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Apr 1, 2006
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テーマ: たわごと(27633)
カテゴリ: スピリチュアル
 心の問題を考えるとき、「私とは意識だ」と捉えるとシンプルになっていきます。(昨日の「 私ということ 」の続きです)

 「身体とは、その意識がまとう服のようなものだ」という感覚ですね。
臨死体験研究で有名なエリザベス・キューブラー・ロス博士もそのよう意味のことを言っていますよね。

 では、「意識としての私」とは何か?

広辞苑によれば
い‐しき【意識】
1.〔仏〕(梵語 mano-vij・na)
認識し、思考する心の働き。


2.(consciousness)
今していることが自分で分っている状態。
われわれの知識・感情・意志のあらゆる働きを含み、それらの根底にあるもの。
唯物論哲学では、意識の生理的基礎は脳髄の活動で、
個人の意識は環境の主観的反映として時間的・空間的に限定されている、
と考える。
また、
観念論哲学では、経験的意識の根底にその本質ないしは可能の条件として経験に制約されぬ純粋意識・先験的意識・意識一般などの先天的存在を論定し、それが認識・道徳・芸術などの妥当性の根拠をなすと考えている。



 私の解釈は、
「意識としての私」とは
『好みとしての違い』です。



その好みに従って思考、行動を繰り返し、
思考、行動のパターン(くせ)が生まれ、
それがその人の人格を形成します。

 人の性質がそうやって決まるなら、
好みをかえて、これを行えば、人格が変わるはずです。




 心が変われば 態度が変わる
 態度が変われば 習慣が変わる
 習慣が変われば 人格が変わる
 人格が変われば 人生が変わる


 私は上で「経験」を(環境と自由意志の結果)と簡単に説明をつけました。

 多くの人は、
自分が見ているものを誰もが見ている絶対的なものだと無意識に信じて、
というか、
違うはずだという意識を持たずに生きています。

だから、たとえば、
自分が『すごくおいしい』と思っているものを
「とてもまずい」と言う人がいると、驚いたりします。
驚くというのは、想定外ということなんですね。

 人により、好みが違うということを
頭では理解していても
腑に落としていないのです。

 悟った人というのは、
「すべてが相対的だ」
ということを腑に落としている人です。


タデウス・ゴラス著「なまけ者のさとり方」山川紘矢・亜希子訳◇地湧社
という本のあとがきで、訳者の山川さんはこう書いています。

---- 引用開始 -------------

 そもそも「さとる」とはどういうことなのでしょうか?
本文中にも説明がありますが、このことは人によって、それぞれ定義、解釈が異なることでしょう。

私が学んだことは、
「枠をはずす」あるいは「限界を設けない」そして「すべてを愛する」ということだと思うのです。

「こうあるべきだ」
「何々でなければならない」
「これは正しくて、あれは誤りだ」
「この方が上だ」
「この方が得をする」
「勝つ方がいい」
というような自分の体の中に深く根をはっている判断基準に
一つひとつ気がついて、
「この世には何でもあり得る」
「良いも悪いもない」
「さとってもさとらなくてもいい」
「今の自分が最高」
「この世はこのままで素晴らしい」
ということが体の中から湧き上がってくることではないでしょうか。

つまり、すべてを受け入れ、愛する、ということです。

そうすると、地獄のような状況にいると思っていたのが、実は天国にいたことを発見するのです。

(P120 あとがきより)

---- 引用終了 -------------

 「すべてが相対的だ」という考えを、自由意志で選択すると
この山川さんの言葉の後半の考え方ができるようになります。

同じ出来事にであっても、経験が変わってくるのです。

たとえば、
「こうあるべきだ」
「何々でなければならない」
「これは正しくて、あれは誤りだ」
と考えを自由意志で選択している人が、
その基準に当てはまらない出来事に出会うと
怒りや悲しみという否定的な感情が湧きます。

(ここでつかっている否定的な感情の意味は、
ものごとを否定しているときに湧く感情のことで
否定すべき感情という意味ではありません)

ところが、
「この世には何でもあり得る」
「良いも悪いもない」
という相対的ということを理解した考えを自由意志で選択したとき、
そこに否定的感情が湧く余地はありませんよね。

 そのときの意識は愛になっているのです。(^^)
自分の好みを絶対視し、すべての人の正しさとなっていたものが消えているのです。
(好みはあります)

ポイントはここです。
本来、単に自分の好みでしかないものを
絶対的な正しさとして誰かに押し付けようとすること、
それに従わなくていけないと思ってしまうことが
つまり、好み(価値観)の絶対視が心を病ませるのです。


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最終更新日  Apr 1, 2006 09:45:15 AM
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ミハエル  
 心が変われば 態度が変わる
 態度が変われば 習慣が変わる
 習慣が変われば 人格が変わる
 人格が変われば 人生が変わる

まさにその通りだと思います。ミハエルって初めて知りました。

アドラー心理学では、「私」のことを「個人」と呼び、あらゆる部分的な構成物のシンフォニーのように醸し出されるものだと考えています。構成物全部を単に足したものではないと思っています。

オーケストラの音楽は、バイオリンや、ピアノや、チェロや様々な楽器の音色によってできているけど、一つ一つの音色を単純に足したものじゃないじゃないですか?

同じように個人も個人全体としての「意志」「目的」を持っていると考えています。この個人の意志と意識している意志がずれたときに、「酒をやめたいんだけど、やめられない。」という状態になります。つまり、意識では「やめたい」のですが、個人は「飲み続けたい」のです。

またまた、似ていますねえ。考え方。 (Apr 1, 2006 12:10:53 PM)

Re:ミハエル(04/01)  
wing-space  さん
> 心が変われば 態度が変わる
> 態度が変われば 習慣が変わる
> 習慣が変われば 人格が変わる
> 人格が変われば 人生が変わる

>まさにその通りだと思います。

心の仕組みをしると、
この言葉が良く分かりますよね。(^^)

>アドラー心理学では、「私」のことを「個人」と呼び、あらゆる部分的な構成物のシンフォニーのように醸し出されるものだと考えています。構成物全部を単に足したものではないと思っています。

なるほど


>オーケストラの音楽は、バイオリンや、ピアノや、チェロや様々な楽器の音色によってできているけど、一つ一つの音色を単純に足したものじゃないじゃないですか?

うんうん(^^)

>同じように個人も個人全体としての「意志」「目的」を持っていると考えています。この個人の意志と意識している意志がずれたときに、「酒をやめたいんだけど、やめられない。」という状態になります。つまり、意識では「やめたい」のですが、個人は「飲み続けたい」のです。

それは分かりにくいなあ

>またまた、似ていますねえ。考え方。

おそらく、真実に近づくと同じになるんだと思います。


(Apr 4, 2006 10:24:40 PM)

Re:ミハエル(04/01)  
wing-space  さん
> 心が変われば 態度が変わる
> 態度が変われば 習慣が変わる
> 習慣が変われば 人格が変わる
> 人格が変われば 人生が変わる

>まさにその通りだと思います。

心の仕組みをしると、
この言葉が良く分かりますよね。(^^)

>アドラー心理学では、「私」のことを「個人」と呼び、あらゆる部分的な構成物のシンフォニーのように醸し出されるものだと考えています。構成物全部を単に足したものではないと思っています。

なるほど


>オーケストラの音楽は、バイオリンや、ピアノや、チェロや様々な楽器の音色によってできているけど、一つ一つの音色を単純に足したものじゃないじゃないですか?

うんうん(^^)

>同じように個人も個人全体としての「意志」「目的」を持っていると考えています。この個人の意志と意識している意志がずれたときに、「酒をやめたいんだけど、やめられない。」という状態になります。つまり、意識では「やめたい」のですが、個人は「飲み続けたい」のです。

それは分かりにくいなあ

>またまた、似ていますねえ。考え方。

おそらく、真実に近づくと同じになるんだと思います。


(Apr 4, 2006 10:24:43 PM)

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