倫理の進化

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若樹

若樹

2013.01.13
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カテゴリ: 思想
邪悪性は、本質的に怠惰が基盤になっていると書いた。
一つに、人を邪悪にせしめるのは、社会通念から自己を切り離し、普遍的真理と、その時代の社会常識の中で、自分はどちらに属しているのかと、常に自省する事を怠る事である。

自省、及び内省と言ったものは、自分自身の欠陥を絶えず見張り、それを見つけたら、直ちに修正する事である。

また、ペック博士が邪悪性のもう一つの性格として、重要視しているのが、「自己愛」それも、「悪の自己愛」である。

悪の自己愛とはどういうものか。
一般的な自己愛とは、自分の容姿や能力に対して、他者に抱く様な陶酔や憧れを持って意識する事である。

それに対して悪の自己愛と言うものは、「屈服する事のない意思」だと言う。
以下は博士の文章の要約であるが、精神的に健全な人間は、道徳的、良心的なものに従おうとするものであると。

しかし、悪の自己愛を確立した者は、それがどんなに道徳的な価値観であったとしても、自分の信じるものと相反した場合には、これに従う事、受け入れる事を断じて拒否する。


「自分の罪悪感と自分の意思とが衝突したときには、敗退するのは「罪悪感」であり、勝ちを占めるのが「自分の意思」である。」(P103)

イスラエルの一般的な人間を例に取ると、この原理は説明しやすい。
即ち、一般的なイスラエル人は、パレスティナ人を、イスラエルや、他の人間と同等の存在と見なしていない。

パレスティナ人は、人間以下であり、イスラエル人によって征服され、従属すべき存在なのだ。
どれだけ、人種差別が原始的で、分別を欠いた時代錯誤の迷信だと言っても、パレスティナの人間がイスラエルの人間より、人種として劣っていないと説いてみても、殆ど国家レベルでこの考えを代々教育して来たイスラエル人には、この理屈が解からない。

民族としては、非常に優秀な人間を多数輩出しているにも関わらず、事パレスティナ人に対してのイスラエル人は、幼児なみに無知であり、尚且つそれを貫き、頑迷極まりなく、普通の人には精神病患者か、余程の知恵足らずに見えるほど、愚かで馬鹿げている。

悪の自己愛とは、この様に、理解すべき最もな証拠や理屈があったとしても、決してそれに屈服せず、断固として抵抗する病的な価値観への執着を言う。

これが、人間はこの地球の支配者ではないと、文明人に突きつけた時に、文明人に見られる反応なのである。

文明人は、自分が地上の王者でないと認めるくらいなら、それを指摘する相手を抹殺する方を選択する。

かつて教会が、地球は宇宙の中心ではなく、地球が太陽の周りを回っているのだと、事実を述べたガリレオを抹殺した様に。

人間の種としての邪悪性がここにある。



人間は、生活面を怠惰にする事によって、人間としての精神もまた、怠惰である事を丸出しにしてしまっている。

その怠惰が生み出す所の結果が、自らしている事が正しいかどうか、自省し考えてみる事を止め、その為、何が起きているか考える力を失わせ、そこに如何なる犠牲があったとしても、間違いを調べて探しに出ると言う行為にも出ず、本質的に、無視するか、ギリギリまで追い詰められた時には、誰かこういう邪悪で虚偽に満ちた生き方を、正当化して皆を納得させ、安堵させてくれる悪の口達者なものの台頭を待ち、彼が現れて、自己、及び社会を肯定してくれるのを歓迎して、問題を終わらせてしまうのである。

ここによって、邪悪が成立する。
邪悪は、自身を鑑みない。
常に誤魔化しの衣の中に隠れ、自分自身と向き合う事を、断じて拒む。



では、自然に取っての怠惰とは何か。

人間の様な、複雑な脳を持たない種に取っては、怠惰は全く存在しないと言っていい。
彼らは、本質的に怠惰ではない。
自然の世界に於いては、怠惰とは、淘汰される運命にある。

何故なら怠惰なネズミは、生きて、子孫を残す事など出来ないからだ。

どの種族も、生きて子孫を残す為に、あらん限りの努力をする。
植生の者さえ、身を守る為に、毒を持ったり、トゲを持ったり、また、甘い蜜を持ったりと、進化の努力を続けて来た。

この、「種として進化と維持の努力」を、人間は「ズル」する悪知恵を持って、捨てて行く方向に歩みを始めた。
怠惰が発生したのである。

より高い意識、考え方に服従する事を拒否する意思。
自らの不完全性を梃子でも認めようとしない、愚かな頑迷さ。
彼らは、それ故に、自省と内省を恐れる。

自分自身を精査する事を禁忌とする。
自分の考え方に光を当てて、自分自身の偏見を見破る正論を、徹底的なまでに拒否し、攻撃するのである。
彼らは常に、二心を持つ。
人として、自分は正しいと、自分自身と世間に対して信じさせようとする心と、正論が指摘する、自分の価値観の誤りを、それを明確に照らし出す光を、何としても避けようとする心である。

ペック博士が言う邪悪の基本的要素とは、罪悪や(自己の)不完全性に対する「意識の欠如」ではなく、「そうした意識に耐えようとしない事である。」

もしもイスラエル人が、パレスティナ人への認識や行動に対する自己の認識の欠如に気づき、尚且つその誤った認識を、変えようとする自己浄化に耐えれるならば、戦いは終わるのだ。

同様に、人間は、バリー・H・ロペス「オオカミと人間」(草志社)が言った様に、

「人間がオオカミの全てを統合して眺められるようになるとすれば(偏見を全て捨て)、それは、人間の側に根本的な変化が訪れようとしていることを意味するものであろう。人間がついに自分自身に関する先入観を捨てて、人間が中心でない世界を考えはじめたということになるからである。そういう宇宙を考えることによって引き起こされる不安のほうが、人間が今まで描いてきたオオカミに対する恐れよりも大きいことはいうまでもない。」

しかし、その恐れよりも、「人間が自分自身に関する先入観を捨て」、「人間が中心でない世界を考え始める」時、人間は種族として、真の進化の完成を迎えるのだ。

イスラエル人がパレスティナ人を恐れているのは明らかである。
だからこそ、彼らはパレスティナ人を憎み、抹殺しようとするのだ。
その恐怖の対象に、素っ裸の心になって、向き合うのは確かに更なる恐怖である。

人間が、この地球の支配種族ではないと認めるのは、これまでの人類の歴史、知識、価値観、全てを手放さなければならない。
人間は、それによって生じる精神的混乱と、その結果受け入れなければならない未来ー。
文明的な生活を捨て、「動物」に近い生活を送るのかと言う恐怖。
自然との対等な共生。
権利の放棄。
王者から、平民へ「下る」事。
イスラエル人ならば、「下賤な」パレスティナ人との共生を、現実的に考えなくてはならなくなる。

しかし、これは、より高い道徳性に従う事である。
悪の自己愛の放棄によってしか、本当の平和と叡智は訪れないのだ。

それを悪の自己愛によって、断固としてその真理への服従を拒否するならば、我々は、種として多くがそう遠くない日に死に絶える。


私たちは、パレスティナ人に対するイスラエル人の姿から、自分自身のアニマや自然に対する姿を見つけるべきである。

邪悪さは、間違いなく破滅への道である。
どんなに苦痛が伴っても、我々は真実を受け入れるべきだ。

怠惰と、悪の自己愛から脱却し、文明を今一度、考えてみる、今が最後の刻限だ。
この世界には、文明から離れて生きている、我々と同じ人間がいる。
彼らは、文明を疑った結果、基盤を失った私たちを、必ず受け止めてくれるだろう。


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Last updated  2013.03.02 00:29:42


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