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Jan 14, 2006
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 瞑想とは、サマーディ(三昧)のことだと私は思っています。


 もともと、禅定や三昧という意味での『瞑想』は
サンスクリット語のサマーディ(サマージ)から来ています。

 サマーディのポイントは、『無心になること』

無心とは、その漢字から、
「何も考えないこと」
と捉えがちですが、そうではないんですね。

『無自覚に連鎖する思考』を離れるということです。



一心不乱に事をするさまとして使いますよね。

 一心不乱とは、
「一つの事に心を注いで他の事のために心が乱れないこと」ですから、
それは『無自覚に連鎖する思考』を離れている状態ですよね。


むしん【無心】
(2) 心中に何もとらわれた心がないこと。
1 仏語。固定的なとらわれがなくなった状態。
凡夫の一切の妄念がとりはらわれた心。虚心。無念無想。⇔有心。

2 仏語。一切は空であると観ずる心。

3 (形動)心に何のわだかまりもなく素直であること。自然のままに虚心であるさま。「無心な笑顔」

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988





 すべてのことは相対的であり、絶対にこうすべきというものはないということが腑に落ちているから、囚われが無くなり、『 ただ自然になる 』んですね。


 禅では、三昧、ただ自然になることを『そのものに成り切る』というような言い方をします。
食事をしているとき、
「私」が「食事をしている」のではなく、

それは切り離せないもので、ひとつであるということです。

 道元は、『只管打座(しかんたざ)』といいました。
それは『ただ座ること』ということです。

 この『ただ座る』は、二通りに解釈できます。(ここすごく重要)

1.「悟りをひらくため」には、経を読んだり、念仏を唱えることも不要で、ひたすら座禅という修行をすればよい、という解釈。

2.「悟りをひらくため」や「仏になるため」に座るのではなく、
座禅するときには「ただ座る」ことと一体に成り切ることが、即、仏である。

「只管」『ただ~する』を受けるのは「打座」だけではありません。

歩くときには、ただ歩く、
腹が減ったら、飯を食う、
眠くなったら、布団に入る

これが禅の「平常心是道(びょうじょうしん これ どう)」です。

 これにも、
「朝起きて、ご飯を食べて、仕事をして夜は寝る、
そんな当たり前の日常が道である」
というような別な解釈がありますが、
そんな意味ではないと私は思います。

イヤイヤ起きて、イヤイヤご飯を食べて、イヤイヤ仕事をする。
その間、
『あー、仕事に行きたくないなあ』
などと雑念ばかりの日常だとしたら、それが仏道だと思いますか?


歩くときには、ただ歩く、
腹が減ったら、飯を食う、
眠くなったら、布団に入る

 そういった日常そのものが修行であり、修行が日常である、
と修行と感じるのは、
悟りを開いていないときです。

 悟りを開くと、
ただ行う日常の在りようが無心となり、
そのような日常がそのまま悟りの境地であることが腑に落ちるのです。


 つまり、ただ在るとき、それはサマーディであり、そのまま瞑想なのです。


---- 引用開始 --------------------------

臨済が

「何があなたに起こったんですか?
みんながあなたは悟ったと言っていますが?」と聞かれたとき、
彼は肩をすくめて言ったものだ
「起こった? なんにも
私は森で木を伐り、禅堂に水を運ぶ
井戸から水を運び
冬が近づいているから木を伐る」
彼は肩をすくめた
とても意味深長なジェスチャーだ
彼が言おうとしていたのはこういうことだ
「なんにも起こっちゃいませんよ
なんというナンセンスをあなたは聞いているのか
それは自然なことだ
井戸から水を運び、森で木を伐る
人生は全く自然なものなのだよ」
臨済は言う
「眠くなれば私は眠る
腹がすけば私は食べる
生は完全に自然なものになったのだ」と



解脱とは
あなたが完璧に自然であることにほかならない
解脱とは
何かあなたが
自分はものすごくたいそうなものを手に入れたんだと言って
自慢にするようなものじゃない
それは全く大それたものなんかじゃない
それは全く並はずれたものなんかじゃない
それはただ自然であること
ただあなた自身であることにすぎないのだ



それならどうすればいいのか?
見せかけを落としなさい
偽善を落としなさい
自分の自然な実存のまわりに培ってきたあらゆるものを落としなさい
自然になるのだ
はじめのうち、それはとてもとても骨の折れることだろう
しかし、はじめのうちだけだ
一度あなたがその感じをつかんだら
他人もまたあなたに起こったことを感じはじめるだろう
なぜなら、真正な存在というのは大変な力があり
大変な磁力を持っているものだからだ
みんなが何かを感じはじめることだろう
この男はもう我々の一員としては動かない
あいつは完全に違う、と
そして、あなたのほうは別に困ることなんかない
落ちてゆくのは人工的なものだけだからだ
人工的なもの
見せかけや仮面を投げ捨てることによって
いったん虚空が生み出されたなら
そのとき自然な実存がその流れを始める
それにはスペースがいるのだ

からっぽで
自由で
そして自然でありなさい
それをあなたの生の最も根本的な原理にするといい

(『存在の詩』P69P70)

---- 引用終了 --------------------------


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最終更新日  Jan 14, 2006 12:38:18 PM
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