譲れない自由意志(旧こころが風邪をひいたら)

譲れない自由意志(旧こころが風邪をひいたら)

2008.07.24
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今朝の座禅をしながらクリスチャンの無償の愛について考えた・・・・・・・・・・・・・・。
これだけでも「主なる神」の嫉妬を受けるだろうが・・・・・・[m:79]

先日、あるクリスチャンの方より、わたしの病気のことを心配して、
ご自分が似たような病気になったときに効果的だった医師を紹介してくれ、
しかも同行してくれることになった。

なんだか、懐かしいものを感じた。
「無償の愛」 その中にどっぷり浸かっていた自分を思い出した。
(ゆえに僕にはどうも、対価としてお金を貰うという健全な感覚が異常に欠落しているのだが。)

今で言う介護のようなこと、

清貧な生活を送っている信者に差し入れする
心地よいものを感じていた。
「受けるより与えるほうが幸福」という陶酔感も体験できた。
ほんとうに純粋な動機での親切とはほんとうに綺麗なものだと思う。

わたしが実家で聖書などをすべて破棄され、焚書され
仕方なく家出したとき、「研究の司会者」であった「長老」のところに居候したこともあった。
思えば、彼を通してあの宗教を見たゆえに、信じたのだとおもう。
僕はひとを見て、心を許すようだ。

かなりの時を経て、うつ病になり、多重債務に苦しんでいたことを話すと、数日後20万円入った現金書留が送られてきた。

自己破産した際に、「家賃の連帯保証した金を返せ」と取立てに来た長老とは大違いだ。
それを知ってて、「わたしは関係ないですから、自分で処理してください」とわざわざ電話してきた二人の長老とは大違いだ。


それを悪用され、蔓延しているのも見てきた。
講演者を食事にもてなすのは「特権」だと言って半強制にすること
司教、大司教クラスの訪問の際に宿舎、食事の提供、車での送迎を建前では自発的にさせるが実は半強制にすること
それらは集会場の掲示板に記入するゆえに、誰が何をし、しないのか衆目にさらされるのだ。
家の修繕などで材料費ほどしか請求させない空気を作って職人を困らせること


そのような偽善とはかけはなれた「無償の愛ある親切」というものに久しぶりに触れた。





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最終更新日  2008.07.24 10:49:07
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