ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2011.09.16
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明治政府の功績と日本資本主義の特徴(35)

吉田内閣は、米国の占領政策の転換を、一面では歓迎しつつも、その性急な再軍備要求に困惑しました。軍部の横暴を苦々しく思っていた国民の大多数が、憲法9条を歓迎し、支持していたからです。そして同時に、国防予算の軽さによる予算編成の自由度の向上を、手放したくなかったからです。

そこで、吉田内閣は、米国の方針に正面から反対することは避け、のらりくらりと米側要求の実現をサボタージュし、米側の非難には、国民の抵抗をあげて、時間を稼ぐ手に出たのです。

そんな状況のなかで、1950(昭和25)年6月に起きたのが、朝鮮戦争でした。朝鮮戦争は、中国革命の勝利に奮い立った「北朝鮮」の金日成が、スターリンを説得して始めた戦争です。先制攻撃に成功した北朝鮮軍は、韓国軍を各地で撃破、韓国軍は釜山とその周辺に包囲され、まさに降伏寸前の状況に追い込まれました。

慌てた米国は、ちょうどドイツ問題の拗れで、ライバルソ連が国連ボイコットに出ていたことを幸いに、「北朝鮮」を侵略者と断定し、韓国救済に国連軍を派遣する決議を、安保理で通すことに成功しました。

こうして、国連軍という名の米軍が、朝鮮半島に大挙派遣されたのです。しかし、超音速ジェット機が太平洋を気軽に往復する現在と違い、当時の航空機による人員輸送は限られたものでしかありませんでした。兵員輸送の大半は、船によるしかなかったのです。

当時の船足で、米西海岸から兵士を輸送したのでは、釜山防衛にはとても間に合いません。この時米軍は、北朝鮮軍の裏をかき、仁川に上陸して、「北朝鮮軍」を挟み撃ちにして、大打撃を与えて配送させたことが知られていますが、この軍隊は、どこから調達できたのでしょう。

そうなんです。仁川に上陸した部隊は、GHQの駐留軍として日本に駐留していた米軍だったのです。沖縄や横須賀から、佐世保に集結し、一路対馬を経由して仁川に向かったのです。佐世保からですと、1日で到着できます。

朝鮮有事、さらには台湾有事の際には、自由に動ける在日米軍の存在が、大きな力となることを、米政府と軍部の要人は、この出来事でしっかり学習したのです。



独立国日本に、外国軍(具体的には米軍)の駐留を認める屈辱を我慢することで、軽武装を貫き、国防費を安く抑えることで、経済活動の支援に投じることの出来る予算を、潤沢に確保する。吉田内閣の経済優先路線が、ここに確立したのです。

こうして、米軍との約束の下に、サンフランシスコの講和と日米安保体制が出来上がったのです。
                                 続く





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最終更新日  2011.09.16 20:12:27
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