やしこのおしゃべり日記

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やしこなーちゃん @ ありがとう 私もびっくりしたよ~。有利な条件は何も…
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2007.01.17
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あれから12年が経った。
18歳だった私は30歳になり、その間に大学を卒業し、恋愛し失恋し、就職し、結婚して出産して12年間分に値するたくさんの経験をしてきたのに、あの日に感じた感覚は今でもまるで昨日の事のようによみがえる。
阪神大震災が起こったあの日は火曜日で、前の晩は結構夜遅くまでクラブの先輩と「彼氏が出来たらハンバーグとコーンスープを作ってあげる」などと他愛のない事をしゃべっていた。
そして眠りについてからわずか数時間で、小さい揺れを感じ「このまま揺れが大きくなったらどうしよう」と思った瞬間、震度7の揺れに襲われた。
小さい揺れの時は「あ、地震だ」と思ったのに、大きい揺れになると頭がパニックになり、ベッドの下にライオンがいる!!と思った事を覚えている。
怖くて布団に潜っていると、隣に住んでいた仲良しの先輩が私の名前を叫びながらドアを叩く音で我に返った。
その先輩のところに行こうと暗がりの中でベッドから降りるが、容赦なく余震が襲い、床の上は落ちてきた物が散乱して踏み場がなく、わずか1kの部屋だったがベランダの窓を開けるのにかなりの時間を要した。
このとき、自分がとても大変な状況にいることが全く理解できていなかった。
わたしが一番に思った事は、「広島の両親は大丈夫だったかな」ということだ。

近所の人に「どこが一番ひどかったんですか?」と半泣きで聞いて回り、「ここ」と言われてびっくりした。
その時初めて、この状況は私が両親の心配をする状況ではなく、両親が私を心配しているのだと気がついた。
それから通じる公衆電話を探して、ありったっけのコインを持って長い長い列に並び、倒れた自動販売機や落ちてきた物でふさがれた道路を呆然としながら見つめた。無法地帯といった感じだった。
その後怖いので先輩の部屋に身を寄せつつ、先輩の彼氏がわたしの部屋の片付けを手伝ってくれたり、わたしの安否を確認しに来てくれた友達と話したりしているうちに夕方になり、ふと「これからどうしよう」と感じた。
地震が起きたのは早朝だったが、寒いとかお腹がすいたとかこれからどうなるのとか、いつもだったら感じるような事を思い出すのに半日以上かかった。
それからまた先輩についてきてもらい、通じる公衆電話を探してさまよった。通じていた公衆電話もコインがあふれて使えなくなっていたからである。
ようやくみつけて両親に連絡を取ろうとしたが、通じない。当時は携帯電話が普及していなかったから、家にいなければ連絡が取れなかったのだ。
その頃ようやくパニックがおさまりつつあったわたしは、この異常事態に両親と連絡がとれない訳をひたすら考えたが、一つしか考えられなかった。
両親は一人娘の私を迎えにきているに違いない。
地震から半日以上が過ぎて、ようやくわたしたちの周りで起こっている事に気づき始めた私は、この惨状の中に両親がやってくるのは危険すぎるので阻止したかったが、携帯電話もない時代にそれは不可能だった。
はたして両親は、道路が封鎖される寸前を縫い、ずれて段差が出来た橋を通りながら16時間かけて不休で広島から車でやってきた。

運転したのは父一人。まさに一昼夜不眠不休であった。
今でもその時の事を思うと、胸が熱くなり涙が止まらない。
広島に戻ったわたしはようやく自分の身に起こった事の全貌を知る事になった。
たくさんの人があの揺れでお亡くなりになったことや自分の住んでいた所の近くで高速道路が倒壊したこと、家やビルがたくさん倒壊したことなどを知った。
そして自分も死んでいたかもしれない状況で、運良く生き残ったのだと気がついた。


何か異常事態が起こったとき、渦中にいない人たちは「当事者の人たちは自分の身に起こった事だから一番よくわかっているだろう」と思うが、実は当事者が一番分かっていないのではないか。
何かが起こったとき、一番に必要な物は情報だ。
わたしは自分がたまたま無事で、住んでいた所も無事だったので、亡くなった方がおられることや建物が倒壊していること、今後建物が倒壊する可能性があることなどに気がつかなかった。
災害時の備えとして、情報を得る手段は必ず確保しておくべきだと思った.

あれから12年経って、関西を離れ広島に戻ってきた私だが、未だに寝ている時トラックが通って大きな音がすると必ず目が覚めて心臓がドキドキする。
小さな地震でも鳥肌がたつほど怖い。
阪神大震災で無傷だったわたしですらこうなのだから、もっと深刻な被害に遭われた方の12年は計り知れない。
わたしの経験した阪神大震災の記憶は12年経っても決して薄れる事はないが、子供を産んでからは親としての視点であの出来事を捉えるようになった。
娘がたった一人で大震災に遭ったとしたら、自分はどう感じどう行動するか。
それを考えたら、阪神大震災の第一報に触れた両親の苦悩がわたしの胸に迫ってくる。
12年の歳月、そして自分の娘という存在を経て、あの日自分に起こった事がまた別の一面を持つことになった。

最近はあの日の出来事を話す事も少なくなってきたが、毎年1月17日には自分の命があることを深く深く感謝する。
生きていることは当たり前のことではないのだ。
今日生きていられることは、本当にありがたいことなのだと心から思う。







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Last updated  2007.01.18 23:02:31
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