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【バート・バカラックのスタンダード・ナンバー No.7】あなたのために、ささやかなお祈りを・・・アイ・セイ・ア・リトル・プレイヤーI Say A Little Prayer 【邦題:小さな願い】1967年この曲は、バート・バカラックの作曲、ハル・デヴィッドの作詞により、ディオンヌ・ワーウィックのために1967年に書かれた作品です。1967年、バート・バカラックはポップス界の頂点に上りつめていましたが、同時にポップスそのものも、その創造性とスピリットを高め、多くのソングライターたちが、しのぎをけずる黄金期を迎えていました。ヒット・チャートには、ビートルズやビーチ・ボーイズ、モータウン、スタックスといったレーベルのレコードが名を連ね、バブルガム、ガレージパンク、フォークロックといったサウンドがあふれる中、バカラックの生み出す異色的に斬新なポップスは次々とチャートを塗り変え、さらに、その中で、今までのポップスの定義そのものも変えていきました。とは言え、バカラック自身は、次のシングルがヒットするかどうかについては、曲を作っている時点では意識したことはなかったそうです。バカラックはこう語っています。「ヒット・ソングを作ろうと思って書くことなんて、一度もないよ。なぜって、作ってみないとどんな曲になるかわからないじゃないか。ただ、心の感じるままにベストだと思える作品を作ること、それだけさ。“さあ、始めよう。こうしたほうが売れそうだ。よし、それでいこう”なんて口にしたとたん、自分で自分の首をしめることになるんだ。」さらに、バカラックは、この曲について、おもしろいエピソードを語っています。「「小さな願い」のテンポは、ちょっと速すぎたかなと思っていたよ。だから、リリースを止めようとまで考えていたんだ。周りの人たちの説得にあってしぶしぶ承知したけどね。今思うと、あの時、みんなが説き伏せてくれてよかったよ。時には、過ちだと思ったことが良い結果を生むんだね。」1967年に、ディオンヌ・ワーウィックのシングルが全米ポップ・チャート4位、R&Bチャートでも8位を記録しました。翌1968年に、ソウルの女王アレサ・フランクリンが歌ったものが全米チャート10位に、そして、1971年に、グレン・キャンベルとアン・マレーのメドレー形式のデュエット・シングルが81位になるなど、これもマルチ・ヒットを記録したナンバーで、そのほかにもスキーター・デイヴィス、ボム・ザ・ベース、ワーク・シャイ、ダイアナ・キングなど、多くのアーティストが取り上げ、ポップス史に残る作品になりました。*****●アイ・セイ・ア・リトル・プレイヤーI Say A Little Prayer 【邦題:小さな願い】作曲:バート・バカラック Burt Bacharach作詞:ハル・デヴィッド Hal David1967年朝、目覚めるとすぐお化粧もしないうちにあなたのために、ささやかなお祈りを捧げるのそして今、髪をとかしながら何を着ようかと迷いながらあなたのために、ささやかなお祈りを捧げるのいつまでも、永遠にあなたは私の心に居続けるそして私はあなたを愛し続けるいつまでも、永遠に私たちは離れられないああ、こんなにも愛してる一緒に、一緒にそうでなければだめなのあなたなしで生きていくとしたら私の心は張り裂けてしまうバスに乗るために私は走るバスに乗ってからは私たちのことを考えているわそして、あなたのために、ささやかなお祈りを捧げるの仕事のときも頭は上の空休憩時間はずっとあなたのために、ささやかなお祈りを捧げるのいつまでも、永遠にあなたは私の心に居続けるそして私はあなたを愛し続けるいつまでも、永遠に私たちは離れられないああ、こんなにも愛してる一緒に、一緒にそうでなければだめなのあなたなしで生きていくとしたら私の心は張り裂けてしまう私にはあなただけいつまでも、永遠にあなたは私の心に居続けるそして私はあなたを愛し続けるいつまでも、永遠に私たちは離れられないああ、こんなにも愛してる一緒に、一緒にそうでなければだめなのあなたなしで生きていくとしたら私の心は張り裂けてしまうダーリン、私を信じて私にはあなたしかいない・・・あなたのために、ささやかなお祈りをささげるのあなたのために、ささやかなお祈りをささげるの・・・【ジャズ】人気blogランキングへ
August 23, 2007
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【バート・バカラックのスタンダード・ナンバー No.6】ザ・ルック・オブ・ラヴThe Look Of Love【邦題:愛の面影】【邦題:恋のおもかげ】1967年この曲は、バート・バカラックの作曲、ハル・デヴィッドの作詞により、1967年の007シリーズのパロディー映画『007/カジノ・ロワイヤル』の挿入歌として書かれた作品です。最初、ロンドン生れの女性シンガー、ダスティ・スプリングフィールドが歌い、B面としてリリースされましたが、各ラジオ局のDJが、こちらのほうを頻繁にかけたため、1967年7月に全米チャート22位になるヒットを記録しました。そして、翌年1968年に、ブラジル出身のジャズ・ピアニストの、セルジオ・メンデスが結成したグループ、セルジオ・メンデス&ブラジル’66によるボサノヴァ・タッチのヴァージョンが、全米チャート4位という大ヒットになりました。1971年には、ソウル・シンガーソングライターのアイザック・ヘイズが、かなり大げさなアレンジのシングルを全米チャート79位に送り込みました。スタン・ゲッツ、ニーナ・シモン、クロディーヌ・ロンジェ、ヴァニラ・ファッジ、ティーコン・ブルー、コニー・フランシス、ライザ・ミネリほか、数多くのアーティストが取り上げている、スタンダード・ナンバーです。ジャズのレーベル、ブルーノートからは、ピアノのジーン・ハリスを中心とするピアノ・トリオのザ・スリーサウンズが、1968年のアルバム『Coldwater Flat』で取り上げています。最近のものでは、ダイアナ・クラールの2001年のアルバム『ザ・ルック・オブ・ラヴ(The Look Of Love)』の中に、トレインチャが2007年に発表したバート・バカラック・ソング集の、『ルック・オブ・ラヴ~バート・バカラック・ソングブック(The Look Of Love Burt Bacharach Songbook)』などに収められています。アカデミー賞の歌曲賞にもノミネートされました。この曲と映画にインスパイヤーされて、マイク・マイヤーズは『オースティン・パワーズ』を生み出しました。1997年の映画『オースティン・パワーズ』では、監督ジョイ・ローチの夫人で、元バングルスのスザンヌ・ホフスのヴァージョンが、1970年の映画『真夜中のパーティー』では、バート・バカラックのヴァージョンが、それぞれ挿入曲として使われています。バカラックは、この曲について、次のように語っています。「最初は歌詞をつけるつもりはなくて、ウルスラ・アンドレスのテーマ曲として書いていたんだ。後でそれに歌詞をつけて映画の中で歌ってもらうことにしたけど、メロディーだけは、ウルスラの姿から自然にインスパイアされて先に出来上げっていたんだ。彼女の体を、顔をじっと見ていたら浮かんできたのさ。ダスティとのレコーディングはほんとに楽しかった。彼女は素晴らしい、最高のシンガーだったよ。」*****●ザ・ルック・オブ・ラヴThe Look Of Love【邦題:愛の面影】【邦題:恋のおもかげ】作曲:バート・バカラック Burt Bacharach作詞:ハル・デヴィッド Hal David1967年あなたの瞳には愛の面影があるわ微笑んでみてもごまかせない瞳を見ればわかるその表情は言葉よりもずっと多くを語るその愛の輝きが私のハートに語りかけてくると息が止まってしまいそうになるのあなたを抱きしめたくてたまらないこの胸の中にあなたを感じていたいどれほど長いこと待ったかしらただあなたを愛するこの瞬間を今やっとあなたに出会えたわ愛の面影があるわ一目見ればわかるの時が流れても消し去ることはできないああ、今夜私だけのものになってこれはほんの始まりにすぎないこんな夜は、これからいくつもあるのよ恋人の誓いをしましょうそしてそれをキスで封印しましょうあなたを抱きしめたくてたまらないこの胸の中にあなたを感じていたいどれほど長いこと待ったかしらただあなたを愛するこの瞬間を今やっとあなたに出会えたわだからどこへも行かないでねいなくなってしまわないでねあなたを、とても愛してる・・・【ジャズ】人気blogランキングへ
August 22, 2007
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【バート・バカラックのスタンダード・ナンバー No.5】アルフィーAlfie【邦題:アルフィー】1966年この曲は、バート・バカラックの作曲、ハル・デヴィッドの作詞により、1966年に作られた作品で、バカラック=デヴィッドの作品として、自他共に認める代表作と言っていいでしょう。繊細に紡がれたメロディーと歌詞が印象的な曲です。スパイ映画『ハリー・パーマー』シリーズでも知られる、イギリスを代表する俳優、マイケル・ケインが、どうしようもないヒモ男を演じる1966年の映画、『アルフィー』の主題歌として作られました。全編、サックスのソニー・ロリンズがオーケストレイションを従えて吹きまくる、渋いジャズが流れる都会派映画で、ソニー・ロリンズ名義の全く違う曲なのに同名の「アルフィー」という曲も入っています。エンディングで、ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンの秘蔵っ子、シラ・ブラックが歌う、この曲「アルフィー」が流れます。ジョージ・マーティンは、バート・バカラックを、アメリカからロンドンに招き、ビートルズが使っていたアビーロード・スタジオでレコーディングが行われました。そして、その、シラ・ブラックが歌ったものは、全英チャート9位を記録しました。アメリカを含むインターナショナルの上映版では、シェールが歌ったものに変えられ、これは、1966年7月、全米チャート32位になりました。翌年1967年11月、ディオンヌ・ワーウィックがカヴァーしたものが、全米チャートの15位を記録したので、アメリカではディオンヌ・ワーウィックのものが最も知られるものになりました。そして、それは、「世界は愛を求めている(What The World Needs Now Is Love)」に続いて、ベル・サウンド・スタジオが生んだ、もう一つの名曲として記憶されました。1968年には、スティーヴィー・ワンダーが、彼の名前を反対から読んだエイヴェッツ・レッドナウの名前で発表した、ハーモニカのインスト盤が、全米チャート66位のヒットになりました。そのほか、バート・バカラック・オーケストラのもの、バカラック自身が歌ったもの、スイート・インスピレーションズ、デルフォニックス、カーメン・マクレエ、ジャック・ジョーンズ、エヴリシング・バット・ザ・ガール、コニー・フランシス、ヴァネッサ・ウイリアムス、ナンシー・ウイルソン、サラ・ヴォーンなど、多数のものがあります。ジャズ・ピアニストのマッコイ・タイナーは、1997年にバート・バカラック作品集、『邦題:アルフィー(What The World Needs Now: The Music Of Burt Bacharach)』を発表し、その中にこの曲「アルフィー」が収録されています。日本では、1996年にテレビ・ドラマの主題歌として、ヴァネッサ・ウイリアムスのヴァージョンが使われたため、30年の時を経て、バカラック・ブームになったのが記憶に新しいものです。バカラックとデヴィッドの作品は、普通、最初にバカラックが作ったメロディーにデヴィッドが歌詞をつけるというものですが、この曲は、めずらしくデヴィッドの歌詞が先だったと言います。後にバカラックはこう語っています。「この曲には長い時間がかかったよ。締め切りを気にしながら、3週間、3週間半と経った。まず、曲の内容をストーリーに合わせる必要があった。デヴィッドが最初に歌詞を書いたんだけど、これは彼の作品の中でも、いや、誰の作品ともくらべても最高の出来だと思うよ。デヴィッドは天才的な作詞家さ。当時よりも今のほうが、彼の歌詞の素晴らしさがより理解できるようになった。あの頃は言葉の実際の意味よりも、どちらかというとその言葉がメロディーにのった時にどう響くかということに興味があったけど、今は歌詞の意味をじっくりとかみしめて聴いているよ。」ハル・デヴィッドは、この曲の作詞について、最初の一行を思いつくまで何日もかかったが、その一行が浮かんだあとは全部仕上げるのに1時間もかからなかったと言います。この曲は、その美しいメロディーと、意味深いすぐれた歌詞から、それこそ多くのアーティストに取り上げられているもので、偉大なスタンダード・ナンバーとして永遠に歌い継がれていくことでしょう。ちなみに、日本のバンド「ジ・アルフィー」のバンド名は、この曲から付けられたものだと言います。*****●アルフィーAlfie【邦題:アルフィー】作曲:バート・バカラック Burt Bacharach作詞:ハル・デヴィッド Hal David1966年いったいどうしたっていうの、アルフィー?私たちはこの瞬間がすべてなのかしら?人生の意味って何かしら?考えても簡単に答えを見つけたられるものじゃないでしょ、アルフィー?私たちはいつも得をするように生きなくちゃいけないのかしらそれとも損をしてでも親切に人を助けなくちゃいけないのかしら?そんな親切に思いやることが愚かなら、アルフィー人に残酷に当たるほうが利口なのかもね力のある人だけが人生をほしいままにするのなら、アルフィー人に親切にしなさいという昔からの神聖な教えはもうどうでもいいのかしら?私は天国があることを信じているわ、アルフィーだけど、それを信じない人でも信じることのできる素晴らしい何かが人生にはあるはずだわ愛よ、私は愛を信じるわ、アルフィー本当の愛がなければ、私たちは、意味もなくこの世に存在しているだけなのよ、アルフィー見失った愛を見つけるまで、あなたは何もないつまらない人間だわ、アルフィーでも、あなたの心が示すままの道に足を踏み出せば愛はすぐに見つけられるものなのよ、アルフィー、アルフィー・・・【ジャズ】人気blogランキングへ
August 20, 2007
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【スタンダード・ナンバー】最近・・・レイトリーLatelyスティーヴィー・ワンダーの1980年9月に発表されたアルバム、『ホッター・ザン・ジュライ(Hotter Than July)』に収録された、スティーヴィーの作詞・作曲によるバラード・ナンバー。1981年3月13日に、このアルバムからのサード・シングルとして発表されましたが、当時は全米ポップ・チャート64位、全米R&Bチャート29位と、ヒットしませんでしたが、イギリスや日本では、人気が高まり、イギリスのチャートは最高3位になる大ヒットを記録しました。ちょっとセンチメンタルなメロディーと歌詞が、当時のアメリカの大衆には受け入れられなかったのでしょうか。しかし、この曲は、多くのアーティストによって取り上げられており、1993年にJODECI(ジョデシィ)のカヴァーが全米ポップ・チャート4位、全米R&Bチャート1位という大ヒットになり、現在では、スティーヴィーの永遠のスタンダード・ナンバーとして認識されています。*****●レイトリーLately作詞・作曲:スティーヴィー・ワンダーwords and music by Stevie Wonder1980年最近、これといったわけもないのにへんな気分に悩まされる君を失う悲しさが僕の頭からはなれないんだ君は「どこかへ行くわけではないのよ」と言いながらしょっちゅう香水のにおいをプンプンさせていたね僕が「すぐ帰ってくるのかい?」って聞けば「さあ、全然わからないわ」と言うだけさ僕は確かに高望みをしているのかもしれないいやな予感が当たらないように願うだけさこれが君との別れになるなんてこの二つの目が今にも泣き出して心の奥底を語ってしまいそうなんだ最近、よく鏡の中の自分を見つめてみるよこの僕が君の心をつなぎとめることができるはずがないと自分のことをめちゃくちゃにけなしてみるよある夜、君が眠りながら寝言でほかの男の名前を呼ぶのを聞いたよでも君の気持ちをたずねても君はただ「あら、私はちっとも変わっちゃいないわよ」と答えるだけだそうさ、僕は確かに高望みをしているのかもしれないいやな予感が当たらないように願うだけさこれが君との別れになるなんてこの二つの目が今にも泣き出して心の奥底を語ってしまいそうなんだそうとも、僕は確かに高望みをしているのかもしれないいやな予感が当たらないように願うだけさこれが君との別れになるなんてこの二つの目が今にも泣き出して心の奥底を語ってしまいそうなんだ【ジャズ】人気blogランキングへ
July 4, 2007
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【スタンダード・ナンバー】彼女はなんて可愛いんだろう新しいスタンダード・ナンバーとして定着イズント・シー・ラヴリーIsn't She Lovely【邦題:可愛いアイシャ】この曲は、スティーヴィー・ワンダーの作詞・作曲によるもので、スティーヴィー・ワンダーの1976年10月8日発表のアルバム、『キー・オブ・ライフ(Songs In The Key Of Life)』に収録されました。原題は「彼女はなんて可愛いんだろう」というものですが、邦題ではどういうわけか「可愛いアイシャ」と、名前が入っているものになっています。この曲は冒頭、赤ちゃんの泣き声から始まりますが、このアルバム『キー・オブ・ライフ』を制作中、スティーヴィーに女の子が誕生しました。「アイシャ(Aisha)」とは歌詞の中で登場しますが、1975年の4月7日に誕生したスティーヴィーの初めての娘の名前で、スワヒリ語で「生命」、「永遠」を表す「ishi」から派生した人名だということです。1977年に、当時人気のジャズ・フュージョン・ギターリストのリー・リトナーがカヴァーしましたが、そのほかにも多くのジャズ・ミュージシャンによって取り上げられ、現在ではジャズのスタンダード・ナンバーとしても定着しています。ジャズのスタンダード楽譜集にも載っている、新しい時代のスタンダード・ナンバーです。日本では、1996年にホンダの「ロゴ」、2007年にKIRIN「午後の紅茶」のCMに使われるなどして、多くの人に知られている曲です。今では、こんなに多くの人によく知られているスタンダードな曲なのですが、なぜかアルバムがリリースされた当時はシングル・カットされませんでした。これもテーマのコード進行が延々と繰り返され、6分半もある長い曲です。冒頭に聞こえる赤ちゃんの泣き声はアイシャのものではなく、医者の協力を得て、子どもが生まれる瞬間の声を録音したものだということですが、曲の終盤で聞こえてくる声はアイシャちゃん本人のものだそうです。スティーヴィーのハーモニカのアドリブ・ソロがフィーチャーされる中、お風呂に入ったりしている声が録音されていて、とても微笑ましい雰囲気が出ています。*****●イズント・シー・ラヴリーIsn't She Lovely【邦題:可愛いアイシャ】作詞・作曲:スティーヴィー・ワンダーwords and music by Stevie Wonder1976年彼女はなんて可愛いんだろう彼女はなんて素晴らしい子なんだろう彼女はなんて可愛いんだろうまだ生まれて一分たらず僕たちが愛を通じてこんなに可愛らしい子に恵まれるなんて彼女は愛情から生まれた、なんと可愛い子なんだろう彼女はなんてきれいなんだろうまさに最高の天使さああ、僕はなんて幸せなんだ僕たちは天国に祝福されてきた神のしたことが信じられない僕たちを通して一つの命を与えてくださるとはでも、なんて可愛い子なんだろう彼女は愛情から生まれた彼女はなんて可愛いんだろう命と愛は同じことなんだ“アイシャ”とは生命それが彼女の名前ロンディ、君が命を宿してくれなかったらこれはありえないことだったんだ愛から本当に素晴らしいことが生まれたよ【ジャズ】人気blogランキングへ
June 29, 2007
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【スタンダード・ナンバー】ラヴィン・ユー(Lovin' You)が生れたアルバムパーフェクト・エンジェル / ミニー・リパートンPerfect Angel / Minnie Ripertonオリジナル盤発売日:1974年12月レーベル:Epic1.Reasons リーズンズ 2.It's So Nice (To See Old Friends) イッツ・ソー・ナイス 3.Take A Little Trip テイク・ア・リトル・トリップ 4.Seeing You This Way シーイング・ユー・ジス・ウェイ 5.Edge Of A Dream ジ・エッジ・オブ・ア・ドリーム 6.Perfect Angel パーフェクト・エンジェル 7.Every Time He Comes Around エヴリ・タイム・ヒー・カムズ・アラウンド 8.Lovin' You ラヴィン・ユー 9.Our Lives アワ・ライヴズ ----------1974年12月、スティーヴィー・ワンダーが全面バックアップした、ミニー・リパートンのアルバムで、全米アルバム・チャート4位を記録する大ヒットになりました。この中からシングル・カットされた「ラヴィン・ユー」は、全米ポップ・チャート1位を記録し、その後、多くのアーティストに取り上げられる永遠のスタンダード・ポピュラー・ソングになりました。この作品によってミニー・リパートンは「天使の歌声」と称され、多くの人々の耳に届きました。----------5オクターブの声域をもち、「天使の歌声」と称されながらも、1979年7月12日、31歳の若さでガンで亡くなった天才シンガーのミニー・リパートン。ミニー・リパートンは、その特徴的な歌声で、関係者の間での評判は高く、レコードも何枚か出していましたが、ヒットには至っていませんでした。1971年の「ブラック・エキスポ」という音楽イヴェントの会場で、スティーヴィー・ワンダーとミニー・リパートンは出会いました。ミニーは憧れの存在であったスティーヴィーに話しかけ、大ファンであることを語ります。そして、スティーヴィーは、彼女がミニー・リパートンであると知ると、大変驚きました。なぜなら、スティーヴィーは前からミニー・リパートンのレコードを聴いていて、スティーヴィーも、すでに彼女の大ファンになっていたのでした。これをきっかけに、ミニーはスティーヴィーのバック・アップ・シンガーとして、彼のレコーディングに参加するようになりました。このころ、クインシー・ジョーンズのレコーディングにも参加するようになり、ソロ・パートとしてかなりフィーチャーされていますので、そこでも、まだ無名のころのミニーの歌声を聴くことができます。そして、1974年に、スティーヴィー・ワンダーの全面的なバックアップで、エピック・レコードでのファースト・アルバムとしての、この作品、『パーフェクト・エンジェル(Perfect Angel)』が制作されました。このアルバムでは、スティーヴィーがプロデュース、アレンジ、ピアノ、キーボード、ドラムス、ハーモニカなどの演奏も行い、曲も「テイク・ア・リトル・トリップ(Take a Little Trip)」と、「パーフェクト・エンジェル(Perfect Angel)」の2曲を提供しています。また、その中にはミニー・リパートンと後に夫となるリチャード・ルドルフの作ったかわいらしい曲、「ラヴィン・ユー(Lovin' You)」も収録されました。1974年12月、このアルバムとほぼ同時にリリースされたシングル「ラヴィン・ユー」は、R&Bチャートだけでなく、幅広い層で支持され、1975年4月5日の『ビルボード』誌の、メインストリームである全米ポップ・チャートでも1位を記録する、大ヒットになりました。まさに「エンジェル」そのものの「パーフェクト・エンジェル」の誕生で、ミニーの歌声は「天使の歌声」と称されました。この「ラヴィン・ユー」でもステキなエレクトリック・ピアノを演奏しているのはスティーヴィー・ワンダーです。しかし、発売当時、このアルバムにはスティーヴィーの名前はクレジットされていなかったので、スティーヴィーがこのアルバムをプロデュース、そのほか、バックアップしたということは、あまり知られていませんでした。ちなみに、マライア・キャリーの、あの独特の驚異的な高音の声域は、少女時代にミニー・リパートンの「ラヴィン・ユー」を聴きながら練習していて身に付いたと言います。【ジャズ】人気blogランキングへ
June 21, 2007
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【スタンダード・ナンバー】ユーヴ・ガット・イット・バッド・ガールYou've Got It Bud Girl【邦題:バッド・ガール】君は悪い娘になってしまったのさこの曲は、スティーヴィー・ワンダーの作曲、イヴォンヌ・ライトの作詞によるもので、1972年10月27日リリースのスティーヴィー・ワンダーのアルバム、『トーキング・ブック(Talking Book)』に収録されました。そのアルバムからのファースト・シングル「迷信(Superstition)」のB面に収録されました。恋人への、心狂おしいまでの嘆願といった曲で、ここでもシンセサイザーが効果的に使われて、官能的な雰囲気をかもし出しています。この曲は、クインシー・ジョーンズやハービー・ハンコックなどに取り上げられています。クインシー・ジョーンズの1973年のアルバム『バッド・ガール(You've Got It Bud Girl)』のタイトル・チューンとして収録されました。ハービー・ハンコックの1996年のアルバム『ザ・ニュー・スタンダード(The New Standard)』は、ハービー・ハンコックが「これが今のスタンダードさ!!」という楽曲を集めた内容のもので、このアルバムの中に、この「バッド・ガール」が取り上げられています。ハンコックは、この曲がお気に入りのようで、1996年8月に、山梨県河口湖で行われた「Live By The Lake 河口湖’96」でライヴ録音もされました。ハービー・ハンコックは、次のように語っています。「スティーヴィー・ワンダーは音楽界に足跡(そくせき)を残したんだ。つまり、ポピュラー・ミュージックを変えたのさ。スティーヴィー・ワンダーの偉大な曲を聴いてなかったら、世界はまったく違っていただろうね。」*****●ユーヴ・ガット・イット・バッド・ガールYou've Got It Bud Girl【邦題:バッド・ガール】作詞:イヴォンヌ・ライト Yvonne Wright 作曲:スティーヴィー・ワンダー Stevie Wonder1972年気まぐれで僕の愛から遠ざかりたいと思うなら君は悪い娘(こ)だきっと君は悪い娘になってしまったのさ僕の優しいキスをこばむというなら君は悪い娘だそう、君は悪い娘になってしまったのさ本当の気持ちと逆の気持ちを表したいのなら君の心は棚の上に乗っているつまらない置物のようなものさ出口をもっと広げれば逃げ道が見つかると思っているのだろうけど君は悪い娘だ君は悪い娘になってしまったのさ解決法が見つからないというのならどうしても僕のそばに来たくないというのなら君は悪い娘だ君は悪い娘になってしまったのさそうさ、僕の計画を知っているだろそれはね、君をつかまえるためのものなのさだから君は僕の計画を邪魔するためにわざとそんな反応を示すんだね愚かな人だそれは間違っている悪い娘だそんなことをしてはいけないよ僕のこの真心を避けるなんて何の得にもならないよ君の感じていることは僕にははっきりわかるんだよそう、手に取るようにはっきりとねその気持ちを見つける前君はそれを隠そうとした君は悪い娘だ君は悪い娘になってしまったのさ君の心の中のほんの小さな空間でいいんだ僕の愛の居場所を見つけてくれたならそれでいいんだよそういう君こそが正しい良い娘なんだそう、それこそ正しい、良い娘というものなのさ【ジャズ】人気blogランキングへ
June 15, 2007
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【スタンダード・ナンバー】ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフYou Are The Sunshine Of My Life【邦題:サンシャイン】「君は僕の人生の輝く太陽だ」全米ポップ・チャート1位、R&Bチャート3位1973年度グラミー賞:最優秀ポップ・ヴォーカル賞----------「君は僕の人生の輝く太陽だ」と歌うこの曲は、スティーヴィー・ワンダーの作詞・作曲によるもので、1972年10月27日リリースのスティーヴィー・ワンダーのアルバム、『トーキング・ブック(Talking Book)』に収録されました。1973年2月に、このアルバムからの「迷信」に続くセカンド・シングルとして、この曲がリリースされました。1973年5月に全米ポップ・チャート1位、R&Bチャートでは3位になる大ヒットを記録し、1973年度グラミー賞では最優秀ポップ・ヴォーカル賞を受賞しました。スティーヴィー・ワンダーの代表曲になるとともに、この美しいメロディー・ラインは、多くのアーティストに取り上げられ、永遠のスタンダード・ナンバーになりました。最近では平井堅が歌い、ラジオやテレビなどで幾度となく流れていたので、耳にしている人も多いかと思いますが、大変広いジャンルのアーティストに取り上げられており、ジャズ・ミュージシャンでは、フランク・シナトラ、ステファン・グラッペリ、フィニアス・ニューボーン、シンガーズ・アンリミテッドなどのものがあります。個人的には、タワー・オブ・パワーと同じベイ・エリア・サウンドのバンド、コールド・ブラッド(Cold Blood)のアルバム『スリラー!(Thriller!)』に収められている、この曲が美しくて好きです。*****●ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフYou Are The Sunshine Of My Life【邦題:サンシャイン】作詞・作曲:スティーヴィー・ワンダーwords and music by Stevie Wonder1972年君は僕の人生の輝く太陽だからいつも君のそばにいるんだよ君はとてもかわいい人ずっとずっと僕の心の中にいておくれ君のことをずっと前から愛してきたけれどなんだか、これからすべてが始まるような気がする二人の愛が終わることを考えただけで僕は自分の流す涙でおぼれてしまいそうだ君は僕の人生の輝く太陽だからいつも君のそばにいるんだよ君はとてもかわいい人ずっとずっと僕の心の中にいておくれ君は僕が一人ぼっちだったことを知っていたんだねこうして僕を助けに来てくれたじゃないかまるで天国にいるような気分だよ君は本当に愛に満ちたステキな人・・・君は僕の人生の輝く太陽だからいつも君のそばにいるんだよ君はとてもかわいい人ずっとずっと僕の心の中にいておくれ【ジャズ】人気blogランキングへ
June 14, 2007
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【スタンダード・ナンバー】スーパースティションSuperstition【邦題:迷信】全米ポップ・チャート1位、R&Bチャート1位1973年度グラミー賞:最優秀R&Bソングライター賞、最優秀R&Bヴォーカル賞----------この曲は、スティーヴィー・ワンダーの作詞・作曲によるもので、1972年10月27日リリースのスティーヴィー・ワンダーのアルバム、『トーキング・ブック(Talking Book)』に収録されました。そして、アルバム・リリースの3日前の、1972年10月24日、このアルバムからのファースト・シングルとして、この曲がリリースされました。もともとはジェフ・ベックのために書かれた曲ながら、スティーヴィー自身のもののほうが先にアルバム、シングルともにリリースされてしまい、1973年1月24日に全米ポップ・チャート、R&Bチャートともに1位という、大ヒットになりました。これは、スティーヴィー・ワンダーにとっては、1963年の「フィンガーティップス」以来の全米チャート1位でした。スティーヴィー・ワンダーは、この曲で、1963年度のグラミー賞の最優秀R&Bソングライター賞、最優秀R&Bヴォーカル賞を受賞しました。スティーヴィーがロンドンでジェフ・ベックと会ったとき、アルバムに参加してくれたお礼にと、最初、スティーヴィーは、「メイビー・ユア・ベイビー(Maybe Your Baby)」をベックにあげることにしましたが、その後、気が変わり、ニューヨークで再会したとき、その曲はスティーヴィーが自分で録音したくなったので、代わりに「迷信」をレコーディングするようにベックに持ちかけました。ジェフ・ベックの話では、もともと「迷信」のグルーヴが生れるきっかけを与えたのは自分で、スタジオでスティーヴィーのドラムキットで遊んでいたとき思いつき、それでスティーヴィーから、その曲をもらったということです。しかし、スティーヴィーはベックの演奏する「迷信」を聴いて、この曲の可能性を感じ、また気が変わり、自分でも録音してしまいました。それを知ったベック側は憤慨し、当然関係は気まずくなったようです。そこで、スティーヴィーは、「迷信」は最初のシングルにしないように、モータウンに頼みましたが、このへんで大掛かりなシングルを発表したいと考えていたモータウンは、強引に「迷信」をすぐにリリースしてしまいました。スティーヴィーは後に、こう語っています。「僕はモータウンに「面倒なことになるから、よしたほうがいい」、と言ったんだけど、向こうは「だめだ、シングルのリリースはこっちで決める」ってことになって、こういう結果になってしまったんだ。」ジェフ・ベックは、スティーヴィーの「迷信」が大ヒットしてしまったあとの1973年2月に、アルバム『ベック・ボガード&アピス(Beck Bogard & Appice)』の中で、自身のヴァージョンを発表しましたが、スティーヴィーのもののカヴァーとしか認識されませんでした。ジェフ・ベックは、これ以前にも、1970年にスティーヴィーの曲「歌がなければ(I Gotta Have A Song)」を取り上げるなど、スティーヴィーのファンだったのですが、この件でジェフ・ベックは気分を害し、二人は一時期、完全に仲たがい状態になります。結局、1975年のジェフ・ベックのアルバム『ブロウ・バイ・ブロウ(Blow By Blow)』で、スティーヴィーが書いた曲「哀しみの恋人達(Cause We've Ended As Lovers)」と「セロニアス(Thelonius)」が収録され、二人の仲は修復されました。クインシー・ジョーンズの1973年のアルバム『バッド・ガール(You've Got It Bud Girl)』にも収録されました。このアルバムには、アルバム・タイトルになっているスティーヴィーの曲「バッド・ガール(You've Got It Bud Girl)」も収録され、この後、クインシーはスティーヴィーの曲を取り上げるようになります。1975年ごろのあるインタヴューで、クインシーは次のように語っています。「ポップ・ミュージックをやるなら、それとまじめに取り組まなければいけないと思うよ。良いものはやはり違うんだ。たとえばスティーヴィーの作品だ。彼はものすごく成長したね。」クインシーも、スティーヴィーの書く曲は良いということを、はっきり言っています。クインシー・ショーンズのほかにも、ジャズ・ギタリストのジミー・ポンダーや、ジャズ・シンガーのニーナ・フローリンなどのジャズ・プレイヤーにも取り上げられています。この曲は、ロックとソウルが見事に融合したファンキーな名曲として知られ、単なるヒット・ポップスではない、広いジャンルのミュージシャンに取り上げられるスタンダード・ナンバーになりました。----------●スーパースティションSuperstition【邦題:迷信】作詞・作曲:スティーヴィー・ワンダーwords and music by Stevie Wonder1972年とても迷信的壁に書かれた言葉とても迷信的そう、ハシゴが今にもはずされそうだ13カ月の赤ん坊が鏡を割った不運が続いて7カ月、幸運は過ぎ去ってしまった理解できないことを信じると被害をこうむることになるのさ迷信、そんなものに惑わされるなとても迷信的顔と手を洗う君僕から悩みごとを追い払ってくれできることは何でもしてくれ夢見心地でいさせてくれ僕を強くしておくれ僕を助けたくないって?そんな悲しいことは言わないで理解できないことを信じると被害をこうむることになるのさ迷信、そんなものに惑わされるなとても迷信的ただそれだけとても迷信的悪魔がやってくる13カ月の赤ん坊が鏡を割った不運が続いて7カ月、幸運は過ぎ去ってしまった理解できないことを信じると被害をこうむることになるのさ迷信、そんなものに惑わされるな【ジャズ】人気blogランキングへ
June 13, 2007
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【スタンダード・ナンバー】マイ・シェリー・アモールMy Cherie Amourスティーヴィー・ワンダー、ヘンリー・コスビー、シルヴィア・モイの共作曲。スティーヴィー・ワンダーが19歳のとき、1969年のアルバム『マイ・シェリー・アモール(My Cherie Amour)』に収録。最初、シングル「アイ・ドント・ノウ・ホワイ(I Don't Know Why)」のB面の曲として発表されながら、ラジオへのリクエストが殺到して、全米ポップ・チャート、ソウル・チャートともに4位にまで昇る大ヒットになりました。この曲はソウルフルなのに、「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」と同じく、泥臭い感じのするセヴンス・コードのソウル・ナンバーとは正反対の、メジャー・セヴンス・コードに乗ったメロディーが、実に美しい曲。ビートルズの「ミッシェル」に影響を受け、「恋人」との別れにインスパイアされ、もともとは「オー・マイ・マーシャ」という曲名で1966年に作られていたものを、曲名を変更してリリースしたと言います。クインシー・ジョーンズは、1975年のアルバム『メロー・マッドネス』で取り上げていて、レオン・ウェア、パウレット・マクウィリアムス、今は亡きミニー・リパートンのソロ・ヴォーカルという、凝ったヴォーカル・サウンドに、ジョージ・デュークのエレピ・ソロがフューチャーされるといったアレンジになっています。*****●マイ・シェリー・アモールMy Cherie Amour作詞・作曲:スティーヴィー・ワンダー、ヘンリー・コスビー、シルヴィア・モイwords and music by Stevie Wonder , Henry Cosby , Sylvia Moy1969年マイ・シェリー・アモール夏の日のように愛らしい愛するシェリー銀河のように遠い人マイ・シェリー・アモール僕の崇拝の的(まと)僕の心は君だけにときめくどんなに君を僕のものにしたいことかカフェでも街の雑踏(ざっとう)の中でも僕は君の近くにいたでも、君は気づきもしなかったマイ・シェリー・アモールどうして無視するのか教えておくれ笑顔の陰で君を自分のものにしたいと思っている僕なのさラララララ・・・いつの日か君は雑踏の中に僕の顔を見るだろういつの日か遠い雲の中で君と会いたいああ、愛するシェリー僕の崇拝の的僕の心は君だけにときめくどんなに君を僕のものにしたいことかラララララ・・・【ジャズ】人気blogランキングへ
June 7, 2007
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【スタンダード・ナンバー】オン・ザ・ストリート・ホエアー・ユー・リヴOn The Street Where You Live【邦題:君住む街角】この曲は、アラン・ジェイ・ラーナー作詞、フレデリック・ロウ作曲のもので、1956年のミュージカル『マイ・フェア・レディ』に挿入され、その中ではマイケル・キングが歌いました。1957年に男性シンガーのヴィック・ダモンが歌ってヒットしました。また、1964年に作られた、このミュージカルの映画版『マイ・フェア・レディ』では、ジェレミー・ブレットが歌いました。そして数多くのシンガーが歌い、現在はスタンダード・ナンバーになっています。『マイ・フェア・レディ』はバーナード・ショー原作の『Pygmalion』をミュージカル化したもので、ハンガリー人の映画プロデューサーのガブリエル・パスカルが最初に企画しました。そして、リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン、ノエル・カワード、コール・ポーター、レナード・バーンスタインほか、多くのミュージカル作曲家にあたりますが、全て断られたあげくに、パスカルが亡くなってしまいました。結局、アラン・ジェイ・ラーナーとフレデリック・ロウのコンビで、4年の歳月をかけて完成されましたが、公演間近になりリハーサルも終わりに近づいた段階になっても題名が決まらず、このミュージカルは最後の最後まで難航したということです。題名の候補には最初にこの「マイ・フェア・レディ」があがりましたが、ロンドン橋の歌にも使われているように「古臭い」というイメージがあり没になりました。ほかにいくつか候補があがりますが、どれもいまひとつというもので決定打はありませんでした。そのうちにトライアウトが目前にせまり、新聞広告には題名なしで出すことになってしまい、プロデューサーのハーマン・レヴィンが、いい加減に題名を決めてくれとせまったために、ラーナーが仕方なく「とりあえずこれでいこう」と言い『マイ・フェア・レディ』になったと言います。そんな、いきさつから、このミュージカルには普通なら必ず入っているタイトル・ソングというものがありません。つまり、「マイ・フェア・レディ」という曲は作ることができませんでした。タイトル・ソングのない、実にまれなミュージカルになったということです。しかし、このミュージカルは2717回という超ロングランを記録して、大成功を収め、その中から、この曲をはじめ、多くの曲がヒットして有名になりました。尚、この曲には、長いヴァースが付いています。*****●オン・ザ・ストリート・ホエアー・ユー・リヴOn The Street Where You Live【邦題:君住む街角】作詞:アラン・ジェイ・ラーナー Alan Jay Lerner作曲:フレデリック・ロウ Frederick Loewe1956年(コーラス)この通りは、まえに何度も歩いたことがあるいつも敷石が足の下についていたはずなのに突然、私は天にも昇るような気持ちになったのここが、あなたの住んでいる通りだと知ったからライラックの木は街の真ん中あたりにあるの?街のほかの場所ではヒバリのさえずりが聞こえるの?どの家のトビラからも、よろこびがあふれ出しているの?いいえ、それはあなたの住んでいるこの通りだけなのああ、あなたが近くにいると思うだけで、胸がドキドキするわふいにあなたが現れるような気がして、心が強くときめいてしまうの道行く人は足を止めて私を見ていくけれど、気にしないわだって、世界中のどこよりも、私はここにいたいから時間なんて気にならないあなたの住むこの通りに、いつまでもずっとこうしていたいの【ジャズ】人気blogランキングへ
May 29, 2007
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【スタンダード・ナンバー】フォー・ワンス・イン・マイ・ライフFor Once In My Lifeこの曲は、ロナルド・ミラー作詞、オーランド・マーデン作曲で、1965年に作られた曲です。1966年にトニー・ベネットが歌ってヒットし、1968年にスティーヴィー・ワンダーが歌ったものが、全米ポップ・チャート、R&Bチャートともに、2位を記録するという大ヒットになりました。トニー・ベネットのものはムーディーなバラード調のものでしたが、スティーヴィー・ワンダーのものはアップテンポのロック調のものになっています。作曲者のマーデンは、この曲以外の作品は見当たりませんが、作詞のミラーは、ほかにもスティーヴィー・ワンダーの曲を書いており、モータウンのスタッフ・ライターとしても活動していたようです。この曲は、最近ではテレビドラマ「アリー・myラブ」におけるヴォンダ・シェパードの歌でも、ポピュラーなものになっています。これは音域の広い曲なので、必然的に発声の良い絶唱型の実力のあるシンガーにしか歌えないため、ソフトでハスキーなシンガーは、ほとんど歌っていません。フランク・シナトラ、サミー・デイヴィス・ジュニア、カーメン・マクレエ、ナンシー・ウイルソン、といったジャズ・シンガーから、シュープリームスなどのロック、ソウル、ポップス系のシンガーなど、この曲は多くのシンガーに歌われ、スタンダード・ナンバーになっています。*****●フォー・ワンス・イン・マイ・ライフFor Once In My Life作詞:ロナルド・ミラー Ronald Miller 作曲:オーランド・マーデン Orlando Murden 1965年生まれて初めて僕を必要としてくれる人にめぐり逢えた長い間僕が探し求めていた理想の人に生まれて初めて人生が僕をどこに導くかに恐れを感じることはないなぜなのか僕は強くなれるのがわかるんだ生まれて初めて僕はずっと昔に心に夢見たものに触れることができる君のように温かい人なら僕の夢を叶えてくれるのさ生まれて初めて僕は悲しみに傷つかない自信を持てたもう今までとは違うんだ生まれて初めて僕を見捨てたりはしないとわかっている人がいてくれるからもう僕はひとりぼっちではないんだ生まれて初めてこの人は僕のもので、誰にも奪われはしないと言えるんだ愛する人がいてくれるかぎり、僕は負けはしない生まれて初めて僕を必要としてくれる人にめぐり逢えたのだから【ジャズ】人気blogランキングへ
May 26, 2007
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【スタンダード・ナンバー】ラウンド・ミッドナイト 'Round Midnightラウンド・アバウト・ミッドナイト 'Round About Midnight1944年作曲:セロニアス・モンク Thelonious Monk 作曲:クーティ・ウィリアムス Cootie Williams作詞:バーニー・ハニゲン Bernie Hanighen----------この曲は、ジャズのスタンダード・ナンバーとしておなじみのもので、ジャズ・ピアニストとして独自のスタイルを築いたセロニアス・モンク作曲の代表作です。モンクは数多くのオリジナルを書きましたが、変拍子にも聴こえる特異なメロディー・ラインや不協和音を伴ったコード進行を持った曲が多く、それらによって特徴的な作風を確立した人物です。その中にあって、この曲は美しいメロディーを持ったバラードとして、多くのミュージシャン、シンガー、ファンから愛されてきました。1942年に、「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」としてセロニアス・モンクが作曲したもので、トランペット奏者のクーティ・ウィリアムスが共作者になっているのは、1944年8月にクーティ・ウィリアムス楽団が初録音しているからで、録音の際に手を加えたから、という説もあります。1944年にプロデューサーのバーニー・ハニゲンが作詞し、歌詞付の曲として出版されました。その際、“ラウンド・アバウト・ミッドナイト”という歌詞が、うまくメロディーに乗らなかったために、“アバウト”を削除して、「ラウンド・ミッドナイト」と曲名も変えてしまったので混乱がおきました。したがって、歌詞のないインストゥルメンタル・ナンバー(楽器演奏曲)は「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」で、歌詞付のヴォーカル・ナンバーとしては「ラウンド・ミッドナイト」ということになりますが、実際には厳密に区別されずに、インストゥルメンタルのものでも、1944年以降、「ラウンド・ミッドナイト」としているものもあり、今では二種類のタイトルが存在するという、ややこしいものになっています。モンク自身の初録音は1947年で、アルバム『ジーニアス・オブ・モダン・ミュージック Vol.1(Genius Of Modern Music Vol.1)』に収められています。当時、SP盤の短い収録時間のための時間制限からか、ソロも短く、唐突に終わっています。インストゥルメンタルのものは、それこそ数多く、モンク自身も何度も録音しています。モンクによるイントロとエンディングもインパクトが強く、曲の一部といっていいぐらいの存在感があります。しかし、最も有名な演奏はモンクのものではなく、マイルス・デイヴィスの1955年から1956年録音のアルバム、『ラウンド・アバウト・ミッドナイト('Round About Midnight)』の1曲目に収録されているものです。尚、ここでの曲名のほうは“アバウト”がない「ラウンド・ミッドナイト」になっています。マイルスのミュート・トランペットがまさに真夜中の静寂を表しています。テーマ後は、その静寂を破るオープンの激しい独自のブリッジが入っていて、そのアレンジが、この曲をさらにドラマチックで印象的なものにしています。マイルスも、この曲はお気に入りだったようで、何度も録音しています。ちなみに、マイルスがレコーディングのときモンクに、「オレのバックでピアノを弾かないでくれ」と言ったことから、ケンカ・セッションと呼ばれ、二人の不仲説が取りざたされていますが、それは間違いのようです。マイルスは、モンクに充分敬意をもっていると、後に語っています。この曲を主題曲とし、テナー・サックス奏者の大御所、デクスター・ゴードンら、ジャズ・ミュージシャンが出演したベルトラン・ダベル監督の1986年フランス映画、『ラウンド・ミッドナイト』が制作され、この曲の知名度をさらにあげました。「真夜中になると、いつも決まって想い出がよみがえってきて私を苦しめる。あなたをあきらめきれない私。つらい想い出にはとても耐えられない。そしてそれは、あの真夜中も知っている・・・。」と、絶望的に始まりますが、いつしかそれが希望に変わって曲は終わります。「いつか、真夜中に私たちの愛をはばたかせましょう。あなたが帰ってくるように、天使たちに歌ってもらい、私たちの愛をゆるぎないものにしましょう。あの、いつもの真夜中がやってくるころには・・・。」
February 20, 2007
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【スタンダード・ナンバー】ウィスパー・ノット Whisper Not1956年作曲:ベニー・ゴルソン Benny Golson作詞:リーロイ・ジャクソン Leroy Jackson----------この曲は、1956年、サックス奏者のベニー・ゴルソンが、トランペット奏者のディジー・ガレスピー率いるディジー・ガレスピー楽団に在籍中に作曲したものです。私としては、ウィスパー・ノットというと、ピアノ奏者のジュニア・マンスの録音のものを一番耳にしたもので、彼の代表曲のようになっていますが、発表当時から、多くのジャズ・ミュージシャンがこの曲を取り上げています。ディジー・ガレスピー楽団のものが最初に録音されたのかと思っていましたが、ディジー・ガレスピーのアルバム『バークス・ワークス』は、1957年4月録音で、トランペット奏者のリー・モーガンのアルバム『リー・モーガンVOL.2』のほうが早く、1956年12月録音です。ピアノ奏者のウイントン・ケリーのアルバム『ウィスパー・ノット』は1958年1月録音。ベニー・ゴルソンが1968年から参加したドラム奏者のアート・ブレイキー率いる、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズに在籍中のときのアルバム、『サンジェルマンのジャズ・メッセンジャーズ』のパリでのライヴ盤は1958年12月21日の録音で、これは空前のベスト・セラーを記録し、今日に至るモダン・ジャズ・ブームの原点ともいえるものになりました。ギター奏者のウェス・モンゴメリーのアルバム『ザ・ウエス・モンゴメリー・トリオ』は1959年10月の録音。ジュニア・マンスがヴァーヴに録音したアルバム『ジュニア』は1960年7月の録音。最初、この曲はインストゥルメンタルの曲でしたが、後にリーロイ・ジャクソンによって歌詞がつけられ、ペギー・リー、アニタ・オデイ、メル・トーメなど、多くのシンガーにより歌われています。どういうわけか、ジャズ評論家のレナード・フェザーが作詞したとしているものもありますが、それは間違いだということです。「Whisper not(ウイスパー・ノット)」とは「Don’t whisper」の語順を変えただけで意味としては同じで、「ささやかないで」、「口にしないで」というようなことです。「ぴったり合っていた私たちの気持ちは壊れてしまったけれど、あなたはそれを許してくれた。私はもう忘れたの。すんだケンカのことなんて口にしないで(Whisper not)」と、絶望のささやきを否定する歌詞がつけられています。この曲はインストゥルメンタルの演奏では「セカンド・リフ」という、コーラス部分と同じコード進行で、別のメロディーがつけられているところがあり、普通のスタンダード・ナンバーとはちょっと違った凝ったつくりになっています。そのセカンド・リフにも歌詞がつけられていて、そのゴロは良く合っていますが、どうしても音符が細かいので英語だと早口で歌わなくてはならないため、シンガーにとってはかなりのテクニックが必要でしょう。この曲はスタンダード・ナンバーとして、多くのジャズ・ミュージシャンによって愛され、演奏され続けています。
January 26, 2007
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