「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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桑名藩,森陳明弥一左衛門_2
幕末,戊辰戦争,箱館戦争,
森常吉
こと桑名藩士_
森陳明弥一左衛門
,君にかわれる死出の旅立,闇夜に消えた蒼い炎,十文字切腹,藩主の犠牲に散った臣達について,【楽天市場】
森常吉
,
森陳明
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森陳明弥一左衛門
, 戊辰戦争に巻き込まれた点に的を絞った彼の経歴,箱館戦争,新撰組頭取改役,桑名藩士
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桑名藩_
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)君にかわれる 死出の旅立
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)人物おまとめ資料編
(現在頁)
臣の切腹、臣たる男の掟_No.2
箱館戦争SERIES
桑名藩_
森常吉
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森陳明
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森弥一左衛門
君にかわれる 死出の旅立
資料編は、この行の下から
一般的に、よく散見しやすいのは上の句。
桑名藩に於ける『反逆の主謀者』として、全責任(
※関連:他藩の戦争責任犠牲者
)を負い、
切腹を成し遂げた男、森陳明弥一左衛門、44歳。彼の辞世の句である。
うれしさよ つくす心の あらわれて
君にかわれる 死出の旅立
そして、下の句。
なかなかに おしき命に ありなから
君のためには なにいとふべき
彼が責任切腹を成し遂げるその引き換え条件は、桑名藩の存続と、
今や、菊の御紋章輝く天下の官軍。楯突いた罪人、即ち朝敵、旧藩主_松平定敬の存命だった。
この忠誠心満ち溢れる言語・・・『君のため』その語の放つ響き。
しかし、何やら重い。
その訳は
冬の日、闇夜に消えた蒼い炎_十文字切腹
駒の命と人、主と臣
資料編
森常吉
桑名藩家老_
森常吉
(
森陳明
:
森弥一左衛門
)
人物について、おまとめ表
名前・藩
森弥一左衛門
。諱:陳明(つらあき)。桑名藩士。
戊辰戦争時、仙台で藩主・松平定敬に従い蝦夷行き決定。その際、桑名藩士は、
藩主側近家来としては2名のみの乗船許可。溢れた藩士は新撰組加入を条件として
乗船させてもらった。この時、要人に限らず、面の割れた人物の多くは皆改名。
・
森常吉
(つねきち)とは、箱館戦争時に於ける新撰組隊内での変名。
主な役職
◆1864年、藩主松平定敬が京都所司代就任。その際、主席公用人
◆箱館戦争時に於ける新撰組隊内に於ける役職:頭取改役。▼
実質上の隊長。明治2年5月15日、弁天台場が降伏。その際、新規隊長は、
相馬主計に変更。それまでは彼が箱館新撰組隊のTOP。
※(土方歳三は、この段階では、陸軍奉行の大鳥圭介の下、陸軍奉行並で
ある為、新撰組の隊長ではない。総括的地位。)
生死
文政9年6月12日(1826/7/16) ~ 明治2年11月13日(1869/12月/15日)
墓:三重県桑名市「十念寺」実子長男の「若槻陳義」名で建立。
箱館戦争敗れた後、他藩士は暫し抑留後帰藩。しかし彼は、
桑名藩に於ける『反逆の主謀者』としての全責任を負い切腹を強要され、負って
徹して没す。江戸桑名藩邸別邸にて切腹。
(引き換え条件は藩存続、藩主存命。=完全な犠牲)
※桑名藩に限らない。ブラックリストにあがった藩は全て、臣の誰かが同じ宿命
法号智勇院清挙忠誠義剣居士。
別途、九華公園に殉難旌節の「精忠苦節」の碑有。
九華≒くはな≒桑名:秘められた音の響きに桑名藩の悲哀。
森家はお家断絶。森姓は廃されたが、長男は若槻三木太郎として存命。
建立の際には、若槻陳義の名で。父は陳明である。諱の陳義の名で建立した彼には、
無念の父の死を悼んだご子息の意地を感じる。
出生
江戸藩邸生まれ。小河内殷明(ただあき)の長男。叔父の森陳功(つらよし)に
男児なく、養子IN。弥一左衛門の名は、この森家に入って改めた名。
桑名藩家老_
森常吉
(
森陳明
:
森弥一左衛門
)
略生い立ち
戊辰戦争に巻き込まれた
視点にポイントを絞った
彼の経歴
1864年、藩主松平定敬が
京都所司代就任。その際
主席公用人就任したのが
運命の発端。
▼
箱館戦争へ突入
▼
榎本軍降伏
▼
捕虜として抑留されるが
彼だけは、他藩士と異な
るルートに進む宿命。
▼
先に脱出自訴の藩主は
辛うじて存命。
▼
桑名藩に於ける『反逆の
主謀者』としての全責任を負い切腹の運命。
(引き換え条件は藩存続、藩主存命。=完全な
犠牲)
江戸
御馬廻四人扶持にスタート。横目、御使番、大目付と出世。
1864年、藩主松平定敬が京都所司代就任。その際、主席公用人となる。
京都
【京都所司代藩主松平定敬及び、実兄の松平容保(京都守護職=会津藩主)は
孝明天皇の死以来、転落の坂道】
森が就任3ヵ月後、池田屋事件勃発。
後、引き続き渦中。禁門の変。長州征伐。大政奉還。王政復古の大号令。
王政復古の大号令と共に、藩主は所司代を罷免され、越後枕崎へ謹慎名目で
実質上の追放。しかし、藩主はさらにここから再起、徹底抗戦へ。
この段階で、森は残務処理の為、京都で留守居役。
江戸から東北、ついに蝦夷へ
藩主の意に従い、上野彰義隊に参加。藩主を追い枕崎目指し、成り行き転戦。
仙台で榎本艦隊合流の上、蝦夷へ。箱館戦争に参加となる。
蝦夷:箱館戦争時
蝦夷到着間もなく怪我を負う。明治元年10月22日(1868)峠下の戦いに於いて
敵の夜襲を蒙る。この2日後、七重村の戦いで負傷、鷲の木霊鷲院に収容される。
関連:峠下の戦い、及び七重村の戦いについて:
関連1_
敵への報恩、長州編このあたり=「峠下の戦い、及び七重村の戦」
関連2_
小笠原長行&小笠原胖之助編内の「峠下の戦い、及び七重村の戦」
明治元年12月24日(1868)恭順派の酒井孫八郎が蝦夷へ藩主説得の為渡航=失敗
酒井孫八郎の粘り。藩主、悩み過ぎて体調崩すが明治2年3月3日、乗馬好きの
藩主に良馬を与え元気復活させる。(良馬:この時代の若者にとっては憧れの名車
同然。藩主はなんといっても24歳)
官軍、蝦夷、乙部上陸以来、敗色濃厚となる。
明治2年4月13日(1869)藩主連れ帰り成功
皆港に公を送る。ここに於いて別杯を賜い、皆言上して曰く、生前の離別、
これを限りとなす。後に必ずや潔く戦死を以って厚恩に報せん。遂に
流涙の離別となる。
藩主は暫し、上海に密航後、下交渉確立の上日本へ連れ帰る作戦だったが、
藩主本人が断念。密航諦め5/18横浜で自訴、謹慎。
この年、早々既に新撰組頭取改役に正式に就任している森。
連敗。多大なる犠牲。
5/15ついに弁天台場陥落、降伏。この時、初に隊長が相馬主計にかわる。
5/18五稜郭降伏。同日、森と相馬が高松凌雲の箱館病院、病院掛小野権之丞訪問
の上、怪我人の相談。(小野権之丞の記)
関連:
幕末の虹の彼方へ,箱館戦争,諏訪常吉の手紙
(終焉屈辱の恭順の様子が解る頁)
箱館戦争大敗降伏後
5/22_桑名藩士は青森へ。油川の明誓寺謹慎。後、津軽藩預かり替。弘前の
薬王院で謹慎。
他藩士との決別
◆森を除く他藩士は、
この後青森蓮華寺で10月迄謹慎。
11/8品川着。11/11霊岸寺にて藩士は、謹慎中の藩主定敬(=厳密には、
この段階で既に藩主は明治元年8月1日、桑名藩は定教(幼名:万之助=後
の松平定教:定敬の前藩主松平定猷の子)を藩主に切り替え存続。
つまり藩主格は剥奪されている。)に拝謁。
11/13東京発。11/23桑名へ帰着
重傷者:谷口、金子、角谷他は東京で治療中
枕崎謹慎中、盛り返して徹底抗戦に藩主定敬が踏み切った際、恭順派
を倒してクーデターを起こした時、恭順派を殺害した首謀格の二人、
高木貞作、山脇隼太郎は帰藩できないので留学=海外へ。
◆森本人
9/27:森一人、東京の軍務局へ入牢。
11/13:江戸桑名藩邸別邸へ引き渡される。=切腹強要。
※強要に他ならないが、この段階で彼は既に観念している。
藩の戦争責任を全て、負って被って終わらせる己の宿命。
箱館戦争時の年齢参考
◆藩主・松平定敬(24歳)、◆森常吉本人(44歳)、◆石井勇次郎(24歳)
◆角谷糺(25歳)、◆谷口四兵衛(29歳)
◆酒井孫八郎(25歳)
:酒井氏:この人物は恭順派。箱館戦争参加組ではない。藩主を説得する為に、危険を
侵し、蝦夷へ上陸。最終的に説得成し遂げ、連れ帰った人物。
辞世の句
上の句
うれしさよ つくす心の あらわれて 君にかわれる 死出の旅立
下の句
なかなかに おしき命に ありなから 君のためには なにいとふべき
※君=藩主・松平定敬のこと。
弘前の薬王院謹慎中の句
とらわれの身となり奥の油川より弘前へ行く路にて
鶯の音を聞きて、鶯の鳴く音みにしむみちのくの
心細道たとりゆく旅
我がうさをなくさむとてか鶯の鳴く音みにしむけふのたひ路は
弘前の君(津軽藩)に預けの身となりし折よめる
夏の夜の寝やにさし入る月かけも
おほろにみゆる我心かな
箱館のやふれし時に身ををし終へは
かかるうきめに逢はさらましを
生きながらにして亡霊同然の我が身を嘲笑。いっそ死んでおけば良かったのだろうか。
万事藩主様の為だった。その藩主は、今囚われ人。痛ましい姿を思い浮かべ嘆いている。
この段階で、己の宿命はまだ察知していない様子が伺われる。
「心細道たとりゆく旅」とは、松尾芭蕉の奥の細道を洒落架け。細道は細道でも
今にも消え失せそうな己の姿。=「おほろにみゆる我心かな」
三殿族の家来達の心情
箱館戦争突入の三殿とは
◆桑名藩主:松平定敬
◆備中松山藩主:板倉勝静
◆藩主ではないが
小笠原長行
(唐津藩江戸藩邸)
(
関連:小笠原SERIES3
編と資料
)
箱館戦争突入した者の内、三殿族の家来達の心情は少々他と異なる。
無論、他に於いても、主従の関連はいたるところにあるため、臣として従うが故の犠牲は
多いのだが、それらを除して大局で言うなれば、皆には「不義への戦い」「徳川報恩」がある。
ところが上記、三殿族の家来達の場合の多くは、主に従う忠義のみタイプが大半。
その彼ら全員が翌年明治2年の敗色濃厚時点で、主を失う。
3人は先に箱館脱出。従者を見捨てて己一人生き残りたいからでなく、藩存続の大命有。
しかし、従者達の立場になれば、一体何の為だったか・・・完全に星を失いつつ、
尚も戦い続けねばならぬ宿命。新撰組の中島登が描いた戦友絵姿のひとつに、唐津藩士
、
栗原仙之助の姿、哀れ絶命の瞬間を描いたものがある。(関連:解説文)
この時代、臣は、殿の御前、潔く戦死を遂げる、戦死の瞬間を殿に見届けてもらえるなれば、
それは最大の誉であり悔いはなかった。それだというのに、その殿は、どこにも居ない!
文章解説(c)by rankten_@piyo、
写真等、素材については頁下表示
桑名藩家老_
森常吉
(
森陳明
:
森弥一左衛門
)
No.1_経緯:人:君にかわれる死出
<
_
No.2人物についておまとめ表(現在頁
駒の命と人、主と臣
冬の日、闇夜に消えた蒼い炎_十文字切腹
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