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Jan 23, 2006
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 中庸と中道という似たような言葉があります。このふたつを混同している人もいます。

 釈尊が言った中道の意味については、ほとんどの人が誤解しているように思います。
辞書でも、同じに扱っているものがあります。


【中庸】(ちゅうよう)とは、
どちらにも片寄らないで常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。

【中道】(ちゅう‐どう)
・極端に走らない中正の立場。
・〔仏〕二つの極端(二辺)すなわち有・無、断・常などの対立した世界観を超越した正しい宗教的立場。


 釈尊の中道の教えに、弦の張り方のたとえがあります。


反対に弦が緩く張っていても良い音はではない。
ちょうど良く張られているのが、良い音色を出すのだ。

というものです。
聞いたことがある人も多いと思います。

 これを『両極端によらずに中ほどが良い』と解釈すると中庸と同じになります。
辞書には、仏教の意味とは別に、その意味もありますね。

 仏教での意味としては、これではフォーカスする部分がずれていると私は思っています。


 釈尊がいったのは、
「自分が出したい音(目的)に合う張り方が、ちょうど良い張り方である」
だと思うんですね。

 この解釈の違いは、


 ほとんどの方は、【端】という状態があると思っています。
それを前提にしています。

 でも、それは幻想です。
その人が採用した基準に対してあるように見えているだけです。

 そして、その基準を無意識に採用しているために、


 その前提がある状態で、弦のたとえを聞くと「中ほどが良い」と解釈してしまうのですね。


 しかし、釈尊の悟りは、【縁起】ですから、そのようなことをいうはずがありません。

 そもそも、有・無、断・常などの対立した世界観を超越した無分別で世界を観ているのですから、【端】はありません、端がなければ中もありません。

 しかし、ひとたび、「自分が出したい音」という目的を持つと、その縁に因ってちょうど良い張り方が生ずるのです。

 極端に言えば、
キンキンの高い音で緊張感を演出したいという目的を持てば、
切れる寸前の張り過ぎが中道(良い加減)ということなのです。

 そうでないと
「ロックなど歌ではない」?
そんな頑固な固定観念と同じになってしまいます。


 変だと思いますか?

 そう思う方は、釈尊が率いていた比丘と比丘尼たちの生活を思い出してください。

 あれは、極端に寄らない生活だと思いますか?

 それとも、一般的に見たら極端に偏っているけれど、目的から観ると適しているともいえると思いますか?


 中道というのは、愛と同じでどれでもすべて選べるのです。
悟りの境地とは、無分別ですから、分別する条件がないのです。
その境地の上に、ある目的を持つことで初めて条件が生まれ、最適が生じてくるのです。

 それが中道だと私は思います。



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最終更新日  Jan 23, 2006 11:41:07 AM
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