「蟻が十匹ございます」=蟻が十(とお)=ありがとう=有り難うございます近江日野商人館です右の獅子舞、手を叩くと踊り出しました日野近江商人の最初のヒット商品が「漆塗りのお椀」「漆塗り」と言うと高価な贅沢品と言うイメージですが、この日野のお椀は廉価品江戸の金持ち向けでなく、江戸の外側、多摩・秩父・武蔵・上州・下野・常陸辺りの農村・農家を対象に販売しましたお椀の次は薬、和蘭・清からの原料・技法を入手していたのかな?算盤は6玉盤ですねお椀・薬・その他の行商で財を成した日野商人は多摩・秩父・武蔵・上州・下野・常陸に支店を開設、地元の米・麦からの加工品産業を展開米からは酒、麦からは味噌を製造近江日野商人館の庭、屋敷の元々の主は山中兵右衛門因みに三大商人は大阪商人・近江商人・伊勢商人江戸っ子がやっかみ半分で言った言葉が「近江泥棒に伊勢乞食」余談ですが、本当の江戸生まれの江戸育ちは「江戸っ子」とは言わず、神田育ちなら「神田っ子」、麻布なら「麻布っ子」と言ったらしいとの説も江戸っ子と自称したのは似非江戸っ子新宿・品川は江戸の大外なので「---っ子」と自称するのは、ちょっと恥ずかしいかったかも2日目の最後は苗村神社珍しい茅葺きの楼門、これを見たくて来ました国の重要文化財です御神馬舞台みたいです、神楽を舞って奉納するのですね苗村神社、創建は900年代らしいです御祭神の那牟羅彦神 那牟羅姫神小さな太鼓橋、渡ると言うよりも一跨ぎ出来そうなこの前で馬から降りて徒歩で参拝する為の「下馬橋」でしょうか?これは、有名な諏訪大社下社春宮の下馬橋です ー 3日目に続く ー
2022.12.07
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丑寅の二人旅 第97弾 近江へ、紅葉は駄目かな?全国旅行支援がスタートして、紅葉最盛期の11月中下旬の宿が取れません12月6日出発になってしまいました最初は兵主大社、滋賀県野洲市ですが、遠かったです6時間30分掛かりました。718年創建、主祭神は大国主神立派な楼門、足利尊氏が寄進狛犬ですが、怪我(ひび割れ)の包帯かと思いましたが、願い事が書かれた襷が巻かれていました花手水、本来は花を浮かべているのですが、季節柄クリスマス・バージョンに裏庭の小さな小さな畑兵主菜・兵主蕪ほんの少し、紅葉、名残の紅葉本殿です、庭から眺めた本殿評判の庭園、池泉回遊式ですが、池の水が澱んでいるのが残念です紅葉も殆ど枯れてしまったので、時期が悪かったですこの後、琵琶湖に突き出た樹冠トレイルに行く予定でしたが、2時間近く遅れてしまったのでパスして宿に向かいます。 初日の観光は兵主大社だけ ー 2日目に続く ー
2022.12.06
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丑寅の二人旅 第96弾 山梨県は都留と甲府そして 9月29日今回は山梨県、県民割りだと、どうしても近場に県民割りが貰える地域は、埼玉県・千葉県・群馬県・栃木県・神奈川県・山梨県・長野県、基本的に県境で接している県が対象あれっ、神奈川県は接していない、例外?最初は都留市、山梨県の南東部に位置します、富士山の北東(クリックで拡大します)田原の滝大雑把に言うと3段の滝綺麗な3段の滝ですが、綺麗すぎて、一部に人の手が(人工)?それと川の流れが落ちて滝になっている本流とは別に、川の横岸からも水の流れが(赤丸部分) 多分、伏流水(湧き水)の流れでしょうね2段目上部ですが、綺麗に整った石組み芭蕉が田原の滝を詠っています「勢ひあり 氷消えては 瀧津魚」 なので当時(1680年頃)は自然の滝だった筈長慶寺、小さなお寺さん梅花藻、白い小さな花、清流に育ちます、流れていないと駄目なのかな?長慶寺の境内(上の写真赤丸部分)です都留市は湧き水の里、富士山の伏流水が至るところから湧き出て、小川・水路を勢いよく流れていますこの水路では2方向からの流れが交錯しています長慶寺水源、梅花藻が群生ニジマスの養魚場これも湧き水を利用元気くん1号小水力発電、市役所の敷地内にあります昔の風景を意識して木製の水車元気くん2号元気くんシリーズで最大の発電を誇ります元気くん3号近未来型小水力発電、水流が少なくても効果的に発電できる効率の良さのポイントは、螺旋型水車複数のスクリュウが螺旋状に連なって、水流を捉えます元気くんは、堀みたいな小さな家中川に設置されています都留市から隣の忍野村に移動します(クリックで拡大します)四季の杜おしの公園小池邦夫絵手紙美寿館ですTBSの番組プレバトで俳句・水彩画などに並んで人気な絵手紙絵手紙を現在の様な形にしたのが小池邦夫らしいです(クリックで拡大します)絵手紙美術館に岡田紅陽写真美術館が併設されています岡田紅陽は富士山の写真を撮りまくっています、1000円札の絵柄になった「本栖湖からの富士山」は同氏の作品ですこの後山中湖花の都公園に寄りましたが、お目当ての「遅咲きヒマワリ」先週か先週末の台風の直撃で全滅、全て倒れたとのことで撤去され跡形もありませんでした富士の樹海、青木ヶ原に向かいます富岳風穴富士山の噴火、流れた溶岩、ガスが抜けた後の洞窟気温は年間3-10°C 天然の冷蔵庫実際に冷蔵庫として使われ、絹の元になる蚕の卵を冷蔵貯蔵していましたひかり苔、緑白、綺麗です溶岩の大地樹海に生える樹の根は、何故か上に出てくるらしいです9月29日はここまで9月30日です甲府市の武田神社武田信玄の躑躅ヶ崎舘の跡地に作られました能舞台があります今年は寅年、風林火山の大盃金木犀と柘榴甲州市のハーブ庭園旅日記何故かハロウィンの装飾河口湖です、最後に河口湖ミューズ館・与勇輝の人形に癒やされ旅を〆ました ー 第96弾 山梨県は都留と甲府そして 終了です ー
2022.09.29
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丑寅の二人旅 第95弾 奥利根は、みなかみ、川場に沼田 8月16-17日群馬県の県民割りを利用しての利根川の上流地帯「奥利根」旅行、町としては、みなかみ・川場・沼田です最初は利根川上流域に架かるダム巡り「利根川上流9ダム」、最深部に矢木沢ダム、最も西には有名な八ッ場ダム、一番東に渡良瀬貯水池など九つのダム利根川上流と言っても、利根川の支流、片品川・吾妻川・渡良瀬川など利根川本流に注ぐ支流にダムは架かっています季節柄みなかみ町に入ると、平荷台に10人乗りみたいな大きなゴムボートを6隻も重ねて積んだ2tトラック?(軽トラではなさそう)が何台も走って行きますラフティングのボートです、ラフティング終了後のボートを上流までトラックで戻すのですね、結構大変ですね利根川上流域、ラフティングのメッカ、至る所にラフティング基地があります何故か須田貝ダムですカーナビをネイチャービュー矢木沢に設定したのに、須田貝ダムに来ちゃいました須田貝ダムはダムの天辺「天端」に登れないのでスキップするつもりでしたが、来ちゃいましたので、鑑賞しますカーナビではネイチャービュー矢木沢に案内してくれないので、次善の策で奈良俣ダムへ奈良俣ダムの天辺です天端(堤の上)を歩ける筈なのですが、通行止めになっていました奈良俣ダム、下からの眺め石を積み上げたロックフィル・ダム、堤の高さは158mロックフィル、遠くから見ると綺麗に整然と積まれていますが、近寄ってみると、結構不揃いな石が積まれていますそれと隙間のないコンクリートではないので、草が生えています。 もう一度矢木沢ダムに再挑戦、先程の須田貝ダムを通り越してその先に進むと、「ここからは水資源機構管理道路で、一般道路ではありません」の標識がだけど、通行禁止の標識はなく、一般道路用の道路標識も普通にあるので、そのまま走る事20分矢木沢ダムの天端です放水路ですね天端から下を覗いて、通路? 階段?梯子っぽいですね、保守用の梯子、怖そうダムの花形、アーチ、綺麗です(クリックで拡大します)「ダム湖百選」なんてあるのですね小さな実ですが、葉っぱは栗これから大きくなって立派な毬栗になるのかな?藤原ダムも有名で、行こうか行かまいか迷っていたら、「えっ 藤原ダム?」藤原ダムの天端を車で通過していましたみなかみ町のダム巡から川場村の青龍山吉祥寺に山門です仁王様ですが、ちょっと醜男っぽいこっちもブスですね 風鈴お詣り犬カエル何? 小僧さん逆行で・・・、 如来さま? 大黒天・・・・釈迦堂の如来様釈迦涅槃像釈迦涅槃像には眼を閉じられたのと開けられたのがありますが、開けておられました如来様と多くの観音様木魚石庭っぽいですね、名称は「臥龍庭」臥龍庭を違う角度から石を組み合わせた、枯山水でしょうか?裏に回れば、池泉鑑賞式庭園庭も自慢のお寺さんですが、石庭・枯山水・池泉庭園、ごちゃ混ぜ?「恋人の聖地」と書かれています、お寺さんなのに?ハートの窓、恋人の聖地ですから本命は「花の寺 吉祥寺」なのです咲いてはいるのですが、この時期8月中旬、咲き誇る感ではないですこの時期の一番は蓮の花蓮の花は朝ですね、2時過ぎのこの時間はかなり駄目です川場村から沼田市に移動沼田市一番の名勝「吹割の滝」(ふきわれ)(ふきわり)どちら?滝の入口には土産店豊富なメニューですが、全部あるのかな?吹割の滝広範囲の滝は、ドローンで上空から撮影したいですね(クリックで拡大します)亀太郎日本一? 世界に誇る? 沼田の河岸段丘らしいですが、良く分からないですね? 広すぎるからなのでしょうか?写真のアングルも悪いのですが、実際に見たのも同じ様でした沼田の河岸段丘、15万年の造作らしいです ー 丑寅の二人旅 第95弾 奥利根 終了です ー
2022.08.16
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丑寅の二人旅 第94弾 秩父と奥武蔵で、お寺に蛍に6月24日-2最後のお寺さん、能仁寺、飯能市市街にあります山門です仁王門の仁王様、目隠し気味になっているところも多いのですが、ここはハッキリ見えました中雀門中雀門から本堂を眺めましたオブジェ、意味するところは? 分かりません本堂です子供観音様能仁寺はお庭が自慢緑も濃い時季なので映えます(クリックで拡大します)池泉庭園ですが、池泉鑑賞式か? 池泉回遊式か? 舟遊式ではないですね最後は紫陽花で締めますもう一つ予定していた長昌山龍穏寺はパスしました奥武蔵の山歩きの名所「顔振峠」の近くで、少し山深いところです ー 第94殿 秩父と奥武蔵で、お寺に蛍に 終了です ー
2022.06.24
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丑寅の二人旅 第94弾 秩父と奥武蔵で、お寺に蛍に6月24日昨夜は秩父上町で蛍狩り暗くて分からなかったのですが、小川と覚しきところに淡い光が乱舞光が淡すぎるのか? 写真には全く写りませんでした今日は秩父でなく奥武蔵のお寺巡り、最初は竹寺、正式な名称は医王山薬寿院八王寺です竹に囲まれたところに石灯籠とトーテンポールみたいなものこちらは何やら不気味な、アンデスの木乃伊か仮面みたいな竹細工、作品名「平和の鐘」眺望の良い場所に竹筒6本、どうやら「覗きなさい」と言うことみたいです覗いても、こんな感じでした竹細工その2竹細工その3竹寺は武蔵野三十三観音霊場の33番札所何ですかね? 花を模した吊し飾り秩父三十四ヵ所は有名ですが、ここの武蔵野三十三観音霊場それと狭山三十三観音霊場の三つを合わせて「武蔵の国百観音」らしいです合わせて100になるようにお寺さんの数を選んだのかな?竹林、山の中腹に拡がっています、麓まで続いていそうな、通称竹寺の由縁ですねそれにしても立派な竹、孟宗竹御本尊の牛頭天王(牛頭明王)、(本地仏は薬師如来様)牛頭天王は神仏習合の神様、竹寺は神仏習合ですひときわ目立ちます(クリックで拡大します)苔むした地蔵さん、居眠りしてたら苔むしちゃった本堂らしからぬ本堂竹筒、本堂脇にありました地蔵さん? お爺さんとお婆さん? 森のこびと?茶屋ですね、お茶を頂きました名物「炭火焼きだんご」を焼きます藁で編んだ座布団の上に灰を敷いて五徳を拵えて竹の鳥居、神仏習合で、竹は売るほど生えてますこちらは朱の鳥居、素材は竹?茅の輪、牛頭天王と並んで竹寺のシンボル(クリックで拡大します)神仏習合ですが、神の方が強め?茅の輪を上から眺めました本殿です鬱蒼としてますここで標高490m創建857年ですから、かなりの古刹トーテンポールみたいな弁天池、そこにあったのがモリアオガエルの卵卵から孵化したオタマジャクシは池に落ちる仕組み以上竹寺、インスタ映えしそうな面白いお寺さんです ー 24日-2 に続く ー
2022.06.24
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丑寅の二人旅 第94弾 秩父と奥武蔵で、お寺に蛍に 23日-2笹戸山長泉院(札所29番)道路から境内への参道ですお庭は枯山水ですね枯山水と池泉庭園、どちらも捨てがたい枯山水は虷・蚊の心配がないですね何ですかね? 石に人の顔、後の枯れた樹本堂です白壁一面に千社札が貼られています本堂賽銭箱の上、三度笠かと思いましたが、3人の娘さんですね本堂御本尊の左手前に、葛飾北斎作「桜花図」本堂の外、こちらは何と! 「脱衣婆」睡蓮の花が咲いていました長泉院手前で見かけたので行ってみました浦山ダム ー 2日目に続く ー
2022.06.23
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丑寅の二人旅 第94弾 秩父と奥武蔵で、お寺に蛍に 6月23日 今日の蛍狩りは夜8時頃、梅雨の最中なので雨が心配朝から霧雨が降ったり止んだりしています最初は秩父の美の山公園、桜と紫陽花の名所標高500m程度の山の斜面に紫陽花が(クリックで拡大します)今は雨は止んでいますが、かなり濃い霧がかかっています紫陽花は未だ三分咲きでしょうか? 2日後の25日(土曜日)は、この山で紫陽花ウォーキングが予定されていますが、満開とはならないみたいですね紫陽花の後はお寺巡りです秩父の巡礼は「秩父三十四ヵ所」札所10番大慈寺、こぢんまりとしたお寺さん山門です本堂絵馬が吊られていますが、何やら絵馬らしくない絵がそれがコチラアニメ「ここさけ」(心が叫びたがってるんだ)のキャラらしいです、大慈寺がアニメの舞台の一つらしいです何年か前のアニメ「あの花」(あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない)の舞台も秩父の札所17番の定林寺でしたそれにしてもタイトルの略し方「ここさけ」「あの花」、感性が違います六地蔵様大慈寺から車で8分、野坂寺(札所12番)山門への参道山門です、これが凄いです山門の中、中央に「あずかり観音」山門の中、右側に「牛と十牛観音」 山門の中、左側に「色々な神様、風神・雷神・山ノ神など」こちらは「あずかり観音のお背中」山門裏側です本堂、山門からの眺め龍を彫った虹梁、向拝虹梁ですね本堂内部、手前にあるのは木魚? 吊し飾りも御本尊が輝いています(クリックで拡大します)境内も見所が盛り沢山おそうじ小僧さんふっくらしたお顔のふれあい観音でっかい絹莢(さやえんどう)みたいですがこれは何の実?鳥居です、お寺さんなのに? 神仏習合ですね六地蔵、それぞれ人文字が記されています、「空」とか六地蔵残りの3体それぞれの干支の人達を守護する如来様・菩薩様が並んでいました ー 23日-2に続く ー
2022.06.23
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丑寅の二人旅 第93弾 笠間に潮來に、茨城です 2日目昨夜の宿は千葉は外房の先端(犬吠埼)近くの旭市宿からの九十九里浜のオーシャンビュー昨日のいばらきフラワーパークは地理的には茨城県のほぼ真ん中、そこから銚子市まで100km程その間高速道路殆どありません首都圏・関東、普通100km走るならば高速道路あるのですが、流石茨城ですか九十九里、犬吠埼近くの屏風ヶ浦海食崖の地形、高さ40-50mの崖(黄色丸)が海岸に沿って10km続きます(赤丸)イギリスのドーバー海峡の崖に似ているとかで、東洋のドーバーと呼ぶとか呼ばないとか潮來に向かいます利根川です潮来アヤメ園、利根川と霞ヶ浦に挟まれた水郷地帯に少し西には千葉県の佐原アヤメ園が咲いていますが、満開手前かな?アヤメ祭り5/20-6/19の最中利根川の支流、そこから更に水を引き込んだ運河ですか潮來花嫁さんもどきで、12橋巡りに白・青それと斑のアヤメいずれがアヤメか?カキツバタ(杜若)?アヤメ祭り5/20-6/19なんですが、今咲いているのは全て花菖蒲(しょうぶ)ですアヤメはアヤメ園には少しだけで、それも5月上旬に咲いて終わっていますコチラは蓮? 睡蓮?分かりにくいですが、これは睡蓮潮來の伊太郎ぉお、ちょいと見なればぁー、薄情そうな渡り鳥ぃ潮來から鹿島神宮へ楼門は日本三大楼門のひとつ創建はハッキリしませんが、600年代とか??仮殿です、1618年に本殿建て替えの為に一時的に神様に住んで頂いた御殿今でも仮殿と呼ばれています奥宮に続く奥参道、鬱蒼とした森が良い趣GoToトラベルの地方版「県民割り(ブロック割)」を利用しました予約サイトでの適用は少し分かりにくいですね ー 第93弾 「笠間に潮來に、茨城です」 終了です ー
2022.05.26
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丑寅の二人旅 第93弾 笠間に潮來に、茨城です最初は笠間、笠間稲荷神社日本三大稲荷の2番目? 3番目?1番は京都の伏見稲荷大社、続いて愛知の豊川稲荷、そして佐賀の祐徳稲荷神社豊川稲荷は稲荷神社でなく、圓福山妙嚴寺と言う立派なお寺さんですなので、三大稲荷神社となると豊川稲荷は外れます楼門です、 お寺さんは山門、神社は楼門楼門を守る右大臣それと左大臣、お寺さんの山門には仁王様ですね楼門を入って直ぐ横に御神木の胡桃の木境内の真ん中に拝殿拝殿の後(定番の配置ですが)、本当に裏に、本殿拝殿に比べ相当年季が入ってます、かなり古い、重要文化財ですね稲荷神社なのにお狐さんが少ないと思っていたら、ありました狐塚それと矢っ張り狛犬ならぬ狛狐絵馬でなく絵狐おみくじも狐笠間稲荷自慢の「八重の藤」、1ヶ月ほど遅かったです神社前の門前町笠間のもう一つの名物「笠間焼」笠間稲荷から車で4分、笠間芸術の森公園公園内には笠間工芸の丘・茨城県陶芸美術館・陶の杜・あそびの杜・水辺の広場・笠間陶芸大学など笠間焼を中心とした施設があります謂わば定番の登り窯の模型何故か陶器でなく石のモニュメント空を見上げる童 焼き物ではないですよね、石ですよねネコ? 虎?陶芸美術館に入ります何だ? 人かな? 襞のあるスカートタイトルは「スプーン(女)」魔女、魔女のお后を連想しました嫌いじゃないけど、何もイメージできませんタイトル「遠くを見る」・・・・!寄生? 吸血? 吸血エイリアン?「ふかふか」?美術館を出て「陶の杜」へ「溶岩流れて固まる」(勝手な連想です) 「怒った筍」(勝手な連想です)「渦巻きの出会い」(勝手な連想)「クワイ暴れる」(勝手な連想)20点近いモニュメントがあるのですが、広くて疲れたので途中で断念笠間焼工房には行きませんでしたが、ギャラリーは覗きましたが、いまいち笠間焼の特徴は分かりませんでした今薔薇が見頃と言う事なので、急遽追加した「いばらきフラワーパーク」へ900台駐められる駐車所がほぼ満杯です仄かにピンク白薔薇アーチかなり深紅に近い手折っちゃ駄目ですよ!大きな黄薔薇関東でフラワーパークと言えば、藤の足利フラワーパークが有名ですが、薔薇も負けてないですね ー 2日目に続く ー
2022.05.25
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丑寅の2人旅 番外編 近場の花・木 2022年4月2日コロナで永く旅行に出られてませんGoToが再開すれば、GoToが再開すれば、GoToが再開すれば、GoToが再開すれば、近場を散策しました曇天の桜並木桜並木、曇天だと後の欅(?)、若葉がかなり出てきてます、 桜と若葉染井吉野、手前の赤いのは?曇天の桜並木源平枝垂、八重なのかな?東洋錦、木瓜(ぼけ)の種類ですか?十二単、 これも木瓜の仲間染井吉野が終わり、八重桜です番外編 近場の花・木 終了です
2022.04.02
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丑寅の二人旅 第92弾 あじさい坂 6月28日緊急事態宣言からも蔓延防止地域からも外れたので、近場の小旅行へTVの番組で観たからなのか、「あじさい坂」が記憶にあったので栃木県栃木市の太平山(標高343m)に在る太平山神社への参道も一部としたあじさい坂へどうやら此処があじさい坂の入口みたいです(クリックで拡大します)あじさい坂入口にある六角堂(連祥院六角堂)あじさいの鉢植えですが、売り物ではなし、ある程度育ったらあじさい坂に植え替えるのかな?鳥居なので参道の始まりかもちょっとした坂道、両端にあじさいがあじさい、一応今が盛りでしょうねなだらかな階段、急な階段併せて1100段らしいです(クリックで拡大します)なだらかな階段が続きます梅の実が落ちてました、時期ですね、今が、梅干しを漬ける時期ですテニスのお友達、先日5kgの梅を漬けたらしいですあじさいと百合、百合ですよねあじさい坂・参道途中にある弁財天の祠?吊し物風鈴・色即是空・恋人の木、何の事やら?急階段其の一、太平山神社の随神門への階段急階段其の二、随神門から神社境内への道あじさい接写其の一あじさい接写其の二あじさい接写其の三紫陽花接写其の四琵琶の実接写太平山神社への潜り道太平山神社御本殿茅の輪です 何故か最近茅の輪を良く見かけます 流行ですか?今回の旅、紫陽花鑑賞と温泉(栃木県喜連川温泉:日本三大美肌の湯)とお食事超豪華ではありませんが、一応形通りの会席料理先付4点お造り、少しグレードアップ揚げ物・焼き物・蒸し物・煮物台の物はしゃぶしゃぶコロナが下火になったらGoToトラベルは再開でしょうか? ー 第92弾 あじさい坂 終了です ー
2021.06.28
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丑寅の二人旅 第91弾 県を跨がず埼玉で 2日目4月26日: 長瀞ライン下りを予定していましたが、荒川渇水の為、岩畳周遊になるとのことなので、予定変更、「あしかがフラワーパーク」へなので、「県を跨がず」が「県を跨いで」になりました紫藤にポピー芍薬大長藤、フラワーパークのシンボル(クリックで拡大します)白藤トンネル紫藤のカーテンおおでまり白藤カーテン競演、紫・白・ツツジ競演、緑も参加 ー 第91弾「県を跨がず(跨いだけど)埼玉で」終了です ー
2021.04.26
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丑寅の二人旅 第91弾 県を跨がず埼玉で4月25日: 本日時点では緊急事態宣言対象地域でもマンボウ対象地域でもないのですが、一応県を跨がないでおこうと言う事で、やって来たのは嵐山町の杉山城跡最近NHKの番組「最強の城スペシャル」で、この杉山城を「山城の教科書」と紹介していました城跡へは嵐山町立玉ノ岡中学校敷地の片隅を通りますお城の入口大手口の手前は個人の所有の竹藪、「筍を採るな!」立て看板が今が旬の筍がアチコチに、筍に巻かれた紐はこれから収穫する目印? だけど、この筍は育ちすぎですよね地面から顔を出した程度の、これが採り頃ですね杉山城、築城時期はハッキリしていませんが、戦国時代らしいです建造物は残っていません、石垣は元々なかったみたいです土塁・切岸・郭跡・虎口が主な遺構郭(居住・倉庫・防衛陣等のスペース)から急角度で切り落とした斜面「切岸」と郭への入口(虎口)ですこのアングルでは、人が歩く細い道、切岸、複数の段違いの郭、郭への入口(虎口)が良く分かります郭と郭の間の木橋があった場所、敵が攻めて来たら木橋を外します本郭(本丸)跡、城の一番奥で高いところ外郭、敵が攻めて来た時、最初の戦いの為の兵士を集結させます確かに戦国時代初期の山城の構造が分かる模範的な遺構でしただけど、朝早かった事、コロナ禍もあって、観光客誰とも会わなかった、 知名度未だ未だ低い駐車場に戻ると他に車が2台来てました嵐山町から行田市に移動、埼玉(さきたま)古墳群です最初は丸墓山古墳、直径105m、高さ17.5m、円墳としては日本最大丸墓山古墳頂上から下を眺めました古墳頂上はソコソコ広く平坦、直径105mは底辺ですね丸墓山古墳頂上からの遠方の眺め、赤丸は忍城赤丸の忍城の拡大、忍城は小説・映画の題材となった「のぼうの城」「のぼう」は「でくのぼう」の「のぼう」逆側から見た丸墓山古墳(クリックで拡大します)二つ目は稲荷山古墳形は前方後円墳、赤の矢印が「後円」部分、緑の矢印が「前方」部分「前方」の麓からの眺め稲荷山古墳の「前方」の頂上から「後円」(赤丸)を眺めました「前方」と「後円」の間は括れています今度は「後円」から「前方」を眺めました稲荷山古墳、長さは120m、「前方」幅82.4m/高さ9.4m、「後円」直径62.6m/高さ10.4m「後円」の上は平ら、この下に石室・棺がありましたどうやら前方後円墳では、石室・埋葬は「後円」部みたいです埼玉古墳群、9個の古墳があります、古墳の上に登れるは、丸墓山と稲荷山の2カ所だけ将軍山古墳の「後円」部内部に造られた展示館、副葬品も含め埋葬の様子を模した石室も再現されています古墳の整備事業は1973年に始まりましたが、それ以前は小高い丘・森状態で、知らない人が見たら、古墳とは気付かなかったでしょうね稲荷山古墳なんかは、「前方」部は完全に削り取られて消失していましたここ埼玉県行田市埼玉(さきたま)は、埼玉(さいたま)の県名の基になった場所らしいです忍城の御三階櫓、小説「のぼうの城」の題材秀吉の小田原攻めの際に、忍城も小田原北条氏の同盟軍と言う事で、石田三成に水攻めされましたが、領民等が夜に水攻めの堰を壊すなど援助した事もあって、最後まで持ち堪えました北条小田原城が落城した後に降伏・開城熊谷市に移ります熊谷市、埼玉県北部の大きな市、それなりに有名な市ですが、これまで高速で通過するだけ市内を観光するのは始めて妻沼聖天山歓喜院、日本三大聖天の一つらしいですが、そもそも聖天が何たるかを知りません貴惣門、3つの屋根の破風からなる珍しい様式らしいですが、そんな事は知らなかったので、屋根の妻側(横)から撮影していないので、見られません土俵です、土俵って、奉納相撲と言うぐらいですから、本来は神道・関連関連仁王門、本殿、本堂・御本尊、狛犬、仏教と神道ごちゃ混ぜ、神仏習合です御本殿、神社そのものですね(妻沼聖天山歓喜院は、名前からしてお寺ですね)青矢印は拝殿、緑矢印は中殿、赤矢印は奥殿御本殿は国宝です拝殿の正面奥殿の三方の周囲(屋根・壁・軒)絢爛豪華な彫刻が施されていますこの御本殿の建造には日光東照宮を建造した棟梁の関係者が係わったみたいです(クリックで拡大します) ー 2日目に続く ー
2021.04.25
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丑寅の二人旅 第90弾 紅葉と歴史・文化を福島・栃木で 3日目11月19日:栃木県は足利市です鑁阿寺(ばんなじ)、1197年に足利義兼が創建した真言宗のお寺元は足利氏の宅邸堀と橋と山門のバランスが良い塩梅国宝の本堂(赤丸)、御本尊は大日如来様、覗きましたが見えなかったです鐘楼とモミジ多宝塔とモミジとイチョウと鑁阿寺の隣、足利学校です幾つかの門がありますが、これは「学校門」「学校門」の脇、これは矢来ですよね侵入者を阻む為? 今で言う「有刺鉄線」こちらは講堂足利学校、日本で一番古い学校ですが、その創建に就いては諸説在って、定まっていません一番古いとされる説では、平安時代初期、ハッキリしているのは1432年に上杉憲実が足利領主になってから学校の再建に尽力した事です南庭園北庭園字降松(かなふりまつ):学生が読めない文字に出会ったとき、それを紙に書いて、この松の枝に括り付けておけば、和尚が振り仮名や注釈を付けてくれたらしいです宥座の器(ゆうざのき)、2本の鎖でぶら下げられたバケツ目一杯に水を入れるとひっくり返って、全ての水が溢れます「程々を知る」「中庸」を教えたらしいです ー 「第90弾 紅葉と歴史・文化を福島・栃木で」終了です ー
2020.11.20
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丑寅の二人旅 第90弾 紅葉と歴史・文化を福島・栃木で 2日目11月18日: いわき市の北西部、夏井川渓谷ですゴツゴツした白い岩で出来た渓谷20km程続いているらしいですが、車を止めるところと、渓谷に降りるところが見つからず、右往左往川のところまで降りて、川伝いに数百m歩けば、赤丸の滝の袂に行けたのですが・・・いわき市から本宮市(郡山市の北)に移動花と歴史の郷 蛇の鼻です四季折々の花をメインとした庭園ですが、それにしても、凄い名前ですね「蛇の鼻」 地名から来ている名前らしいですが、「矢の花」から「蛇の鼻」に変化したみたいですモミジが今盛りです池に映る(鏡面)紅葉を狙ってみました(クリックで拡大します)菊の時期でもあるので、菊の品評会も大きなモミジ、「秋の女王」との銘が幹周り2m、国内最大だとか晩秋の薔薇薔薇と紅葉のコラボを狙いました(クリックで拡大します)コチラは公園の一角にある「蛇の鼻御殿」の敷地、石塔「蛇の鼻御殿」の玄関「蛇の鼻御殿」駐車場、何故か「キングコング対ゴジラ」が ー 3日目に続く ー
2020.11.19
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丑寅の二人旅 第90弾 紅葉と歴史・文化を福島・栃木で、 初日-2白河市からいわき市に移動します最初は、中釜戸のシダレモミジ(枝垂れ紅葉)国指定の天然記念物です(クリックで拡大します)大小二つの樹です、 幹がクネクネで瘤もボコボコ、そして枝が見事に枝垂れていますどうやら突然変異らしいです、種としてはイロハカエデですシダレモミジ、観音堂の敷地に生息午前中の陽があたっている時間だったら、もっと見応えがあったのに残念です歩いて5分程度のところに、8台程度止められる駐車場があります同じくいわき市、国宝 白水阿弥陀堂1160年に建立、正式には願成寺 白水阿弥陀堂となりますいわき市屈指の紅葉の名所、モミジの赤とイチョウの黄色のコラボ写真右のお堂が白水阿弥陀堂、これが国宝、中には阿弥陀様が本堂は、少し離れたところにあります池の畔に2体の仏様、左の仏様、お顔が溶けたみたいに、チョット怖いのですけど池の鴨さん、ほかに亀さんもいっぱい今宵はいわき市に泊まります、GoToキャンペーン利用して、最上級会席を土瓶蒸しの中身、地鶏・蟹爪・真鯛、出汁はメッチャ濃くて美味しかったのですが、出汁が出た後の具は、やっぱ食べるものではないですね ー 2日目に続く ー
2020.11.18
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丑寅の二人旅 第90弾 紅葉と歴史文化を福島・栃木で11月17日:今回の福島県の主戦場は南部のいわき市と白河市、いわき市はスパリゾート・ハワイアンズのフラダンスで全国区になってます私個人としては、「いわき市石炭・化石館ほるる」が好きです一方の白河市は影が薄いですね最初は白河市の南湖公園一応福島県での紅葉の名所ランキング10位に位置します、今モミジが見頃の真っ赤なんと、南湖公園、日本最古の公園と言われています「公園なんて、平安時代でも奈良時代でも、若しかしたら縄文時代でもあったのでは、空き地・野っ原で子供が遊べば公園じゃん」と思うのですが、公園制度は、1873年太政官布告により定められました、南湖公園はそれ以前の1801年に松平定信によって造成されており、第1号認定されたみたいです。南湖公園に併設されている日本庭園「翠楽苑」、池泉回遊式庭園です池・泉が在って、庭を歩き回りながら楽しむ庭園松が際立っていますモミジと緑と水の流れ茶室です 障子で模様付け茶室玄関、お迎えの活け花茶室床の間ではないですね、兎に角活け花こちらは床の間のメインの活け花、茶室らしい「花入れ」これが翠楽苑自慢の眺め、茶室からの眺めがベストになるように造られています(クリックで拡大します)南湖公園に建つ南湖神社の紅葉続いて、白河小峰城ですさほど有名なお城ではないですが、南北朝時代の1340年に結城親朝が築城ですから、結構古いお城です城主は目まぐるしく変わっています、秀吉の時代は蒲生氏・上杉氏・蒲生氏、江戸時代に入ったら、丹羽氏・奥平松平氏・阿部氏等7家21代が城主に 江戸幕府にとっては、奥羽地方からの敵を迎え撃つ拠点だったのですね。1868年戊辰戦争で落城焼失石垣が高く、いかにも堅牢、凸凹がなく整形されています(クリックで拡大します)お城からの白河の街並み白河市での最後は、白河の関奥州三関のひとつ、他の2つは鼠ヶ関(ねずがせき)(山形県鶴岡市)と勿来関(なこそのせき)(所在地が分かりません、諸説あって、存在自体を疑問視する声も)白河関は陸羽国に通じる東山道の要衝に設けられました関所は丘の上にあったみたいです、今は雑木林「土塁跡」こちらは、「空堀跡」どう見ても、街道から少し離れた丘の上で、土塁があって、空堀があって、箱根の関所とか中山道の関所みたいに、街道を塞ぐ様には設けられていません??? 砦だったのでは? 不思議です芭蕉の像、西行もこの関を訪れたみたいです再現された関所番屋の「人見女」白河関の森公園になってますので、児童公園も併設長い滑り台 ー 初日-2に続く ー
2020.11.17
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