ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2010.01.19
XML
カテゴリ: 外国史
ハイチに贈る (5)

第1回航海の現地残留者39名は、全員が死亡していましたから、これではスペインによる正式な植民地建設とはいえません。それゆえ、コロンブスによるエスパニョーラ島の植民地建設は、第2回遠征隊仁同行した植民者たち200人ほどが上陸して、小屋を建て始めた1494年の1月末をもって、最初の植民地が建設されたことになります。

植民者は、ヨーロッパにはないマラリアに悩まされ、水が合わないために下痢をして病気になるなど、かなりの苦労を強いられたのですが、黄金や利益を生む物資を求めて、意気盛んでした。

これはタイノ族など、エスパニョーラ島のインディオにとっては不幸なことでした。南北アメリカとカリブ諸島における西洋人による征服事業の全ての手口が、この島の征服に全て現れていました。

スペイン人は、優れた武器を持っていたから征服でしたのではありません。当時の火縄銃は飛距離や破壊力にみるべきものはなく、連射も利かないため、連射が利き、毒を塗っているために威力の高いインディオの矢の方が、武器としては優れていたのです。大砲もまた、大音声で脅しに使える点を除くと、石弓とそう大きな差をなかったと指摘されています。

それなのに、なぜインディオたちは、スペイン人に屈服することになったのでしょうか。それは後のマヤやアステカの敗退と同じく、インディオたちは共通の敵であるスペイン人に対して、団結して戦うことをしなかったからです。原始的な部族国家の段階に留まるカリブ諸島の住民は、宿敵の部族を倒すためなら、スペイン人に協力することも厭わなかったのです。

狡猾なスペイン人は、部族同士が戦うように仕向けることも厭わなかったのです。1495年も後半に入ると、エスパニョーラ島のインディオは、その全てがスペイン人の支配を受けるようになっていたのです。

そしてスペインの支配は苛酷極まるものでした。多額な貢物が強要され、抵抗するものは奴隷として売られました。あまりの辛さに、山中に逃亡しても、犬を使って狩り出されることも少なくありませんでした。

1492年には、25万人程度だったのではと推定されるエスパニョーラ島のインディオたちは、1508年には6万人程度にまで激減しています。そして、16世紀の50年代には、その数僅か500人弱と、事実上絶滅に近い状態に至ったのです。同じことはバハマ諸島やキューバについても見て取ることが出来ます。


                               ザビ






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010.01.19 14:31:34
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ザビ神父

ザビ神父

カレンダー

お気に入りブログ

給料増額、好景気の… New! 歩世亜さん

そうなんだけど New! 吉祥天2260さん

「メモリーズ」 New! でぶじゅぺ理さん

長野県王滝村  自… New! トンカツ1188さん

自然のはしくれメモ_… New! わからんtin1951さん

コメント新着

でぶじゅぺ理 @ Re:石破辞任(09/09) 明けましておめでとうございます。 本年…
葉月 生 @ Re:ご無沙汰しました(08/15) 神父さま お帰りなさいませ。 1ヵ月に1回…
kopanda06 @ Re:石破辞任(09/09) お久しぶりです。 降雨の中、高見観音の…
吉祥天2260 @ Re:石破辞任(09/09) どの人見てもなんだかねぇ・・・ 国のこと…
わからんtin1951 @ Re:石破辞任(09/09) テレビを観ていると、総裁選のことばかり…

バックナンバー

・2026.07
・2026.06
・2026.05
・2026.04
・2026.03

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: