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未央の後姿です。普通はこちらが表だと思うのですが。
2007.01.28
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姫路城です。新幹線の車窓から撮ったものですが、窓が汚れていて鮮明さがありませんが、天下の名城らしい姿です。【豆知識:姫路城】出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』姫路城(ひめじじょう)は、兵庫県姫路市(播磨国飾東郡姫路)にある城。白漆喰の城壁の美しさから白鷺城(しらさぎじょう、はくろじょう)とも呼ばれる、日本における近世城郭の代表的な遺構である。築城以来廃城や戦火の危機を免れてきた事から天守をはじめ多くの建造物が現存し、うち大天守、小天守、渡櫓等8棟が国宝、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に指定されている。また1993年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録される。三大国宝城の一つに数えられ、築城以来の姿をよく残している事もあって時に「天下の名城」あるいは「日本一の名城」とも言われる。白壁の美しい城であり、時代劇を始めとして映画などのロケが行われる事も多い。しばしば江戸城など他の城の代わりとして撮影されている。なお、姫路城の所在地「姫路市本町68番地」は、日本の番地では皇居の位置する「千代田区千代田1番地」に次ぐ面積を誇る。近代には陸軍歩兵第十連隊が駐屯していた。築城者姫路市街北部の姫山に最初に築城したのは、南北朝時代の正平元年/貞和2年(1346年)、赤松則村(円心)の子・赤松貞範であるという説が有力である。ただし、赤松氏時代は砦と呼ぶべき小規模なもので、「城」と呼べる規模の構築物としては、16世紀に播州平野に割拠した小寺氏の被官である黒田重隆が築城したのが最初であるという異説もある。その後、天正8年(1580年)織田信長の重臣であった羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が播磨統治の中心拠点として姫路城を選定し、近世城郭にふさわしい体裁を整えた。ただし現在残る城郭と遺構は秀吉時代のものではなく、徳川家康の娘婿で「西国将軍」の異名を取った池田輝政が慶長5年(1601年)から8年掛かりで築造したものである。普請奉行は池田家家老伊木長門守忠繁、大工棟梁は桜井源兵衛である。作業には在地の領民が駆り出され、築城に携わった人員は延べ4千万人~5千万人であろうと推定されている。天守(天守閣)姫路城の天守は江戸時代のままの姿で現在まで残っている天守の一つであり、まさしく姫路の象徴である。姫路城の天守閣は姫山の頂上に設けられた天守台の上に、天正八年(1580年)の春、羽柴秀吉が現在の大天守に三層天守を構えたのが始まりである。その後池田輝政によって解体され、現在に姿を残している。歴史山陽道上の交通の要所・姫路に置かれた姫路城には、江戸時代には池田輝政およびその子・孫以降は親藩松平氏や譜代大名が配置され、さらに西国の外様大名監視のために西国探題が設置された。
2007.01.26
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大分市にはたくさんの彫刻があるそうです。ガレリア竹町ドーム商店街赤レンガ通りから中央通を渡る時、横断歩道脇に道路のほうを見るように「未央」と名のついた裸婦座像があるのに気が付きました。 商店街のほうから歩いてくると像の裏側が(道路に向かって設置されているので大分銀行赤レンガ館のほうから横断歩道を渡りきると正面になる。)見えました。 溝口寛氏(大分県竹田出身 日展評議員審査員 4 回 / 菊華賞 / 日展特選 2 回 / 日本彫刻会主催 ・ 第 1 回西望賞及び奨励賞 2 回 )の1989作作品だそうです。
2007.01.21
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