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Mar 22, 2011
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カテゴリ: 幸せになろう
 今回の東日本大震災に遭われて、家も家族も失って、仕事の糧までも失ってしまった人もいらっしやるかもしれません。
 そんな困難や苦しみの中で死んでしまったほうがましだという思いが浮かんだこともあるかもしれません。生きる意味を問い直した方もいらっしゃるかも知れません。

 生きる意味、人生の意味、人生の目的などは昔から何度も多くの人に問われてきました。
そして、多くの人がその答えを知っているようではありませんから、つまり、決定的な答えは出ていないと思われます。

 実は、生きる意味、言い換えれば『人は何のために生きているか』については、二通りの見方ができるのです。

 『意味』というものを最初から本質としてもっているものは存在しません。
『意味』というものは、意志によって目的が設定されたときに、
その目的に対して生じるものなのです。

 たとえば、カレーに砂糖を入れることに意味があるか?

しかし、それはおいしいカレーを作ろうという目的を暗黙のうちに想定しているから意味がないと思えるのであって、もし、まずいカレーを作ろうという目的であれば、砂糖を入れることにも意味が生まれます。

 そのように意味は目的に対して生じるものであり、目的は『これを成し遂げたい』という意志によって生じます。

 大きな苦しみや困難に遭って『こんな人生に何の意味があるんだ、何のために生きているんだ、何のために生まれてきたんだ』というような問いは、実は、この物質世界に自分を生まれさせた、いわゆる神(創造主)に対する問いなのです。神の意志、神の目的を尋ねているのです。
 通常では、神はそのような問いに答えてくれませんから、哲学者などそれぞれの人が想像して答えを出しているので、決定的な答えが出ていないのでしょう。

 ところが、人生にはもうひとつの意志が存在します。その人生を生きている本人の意志です。その人が生きる目的を定めたとき、生きる意味が生まれてきます。(ちなみに他人の意志に従うのが共依存)

 ヒカリズムでは、すべての人の願いである『幸せを感じること』を人生の目的に定めます。『幸せになること』ではなく『幸せを感じること』という言葉を使っているのには深い意味があります。

 『幸せになること』という考えには、ほとんどの場合自分の外側にある幸せをもたらす状況を手に入れることを想定していますが、本当の幸せは『無条件の愛になること』なのだとわかったから『幸せを感じる』という言葉を使っています。それは『幸せで在ること』ともいえます。

 実は、神の意志と目的は、臨死体験者や前世療法による中間世(いわゆるあの世)での光の存在によって伝えられています。それによれはこの物質世界でのさまざな体験を通して、無条件の愛を選び、本来の愛の存在になることを目的として生まれてきたのだということです。

 通常、愛は好きの最上級のような形で使われていますが、『無条件の愛』はそれとは全く違います。無条件の愛とは神の愛であり、すべての受容です。

 その愛を身につけたのは、仏陀やイエスであったり、ナチスのユダヤ収容所ですごしたV.E.フランクルです。フランクルの『それでも人生にイエスという』というのは、ナチスに家族や友人をゴミのように扱われ殺されたそのような非情な現実であっても『無条件で受け容れる』ということなのです。

 それが愛を選ぶことであり、そのまま『幸せで在ること』なのです。



引用開始--------------------------

 人が人生で直面するありとあらゆる困難、試練、苦難、悪夢、喪失などを、多くの人はいまだに呪いだとか神の下した罰だとか、何か否定的なものと考えています。
でも、ほんとうは自分の身に起こることで否定的なことはひとつもありません。
どうしてみんなはそれに気がつかないのでしょう。
あなたが経験する試練、苦難、喪失など、あなたが「もしこれほどの苦しみだと知っていたら、とても生きる気になれなかっただろう」と言うようなことはすべて、あなたへの贈り物なのです。


あなたが美しい庭にすわっているだけで、銀の皿にのった豪華な食事を誰かが運んできてくれるのだとしたら、あなたは成長しないでしょう。
 でも、もし病気だったり、どこかが痛かったり、喪失を体験したときに、それに立ち向かえば、あなたはかならず成長するでしょう。痛みを、呪いとか罰としてではなく、とても特別な目的をもった贈り物として受け入れることが大切です。

人生の究極の目的とは、つねに最良の選択をすることです。

引用終了--------------------------

 蛇足ですが、もし謝りたかったり、何かを伝えたかった人がその前に無くなったとしても、いつだって遅すぎるということはありません。人は肉体として死んだ後も、意識として存在してあなたの声を聞くことができるからです。



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最終更新日  Mar 28, 2011 09:32:13 PM
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