全18件 (18件中 1-18件目)
1

続きです。終点の吉松駅で乗客が全員降りてから、ゆっくりと『はやとの風』の車内を撮影しました。跨線橋の上から、撮ってみました。吉松駅での乗り継ぎ時間は39分あります。なので、駅でゆっくりと過ごすことができます。吉松駅の脇には、小さいですが、鉄道の資料館があります。誰でも無料で入れます。さらに、この駅の隣には、C55形SLが静態保存されています。なぜ吉松駅に、このように鉄道の歴史が分かる資料が展示されているのかといいますと……門司港駅から鹿児島駅までの鹿児島本線は、元々、八代-鹿児島間の海沿いの路線が開通するまでは、この肥薩線が鹿児島本線でした。さらに、日豊本線の都城-隼人間が開通するまでは、都城-吉松間の現在の吉都線が、日豊本線でした。つまりこの吉松駅は、九州の西側を縦断する鹿児島本線と、九州の東側を縦断する日豊本線が合流する、鉄道の要所だったんです。この吉松駅で、昼食を取ることにしました。昼食は、『はやとの風』の車内で買った、嘉例川駅の有名な駅弁『百年の旅物語「かれい川」』(1050円)です。この駅弁は『はやとの風』運行開始に伴って作られた駅弁で、土日祝日限定発売です。駅だけでなく『はやとの風』の車内でも発売されていますが、車内の場合は予約販売で、予約してなくても購入できますが、数に限りがあるので、早い者勝ちです。今回、特に予約はしていなかったのですが、無事ゲットできました。2008年から3年連続で、「九州の駅弁ランキング」1位に輝いている駅弁です。表紙を取ると、弁当の説明が書かれた包み紙に包まれた割り箸が出てきます。気になる中身は……霧島の棚田で取れたお米「ヒノヒカリ」に、嘉例川で栽培されたシイタケとタケノコを入れた、炊き込みご飯。そして、地元で「ガネ」と呼ばれている紅薩摩の天ぷら。(かき揚げみたいな感じです)嘉例川で取れたダイコンとコンニャクで作った、千切り大根の煮物。ナスとカボチャの味噌田楽。ダイコンとニンジンの、スセと呼ばれる酢の物。そして、地元のシイタケやタケノコを混ぜ込んだ、嘉例川コロッケ。肉が入っていなくて、体にもよさそうです。そして、弁当箱もいいです。嘉例川駅の周囲は竹林になっているので、弁当箱も竹皮製。捨てるのがもったいないくらいです。美味しかったですよ。何か、田舎の郷土料理って感じでした。この編は短いですが、続きは次に書きます。
2010年11月28日
コメント(0)

続きです。11月21日(日)この日は、ホテルを出て、鹿児島中央駅からスタートです。ちょっと出遅れたので、ホームに着いた時には、観光特急『はやとの風』に乗る乗客の列がすでにできていました。9:27発 ↓鹿児島本線・日豊本線・肥薩線・観光特急『はやとの風2号』 吉松行(撮影:鹿児島中央駅)キハ140形・キハ147形・キハ47形 ↓漆黒のボディーと名前がカッコよすぎる、特急『はやとの風』です。後方・鹿児島中央側の、キハ47形の1号車は指定席で、車内はこんな感じ。キハ147形の2号車も指定席。空いているように感じますが、これは指定席だからであって、先頭のキハ140形、3号車は自由席なので……立ち客が出るほどの超満員。出遅れた俺も、座れませんでした。なお、このキハ140形の3号車は、多客期の増結車で、普段は2両編成で運転されています。1号車は2006年に改造された車両ですが(他の2両は2004年)、他の2両に較べて、明るい雰囲気になっています。横向きの展望席の端っこの方に荷物を置かせてもらって、立っての乗車となりました。ちなみにこの席の年輩のグループ、次の『しんぺい2号』でも、通路を挟んだ隣の席だったし、『SL人吉』でも、最後尾の展望ラウンジで一緒でした(汗)まあ、定番コースなので、ほとんどの人が同じ行程なんですが。この展望席は外から見るとこんなふうになっていて、足元から天井近くまで、ガラスで風景が見やすくなっています。観光列車なので、車窓風景がよく見えるように、窓は広く取られています。日よけは簾になっています。『はやとの風』は前半、右手に錦江湾を望みながら、日豊本線を宮崎方面に向けて走ります。桜島も見えます。線路と海の間には、国道10号線が走っていて、途中から、バイクのツーリング十数台のグループが、列車と併走していました。で、こっちに手を振ってくれるのはいいんですが……こっち見ながら両手放して手を振るのは、見てるこっちが怖いから、やめてください!(汗)隼人駅から肥薩線に入ります。ここから、山間部を走ります。途中、駅に停まるごとに、乗客がだんだん増えていき、立っているスペースが少なくなっていきました(汗)10:16、嘉例川駅に到着!この駅では7分間停車し、その間、下車して、駅の見学もできます。この駅が開業したのは、1903年(明治36年)1月15日で、それから100年以上の年月を経て、ずっと残っている木造駅舎です。2004年に九州新幹線・新八代-鹿児島中央間が開通し、肥薩線への旅客数増も考えたJR九州が、『はやとの風』を新設し、それに伴い、嘉例川駅のキャンペーンも行いました。そのキャンペーンの一環として、『はやとの風』は嘉例川駅に停車しています。この木造の改札口、いいですよね。まあ、今は無人駅なので、使用されていませんが……この嘉例川駅は鹿児島空港や妙見温泉などに近く、ちゃんとバスも停まります。10:23、『はやとの風2号』は、嘉例川駅を発車しました。車内には、沿線地図が貼ってあります。続きまして、10:40、大隅横川駅に停車。ここでも6分間停車し、駅を見学することができます。この大隅横川駅も、嘉例川駅と同じ日の開業で、それ以来、ずっと残っている木造駅舎です。ここでは載せませんが、太平洋戦争中の銃弾の跡も残っています。様々な歴史を見守ってきたこの駅舎を、ぜひ、見に行ってみてください。ここの改札口は、錆び付いた鉄製。この『はやとの風』停車に併せて、駅前には露店も出ていました。駅の写真を撮るのに時間を使ったので、そっちまでは行きませんでしたが。(だから遠くからの写真でごめんなさい)10:46、大隅横川駅発車。 ↓11:03着続きは次に書きます。
2010年11月28日
コメント(2)

続きです。特急『海幸山幸』が宮崎駅に到着したのが、17:21。それから11分で、いったん改札を出て、コインロッカーの大きな荷物を回収し、再び改札から入ってホームに上りました。『海幸山幸』が宮崎駅に着いた時には、次に乗る特急『きりしま』は、既に入線していましたし、そんなに乗り継ぎに余裕があるわけではありません。17:32発 ↓日豊本線・鹿児島本線・特急『きりしま13号』 鹿児島中央行(撮影:宮崎駅)485系 ↓車両自体は、国鉄時代からある485系ですが、JRへの民営化後に真っ赤に塗装された、いわゆるレッドエクスプレスです。とりあえず、座席を確保するべく、2号車自由席に乗り込みました。座席を確保したら、あとは寝るだけ(ぇ?)夜なので車窓の景色も見えないし、宮崎-鹿児島中央間は乗ったことあるし、列車自体も量産型の485系だし、終点まで乗るから寝過ごす心配もないので、眠ってしまっても影響ないのです。というわけで、うとうととしながら、鹿児島に向かいました。 ↓19:36着こうして鹿児島中央駅に着きました。この駅から徒歩数分の、「黒かつ亭」本店さんに行きました。ここは薩摩黒豚とんかつ専門店です。注文したのは、黒かつ亭定食、1390円。黒豚の、ロースカツとヒレカツ、両方が食べられるメニューです。薩摩の黒豚、美味しかったです。そして鹿児島中央駅前から、路面電車で3駅の所にあるホテルに泊まりました。この編は短いですが、区切りがいいので、続きは次に書きます。
2010年11月22日
コメント(2)

続きです。臨時観光特急『海幸山幸』、いよいよ発車です!15:44発 ↓日南線・日豊本線・臨時観光特急『海幸山幸』 宮崎行(撮影:南郷駅)キハ125形 ↓この車両は、2005年の台風被害で橋梁が落ち、そのまま廃線になった高千穂鉄道の車両をJR九州が買い取り、改造して作られたものです。JRの古い車両を民鉄が買うことはよくありますが、その逆は非常に珍しいです。2009年10月10日から、土日祝日、休みシーズンに、臨時観光特急として運行が開始されました。予想していたほどは、乗客は乗っていませんでしたが、列車は、非電化単線の日南線を進んでいきます。運転台がこのようになっているので、かぶりつきで前方を見ることができます。客室乗務員のおねいさんから、乗客一人ひとりに、記念乗車証が配られました。裏にスタンプを押すスペースがあったので、サービスカウンターのそばに置いてあったスタンプを押してきました。右手に日南海岸を見ながら、進んでいきます。途中、南郷-油津間の七ツ岩と呼ばれる岩が見えるポイントで、徐行運転しました。もちろんその際には、客室乗務員からの説明のアナウンスがあります。こんなのも置いてあって、お子様たちが記念撮影をしていました。途中の停車駅で、行き違いなどで数分間の停車時間があると、テツの皆さんは外に出て撮影開始。下の写真は油津駅停車時です。その頃、「海幸号」の車内のソファシートのスペースでは、客室乗務員のおねいさんによる、「海幸と山幸」の紙芝居が行われていました。いやあ、しかし、俺みたいにフリーきっぷで九州を乗り倒している乗りテツや、一眼レフカメラで写真を撮りまくっている撮りテツ、さらには、マイクで車内アナウンスを録音している音テツまで、実に様々なテツが乗車していました(笑)小内海-内海間でも、鬼の洗濯板のために徐行運転をしたのですが、満潮で洗濯岩はほとんど水没していて、あまり見えませんでした(汗)こういう列車を走らせないと、乗客が来てくれないローカル線ですが、しかし、こういう企業努力によって、乗客を呼んでいるわけですから、JR九州は成功していると言えるでしょうね。その路線の魅力を知ってもらうにしても、まず一度は乗ってくれないと、話にならないわけですから。 ↓17:21着とにかくこうして、約1時間40分の、観光特急『海幸山幸』の旅は終わりました。日南線、本当にいい所ですから、皆さん、乗りに行きましょう。続きは次に書きます。
2010年11月22日
コメント(2)

続きです。鵜戸神宮から油津駅に戻ってきたのが14:48、次の列車の発車時刻が13:39。だいぶ時間があります。油津といえば、カープのキャンプ地。そのキャンプ地である天福球場は、この油津駅の裏手にあり、駅から徒歩5分。行ってみることにしました。が、この日が秋季キャンプ最終日で、しかも、ちょうど練習が終了したところでした(汗)ファンが選手の出待ちをしていました。俺はカープファンというわけでもないですし、そのまま油津駅に戻ってきました。↓駅前のオブジェ。↓駅の待合室。ホームには、特急『海幸山幸』が留置されていました。次の目的地、南郷駅に向かいました。13:39発 ↓日南線・快速『日南マリーン号』 志布志行(撮影:南郷駅)キハ40形 ↓ ↓13:52着こうして、人生2度目の南郷駅に着きました。この南郷は、ライオンズのキャンプ地ですが、キャンプは前日に終了しているので、球場へは行きませんでした。今回、この南郷駅に来た目的は、臨時観光特急『海幸山幸』に乗車するためです。改札口に自由席乗車の案内が貼ってありました。改札を抜けた所に、『海幸山幸』PRの幟が立っていました。南郷駅のホームは単式ホームでして、行き違いできません。というわけで、宮崎駅から南郷まで来た特急『海幸山幸』は、終点の南郷駅に着いたら、引き返して、油津駅で留置されます。ホームには『海幸山幸』の乗車口が示してありました。俺の他には、一眼レフカメラを持ったスーツ姿のおじさんが一人いただけ。そのうち、特急『海幸山幸』が入線してきました。『海幸山幸』は、南郷側の1号車が「山幸号」、宮崎側の2号車が「海幸号」となっています。まずは1号車「山幸号」。前面には、「海幸山幸」のロゴと、「山」と、宮崎の「M」のマークが。そして側面のマーク。この1号車「山幸号」は、全席指定です。そして2号車「海幸号」。これは「海」のマークになっています。「海幸号」は、以前は全席自由席でしたが、指定席が取りにくいということで、前方の9席のみが自由席になり、残りは指定席になりました。この『海幸山幸』は、「木のおもちゃのようなリゾート列車」がコンセプトになっていて、側面も木の板が貼られ、温かい雰囲気になっています。9:10になり、ドアが開いたので、一番に乗り込み、「海幸号」の、海側の自由席の座席をゲット!座席は、海側が2列、山側が1列の、3列シートになっています。座席を確保したら、車内探検です。まずは「海幸号」の車内から。「海」なので、シートは青いです。一番前に、展望席があります。そして後方の連結部分近くには、ソファシートが。これらの席は、誰でも座ることができます。車椅子用スペースもあります。窓には簾があって、雰囲気が出ています。網棚も木製です。先頭の座席のテーブルはこんなふうになっています。もちろん、各座席にテーブルが付いていて、肘掛けから取り出すことができます。徹底的に、「木」にこだわっています。ちなみにこの座席、ちゃんとリクライニングします。続きまして、「山幸号」へ。連結部には、暖簾が下がっていました。連結部近くに、車椅子対応のトイレがあります。「山幸号」の座席は、赤色です。後方に、ソファシートがあります。「海幸号」も「山幸号」も、ソファシートは海側を向いています。この「山幸号」のソファシートの前に、サービスカウンターがあります。続きは次に書きます。
2010年11月22日
コメント(2)

続きです。青島駅から、再び日南線を南下しました。9:45発(実際には9:47発) ↓日南線・普通 南郷行(撮影:青島駅)キハ47形 ↓途中、内海駅と小内海駅の間の海岸などにも、鬼の洗濯板があります。 ↓10:35着油津駅前バスセンターから、宮崎駅行きの宮崎交通バスに乗り込みました。10:40発の予定でしたが、遅れていて、油津駅前バスセンター発は、10:50。というわけで、目的地の鵜戸神宮入口バス停に着いたのも、ちょうど10分遅れの11:11。「鵜戸神宮→」といった感じの案内があったので、そのとおりに歩いていきました。と、10分弱ほど歩いた所に、こんな鳥居がありました。本来の鵜戸神宮入口バス停はこの近くにあります。が、落石事故があったとかで、この鳥居の前の道を通れないため、バスは並行しているバイパス路線を通っているので、そちらに臨時のバス停ができています。鵜戸神宮へ行くバス利用者には、遠くなっています。この鳥居をくぐり、海岸沿いの細い道を歩いて行きます。が、全然、鵜戸神宮は見えず(汗)この海岸は、鵜戸千畳敷奇岩と呼ばれている、鬼の洗濯板です。宮崎県指定天然記念物に指定されています。ほぼ一本道だし、矢印はあるので、道に迷ったりはしないんですが、遠い……しかも、晴れていて暑い。そのうち、右手に、鵜戸崎灯台があります。灯籠の形をしているのが特徴です。そこからもう少し歩いて、ようやく、鵜戸神宮が見えてきました。バス停から30分ほど歩いて、ようやく到着しました(汗)鵜戸神宮は、日子波瀲武?☆不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)(山幸彦の子)を、主祭神としていて……(☆は、へんは「茲」、つくりは「鳥」)大日?貴(オオヒルメノムチ)(天照大神)天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)(天照大神の子で、ニニギの父)彦火瓊々杵尊(ヒコホノニニギノミコト)(ニニギ(天孫降臨した天照大神の孫))彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト)(山幸彦(ニニギの子・ウガヤフキアエズの父))神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコノミコト)(神武天皇(主祭神ウガヤフキアエズの子))を祀ってあります。つまり……天照大神 - アメノオシホミミ - ニニギ - 山幸彦 - ウガヤフキアエズ - 神武天皇の、天照大神から5代の皇祖神(皇室の祖とされる直系の神)全てと、天皇家初代の神武天皇を祀ってあるわけです。それだけでもすごいんですが、この神社は、全国でも珍しい下り宮になっています。下り宮というのは、社殿が鳥居よりも低い位置にある神社のことです。神社というのは、尊い神様を祀ってある所ですから、普通は、社殿は高い位置にあるべきなのです。それなのに、下にあるわけです。というわけで、降りていきます。下の写真の、真ん中少し左に見えるのが、本殿の鳥居です。そしてこれが、正面から見た、本殿の鳥居です。既にお気付きだと思いますが、この鵜戸神宮の本殿は、海に面した断崖の中腹の洞窟(海食洞)の中に、鎮座しています。なぜ、こんな所に神社があるのかと言いますと……山幸彦が海神の宮殿から、海神の娘の豊玉姫(トヨタマヒメ)とともに地上に戻ってきた後、豊玉姫が子供を産むことになり、天孫の御子を海で産むわけにはいかない、と、ここに産屋を作ったんだそうです。そして、産屋の屋根の鵜の羽の茅も葺き合わないうちに子供が産まれてしまったので、この子は、ウガヤフキアエズノミコトと名付けられました。その際、豊玉姫は夫の山幸彦に、決して産屋の中を覗くな、と言ったんですが、山幸彦は我慢できず、産屋の中を見てしまいました。すると、豊玉姫は本来の姿であるサメの姿(日本書紀では龍)になっていて、産んだ子供を置いて、海に戻ってしまいました。ウガヤフキアエズは、豊玉姫の妹の玉依姫(タマヨリヒメ)に育てられ、この育ての親と結婚し、神武天皇などの父となりました。この神社は、このウガヤフキアエズノミコトを主祭神としていて、このような神話の舞台となった、神聖な場所なのです。本殿の裏も、ぐるっと一周できます。本殿の裏には、御乳岩(おちち岩)と呼ばれる、天井から突き出ている二つの岩があります。これは、豊玉姫が海に帰る際、子育てに困らないよう、自分のおっぱいをくっ付けていったものだと言われています。ウガヤフキアエズは、ここから滴るお乳水から作った飴を、母乳代わりにして育てられたそうで、そのお乳飴が、今も、300円で売られています(汗)この、お乳岩を触ったり、お乳飴を舐めたりすると、母乳の出がよくなると言われていて、この鵜戸神宮は、安産や育児を願う人々から信仰されています。本殿の鳥居の前から崖の下を覗き込むと、亀石と呼ばれている岩があります。この石は、豊玉姫が山幸彦とともに海から上がってきた時に乗ってきた亀が石になった霊石で、石のてっぺんに、四角い穴が空いています。(上の写真で、しめ縄が巻かれているのが見えると思います)この穴に、男性は左手で、女性は右手で、お金を投げて、ちゃんと入ると、願い事が叶う、と言われています。こういう場所ですから、環境的に、お金はちょっと……ということで、現在は、近くの鵜戸小学校の児童が作っている、素焼きの運玉を投げ入れることになっています。これも、5個100円で売っています。これがまた、俺みたいな右利きの人には、左手であの穴に命中させるのは、難しいのです。(右手でも元々ノーコンですが)4個投げて、4個とも外しました。俺の願い事は、叶わないようです(汗)うまく穴の中に入れば、穴の中には海水だか雨水だかが溜まっているので大丈夫ですが、外すと、岩に当たって、運玉は割れます(汗)あまりゆっくりしている時間もないので、鵜戸神宮滞在10分程度で、バス停に戻りました。臨時バス停に着いてから、そこに、小さな案内図が……この案内図に気付かなかった俺、一番遠回りして行ってたみたいです(滝汗)だって、矢印の方に行っただけですよ?あれは、車のための案内だったんでしょうか……(汗)っていうか、この案内図をよく見ると……一番大事な部分が小さく鉛筆書き!(汗)と、とりあえず、バスに乗って、油津駅まで戻りました。鵜戸神宮入口バス停は、12:25発の予定でしたが、バスが来たのは12:29。まあ、宮崎駅から来てますから、バスならこれくらいの遅れはしょうがないです。で、油津駅前バスセンターに着いたのが、予定より2分遅い12:48でした。続きは次に書きます。
2010年11月21日
コメント(4)

続きです。この日は、日南線の旅です。宮崎駅前には、宮崎-南郷間の臨時観光特急『海幸山幸』のPRの幟が立っていました。『海幸山幸』については、後でじっくりとご紹介します。7:54発(実際には7:58発) ↓日豊本線・日南線・普通 青島行(撮影:宮崎駅)キハ47形 ↓南宮崎駅から、日南線に入ります。途中、木花駅から運動公園駅にかけて、左手に見えてくるのが、ジャイアンツのキャンプ地、サンマリンスタジアムです。 ↓8:23着青島駅に着きました。待合室は、小綺麗な感じです。窓口はありますが、駅の業務ではなく、観光案内所やレンタサイクルの窓口なので、実質、無人駅です。駅を出ると、左手の地面に、山幸彦と豊玉姫の埴輪が飾ってあります。この青島駅から徒歩10分弱で、青島に着きます。この青島は周囲1.5kmほどの小さな島ですが、何と言っても、鬼の洗濯板(岩)で有名です。固い層と柔らかい層が交互に堆積して、それが斜めに隆起して、柔らかい層が浸食されて、こんなふうになったんでしょうね。青島の隆起海床と奇形波蝕痕という、国の天然記念物に指定されています。さらにここには、青島神社があります。橋を渡って島に上陸し、鬼の洗濯板を実ながら右側を回っていくと、鳥居があります。さらに進むと、左手に、青島神社が見えてきます。この青島神社は、ジャイアンツがキャンプ終了後に必勝祈願をする神社としても有名ですが、実はここ、ものすごく由緒のある神社です。祭神は、彦火々出見命(ヒコホホデミノミコト)、豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)、そして、塩筒大神(シオヅツノオオカミ)。ヒコホホデミノミコトというのは、天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫で天孫降臨した邇邇芸命(ニニギノミコト)の子です。天照大神のひ孫に当たる神様です。一般には、山幸彦の名で知られています。ニニギノミコトの妻の木花咲耶姫(コノハナサクヤビメ)が、夫に、本当に一夜の契りでできた自分の子供なのかと疑われ、産屋に火を放ち、その中で出産することによって、神(ニニギ)の子であると証明して生まれた、3兄弟です。真ん中はあまり登場しませんが、一番上が海幸彦、一番下が山幸彦です。ニニギノミコトとコノハナサクヤビメの神話は、スワローズのキャンプ地となっている西都市の、西都原(さいとばる)古墳群の方に、所縁があります。(もちろん行ったことあります)…………海で釣りをしていた海幸彦と、山で狩りをしていた山幸彦の兄弟が、ある日、釣り針と矢尻を交換して役割を交替してみたが、うまくいかなかった。しかも山幸彦は、兄に借りた釣り針を、海に無くしてしまった。兄に謝っても許してもらえず、困っていると、塩筒大神(いわゆる海神(わだつみの神))がやって来て、海の中の宮殿に連れて行ってくれた。そこで、塩筒大神の娘の豊玉姫が山幸彦に一目惚れし、山幸彦と結婚し、3年間、幸せに暮らした。が、3年経ってから、山幸彦は、そういえば……と、ここに来たそもそもの理由を思い出し、事情を話して調べてもらうと、鯛が喉にものが引っかかっていて、苦しんでいるというので、その鯛を呼び出してみると、鯛の喉に引っかかっていたのは、海幸彦の釣り針だった。山幸彦が地上に帰る際、塩筒大神は釣針と一緒に、鹽盈珠(しおみちのたま)と鹽乾珠(しおひのたま)を山幸彦に渡した。山幸彦が海幸彦に釣り針を返す時に、ある呪文を唱えて返した。その後、兄弟は田を作ったが、水を司っているのは海神のため、兄の海幸彦の田には全く水が行き届かず、涸れてしまった。海幸彦が山幸彦を攻めてくると、山幸彦は鹽盈珠で兄を溺れさせ、許しを請うてくると、鹽乾珠で水を引かせ、助けてやり、それ以降、海幸彦は弟に意地悪をすることがなくなった。…………という、有名な神話がありますが……この神話に出てくる山幸彦と、その妻の豊玉姫、豊玉姫の父親の海神が、祀られているのです。さらにこの青島は、山幸彦が、海神の宮殿から戻ってきて上陸した所、と言われています。さて、この本殿に向かって右手に続く境内を歩いて行くと……何か、神社とは思えない、植物の数々。この青島の植物群は、青島亜熱帯性植物群落として、国の特別天然記念物に指定されています。この青島を含む日南海岸そのものが、日南海岸国定公園に指定されています。この亜熱帯の植物の中に、元宮があります。さて、この青島から、対岸の右手を見ると、遠くに、サンマリンスタジアムや木の花ドームが見えます。青島から橋を渡って戻ると、すぐ左手に、宮崎県立青島亜熱帯植物園があります。中に入るだけなら無料です。奥に、大温室があります。「M」字型をしているのは、MIYAZAKIの「M」でしょうね。この大温室に入るのは、200円です。中に入りました。パイナップルやパパイヤもありました。このように、青島周辺だけでも、充分楽しめます。青島に渡る手前の海岸は、海水浴場にもなってますしね。こうして青島駅に戻りましたが、途中、あちこちに、知事さんがいました(笑)青島駅のホームも、こんな南国ムードたっぷり。続きは次に書きます。
2010年11月21日
コメント(0)

現在、まだ旅の真っ最中なのですが、できるだけ、更新しておこうと思います。11月19日(金)仕事を終え、帰宅せずにそのまま新大阪駅に向かいました。ここから、旅のスタートです!19:09発 ↓山陽新幹線『のぞみ51号』 博多行(撮影:新大阪駅)新幹線N700系 ↓21:26着ここまでが、周遊きっぷの「アプローチ券・ゆき券」です。小倉駅から、「九州ゾーン」に入りました。ここからは、特急列車の自由席が乗り放題です。21:40発 ↓鹿児島本線・特急『ソニック58号』 博多行(撮影:博多駅)883系 ↓念願の883系『ソニック』乗車です!見たことはありましたが、予定が合わなくて、乗ったことはなかったんです。近未来的な斬新なメタリックボディー、カッコいいでしょ?『ソニック』は大分から小倉まで来ると、方向を変えて、博多に向かって行きます。車内に入りますと……まずはデッキ。室内に入りますと……シートの背もたれの耳の部分、昔はもっとかわいいデザインだったんですけどねえ。ちなみに上の写真は、この車両がガラガラだったわけではなく、博多駅で乗客が全員降りてから、撮影したものです。網棚は、飛行機のようにフタのできる荷物置き場になっています。窓側の席が空いていたので、座りました。室内は木がふんだんに使ってあって、落ち着きます。室内は木の暖かい感じがする床なのに……デッキに出ると、いきなり金属的な無機質な床になります(笑)このドア1枚を隔てて、全く違う空間を作り出している、883系『ソニック』です。 ↓22:28着さて、博多駅に着きましたが、ゆっくりしている暇はありません。ホームを移動して、『ドリームにちりん』の自由席を確保するべく、並びました。22:52発 ↓鹿児島本線・日豊本線・夜行特急『ドリームにちりん』 宮崎空港行(撮影:博多駅)783系 ↓この783系は、「ハイパーサルーン」とも呼ばれている車両で、乗車口は、車両の両端ではなく、真ん中にあります。そして、1両が2部屋に分かれています。これは、運用区間によって短い編成にしても、普通車禁煙指定席、普通車喫煙指定席、普通車禁煙自由席、普通車禁煙自由席、そしてグリーン車など、それぞれの種類に応じて車両数を増やす必要がないように、です。1両が2部屋ずつに区切られていれば、たとえば席種が6種類あっても、6両は必要なく、3両でまかなえるわけです。さて、始発の博多駅から乗ったので、この列車も窓側の席をゲット。隣にサラリーマンが乗ってきましたが、折尾駅で降りていきました。そして、小倉駅に着いたら、列車の進行方向が変わるので、座席も乗客が自分で転換しました。小倉駅から先は、深夜時間帯になるため、翌朝の延岡駅まで、緊急時以外は車内放送はありません。小倉駅で、隣にサラリーマンが座ってきましたが、俺が寝ている間に、降りてしまったようでした。俺、小倉駅からは、目にアイマスク、耳に耳栓、口に喉乾燥防止用マスク、そしてお腹を冷やさないように、大きい膝掛けを掛けて、さらには、空気を入れて膨らませる枕(コの字型のではない)を用意して、どこからどう見ても、寝る気満々、準備万端、って感じでした(汗)寝台ではなく、普通の座席車ですから、慣れてない人は眠れないかもしれませんが、俺は、マスクをしていてよかった、というくらい、よだれだらだら垂らしながら、爆睡していました(汗)デッキには、こんなスペースもあります。この『ドリームにちりん』は、時間調整のため、下り列車は1:30から3:25まで、登り列車は2:46から3:52まで、それぞれ超長時間停車します。こうしないと、宮崎や博多に、どえらい早い時間に到着してしまうからです。乗客はまあ、寝ているからいいですし、運転士さんも、ホームに降りて一息つくぐらいはかまわないかもしれませんが、車掌さんは、大分駅停車中も、ずっと車内で待機していないといけません。お客さんが車内に乗っている以上、乗客をほったらかして、大分駅の仮眠室で一眠りするわけにもいきませんからね。下り列車の場合は、深夜に約2時間、じっと待機です(汗)俺だったら、絶対寝そうです。さて、この俺が乗った『ドリームにちりん』、途中、山の中で鹿と接触したらしく、安全確認等の作業をしたため、延岡駅発車時点で、15分遅れていました。回復運転をしようにも、日豊本線、単線なもので、予定とは違う駅で行き違いをする羽目になる、遅れはだんだん広がる一方(汗)宮崎駅に着いた時には、22分遅れていました。 ↓6:25着(実際には6:47着)11月20日(土)こうして宮崎駅に着きました。駅前のロータリーに立ってる木が、本州と違う……まあ、それはともかく、コインロッカーに大きな荷物を預け、駅ビルの中のミスドで朝食を取りました。続きは次に書きます。
2010年11月20日
コメント(2)

続きです。8月16日(月)まだ真っ暗な4:10起床(汗)3:30頃にホテルのロビーに行くと、まだ真っ暗。フロントにおじさんがいたので、エアポートシャトルを待つことを伝えると、ロビーの照明だけ点けてくれました。4:45頃、ホテルで予約してもらっておいたシャトルバス到着。運転手のお兄さん、俺のスーツケースをトランクにしまいながら、「Terminal 1? 2?」と聞いてきたんですが、どっちのターミナルかなんて、急に言われても……(汗)じゃあどの国に行くのかと聞かれ……「Japan」と答えた後、この場合、飛行機の行き先で、第1、第2のどちらのターミナルに行くかを判断するんだろうから、日本は関係ないか、と思い直し……「Netherlands」通じない……もしかして、オランダをハンガリー語で言わないと通じないのか?「Schiphol」空港名で言っても通じない。結局、最終的には、何とか通じたんですが……11人乗りのミニバスには、俺より先に、男性客が一人乗っていました。バスは飛ばしに飛ばし、ホテル前を出発したのが4:47。フェリヘジ空港第2ターミナルに到着したのが5:08。まだ薄暗かったです。そして第2ターミナル、激混み!チェックインカウンターの上の表示が遠すぎて読めず、人がいっぱいで、読める距離まで近づけなくて、どの列に並べばいいのかも分かりません(汗)建物の外にまで、人が溢れてたもん(滝汗)KLMオランダ航空のカウンターに行って、どの列に並べばいいのか聞いて、その列に並んでいたら……「こちらの列にも並んでください」と、臨時にカウンターが開けられました。出発時刻が迫ってきているのに、俺の前のイタリア人のグループ、チェックインカウンターのおねいさんに、たぶん雑談も交えて、笑いながら話しかけ、マイペースにゆっくりと手続き。さ、さすがイタリア人。ってゆーか、はよしてくれ!次がいよいよ俺の番、というところになって、後ろのおじさんから突然、「ハンガリーはどうでしたか?」と、日本語で話しかけられました。どうやら、日本で大学の先生をやっていたことがあるらしいです。パスポートを持っていたので、俺が日本人だということが分かり、話しかけてみたくなったんでしょう。それにしても、フェリヘジ空港では、日本人は他に一人も見かけませんでした。ようやくチェックインが終わり、スーツケースを預け、チケットを手に入れました。↓フェリヘジ空港からスキポール空港までのチケット。↓スキポール空港から関空までのチケット。今度はセキュリティーチェック。これがまた激混み!ようやくセキュリティーチェックを終え、搭乗口に行ったら、もう搭乗が始まってました(汗)搭乗口から、バスで飛行機へ。そのため、飛行機の写真は撮れませんでした。機材は、B737-800。これは日本でも乗り慣れています。俺の席は通路側で、景色は全く見えず。7:05発のはずが、動き出したのは7:32。7:37、マレーヴ・ハンガリー航空、MA660便(KL3200便)は離陸しました。7:57、CAさんが「Cheese or ham?」と聞いてきたので、ハムを選択。と言っても、パンに挟んであるのが、チーズかハムか、という意味ですが。これがこの日の朝食でした。8:17、コーヒー、紅茶が配られました。9:13、アムステルダム・スキポール国際空港に着陸。到着予定時刻は9:15でしたから、ほぼ定刻でした。9:18、駐機場に到着。ここからバスで建物に向かったので、またも飛行機の写真撮れず(汗)バスから降りて、空港の建物に入ると、いきなりセキュリティーチェックがありました。その後、出国審査。このタイムテーブルの中から、関空行きの便を見つけ出して、搭乗口を確認しなければいけません。乗り継ぎ時間が約4時間半あったので、空港内を探検しながら時間を潰しました。さすがにこの空港では、日本人をけっこう見かけました。いよいよ最後の搭乗です。(撮影:スキポール国際空港)B777-200KLMオランダ航空のこの飛行機は、行きと同じB777-200です。車内の座席は3列×3列×3列でして、窓側の3列の真ん中の席だったのですが、日本人の若いカップルがやって来て、おねいさんの方が、「すいません。二人一緒なんですけど、窓側でも通路側でもいいので、席、替わってもらっていいですか?」と聞いてきました。要するに、カップルの席が、俺の両側に分かれていたんですよね。というわけで、これ幸いと、俺が窓側の席に移り、俺の右隣にお兄さん、その隣におねいさん、という配置になりました。KL0867便は、13:55発の予定でしたが、ほぼ定刻の13:56、機体はボーディングブリッジを離れました。そして滑走路まで移動し、14:14、離陸。以降、日本時間で書きます。日本時間は+7時間ですので、離陸時刻は21:14ということになります。全ての座席に、モニターが付いています。普通に、現在の位置や映画などに加え、肘掛けからリモコンを取り出して、テトリスなどのゲームもできます。21:51、ナッツと飲み物が配られました。そして22:40、機内食が配られました。筑前煮かパスタから選べますが、オランダ人CAさんが「筑前煮」と書かれた紙切れを見せてくれたので、そっちを頼みました。欧米人には、「チクゼンニ」の発音が難しいのでしょうか。だから日本人CAさんに書いてもらったんじゃないかと思います。これも行きと同様、ホテルオークラ・アムステルダムのものです。行きはうどんでしたが、帰りは蕎麦が付いていました。23:20、ロシアのサンクトペテルブルク付近上空で、コーヒーが配られました。23:40、消灯。窓を閉めて、寝ていたら……日付が変わって8月17日(火)1:03、水が配られました(汗)2:03、今度はジュースが配られましたが、窓側ですので、トイレに行くのに隣のカップルに立ってもらわないといけないし、その二人は熟睡していたので、断りました。3:05、行きと同様、アイスクリームかカップヌードルか選べる夜食。さすがに夜中にカップヌードルを食べる気はしなかったので、行きと同様、アイスを頼みました。4:12頃、ロシアを抜けて、モンゴル上空へ。行きは日本海を通り、ハバロフスク付近からロシアに入りましたが、帰りは陸の上を通るようです。5:00頃、中国上空へ。6:09頃、照明が点灯しました。窓を開けると、夜が明けるところでした。6:15、ジュースが配られました。ちょうど黄海上空辺りでした。6:35頃、韓国上空へ。6:43、朝食が配られました。機内食を食べている間に、日本海に出まして、いよいよ、見たことのある地形が見えてきました。7:18、鳥取県境港市上空通過。中国地方を横断して、瀬戸内海を通り過ぎて、四国へ。徳島上空で向きを変え、淡路島を左手に、今度は北東へ。関空は南西側から着陸するからです。写真の下に見えるのは、大鳴門橋です。そして7:44、関空に着陸しました。8:05着の予定でしたが、それより15分早い7:50、駐機場に到着。ウイングシャトルに乗って、入国審査場へ。入国審査を終え、スーツケースを受け取ると、鍵が壊されてました(汗)おそらく、中のシャンプーだかシェービングジェルだかが、調べられたのでしょう。その時に、鍵をこじ開けられたものと思われます。その場で申し出て、無料で直してもらえる手続きをして、現在はもう、直っていますが。あとは、リムジンバスで自宅最寄り駅まで直行。こうして無事、日本に帰ってきました。来年は無理でしょうが、また海外へ行きたいですね。
2010年11月13日
コメント(2)

続きです。オペラ劇場から、アンドラーシ通りを更に北東に300mくらい行った所にある、繁華街のオクトゴン(Oktogon)まで行ってみたり、またオペラ劇場まで戻ったりと、ぶらぶらしてから、オペラ劇場の前に地下への入口がある、地下鉄オペラ駅から、地下鉄に乗ることにしました。オペラ駅のある地下鉄1号線は、黄色で表示されていて、1896年に開通した、ヨーロッパではロンドンに次いで2番目に古い地下鉄路線です。開通当時の小さくてかわいいレトロな車両を再現して、走らせています。ホームもレトロです。15:41発 ↓ブダペスト地下鉄1号線 ヴルシュマルティ広場行(撮影:デアーク広場駅) ↓15:43着ここからドナウ川に向かって、南西へ400mほど歩くと、川岸にヴィガドー広場(Vigado ter)があります。(先ほどの地下鉄で、終点のヴルシュマルティ広場駅まで行く予定で、その方が川岸に出るのに近かっんですが、何かボケていて、1駅手前で降りてしまいました)ここには、国内航路の船着き場があります。日本では考えられませんが、ヨーロッパでは、複数の国を流れる大河(国際河川)を通って、船で国から国へと移動することもできます。そしてこのヴィガドー広場には、路面電車の駅もあるのですが、ホームは、一段高くなっていません。向こう側に停車した電車に乗る時には、普通に線路を渡って乗ることになります。16:25発 ↓路面電車2番線(撮影:コッシュート・ラヨシュ広場駅) ↓ドナウ川沿いに、左手に王宮を見ながら進みます。俺がくさり橋から国会議事堂へと歩いていったのと同じ方向です。 ↓16:29着この路面電車内で、俺が降りた駅の手前で、今回の旅行で初めて、検札の係員から、切符のチェックを受けました。俺は1日乗車券を見せ、OKが出ましたが、俺のそばにいた外国人二人組は、回数券の切り取り方に不備があったのか、あるいは乗車時に刻印していなかったのかどうか知りませんが、係員と何やら言い合っていました。上の写真で、電車の出入口の前に立っている黒いシャツのお兄さんが係員、向かい合っている左端の男女二人が、切符に不備があった観光客で、俺と一緒に駅で降りて、何やら言い合っていました。路面電車は、係員とその乗客二人を残して、発車してしまいましたが。このコッシュート・ラヨシュ広場駅は、先ほど行った国会議事堂のすぐ横です。この駅では地下鉄に乗り換えることができるので、地下に潜りました。16:37発 ↓ブダペスト地下鉄2号線 ウルシュ・ヴェゼール広場行16:42着こうして、17時頃、いったんホテルに戻りました。ホテルで少し休みまして、再び出発。19:32発 ↓ブダペスト地下鉄2号線 南駅(ブダペスト南駅)行19:35着賑わっているデアーク広場(Deak Ferenc ter)を通ります。(ちなみにブダペストの地下鉄は3路線ありますが、全てがデアーク広場駅を通り、乗り換えはこの駅でのみ可能です)再びドナウ川の川岸に来ました。川沿いに北へ向かってぶらぶら歩き、くさり橋を過ぎて、もうちょっと北まで行きました。さて、なぜ再びドナウ川まで来たのかと言いますと……日没を待ちます。くさり橋のケーブルに付けられた照明が点灯しました。くさり橋の袂には、屋台なども出ていて、お祭りのようになっていました。そして、いよいよ暗くなりました。ブダペストに来たら、ぜひ見ないといけない風景があります。それが……ライトアップされた王宮とくさり橋の夜景です。(ちなみにくさり橋より南側は、ペスト側の川岸に、レストランになっている船が停泊していて、道端から夜景を撮る邪魔になります)これで、全ての観光が終わりました。このままドナウ川沿いに、国会議事堂の横のコッシュート・ラヨシュ広場駅まで歩き、地下鉄に乗ってホテルに戻りました。21:17発 ↓ブダペスト地下鉄2号線 ウルシュ・ヴェゼール広場行21:22着続きは次に書きます。
2010年11月07日
コメント(0)

続きです。王宮からケーブルカーで丘を降りた所にあるクラーク・アーダーム広場。そこから、くさり橋(Szechenyi Lanchid)が、ドナウ川に架かっています。この全長375mの吊り橋を、徒歩で渡りました。ドナウ川により隔たれているブダとペストを、最初につないだのが、この橋です。それまでは、船で渡るしかありませんでした。1849年に、セーチェニ・イシュトヴァーン伯爵の提唱により、10年の歳月をかけて造られました。(正式名称は「セーチェニ鎖橋」と言います)第二次世界大戦でドイツ軍により破壊されましたが、その後、1949年に再建されました。橋の上から、王宮を望みます。橋の両側にもライオンが座っていましたが、主塔にもライオンが彫られています。橋を渡り終え、ペスト側に着きました。ここから、ドナウ川沿いに500mほど北上すると、国会議事堂(Orszaghaz)があります。ちょうどここに着いた頃に雨が降り出したので、写真が暗いですが……(そしてここを離れたら雨が止みました)17年かけて1902年に完成したこの建物は、外観はネオゴシック様式ですが、中央の尖塔はルネッサンス風の、折衷様式。内部はバロック様式になっています。この内部も見学できるのですが、ガイドツアーのみで、時間も決められているので、パスすることにしました。国会議事堂から、南東の方へ歩いて行きました。くさり橋からだと、400mくらい東になります。国会議事堂から徒歩20分、14:50に、聖イシュトヴァーン大聖堂(Szt. Istvan Bazilika)に着きました。1851年に建設が始まり、完成したのは1905年。(途中、完成直前に嵐でドームが倒壊して建て直したのが、工事が遅れた主要因ですが)名前の由来はもちろん、初代ハンガリー王の聖イシュトヴァーンです。ネオクラシカル(新古典)主義の建物で、ドームの高さは96mで、国会議事堂と並んで、ブダペストで一番高い建物です。また、聖イシュトヴァーンの右手のミイラが納められています。ここは無料で中に入り、見学することができます。細かい所にも、綺麗な意匠が施されています。主祭壇に置かれているのは、キリストではなく、聖イシュトヴァーンの彫像で、どういう構造か知りませんが、光り輝いています。この聖イシュトヴァーン大聖堂の脇から、アンドラーシ通り(Andrassy ut)という大通りを、北東へ300mほど歩くと、ネオルネッサンス建築の国立オペラ劇場(Magyar Allami Operahaz)があります。11年の歳月をかけ、1884年に完成した、ヨーロッパでも有数の劇場です。俺は入りませんでしたが、中も見学可能です。続きは次に書きます。
2010年11月07日
コメント(0)

続きです。大通り沿いにある割に、観光客が誰も立ち寄らない所へ。ハンガリー初の薬局が建てられた場所に作られた、金の鷲薬局博物館(Arany Sas Patikamuzeum)。英語で言うと、「Golden Eagle Pharmacy Museum」です。製薬企業勤務でゴールデンイーグルスファンの俺としては、いちおう行っておかないといけないかな、と思いまして……(汗)入口のドアを開けて中に入ると、カウンターにおじさんが、その脇の椅子におばさんが座っていて、他に人はいませんでした。一人分の料金、500Ftを払うと、おじさん、チケットではなく、領収書をくれました(汗)おばさんから、英語で書かれた(文字だけ)説明書みたいなのをもらいました。でもルーズリーフポケットに入れられていたので、返さないといけないものなのでしょう。っていうか、俺が入ってきてから、おばさん、中の照明を付けてました。数百年前の薬局にあったような道具やら薬やらが展示されていました。写真撮影は別料金らしいので、写真はありません。俺が帰ろうとした時に、もう一組、観光客が来ましたが、閑散期だったら1日に何人来るんだろうな、というくらいの閑散ぶりでした。マーチャーシュ教会から、大通りを南東に歩いて行きます。と、中庭に出まして……これが王宮(Budavari palota)です。最初にこの丘に王宮を建てたのは、ハンガリー王ベーラ四世(1206年~1270年)です。モンゴル帝国に侵攻されたハンガリーを取り戻し、ハンガリーを復興させた「ハンガリー第2の建国者」とも呼ばれています。在位は1235年~1270年です。その後、増改築が行われ、ルネッサンス期には栄華を誇りましたが、オスマン・トルコによって壊滅的な打撃を受けたり、紆余曲折があった後、トルコからハンガリーを取り戻したハプスブルク家により、バロック様式の王宮が新築されました。その後、二度の世界大戦などによって被害を受け、現在のこの建物は、ネオバロック様式で1950年代に再建されたものです。現在は、国立美術館(Magyar Nemzeti Galeria)になっています。これは狩りをするマーチャーシュ王の泉です。建物の反対側に回りますと……こちらが王宮の正面です。全体の写真は、ここからは撮れません。なぜなら、背後は……ドナウ川だからです。これ以上、後ろに下がれません。再び中庭に戻り、ライオンの門をくぐります。門の両脇をライオンが守っていて、入口側と出口側にいるので、計4体のライオン像があります。王宮は、増築を繰り返されたため、いくつもの建物があり、ライオンの門をくぐった、ライオンの中庭にある建物は……ブダペスト歴史博物館(Budapesti Torteneti Muzeum)になっています。入場料は1300Ftです。その名のとおり、ブダペストの歴史が分かる出土品や美術品などが展示されています。その中の一つ、ハンガリー王の王冠のレプリカです。(本物は国会議事堂にあるそうです)この王冠はハンガリーの聖冠(Magyar Szent Korona)とも呼ばれ、イシュトヴァーン一世が1000年に、ローマ教皇シルウェステル二世から、この王冠を授けられ、初代ハンガリー王として戴冠式を行ってから、1918年にカーロイ四世(オーストリア皇帝カール一世)が退位するまで、900年以上、代々のハンガリー王に受け継がれてきたものです。この王冠が聖冠と呼ばれているのは、ハンガリー王国では、王家の権力は、国王にあるのではなく、この王冠に象徴されるものだからです。キリスト教国としてハンガリー王国を建国したイシュトヴァーン一世は、戴冠式の際、聖母マリアと王冠との契約の証として、この王冠に忠誠を誓ったことから始まっています。13時を過ぎたので、マーチャーシュ教会に戻りました。マーチャーシュ教会は、日曜日は13時から入ることができます。入場料は750Ftですが……チケット売り場で2枚の紙片を渡され、これがチケットだと思っていたら……入口でチェックを受けたのは、こっちのレシートの方。知らない人、ただのレシートだと思って、その場で捨てちゃうよ(汗)上部をちぎって切れ目を入れられました。中に入ります。↑主祭壇。ネオゴシック様式です。いやあ、素晴らしい。さて、王宮の丘の見学はこれくらいにして、ペスト側の観光に行こうと思ったのですが……手持ちの残りのフォリントが少ない!ことに気付きました(汗)もちろん、円やユーロは持っていますし、クレジットカードも持っていますが、全ての場所で使えるわけではありません。かと言って、翌朝には飛行機で出国しますので、これから先、それほどたくさん使う予定もないので、わざわざ両替するのも……(汗)というわけで、とりあえず節約(汗)ドナウ川に架かるくさり橋まで、歩いて降りることにしました。ちゃんと歩道もできていて、歩けます。俺がこの丘を登ったのは、北西のウィーン門方面からですが、東側にはケーブルカー(Budavari siklo)があり、これで登ることも可能です。↓これが、丘の上の駅。ケーブルカーの線路の側の歩道を、ジグザグに降りていくと、線路を渡る橋に出ます。その橋の上から、ケーブルカーを見下ろした眺め。このケーブルカーが、橋の下をくぐって登って行き、下りのケーブルカーとすれ違いました。何ともクラシックなケーブルカーです。そして、丘の麓の駅に着きました。この駅の隣には、丘の下を貫いているトンネルがあります。王宮の下を通っているわけですね。この場所をクラーク・アーダーム広場(Clark Adam ter)といい、ブダペストだけでなく、ハンガリー全土の起点(0点)となっています。続きは次に書きます。
2010年11月07日
コメント(2)

続きです。モスクワ広場から南東へ少し丘を登ると、ウィーン門(Becsi kapu)があります。ここには、9:45くらいに着きました。ここが、王宮のある丘(Var)の北の入口になります。昔は城門があったそうですが、これは1936年に造られたものです。内側から見ると、こんな感じです。ここから先は、城壁の中の旧市街、ということになります。南東に向かって、通りを歩いて行きます。すると、こんな建物に行き当たります。ブダペストのシンボルのひとつ、マーチャーシュ教会(Matyas templom)です。この教会は、元々は、13世紀にべーラ四世によって、ロマネスク様式で建てられました。その後、14世紀にゴシック様式に改築され、15世紀にマーチャーシュ王が、尖塔を増築しました。16世紀にブダがオスマン・トルコに占領され、モスクに改装されました。17世紀にハプスブルク家がトルコからブダを取り戻して、バロック様式に改装されました。1867年に、オーストリア帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ一世と皇妃エリーザベト夫妻が、オーストリア=ハンガリー二重帝国成立のため、ハンガリー王、王妃としての戴冠式を、この教会で行いました。この後、ヨーゼフ一世が、現在のようなゴシック様式に戻しました。第二次世界大戦で破壊されましたが、忠実に復元され、現在に至っています。屋根も美しいです。この教会の中は、日曜日は13時からしか入れないので、後にすることにして、周りの見学を先にしました。マーチャーシュ教会の南西に立っているのが、三位一体の像。これは、ヨーロッパで大流行したペストの終焉を記念して18世紀に建てられたものです。プラハやウィーンにもありましたね。マーチャーシュ教会の東側にあるのが、聖イシュトヴァーンの騎馬像(Szt. Istvan-szobor)。イシュトヴァーン一世(969年または975年~1038年)は、中央アジア系遊牧民、マジャール人の首長・ゲーザの息子として、ハンガリーで生まれ、ハンガリーを統一しました。1000年12月25日(1001年1月1日説も)にハンガリー王国を建国した、ハンガリー建国の父と呼ばれている人です。(ハンガリー国王としての在位は997年~1038年)キリスト教国としてハンガリー王国を建国したので、キリスト教の聖人として列せられました。そしてマーチャーシュ教会の北東側は、城壁があった部分です。漁夫の砦(Halaszbastya)というものがありまして……この建物だけではなく、回廊が続いているわけですが、昔、城壁のここの付近を、ドナウ川の漁師たちが守り、魚の市も開かれていたことから、この名が付いたそうです。この砦に登ると、ブダペストの街並みとドナウ川を見渡すことができます。↑向こう岸の写真中央付近に見えるのは、国会議事堂です。↑ドナウ川に架かっているのが、有名なくさり橋です。この砦で、一人旅らしい日本人のお兄さんに、この街並みをバックにした写真撮影を頼まれました。続きまして、メイン通りから一つ離れた所にある、王宮地下迷宮(Budavari labirintus)に行きました。これが入口。石段を降りていきます。2000Ftのチケットを買って、いよいよ地下迷宮冒険の始まりです!ブダ側はカルストの丘陵地が多く、この王宮のある丘も、カルストです。この地下迷宮は、元々、祈りの場所、ワインセラー、牢獄などとして使われていました。現在、その一部が観光用に公開されています。途中、迷宮内の地図や矢印は、たまにあります。外は暑かったんですが、この迷宮の中は、涼しかったです。↓壁画?明るく見えるかもしれませんが、それはフラッシュを焚いて撮っているからで、実際には、かなり暗くて怖いです。↑この壁画を見て、シシ神様(『もののけ姫』より)↓を思い出してしまった俺。↑牢屋ですね。こんな所に閉じこめられたら、俺なら発狂します(汗)ただ、この迷宮、少々演出過多でして、おどろおどろしい音楽が時々流れたりしていますし……何これ……っていうか、暗すぎて、一瞬、気付きませんでした。ワインセラーとして使われていたので、「ワインの湧き出る泉」もあります。飲みはしませんでしたが、匂いからして、本物のワインでした。このへんまでの演出は、まだ許せる範囲ですが……どこかで見たことのあるコーラの会社のロゴが……(汗9さらには……手榴弾などが氷に閉じこめられてる演出?(汗)すいません。このへんまで来ると、意味が分かりません(汗)第二次世界大戦中に防空壕だか軍の秘密基地だかとして使われていたとか、そういう展示なんでしょうか?ってな感じで迷宮の冒険を終わると、ギリシャ神話の迷宮や、世界各地の昔の迷宮の図などが展示してありました。地上に出ると、時には小雨も降ってどんよりとした曇り空だったのが、晴れ渡っていました。再び漁夫の砦に行って、ブダペストの街並みを撮影しました。さすがドナウの真珠と呼ばれるブダペストの街並みです。続きは次に書きます。
2010年11月06日
コメント(0)

続きです。8月15日(日)今回の旅行で3番目に観光する国、ハンガリーのブダペストでの朝です。ブダペストは、南北に流れるドナウ川を境に、西側のブダと、東側のペスト、二つの地区を併せた名前です。西側のブダは起伏に富んだ丘陵地、東側のペストはなだらかな平地になっていて、景観も全く異なります。さて、ホテルでブダペスト最初の朝を迎えた俺は、部屋の前にあるレストランで、朝食を食べました。このレストランもアメリカンビュッフェ方式。ホテルを出て、地下鉄の駅に向かいましたが、地下に潜る入口がなかなか見つからず、大通りをしばらくうろうろ(汗)実はホテルのすぐ近くに、入口ありました(汗)ブラハルイザ広場駅で、1日乗車券(1550Ft)を買いました。ブダペストの市内交通は、地下鉄、路面電車(トラム)、バス、トロリーバスの他に、ヘーヴ(郊外列車)、登山列車があり、共通の切符です(ヘーヴはブダペスト市内のみ)。これまた、1回乗車で乗り換え不可のシングル・チケット(300Ft)や、1回だけ乗り換え可のトランスファー・チケット(470Ft)などありますが、制限時間などもありますし、ややこしいので、1日乗車券を買いました。1日とは言っても、0時から0時までという日付ではなく、購入しか時から24時間有効です。72時間有効の3日券(3850Ft)や1週間券(4600Ft)などもあります。駅の窓口の人が、下の空欄に、購入した月・日・時・分を手書きで書きます。プラハやウィーンは、改札には係員はいなくて、車内での抜き打ち検札(切符を持ってなかったら罰金)でした。しかしブダペストの地下鉄は、入口に、過剰なまでの係員がいました(汗)バタンと締まる改札口ではなく、ただポールが立っているだけなんですが、その前に、何と6人もの係員がいました(汗)いくら何でも、2、3人しか通る幅がない改札口の両脇に、6人も立っていなくても……(汗)人件費そんなに安いのかな……とにかく、切符を見せて通してもらい、エスカレーターでホームに降りて行きました。このエスカレーターが、ものすごく速い!日本の1.3倍ぐらいあるんじゃないかという速さ。普通に怖ぇえよ!しっかりと手すりに掴まっていました(汗)目的地はモスクワ広場駅。このブラハルイザ広場駅から、地下鉄2号線で5駅です。8:52発 ↓ブダペスト地下鉄2号線 ウルシュ・ヴェゼール広場行(撮影:ウルシュ・ヴェゼール広場駅) ↓地下鉄に乗って、駅の数を数えました。目的地は、5駅先。と……4駅で、終点らしい(汗)しかも地上に出てるし…… ↓9:01着呆然としている俺に、お兄さんが、「May I help you?」と声をかけてきました。兄「どこ行くんですか?」俺「モスクワ……(「広場」って、何て言うんだっけ……)」兄「それなら、逆方向ですよ。 これにそのまま乗って、折り返して行ってください」俺としたことが、乗る方向間違えるなんてぇぇぇ!で、上記のように電車の写真を撮っていたら……電車が発車してしまった!何、やらかしまくってるの? 俺……まあ、フリー乗車券だから、乗り過ごしても精算の必要はないですし、1本遅れても、時間はあるんですが……9:09発 ↓ブダペスト地下鉄2号線 南駅(ブダペスト南駅)行 ↓上の写真のように、2号線の車両は、けっこう古い感じでした。それに、先に乗った列車の車内には、けっこうたくさん、マジックか何かで落書きがされていました(汗)この車両は、まだマシでしたが。それにしても、プラハ、ウィーンと来て、ここで初めて、オールロングシートの電車に出会いました。プラハの地下鉄は、駅ではけっこう急発進、急停車でしたが、ブダペストの地下鉄は、まだ完全に停車していないのにドアが開いたり、閉まる時には、バタンと一気に閉まったりと、けっこう怖い(汗)挟まったら痛そうです。(ドアは、ブダペストやウィーンとは違い、開ける時も自動です)つくづく、日本の鉄道は丁寧で安全な運転だと思いました。 ↓9:20着こうして、モスクワ広場駅に着きました。ホームはこんな感じ。この駅のホームは地下180mにあるらしく、それを、あの高速エスカレーターで一気に上がります。怖くて振り向けませんでした(泣)手すりから手が離せなかった俺(汗)上りだったからよかったようなものの、下りだったら……通勤の時、駅のエスカレーターは止まらずに歩いて利用している俺ですが、さすがにこのエスカレーターは、怖くて……これを駆け下りている人もいましたが、とても真似できません(怖)駅を出ると、目の前がモスクワ広場(Moszkva ter)。傘がいらない程度の小雨が降っていました。路面電車やバスのターミナルになっています。続きは次に書きます。
2010年11月06日
コメント(2)

続きです。ブダペスト東駅構内の銀行で、ユーロを、ハンガリーの通貨・フォリント(Ft)に両替。銀行の前で順番待ちをしている間、「両替しますよ」と言っているらしいおじさんたちが寄ってきましたが、無視。窓口で50ユーロを11060Ftに両替しました。さて、あとはホテルに行くだけですが……これがブダペスト東駅(Budapest Keleti pu.)。イクレクティシズム(折衷)様式で、1884年に完成した駅舎です。ホテルはここから西北西へ徒歩15分なので、歩くことにしました。で、目的のアトラスホテルに無事着いたわけですが……フロントでバウチャーを見せると、英語で何たらかんたら言われて、どうやら、コンピューターが何たらかんたらの原因で、満室なので、代わりに用意したホテルに行ってください、ということらしい……(汗)フロントの人が、地図を取り出して、その代わりのホテルの場所とホテル名を書きました。一本道で徒歩5分ぐらいなので、仕方なく歩いていきましたが……途中で、とりあえず旅行会社に連絡しておいた方がいいんだろうな、と思い、案内書を取り出して、携帯で現地の代理店に電話をしよう……と思いましたが、土曜日なので、ブダペストの代理店は休み(汗)土日や営業時間外の場合は、ロンドンの会社に電話するよう書いてありましたので、とりあえずそのロンドンの会社へ国際電話(汗)事情を説明すると、「それで、今は、アトラスホテルのロビーですか?代わりのホテルに着いていますか?」「いえ。まだ途中の路上です」「送ってもらったりは、しなかったんですか?」「あ……それはありませんでした」そう言われてみれば、いくら近いとは言っても、ホテル側のミスでホテルを変えることになったんだから、車で送ってもらうのがスジですね。「アトラスホテルへ聞いてみますので、もう少しお待ちください」と言われたので、鳥の糞を頭に付けたまま(汗)、歩道で待機。しばらくして、携帯に電話がかかってきました。「今、どちらですか?」「そのまま途中の路上ですが」「代わりのアトリウムホテルで、到着を待っているそうです」あ、そうか。わざわざ路上で待ってないで、とりあえず行けばよかったのか。で、結局、今回の原因は、予約が完了した後、ホテルのホストコンピューターがダウンして、予約状況が分からなくなってしまったとのこと。その後に予約が入った客で満室になってしまった、ということのようです。それならそれで、旅行会社に連絡が欲しいものですが、どこから予約が入っていたかすらも、分からなくなってしまったんですかね(汗)「この件は、日本(の旅行会社)の方にも報告しておきます」とのこと。とりあえず、もう目の前まで来ていた、アトリウムホテルに入りました。このホテルのフロントは、綺麗なおねいさんで、「今回のミスのお詫びに、ミニバーは全て無料にします」とのこと。でも、ミニバーの中身はほとんどお酒で、俺、飲まないし……(汗)そして、フェリヘジ空港-ブダペスト市内間を均一料金で運んでくれる、「エアポートシャトル」のチケットを、ホテルで買うことにしました。というのも、翌々日のブダペストを経つ飛行機が、7:05発と早く、公共交通機関だと地下鉄とバスを乗り継ぐことになりますが、始発に乗っても間に合いません。エアポートシャトルは、予約しておくと、ホテルや家の前まで来てくれて、空港までの道のり、順番に乗客を拾っていくというミニバスです。空港からの場合は、同じ方向に行く乗客を集め、順番に降ろしていくことになります。以下、ホテルのおねいさんと、英語でのやりとり。俺「(ガイドブックを見せて)このシャトルバスを利用したいんですが」姉「はい。明日はもう、予約は無理ですが」(予約は24時間前まで)俺「16日(明後日)です」姉「なら、大丈夫です。何時でしょう?」俺「4時半ぐらい」姉「そんなに早い便は聞いたことありませんが……飛行機は何時発ですか?」俺「7時です」姉「そうですか。じゃあ……4時45分か5時ぐらいでどうでしょう?」俺「4時45分で」姉「分かりました。……2500Ftです」といったやり取りで、無事、予約を取り、チケットを買うことができました。おねいさん、エアポートシャトル予約用ノートに日付と時間を記入していました。これがそのチケット。俺「このホテルの前に来てくれるんですね?」姉「はい。そこのロビーでお待ちください」というわけで、これで、この日、やるべきことは全て終わりました。あとは、部屋に入って、シャワーで頭の上の鳥の糞を落とすだけです。俺の部屋は、1階。部屋の中は、オシャレな感じでしたが……窓がホテル内の通路側にしかない!(汗)しかも、すぐ外はホテルのレストランになっていますから、カーテンを開けた日にゃ、室内が丸見えです。というわけで、ずっとカーテンを閉めていました。バスルームもオシャレでしたが……ヨーロッパにはよくある、バスタブがなく、シャワーしかないタイプですね(汗)バスルームの鏡を見てみましたが、どうやら、鳥の糞は、駅で一生懸命に払いのけたので、見た目は付いていませんでした。が、いちおう、すぐにシャワーを浴びました。こうして、ブダペストでの最初の夜を迎えました。続きは次に書きます。
2010年11月03日
コメント(0)

続きです。さて、いよいよウィーンともお別れです。ウィーン西駅から、オーストリア連邦鉄道の国際高速列車『レールジェット』に乗って、隣の国、ハンガリーのブダペストに向かいます。ウィーン西駅の外観を紹介できればいいんですが、工事中でした。これが、関空で受け取った切符です。まず、ウィーン西駅→ブダペスト東駅の乗車券(36ユーロ)。駅名だけは読めました(汗)続きまして、『レールジェット』の特急券・指定券(9ユーロ)『レールジェット63号』254号車21席・窓側です。到着用のタイムテーブルと……出発用のタイムテーブルで、到着・発車時刻とホームを確認。駅のコインロッカーに預けておいたスーツケースを回収し、タイムテーブルに書いてあった6番ホームに向かいました。長距離列車の場合、車内検札があるので、改札はありません。『レールジェット』の発着ホームは限定されているらしく、ホームに「railjet」と書いてあります。列車を降りて、駅の出口に向かおうとすると、「ウィーンへようこそ」とあちこちの言語で書かれています。ホームには、各列車の編成表がありました。俺の乗る『レールジェット63号』の254号車は、先頭の機関車の次の251号車から数えて4両目。251号車から254号車が、「エコノミー」と呼ばれる2等席。255号車が、ビュッフェ。256号車と257号車が、「ビジネス」と呼ばれる1等席。あと、16席のみ、「プレミアム」と呼ばれる特等席があります。興奮して早く駅に着きすぎて暇だったので、売店で買ったパンを食べながら、時間潰し。そうしていたら、一番端のホームに、こんな列車が到着。ドイツ鉄道の高速列車『ICE』(Intercity Express)じゃないですか!さて、13:40、ドイツのミュンヘン中央駅から来た、『レールジェット63号』が到着しました。ここに着くまでに、ザルツブルク、リンツなどを経由しています。このウィーン西駅は、片方は行き止まりになっていますので、ミュンヘンから来たこの列車は、折り返してブダペストに向かいます。写真は257号車で、ミュンヘン中央駅からウィーン西駅までは、この車両が先頭になり、ウィーン西駅からブダペスト東駅までは、最後尾になります。(もちろん、ブダペストからミュンヘンへの列車は、この逆になります)ちなみにこの車両には動力はなく、反対側に機関車があります。ミュンヘンからウィーンまでは、この車両の運転台で、最後尾の機関車を遠隔操作し、最後尾の機関車が、前の7両の客車を後ろから「押す」ことにより、進みます。ウィーンから先は、普通に機関車が「引っ張り」ます。(これをプッシュプル方式と言い、ドイツ語では「振り子」の意味の「ペンデルツーク」方式と呼ばれています)車体には「railjet」の大きなロゴが書かれています。俺が乗った254号車は、エコノミーの二等席。乗り込みまして……21番の席(進行方向右側・窓側の席)を探し当てると、そこにはお兄さんが座っていました。ヨーロッパの長距離列車では、指定席車と自由席車を区別していないことが多く、指定席として発券されていない(予約されていない)席は、全て自由席です。お兄さんに切符を見せると、お兄さん、網棚の所を見て、21番席にウィーンからブダペストまで予約の表示があるのを確認し、自分が座っている席の隣の、通路側の席に置いてあった荷物を片付けました。そして、「どうぞ」というジェスチャー。お兄さんにしてみれば、窓側でも通路側でもどちらでも関係なかったのかもしれませんが……せっかくの窓側の席ですので、窓側の席に座りたい俺。「I like window....(私は窓が好きです)」よく考えてみれば、おかしな英語で、言うのなら「I like window seat」ですよね。でもお兄さんは理解してくれたらしく、窓側の、21番席を空けてくれました。スーツケースを網棚に乗せ、切符どおりの席に着席して、いざ、出発!13:40発 ↓オーストリア連邦鉄道・特急『レールジェット63号』 ブダペスト東行 ↓車内はこんな感じです。座席は転換させることができません。前を向いている席や、後ろを向いている席や、4人分で向き合っている席、様々です。俺の席は、後ろ向きでした。隣のお兄さん、発車してすぐ、荷物は置いたまま、どこかへ行きました。「Another seat?」(「他の席を探しに行くんですか?」と聞きたかった)と聞くと、「I'll be back」ターミネーターを思い出した俺。人なつっこい、いい人そうなお兄さんでした。結局、ずっと戻ってきませんでしたが(汗)さて、車内探検です。デッキ。出入口のドア。隣の255号車のビュッフェ。客室のドアの横にはテレビモニターがあり、飛行機のように現在地が表示されます。各駅の発車予定時刻や、遅れている場合の実際の発車予定時刻、現在の速度なども、英語、ドイツ語、ハンガリー語?で代わるがわる表示されます。『レールジェット』は2008年12月14日から営業運転を開始した、比較的新しい列車で、最高時速は230kmです。ですがウィーン西駅からは、この速度では走れません。ハンガリー国内に入って、ようやく直線に近い線形になり、今回乗った区間では最速の時速160kmで運転していました。ウィーン・マイトリンク駅を過ぎた14:27に、女性車掌さんが検札に来ました。オーストリア-ハンガリー間の国境越えでは、パスポートチェックはありません。最初に俺の席にいたお兄さんが、ウィーン・マイトリンク駅の次の停車駅、ヘジェシャロム駅の手前で戻ってきて、荷物を持って去って行きました。降りたわけではなさそうなんですが……まあいいや。それからずっと、俺の隣には、誰も来ませんでした。車窓風景ですが、特にハンガリー国内に入ってから、広い平原の中をひた走っていきました。 ↓16:49着(実際には16:56着)【Budapest Keleti pu.】探したんですが、駅名標が見当たりませんでした。こうして、ブダペストに到着しました。列車を降り、ブダペスト東駅のホームを、出口に向けて歩いて行きます。と……頭の上に鳥の糞が落ちてきました(泣)頭の上と、スーツケースの持ち手に、べとっ。慌てて払いのけましたが……気を取り直して……これが、『レールジェット』の機関車です。続きは次に書きます。
2010年11月03日
コメント(2)

続きです。さて、このシェーンブルン宮殿の敷地は、東西1.2km、南北1kmあります。建物を出て、南側に広がる庭園に行きました。庭園の東西の両脇は、林のように木が植えられた公園になっていて、ランニングしている人がたくさんいました。庭園の西の端には、温室があります。1882年にできた、ヨーロッパ最大の温室だそうです。中には入りませんでしたが。温室の南隣に、日本庭園があります。この庭園は1913年にオーストリア人の庭師によって作られたもので、第一次世界大戦後、ハプスブルク帝国が崩壊したことにより、この庭園も忘れ去られ、荒廃していました。1996年にここに来た日本人により、「これは日本庭園じゃないのか?」と指摘され、その後、調査が進められ、日本庭園であったことが分かり、1998年に日本人庭師により復元されました。何となく落ち着く。その日本庭園の南隣には、動物園があります。この動物園は、マリア・テレジアの夫の皇帝フランツ一世が、1752年に設立したもので、現存するものの中では、世界最古の動物園だそうです。フランツ一世は、ハプスブルク家のマリア・テレジアと結婚して、神聖ローマ皇帝を継ぎましたが、マスオさんだったため、政治的には権力がなく、政治は妻に任せ、自分は自然科学の方に興味を示し、この動物園を建てたりしました。そして、先述の自然史博物館のコレクションにつながるわけです。理系だったんですね。この動物園の中には入りませんでした。再び、庭園の真ん中に出ると、そこには、ネプチューンの泉(Neptunbrunnen)があります。ネプチューンといえば、ローマ神話の海神ですね。ギリシャ神話のポセイドンに当たる神様。向かって左側から、この裏に回ることができます。少し高くなっているので、ここから宮殿と庭園を見渡すことができます。さらに、この意匠の滝の裏側から、覗き見ることもできます。ただし、水しぶきが多少かかるので、注意。このネプチューンの泉の裏に、小高い丘があります。今度はこの丘に登りました。ジグザグで緩やかな坂道を登っていきます。徒歩10分ぐらいで頂上に着きました。ここには、グロリエッテ(Gloriette)と呼ばれる建物があります。グロリエッテは、プロイセンとの戦争に勝利した記念と戦没者慰霊のために、1775年に建てられた(未完成)、ギリシャ建築です。中央部はカフェになっていますが、それよりも、ここの屋上が、いいんです。2ユーロを払って、屋上のテラスに行きました。このテラスから、シェーンブルン宮殿の建物や庭園だけでなく、ウィーンの街が一望できます。写真右上(北東)に、シュテファン寺院が見えますし、写真左上(北西)に見える小高い山が、ウィーンの森です。庭園など含めた、このシェーンブルン宮殿の敷地一帯が、シェーンブルン宮殿と庭園群という世界遺産に指定されていますが、それも納得です。これで、シェーンブルン宮殿の見学は終わりです。この丘の頂上から、庭園、宮殿の脇を通り、再び路面電車の駅に着くまでに、25分、歩きました(汗)11:32発 ↓Straβenbahn58号線 Gerstnerstraβe(ウィーン西駅)行11:41着こうして、ウィーン西駅に戻ってきました。続きは次に書きます。
2010年11月03日
コメント(0)

続きです。8月14日(土)ウィーン最終日。昨夜の雷雨は、すっかり上がっていました。ウィーンを経つのはお昼過ぎですので、午前中のうちに、もう一ヶ所、出かけました。スーツケースを持って、ホテルを出ました。7:16発 ↓オーストリア連邦鉄道Sバーン2号線 ミステルバッハ行(撮影:ウィーン・ミッテ駅) ↓ごっつい感じの電車ですが、車内はこんなんです。 ↓7:19着このウィーン・ミッテ駅は、オーストリア連邦鉄道(OBB)だけでなく、地下鉄(Uバーン)も2路線が入っている駅です。位置的には、市立公園の東にあります。ここで、Uバーン3号線に乗り換えです。色分けされていますし、表示もはっきりしているので、迷子になりません。改札も、プラハと同じく無人で、入る時に、切符に自分で日付等を印字します。俺は48時間フリーパスを持っているので、SバーンもUバーンも素通りですが。ちなみにこの駅、OBBとUバーンでは、駅名が違います。東京駅と大手町駅、大阪駅と梅田駅みたいなものです。7:25発 ↓ウィーン地下鉄Uバーン3号線 オッタークリンク行(撮影:ウィーン西駅) ↓このUバーン3号線で、リンクの真ん中を西へ突っ切ります。車内はこんな感じです。Sバーンもそうですが、このノブを倒すとドアが開く、半自動ドアです。閉まる時はもちろん自動です。 ↓7:33着午後、ブダペスト行きの列車はこのウィーン西駅から出ます。というわけで、この駅のコインロッカーに、スーツケースを預けることにしました。国際列車が発着する駅なので、コインロッカーの大きさも、大小様々あります。この駅にコインロッカーがあることは、事前にネットで調べてありました。と、それよりも、コインロッカーの使い方ですよね。日本のように、コインを入れて鍵を回すタイプや、都市部にある、タッチパネル式の画面でロッカー番号を操作して、しまう時に暗証番号が発行され、開ける時にその暗証番号を入力するタイプでもなさそう。画面があったので、そこを読もうとしても、ドイツ語読めません(汗)言語の切り替えができるようで、「Japanisch」というのがあったので、そこを押すと、日本語表示になりました。どうやら、ロッカーに荷物を入れ、必要金額を入れ、画面上でそのロッカー番号を押すと、カードが出てきて、預け入れ完了。荷物を取り出す時は、そのカードを機械に差し込めばいいようです。スーツケースが入る大きさのロッカーは、3.5ユーロ。ちょうどコインがなかったので、駅構内の煙草屋で両替してもらいました。ちょうど開いていたロッカーにスーツケースを入れ、コインを入れて画面を操作すると、機械の下から、カードが出てきました。ここから、路面電車に乗ります。(駅名は違います)8:00発 ↓Straβenbahn58号線 Unter St. Veit行(撮影:シェーンブルン宮殿駅) ↓車内はこんなんです。写真の右端に写っている青い箱が、切符に時刻などを刻印する機械です。思ったんですが、プラハにしろウィーンにしろ、大都市近郊の列車でも、ロングシートってあまりないんですよね。降りる時は、このドアに付いているボタンを押してドアを開けます。 ↓8:08着さて、こうして、シェーンブルン宮殿(Schloβ Schonbrunn)に着きました。リンクの南西のちょっと離れた場所にあります。宮殿の北側が正面になっています。チケットを買うのに行列ができていましたが、俺は前日に王宮で買ったシシィ・チケット(22.5ユーロ)を持っていたので、チケット売り場はパス。ちなみに普通にチケットを買うと、40室全てを見学できるグランドツアーの場合、12.9ユーロです。一部の22室を見学できるインペリアルツアーは、9.5ユーロ。8:30から見学できます。そして、見学者入口まで行ったところで、リュックをクロークに預けてくださいと言われたので、チケット売り場の近くまで戻って、クロークのおじさんに、リュックを預けました(無料)。おじさん、俺のリュックを持って、「Heavy....」水入りペットボトルが何本も入ってるから、重いです(汗)見学者入口は自動改札になっていて、シシィ・チケットの裏のバーコード部分をピッとやると、ゲートが開きました。無料のオーディオガイドがあるようなので、受付に行きました。前に人が一人いたので並び、俺の番になったので、「Japa……」と言いかけたら、後ろから4人ぐらい割り込んできて、「Chinese, うんたらかんたら……」…………(汗)そこのおじさんも、「順番守ってください」とも言わず、一家?4人分の機械をその中国人たちに渡しました(汗)さて、オーディオガイドを日本語モードにしてもらい、トランシーバーのように耳に当て、日本語の説明を聞きながら、見学開始です。「シェーンブルン」というのは、「美しい泉」という意味で、神聖ローマ皇帝マティアス(1557年~1619年・在位1612年~1619年)が、この付近に狩猟に来た時に、美しい泉を発見したことから、名付けられました。このシェーンブルン宮殿は、神聖ローマ皇帝の、レオポルト一世(1640年~1705年・在位1658年~1705年)が、1693年に建てた宮殿が、元になっています。その後、ハプスブルク家の離宮として使われ、歴代の皇帝によって増改築が行われ、女帝マリア・テレジアが、1743年に大改築を行い、現在の姿になったそうです。外観はバロック様式、内部は繊細なロココ様式で、作られています。部屋数は1441室あるそうで、そのうち、見学できるのは、ごく一部の、1階(日本で言う2階)の44室のみです。マリア・テレジアの末娘で、15歳でフランスのルイ十六世に嫁いで、フランス革命でギロチンで処刑された、マリー・アントワネット(1755年~1793年)も、15歳までここで育ったそうです。また、1762年、モーツァルトが6歳の時、この宮殿に招待され、マリア・テレジアの御前で演奏しています。この時、床に転んだモーツァルトを、当時7歳のマリー・アントワネットが助け起こすと、モーツァルトは「僕と結婚してください」とプロポーズしたという有名な逸話もあります。ナポレオン戦争後のヨーロッパの領土分割が話し合われた、ウィーン会議(1814年~1815年)も、ここで行われました。見学コースは、主に、皇帝フランツ・ヨーゼフ一世とその皇妃エリーザベトの、居住空間がメインになっています。が、撮影禁止なので、残念ながら写真はありません。日本人の団体客もいました。8:30から9:30まで、この内部を見学しました。いやもう、それは豪華でしたよ。写真でお見せできないのが残念です。ここを出る時、クロークで、預かってもらっていたリュックを受け取る際、おじさんが、今度は、「オモイ!」って……(汗)さっきは「Heavy」って言ってなかったか?俺が戻ってきた時のために、誰かに日本語習ったんですかね(汗)続きは次に書きます。
2010年11月03日
コメント(2)
全18件 (18件中 1-18件目)
1