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Feb 27, 2010
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至道無難
唯嫌揀擇
纔無憎愛
洞然明白


至道(しいどう)は無難なり
唯だ(ただ)揀択(けんじゃく)を嫌う
纔(わずか)に憎愛無くんば


■ 
道とは、悟りに至る道、仏の教え、仏教。また悟り。ですから、
至道は、悟りということ。
無難とは、難しさがない

揀択(けんじゃく)とは、分別のこと

憎愛とは、分別によって囚われている状態の例
憎しむとは、嫌いな状態に囚われ続けた結果
愛とは、仏教では渇愛を意味し、
渇して水をほしがるように凡夫が五欲に愛着すること
すなわち、どちらも執着(しゅうじゃく)のこと。

したがって、纔無憎愛とは、執着、囚われがまったくないこと


迷いの全くない境地の喩え

明白とは、明らかで疑う余地のないこと


悟りは、何も難しいことではない。
ただ絶対的な正しさに基づく分別に囚われないことだ。

そこはもう、迷いの全くないすっきりとした悟りの境地である。

■補足
多くの解説を見ると、
「唯嫌揀擇」を分別をしないこと、と説明しているのが多いですが、
一般の人の「分別」の概念で解釈すると、
間違って理解してしまうことになります。

そもそも、分別の反対である「分別をしない」というのは、無分別ですが、
禅で「無分別」というとき、
それは、鈴木大拙的に言えば「無分別の分別」なのです。
「無分別の分別」とは、囚われのない分別です。

 釈尊は、その教えを多くの人に広めようとしましたが、
そこには、多くの人に広めることが良いと思うという分別があるはずですよね。

 でも、悟っている釈尊には、執着(しゅうじゃく)がないので、
その分別は、無分別なのです。(無分別の分別)




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最終更新日  Apr 16, 2016 07:51:50 PM
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