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○セミヤーゼの言葉人間は一つの霊の担い手である。霊は死ぬことがなく、人間が深い眠りの中にあっても常に目覚めていて、すべての思考と感情を記録する。人間が霊に耳を傾けることを身に付ければ、自分の想念が正しいかどうか霊が教えてくれる。人間の内部にあるこの霊は、創造の王国の担い手である。そして、それはすべての人間に備わっている。人間が天国とか自らの内なる天国などと言い、創造や真理、知識や英知、霊や意識、そして実在という言葉を語るだけでは満足しないのは不可解なこと。人間が切望するもの、それは永遠の生命、不滅の平和、決して消滅することなく永遠に持続する霊的意識的な豊かさの、絶えることのない喜びの中に在る。天も地も滅び去る。しかし、真理、知識、英知、そして霊は決して変わることも消滅することもない。霊と意識は、完全、調和、平和、認識と洞察、知識、英知、真理、美、愛、そして真の存在、永遠に続くこれらすべてのものの訪れを待ち受けている。これらのすべてが一体となって霊の王国を作り上げる。これらすべては、創造的なるものの内に現存している。それらは独創性の中の独創性として、旋律の中の旋律として、能力の中の能力として、創造の原理の中の至高の原理として、あらゆる奇跡に勝る奇跡として実在する。創造が意識して世界を創り出すように、人間は夢の中で奇跡の世界を創り出すことができる。この能力は人間の意識から生じるもの。すべての奇跡が人間の中にあるように、意識もまた人間の中に実在している。人間自体が天国、すなわち創造的なるものの王国なのである。それゆえ、はるか昔の地球の哲学者は言った。人間とは大宇宙の中の小宇宙であると。なぜなら宇宙の中に含まれているものはすべて、人間の中にもあるから。奇跡とは霊の力を余すところなく利用すること。人間の内部の次元は無限である。創造の似姿である人間の中の霊は無次元的な実在である。それはすべての次元を包含すると同時に、あらゆる次元を超越している。霊とはすべての奇跡の中の奇跡、すべての力の源である。奇跡とは、霊の力を余すところなく利用すること。ところが人間は、奇跡をいかなる論理でも解明できない現象だと片付けてしまう。人間が幸福を感じるとき、その幸福は人間の内部から湧き起こってくる。幸福とは自分で作り上げた状態であって、何らかの場所ではないから。喜びもまた人間の内部から湧き起こってくる。霊的そして、意識的な平衡から生まれてくる。つまり、すべてが自己の内部から生じる。幸福の原因と思われる物事や人は、外的なきっかけにすぎず、幸福を目指して意識的に努力してきた人間自身の内部の幸福が、そうしたきっかけによって発現する。幸福とは自己の深奥の、すなわち霊の本質に属するものであり、創造という実在と分離することのできない特徴である。無限の幸福も無限の力も、この実在に含まれている。人間は外見的には年を取るが、それは一時的な現象にすぎない。五十年前は年寄りでなかったし、五十年後も彼の肉体は死んでいるでしょうから、もはや年寄りではない。老化して虚弱になるのは肉体だけ。霊は永遠に若く、老化現象が起こることはない。老年期というものは、青年期や幼年期、心配、苦悩やいろいろな問題のような、この世界のすべての外的な事情や経験が過ぎていくように、過ぎ去っていくもの。永続するものは、霊という実在、真理、知識、英知、そして現実である。これらを認識し、築き上げることが必要である。それらだけが、人間を自由にするから。霊の実在を認識すれば、人間にとって老いは全く無害となる。どんな心配や苦悩や問題も、生命や周囲や環境や世界の変化と移り変わりも、もはや人間を悲しみに陥れることはなくなっているのである。
2020.01.27

固定観念、感情について成長するために一人ひとりがこの地球にいるのだから。水瓶座の時代として覚醒は起こっている。これが終わると、はやくて300年以内に起こる可能性があるが、このペースだと700年はかかる。過去は未来の鏡であるもの。走馬灯のように1日を振り返り反省すべき点は反省し、時には肝に銘じて改める。たしなみを整え、ネガティブな想念は流し、本質に感謝をする。その先に結びつきそうな感情を脇によけ、男性特有の、女性特有の、感情や想念、思考の傾向を知りバランス感覚を身につける。全力で創造を愛し、周りを愛し、時には自分を愛で満たす。良い未来のイメージに書き換え、プラス思考、中庸を目指し、良い言霊に変えていく。叡智に横たわる平穏。新しいものを取り入れ、経験から知識を学び、創造の叡智を修得する努力を惜しまぬと、人生そのものが好転していることに気づくもの。平和なワンネスに目覚めて戦争を放棄した種族は、精神的にも技術的にも発達が加速している過程にある。太陽系の惑星に行き、多様な生命の存在する惑星はもうこの地球しかなかった。僅かなこの機を逸してはならないともいえるが、非政治的世界政府を達成し劇的な人口抑制が唯一の道であろう。※ETV=地球外飛行輸送機関(Extraterrestrial Traveling Vehicles)〇若かりしビリーマイヤーの言葉想念のコントロールをしないと人生は、大海に漂ようオールはない船と変わらない。○ビリーマイヤーの言葉1)人間は誰でも、通常幼いころから願望夢を持っている。空想の中に存在する願望夢の産物で、自分がいつか実現したいと思っているもの、あるいは単に好んで夢見たか、今も夢見ているもの。人間が善良なもの、美しいもの、愛すべきもの、優しいものと感じるものの願望夢。実現することのできる願望夢、あるいはいつの時も単に空想の産物にすぎない願望夢。いずれにしても願望夢はいつか実現できればさらに良い。たとえそのような願望夢に関する知識が失われたとしても、誰でもその中で空想に耽ることができる新しい願望夢を創り出すことができる。中立的・肯定的に思考することを身に付けるために必要なのは、主として否定的な想念が思考に影響を与え始めたら、つまり懸念や心配などの想念が正常な肯定的思考に負担をかけ始め、これを害し、苦痛をもたらしたら、必ずすぐに想念の中でこの古い願望夢か、または新しい願望夢に向かい、大きな空想に耽ること。しかしまた懸念や心配などの想念が過度な負担となるとき以外にも、願望夢の中で空想に耽ることも推奨される。願望夢の中で自分の想念を最も空想に満ちた軌道に乗せ、巨大な空中楼閣を築き、感覚を喜ばせることのできるすべて、すなわち幸福、愛、美、理解、その他気持ちと感情を高揚させるすべてのものに耽ることは、あらゆる点で許されている。そこでは空想は果てしなく、また限界を設けようと試みるべきでもない。しかし最も必要なのは、たとえごく些細なものであろうとも否定的想念が意識の中に侵入しようとしたときには、必ず直ちに願望夢を捉えるように気をつけること。何ごとも最初は非常に難しいものだが、中立的・肯定的な思考を身に付けることも同じである。願望夢に集中することは始めのうちは恐ろしく骨が折れるでしょう。なぜなら否定的な想念領域が意気込みを抹殺する矢を絶えず放つから。潜在意識は蔓延した否定的な想念内容をひっきりなしに前面に押し出そうとする。そのため大変な労力を払わなければ願望夢に集中することができない。それにもかかわらず潜在意識の否定的な攻撃が次第に弱まり、最後に完全になくなり、肯定的思考に優位と支配を委ねるまで、繰り返しあらゆる想念を願望夢に向けなければならない。この手順は場合によっては数分しか要しないこともあれば、症例の重さによっては数ヶ月かかることもある。それゆえあらゆる点で忍耐を要する。なぜなら第一に生まれながらの名人はいないし、第二に意識の力は人によって異なるからである。2)たとえ気分は少々悲しく気が滅入っていても、いつもある程度の笑みを浮かべているべきである。ちょうど中国人特有とされている笑みを。ただしこの場合、いきなり最初から全感情を込めて微笑まなければならないというのではない。気分はその反対なのであるから、そのようなことは不可能でしょう。微笑みは始めは外見上のものにすぎないが、時間の経過とともに習慣となり、徐々にではあるが確実に肯定的思考を促す。つまり外面的なものが内面的なものにも浸透して、悲しく滅入るような感情が否応なく悲しく滅入るような想念を生み出すように、微笑みを浮かべた喜ばしい顔はまさしく微笑みを浮かべた喜ばしい想念を促す。3)いつも頭をまっすぐ起こし高く上げているべきである。人と話をするときは、相手の目をじっと見つめる。すべての状況、物体、動物、人間、植物、全自然、その他あらゆるものを非常に正確に熟視して観察する。すべてをあらゆる細部に至るまで非常に正確に観察しなければならない。頭を垂れたり、目を伏せたりすることは避けなければならない。状況を意識的に理解することは有益であり、それによってさまざまな印象が集められ、肯定的な思考過程が積み重ねられ、促される。以上三つの黄金律を厳密かつ徹底的に守ると、非常に短期間に最初の成果と認識が必ず得られ、それによって自己治療への大きな第一歩が踏み出されたことになる。しかし最初の成果が得られたからと言って、この困難な作業を中断してはならない。思考が平衡した肯定的な力の最終的な形を絶対的に取るようになるまで、この作業を続けなければならない。一度そうなったら、最悪の大災害でさえも意識がそのように形成され強化された人間を害することはおろか、意気消沈させることすらできないのである。◯アラハト・アテルザータの言葉人間が生まれた時すでに必要な知識と能力が植え込まれていたなら、人間は発展することができなくなるでしょう。その場合は、すべての知識と能力などが人間の中に定着していて、いかなる教えも不要でしょう。新生霊も創られた時にすべての知識と能力を備えていたなら、新生霊にとって学ぶことはまったく余分であり、進化は起こり得ないでしょう。つまり人間が誕生後に生命の性格を我がものとするように、霊もその知識と能力を獲得する。しかし地球の人類の間では、次のような邪説が流布している。すなわち、霊の中にはすべての知識と能力がすでにあるが、それらは罪と過ちによって、また創造およびその法則と掟から転落したことによって忘れ去られたと。それゆえこの妄想を信じて説く者には、罪と過ち、およびそこから生じる贖罪は、物質的な生命形態の秩序を表しているということを言い聞かせなければならない。生命の教えであれ、霊の教えであれ、いかなる教えも実を結ぶのは、当の生命形態が誤りを犯し、その誤りが認識へと導く場合に限られる。つまり創造の賢い法則によると、どんな生命形態も誤りを犯し、君たちの言い回しを使えば、罪と過ちを自分に招くようになっている。しかしまたこれらの誤りを犯すことによって、生命形態はそれぞれの時間に応じて犯した誤りから間違いを認識して消化し、そしてこれらの誤りは二度と犯されてはならず、それゆえ陽性的に平衡したものへと処理しなければならないという知識に到達する。地球人もまた誤りを犯す限りにおいて学び、発展できる。つまり地球人は誤りに気づき、それを認識して、陽性的に平衡したものに消化できる。そうすることによって罪と過ちは無効となり、人間の非論理の領域に属するものとなる。創造の法則と掟の定めにより、避けようもなく学ぶ目的のために誤りを犯さねばならないならば、どうして犯した誤りのゆえに学ぶ者に罰を科すことができよう。法則を最も厳格に遵守することで罰せられるとするならば、それは非論理的なことであり、この上ない逆説である。これはどんな場合にも言えるでしょう。たとえば、君たち地球人の間では、人間が作った法律により盗みは罰せられることになっているが、ある人間がこの法律を非常に厳格に守って盗みを犯さないばかりに罰せられるようなものでしょう。誤りを犯すことは法則と掟により創造の価値に合致しているのだが、誤りを犯せば罰せられ、贖罪が求められるという人間の邪説から、地球人がカルマと呼んでいる理解しがたい非論理的な臆見も生まれた。このいわゆるカルマも無類の有害な邪説であるが、これも人間が考えた空想の産物であり、真理や現実とは相いれない。それは根本的な本質において完全かつ絶対的に非論理的であり、宗教的に思考する人間が発明したものである。人間の生命形態に不安を注入して、彼らを政治的および宗教的な観点で権力欲に憑かれた搾取的な民衆の指導者に従属させるのが目的である。君たち地球人によってカルマと呼ばれているものは、神、神々および偶像が創造自体であるという、君たちの間で広く流布している主張と同程度に非現実的で馬鹿げている。宗教の邪説に陥った地球人は、このとんでもない邪説をはねのけて、真理を認識せよ。宗教創設者、知ったかぶり屋、いかさま師、詐欺師、そして権力欲に憑かれた指導層は、支配的で優勢なすべての邪説に対して責任がある。これらの邪説は、型にはまったあらゆる思考と行動の基礎にある要素である。それらはあらゆる無知と虚偽の地中深くに張った根であり、地球人はそれらを引きむしって根絶しなければならない。※知識(Wissen):真理の認識を完全に論理的に理解した結果。※進化(Evolution):(ラテン語の「evolvere」=「展開する」を語源とする)発展すること。あらゆる生命体は霊的、意識的、そして物質的な面で発展し続ける(進化する)という創造の法則のもとにおかれている。しかしそれはあくまでも、各々の種にふさわしい形でのみ行われる。※霊(Geist):創造のエネルギーあるいは創造そのものの本質。すべてを生成させ、創造し、すべてに生命を与えるもの。あらゆる実存在の原初エネルギー=霊エネルギー=霊形態/霊体=不滅の存在※真理(Wahrheit):知識が論理と実際に合致すること。ひいては創造のエネルギーであり、論理の最終的帰結でもある。
2020.01.06
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