ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2017.12.07
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今晩は。昨日は6日と7日を間違えて、6日を飛ばして7日の日記をアップしてしまいました。今後気をつけます。そこで、本日は、6日分ではなく、池田発言についての私なりの見解を記させていただくことにしました。

池田勇人氏は、広島のつくり酒屋の息子で、決して先祖代々のエリートではありませんでした。東大から大蔵省に入り、吉田首相の秘書官として官邸に出向、運輸省から出向した佐藤栄作氏と共に、吉田首相に進められて政界に入りました。そして、1年生議員にして蔵相に抜擢されたのです。同じく運輸相に抜擢された佐藤氏と共に、吉田学校の優等生とやっかみをかねて自由党内で囁かれていました。2人の1年生議員を、いきなり重要閣僚にするなど、今では考えられないことです。

ちなみに池田氏もまた、薫陶を受けた吉田首相を見習って、優秀な秘書官を政界入りさせ、子分として育てる手法をとり、大平正芳首相や宮沢喜一首相を育て上げています。

ところで池田氏は直言居士で、ストレートに物を言い過ぎる傾向がありました。この発言がまさにそうでした。当時なまだ、食糧難が解決せず、3度の食事を満足に取れない家庭も残っており、貧しい家庭は麦飯が主流でした。せめて銀シャリ(白米のこと)を腹いっぱい食べられるようになりたい。これが貧しき人々の願いでした。食い物があることが幸せな時代だったのです。

今では、遠い昔のことになりましたから、ご存じない方も多いのですが、日本の米の自給率が100%を越えてくるのは、東京オリンピック後の1965年のことでした。それまでは米の生産量は、国内需要を満たせずに、外米を輸入して間に合わせていたのです。

日雇い労働者の日給が240円。彼らが自嘲的にニコヨンを自称していたのは、1954年頃から60年にかけてですが、この頃の彼らの憧れの昼食が、中央に梅干を1個入れた銀シャリ弁当、日の丸弁当でした。それは、毎日はとても無理だったのです。底辺の労働者の暮らしが、ようやく麦飯を卒業して、毎日白米になっていったのは、60年代に入った頃からでした。美輪明宏が歌う「ヨイトマケの唄」の母さんが食べていた弁当も、週の大半は麦飯だったとお考えください。

「貧乏人は麦を食え」は確かに失言でしたが、今のような低レヴェルな、実情についての無知が言わしめる失言とは、だいぶ趣が違っていました。それはストレートに事実を言い過ぎたことにあったのです。米の生産はとても足りません。当時冷害に強い品種の稲は、なお試作の段階に過ぎなかったからです。外貨も不足がちで、輸入も外貨の割当を受ける必要のある、許可制の時代でした。

ですから、全世帯に米をいきわたらせることは、当面できないが、せめて麦は行き渡るようにする。食い物がない世帯は無くす。麦でもないよりは良いはずだ。池田蔵相は、ストレートにそうした思いを表現したのです。1年生議員らしい、表現を工夫しない直言でした。それは目の前の現実を指摘したものでした。

しかし、この発言はストレート過ぎました。いずれ銀シャリを腹いっぱい食べられるようになりたいという、歯を食いしばって頑張っている、戦禍からの復興にようやく目鼻をつけつつある国民の神経を逆撫でしてしまったことも事実でした。同じことを言うにしても、表現を工夫せよ。これが吉田首相が池田蔵相に与えた注意だったと聞き及びます。

2年後の「中小企業の一つや二つの倒産、自殺はやむをえない」発言も、同じ脈絡にあります。丁度共和党のアイゼンハワーが、朝鮮戦争の終結を公約に大統領選に勝利した直後で、朝鮮特需が大きく減少を初め、日本経済に不況色が濃くなりつつある時でした。大企業の倒産は、雇用を守るために何としても避ける。しかし、なお貧しい日本の財政事情では、中小企業全てにまでは、手がまわりかねる。そちらはいくらか潰れるかも知れないが、そこまでの財政の余裕はないので、勘弁してほしい。こんな趣旨だったのです。通産相として打ち出す、当時の不況対策としては、間違ったものではありません。しかし、この発言もストレート過ぎました。この時は吉田首相も庇いきれず、辞任となったのです。

54年に吉田氏は首相の座を降り、鳩山、石橋、岸の3首相を挟んで、池田氏は1960年7月に首相となり、64年11月に咽頭癌の悪化に拠り辞任するまで、3期4年4ヶ月弱を務めあげました。東京オリンピックは池田首相の下で開催されました。かつての直言居士、高姿勢は影を潜め、相変わらずストレートな物言いではありましたが、放言壁は翳を潜めた見事な変身振りを見せていました。

「つくり酒屋の息子に過ぎない、自分のようなものが、首相になって良いのか」と随分と政界の先輩達に話していたという逸話は有名です。また私が特に感心するのは、首相に就任後、大好きなゴルフと、高級料亭通いを完璧に封印し、一度として禁を破らなかったことです。宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」の事故のときに、ゴルフ場からすぐに戻らなかったアホ首相や、ホテルのバー通いに居直るライオン丸首相、米首相を招いてゴルフに興じる現首相などと、同じレヴェルで比較する気に、私はなれません。

安保条約の改訂をごり押しした岸首相の後を受け、国民との和解を目指して、「寛容と忍耐」をスローガンに、国民と野党に対する低姿勢と対話路線を貫いてブレなかった政治姿勢を、私は高く評価しています。所得倍増政策を掲げ、物価上昇率を上回る経済成長と賃金の増加を打ち出した政策も、当時は広く受け入れられたものでした。

かつての失言を生かし、首相としての実績で、見事に汚名を挽回したと、私は考えています。






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最終更新日  2017.12.07 21:01:14
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