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街のいたるところで、沈丁花が咲いている紅い花…白い花…寄せ合うようにしている小さい花その花々は零れんばかりの香りを湛えている“もうそんな季節なんだ…”甘ったるい香りに擽られた自分は、春の訪れを感じていた沈丁花は大好きな香りのひとつだから今の季節は、街を歩いているだけで幸せな気分になるここのところずっと忙しいし、仕事上のトラブルもあり、最近は精神的にダメージを受けているけれども、こうして大好きな香りに包まれると、安らぎを貰い、癒され、そして心が落ち着くイライラして荒んでいても、バタバタとしていて余裕が無いと思っていても、季節の香りに気づき、またそれを楽しむ心を持っているまだまだ自分の心には余地があるようだひょっとしたら、沈丁花の香りがそのことに気づかせてくれたのだろうか?素敵な素敵な季節からの贈り物めいいっぱい香りを吸い込んで、今日も頑張ります!
2010年03月09日
今日は良い天気身体を動かしていると、汗ばむぐらい近所に1本だけある河津桜は、この陽気に誘われたわけではないが、一足早く春を告げるべく、キレイな花を咲かせているそんなポカポカ陽気に包まれて、寝不足気味の自分は、ちょっとボーっとしていたすると、傍にいた知人がボソッと一言「今日は、春の匂いがする…」叙情的な台詞など言うような彼ではないので、その言葉はなんだかおかしかったと同時に、思わずクンクンと鼻を働かせ、匂いを探したん?別に何も春らしい匂いなんかしないじゃん彼曰く、なんとなく春の匂いがしたとのことなんとなくねぇ…この陽気だから、春は感じるけどさ春の匂いって、一体どんな匂いかな?たぶんね、人それぞれなんだと思う自分は、植物から季節を感じることが多いそうだなぁ…沈丁花の香りを見つけると、春だな!って感じるまだ時期的にちょっと早いけれどね暖かさも手伝ってか、すっかり気分だけは一足早く春が訪れているようだ
2010年02月09日
9月28日(月)の日記自分は、霊感は無いし、勘が鋭いわけでもないけれども、今日は、なんだか変な感覚を自分のなかで覚えていたうまく言葉では説明できないのだが、今から自分が取るべき行動に、悪い予感がしたのである好くない事が起こる…その結末が、自分の頭のなかに描き出されていた今まで幾度となくやり慣れていることそれなのに、今日に限ってなぜこのような不安感に苛まれるのだろうか?こんな感覚、そう滅多にあることではない好くない事が起こりそうな時に感じることを“虫の知らせ”というが、それなのだろうか?とはいえ、不安を抱える明白な理由、根拠など何一つないあくまでも自分の感覚のみ今更自分勝手な思いだけで予定を変えることはできなかったので、一抹の不安を抱えたまま行動をうつしたその結果…好くない現実が自分を待ち構えていた頭のなかに思い浮かんでいた、シナリオ通りの展開自分の不安がものの見事に的中したのである不安が的中したことによる驚きと不気味さ、それを回避することができなかった苛立ち、最悪の結末を迎えたことによる悲壮感といった様々な感情が、自分のなかで激しく渦巻いていたあの胸騒ぎは、こうなることを知ってのことだったのか誰かのお告げか?それとも潜在している自分の第六巻が働いたのか?今となっては、そんな事考えても仕方の無いこととりあえず、この事態をなんとか収拾しないと…
2009年10月01日
私生活のなかにおいて、歌を聞くことがあまりない自分だが、久しぶりにCDを買ったシンガーソングライター・佐藤隆氏のベストアルバム佐藤氏は、歌手としての活動のほかに、作曲家として、谷村新司氏や研ナオコ氏といった色々な歌手の方に楽曲を提供していて、高橋真梨子氏のヒット曲「桃色吐息」の作曲も手掛けた方佐藤氏の曲を知ったきっかけは、テレビドラマの主題歌自分が見ていたドラマのテーマ曲としてラストに流れていたのだが、その旋律は、不思議と自分の中に何の抵抗も無くスーッと入り込んだそれから、佐藤氏の歌はドラマの主題歌として何曲か起用されているのだが、不思議とこれが自分が見ているドラマだったこともあり、かなり昔の話なのだが、何回も耳にしていただけあって、その旋律は未だに記憶の片隅に留まっているそれからかなりの年月が流れ…自分でもどういう心境なのか分からないのだが、ふと、佐藤氏の歌が聞きたくなって、長い年月を経た今、CDを買ったアルバムは、ゴールデンベストというだけあって、往年の名曲がズラリ自身のヒット曲でもあり、佐藤氏の歌を知るキッカケとなった「マイ・クラシック」をはじめ、「エスメラルダ」「カルメン」「12番街のキャロル」「失楽園」「黒い瞳~アモーレ・ミオ」といった代表曲、それから楽曲を提供した「桃色吐息」を自ら歌うといった、てんこ盛りの内容久しぶりに聞いたけれど、どの歌もいい曲ばかり甘い歌声とドラマ性に富んだ旋律が絡み合い、ちょっと陰の部分がある、憂いを秘めた独特の世界観を作り出す車のなかで繰り返し繰り返し聞いているそれにしても、音楽って凄いね曲を聴いただけで、その当時の時代のことが、色鮮やかに蘇ってくる楽しかった思い出、甘酸っぱい思い出、ほろ苦い思い出…あの時代は良かったな…なんて、追憶に浸ってます
2009年08月03日
指って記憶する力があるのかな?パソコンのキーボードを叩くとき、自分のなかで意識しなくても、打ちたい文字のところまで自然と指先が動いてくれるきっと、感覚的に指が覚えているに違いない最近、ノートパソコンを買ったところが、それからというものの、どうも調子が悪いいや、パソコンの調子が悪いんじゃなくて、調子が悪いのは自分の指先というのも、今まで使ってきたキーボードとキーの配置が異なるのが原因今までどおりに指が覚えている感覚に任せていると、まったく関係のないキーを押してしまい、気づくとパソコンの画面上には意味不明な言葉が羅列しているのであるなので、ここのところ、指先を確認しながら文字を入力しているので、打ち込むのにやたらと時間がかかる指先が覚えこんだ感覚は、そう簡単には切り替わることができないみたいけれども、そのうちこの新しいキーボードにも慣れてくれるはずだよね?それまでは、キーボードと画面を睨めっこします
2009年07月29日
降りしきる雨のなか、1輪の花菖蒲が咲いていた淡い藤色をした花菖蒲薄く透きとおった花びらが、今にも千切れそうなぐらい、激しい雨が降り続き、花びらを揺らしているその花菖蒲は、祖父の形見生前、祖父がとても大事にしていた花菖蒲だ祖父が亡くなって今年で3年毎年欠かさず、この時期になると優雅な花をいつくも咲かせる今年も美しい花を咲かせたたくさんの蕾をつけているので、これからしばらくは楽しませてくれることだろう花開いた花菖蒲を見て、亡き祖父の面影を見た人間、死んでしまうと肉体は滅びてしまうが、思いは人の心のなかでいつまでも生き続けるものだから、悲しいんだけれど、不思議と悲しくはない花菖蒲の花が、なんだか家族のことを見守ってくれているような、そんな気がした
2009年05月29日
マイナスイオンを放出する植物として、一時期テレビ番組で取り上げられたことから、人気の観葉植物の仲間入りをした『サンセベリア』マイナスイオンの効果としては、ストレス緩和、疲労回復など人体の生理作用を促進させたり、体内の酸化物質をアルカリ性に中和する働きをもっていると云われている果たして、サンセベリアを置いたところで、どれほどの効果があるのかは知らないが、一時の過熱ともいえるブームは去ってしまったものの、今でもサンセベリアの人気は高い自分の部屋にもサンセベリアを飾っている普通のサンセベリアとは違い、細く長く伸びるスタイリッシュなシルエット名前を“スタッキー”というサンセベリアを部屋に置いているのは、別にマイナスイオンを欲しているからではない元々は知人のプレゼント用に買ったのだが、自分が欲しくなってしまい、そのまま部屋に置いてしまったのだ一風変わったシルエットが気に入ったのであるサンセベリアは、とにかく手がかからないのがありがたいたまにお水さえあげれば育ってくれる買ったときはそれほど大きくなかったスタッキーだが、今では、一番伸びているもので、自分の胸元あたりの高さにまでなっているそれに、脇から新しいものも出てきて本数も増えた成長はさほど早くはないようだが、確実にどんどんと大きく育っている大きく育っているということは、それだけマイナスイオンも放出されているということなのかな?マイナスイオンの効果のほどを肌身で感じることはないが、植物に癒されていることは間違いない
2009年05月13日
今日は母の日日頃の母の苦労を労わり、感謝の気持ちを表す日とされているその感謝の気持ちを表すものとして、もっともポピュラーなものが、カーネーションの花ということで、今日は朝からバタバタと忙しい日を送っています去年から続く不景気の流れのなかで、果たして花を買っていくお客さんはいるのだろうか?そんな一抹の不安もなんのその、母親に対する感謝の気持ちは色褪せないのか、それともイベント好きの人種ゆえなのかはわからないが、カーネーションは飛ぶように売れていくでも、やはり財布の紐がかたくなっているのか、安いカーネーションの方が売れ行きはいいみたいまぁ1本贈ろうが、50本贈ろうが、感謝の思いに変わりはないかお客様が花を真剣に選んでいる様子を窺っていると、皆母親を大事にする気持ちは一緒なんだなぁ…と、なんだか嬉しくなってしまい、胸が熱くなる思いが身体のなかに宿った一人で訪れてきた男性が居心地悪そうに花を選んでいる姿は微笑ましいし、お父さんと一緒に花を選んでいる子供の姿は、こちらまで心が温まってくる母親に対するたくさんの愛が、そこには溢れていたこれだけ愛されているだなんて、お母さんって幸せ者だね家事に育児、家族のために休むことなく一家を支えるのはとても大変なことだけれども、家族の皆はものすごく感謝しているんだ、きっとでもその気持ちは、年に一回の母の日にだけ伝えるのでは少なすぎかもしれない日頃から感謝しなくちゃね「ありがとう」そんなたった一言の言葉でも思いは伝わると思うな慌しく過ごしたせいもあってか、あっと言う間に時間は過ぎた達成感からか、不思議と心地よい疲労感が身体を侵しているそんななか後片付けをし、自分の母に渡すためのカーネーションを売れ残ったもののなかから選び出すと、車をスタートさせた帰り道のなか、流れる車窓のなかから東京タワーが見えた今東京タワーは、2016年東京オリンピック・パラリンピック招致活動の一環で、『ダイヤモンドヴェール』と題して日によってライトアップが変わっている今日の東京タワーはピンク色をしている母の日だからかな?関係ないかちょっと車を停めて、東京タワーが間近に見える公園で休憩ひんやりとする夜の空気が気持ちいいその公園では、ピンク色の薔薇が見事に花開かせていたピンクの薔薇に、ピンク色の東京タワー色彩から受けるイメージかもしれないが、その景色には愛が満ち溢れていた街のいたるところで愛が溢れかえっているさてさて、自分も早く帰って、愛を母に注ぎますかそうそう!その前に、ちょっと買いたいものがあったんだ夜遅いけれど、まだ売ってるかなぁ?車に乗り込むと、夜の街を疾走するのであった
2009年05月10日
こんなに気分が穏やかでいられるのは、久しぶりのことようやく慌しさから開放された、安堵からきているのかもしれないそして、大きな仕事が一段落ついたこともあり、充実感と達成感で自分の心は満たされ、不思議と躍動する想いを胸に、自分はただただ幸せを感じていた特別に何か起こるわけでもない平穏な日その平穏であるということがどれほど幸せなことなのか、今自分は改めて気づき、それを噛みしめているこんなことで幸せを感じるだなんて、安っぽいかもしれないでも、そんな当たり前のようなことを当たり前と思わずにいられる自分の幸福感は、これからも大事にしていきたい幸せは、いくらでもすぐ自分のそばにあるのであるただ、それに気づくか、気づかないかだけのこと幸も不幸も、すべては自分の心持ち次第なのだ【人はつねに自分の幸福を望むものだが、 つねに幸福を見分けることが出来るわけではない】(フランスの哲学者・ジャン=ジャック・ルソーの名言より)
2009年03月22日
部屋に飾っているポスター白と黒が印象的な“ダリア”の花結構大きなサイズで、大胆な構図でインパクトがありながら、飾っていても不思議と煩く感じることはないモノクロの世界は、色から情報が伝わってこないだけに、自分のなかでイマジネーションが膨らむ白と黒、光と影…一見すると相反するもの同士が織り成す世界は、単純のようで奥が深く、そこには、美しさ、華やかさ、哀しさ、したたかさといった様々な表情が秘められている同じ画を見つめている筈なのに、自分の感情によって捉え方が変わってくるのだ自分は、このダリアの画を見ていると、なんだか慰められているような気がする優しい気分になったりと、すごく気が静まるまた、気が競っていたり、不安定なときに目を向けると、落ち着くし、諌められるこれは、淡く優しいモノトーンの色彩もそうだが、一本の筋を通したように直向きで凛とした佇まいをしているダリアの花姿の力強さも影響しているのだろうこのポスターは、一目見た瞬間に何か惹かれるものを感じ購入した自分のなかで欠けているもの、求めているものを満たすべく、必然的に選んだのかもしれない花首を下向きにしているダリアの画を見ると、肩の力が抜けて楽になる胸を張って前を見据えているダリアからは、力強さ・逞しさを分け与えてもらっている花一輪の画でも、さまざまなドラマ性がそこにはあるそこから、何かを感じ、自分の糧として吸収している
2009年03月20日
「切花は残酷だから好きじゃない」と、初老の男性に言われた「自然に咲いている姿が、本来の花の美しさ」だというのだ仰るとおり大地にしっかりと根を張り、咲いている花を切ってしまうだなんて、人間のエゴかもしれないでも、それぞれの花の美しさを活かしながらの花束やアレンジを作る花屋の仕事は自分は好きだ花の命は短いだからこそ、その限られた美しさを大事に、大切にしたい野に咲く花も、花瓶に活けられた花も、同じ花には変わりない花たちは精一杯誇らしげに咲き、我々の胸に何かを語りかけるのだ「キレイだな」「いい匂い」なんでもいいと思う花からのメッセージに耳を傾けたとき、花は天寿を全うすることができるのではないだろうか【命というものは、はかないからこそ、尊く、厳かに美しいのだ】(ドイツの小説家、トーマス・マンの言葉より)
2009年03月08日
天気予報で花粉情報を流していたもうそんな時期なんだそういえば、自分の周りの花粉症の人たち、鼻をグジュグジュさせていたっけ幸いにも自分は花粉症ではないのだが、こればっかりはいつ発症するかわからないそうだから、戦々恐々ですワさてさて、花粉症に悩まされている我が社の社長は言った「ユーカリを売れ」と…“ユーカリ”とは、オーストラリア原産の常緑高木のことなぜ、今の時期にユーカリなのかというと、それは花粉症と関係しているユーカリは花粉症に効くと言われているからだシルバーと緑色を混ぜたような色合いをしている、丸みを帯びたユーカリの葉からは、たしかにスパイシーな独特の匂いが発せられている自分はこの花材が好きで、よく好んで使用するのだが、その匂いはわりと強めで、花束などつくるときに手にすると、掌に残り香が移るほど匂いを嗅いでいると効きそうな気もするのだが、ただユーカリを飾っているだけでは効果は殆どない葉を乾燥させて香のように焚くと、心地よい香りで花粉症の症状が和らぐんだとかしかしながら最も効果的なのはユーカリのエッセンシャルオイルで、殺菌作用が高く、風邪の予防や、花粉症の緩和に効くと言われているいくら花粉症の季節だからといって、確証もないのに“花粉症に効く!”だなんて謳ってユーカリを売ることはできないよそれに、そこまで仰るんなら、社長ご自身の花粉症の症状を和らげるために、デスク周りにユーカリ並べたらいかがですか?社長のクシャミを遠くに聞きながら、そんな事を思う今日この頃…
2009年02月16日
ここ数年、年賀状は年が明けてから書いている年末は仕事に追われているので、とてもではないが年賀状を書いているような悠長な時間が無いのだというのも、自分は年賀状を1枚書くのに時間がかかるそれなので、年が明けて落ち着いてから書くようにしている例年通り、今年も年明けに年賀状を書いたちょっと遅れて自分のところへ届いた方への年賀状を、今日書き終えたところ年賀状は買いそびれてしまったので、今年は、干支である牛のポストカードを代用した牛の鼻がどアップの、なんともおとぼけ感が漂っている感じが、すっごく気に入っているこれに、新年の挨拶と、一言二言、三言四言とメッセージを書いて、あとはちょっとした花模様の貼り絵をペタペタと貼り、新年の賑やかさを醸し出させて完成!そう、年賀状にあれこれ書いたり貼ったりして時間がかかるので、年末の慌しさのなかでは年賀状を書く気にはなれないのである毎年、毎年、年賀状が遅れてゴメンナサイその分、一筆入魂ではないけれど、思いをこめて書いているので許してください年賀状…年を重ねていくにつれて、届く枚数も徐々に減ってきている裏返してみると、子供の写真がデザインされているものが多い年を経るにつれ、成長していくお子さんの姿を見ると、“もうこんなに大きくなったんだ…”と、否応にも年月の流れの早さを感じずにはいられない今ではすっかりとご無沙汰していて、年賀状だけの付き合いとなっている方が多い自分のなかでは、昔の記憶で時間が止まっているのだが、それぞれが家庭を築き、仕事に励み、着々と人生を歩んでいるそんな年賀状を見ていたら、なんだか自分だけ取り残されているような気がしてならなかった「元気ですか?」「近況教えてください」プリントされた年賀状に添えられている、何気ない一言普段はまったく連絡を取らない間柄、年に一度だけの縁の繋がりを確認するとき一見すると社交辞令のような気もするが、それでもこうして年賀状が届くということは、とても嬉しい「元気にやっています」そうペンを走らせる自分その言葉に嘘偽りは無い…
2009年01月07日
桜の樹の下を歩いていた赤茶色に色づいた葉は殆どが落ち、衣を失った樹は、寒そうに枝を張り巡らせている春のときの華やぐ景色からは想像できないほど、今はうら寂しい風景が、目の前に広がっていたふと見上げると、風に吹かれたか、はらりはらりと、桜の葉が舞い散っていた手をのばすと、掌のうえに、赤々とした葉がふわりと着地した役目を終えたばかりの葉に、愛おしい眼差しを送るフーッと息を吹きかけると、その葉は、地面一面に広がる仲間たちのもとへ、ひらりひらりと散っていった今日の空は、どんよりとしていた灰色をしたあつい雲が、空一面を覆っている肌を刺すようなひんやりとした風は、モノトーンの世界を創り上げていた周りを見渡せば、木々は色づき、秋色が深まっていて、セピア色をしているそんな、何か物悲しい色の世界を前にしているせいか、“寂しいなぁ…”と、自分の心の中にすきま風のようなものが吹くのであった秋から冬へと、色が褪せていく儚い風景その季節の移ろいは、自分の心をセンチメンタルにさせる哀愁だの、感傷だの、黄昏といった、ちょっと寂しい感情を抱くことが多い自分としては、虚しさが広がる今のこの季節感が好きどこか哀愁漂う空気のなかに身をおいていると、自分に素直な気持ちになれる気がするからだいま、色々なしがらみや思惑に引っ掻き回されてウンザリしているところなので、しばしこの静寂のなかに包まれて、体のなかに渦巻いている汚れを落とします
2008年12月02日
今週は、火曜・木曜・金曜と新宿で舞台鑑賞そして、今日も新宿…って、どんだけ新宿に来てんねんッ!と、我ながら思うほど、この一週間は新宿に足を運んでいる今日新宿に来たのは、芝居見物ではなく、コンサートのためちょっと趣向を変えて、津軽三味線の演奏を拝聴するというのも、今月の初め、スペイン舞踊を観るために新宿文化センターを訪れた際、同会場にて津軽三味線のコンサートが催されることを知ったからだ津軽三味線には以前から興味があったし、安い席であれば2000円と、チケットが手頃な価格だったので、手始めにちょっと世界を覗いてみるには丁度いい機会だと思ったのである今日の津軽三味線のコンサートは、 『疾風』というユニット『疾風』は、津軽三味線の奏者として有名な“吉田兄弟”の弟、吉田健一氏がプロデュースしている数年ほど前からの津軽三味線ブームにより、注目はされたものの、演奏を披露する場はまだまだ少なく、津軽三味線のプロとして活動していても、生活していくだけの収入を得るのはかなり難しいとのことまた、流派という枠組みがあるなかでは、奏者たちの交流の場も少ないのだそうそんな現状を打破すべく、若手奏者たちが流派を超えて、そこに集まったもの同士が切磋琢磨することで津軽三味線界の底上げ、さらには何か新しいものが生まれるのでは?…といった想いが、この『疾風』というユニットを誕生させた(公演プログラムより引用)『疾風』は結成されて、今年で3年を迎えるそうなのだが、メンバー全員揃ってのコンサートは始めてとのことメンバーは、女子高生を含む、20代とフレッシュな面々とはいえ、各人は津軽三味線の大会において、数々の優秀な成績を収めている次代を担う若者たち羽織袴の姿は凛々しく、力強い撥捌き、そして華麗な指使いの演奏は圧巻で、見る者を十二分に魅了する力量を備えているカッコエエなぁ…曲の調べに合わせて、ライディングも凝っていて、ただただ、純粋に見惚れてしまったコンサートは2部構成となっており、1部では疾風のメンバー6人、そして2部からは、プロデュースしている吉田健一氏も演奏に加わる演奏曲は、疾風のオリジナル曲や、吉田兄弟の曲、疾風のメンバーたちの出身地にちなんだ民謡のメドレー、“津軽あいや節”や“津軽よされ節”といった津軽五大民謡など津軽三味線の従来の枠に捉われない現代調の曲は、津軽三味線の音色でありながら、ギターにも似た感覚があり、違った表情を覗かせてくれてなかなか新鮮だっただが、やはり津軽三味線といえば、“津軽じょんがら節”だろう1部の最後と、カーテンコールで演奏された津軽じょんがら節の、聞き覚えのある旋律が自分の耳に届いてくると、魂は揺さぶられ、身体が震え上がった冬の厳しい荒波を思わせるような、叩きつけるような激しく力強い撥捌きそこから繰り出される音色に、津軽三味線の醍醐味を見たような気がした凄いね迫力あるワ圧倒された彼らのユニット名“疾風”のごとく、ほんとパワフルなコンサートだった吉田健一プロデュース『津軽三味線 疾風―HAYATE』出演/小山内薫/永村幸治/柴田雅人/柴田佑梨/柴田愛/白田路明/吉田健一(スペシャルゲスト)
2008年11月22日
カラッとした陽気に、秋を感じる肌寒い空気を肌に受けて、秋を感じる空を見上げ、うろこ雲を見ると秋を感じる夕暮れが早くなって、秋を感じる夜明けが遅くなって、秋を感じる風に吹かれて地面を転がる、落ち葉のカサカサとした音を耳にして秋を感じる草むらから聞こえる虫の音色に、秋を感じるお彼岸の忙しさに追われながら、秋を感じる曼珠沙華が咲いたら、秋を感じる梨を食べて、秋を感じる松茸は見るだけで、秋を感じるいたるところで、秋の気配を感じる“もう秋になったよ…”耳元で、そんな風に囁かれたような気がした食欲の秋読書の秋芸術の秋楽しい秋胸弾む秋せつない秋愁う秋儚い秋ついつい感傷的になってしまう秋静かな秋暮れる秋染まる秋燃える秋美しい秋どことなく哀愁に満ちた秋は、自分のありとあらゆる感情をかき乱す泣いて、笑って、また泣いて…胸をギュッと締めつけられるようなせつない思いになったかと思えば、清々しい気分になったりする“女心と秋の空”なんて言葉があるが、秋の空のように自分の心もコロコロ変わる冬は透き通っていて好き春は麗らかで好き夏は暑いから嫌い秋は雰囲気が好き日本独特の美しき四季の移ろいのなかで、一番好きな季節を迎えて、自分の静かな心は小躍りしていた…
2008年09月24日
道を歩いていたら、白髪混じりの男性に声を掛けられたなんでも、配達先の建物が見つからないのだという手渡された配達伝票に書かれている住所を見てもピンとはこなかったが、その建物は知っていて、通りを挟んだ反対側にあるで、その建物は今いる場所から見えるので、「あの建物ですよ」と、指を差して伝えると、たいそう感謝されたというのも、自分に声を掛ける前に、別の人に聞いたらしいのだが、その案内通りに従って車を走らせていても一向に見つからないので困っていたのだそうそりゃそうだよ、今いるここは同じ町内ではあるけれど、方角が違うんだもん「いやぁ、ホント助かりました!ありがとうございました!」そういって、男性は配達車両に乗り込んで、自分が指差した方向へと走っていったそんな感謝されることはしてないのにねぇただ訊ねられた道を教えただけだもんでも、ちょっといいことしたなと、思ったのも束の間、よくよく考えてみたら、自分は誤ったことを教えていたことに気づいたというのも、その建物は、同じ会社が近隣に2つ所有していて、自分が指差した建物ではないもう一つのほうが、訊ねられた配達先なのである今さらそのことに気づいても、すでに男性が乗った車は走り去ってしまったあと…シマッタ~!あの男性、教わった場所に着いて、「ここじゃないですよ」なんて言われたら、『また嘘を教えられた!』って、思うに違いない『親切そうな顔をして、平気で嘘つきやがる!』二度も嘘の案内をされ、グルグルたらい回しにされたわけだから、怒りを滲ませていることだろうあの男性に会うことはないだろうから、自分は嘘つきの烙印を押されたまま騙すつもりなど毛頭なかっただけに、この誤解を解き、汚名を晴らすことができないのが残念それと同時に、あれだけ有り難がられたのに、その思いに応えることができなかったことが悔やまれ、それは自分の心の中に小さな蟠りとなって残った自分が良かれと思ってとった行動は、ときとして悪意と取られることもある親切心もほどほどに
2008年09月19日
今日は十五夜それにあわせて仕入れておいたススキは完売無くなってしまったあとも、「ススキは?」と何人かのお客様に尋ねられた時代は流れ、古き良き慣習が失われつつある昨今でも、お月見にススキを飾る人は結構いるんだぁ…と意外に思ったほどだ仕事を終え、夜空を見上げると、空はたくさんの雲で覆われていた月がどっちの方向に出ているのか分からないので、ぐるっと見回してみたが、姿は見えない折角の十五夜だけれど、きっと、あつい雲に覆われて隠れているんだね月を見ることは諦め、帰路につくため車を走らせていると、右斜め前方に、まん丸とした月が浮かんでいるのが見えたあっ!月や…と、見惚れる間もなく、月はスーッと雲の中へと隠れてしまったそれからも、雲の切れ間から、度々月は顔を出してくれた今年の中秋の名月は、恥ずかしがり屋さんなのやろか?中秋の名月は“一年のうちで最も美しい”と言われているそうだが、たしかに夜空に浮かぶ月は綺麗でも、今時期でなくとも、月はいつ見ても美しいと思う月の輝きは自分を惹きつける魅力を持っていて、ついつい魅入ってしまうま~るいお月様を見ていると、心は落ち着き、和み、優しさを貰えるかと思えば、薄っぺらく尖がった三日月は、その鋭さが自分を変な焦燥感に駆り立てる同じ月でも、見るたびに受ける印象が違うが、通して言えることは、月には不思議な魅力があるということ眩いほどに輝いているはずなのに、どことなく陰も感じさせるそんな謎めいたところに、惹かれているのかもしれない様々な思いと願い、夢、そして浪漫が溢れている月その月の光は、自分自身の生きる希望の光を見ているような気がしたここのところ、朝晩は、めっきり涼しくなってきた“暑さ寒さも彼岸まで”というが、その秋の彼岸も間もなく迎える夏は終わり、もう季節は秋へと移ろいだのかな?中秋の名月の輝きに、秋を感じる自分であった…
2008年09月14日
自分のなかには、さまざまな記憶が静かに眠っているそれらは、ふとしたことで記憶の扉をこじ開けて、表へと顔を出してくる音、匂い、人、言葉、風景、シチュエーション…記憶が思い返されるきっかけは、さまざまそしてその度に、インプットされている記憶に一喜一憂させられる流行歌を聴くと、その当時の思い出が…タバコの煙とコーヒーの混じった吐息は、ちょっと生意気だった後輩マダガスカルジャスミンの花は、お世話になった方の壮絶な最期自分の首筋に残る真一文字の傷跡は、辛かった闘病の証布団叩きのパンパン叩く音を聞くと、暴力ばかり振るっていた父親の姿が蘇ってくる水溜りに映るのは、幼い頃に足が血だらけになって大怪我したときのこと中華料理の八宝菜は、小学校の給食で一番嫌いだったメニューなだけに、今でも見ると、一人教室に残って無理やり食べていたことが鮮烈に思い出されるそして夜の海…見ていると吸い込まれそうになる漆黒の海には忌まわしい記憶が漂っているそれは、若い頃に船旅に出たときの出来事が絡んでいる深夜のデッキで夜風に当たっていると、自分の隣に立っていた女性が海に飛び込んで自殺を図ったのであるその衝撃、あの激しい飛沫の音は今でも耳から離れない今挙げたのは、どれもこれも鮮烈に残っている記憶ばかりだが、普段生活していると、いたるところで記憶の扉を開けるキーワードがたくさん潜んでいる夕陽を見ればノスタルジーになるし、仲睦まじい高校生のカップルを見かけると、甘酸っぱい記憶が蘇ってくる人間って、これほど過去の記憶に囚われながら生きるものなのだろうか?そんな風に思えてくるほど、自分は過去と現在をリンクさせていることが多いどれだけ生きることができるか知る由もないが、長く生きれば生きるほど、思い出や記憶は増えていくことだろうそうなると、今以上に、過去と現在の世界を交錯するに違いない『昔はよかった…』そんなセリフを、老いた自分は口癖のように吐いているにちがいないそれでも構わないと思うし、いたしかたのない事なのだと思うそれは、今まで自分が歩んできた道なのだからただ、あまりにも記憶や過去に囚われすぎて、過去にすがって現実から目を背けぬよう、過去に溺れて現実から逃げ出さぬよう、過去に惑わされて自分を見失わぬよう、記憶とは上手に付き合っていきたい
2008年09月11日
午前3時半起床今日は仕事の予定がビッシリと詰まっていて、全部終わる頃には24時を過ぎることは間違いないいつになくハードなスケジュール暑くて長い一日の始まり、始まり…まずは花の市場に向かうために、車を走らせていたふと、東の空を見ると、これから日の出を迎えるのか、きれいな朝焼けの世界が広がっていたその空があまりにも美しく、自分の心をガシッ!と鷲掴みしたので、ちょっと車を降りて、しばし空を見上げた空を見上げるのが好きな自分は、よく空を仰ぎ見るのだが、いつも違う表情を見せてくれるから、いつ見ても飽きることはないそれに、雄大な空を相手にしていると、己の存在の小ささに気づかされ、そんな自分が思い悩んでいることなど、なんてちっぽけな事なんだろう…と思い知らされて、前向きに生きるヒントを貰っている青く澄んだ空からは元気を貰い、雲に覆われた灰色をした空からは、落ち着きを貰う夕焼けのオレンジ色の空からは、優しさを貰い、そして、今見ている朝焼けの空からは希望を貰う空は偉大だ自分にいろいろな力を与えてくれるだから、自分は空を見上げる今見ている暁の空の模様は、今というその場限りのだけのもののように、今日という日も今日だけしかない当たり前のように夜が明けるように、当たり前のように日々が過ぎていくしかしながら、こうして立ち止まって空を見上げてみると、同じ夜明けというものはないそれと同じように、日々平凡な生活を送っていても、まったく同じに過ごす日などまずない肝心なことは、ただ流されるように生きるのではなく、“生きている”ということを実感しながら生きるということそうすれば、当たり前のような出来事のなかにも、生きる歓びのヒントがいたるところに隠されていることに気づく筈今日は深夜まで仕事なので、正直いって、ちょっとブルーな気分だったのだが、美しい朝焼けの空を見たら感化されたさて、今日も一日頑張りますかッ!!朝焼けの空を背に浴びて、希望に満ちた気分で一日のスタートを切るのであった
2008年08月15日
今日は急遽仕事が休みとなったということで、冷房の効いた部屋で、ゆっく~り眠っている考えてみたら、先月は休みが1回だけで、その1回の休みも満喫すべく観劇三昧をして、ゆっくり骨休みをした日はなかった今月も仕事が詰まっていて、今日休んだら、また暫くは休めそうにもないので、のんびり過ごすことに休日は、遊ぶための日じゃなくて、身体を休める日なんだよねと、仕事中心で物事を考えてしまっている自分ちょっと哀しい気もするが、まぁそれが現実だから仕方ないか昼前にようやく起きると、出窓を開けた「暑ッ!!」一瞬にして自分の身体を包みこんだ熱い空気は、そのまま勢いよく部屋の中に流れこんだ青い空に浮かんでいる太陽の日差しは眩しく、降り注ぐ日差しは肌をジリジリと焼きつける慌てて窓を閉めるこんな日に出かけたら、無駄に体力を消耗するだけでしょおとなしく家の中で過ごすのが一番!だからといって、冷房の効いた部屋で、ダラダラとまったりしているわけではない半身浴で汗を絞り出すと、部屋の掃除にとりかかった7月は仕事に追われて、掃除する気力もなかったから、約1ヶ月ぶりとなると、“塵も積もれば山となる”ではないが、さながら大掃除並みどうしてこんなに?っていうくらい、埃がすごい部屋を空けていることが多いのに、知らず知らずのうちに汚れるんだから不思議だよなぁ冷房を停めて、空気を循環させるためにも部屋の窓を開け放ち、お掃除!お掃除!暑いぃぃぃぃぃ!これだけ滝のように汗かいているんじゃ、家の中も外も変わらないな…気合を入れてやった掃除を終えた頃には、汗でビッショリ、疲れてグッタリで、そのままでいるのは心地が悪いので、また入浴これまた半身浴して、汗ポタポタ…今日一日、夏から逃げて、涼しい思いで過ごそうと思っていたのに、結局汗だくな一日となるのであった
2008年08月01日
久しぶりに日が沈まぬうちに家に帰ることができたので、帰宅早々着替えると、ジョギングに出かけたジョギングといっても、ウォーキングより早い程度のスピード自宅近くを流れている川沿いに、1時間30程度汗を流すスピードはゆっくりなのだが、某スポーツメーカーが販売している減量衣と呼ばれるサウナスーツのようなものを着ているので、ものすごく汗が出る中に着ているTシャツやパンツは汗でビショビショ冗談抜きで、絞れるぐらいの量の汗をかくでも、気持ち良いんだよね汗をかけばかくほど、自分の身体の中から悪いモノが汗と一緒に排出されていく気がする走っているときは、何も考えていない“あともう少しで家に着く…”ぐらいは思うけれど、基本的には頭の中はカラッポただ黙々と走っている普段は色々なことを考えているだけに、こういった時間も自分にとっては貴重仕事が終わってから走るというのは、正直いってかなり疲れるが、それも心地いい疲れ走ることは健康にいいし、気分もリフレッシュできて、自分にとってのジョギングは一石二鳥スコールにでも見舞われたかのように全身は汗まみれ、吐く息は熱く、脚はプルプル、膝はガクガクしながら家に辿り着くと、浴室で疲れを解す今日も一日仕事を頑張って、ジョギングで汗を流す特になんてことのない日だったが、ここのところ忙しさにかまけて、仕事から帰ってきたら寝るだけの生活を送っていた自分にとって、今日はものすごく充実感を味わった一日だった当たり前のことが当たり前でない自分にとって、そんなことですら幸せに思えてしまうのだ我ながら、ほんと安くあがる男です
2008年07月20日
仕事で、ちょっと東京を離れたで、順調に仕事が進んだせいか、空きの時間ができたので、近くにあった神社に立ち寄ってみることに行きの車の中から、チラッと見ただけだったのだが、四方を緑に囲まれた中にある神社の佇まいが、なかなかいい雰囲気を醸し出していて、気になっていたのであるコンクリートに塗り固められた都会のジャングルで暮らしていると、こうした緑豊かな景色にはとても惹きつけられるものを感じるのだ苔が生しているのか、緑色になっている石畳を静々と歩くドッシリと構えられている鳥居等間隔に整然と立ち並ぶ石灯籠大地に根を張り、鮮やかな緑を湛える木々たちゆったりとした悠久の時の流れに、刻まれた歴史の重みのようなものを肌にひしひしと感じていた耳を澄ませば、鳥が囀っている遠くでは、子供たちの遊んでいる声も聞こえるのどかな日曜の朝の音色が耳元で囁く空は雲に覆われているが、時折薄日が射すまだ早い時間帯だというのに、今日も暑いが、緑のなかにいると、暑さに対する不快感はさほど感じられないから不思議だ誰もいない参道で、一人佇む…空を仰ぎ、新緑をめでる静寂に包まれたなかに身を置いていると、雑念が取り払われ、神経が研ぎ澄まされる気がするそして、なんだかよくわからないが、何かを感じるそれが何かは自分にはわからないが、とにかく何かを感じるのだちょっとした時間ではあったが、癒され、心は浄化され、そして、パワーを貰えたなんだか満たされた気分で、神社を後にするのであった
2008年07月06日
梅雨入りしたものの東京はなかなか雨が降らず、陽気な日が続いていたが、ようやくというか、ここ数日は梅雨らしい日が続いている昨日は、ジメジメとした湿気のせいか、じんわりとイヤな汗が浮かび、自分の身体にまとわりついた不愉快なヴェールを剥ぎたくてしかたなかった今日も、鼠色をしている空は厚い雲に覆われているが、湿気がないぶんだけ過ごしやすい昨日とは打って変わって、日中過ごすには、半袖1枚ではうすら寒いほどこの“うすら寒い”天候が自分は好き持病であるバセドウ病のせいもあって、かなりの暑がりとにかく暑いのは苦手かといって、寒すぎるのも勘弁薄ら寒いとか、肌寒いといった、ひんやりとした空気の中に身を置いているのが好きなのであるまさに、今日がそんな天気過ごしやすいと、さぞかし活発的になるのかと思いきや、それがまったくの逆で、ひんやりとした空気に触れていると、心地よくなってきてしまって、まったりしてしまうのである静かな雨音、頬に伝わる冷たく透き通った風、梅雨のジメジメとした雰囲気はどこ吹く風、ひとり暫し静寂な時間を過ごすのであった梅雨の季節に咲く花といえば紫陽花街のいたるところで、ピンクや青、紫に白といった花々が、風景に彩りを添えている紫陽花って、ほんと雨が似合う今時期に咲くから、自然とそういうイメージが付着してしまったのかもしれないが、梅雨の鬱蒼とした気分も、色とりどりの紫陽花を見れば心が和む我が家の庭にも、紫陽花が咲き始めていたオーソドックスなものや、紫陽花のなかで一番好きな品種である額紫陽花の“城ヶ崎の雨”など、自分が青色が好きなこともあってか、ブルーや青紫系の品種が多いそんないくつかある紫陽花のなか、一際大きい枝振りをしているのが、渦紫陽花と呼ばれるもの渦紫陽花は、おたふく紫陽花という名でも親しまれており、額(がく)の部分が丸まっているのが特徴花の容姿が可愛くて気に入っているまだ咲き始めのようで、数ある花蕾のなか、1つしか咲いていなかったが、青と藤色がない混ざったような、淡い色をした綺麗な花が咲いていた雨が降ると、どうしても気分は伏しがちになってしまうが、雨露に濡れて、色濃く艶やかさを増す紫陽花を見ていると、自分の心は癒されるのであった【紫陽花の花言葉】移り気
2008年06月22日
何日ぶりだろう?太陽が顔を出すのは…ここ数日は、雨が降ったり、曇ったりと、ずっと優れない天候が続いていたが、今日は気持ちがいい青空が広がっていた天気がいいと、気分も晴れる別になにか特別なことがある訳でもないのに、日差しを浴びているだけで、ウキウキ・ワクワクと心は躍っている眩しい太陽を見上げながら、ひとり、幸せを感じていたこんな当たり前のようなことが幸せと思える自分は、ほんとうに幸せ者だ幸せ者だと思えることが幸せだそして、それらの想いを包む込むかのように、幸せということを気づかせてくれる太陽の存在は偉大だ空に太陽があるかぎり、自分は幸せを感じながら生き続けていくことだろう【なんと大洋の美しいことよ! なんと大空の澄んでいることか! 点のような太陽! 何事が起ころうと、この瞬間、生きていることでたくさんだ】(冒険家・リンドバーグの言葉)
2008年06月01日
今日は友人の友人のお兄さんが出演するという舞台を観にいくことに誘われて、「観に行く」と言ったものの、実は気乗りがしなかっただって、友人の友人のお兄さんって、自分とは何の面識もないわけだし、それに小劇場の独特の雰囲気がどうも慣れないのだそれゆえに、芝居小屋に向かうまですごく足取りが重かったのだが、約束したんだからと足を運んだ開演10分前には着いたのだが、既に客席は埋め尽されていた40人も入ればすし詰め状態の満席になってしまうような小さなスペースである客席とステージが一体となったような狭い空間で繰り広げられるのは、二人芝居これが意外と…と言ったら失礼かもしれないが、そこそこ観れた笑いのセンスにいまいちついていけず、周囲からちょっと浮いた感じで傍観していたのだが、次第に、演者ふたりの熱のこもった演技もあってか、独特の世界観に惹きこまれていったのだった終演後、友人の紹介で、舞台に出演していた、友人の友人のお兄さんにお会いしたお互い初対面ということもあってか、若干のぎこちなさは否めなかったものの、「面白かったです」だの、「頑張ってください」だのと、通り一遍等の言葉を掛けて失礼したあとから知ったのだが、今日の芝居に出演していたお兄さんという方は自分と同い年なんだとか1時間半弱もの間、出ずっぱりの演技を終えたばかりに会ったので、だいぶ気分が高揚していたようで、そのせいか、なんだか眩しいというか、ものすごく輝いて見えたきっと日々が充実しているんだろうねぇそれに比べたら、自分はどうさ輝くどころかくすんでいるんじゃないの?同い年だというのに、こうも違うもんかねぇいやいや、役者さんと凡人の自分を比べることからしてそもそも間違っているんだけどさ、あまりの雲泥の差に打ちのめされてしまったなんだか、自分の夢を見続けて人生を突っ走っている彼に、羨望というか、嫉妬というか、その眩しさにちょっとした立ち眩みを覚えるのであったそういえば、知り合いから、「そんな生活送っていて楽しい?」なんて言われたっけえぇ、どうせ自分は仕事一筋人間ですワ傍から見ると、そんなにつまらない人生を送っているように見える?そりゃあ昔は、自分にも夢はあったでも生きていくために断念しなければならない時ってある夢を見ているだけでは生きてはいけないそう、自分は、夢より現実を選んだだからといって、ドロップアウトしたわけではない途中の分岐点によって、走るレールの向かう先にあるものは変わったけれども、それでも走り続けている役者をしているお兄さんとの別れ際、彼が手を差し伸べてきたので、握手を交わした温かい手だったその温かさは、もしかしたら彼の眩いほど漲るパワーなのかもしれない自分の右手に、まだ若干残っているその温もりを逃さぬようギュッと拳を握りしめる“自分も負けてはいられない”色々な意味で刺激を貰った夜は静かに更けていった…
2008年04月12日
今日の天気が清々しいように、自分も実に清々しい気分で一日を過ごしていたいつもと変わらぬ生活を送っているはずなのに、どうして今日に限ってこんなに気分がいいんだろう…って、それは昨日が休息日だったからでしょうに久しぶりに十分な睡眠をとって、どこへ出かけるでなく、一日中家でまったりしていたからねぇいやほんとにね、疲れが取れるとこうも違うか?っていうぐらい心身ともに充実しているこんなことで満足できるだなんて、普通に働いて普通に休める環境の生活を送っていれば、毎日充実した日を送れるのか?いやいや、不規則な生活を送っているからこそ、たまに訪れる今日のような日をありがたく思えるのかもしれない職場のすぐそばにある桜も、だいぶ見頃を迎えていた昼休憩のときにでも、ボーっと眺めようと思っていたのだが、そんな日に限って、バタバタと仕事が舞い込んできたり、急な打ち合わせが入ったりと、桜をゆっくりと愛でるひとときすら与えてくれないそんな忙しさからようやく解放されたのは、夕刻も迫る頃だったちょっと職場を抜け出して、桜の樹がある場所へと向かった樹の傍では、子供たちがハシャギ声をあげながら無邪気に遊んでいるそんな心地のよい喧騒のなか、ひとり、桜の樹を見上げた空を覆いつくすように咲き競う桜の花を見ていたら、その美しさに思わず溜め息がひとつ漏れてしまった桜の花は、沈みかけている夕陽を浴び、花びらをほんのり橙色に染めているその花姿は、自分が見つめていることによって恥らい、頬を紅くしている乙女のように見えたなんだかいいな、こういうのってうまく言葉では説明できないが、なんの変哲もないありきたりな一日のなかにも、生きる悦び、生きているという実感って湧くんだね桜の花を見て、しみじみそう思うのであった
2008年03月27日
昨日、東京の桜の開花宣言が発表された…という事を、今日知ったしかも、他人様のブログで帰宅するころにはニュース番組は放送されていないし、今日も朝刊が配達されるまえに家を出てしまったので、知る術がなかったのであるで、ブログを読んでいて「あ、そうなんだ」と知ったというわけそういえば、ここ数日は雨が降っていて肌寒かったが、昨日はうって変わって春を思わせる暖かな陽気だったその陽気に誘われて、桜が咲いたのかな?仕事の昼休憩のとき、ちょっと外に出て、職場のすぐ傍にある桜の樹を見に行った桜の開花予想とは裏腹に、まだまだ咲く気配すら感じさせないが、よぉく見てみると、蕾の先端からは、ピンク色をした花びらが僅かながらだが顔を覗かせていた桜の花が愛でられるのも、そう遠い日のことではなさそうである青空に突き出すようにして伸びている桜の樹を見上げていると、1輪だけ桜の花が咲いていることに気づいたひとりだけ、ずいぶんと気が早いヤツやなぁ…春の日差しを浴びて、ゆったりとした時を過ごすこんなにのんびりとした気分になったのは、実に久しぶりのことだった先月末からず~っと仕事が立て込んでいたが、ようやく一段落ついたのである慌しく仕事と時間に終われる日々を過ごすなか、桜の開花宣言の報せを聞いて、「えっ?もう春なの?」といった感じ自分のなかでは冬に別れを告げていなかっただけに、突然の春の到来は、なんだかある一定の日々の記憶がスッポリと欠落しているような気がしてならないほんと、月日が経つのは早いものだいや早過ぎるといってもいいほどかもしれない心にゆとりが持てるようになると、見えてくる景色も変わってきたコブシや、自分が大好きな木蓮の花が咲いている街は華やいでいて、すっかり春の装いを呈しているいつも見ている景色の筈なのに、なんで今まで満開に咲いている花たちに気づかなかったのだろう…と不思議に思ったぐらい自分のなかで余裕が有るか無いかでは、こうも違うものかとしみじみ思ったいつも、心にゆとりを持っていないといけないね春を告げる花々を見上げて、ふとそう思った【花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに】云わずと知れた小野小町の句で、百人一首のなかで、自分が唯一今でも憶えている句でもある色褪せた桜に老いた自分の姿を重ねた歌で、“降り続く長雨でぼんやり時間をつぶしているうちに、咲き誇っていた桜の花も、むなしく色褪せてしまった”といった内容である今回始めて句の意味を知ったが、なんとせつない句であろうか桜の花が終焉を迎える頃、自分も小野小町同様に、散っていく桜と自分の人生を重ねて、人生の儚さや虚しさといった感情を抱くことだろう人は誰しもが衰えていくしかし、そのなかでも、日一日を大事に過ごしていけば、自分の人生を振り返ったとき、追憶に縛られてどうしようもないぐらいに儚さや虚しさといった負の感情の波に溺れようと、そこには後悔という2文字はないのではないだろうかそれだけでも十分に救われるような気がする今年の東京の桜は、早くて今週末には見頃を迎えるという去りゆきし春の風情を惜しみつつも、決して後悔せぬよう、人生を謳歌し、そして桜の花を満喫できるようにしたいそんな思いを胸に桜吹雪のなかを颯爽と歩く自分の姿を想像する今日この頃である
2008年03月23日
朝から欠伸(あくび)が止まらない欠伸は、眠たい時や疲れている時、または緊張している時や退屈している時に、脳を覚醒させるために出る自分は、睡眠不足のうえに疲労が溜まっているという条件が重なっているゆえ、欠伸が出続けているのだろういくつか噛み殺しているうちに、顎と首筋が痛くなってきていたそれでも欠伸が収まる気配は見られず、あまりにも出続けるので、おかしなぐらいである急遽舞い込んだ仕事を片付け終えて、職場に戻る道での出来事朝から止まらなかった欠伸も、昼前になるとようやく落ち着きを見せていた前方の信号が赤に変わったので車を停止させると、不意に大きな欠伸が出たいつもなら欠伸をする際、口元を手で抑えるのだが、車の中だったという油断からか、裂けそうなくらいにパックリと口を大きく開いたと、欠伸を終えてから何気なく目を外に向けると、横断歩道のところで信号が変わるのを待っていた、子供を連れた男性が大きな欠伸をしているのが見えたもしかして???医学的・科学的根拠は解明されていないものの、“欠伸は伝染する”と云われている信号待ちをしていた男性の欠伸…ひょっとして、自分が欠伸をしているのを見て、共鳴して伝染ってしまったのだろうか?ということは、大口開いた間抜け面を見られたことになる恥ずかしいィィィ!あくまでもこれは推測であって、お互い数秒の差で欠伸をしたのは、ほんの偶然だったかもしれないけれど…まぁ、どこで誰が見ているか分からないから油断するな!ということやね古代ギリシャでは、欠伸は人間の魂が天に向かって逃げようとしているときに起こると信じられていたという欠伸をする際に口に手をあてるのは、“魂を逃がさないようにする為だった”とか古代ギリシャの謂れを借りるならば、自分の魂は逃げたがっているということか我が魂よ、どうか逃げないでください…こういう史実を知ると、欠伸ひとつにしても、なんだか壮大なものを感じる人前で欠伸をすることは、あまり好ましくない行為であるが、万が一、人前で出てしまった場合、古代ギリシャの話に肖って、『今、魂が逃げようとしたんです』と、言ってみようかな!?きっと、いや間違いなく変な人と思われるに違いないまだまだ忙しい日は続くので、睡眠も十分に取れないだろうし、疲れも抜けなさそうということは、欠伸とは切っても切れない日々が暫くは続くということかふわぁぁぁぁぁぁ(←欠伸の擬音)『あ、魂が……』
2008年03月02日
耳から離れないメロディーは多々あるそれらの大半は、好きなアーティストの曲であるが、テレビのコマーシャルで頻繁に流れていて、親しみやすいメロディーとインパクトのある歌詞に知らず知らずのうちに覚えてしまったりすることもあるまた、以前舞台の大道具を勤めていたことがあったので、その劇場で公演された舞台の楽曲のメロディーをふと口ずさむこともしばしば要は、何度も何度も繰り返し聞くことによって、洗脳ではないが、自分のなかに情報がインプットされて、耳から離れなくなるのだと思う今日は仕事帰りに、とあるお店に立ち寄った店に入ると、音楽が流れていたそれは、レゲエというのか、ラップというのか、その手のジャンルの音楽は全くの無知なので判らないのだが、気だるそうな歌い方といい、スローテンポなメロディーといい、緩々な感じの曲だった興味がないジャンルの曲だけに、はじめのうちは気にも留めていなかったしかしながら、この曲が長いのか、それとも繰り返しかけ直しているのか、店内には延々と同じ曲がエンドレスに流れている売り出し中の曲?それとも、店のオーナーの趣味?次第に、そのメロディーは自分の三半規管を侵食し始めてきた意識を逸らそうにしても、それはまるで呪文でも唱えているかのように、自分の耳元で囁き続けるそのうち、だんだん洗脳されてきたのか、意識してもいないのに歌詞までもが自分の脳裏にこびりついてしまった“♪愛した相手の名前はみどり~♪”そ、そうなんですか?なんだか凄い歌詞やね独特の歌い方のせいか、他の歌詞は聞き取れないのだが、「愛した相手の名前はみどり」という妙にインパクトある歌詞が、自分の中で鮮烈な印象を与えた別に自分は、みどりという女性に思い入れがあるわけではないのだが、なんとなくユルい歌い方とメロディーが気になって、今ではすっかり虜になってしまったきっと、自分の胸に突き刺さる何かがあったんだろうなところでこの曲のタイトルはなんだろ?皆目見当もつかないとりあえず、歌のなかで頻繁に繰り返し出てきていた「愛した相手の名前はみどり」という言葉で、ネット検索してみると、すぐにアーティストと曲のタイトルが判ったほんと、インターネットって便利やねぇで、今日から自分の脳に住み憑いた曲の正体は…CHEHON(チェホン)という大阪のレゲエ歌手が歌う、『みどり』という曲早速携帯電話で、曲をダウンロードしたう~ん、なんだか切ない曲やねぇしばらくはこの歌、頭から離れそうにもない
2008年02月18日
仕事の合間を縫って、店で使用する資材を購入するために大型のホームセンターへ自分は、こういった仕事での用事の時にしかホームセンターには来ないのだが、意外にも店内は大勢の客で混雑していた日曜の午前中ということもあってか、家族連れの姿も多く見られる店内には、季節の花や観葉植物といった鉢物から、肥料・プランターなどの園芸商品をはじめ、カー用品、工具、木材、ペット商品、文房具、日用雑貨など、実用品から、専門の人が使用するようなものなど、実にバラエティーに富んだ商品が所狭しと並べられているこれだけのアイテムが揃っていると、自分が買い揃えたいものがどこにあるのか探すだけで一苦労大きなカートを押しながら、売り場をあちこちと移動した必要なものを一通り揃えて会計を済ませると、階上の駐車場へ戻る為にエレベーターへと向かった売り場が広い割には、エレベーターは2基しかなく、待っていてもなかなかこないはじめは自分だけが待っていたのだが、いつの間にか待たされている人は結構な数となっていたようやくエレベーターが到着し、続々と人々が乗り込み始める一番先に待っていた自分は、必然的に一番最初に乗り込んだので、エレベーターの奥へと乗ることになったカートを隅の方に寄せて、少しでもスペースを空けるように気をつかう階が進むにつれ、徐々にお客は降りていき、自分が降りる最上階に向かうエレベーターの中は6~7人程度になっていた程なくして、エレベーターが最上階に到着した扉が開くと、一斉に人々が降りていくちょ、ちょっと…こういう時って、誰かしらが気をきかせて、扉が閉まらないように開閉ボタンを押していてくれてもいいんじゃないの?こっちは、沢山の荷物をカートに乗せている状態で、エレベーターの隅に追いやられているっていうのに…ほんと冷たい人たちばかりだねぇ…なんて思いながら、エレベーターを降りようと思ったときだった一緒にエレベーターに乗っていた幼い男の子が、エレベーターの扉が閉まらないように、小さな人差し指で“開”ボタンを押し続けてくれていたのであるその姿ときたら、微笑ましくもあるが、なんと頼もしいことだろうかほんのちょっとした出来事なのだが、男の子の気持ちが嬉しくて、自分の胸の内がジンワリと温かくなる感覚を思えたきっと心が優しい子か、ご両親の躾ができているんやねええ歳した大人たちは我先にと言わんばかりに、エレベーターを降りていったのに、こんな小さな男の子が気を使っているだなんて、なんだかおかしな話だよこういうシチュエーションの時、扉が閉まらぬようボタンを押さえてくれているのが大人だったら、「すみません」の一声でもかけて降りるのだが、小さな子にそんなこといってもいまいち理解できないよねという事で、降りる際に「ありがとう」と声を掛けてからエレベーターを降りたそれが、男の子の優しさに対しての自分なりの誠意だった自分がカートを押しながら降りると、男の子はエレベーターを降り、駆け足で父親らしき男性の元へと駆け寄っていったその男性、真っ先にエレベーターから降りた人だった…“子供は親の背中を見て育つ”なんていう言葉があるけれど、きっとお母さんの躾がいいのかな!?!?まぁ何はともあれ、その優しさ溢れる気持ちは、いつまでも大事にしてほしいな父親の背中の後を追うようにして歩く男の子の姿を見て、そう思った
2008年01月27日
身体が音を上げていた思えば、12月は中旬以降から休み無く働き詰め仕事納めだった大晦日には、夜行バスに飛び乗って京都へ唯一の正月休みである元旦は京都で過ごしたが、滞在時間8時間という限られた時間のなかで、慌しく観光を満喫再びバスに揺られて、その日のうちの深夜に帰宅3時間程眠って、2日からは仕事始めでいつも通りの生活…元旦1日だけでも休んだとはいえ、半日だけ過ごした京都では、ずうっと街中を歩きまわっていた行き帰りのバスの中でもろくに睡眠をとっていない旅をして、気持ちはリフレッシュすることができても、身体は休まっていなかったのである旅行から帰ってきて暫くは、感覚が麻痺していたのと、気持ちが満たされていたので、身体を騙すことはできたが、普段のいつも通りの生活に戻ると、その魔法もいつしか効果が解け、溜まりに溜まっていた疲労が今日になって噴出したのだろう昔は、若さゆえかどんなに無理をしても乗り越えられたものだが、ここ近年はほんとダメいや、自分の年齢を考えると、もう若くはないことは重々判っているそれでもなんとかなるとは思ってはいるものの、如何せん身体は正直者で、容赦ない物言いで、厳しい現実を突きつけてくれる気持ちは急くが、身体が言うことをきいてくれないなんとも歯痒いばかりである今までは自分に厳しいあまりに、自分自身にだいぶ無理を強いてきたが、これからは身体を労わるためにも、 “無理をしない”、“程ほどに”ということも大切かもしれないだからといって、甘えや堕落はしたくはないので、程ほどにすることも程ほどにしたい疲労が固まった身体で仕事をこなすのは、なかなか辛かったが、明日は休みをいただけるので、それを糧にしてなんとか今日を一日終えることができたそんなギリギリのところで1日を送った気分転換というわけではないが、ブーツを購入したWhoop’‐de‐doo’のエンジニアブーツボリュームのあるラウンドトゥ(靴のつま先が丸くなっているデザインのこと)が、本来ゴツいイメージのエンジニアブーツに愛らしい表情をプラスし、なんとも愛嬌のある独特のフォルムになっている購入するつもりはなかったのだが、新春セールで定価の40%OFFの価格で販売していたので、ついつい衝動買いしてしまったこの手のブーツは、歩いていると靴の重みで疲れてくるのだが、このWhoop’‐de‐doo’のエンジニアブーツは、見た目ほど重さは感じず、履いていても足取りは比較的軽やかである冬はブーツを履く機会が多いので、今冬重宝してくれそうなアイテムになりそう
2008年01月05日
市場で、今年最後の切花の仕入れいつもとさほど変わらぬぐらいの人手なのだが、クリスマス前の市場が活気があって賑わっていただけに、なんだか寂しく感じられた何を仕入れるか、仲卸の店舗を一通り見て廻る周年を通して出回っているバラやガーベラ、ユリ、デンファレやオンシジュームといった蘭のほかに、迎春用として飾る花として、色とりどりの菊や、水仙、金盞花、アイリスなどが目立つ仕入れの一番の目的は“松”門松や若松の売れ行きがいささか好調なのだ松の卸価格を見ると、今週初めに仕入れた時より半値になっていたそう、玄関などに飾る門松や若松は年内だけのもので、新年が明けてしまうと需要が無くなってしまうのであるそれだけに仲卸も売れ残っては困ると、半値で売り捌いていたというわけ思ったより安く仕入れることができるので、箱単位で購入したとにかく門松や若松、荒神松といった松の仕入れは難しい沢山仕入れても、売れ残ってしまったら、年が明けたらそれらはすべて廃棄となってしまうだからといって仕入れる量を少なくしてしまうと、完売したときお客様に迷惑をかけてしまうその仕入れる数量の兼合いが非常に難しいできることなら、無駄を出さないよう注文販売にしたいくらいとはいえ、そんな事はできないので、多少のリスクは覚悟で若干多めに仕入れるのだが、終わってみれば、いつも売れ残った松の山…今年はうまく売れますように今日の市場はいつも見ている風景の筈なのに、どこか雰囲気が違った年の瀬だからだろうか?それとも、そう感じるのは自分だけだろうか?仲卸の人たちはどこか手持ち無沙汰にしているし、仕入れる人たちにも余裕があるというかなんというか、ゆとりをもっていて、スローな感じがするのであるそんななか、自分だけは忙しなくしているので、一人だけ取り残されているというかなんというか、なんか言葉ではうまく説明できないのだが、ひとり疎外感に苛まれていた自分は何をそんなに焦っているのだろうか?仕事が多忙を極めているというのが最大の原因な事はわかっているのだが、気ばかり焦ってしまう要は心配性・小心者なんやねつねに焦り、心配し、自分をギリギリのところに追い詰めて仕事をするそれだけ張り詰めていれば、どんなにしんどい日々でも乗り越えられるしかし一旦自分を追い詰めてしまうと、張り詰めたものを緩めることができず、どんどんエスカレートしていってしまう一年のうちで一番忙しい今が、まさにその時自分でも、よく平常心を保っていられるな?と思うほど誰かがちょっとでも背中を押したら転落してしまうぐらいの、崖っぷちのところまで自分を追い詰めている決してマゾヒスティックというわけではないのだが、“自分で自分を苛める”ことでしか、厳しい状況を乗り越えていく為の手段を見出せなかったのである時間との闘い仕事との闘い己との闘い今はありとあらゆる面において闘いの日々この闘いは年末まで続く…
2007年12月28日
街を秋色に染めていた木々たちには、もはや華やぎの面影は無い色を失った街には、哀愁に満ち、憂いを漂わせる寂しい雨が降っていた普段なら、気が沈みそうになるような今日の天気も、年末で忙しない日々を過ごしている今の自分には、なんだか諌められているような気がして、安堵に似た感情を抱くのであった雨は昨日から降り続いていたが、昼ごろになると、ようやく止んだ空を見上げると、灰色の雲に覆われていた今朝の空とは一変して、いつの間にか青く澄んだ色をしていて、太陽が顔を覗かせていた太陽の日差しは、やさしく包み込んでくれるような暖かさで、気持ちがよかったこんなに穏やかな気分になるのは、久しぶりかもしれないふと、その時、冷たく乾いた風が駆け抜けたその風を全身で受け止めたとき、“あ、冬だな”と思ったいままでの秋の風とは何かが違う言葉ではうまく説明できないのだが、身体がそう感じたのである日本には、春夏秋冬という四季があるが、その四季の移ろいはわかるものの、季節の明確な境界線を感じたことはない桜が咲き始めれば春と感じ、暑さを肌で感じるようになったら夏になり、陽が落ちるのが早くなって、葉が色づき始めれば秋と思い、手が荒れ始めたら冬を実感するそしてまた、春、夏、秋、冬と季節は巡る折角、四季がある日本に生まれたのだから、四季折々の風情を楽しみ、感じたい雨上がりに吹いた風が告げた冬ちょっと気を配ってみると、いたるところに季節を感じることができるそんな季節を感じ取れるよう、心に余裕を持って生活したい冷たいのだが、どこか心地よい冬の風に吹かれて、そう思うのであった
2007年12月23日
今日は二十四節気の一つである“冬至”北半球では一年中で昼がいちばん短く、夜がいちばん長くなる日冬至といえば、ゆず湯という事で、我が家もゆず湯いつもは入浴剤を入れているので湯船は何かしらの色がついているが、今日ばかりは、さらのお湯そこに、切込みを入れた柚子を浮かべた朝も早よから柚子湯に浸かるだなんて贅沢やねぇと、暢気にしている場合ではない仕事に行くための身支度をしなければならないので、気分に浸る間もなく早々と湯船から身体をあげた寒い!今日も寒い!いや、今日は一段と寒い!外は小雨が降っているせいか、寒さが骨身に堪える一日の仕事を終え、帰宅する頃には、すっかり身体は冷えきっていた早く身体を温めようと、すぐ浴室へと向かった半日ちかく湯船に浸かっていた柚子からは、果汁やら旨み成分が溶け出し、湯は柚子色になっていた飲んだら美味しいかも!?いや、飲まないけれどゆず湯は、血液の循環を良くし、新陳代謝を促して冷え性や神経痛などに効くといわれているそうだが、見るからに効能がありそうな湯の色ふやけてしまった柚子にくわえ、新しい柚子を湯船に浮かべた頭のてっぺんから足の爪先まで凍てついている身体早く温まりたい!と、浴槽に足を入れるが、ぬるま湯の筈なのにものすごく熱く感じるそれだけ、自分の身体が冷え切っているのだろう湯の温度に慣れるまで掛け湯をし、それから浴槽に身を沈めたうゥゥ~~!!年寄り臭いが、声にもならない嗚咽が洩れた身体が温まっていく血の流れを感じる見る見るうちに、自分の身体が解されていくのがわかるあぁ幸せ……プカプカと湯に浮かぶ柚子を顔に寄せる柑橘系の爽やかな匂い柚子の実を身体に擦りつけたり、香りを楽しんだりと、思う存分ゆず湯を楽しむ耳を傾けてみれば、外からは、シトシトと降り続ける雨音が聞こえていたその音がなんとも叙情的で、目を閉じると、旅館に泊まりにきたようなそんな気さえした浴室は冷え切っている身体は温まってきたが、湯船から出ている頭は寒さに晒されている頭寒足熱の状態それでも、顔には大粒の汗が浮いていた普段、寒い時期の入浴でここまでの汗はかかないまさしくゆず湯の効果だろうこれだけ効果覿面なら、毎日ゆず湯に浸かりたいぐらいそんな事を思いながら、ゆずの香りと湯けむりに包まれた冬至の夜は更けていくのであった…
2007年12月22日
忙しい!慌しい!騒々しい!どうして、年末になるとこうも忙しないのだろうかあれもやらなきゃ!これもやらなきゃ!と、気ばかり焦ってしまうド~ンと構えていようとは思うのだが、気持ちだけが一人勝手に先走ってしまい、身体と心のバランスがいまいち噛み合っていなくて、どうも心地が悪いこの焦燥感はつねに自分の中で燻ってはいるが、仕事が多忙を極める師走になるととくに酷くなるしかも、年の瀬が迫るにつれ、それは次第に自分の中で大きなウェイトを占めていくはじめは燻っているだけだったものが、煙がのぼり、火の気が上がり、やがてはその火は炎となって、自分を燃やし尽くそうとする忙しさに感けているうちは気も少しは紛れていいのだが、この焦燥感は四六時中自分につきまとう人と話している時、車のハンドルを握っている時、食事をしている時…気が競っているので、心拍数や呼吸が乱れているそれは、苦しみのなかにいるのだが、どこか心地よさをも感じさせる、ランナーズ・ハイに似たような感覚であった心ここに在らずといった昂揚した状態が続くパソコンに向かっている今もそうだおとなしく椅子に腰掛けて文章を打っているのだが、漠然としたものを相手に焦燥感に駆られている一体何に怯え恐れ、何と闘い、何に立ち向かおうとしているのだろうか?自分でも自分がわからないそんな状態なので、ブログを書こうにも集中することができず、うまく言葉が浮かんでこないキーボードを打つ手が止まる焦る言葉が浮かばないさらに焦る…ますます言葉が浮かばない…なんて悪循環なんだろうとりあえず、今思っている言葉を文字にする何も考えていないので、画面に映し出されるのは支離滅裂な文章書いては消し、書いては消したこうしている間も無情にも時間は過ぎていく気づけば、2007年も残すところ10日ちょっとやりたい事、やらなければならない事、たくさんあるのに時間がない!ぬぁ~!!!声にもならない悲痛な叫びが、虚しくこだまする今の思いの丈を言葉にしてみたが、それをまとめる最後の締めの言葉が浮かばないので、なんとも中途半端ではあるが、今日はここでおしまいとする
2007年12月19日
今朝、出掛け前に見たニュースで、「今日は一番の冷え込みになりそうです」と、気象予報士の方が言っていたどおりで寒いわけだでも、徐々に身体が寒さに慣れてきたせいか、苦痛に感じることはなかった我が職場の事務所は、底冷えが厳しい床がコンクリートの打ちっぱなしのせいか、ダイレクトに寒さが足に伝わってくる自分のデスクの後方にはエアコンがあり、暖房のスイッチが入っているので、事務所内は暖かいのだが、如何せん足元が冷える頭寒足熱ならぬ、頭熱足寒であるう~…この足の冷え、どうしたものだろうか?すると社長が、「これを使いなさい」と、素敵なプレゼントをくださったそれは、1人用の小さなホットカーペットなんでも特売商品で、激安価格で販売していたんだとか社長、どうせなら、足元に置ける電気ストーブの方が…いや、なんでもありませんお心遣い、どうもありがとうございます早速デスクの足元に敷いて、使わせていただきます温いですなぁ……これで足の冷えの悩みが解消しましたあれ!?でも、なんかまた足元が寒くなってきたゾそう、自分は椅子に座るとすぐ足を組む習性があるので、ホットカーペットに足が面していないと寒いのであるしかも、ホットカーペットは土足厳禁で靴を脱いでいるので、殊更冷えを感じるのだハイ!足を組まずお行儀よく座りますハイ!靴を脱ぐので、靴下は見られても恥ずかしくないよう、穴の開いたものは穿かないようにします(※今回のことに限らず、穴の開いた靴下はすぐ廃棄して、穿くことはありませんので誤解なきよう)【頭寒足熱】頭は冷やし、足は暖かい状態にしておくことよく眠れ、健康によいとされている(辞書調べ)【頭熱足寒】頭は暖め、足は冷やした状態にしておくこと身体に悪いとされている(造語)
2007年11月29日
まだ太陽も顔を覗かせていない早朝の物静かな風景水は運河をたおやかに流れている雲は空を雄大に流れている時は静々と流れているその先に何があるとも知らずに、水も雲も時もただただ流れていく流れつくその先には一体何があるのだろうか?眼に映るのは夢や希望といった明るいものではない黒色に近いグレー色をした靄のようなものが、自分の視界の先には広がっていたそれは不安や焦燥といった、見えぬ将来へ抱いている漠然としたものの表れであったその靄は決して晴れることもなければ、自分に近づいてくることもないつねに自分の視界の先で蠢いているそんな将来への不安からか、自分は流れを拒むようにして佇んでいたが、流れは待ってはくれない時という流れが、自分の背中を灰色の靄へと押していく楽しい時は、このまま時が止まればいいのに…と思い、辛い時は、早く時が経てばいいのに…と思う時空を操ることなどできるはずもないのだが、楽しい時間は瞬く間に過ぎ、苦しく辛い時は、まるで意地悪でもしているかのように時が経つのがものすごく遅く感じるから不思議であるしかし、今までこうして生きてきて思うことは、結果として、楽しい時も、辛い時も、時は変わらずとして過ぎていき、それらの記憶は、時が経つとともに不思議と美化されていくということ数え切れないほどの辛いことや苦しいことがあったにも関わらず、いざ振り返ってみると、自分の人生も満更でもないと思えるのは、時の魔法としかいいようがない時の流れは残酷でありながらも美しいそう考えると、視界の先にある靄も、いつかはわからないが、時の流れとともに自分を過ぎていくのかと思うと、少し気が楽になる運河は穏やかな日もあれば、荒れ狂うときもあるが、絶え間なく流れている雲は青空に浮かぶ雲もあれば、空を覆い尽くして雨を降らす雲もあるが、とどまることなく流れていく人は、幸せだろうと、不幸せだろうと、1日は過ぎていくそんないかなるときでも、時は刻々と流れている「時の流れに身をまかせ」という名曲があるが、自分は身を任せるのでなく、時の流れを感じて生きたい時の流れをどう感じるのか?それは、1日1日を大切に生きる!ということではないだろうか誰もいない運河を前にして、何朝からひとりで熱くなっているんだろ…気づけば、東の空には太陽が見え始め、空をオレンジ色に染めはじめていた今日も一日が始まる…【未来がどうなるか、あれこれ詮索するのをやめよ。そして、時がもたらすものが何であれ、贈り物として受けよ】(詩人・ホラティウスの言葉より)
2007年10月22日
季節柄か、他人様のブログを覗いていると、金木犀の便りを報せるものを見かけるようになった金木犀は、沈丁花、梔子(くちなし)と並んで、花木では好きな香りのひとつそういえば、まだ自分の生活のなかでは、金木犀の香りを感じることはないなぁ…と思った矢先のことだった夜明け前、職場に向かう為に車のハンドルを握っていた窓を半分ほど開けているので、車内には心地よい風が吹き込んでくるふと冷たい秋風とともに金木犀の香りが車内に流れ込んできた今年はじめて嗅ぐ金木犀その香りは甘く、朝からなんとも幸せな気分にさせてくれた今日は気持ちよくスタートを切れたこれで今日も一日頑張れるところで、どこに金木犀が咲いているのだろうか?これだけ強く芳香を感じることができるのだから、近くに咲いているに違いないまだ辺りは暗いが、道端に植えられている金木犀を確認することができた街灯に照らされて、山吹色をした小さい花々は輝いて見えた金木犀の香りが教えてくれた小さな秋心地よい秋風と金木犀の香りに包まれて、夜明け前の街を駆け抜けた今日は仕事で神奈川の方へ出かけた仕事で出かけたのだが、その道中は、金木犀探しとなっていた夜明け前に出会った金木犀の香りが忘れられず、小雨降るあいにくの天気だったが、金木犀の香りを求めて、車の窓を少し開けていたするとどうだろう都内と違って、緑が多い土地柄ということもあってか、以外と金木犀が咲いているではないか商店街、歩道、庭先といったいたるところで、大小さまざまな樹に小さく可憐な金木犀の花が咲き、街を甘い香りで満ち溢れさせていたなんだか幸せ~車のハンドルを握りながら、金木犀を眼や鼻で感じる度に一人ニヤニヤしている自分は、傍から見たらさぞかし気味が悪かったに違いない…
2007年10月08日
ワイングラスを購入した綺麗な青色をしたグラスには、鍍金で唐草のような模様が入っている価格を見るとかなり安かったので、思わず手が伸びてしまったそもそも、ワインはおろか、アルコールを1滴も飲めないのに、ワイングラスなんか購入するのは意味のないような話に思えるしかし、綺麗なものを身近に置いて、眺めるだけで生活が楽しくなるので、本来の目的ではないにしろ1つだけ購入したワイングラスを手にしながら、ふと思ったお酒って何が美味しいんだろう?自分も何度か口に運んだことはあるが、一度たりとて美味しいと思ったことが無い苦いし、不味いし、脈は乱れて呼吸は荒くなるし、記憶は無くなるし、二日酔いはするし…ちっとも良いことなんてありゃしないきっとアルコールを受けつけない体質なんだろうねお酒を飲む人は、皆美味しそうに飲むそれって、アルコール全般がダメな自分にとっては、生きる喜びや幸せを感じることが人より1つ少ないってことだよね?なんかちょっとばかり損している気分まぁ、お酒にまつわる喜びや幸せは知らないかもしれないが、日々生きる幸せを色々なことから感じているからいいか今日はどんな幸せがあったかな?なんて数えてみた喧嘩している友人と仲直りできたこと以前から探していたアーティスト(アディエマス)のCDを購入したことワイングラスを安く購入できたこと今日感じた幸せを振り返るほど時間にゆとりがあること酸いも甘いもひっくるめて、それらを包み込むようにして今日も何事もなく終わろうとしていること人からしてみれば、そんな事が幸せ?なんて思われるかもしれないが、これが自分の幸せこれで十分でしょだって、お金持ちになりたい!とか、楽して暮らしたい…なんて、望みだしたらキリがないし、そんな事ばかり考えていたら、今の自分の人生が非常に面白みのないものになってしまう今を生きている自分の身にふりかかる出来事を受け止め、それらをどう捉えるかによって、十分楽しくもなり、非常につまらなくもなる要は気の持ちよう楽しく幸せに生きたい!と思えば、どんな些細なことでも自ずと自分の目には楽しいこと、幸せなことが見えてくるはずなんだかこうして書いていると、ずいぶんと楽観的な人間と思われるかもしれないが、そんなことは無い幸せに感じること以上に、嫌なことやストレスに囲まれて生活しているだからこそ、自分の荒んでいる心は幸せを求め、どんな些細なことでも生きる悦びを感じることができるのだろう手にしていたワイングラスには、今日一日分の幸せが注がれていた小さな小さな幸せの集まりだけれど、それは自分が酔いしれるには十分すぎる量だった明日も明後日も、また次の日も、このグラスに幸せが注がれますように…
2007年10月07日
ここ数日雨が降っていて、肌寒い日が続いている最高気温20度と聞いても、そんな寒くは聞こえないのだが、少し前までが気温が高めだったので、寒さへの順応が自分のなかでまだ出来ていなくて、体感気温はかなり低く感じる自分は、肌寒い天気が好きなんか、ひんやりとしたなかに身を置いていると、自分が透きとおっていくような感じがする体や心に沁みついた汚れが落ちていくというか、なんというか…なので、ここ数日は、太陽が拝めなくとも快適に過ごしているようやく苦手な夏の暑さも終わり、過ごしやすい季節を迎えるわけだが、ひとつ憂鬱なことが…それは、朝の目覚め夏の時期は暑いから、寝苦しさで目覚まし時計より早く目が覚めたり、目が覚めてもすぐに起きることができるのだが、寒い季節となるとそうもいかない起床は大体3時(27時)だから、辺りは深々としている目が覚めて、部屋のなかの冷気に晒されると、なかなか起き上がることができない自分の温もりにすがるように、布団の中でモゾモゾするそんな時間が、幸せというかなんというか、自分で自分がいじらしく感じたりなんかしているここ数日は、目覚めるとひんやりとした空気が部屋を包んでいた【春眠暁を覚えず】という有名なフレーズがあるこれは、唐の詩人・孟浩然氏の詩『春暁』の一節で、その意味は“春は寝心地が良く、夜が明けたのも気づかない”といった内容のもの肌寒い天気が好きで、ちょうど快適な気候が続いている自分にとっては、【秋眠暁を覚えず】といったところだろうかまぁ万年睡眠不足ということもあるだろうが、寝床についてしまえばすぐに眠りについてしまい、気づけば起きなければならない時間ほんと、寝心地は良いが、寝起きが悪いというか往生際が悪い寒いので、布団から身を出すことができないしかし時間に猶予は無く、モタモタしていられないので、気合を入れて起床そんな日が寒い季節を迎えるこれから、毎朝続く…
2007年10月01日
こちとら仕事をしているのに、ちょっかいを出してくるヤツがいた今仕事の最中だから、邪魔しないでくれる?そう言っているのに、相手は言う事をきかない肌を触れてきたり、髪の毛を撫でたりと、大胆な行動をとってくる何してるの?オレのこと好いてくれてるの?でも、しつこいの嫌いなんだけど…邪険にしても、相手はマイペースな姿勢を決して崩そうとはしないあまりにもしつこく、仕事に集中できないので、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまったこんなこともあろうかと、いつでも手を伸ばせば届くところに凶器を隠していたので、相手が髪を撫でてこようとしたとき、自分は凶器を相手に向けたそれは自分でも驚くほど、衝動的で発作的な行動であった何か考える余裕があったのなら、こんな行動はとらなかったであろうただただ怒りに任せてのことだった自分でいて自分でいないような、興奮しているのか冷静なのかよくわからない、軽く意識が飛んだような状態間髪いれず、たじろぐ相手に向かって、凶器に指をかけるシュゥゥゥゥゥ~凶器から放たれたものは、見事相手のカラダに命中したすると、相手はまるでスローモーションのように床に倒れた悶え苦しむ相手自分から逃げるように背を向けて、小さなカラダを小刻みに震わせながら地を這う最期の力を振り絞っているのだろうかその姿を見て、やっと我に返ったような気がした自分が命を奪うようなことをしておきながら、胸が締め付けられるような思いに襲われたからであるオマエさんが悪いんだよオマエさんが、しつこいから…まるで自分の罪を正当化するかのように、自分に、そして相手に言い聞かせるその声は相手には届いていないだろう相手はしばらく苦しんでいたが、そのうちにこと切れてしまった辺りを見回した事の一部始終は誰にも見られていないようだ誰にも見つからないように、亡骸を掃きためた落ち葉の中に隠すと、再び仕事に戻ったいくらカッとなってしでかした事とはいえ、命を奪ったことは後悔しているし、胸も痛めている決して気持ちがいいものではない本来の自分なら、こんな殺生なことはしないそれもこれも、「ヤメテくれ」と幾度となく言っているのに、言う事を聞かないからだよえっ!?何を言っていたか判らないだって?そりゃそうだよね、言葉は通じないんだからでも、肌や髪に触れてきたとき、手で払い除けたじゃないかそれでもオマエさんは、何度も何度も…なんで自分から離れていかなかったのさそうすれば、こんな結果を見ることはなかったのにもしかして、自分の手で殺められることを望んでいたの?まさかね…今となっては、相手がどんな気持だったかなど知る由もない外は雨が降りしきっていたそれは、まるで今の自分の心情を表しているような冷たい雨だった
2007年09月30日
視線を感じたそれも、真っ直ぐストレートに突き刺さるような力強い視線まるで灼熱の太陽のように、ジリジリと肌を焦がす視線にこんなパワーを感じるのは初めてかもしれないはじめは気のせいかな?なんて思っていたのだが、会うたびに視線を強く感じるその汚れなき円らな瞳は、眩しいほどに輝いている目が眩むようなまぶしさに、自分は気づかぬフリをして、あえて目を逸らしたままでいた“目は口ほどにものを言う”というが、その熱い眼差しは、自分に何かを語りかけているのだろうか?その想いが何かは察することはできないが、何かしらのメッセージというか、心の叫びは感じとれる何か言いたげな目をしていることには違いない気づいてあげればいいのだろうか?耳を傾けてあげればいいのだろうか?いや、それはなんだかパンドラの箱を開けるような行為のような気がしてならない相手は見つめる…自分は、見つめられる…ただただ、その繰り返し
2007年09月12日
愛をもらいました愛する人からもらいました見ず知らずの人からもらいました小さな小さな愛をもらいましたたくさんたくさんもらいましたその小さないくつもの愛は、集まってやがて大きな愛となりました皆からもらった愛に満ち、ハッピーな気分になりました生きるパワーをもらいましたやさしい気持ちになりましたすべての人が愛しく思えるようになりました愛が満ち溢れて、零れてしまいそうだったので、零れて流れてしまうまえに皆におすそ分けしました笑顔を振りまきました苦手な人に優しくできました喧嘩している人と仲直りができました無礼をされても許す心を持てました愛をおすそ分けして、皆に幸せになってもらうつもりが、自分も幸せになっていました愛のパワーって凄いですこの世が愛で溢れる世界になれば、どれだけ幸せなことでしょうか…思いやり、優しさ、気遣い、労わり…ほんの小さな愛で、周りの人も、そして自分も幸せになります愛してくださいそして、愛されてください【もし君が人に愛されようと思うなら、まず君が人を愛さなければならない】(哲学者・セネカの言葉より)
2007年08月29日
テレビを見ていたら、心地よい歌声が流れてきた誰が歌っているのだろう?と、画面に目をやると、中孝介(あたり こうすけ)氏というアーティストのアルバム発売のコマーシャルだったたった15秒という短い出来事だったのだが、そのやさしい歌声と旋律が耳から離れることはなかった今日は銀座に用事があったので、用事を済ませたあとに山野楽器店へと向かった目的は、耳元から離れることがない、中孝介氏のアルバムを購入する為である1階の邦楽を扱うコーナーで、すぐにお目当てのCDを見つけることはできた中孝介氏のファーストアルバム『ユライ花』である森山直太朗氏、御徒町凧氏、河口恭吾氏、いしわたり淳治氏ら才能豊かなミュージシャンが寄らい(集い) 作り上げた優しさ溢れるファーストアルバム。デビューシングル「それぞれに」、映画「着信アリ Final」の主題歌「思い出のすぐそばで」、4月に発売後スマッシュヒット中の森山直太朗作曲「花」、河口恭吾作詞・作曲「サヨナラのない恋」を含む12曲。(アルバム紹介文より)早速、帰路に向かう車中で、買ったばかりのCDを聴いた1曲目は、自分が中氏の存在を知ることになったコマーシャルで流れていた「花」旋律がやさしい詩がやさしい歌声がやさしいやさしさに満ち溢れている曲そういえば、中氏のCDを並べていた陳列棚に、“地上で最も優しい歌声”なんて書かれていたっけ自分はあまり音楽を聴かないから、地上で最も優しい歌声かどうかは計りかねるけど…全12曲収録されている、今回のファーストアルバム一通りぜんぶ聴いてみたが、「花」以外の曲は、自分のなかでグッとくるものがなかった中孝介氏というアーティストに惚れたというか、「花」という曲に惚れたみたいなので、飽きもせずに「花」ばかりを繰り返し聞いているアルバムの帯には、こんなキャッチコピーが添えられている~今日の終わりを結ぶ歌 あなたの明日を紡ぐ歌~うまいコピーをつけたもんだな…と思った仕事終わりに、「花」を聴いているわけだが、詩の意味が持つ力の影響もあってか、聴いていると、『今日も一日、頑張ったね』と、励まされ、慰められ、勇気づけられるほんと、今日の終わりを結ぶ歌という感じ仕事帰りの自分のテーマ曲にします【中孝介氏】2006年3月、『それぞれに』でデビュー奄美大島出身、在住
2007年08月22日
立て込んでいた仕事も昨日でようやく一段落ついた今日は早く起きなくてもよかったのに、目覚まし時計のセッティングを戻しておくのを忘れていたので、1時間も早く起床もう一度寝たいところだったが、連日の睡眠不足のせいか、二度寝すると1時間後に起きれそうになかったのでやめたいつもは余裕が無い朝も、今日は早く起きたせいか時間にゆとりがあったので、隅田川のほとりを散歩した街はまだ眠りから醒めていないようで、ひっそりとしていた雑踏が苦手な自分にとっては、今の時間帯が一番好きだカラスが啼いている野良猫たちがじゃれているお年寄りが散歩をしている川は穏やかに流れていた東の空は綺麗な朝焼け毎日毎日時間に追われる生活気づけば時間は自分を追い越していき、どんどん一人歩きして、あっという間に1日が終わっていく今こうして、希望に満ち溢れた朝焼けの空や、すべてを受け止めてくれるような川の流れを見てのんびりと過ごしていると、時の流れと自分が一緒にペースを刻んでいるなと肌で感じるたまにはこうしたゆとりの時間も必要である…と、思ったのも束の間!気がづけば、結構な時間急いで出勤しないと!いつも通りの時間に追われる自分に戻っていた…
2007年08月17日
夕陽に染まる運河をまえにして、ひとり佇んでいた体はそこにあるのに、心ここにあらずの状態それはまるで、蝉の脱殻のよう完全に暑さにヤラれてしまったのだいやぁ、ほんと今日も暑かった立秋も過ぎ、暦の上ではもう秋なのだが、日に日に暑さが厳しさを増しているような気がする夏は容赦なく自分から体力を奪っていく暑さが苦手な自分にとっては、本当に辛いしかも、今日は追い討ちをかけるような出来事が起きた職場のエアコンの調子がおかしくなってしまったのであるエアコンのリモコンの調子がおかしくなったのは、数日前のことスイッチを入れることはできるのだが、電源を切ることができなくなったのが始まり電池切れか?と、乾電池を交換してみたが改善される気配はなし日を追うごとに、室温や風向きなど細かい設定変更をすることも不可能となるそしてついに今日、リモコンのスイッチを押しても振っても引っ叩いても、エアコンが作動しなくなってしまった社長は冷房が嫌いなので、お構い無しの顔をしているが、我々はそうはいかないこの暑さでは、エアコン無しでは仕事は捗りません!さて、どうしようか???思案中のところ、スタッフの一人が、『フィルターのところに、スイッチがある筈』と言ったそのスタッフは自宅のエアコンのリモコンが壊れていて、そのようにして手動で電源を入れているのだとか早速、送風口上のカバーの部分を外してみると、言われるとおり“自動運転”と書かれたスイッチがあったボタンを押すと、エアコンは作動し始めた助かったぁ~!が、しばらく経っても一向に涼まる気配を見せないエアコンの送風口に手を当ててみたすると、ものすごく微弱な風が出ている程度だった地球にやさしい省エネ運転実施中どうりで、涼しくならない訳であるしかし、エアコン本体には自動運転のスイッチのみしかついておらず、温度や風量の調整といった細々とした設定は不可能なのでどうすることもできない外気に比べたら、幾分涼しいからまだよしとするか夕闇が迫っていた日中に比べれば暑さは厳しくはないが、それでも暑いことには変わりない水場に行けば幾分涼しいかと、涼を求めて運河にきたのだが、風もなく、ただ立っているだけで、額や背筋にじんわりと汗が浮かんできた明日からは、汗拭き用のフェイスタオルをもう1枚と、帰るときの着替えをもってこよう
2007年08月15日
夏といえば花火夜空を焦がすような大きな打ち上げ花火を見たい!と、花火大会見物の予定を入れていたが、帰る間際になって、急遽仕事が入ってしまい、断念することにお得意様から“今すぐ来て”なんて言われたら、断るわけにはいかないでしょ第一、うまく丸め込んで断ることができたとしても、そんなんでは、どこか後ろめたさを感じて、花火大会を楽しむ心持なんてありゃしないしねでも、内心では、早く仕事が片付けることができれば、少しでも花火を観ることができるかな?なんて、ここにきて往生際の悪い一面を見せてはみたものの、それもすぐに撃沈となっただって、首都高速大渋滞しているんだもん!全然動きゃしないよハイ、花火大会は完全に諦めました諦めることって、あまりいい事ではないように捉えがちだが、時と場合によっては諦める潔さも必要だねそれまでは時間ばかり気になって、渋滞に巻き込まれてイライラしていたのが、諦めたことによって、なんだか気が楽になって、苛立つことも無くなった夕陽は西の空に傾き、自分の横っ面とハンドルを握る腕をオレンジ色に染める眩しいなぁ、コンチクショー!すみません、夕陽に八つ当たりしました高速道路は都心部を抜けると、車の流れは徐々にスムーズになり始めたあれッ?ひょっとして花火大会に間に合うかも!?いやいや、間に合わないから慌てず、急がず、お得意様のもとへと向かった…あともう少しで、お得意様のところに到着出る時はだいぶ高い位置にあった夕陽も、今ではその姿を確認することはできないそれにしても、今日の夕焼けは綺麗だなぁこういう空のことを茜色というのかな?♪夕焼け小焼けで日が暮れてぇ~山のお寺の鐘が鳴るぅ~♪夕陽をバックにして、自然と口ずさんでいたしばらく車を走らせていると、見晴らしのいい場所に出た目の前一面は夕焼けそのあまりにも美しい光景に目を奪われ、ちょっと車を停めて、その場に降り立ったまるで、焼き尽くすかのごとく、空は燃えるような赤々とした色をしていたこうして自然が紡ぎ織り成す、雄大で勇壮な光景を前にすると、大地、そして空から物凄いパワーを感じるただ黙って、なすがままに、押し寄せてくるパワーに身を委ねていると、自分の身体の中に何かが入ってくるのが感じ取れたそれは明日への活力、生きる希望生きることの素晴らしさ、尊さ、難しさ、儚さ…おっと!こんなのんびりしている場合じゃない仕事に向かう途中だったんだ…急いで車に引き返すと、アクセルを踏み込んだその頃には、花火大会に行けなかったことなど、すっかり頭の片隅から消えていた美しい夕焼けと出会えたことに感謝!常日頃から、人は選択肢を迫られながら生きている人生を左右する大きな選択もあれば、自分の人生において、影響しないであろう小さな選択もあるたとえば…赤信号を渡るか?渡らないか?昼はパンを食べるか?ご飯を食べるか?些細なことだが、それらも日頃から迫られている選択肢のうちのひとつどちらを選択するかは、最終的には自分だその選択が正しかったのか、間違っていたのか、そんな事はわからないなぜなら、もう一方を選択していたらどうなっていたかなど知る由もないからである自分が望んで選んだ道なら、結果がどうであれ自己責任の何ものでもないが、しかし、時と場合によっては、必ずしも自分が望んだ選択肢を選ぶとは限らない今日の自分がそうだ予定した花火大会に行くか急遽舞い込んだ仕事に行くか本音では花火大会に行きたかったが、仕事をとったそれは自分で言い聞かせたとはいえ、正直な気持ちでいえば、不本意な選択であったしかし結果はどうだろうこうして素敵な夕焼けと出会うことができたではないか生きることに間違いはないのだ【どの道を選ぶかより、選んだ道をどう生きるか】(ドラマ『僕と彼女と彼女の生きる道』のセリフより)
2007年08月01日
燦燦と降り注ぐ太陽の陽射しアスファルトからの照り返し青々と生い茂る木々から聞こえるのは蝉の声暑い!夏だ!ジリジリと肌は焼きつき、吸い込む空気は喉元に熱さを覚えるほど暑いのが苦手な自分はゲンナリとしていたが、まだ救いだったのは、今日は湿度が低いこと乾いた暑さなので、暑さの中にも気持ちよさがあった今日の太陽は、やんちゃ坊主若さ溢れるありったけのパワーを、地上に降り注ぐもう少し手加減してくれないかなぁ…恨めしい目で空を見上げると、そんな事はお構いましと言わんばかりのように、ギラギラと輝いていたいつもはありがたく感じる太陽も、今ばかりはちょっといい迷惑なるべく陽に当たらないように、まるで太陽から身を隠すようにして、日陰のなかを歩くでも空の上から覗いている太陽にしてみれば、自分を見つけることなど容易いことすぐに見つけられてしまう日陰に隠れる見つけられるそんな繰り返し太陽とのかくれんぼ今日は太陽に完敗
2007年07月24日
ここのところ、てんやわんやの大忙し特に今日は目まぐるしい忙しさ働けど働けど、仕事が片付く目途が立たない終わりの見えない仕事は、ほんと疲れるきっと、ペースが掴めないからだろうなんとか仕事を早く片付けようと躍起になるしかし、仕事の山はなかなか減らないそこでペースダウンしてしまうと、終わるものも終わらないので、必死になって頑張り続ける結果、ハイペースのままでいくので、ドッと疲れてしまうなんだか、それは人生に通ずるものを感じた人は皆、いずれは死ぬ今日か…明日か…一週間後か…一年後か…十年後か…百年後か…誰しも、自分がいつ人生の終焉を迎えるかなんてわからないだからこそ、今日という日を大切に、悔いのないよう日々を懸命に生きる多少のことなら無理や我慢もする毎日毎日を精一杯に生きるからこそ、充実もしているが、疲れてもしまうのだろうなんだか死に向かって生き急いでいるみたいだが、普段から死を意識して生きているわけではないたぶん、あまりにも仕事が忙しくて、こんな突拍子もないことを考えたのだろう忙しい忙しいと言いつつ、仕事以外のことを考えられる余裕があるのなら、まだまだ大丈夫やね山積みの仕事は今日中には終わらせないといけないので、頑張ります!【あたかも良く過ごした1日が、安らかな眠りをもたらすように、良く生きられた一生は、安らかな死をもたらす】 (レオナルド・ダ・ビンチの言葉より)
2007年07月10日
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