1571(元亀2)年9月12日
450年前になりますが、この日織田信長は、比叡山延暦寺が宿敵朝倉義景を支援することを怒り、傘下の諸将に命じて、比叡山の全山焼き討ちを命じました。
この時、信長38歳。比叡山は天台宗のみならず、広く仏教学・仏教哲学の学び舎として、当事の大学並びに研究機関の役割を果たし、多くの学僧が学ぶ場でもありましたが、宗教的権威を楯に、しばしば政治に口出しする悪弊も目立っていました。
信長は、宗教の政治介入を否定し、政治に口を出す宗教を排除する、合理的思考の持ち主でしたから、この比叡山延暦寺の行動を許さず、一罰百戒の狙いを込めて、徹底的な焼き討ちと殺戮を実行しました。
僧侶などの死者は、合計で3千人とも4千人とも言われ、実数ははっきりしませんが、女人禁制の信仰の府に、いないはずの女人や子どもが少なからず混じっていたのですから、信仰の府の腐敗、堕落も明らかでした。
また、政治に口出しする割りに、仏法を奉ずる自分たちを攻撃できるはずがないと思い込むなど、延暦寺側が政治センスに欠けていたことも、また事実でした。
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