ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2011.02.18
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カテゴリ: 国際政治
チュニジアからエジプトへ…(21)

こうしてムバラクは、軍部に詰め腹を切らされる形で、辞任を表明しました。ドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」でお馴染みの、1830年7月のフランスの七月革命は、栄光の3日間と称されるように、7月27日~29日の3日間で決着のついた革命ですが、革命派の要求した内閣の交代を、国王シャルル10世が渋ったために、彼は全てを失って亡命する破目になりました。

28日の午前中までに、内閣の更迭と革命派による組閣に踏み切っていれば、彼が立憲君主の地位に留まることは、情勢からいって不可能ではなかったのです。読みの甘さが命取りでした。ムバラクもまた、閣僚の一部更迭や副大統領職の復活などの手は打ちましたが、この時点で名誉ある辞任に踏み切らなかったことが、晩節を汚すことに繋がりました。

さて、ムバラクを辞任に追い込んだ軍部の、その後の動きは早かったですね。25日のデモを成功に導いた若者たちの動き同様、こちらも見事なものでした。おそらく、1月末以降、何度もムバラク辞任後の姿をシュミレーションして、軍幹部の意志を統一していたのでしょうね。

遅くも、「大統領支持派」をタハリール広場から一掃した頃には、ムバラク辞任不可避で一致していなければ、あの素早い行動はありえないでしょう。タハリール広場を埋め尽くした若者を含む群集が、勝利の美酒に酔っている間に、暫定政権の方針が7ヵ条として打ち出されたのです。

そこに書かれたおよその内容は、既に指摘しました。新憲法に基づく民主的選挙で、新政権が誕生するまで、軍指導部が暫定政権を担う旨が、ここに表明されました。軍は先手を打ったのです。この点も、七月革命派の勝利が決まった7月29日夜に、勝利に酔いしれる民衆を横目に、徹夜でオルレアン公ルイ・フィリップの王位就任を待望するビラを印刷し、パリの街中に掲示したオルレアン派の勝利に、相通じていました。
                                  続く





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最終更新日  2011.02.18 20:21:09
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