オーストリアは、日露戦争( 1904
~ 05
年)に勝利した日本陸軍を間近で研究したいと、交換将校の派遣を日本に提案してきました。ちょうど日本も、日露開戦に備えた準備として行った八甲田山での雪中行進で 199
名もの死者を出していたことへの反省から、スキー技術の習得の必要を強く意識していたことから、交換将校としてレルヒ少佐の派遣をオーストリアに要請、彼の来日が実現したのです。
来日したレルヒ少佐は、当時日本で最も雪の深い地方であった、新潟県高田の第 13
歩兵師団へ出向き、当地で歩兵第 58
連隊の 14
名のスキー専修員を対象に、スキー技術の指導を行いました。日本におけるスキーの始まりは、軍事的要請に基づき、まず陸軍に導入され、やがて民間に普及する形で進んだ
のです。
レルヒ少佐は、1本ストックと2本ストックの両方の技術を習得していたことから、 雪質が重く急斜面が多い高田では、1本ストック有効と判断し、1本ストックで滑る技術を伝授しました。
ところで、高田から数年遅れてスキー技術の伝授を受けた札幌など北海道では、ノルウェーから伝来した2本ストックで滑る技術が導入されたのです。その後の競技会などでは、2本ストックの選手が上位を独占したため、2本ストックが急速に普及し、1本ストック方式はすたれてしまいました。
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