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クロニクル 東京のダンスホール、全て閉鎖となる1940(昭和15)年10月31日東京の全てのダンスホールが,この夜限りで全面的に閉鎖されました。どのホールも、ラストダンスを楽しむ男女で超満員の盛況だったと、当時の記事は伝えています。日米開戦に先立つ1年1ヶ月余のことですが、日中戦争は泥沼化しつつあり、軍部の横暴に眉をひそめる人々も多かった頃でした。横文字は御法度とされ、タバコも改名を余儀なくされ、当時の人気銘柄の「ゴールデン・バット」は「金鶏(きんし)」「チェリー」は「桜」に変更されたのも同じ10月31日のことでした。野球用語のストライク・ボール・アウト・セーフなども敵性語として使用を禁じられたのも、この頃のことです。
2006.10.31
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クロニクル 思想統制に転換 文部省学生課設置 1928(昭和3)年10月30日 この日、文部省は学生課を設置、各官立大学や 高等学校に、学生主事が置かれました。 主事の主な任務は、大学や高等学校(戦前の 高等学校は、大学の予科の機能を果たしており、 いわゆる一般教育を担っていました。全国の 県立高校の卒業生は、よほどのことがない限り、 ほぼ全員帝国大学に入学できたため、高校時代は 読書と哲学的思索にふけり、人間いかに生きるべきか を考える、思想的足場を模索する時期だったのです) の学生に対する思想統制にありました。 この時から,次第に思想の取り締まりが厳しくなって いくのです。 1925(大正14)年に定められた治安維持法が、思想統制の 牙を剥き始めたのでした。 ここに大正デモクラシーを謳歌した、自由主義的な空気は 次第に失われることになり、「物言えば唇寒し」の 暗い時代が幕を開くのでした。
2006.10.30
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クロニクル NTT株の公募売出し価格決定1986(昭和61)年10月29日、大蔵省(当時)は、この日、NTT株の一般投資家への売出し価格を、1株119万7千円と決めた旨を発表しました。薄く、広く幅広い投資家に行き渡るようにとの行政指導が行き渡ったせいか、零細投資家の私も、当時付合いのあった第一証券と丸三証券から各1株の割当を受けたことを覚えています。東証等への上場は、翌87年の2月9日でしたが、この日は買いが殺到して、超大型株にもかかわらず、値つかずで終え、翌日10日に幹事証券の冷やし玉で160万円の初値をつけました。その後も上昇を続け、318万円で天井を打ちました。そこからの下げは、ご存知の通りです。公募に当たった投資家はそこそこの利益を手にできたわけですが、上場後に参加した投資家の中には、高値のババを掴まされた方も多かったようです。
2006.10.29
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クロニクル ハチの一刺し1981(昭和56)年10月28日この日、元首相田中角栄被告に対するロッキード事件丸紅ルートの公判で、証人として東京地裁に出頭した榎本敏夫被告(田中角栄被告の元秘書)の前夫人三恵子氏は「榎本は五億円の受領を認める発言をしていた」と暴露、当事者しか知り得ない受領の内幕を詳細にかつ生々しく陳述しました。ここに田中被告の有罪への流れは決定的となり、発言は,ハチの一刺しという流行語を生んだのでした。
2006.10.28
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クロニクル 秋月の乱1876(明治9)年10月27日この日、福岡県の士族、宮崎車之助らが、秋月で挙兵。小倉の鎮台兵により、鎮圧された。3日前の24日には、熊本の士族,太田黒伴雄らによる神風連の乱が起きており、ここに明治の日本は、翌明治10年の西南戦争に連なる,士族叛乱の多発時代に突入したのでした。
2006.10.27
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クロニクル 元勲伊藤博文、凶弾に倒れる 1909(明治42)年10月26日 前韓国統監 伊藤博文(69才)公は、 この日、清国黒竜江省の省都ハルビン 駅頭にて、朝鮮人青年安重根の凶弾に 倒れた。 この日、伊藤は日露戦後のロシアとの関係 修復を探るために、ロシア蔵相ココフツェフとの 会談のため,ハルビンを訪れ、駅構内の列車の 貴賓車の中で、会談を終えて列車を降り、居並ぶ 各国領事と挨拶を交わした直後に安の銃弾に 倒れたのでした。 日本国内は,この報に強い衝撃を受けましたが、 統監として、日本の朝鮮支配を強化した伊藤は、 韓国民衆にとっては怨嗟の的であり、暗殺者 安重根は、韓国では独立運動の義士として、 今も英雄視されています。 1つの事件も、見る角度が変わると,全く異なった 顔を見せる,歴史理解の難しさの一端を示す、 好個の例がここにあります。 日中・日韓の歴史理解を擦り合わせる作業はやらなければ ならないことなのですが、その作業はなお前途遼遠だと 思わざるをえません。 しかし、独・仏はヨーロッパ連合の前進に向けて、過去の怨念を 捨てて、共通の歴史教科書の作成に向けての困難な作業を続け、 遂にその作業を完成させています。 アジア特に北東アジアの日・中・韓の努力が問われているのも、 また確かなのです。 参考 近藤孝弘『国際歴史教科書対話 ーヨーロッパにおける過去の再編』(中公新 書) ----- Original Message ----- From: > To: ??????@za.wakwak.com> Sent: Thursday, October 26, 2006 10:29 AM Subject: 26日の日記
2006.10.26
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クロニクル 外交権の喪失 1945(昭和20)年10月25日 この日、GHQは日本政府に対し、 日本の外交権を停止する旨を 通達、ここに占領下の日本における 統治権は占領軍であるGHQに属し、 GHQに委任された範囲でのみ、 日本政府に存在価値がある状況が この後しばらく続くことになったのでした。 この状況が本格的に解消するのは、 サンフランシスコ講和によって、占領状態が 解消、日本が独立を回復した1952年4月28日 (条約締結は1951年9月8日)になります。 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@za.wakwak.com> Sent: Wednesday, October 25, 2006 10:37 AM Subject: 25日の日記
2006.10.25
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クロニクル 大恐慌の幕開く1929(昭和4)年10月24日10月はじめから微妙な値動きを示していたNY株式は、この日の朝は平穏でしたが、10時前から急激に下げ始め、売りが売りを呼ぶパニック状態になりました。昼には取引の正確な情報さえ分からないという混乱状態に陥ったのでした。しかし、午後になって金融界が急遽対応策を練っているとの情報が伝わると、急速に持ち直して取引を終えたのでした。しかし、これは1時的な凪に過ぎず、翌週29日には終日売りの嵐が吹き荒れたのでした。「暗黒の木曜日」に続く「悲劇の火曜日」の追い討ちでした。ここに、株価は10月の1ヶ月だけで、37.5%も急落、上場株式の時価総額は9月末評価の896億ドルから、12月1日には、なんと635億ドルへと、259億ドルもの減少となりました。NY株式の工業株平均はニュヨークタイムズの発表によれば、1926年末の180ポイントがから、上昇を始め、28年1月には240ポイント、29年1月330ポイント、そして実態経済の変調、フォード車の売れ行き不振が報じられる中、なお夢見る投資家の参入で上昇を続け、10月には440ポイントの高値を付けたのでした。バブルの崩壊、ユーフォーリア(根拠のない熱狂)の醒めたあとを知る我々には、何かわが身に起こったことのような感じもします。しかし、米国の株価大暴落は、実態経済の変調に目をつぶってのものだっただけに、米国からの資金流入に頼って、第1次大戦の破局から、経済再建を進めていたドイツ経済を直撃し、そのドイツからの戦争賠償に頼って経済再建を進める仏・英の経済にも大打撃となったのでした。こうした混乱は植民地経済にまで波及して、ついにはソ連を除く全世界を巻き込んだ、世界大恐慌の引き金になったのでした。----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Tuesday, October 24, 2006 10:39 AMSubject: 24日の日記
2006.10.24
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クロニクル 第1次オイルショックの本格的幕開け 1973(昭和48)年10月23日 この日、石油メジャーのエクソン・シェルの両社が、 そろって、原油価格の30%値上げを、日本の各社に 通告しました。 10月6日に始まった第4次中東戦争は、イスラエルへの 武器補給をやめない米国とアラブ諸国の対立に発展し、 OAPEC(アラブ石油輸出国機構)は、石油を政治交渉の 武器とする戦略を決定、原油生産を削減して、イスラエル 支持の国々への原油の輸出割当を制限したのです。 この戦略は見事にヒットしたのですが、スポット買いに走る 業者が続出して、原油価格は急上昇を続けました。 その第1段が、買いつけ価格の上昇分を転化しようという、 メジャーによるこの日の日本各社への、値上げ通告だった のです。 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@za.wakwak.com> Sent: Monday, October 23, 2006 10:41 AM Subject: 23日の日記
2006.10.23
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クロニクル キューバ危機1962(昭和37)年10月22日この日、アメリカ合衆国大統領ケネディは、カリブ海の隣国キューバに、ソ連がミサイル基地を建設中である証拠を掴んだと発表、今後の武器等の搬入を阻止するために、キューバに対する海上封鎖を実施する、ソ連船といえども、臨検の例外とはしないと発表しました。すわっ米ソの軍事衝突は避けられない、第3次世界大戦=核戦争の勃発かと、世界は悲壮な覚悟を迫られたのでした。この日は丁度私の20才の誕生日でした.米国時間の22日でしたので、日本でニュースを知ったのは、23日の夕刊でしたから、良かったのですが、それでも20才の翌日から暗い気持にさせられるとはと、忘れられない苦い記憶として今も鮮明に覚えています。数日後、ソ連共産党のフルシチョフ第一書記は、キューバ近海に達していたソ連船に引き上げを命じ、危機は回避されたのでした。世界が第3次世界大戦に最も近づいた1週間でした。----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Sunday, October 22, 2006 10:21 AMSubject: 22日の日記
2006.10.22
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クロニクル 農地改革の断行1946(昭和21)年 10月21日ポツダム宣言を受諾し、GHQの占領下にあった日本は、商工業における財閥支配と、農業における地主支配を抜本的に改めることを迫られ、ここに財閥解体と農地改革の断行によって、日本社会の民主化が進められたのでした。1946年のこの日、前年12月29日に公布された第1次農地調整法に続いて、自作農創設特別措置法と農地調整法の改正法(第2次農地調整法)が公布され、ここに農地改革が本格的に実施されることになったのでした。4年後の1950年に完了した農地改革では、(1)不在地主の全貸付け地(2)在村地主の法廷所有地(1町歩=約1ha=3000坪、 ただし、北海道ではその4倍の面積)を除く全貸付け地 の公定価格による強制買い上げと、同じく公定価格での 小作農などへの売却(3)残存する小作地の小作料は、田は生産量の25%・畑は15% を上限として、金納とすること。以上の点が厳しく実行に移されたのです。こうして、農民の80%以上が自作農または自小作農となり、残存小作地は10%余にまで減少しました。山林には手をつけなかったとはいえ、小規模自作農が多数を占める農村は、冬場の出稼ぎや、中卒男女の大都会や工場地帯への集団就職によって、商工業への労働力の供給基地ではあり続けましたが、もはや『女工哀史』や『あぁ、野麦峠』に描かれたどん底の貧しさとは違った社会に変身していったのです。公定価格での買取り、売却の決定後に顕著になった悪性インフレや新円切換えによって、地主は実質的に農地をただ取りされたような状態に陥り、農民達はただ同然の安値で自作農に変身できたことになったのです。こうして農村は、戦後保守の強固な地盤を形成することになったのでした。
2006.10.21
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クロニクル 中曽根裁定下る1987(昭和62)年10月20日昨日記したNYのブラックマンデーの影響で東京市場は朝から売り一色。買い物が入らないため、ストップ安売り気配の銘柄が続出するパニック状態の中でした。この日、引退を表明していた中曽根首相は、名乗りをあげていた、安倍晋太郎・竹下登・宮沢喜一の三氏の白紙委任を取り付けた上で、自らの後継に最大派閥竹下派の竹下登氏を指名したのでした。最大派閥からの総理・総裁の登場は、田中角栄元首相の辞任後、13年振りのことでしたから、長期安定政権誕生かと思われたのですが、「好事魔多し」というべきか、リクルート事件に連座して、一般消費税の導入を花道に在任2年足らずで辞職を表明するのは89年4月末のことでした。----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Friday, October 20, 2006 10:37 AMSubject: 20日の日記
2006.10.20
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クロニクル ブラック・マンデー1987(昭和62)年10月19日この日、NY株式市場が急落、ダウ工業株30種平均は、一挙に508ドル32セント率にして22.6%もの急落を記録しました。米国ウォール街での株価急落は、あの世界恐恐の引き金を引いたことで名高い、1929年の暗黒の木曜日が有名ですが、あの29年当時の暴落でさえ、下落率は12.8%だったのですから、記録を10ポイントも上回る大暴落が起こったのでした。レーガノミックスによる財政と貿易という双子の赤字がアメリカ経済を蝕んでいたとか、システムトレードの普及が売りが売りを呼ぶ連鎖となって、下落幅を拡大したとか色々な検証がなされましたが。おそらくその全てが一分の真実をついていたものと思われます。一夜明けた火曜日の東京市場も、日経平均は3836円安と、14.9%の急落を記録、翌日こそ戻しましたが、その後再び下げに転じ、年末まで約2ヶ月の調整を余儀なくされたのでした。しかし、欧米市場に比べると、日本市場の下げは小さく、翌88年1月から、89年12月にかけて、いわゆるバブルの絶頂期を経験する事になるのです。----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Thursday, October 19, 2006 10:34 AMSubject: 19日の日記
2006.10.19
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クロニクル ミニスカートの女王ツイッギー来日今日は軽い話題で……1967(昭和42)年10月18日この日を境に、ミニスカート旋風が日本を席巻することになりました。オリンピック後の不況を克服し、再び勢い良く成長を続けた日本経済は、「昭和元禄」と命名されました。消費の好調が続き、女性の服装も次第に派手好みになり、欧風ファッション、特にパリモードがもてはやされ、スカート丈も少しづつ短くなりだしていた頃です。そんな時に登場したのが、ミニスカートの女王ともてはやされたツイッギーでした。彼女の来日を機に、日本でも若い女性を中心にミニスカートが爆発的に流行し、駅の階段や歩道橋などでは、目のやりばに困ったものでした。ただ、このミニスカート、流行としての息の長さは大記録もので、現在では社会的に定着しています。女性の支持を得た結果といえましょうか。----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Wednesday, October 18, 2006 10:40 AMSubject: 18日の日記
2006.10.18
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クロニクル OAPEC石油戦略を発動1973(昭和48)年10月17日この日、ペルシア湾岸6ヶ国は、原油公示価格を21%引き上げることを決定、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)10カ国の石油担当相会議は、イスラエル支持国向けの原油生産を5%削減するという、石油戦略を決定したのです。6日に始まった第4次中東戦争において、この日いよいよ産業社会の命綱,石油を武器とした石油戦略が発動されたのでした。史上に名高い第1次オイルショックは、この日の決定が基礎となって、始まったのでした。----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Tuesday, October 17, 2006 10:32 AMSubject: 17日の日記
2006.10.17
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クロニクル 「中国核実験を実施」1964(昭和39)年10月16日42年前のこの日は、東京オリンピックが始まって丁度1週間。折り返し点にかかったところでした。この日、午後3時(日本時間4時)に中国西部のタクラマカン砂漠での大気圏内核実験(当時の発表では原爆実験)に成功したと、発表されたのでした。1960年2月13日にサハラでの核実験を成功させたフランスに次いで、中国が5番目の核兵器保有国に名乗りをあげた瞬間でした。(他は米・ソ・英の3国)中国はソ連(当時)の支援を受けて56年頃から核開発に乗出していましたが、59年頃からの中ソ対立が深刻化する中でソ連の支援は完全に途絶え、独力での核開発を続けたのでした。使用された核材料は,比較的取り出し易いプルトニウムではなく、より高度な技術を必要とするウラン235であったため、中国は原爆だけではなく、比較的短時日に水爆実験にも成功するだろうと観測されました。同日、中国政府は「核兵器全面禁止条約」の締結に向けた国際会議の開催を核保有国に呼びかけ、世界的な批判をかわそうともしたのでした。それにしても2日前の14日には、ソ連で政変があり、フルシチョフ第一書記が失脚、やがてブレジネフ書記長・コスイギン首相・ボドゴルヌイ最高会議幹部会議長の3人によるトロイカ体制が固まって行きます。東京オリンピックは、国際的な諸事件のハザマで行われていたのでした。世紀の祭典と浮かれていたのは(私もその1人でしたが)、日本人だけだったのかも知れませんね。----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Monday, October 16, 2006 10:39 AMSubject: 16日の日記
2006.10.16
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クロニクル1949(昭和24)年10月15日57年前のこの日、戦後初来日の米国プロ野球チーム(ただし、マイナーリーガーです)、サンフランシスコシールズの来日第一戦が巨人軍との間で行われました。場所は東京後楽園球場でしたが、本日一番書きたい事はこの後です。この試合の観覧席で、この日、日本初お目見えの商品が販売されました。 その品というのが今やお馴染みのポップコーンとコカコーラです。両品とも爆発的人気を博するのは、もうしばらくあとのことになりますが……----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Sunday, October 15, 2006 10:29 AMSubject: 15日の日記
2006.10.15
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クロニクル1946(昭和21)年10月14日60年前のこの日、GHQは国民学校(小学校)における、日本歴史の授業再開を許可する覚え書きを発表しました。前年の12月31日、GHQは「修身」「日本歴史」「地理」の授業停止と教科書回収の覚え書きを出し、この年46年1月25日には、有名な「墨塗り教科書令」を発令するなど、学校教育は激しい変化の中にあったのですが、7月の「地理」、9月の「公民」に続いて、この日,最も遅れていた「日本歴史」の授業再開許可が出たのでした。授業は『くにのあゆみ』と題する全く新しい歴史教科書を用いて行われ、神話からではなく、考古学的叙述から始まる画期的な内容で、学問上の成果を無視する皇国史観とは一線を画したものでした。----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Saturday, October 14, 2006 10:35 AMSubject: 14日の日記
2006.10.14
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クロニクル1955(昭和30)年10月13日この日、当時の左派社会党(鈴木茂三郎委員長)と右派社会党(河上丈太郎委員長)が一同に会した社会党の統一大会が開かれ、4年余に及ぶ分裂に終止符が打たれ、衆議院156議席、参議院118議席の日本社会党が誕生したのでした。この革新政党の統一に刺激を受け、自由党と民主党が自由民主党として、合同することを決議、保守合同が実現したのは、同年11月15日のことでした。ここにいわゆる二大政党対立時代、55年体制が成立をみました。合同した自民党は憲法改正を目指して,議会で2/3の議席を確保することを目指し、逆に憲法擁護を掲げた護憲政党の社会党は議会で1/3の議席を確保することを目指したのでした。----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Friday, October 13, 2006 10:42 AMSubject: 13日の日記
2006.10.13
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クロニクル1978(昭和53)年10月12日この日,警視庁はサラ金等貸し金業に関する実態調査の結果を発表しました。この時期はサラ金等による40~60%という高額な利息と苛烈な借金の取立てが社会問題化していた時期でした。調査によると、同年1月から8月までの8ヶ月間で借金苦による自殺者130名、蒸発等行方不明者1,502名、自殺者の88.5%が男性、女性は主婦が大多数だったと報告されています。また特に女性の借金の大部分は30~50万円の小口で「家計のやりくりのために借りたが、利息があまりに高く、元金が減らずに困っていた」人という実態があきらかになったのでした。また家出人の多くが20~40代だった事実も明らかになりました。ここに、サラ金規制の必要性が明かにななったのですが、サラ金等からの政治献金がネックになったのか、国会での審議はなかなか進まず、世論やマスコミの指弾を受け、ようやく「サラ金等規正法」が成立をみたのでした。時、1983年11月と、警視庁による実態調査発表の5年後のことでした。ここで留意していただきたいのは、この時の規制が高利規制、過剰融資規制、強制取り立て規制の3点の眼目を持っていたことです。昨今問題となっている「グレーゾーン」金利を巡って、またまた、まったく同じ問題が議論されているのをみると、何か、四半世紀前にタイムスリップしたかのような感懐を持つのは私だけでしょうか。あの時も、金利を下げれば生活困窮者は融資を受けられなくなるとの主張が業界寄りの議員や官僚からしきりに出されていました。しかし結果をみれば明かなように、そのようなことは全くなく、その後に業界大手は飛躍的に業績を伸ばし、わが世の春を謳歌したのです。今日ではメガバンクまでもが、ほぼ横並びで高利貸的貸し金業に進出、グレーゾーンの維持にシャカリキになっている姿は、どこかマンガチックに見えてなりません。過去の事実の示す事は、グレーゾーン金利など不用、金利を下げても業界が困ることなどないという事実です。マスコミや金融庁は、何故このハッキリした事実をきちんと示さないのか不思議でなりません?----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Thursday, October 12, 2006 10:42 AMSubject: 12日の日記
2006.10.12
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クロニクル1985(昭和60)年10月11日この日、政府は国鉄の分割民営化を閣議決定しました。民営化法案は、翌86年11月28日に衆議院を通過、87年4月1日に、JR各社や国鉄清算事業団などが発足、国鉄は110余年の歴史に幕を引いたのでした。----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Wednesday, October 11, 2006 10:47 AMSubject: 11日の日記
2006.10.11
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クロニクル1974(昭和49)年10月10日この日、立花 隆氏の「田中角栄研究ーーその金脈と人脈」を掲載した『文芸春秋』11月号が発売されました。世に言う「田中金脈」問題の口火を切ったこの論文は、発売と同時に大きな話題を呼び、今太閤と話題を呼んだ田中人気は急速に失速、田中首相は11月26日には,遂に辞職を表明するところまで、追い詰められたのでした。その後、ご存知「神に祈る気持で…」と表した椎名裁定で三木武夫氏が総裁に指名されたのは、12月1日のことでした。
2006.10.10
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クロニクル1998(平成10)年10月9日この日、日経平均は12,879.97円と、バブル後の最安値を記録しました。この値は、バブル崩壊後の最安値であり、同時に1990年代の最安値となりました。バブル崩壊後の日経平均は、3年後の92年8月18日に14,309.41円を、さらに3年後の95年7月3日に14,485.41円をつけて再び反転、さらに3年後の98年10月9日に、上記の安値をつけたのでした。長銀処理が迷走の果てに,破綻認定の上で国有化、やがて日債銀も破綻認定後に国有化と、金融危機が最も深刻な局面を迎えていた時期でした。----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Monday, October 09, 2006 12:45 PMSubject: 9日の日記
2006.10.09
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クロニクル1974(昭和49)年10月8日この日、佐藤栄作前首相にノーベル平和賞が授与されることが発表されました。在職中に実現した「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」の非核三原則の国会決議が、高く評価された結果の受賞でした。ところで、非核三原則は、72年に米国から返還された沖縄の米軍基地に、核兵器が配備されたままではないのかとの不安感が拭えず、沖縄の人々が訴えていた「核抜き本土並み返還」が本当に実現するのだろうかと、国会でも厳しく追及されたのでした。こうした野党の追及をかわす為に、非核三原則を世界にアピールすることが提案され、国会で満場一致で議決されたのでした。佐藤首相自身が積極的に推進したものではなかっただけに、国内ではその他のノーベル賞受賞者の時のような、祝賀ムードは見られなかったのです。----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Sunday, October 08, 2006 11:50 AMSubject: 8日の日記
2006.10.08
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クロニクル1979(昭和54)年10月7日この日第35回衆議院議員選挙が行われました。前年に就任した大平首相は、財政再建を錦の御旗に附加価値税の導入を掲げて、選挙戦を戦い、自民党は保守系無所属議員を追加公認するという、窮余の一策で辛うじて過半数を確保するという打撃を受けました。約1ヶ月後の11月9日の首班指名選挙では、自民党から大平総裁の外に、前総裁の福田赳夫氏も出馬、党内を二分する分裂状態となりましたが、田中派の支持を得た大平総裁が新自由クラブの支持も得て、辛うじて勝利する一幕となりました(大平・田中vs福田の30日抗争。この頃から角影内閣の呼称が生まれる)。ここに、附加価値税の導入は頓挫し、中曽根内閣での下での売上税の導入も失敗。竹下内閣の下で、消費税(当初税率3%)と三度名を変えて(課税方法も少しづつ変わっていますが、大型間接税という本質は変わっていません)導入に成功するのは、附加価値税構想発表の10年後、1989年のことでした。(89年4月1日 消費税の課税スタート)----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Saturday, October 07, 2006 1:16 PMSubject: 7日の日記
2006.10.07
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クロニクル1973(昭和48)年10月6日この日、エジプト・シリア両軍がイスラエルに対する攻撃を開始、第4次中東戦争が始まりました。 戦争のさなか、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)はOPEC(世界石油輸出国機構)の協力も得て、イスラエル支持の国々に対する原油輸出の制限と、原油の減産を決定して、第1次石油ショックの引き金を引いたのでした。ここに、従来1バーレルあたり2ドル~3ドル程度(差は原油の質による)だった原油価格は、15~18ドルに急騰(その後、80年の第2次石油ショックでは30ドル前後に急騰)しました。これでも現在に比べれば安いのですが、当時としては大変でした。国内では洗剤やトイレットペーパーがスーパーの店頭から消え、パニックが起きましたし、世界的に物価は急騰しながら、景気は最悪と、戦後世界では最初の、世界同時不況となり、世界的にスタグフレーション(不況下の物価高)が深刻化したのでした。国内では猛烈な物価高で、結構労働賃金も上がった時期でしたが…。----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Friday, October 06, 2006 11:44 AMSubject: 6日の日記
2006.10.06
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クロニクル1958(昭和33年)10月5日フランスで第五共和制が発足しました。第2次大戦後に発足した第四共和制では、大統領権限が弱く小党分立による政治混乱が続いたため、泥沼化していたアルジェリア独立戦争への対応も後手に回り、収拾がつかなくなっていました。ここに大統領に強力な権限を認める、第五共和制への移行を、この日施行に移された憲法改正によって実現したのでした。ただちに大統領選が実施され、対独レジスタンスの英雄ドゴール将軍が下馬評通りに圧勝。12月21日のことでした。ここに対米追随路線をとるイギリスと、対米独立路線をとるフランス、その中間を行く西ドイツという、60年~70年代のヨーロッパ政治の雛型が出来あがったのでした。ドルを信任せず、稼いだ外貨は全て金に転換するドゴール流に揉まれたこともあって、遂にアメリカが金・ドル交歓停止に追い込まれるのは、1971年のことでした(ドゴール自身は1968年の五月革命と呼ばれる学生反乱によって、既に辞職に追い込まれていましたが…)----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Thursday, October 05, 2006 1:18 PMSubject: 5日の日記
2006.10.05
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クロニクル1940(昭和15)年10月4日この日、商工省(戦後通産省、現在の経済産業省)が、マッチと砂糖を配給統制の下に置く規制を公布した。対米開戦には、まだ1年2ヶ月の時間があったが、長期化する一方の日中戦争によって、少資源国日本の物資不足は、この時期既に深刻化しつつあった事を如実に示す一齣として、忘れてはならない決定の1つでした。因みに、この規制は全国6大都市における配給切符制の導入だったのですが、早くも11月1日には、切符制は全国に拡大導入されました。この結果、生活用品の闇市場が急速に拡大してゆきます。----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Wednesday, October 04, 2006 1:20 PMSubject: 4日の日記
2006.10.04
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クロニクル1930(昭和5)年10月3日この日、東京・大阪の清算米取引所(米の先物市場ですね)で、米価が大暴落。両取引所は勿論、全国の米穀市場が休止に追い込まれました。前年10月の米国の株安を端緒とする世界恐慌の影響が、日本にも及んできたのでした。----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Tuesday, October 03, 2006 11:45 AMSubject: 3日の日記
2006.10.03
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クロニクル1968年(昭和43年)10月2日は日経ダウ平均が1851円49銭と、この日までの東証のダウ平均で史上最高値を記録した日となりました。因みにこの値が抜かれるのは、翌年のことになります。2000円到達は69年、5000円到達は1972年、1万円到達は84年、2万円は87年、3万円は翌88年です。翌89年大納会の38915.87円が最高値で、翌年バブルがはじけたのでした。----- Original Message -----From: >To: ??????@za.wakwak.com>Sent: Monday, October 02, 2006 1:25 PMSubject: 2日の日記
2006.10.02
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