ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2009.01.20
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カテゴリ: 民衆の歴史
マリア信仰の形成(5)

キリスト教の教父たちが、女性を忌避し、全面的に排除していては、人間社会の存続も、キリスト教の存続も不可能となります。自家撞着に陥った教会は、困りあぐねた末に、世俗における男女の結婚を必要悪として認め、男女の行為は快楽を求めるものではなく、子孫を設けるための行為としてのみ、これを認めたのです。 

このとき、マタイとルカが伝えた神の子イエスの誕生秘話、あの「受胎告知」が大きな意味をを持って、教父たちの目に留まったのです。イエスの母マリアは、処女にして母となったではないか。マリアは特別の女性として、我々の前にあり、我々の苦衷に光を投げかけてくれている。彼らはこう考えたのです。

こうして、当初マリアは、その母性によってではなく、処女性によって注目を集め、キリスト教会の信仰の対象に加えられたのです。しかし、マリアは特別な女性でした。「処女にして母」たることは、普通の女性にはできない相談です。例え彼女達が修道女であってもです。しかし、一生を処女のままで神に仕えて過ごすことなら、不可能ではありません。ここから、一生を神に仕える修道女たちに、魂の救いが与えられたのです。

イヴは処女性の喪失によって楽園を追われました。しかしマリアはその処女性の保存によって、神の子の母としての地位を保つことが出来た。マリアは永遠の処女であり、その身体は穢れなく完全なものであるとされたのです。

こうした処女信仰は、グレゴリウス改革の過程で広められ、聖職者の間ばかりではなく、次第に一般にも広がりを見せはじめたのです。時に11世紀の終盤から12世紀にかけての頃でした。

12世紀前半のトゥールの大司教は、処女として修道女となった娘たちについて、こう語ります。 「彼女達は、彼女達の肉体に対する男の権力から自由であり、また彼女達の産むかもしれなかった子どもに対する恐れからも免れており、天では必ず報われ、いや既にこの世でも自由を享受している」と。

当時、成人女性の死亡率で、ダントツの1位だったのが、産褥熱だったのです。ですから、子に対する恐れとは、出産の困難に対する恐れを指しているのです。大司教は、原罪を犯したことに対する二重の罰からの自由を語っているのです。妊娠と出産に対する苦痛という罰からの自由と、男性に対する服従という罰からの自由について語ったのです。

しかし、この段階では、いまだ母なるマリアは、話題とされていないのです。





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最終更新日  2009.01.20 14:34:27
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