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2014年07月19日
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 利子の安いたかいは別問題として、比田から融通して貰うという事が、健三にはとても真面目に考えられなかった。彼は毎月いくらかずつの小遣を姉に送る身分であった。その姉の亭主から今度はこちらでかねを借りるとなると、矛盾は誰の眼にも映るくらい明白であった。
「辻褄の合わない事は世の中に幾らでもあるにはあるが」
 こう云い掛けた彼は突然笑いたくなった。
「何だか変だな。考えると可笑しくなるだけだ。まあいいや己が借りて遣らなくってもどうにかなるんだろうから」
「ええ、そりゃ借手はいくらでもあるんでしょう。現にもう一口ばかり貸したんですって。あすこいらの待合か何かへ」
 待合という言葉が健三の耳に猶更滑稽に響いた。彼は我を忘れたように笑った。細君にも夫の姉の亭主が待合へ小金を貸したという事実が不調和に見えた。けれども彼女はそれを夫の名前に関わると思うようなたちではなかった。ただ夫と一所になって面白そうに笑っていた。
 滑稽の感じが去った後で反動が来た。健三は比田に就いて不愉快な昔まで思い出させられた。
 それは彼の二番目の兄が病死する前後の事であった。病人は平生から自分の持っている両ぶたの銀側時計を弟の健三に見せて、「これを今にお前に遣ろう」とほとんど口癖のように云っていた。時計を所有した経験のない若い、健三は、欲しくて堪らないその装飾品が、いつになったら自分の帯に巻き付けられるのだろうかと想像して、暗に未来の得意を予算に組み込みながら、一、二カ月を暮した。
 病人が死んだ時、彼の細君は夫の言葉を尊重して、その時計を健三に遣るとみんなの前で明言した。一つは亡くなった人の形見とも見るべきこの品物は、不幸にして、しちに入れてあった。無論健三にはそれを受け出す力がなかった。彼は姉から所有権だけを譲り渡されたと同様で、肝心の時計には手も触れる事が出来ずに幾日かを過ごした。
 或日、みんなが一つところに落合った。するとその席上で比田が問題の時計を懐から出した。時計は見違える様に磨かれて光っていた。新らしい紐に珊瑚樹の珠が装飾として付け加えられた。彼はそれを勿体らしく兄の前に置いた。
「それではこれは貴方に上げる事にしますから」
 傍にいた姉もほとんど比田と同じような口上を述べた。
「どうも色々、おてかずを掛けまして、有難う。じゃ頂戴します」
 兄は礼を云ってそれを受取った。
 健三は黙って三人の様子を見ていた。三人はほとんど彼のそこにいる事さえ眼中に置いていなかった。仕舞まで一言も発しなかった彼は、腹の中で甚しい侮辱を受けたような心持がした。然しかれらは平気であった。かれらの仕打を仇敵の如く憎んだ健三も、何故かれらがそんな面当てがましい事をしたのか、どうしても考え出せなかった。
 彼は自分の権利も主張しなかった。又説明も求めなかった。ただ無言のうちに愛想を尽かした。そうして親身の兄や姉に対して愛想を尽かす事が、かれらに取って一番ひどい刑罰にちがいなかろうと判断した。
「そんな事をまだ覚えていらっしゃるんですか。貴夫も随分執念深いわね。お兄いさんがお聴きになったらさぞお驚きなさるでしょう」
 細君は健三の顔を見て暗にそのけしきを伺った。健三はちっとも動かなかった。
「執念深かろうが、男らしくなかろうが、事実は事実だよ。よし事実に棒を引いたって、感情を打ち殺す訳には行かないからね。その時の感情はまだ生きているんだ。生きて今でもどこかで働いているんだ。己が殺しても天が復活させるから何にもならない」
「おかねなんか借りさえしなきゃ、それでいいじゃありませんか」
 こう云った細君の胸には、比田達ばかりでなく、自分の事も、自分の生家の事も勘定に入れてあった。






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最終更新日  2014年07月19日 06時16分51秒


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