ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2007.11.17
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カテゴリ: 国際政治
第一次世界大戦(2) 

ドイツの事情

ドイツは何故積極的だったのか。それには二つの事情がしてきされます。

先ず、第1に、1910年頃から、ドイツはその影響下に置いたはずの、バルカン半島やオスマン帝国領内においても、英仏資本の攻勢を受けて劣勢に陥り、欧州戦争という軍事的冒険に訴えることによってしか、局面が打開できないのではないかと、考えるところまで、追い詰められていたことです。

そしてこうして追い詰められたドイツにとって、幸運だったのは、フランスとロシアに対する軍備拡張競争で先行しているという、自身が持てたことでした。

当時1900年前後に完成した帝国主義時代において、資本主義列強と呼ばれた諸国(イギリス、フランス、アメリカ合衆国、ドイツ、ロシアなど)の間では、植民地獲得競争の展開に欠かせない、軍備拡大競争が熾烈に行なわれており、各国は軍備拡大5ヵ年計画や3ヵ年計画を競い合っておりました。

この軍拡競争において特徴的なことは、軍の装備はその完了を持って効果を発揮するという点です。そして、軍拡が大型化するに連れ、計画も大型化し、そのため新たな計画は1年で完了しないことは勿論、3年でも不可能となり、基本的に5ヵ年計画になったことでした。これは、計画中の1年目や、3年目といった計画途上の段階では、部分的な装備の配備しか出来ず、期待する効果は半分はおろか、事実上ゼロに近いということを意味します。装備は全てが揃ってこそ効果を発揮するということです。

その点で、フランスやロシアより、当時は工業力で先行していたドイツは、有利な立場にありました。スパイ合戦も激しかった当時、各国の軍拡計画は事実上筒抜けであり、5ヵ年計画の完了時の軍事力には、さほどの開きがないことも、お互いの了解事項でした。

実をいうとここにドイツの強気の理由がありました。ドイツは表面上の5ケ年計画のスピードをはやめ、1914年夏の時点で完了していたのです。同じ計画をフランスが完了するのは、15年の春、ロシアのそれは16年春の予定でした。



ですから、14年夏という時点は、ドイツにとって撒き返しの絶好のチャンスだったのです。

ドイツはこうも考えていました。国土の広いロシアは軍の動員・結集に時間がかかる。おそらく開戦3ヶ月はロシアとの決戦を想定しなくて済むであろう。その3ヶ月の間に、短期戦でフランスを叩けば、フランスとロシアという2方面の作戦を強いられることはないであろうと。

短期決戦しか考えないドイツは、このように考えていました。ここには長期戦の備えが全くなかったこと、そしてイギリスの参戦が全く考えられていなかったことという、二つの点が特徴的でした。そしてこの点が、ドイツの大きな誤算だったのです。
                       続く





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最終更新日  2007.11.17 16:21:22
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