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鹿児島市天文館のマルヤガーデンズ内にあるミニシアター「ガーデンズシアター」で台湾映画「KANO」を観てきました。映画の「KANO」という題名は、戦前に日本が植民地として統治していた台湾に実在した嘉義農林学校(かぎのうりんがっこう。現在の国立嘉義大学)の日本語読み略称「嘉農」(かのう)から由来しています。
この嘉農は、1931年8月13日から8月21日まで甲子園球場で行われた第17回全国中等学校優勝野球大会に台湾代表として初出場し、いきなり準優勝を果たし、一躍注目を集めました。その後も1932年夏、1935年春と夏、1936年夏と甲子園に出場しています。
私の父は、日本の植民地時代の台北帝大出身者ということもあり、よく子どもの私にカギノーリンが甲子園で活躍した話をしてくれました。オヤジの話ですと、カギノーリンには高砂族(台湾の少数民族)出身のものすごく足の速い選手たちがいて、その足の速さを活かして甲子園で大活躍し、当時の日本でもすごい評判になったとのことでした。
私の父は1921年生まれですから、このカギノーリンこと嘉義農林学校が台湾代表として甲子園に初出場していきなり準優勝した1931年は、父がまだ10歳の頃のことで、最後に台湾代表として甲子園に出た1936年のときでも15歳ですから、オヤジが生まれた奈良市でその評判を耳にしたのだと思います。しかし、台北で学ぶようになったこともあり、足の速いカギノーリンの高砂族の選手の話は父にその後も強い印象を残したのでしょう。
そんなこともあって、マルヤガーデンズ内にあるミニシアター「ガーデンズシアター」で台湾映画「KANO」を観ることになったのですが、観終わって思ったことは、近藤兵太郎(永瀬正敏)というアニメ「巨人の星」の星一徹のような人物に鍛えられて弱小チームが甲子園で準優勝するまでになるという典型的なスポ根映画は、野球の実況シーンはとてもスピーディで迫力に富んでおり、それなりに面白かったのですが、嘉南大圳とこの水利施設建設に大きな役割を果たした八田与一のエピソードが不自然に挿入されているところ等に疑問も感じました。
この映画が台湾でヒットした理由の一つに、日本統治時代の再評価と言うことがあると思います。間違いなく、日本の統治により台湾からペスト、コレラ、赤痢、発疹、チフス、腸チフス、ジフテリアなどの伝染病の脅威がなくなり、大型水利設施の建設により荒れ地や沼地が豊かな田畑に生まれ変わりました。しかし、戦後になって大陸から入って来た外省人による国民党統治時代にはそのような日本統治時代の成果が評価されませんでした。それでも本省人(戦前から台湾で生まれ育った漢民族)には、外省人の国民党統治より日本植民地時代の方が汚職なども少なかった、治安もよかったとする親日の雰囲気が残っていました。
1996年以降の台湾民主化によって日本統治時代のことも次第に知られるようになり、その頃まだ子どもだった人がいまは20歳以上となり、この「KANO」という映画で初めて嘉義農林学校が台湾代表として日本の甲子園で大活躍した事実も知り、特に嘉義農林学校を率いる近藤兵太郎監督の「民族の違いがなんだ。守備に長けた日本人、打撃力のある台湾人、俊足の台湾原住民、それぞれの強みを生かしたらいい」との指導方針によるサクセスストーリィに痺れたのだと思います。
ただし、今年亡くなられたミステリー作家の陳舜臣さんが『青雲の軸』で生まれ育った台湾で受けた民族差別の体験を語っていますが、日本統治時代の光と影を正しく見つめることが必要だと思います。
私の父は台北帝大で農学を学んでいたので、日本人技師による台湾の大型水利施設の重要な役割を強調していました。しかしまた、当地の日本人の台湾人に対するあからさまな差別的言動に非常な違和感を覚えたことも正直に語っていました。
陳舜臣さんの『青雲の軸』でも、日本で一緒に受験した李騰志という台湾人が作者に「日本に来て、ちょっとふしぎに思ったことがあるんだ。こちらの人間には、あの日本人の目がない。意外だったなあ」と言っています。「あの日本人の目」とは、台湾での日本人の目に表れる台湾人に対する差別的態度のことです。
なお、平田宗興さんがご自身のfacebookに5月に台湾の嘉義を訪れておられ、そのときに写真に撮られておられますので、紹介させてもらいます。
↓
https://www.facebook.com/okihirata/posts/891964700865462?pnref=story
https://www.facebook.com/okihirata/posts/891962307532368?pnref=story
それから、他の方がこの映画についてどのように評論されているか知りたくなり、ネットをいろいろ検索し、ナドレックさん運営の「映画のブログ」に「『KANO 1931海の向こうの甲子園』は親日映画なの?」と題された「KANO」についての映画評論があることを知り、読ませてもらいました。
http://movieandtv.blog85.fc2.com/blog-entry-522.html
ナドレックさんによると、この映画が台湾で2014年2月27日に封切られ、「そこから3ヶ月ものロングランになったが、この時期は『ひまわり学運』、すなわち立法院を占拠した学生運動の時期にピタリと重なる」とのご指摘があり、大いに納得させられました。
2008年に台湾の中華民国総統に就任した馬英九の親中政策により、台湾が「中国の経済植民地」になるのではないかとの懸念が「ひまわり学運」の学生運動となり、世論も学生を支持するような状況下でのこの映画の大ヒットが生まれたという視点を新たに得ることか出来ました。
そういった視点からこの映画を見直しますと、大ヒットの理由は単に日本統治時代の再評価ということではなく、嘉義農林学校を率いる近藤兵太郎監督の「民族の違いがなんだ。守備に長けた日本人、打撃力のある台湾人、俊足の台湾原住民、それぞれの強みを生かしたらいい」との言葉にあるように、中国大陸による中台一体化の併呑の危機を感じた台湾の人々の外省人、本省人、少数民族の枠を超えた多民族主義的な台湾ナショナリズムの高揚と重なったからと言うべきかもしれませんね。
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