全196件 (196件中 1-50件目)

-- このEメールはアバスト アンチウイルスによりウイルススキャンされています。 https://www.avast.com/antivirus
2021.05.30
コメント(0)

散歩道の河童横の早咲きの桜は葉桜になっています。緑が目立ってきました。だけど、周りの桜はつぼみが膨らんできました。もう少しで咲きそうです。
2018.03.19
コメント(0)

散歩コースの河童の脇に桜が咲きました。周りはまだつぼみですがここだけ早咲きのようです。
2018.03.12
コメント(0)

毎朝の散歩コースにある河童の像です。今日はカラスが空き缶を運んで遊んでいます。
2017.11.07
コメント(0)

毎朝の散歩コースにある河童の像です。
2017.10.31
コメント(0)

臼杵です。大友宗麟ゆかりの城跡です。On 2017/01/29 9:13, wrote:
2017.01.29
コメント(0)
このメールに返信するとブログ記事が書けますを利用してみました。桜おわりましたが高井戸駅です。
2011.04.28
コメント(0)

合羽橋のオビジェ「河童」です。かっぱ河太郎合羽橋の由来河童_1河童_2河童_3河童_4通り
2009.04.26
コメント(0)

少し前、まだ肌寒い頃の写真です。 銀座7・8丁目をはさんだ「花椿通り」の椿を持った少女「はな」の像です。 製作者は平成五年三月 茂木弘行の銘があります。 茂木弘行の彫刻は自然な女性の像に特徴があるようです。茂木 弘行(もぎひろゆき)(1945- ) 彫刻家。新潟県生まれ。東京芸術大学美術学部彫刻科卒業。1969(昭和44)年に東京芸術大学美術学部卒業作品の中から優秀作品に対して賞状と記念品を授与して表彰するサロン・ド・プランタン賞を受賞。一切の公募展には目を向けず、個展・グループ展のみを発表の場としてきたそうです。
2009.04.19
コメント(0)

尾道駅近くの海岸通り沿いに「心Shin」という野外彫刻があります。 像の前に設置した説明板によると、この彫刻は1991年雨宮敬子(あめのみや けいこ)によって作られたものだそうです。 心(Shin)は「穆然(もくねん)」の題名で第22回日展出品作品だそうで、 この作品は、「静かに、和らいだ気持ちで心の中の自分をみつめる」ことを意味しているそうです。 一貫した裸婦像の制作を通じて、「内なる見えないものをかたちに現わす」という作者自身のテーマに正面から対峙し端正で自然な形態の中に動きをも孕む静けさや清浄な美 をさりげない女性像の表出の中に追及した作品であると説明されています。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると次のようです。 雨宮 敬子(あめのみや けいこ、1931年2月3日 - )は、彫刻家、日本芸術院会員。雨宮治郎の娘として東京に生まれる。弟は雨宮淳。1956年日展初入選、1982年長野市野外彫刻賞、1983年中原悌二郎賞優秀賞、1985年日展内閣総理大臣賞受賞、1994年日本芸術院会員。主に女性のヌード座像を制作している。『雨宮敬子作品集』(講談社 2005)がある。 周りの景色は一見の価値があります。
2009.03.01
コメント(0)

京都駅の新幹線ロビーに「こころのとも」と銘の入った彫刻があります 日展評議員 杉村尚 造のプレートがあります。杉村尚(すぎむら・ひさし)氏 彫刻家大正11年奈良県に生まれる。昭和17年、第5回文選に初入選。18年東京美術学校卒業後、昭和34年に第2回日展で特選、昭和35年には奈良県文化賞、昭和37年より日展審査員、同評議員。日本美術家連盟会員、京都教育大学名誉教授。平成10年には訓三等旭日賞を受賞、平成14年肺がんのため奈良市の病院で死去、81歳。
2008.09.06
コメント(0)

新小岩駅 南口公園ミニ広場にあるトイレの屋根に伸びるポールの上楽器を奏でる人?のオブジェがあります。何を意味しているんでしょうね。ただ、楽譜の方は、イスラエル建国前のユダヤ人が歩んだ苦難の道を歌っている「ドナ・ドナ」のでだしと同じです。 安井かずみの訳 NHKのみんなの歌では「ある晴れた昼下がり 市場へ続く道・・・」 楽譜はこちらで⇒ http://bunbun.boo.jp/okera/tato/donadona.htm【豆知識】ドナドナ『ウィキペディア(Wikipedia)』ドナドナ(Donna Donna、またはDonay Donay)は、シェルドン・セクンダ作詞、ショロム・セクンダ作曲の童謡で1940年頃の作品。1956年にアーサー・ゲヴェスとテディ・シュワルツが英訳して歌い、その後ジョーン・バエズが「ドンナ・ドンナ」として1961年に発売し大ヒット(日本では1964年にリリース)。1966年、安井かずみの訳、岸洋子の歌により発表。1969年2月から3月まで、NHKの歌番組「みんなのうた」で放送。
2008.07.22
コメント(0)

中央総武線平井駅北口広場にある「そよかぜ」と銘の入った像です。作 谷口 淳一 とあります。インターネットで調べましたら以下の記事がありました。「谷口 淳一先生は、京都教育大学教授・彫刻家・陶芸家で日展評議員、平成7年日展内閣総理大臣賞を受賞され、また元京都府教育委員会委員長などの公職を務められた故谷口良三先生の長男としてお生まれになり、1989年日本彫刻会展で努力賞、1991年日展で特選を受賞、1992年文化庁現代美術選抜展に出品されるなどご活躍をされています。2004年には実弟で陶芸家の谷口正典先生と「谷口淳一・正典展」に出品されています。」
2008.07.15
コメント(0)

庭のミヤコワスレは毎年咲きます。今年も咲いています。蜂も来ています。秋口まで咲いてくれると思います。
2008.06.15
コメント(0)

庭のアマリリスが咲きそうです。もう2~3年ほど葉ばかりで終わっていたアマリリス。蕾ができました。もうすぐ、咲きそうです。
2008.06.15
コメント(0)

駿河台の神田七福神_布袋尊です。 布袋尊(ほていそん)とは、日本の七福神の一柱。中国唐末の明州(浙江省)に実在したとされる異形の僧・布袋(ほてい)に由来する。大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。 庶民には福の神の一種として信仰を集め、室町時代後期に成立した七福神に組み入れられた。肥満体の布袋は広い度量や円満な人格、また富貴繁栄をつかさどるものと考えられ、所持品である袋は「堪忍袋」と見なされるようになった。場所おまけ神田アート七福めぐり少彦名命[えびす様]神田神社 東京都千代田区外神田2-16-2 03-3254-0753大黒天 東京都千代田区神田佐久間河岸78-3 柴田ビル 北の守[毘沙門天] 村田ビルディング 東京都千代田区神田駿河台2-5 妙音[弁財天] 東京都千代田区外神田6-16-9 オガタビル 慧[布袋尊] 三井住友海上 東京都千代田区神田駿河台3-9 (駿河台ビル)寿人遊星[寿老人] 俎板橋児童遊園 東京都千代田区九段北1-1-1 恵光の像[吉祥天] 淡路町サニービル 東京都千代田区神田須田町1-2
2008.06.13
コメント(0)

日本生命日比谷ビル前の「話をする人」の像です。1963年、ペリクル・ファッツィーニの作だそうです。男女を分離してみました。男女銘盤です。略歴ペリクレ・ファッツィーニPERICLE FAZZINI 1913年 イタリアのグロッタマーレで家具職人の長男として生まれる。1929年 ローマの美術私塾で彫刻を学び、1942年イタリア・アカデミア受賞。1951サンパウロで、アルピ、エルンストらとともに受賞。1954年 ヴェネチア・ビエンナーレで、アルピ、エルンストらとともに受賞。 現在ローマ・アカデミアの教授。 踊り子をモチーフにした作品が多く、現代イタリアを代表する彫刻家である。 場所
2008.06.08
コメント(0)

神田明神 隨神門を入り水屋の脇に参拝者休憩所休憩所に将門公御御神輿が格納されています。 五月の神田祭には80年ぶりに復活したそうですが、そのとき休憩所はもちろん御神輿がなくなっていました。神田明神のホームページにはつぎの説明がありました。「 江戸時代よりご祭神・平将門公がお乗りになった神輿が関東大震災で紛失して以来、80年ぶりに復活します。一般的な神輿の形式とは異なる「入母屋造」台輪3尺5寸という巨大なこの神輿は、当社宮司・大鳥居信史と将門塚保存会会長で当社の氏子総代・遠藤達藏氏が設計・監修を手がけ、6世宮惣・種谷吉雄氏により制作。堂柱には将門公をはじめ将門公に縁の滝夜叉姫、一遍上人の彫刻が刻まれています。この神輿は、史蹟将門塚保存会の参与法人会員を務め大手町・将門塚の隣接する三井物産株式会社より地域社会との交流・史跡旧跡の保存・伝統文化の継承による町おこし・社会貢献活動の一環として史蹟将門塚保存会に寄贈された神輿です。15日の神輿宮入で大手丸の内町会・史蹟将門塚保存会の方々により担がれ、将門公を思わせる勇壮な姿を初披露します。」おまけです。
2008.06.03
コメント(0)

新お茶の水ビルディング前の公園にあったオブジェ です。 「酒は涙」とあり、てっきり、歌謡曲の記念碑かと思いましたが、 世界的彫刻家「流政之」の作品でした。【豆知識】 流 政之は、世界的に活躍する彫刻家。“Samurai Artist ”の異名をもつ。 1923(大正 12)年、長崎県に生まれ、1942年 立命館大学法学部へ進学、その後中退し、海軍予備学生出身の零戦搭乗員として終戦を迎える。その後、世界各地を放浪、独学で彫刻を学び、現在に至る。 1975(昭和50)年には、ニューヨーク世界貿易センターのシンボルとして、約250トンの巨大彫刻「雲の砦」をつくり、国際的評価を得る。また、作品「受」は、ニューヨーク近代美術館の永久保存作品(パーマネントコレクション)として収蔵されており、彼の国際的評価の高さを表してい。・・」フリー百科事典「ウィキベデア」
2008.06.02
コメント(0)

日比谷公園に残るアーク灯です。開園当時の物で10基あったそうです。他にガス灯が70基あったとか説明板を見てください。【豆知識】炭素アーク灯(carbon arc lamp)空気中でのアーク放電による発光を利用した照明のこと。 電極に炭素棒を用いて空気中で放電させる。弧光灯とも。単にアーク灯(arc lamp)と言った場合、普通炭素アーク灯のことを指す。主な発光体は高温となった炭素棒。放電により加熱され、白熱し強い光を発する。 炭素棒はアーク放電により先端部より消耗するので、発光を維持するには電極間の距離を調整する機構を要する。炭素棒を並行に並べることで、距離調整を不要とした「エレクトリックキャンドル」と呼ばれる形式も存在する。照明に用いられる場合は強すぎる光を抑制するため、周囲を着色ガラス等で覆う。 エネルギーの大半が熱として放出されるため、照明としての効率は悪い。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2008.05.30
コメント(1)

「大地より空へ」k.shigeoka と名づけられたオブジェです。これも、蓮華寺池公園の内、文学館(だそうです)の前にある。k.shigeokaは、イタリア彫刻のエミリオ・グレコに師事した重岡建治さんのサインだそうです。
2008.05.23
コメント(0)

蓮華寺池公園の蓮です。名前の通り蓮もきれいです。蓮華寺池は、1613年(慶長18年)に作られた灌漑用のため池で、蓮華寺池公園(れんげじいけこうえん)は、静岡県藤枝市若王子(にゃくおうじ)にある、藤枝市郷土資料館も併設された藤枝市の中心にある総合公園
2008.05.21
コメント(0)

静岡の蓮華寺池公園内の藤枝市郷土資料館近くに建つ「対話」と題字のあるオブジェです。像_表裏の銘文像_裏
2008.05.20
コメント(0)

国会図書館・最高裁判所近くの三宅坂の角に小さな公園があります。 中央に三人の女性像ガあります。 「愛情」「理知」「意欲」を象徴する3女性の裸像は「平和の群像」と名付けられています。 昭和25年に電通創立50周年記念事業として建てられた広告功労者顕彰記念像だそうです。 銘盤には、次のように刻まれています。「広告がわが国の平和産業と産業文化の発展に貢献した事績は極めて大きい。 わが社は昭和25年7月1日、その創立50周年を自祝し、過去半世紀を回顧してこれを記念するに当り、平和を象徴する広告記念像を建設して、東京都民に贈り、広告先覚者の芳名を記録してその功労を永久にしのぶこととした。」 また、この地は江戸時代後期の蘭学者でもあり画家でもあった渡辺崋山が人生の大半を過ごした地でもあり、説明板が隅っこに立っています。 また、このあたりの三宅坂という名の起源は、三河田原藩主三宅氏の上屋敷があった事に由来しているそうです。 この像は、菊池一雄(1908-1985)の製作だそうです。 【経歴】1908:京都生まれ1930:二科展に出品 ~34年1932:東京大学文学部美学美術史学科卒業、在学中から彫刻科を志して藤川勇造に師事1936:フランス留学 ロダンの弟子であるデスピオに師事 ~39年1941:新制作派協会に迎えられ会員となる。戦後、東京芸術大学彫刻科教授(1947~1976)として多くの俊秀を育成する1948:青年像」で第1回毎日賞を受賞 ちなみに、最高裁判所から国立劇場にかけては、江戸時代には彦根藩井伊家の藩邸があったが、明治維新後陸軍省や参謀本部が置かれ、かつては有栖川 宮記念公園に移転した乗馬姿の有栖川宮熾仁親王銅像が建っていたそうです。
2008.05.13
コメント(0)

東京国立近代美術館分館_工芸館の前にあるオブジェです。 残念ながら、意味がよくわかりません。 オブジェの前の銘板プレートからなんとなく・・・だろうな。 程度です。 プレートには・・・とかかれていますが、将棋倒しですかね。 プレートには・・・とかかれていますが、蛇ですかね。 プレートには・・・とかかれていますが、なんですか抱擁ですね。
2008.05.12
コメント(0)

皇居_乾門の前のすぐ近く北の丸公園内に東京国立近代美術館の分館_工芸館があります。 工芸館は、近代美術の中でも工芸およびデザイン作品を展示紹介する、東京国立近代美術館の分館として、昭和52(1977)年11月15日に開館しました。 工芸館の建物は、旧近衛師団司令部庁舎を保存活用したものです。この建物は、明治43(1910)年3月、陸軍技師田村鎮(やすし)の設計により、近衛師団司令部庁舎として建築されました。 2階建煉瓦造で、正面中央の玄関部に小さな八角形の塔屋をのせ、両翼部に張り出しがある簡素なゴシック様式の建物です。丸の内や霞ヶ関の明治洋風煉瓦造の建物が急速に消滅していくなかで、官庁建築の旧規をよく残しており、日本人技術者が設計した現存する数少ない遺構として重要な文化財です。昭和47(1972)年10月に外壁、玄関および階段ホールが重要文化財に指定されました。翌年から保存活用工事が行われ、内側に新たに鉄筋コンクリートの構造体を設け、煉瓦壁体はあたかも外装タイルのように扱っています。屋根は震災後の桟瓦葺から建設当初のスレート葺きに復元されました。中央の階段回りとホールの部分は、当時の姿を残しているといわれています。東側に設置された和室も含め展示室は、東京国立近代美術館本館の設計者である谷口吉郎によって設計されました。(説明_東京国立近代美術館-工芸館のホームページより)
2008.05.12
コメント(0)

皇居三の丸平川門外大手濠端の小公園に「震災いちょう」と名のついた樹齢150年を超えたイチョウの木があります。 なんでも、かって、一ツ橋一丁目にあって関東大震災で付近が焼け野原となった中で奇跡的に生き残ったイチョウだそうです。 復興事業で切り倒されるところを、当時の気象台長岡田武松、復興局長官清野長太郎氏の尽力で現在地に移されたそうです。 詳しくは、説明板写真を読んでください。
2008.05.04
コメント(0)

スカイバス という屋根なしのオープンバスが東京の観光バスとして最近、人気を呼んでいるそうです。 皇居付近の街中を走っているのをよく見ます。 日本初の2階建てオープンバスということで、晴れの日はかなり気持ち良さそうですが、雨の日は白い合羽(レインコート)を羽織って乗っているようですが、どうですかね?
2008.05.04
コメント(0)

将門塚です。将門塚のカエルです。 将門塚のカエルには説が二つあるそうです。その一つは、江戸後期の戯作者、山東京伝の読本『善知烏安方(うとうやすかた)忠義伝』の影響という説。その内容は、「将門の娘、滝夜叉姫(たきやしゃひめ)が、父の故郷である筑波山のガマの毒気を浴びて妖術使いとなり、大蛇や化け蜘蛛(ぐも)などの妖怪を引き連れて、夢半ばにしてたおれた将門の復讐(ふくしゅう)を果たそうとする」というもの。 もうひとつは語呂合わせ。「カエル=帰る」である。つまり、東京から地方や海外に赴任することになった人が、「将門の首のように戻ってこれますように」と願をかけて置いたという説。 そう古いものでなく平成に入ってからのことだそうですが、滝夜叉姫の物語と無事『カエル』という思いが結びついて、カエルを置くようになったそうです。
2008.05.04
コメント(0)

神田明神の二ノ宮「少彦名命(えびす様)」像です。 明治7年、明治天皇が神田神社に行幸するにあたって、天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこととされて、平将門は祭神から外され、代わりに少彦名命が大洗磯前神社から勧請されました。 神田神社の二の宮である少彦名命の像は新齋館竣成記念として、平成17年に建立されました。造形は、少彦名命が大海原の彼方より、魚たちに守られ、木の実の船に乗って波間に来臨する可憐な姿を描いています。素材は金属で、東京芸術大学学長の鍛金作家でもある宮田亮平教授の制作だそうです。 詳しくは説明板の写真を見てください。 おまけに、神田明神の一ノ宮「大己貴命(だいこく様)」像を追加します。 昭和51年に造られたこの石造大黒像は、高さ6.6メートル、重さ30トンもあり、石造りとしては日本最大だそうです。
2008.05.02
コメント(0)

神田神社の境内にある力石です。力石は今の重量挙げの原型みたいなものだったんでしょうか、形は円か楕円らしいですが、いろんな重さの石があるそうです。説明板がありますので詳しくはこちらを見てください。
2008.05.02
コメント(0)

神田明神の鳥居近くにある狸の焼き物です。おなかの張り紙によると70才くらいでしょうか。とぼけた狸の表情が面白い。おなかの張り紙です。お土産店の脇に立っています。裏側ですが、鳥居の全体です。右端の鳥居の手前に見えます。正面には湯島聖堂の塀が見えています。少しUPして表示みます。どうでしょう。
2008.04.29
コメント(0)

高田馬場駅前の平和の女神像です。昭和46年7月に芸大名誉教授山本豊一氏が製作したそうです。 堀部安兵衛すけだちの場所である忠臣蔵の本来の高田馬場の位置は早大西門前あたりだそうです。そこからは、1.2kmも西へ外れた高田馬場(タカダノババ)駅前です。 高田馬場駅前のロータリーには高田馬場再興の記念として噴水(跡が待ち合わせ場所になっているようで学生?がたくさん)、花壇、平和の女神像、記念碑があります。
2008.04.22
コメント(0)

皇居の乾門の横にある乾濠小公園(乾門交番前の広場)の真ん中には籠瀬満夫 氏 (かごせ みつお 社団法人日展会員)作 「森の調べ」と書かれた笛を吹く乙女の像が立っている。「勇気と力技と健康を競う人人を楽奏により迎えたたえる乙女」と書かれた 銘文から製作は平成7年4月竣工と読めます。銘板です。
2008.04.18
コメント(0)

西新橋の日本酒造組合中央会ビルの入り口に飾ってある杉玉です。説明は写真の通りですが。造り酒屋の看板代わりですね。酒林説明
2008.04.08
コメント(0)

岡山市の路面電車の城下駅の地下広場にこんな像がありました。銘板は読み取れませんでした。
2008.04.06
コメント(0)

岡山の後楽園入口近くで鶴の乗った郵便ポストを見つけました。 ちょっと意味がわかりません。こんなポストです。鶴を拡大すると。
2008.04.06
コメント(0)

岡山駅前には桃太郎一行の銅像が建っています。岡山駅前前後面白いのは、子供の桃太郎も歩道の脇に建っています。桃太郎(ももたろう)は、日本のおとぎ話で、桃から生まれた桃太郎が、お婆さんから黍団子(きびだんご)を貰って、イヌ、サル、キジを従えて、鬼ヶ島まで鬼を退治しに行く物語。あらすじは「昔々、ある所に子供のいない老夫婦が住んでいた。ある日、お婆さんが川で洗濯をしていると、大きな桃が流れて来たので、お爺さんと食べようと持ち帰った。二人で桃を割ると中から男の子が生まれたので、「桃太郎」と名付けて大事に育てた。成長した桃太郎は、鬼ヶ島の鬼が人々を苦しめていることを知り、鬼退治を決意する。両親から黍団子を餞別に貰い、道中にそれを分け与えてイヌ、サル、キジを家来に従える。鬼ヶ島で鬼と戦い、見事に勝利を収め、鬼が方々から奪っていった財宝を持ち帰り、お爺さん・お婆さんの元に返り、幸せに暮らしたという。」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
2008.04.06
コメント(0)

世界コミュニケーション年記念ポスト(東京中央郵便局・1983年設置)だそうです。
2008.03.27
コメント(0)

こんなポストがありました。東京駅丸の内東京中央郵便局前です。万国郵便連合加入75年記念ポストだそうです。(東京中央郵便局前・1952年2月19日設置)
2008.03.27
コメント(0)

有楽町のゴジラのオブジェです。シャンテシネの前にあります。いままで何故か気がつきませんでした。何回と通ったはずなのに。
2008.03.25
コメント(0)

上野公園に発泡スチロールのオブジェが登場しました。 オペラする彫刻(東京のオペラの春2008)です。 作品名 恋文「主人公エフゲニー・オネーギンにラグレターを書くタチャーナを再現しています」東京藝術大学生の作品だそうです。チャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」にちなんだ彫像2組が制作されたようです。
2008.03.23
コメント(0)

西新橋交差点を日比谷方向に入ると、航空会館があります。航空会館の一階にミニストップが入っていますが、その前に女性の像が立っています。女性像「蒼天」 1 女性像「蒼天」 台座銘と製作者(2枚の画像重)「蒼天」という題が彫られています。側面に「彫刻 浦山一雄」とあります。女性像「蒼天」 2「蒼天」は、昭和53(1978)年に新たに航空会館が竣工された時に創られたもので、人間と天を結ぶ愛情のシンボル天女像だそうです。女性像「蒼天」 3浦山 一雄(うらやまかずお)、彫刻家、日展評議員女性像「蒼天」 4浦山 一雄 プロフィール 昭和8年富山県黒部三日市出身(東京都荒川区町屋在住)。美街学校在学中に、芸術院会員の斎藤素巌先生に弟子入り。昭和32年に日展に初入選し、昭和37年/日展「樹」特選。38年/日展「瀬」特選。40年/日展「道」菊花賞。41年/日展審査員を務める。42年/日展会員となる。47年/箱根彫刻の森美術館買上。49年/日展審査員を務める。55年/日展審査員を務める。57年/日展評議員となる。女性像「蒼天」 5
2008.03.15
コメント(0)

水戸駅にちょっと変わった形をした売店があります。 7・8番線ホームの北寄りにある「フレッシュひたち」型車両店舗「NEWDAYS」がそれです。前横後
2008.03.13
コメント(0)

「循環」という二人の女性像です。彫刻家「勝野 眞言」さんの作品です。設置場所:大同生命株式会社 霞ヶ関ビル 屋外ホール現在経歴:日展会員/日本彫刻会会員/白日会会員/名古屋芸術大学講師 <作家メッセージ> 都心に作品を置くチャンスがもらえました。人間をテーマに追求してきた者として、この空間にどのようなものが成り立つのか考えさせられ、人のかたちの中に、自然の事象を取り込んだ仕事を、目標としました。 大同生命霞ヶ関ビルは、東京タワーと国会議事堂が近くにある官庁街です。沢山の人が行きかうなか、人の在り方を一瞬問うことができればと思います。作家ホームページ http://www12.plala.or.jp/mkatsuno/かって、江戸城外堀(汐留川)に架かった虎ノ門そば「新シ橋」の位置付近に設置された女性像です。ちょっと目をひきつけた女性像でした。
2008.03.11
コメント(0)

水戸駅の前、二階が広場になっていて、黄門さま主従一行のオブジェがあります。隣にオブジェの説明碑が建っています。少し引いて写真を撮りました。隣の梅ノ木も入れてみました。
2008.03.06
コメント(1)

新橋駅西口のSL広場にある「愛の像」です。母子の愛を表した像だそうですが、静態保存されている蒸気機関車の前に立っています。 母の像でしょうか 彫刻家瀬戸団治氏の平和をモチーフにした作品だそうです。 愛の像の説明板です。 以前は西口広場に噴水があってその中にあったそうですが。 今はごらんのとおりです。 男の子の像でしょうか 三方からちがった顔が見られます。 蒸気機関車もいいですね。 女の子の像でしょうか
2008.02.21
コメント(0)

乙女と盲導犬の像 新橋駅の西口広場(日比谷側)に「乙女と盲導犬の像」があります。虎ノ門ロータリークラブの寄贈らしく、銘板には川内康範の詩が刻まれています。像設置当時の盲導犬はシェパードが主流で像の犬もシェパードだそうです。乙女と盲導犬の像の説明板です。乙女と盲導犬の像の台座には次のような川内康範の詩が銘板として埋め込まれています。裏側から見るとこんなです。
2008.02.19
コメント(0)

銀座に残された唯一の鉄道信号機と表示された踏切警報機が汐留シオサイトと高速を挟んで交差点横断歩道脇にあります。 車でこの通りを走っていたら一旦停止をしますか? 銀座の保存鉄道踏切警報機 かって汐留駅の貨物ホームの脇から分岐していた全長1.1km、単線の貨物支線の終点にあった地上駅の東京市場駅(とうきょうしじょうえき)をむすぶ日本国有鉄道東海道本線貨物支線跡に保存されている踏切信号機です。 現在復元されている汐留駅 踏切保存の理由説明板 汐留シオサイトとこの高速を挟んであります
2008.02.17
コメント(0)

津和野の町にある弥栄神社の祭礼に伝えられた鷺舞(重要無形民俗文化財)を模した鷺舞の像です。この鷺舞は古く(約六百年程前といわれています)京都の祇園会で演じられ、室町期に大内氏が山口の祇園会に移し、さらに津和野の弥栄神社の祭礼にも伝えられました。江戸初期に一時中絶しましたが、京都の鷺舞を再び移してきて今に伝承されています。なを、津和野町のシンボルはこの鷺の羽を広げた姿をかたどっているようで、いろんなところで見られます。説明板です【豆知識】 鷺舞はその昔、京都祇園会に風流として舞われたといいます。その後、今から四百年程前に、山口を経由して津和野に移りました。現在では、伝統的な形を伝承しているのは唯一津和野だけ。本家、京都の祇園祭で現在行われている鷺舞は、近年津和野から伝習し、復活したものです。「橋の上に降りた鳥は何んの鳥 河ささぎの 河ささぎの ヤァ河ささぎ 鷺が橋を渡した 鷺が橋を渡し 時雨の雨に濡れ鳥、鳥 ヤァ河ささぎ」 津和野の鷺舞にはこんな歌詞があります。この歌詞については、長い年月を経るとともに、歌いやすいように変化していったもののようです。 由来については不明な点が多いようですが、この歌詞に出てくる「河ささぎ」は本来「かささぎ(鵲)」であるという説があります。 「かささぎ」は七夕伝説の中で、織姫と彦星が逢う時、天の川に翼を広げて橋をかけた鳥であり、「かささぎの橋」は、日本の和歌の中でも、男女の結ぶ橋の意で使われていました。 この為、鷺舞の歌詞の中で、「鷺が橋を渡した」のは「かささぎの橋」であろうという考察があるようです。雌雄2羽の鷺が優雅に舞うこの舞からも、このロマンチックな説が伺えます。(マルチメディアブロードキャスティングHPよりhttp://www.mmbc.jp/mmbc/kokolo/sagi/maturiinfo.html) 鷺舞の像と津和野の町を少しひいて3枚撮りました
2007.12.22
コメント(0)
全196件 (196件中 1-50件目)