ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2017.11.01
XML
カテゴリ: 日本史
クロニクル 秩父困民党立つ

1884(明治17)年11月1日

133年前のこの日、埼玉県秩父の三峰山の椋神社で、秩父困民党を名乗る貧民達が、借金の返済猶予を求めて蜂起しました。

明治14年の政変で政府を辞した,大隈重信に代わった松方正義は、徹底したデフレ政策をとって、財政均衡の回復を目指しました。その結果、商品価格は急落し、農業だけでは生きていけない、商品作物地域の農民の生活を直撃しました。

関東平野周辺部の山麓部は、土地もやせており、養蚕を副業とすることで、生活が成り立つ地域でした。そうした地域でも明治15年の春蚕から、生糸の値下がりが起き、それが回復することなく、ずるずると下がり続けました。過去の経験から、借金をして危機を凌ぎ、生糸相場の回復を待って、借金を返済しようとした農民は、借金を返すことが出来ず、借金取りに追われて山野に姿をくらますしかなくなり、いつしか自分たちを困民党と名乗るようになったのです。

秩父の農民達は、役所に借金の返済猶予を求める小規模な実力行動を,何度か繰り返したのですが、埒があかず、この上はお上相手に1戦交える覚悟でと、相談の上、この日の蜂起となったのです。

蜂起仲間には、秩父の猟師たちも加わっていたため、数人の鉄砲隊も存在し、最初の小競り合いでは、駐在の巡査が射殺されています。翌日には地域の中心大宮郷(今の秩父市)を占拠、秩父郡一帯は困民党に制圧されたのです。

この中で、困民部隊は「畏れながら、天頂様に攻敵するから加勢しろ」の一文を使って、周辺の民を勧誘してしています。こうしてその勢力は1万人を超え、明治期でも最大規模の反政府反乱に成長しました。

驚いた政府は鎮台兵数万を派遣して、ようやく本体を解散に追い遣りましたが、残された部隊は山中谷を通って群馬県中込に出、長野県に入って各地を転戦して、さらに抵抗を続けましたが、遂に11月8日、八ヶ岳山麓野辺山高原で、力尽きました。

自由民権期の激化事件の、最後にして最大の事件でした。 

1日遅れです。続けて本日分もアップします。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2017.11.02 21:58:50
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ザビ神父

ザビ神父

カレンダー

お気に入りブログ

「豊臣兄弟」仲野太… New! 5sayoriさん

今日はご機嫌💕 New! あみ3008さん

極級爆弾並みの隕石… New! 歩世亜さん

・・・ New! でぶじゅぺ理さん

ピアニストとブルー… New! nik-oさん

コメント新着

でぶじゅぺ理 @ Re:石破辞任(09/09) 明けましておめでとうございます。 本年…
葉月 生 @ Re:ご無沙汰しました(08/15) 神父さま お帰りなさいませ。 1ヵ月に1回…
kopanda06 @ Re:石破辞任(09/09) お久しぶりです。 降雨の中、高見観音の…
吉祥天2260 @ Re:石破辞任(09/09) どの人見てもなんだかねぇ・・・ 国のこと…
わからんtin1951 @ Re:石破辞任(09/09) テレビを観ていると、総裁選のことばかり…

バックナンバー

・2026.06
・2026.05
・2026.04
・2026.03
・2026.02

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: