関本洋司のblog
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武田泰淳(1912-1976)の作品に『審判』(1947)という短篇がある。 日中戦争に一兵卒として参戦した主人公が日本にいる婚約者との約束を破り、戦後も上海に残り続けるというものである。ここで、主人公二郎の動機を説明する二郎自身の手記が後半で展開され、後半部は一種のなぞ解きとなっている。 泰淳自身は仏教徒であるが、題名の『審判』はヨハネ黙示録から引用されたものだ。ここで作品後半部のなぞ解きを明かすなら、主人公は誰にも裁かれない自分の犯した戦争犯罪を自身の手で裁くために、あるいは裁かれないこと自体を忘れないために主人公は上海に残るのである。 この物語は『ビルマの竪琴』を思わせるが、圧倒的に違う点は、自身を裁くという緊張感である。いうなれば、他者からの視点をこの作品はエクリチュール内外で維持し続けているのである。 ただ、この作品は筑摩書房の教科書(『現代文(改訂版)』教科書番号筑摩143現文555)で採用されたものの、文庫その他で入手することが困難なので、一般に読まれることが少ない作品である(武田泰淳全集第二巻所収)。泰淳の代表作とも言える完成度を持ってはいるが、泰淳作品に特有のいつものユーモア(二つの中心)がないので特殊な作品と判断されているのではないだろうか。 上海を扱った作品は泰淳の中で、重要な位置を占めており遺作も『上海の蛍』という題名であり、その作品はまだ上海に蛍がいたころの泰淳の回想を扱っている。実際に泰淳は一兵卒として参戦し、その後文官として再び戦争中に上海へ渡りそこで働き、上海で終戦を迎えている。『審判』は最初の中国参戦を題材にし、一方『上海の蛍』はそのあとの文官としての体験を扱っているが、最晩年まで上海という場所を忘れないでいることから明らかなように、『審判』で表明された歴史意識は終生泰淳から離れなかったものだとも言える。 ちなみに、最近中国の経済成長が喧伝されているが、1930年代の途中で止まった成長を再開させているだけにすぎない。戦後、泰淳の関心は、政治から経済へと移行するが、消費社会が均質化を成し遂げた点を考えれば、「消費社会こそ真のファシズム」(パゾリーニ)とも言えるし、近代以後の資本の論理によってネーションが捏造された過程を考えれば(これは西洋やイスラム社会にも見られる)、泰淳の消費社会ヘの没入はさらなる政治に対する高度な分析とさえ言い得るのである。 泰淳は作品の最後に、中国に留まった主人公の行動が、はじめてのものではなく、三人目のものであることを主人公の告白の中に付け加えている。泰淳はこのような自己断罪の態度を特権化しようとしなかったのだ(主人公の名前が「二郎」だったということも思い出される)。 また、この作品は泰淳自身の戦場での体験の告白になっているとも思われるが、そのような「仮面の告白」としての側面の研究も待たれる作品である。
2004年10月28日
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