ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2008.01.12
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カテゴリ: 国際政治
第一次世界大戦(45) 

3人の政治家…その1

14ヶ条原則を引っさげたアメリカ合衆国大統領ウィルソンは、12月14日パリに到着しました。パリ講和会議は翌19年1月に、戦勝27ヶ国によって開始されました。ドイツなどの敗戦国は招かれませんでした。先ずは戦勝国側の意見を合致させることが優先されたのです。

また戦勝27ヶ国の会議と言っても、米・英・仏・伊・日の5ヶ国が重要事項を決定する最高会議のメンバーとなっていて、他の国々は、自国の関係する問題の会議に参加するだけでした。またイタリアと日本も、直接利害の関わる問題以外には関心を示さず、ほとんど発言もしませんでした。

こういうわけで、パリ講和会議は実質的に米・英・仏三国によって、実質的に進められたのです。

フランス首相クレマンソーは、1870年の普仏戦争期に、既に急進派に属した若手政治家であり、1871年のヴェルサイユ講和条約の審議に際しては、アルザス・ロレーヌのドイツへの割譲に抗議して、反対票を投じた経歴の持ち主でした。彼と同時代を共有する政治家はほとんどが鬼籍に入り、彼は71年の屈辱を知る唯一の生き残りでした。その老虎クレマンソーが、国家存亡の危機に際して、挙国一致内閣を率いる重責を担い、そして今講和会議のフランス全権として、ウィルソンに対峙したのです。

イギリスの首相ロイド・ジョージも挙国一致内閣の首相として、大戦後期のイギリスを指導した人物でした。彼はアジテーション能力の高い、民衆の支持を基盤とした政治家でした。27才で下院に議席を占めたロイド・ジョージは、この時55才、ボーア戦争に大反対した議会演説で、あやうく議会から追放されかけた経歴を持つ彼も、今や壮年の政治家として、現実との折り合いのつけ方に長け、クレマンソーとは別の視点を持ちながらもイギリスの利益を主張すべく、ウィルソンを待ちうけていたのです。
                          続く





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最終更新日  2008.01.13 00:15:52
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