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「サ条約」11条に関して、また反論を頂いたので。こちらも解説。まず、西村局長の説明について。-------------------------第十一條は戰犯に関する規定でございます。この條約の規定は、日本は極東国際軍事裁判所その他連合国の軍事裁判所がなした裁判を受諾するということが一つであります。いま一つは、これらの判決によつて日本国民にこれらの法廷が課した刑の執行に当るということでございます。そうしてこの日本において刑に服しておる人たちに対する恩赦、特赦、仮釈放その他の恩典は、将来は日本国政府の勧告に基いて、判決を下した連合軍のほうでこれをとり行うという趣旨が明かにされております。極東軍事裁判所の下した判定については、この極東軍事裁判所に参加した十一カ国の多数決を以て決定するということになつております。一体平和條約に戰犯に関する條項が入りません場合には、当然各交戰国の軍事裁判所の下した判決は将来に対して効力を失うし、又判決を待たないで裁判所が係属中のものは爾後これを釈放する、又新たに戰犯の裁判をするということは許されないというのが国際法の原則でございます。併しこの国際法の原則は、平和條約に特別の規定がある場合にはこの限りにあらずということでございます。従つてこの第十一條によつて、すでに連合国によつてなされた裁判を日本は承認するということが特に言われておる理田はそこにあるわけでございます。-----------------------西村氏は「判決を受諾する」という解釈の余地について語っているのではなく、対外的な条約関係、及び、対内的な施行の上での行政的意義について語っているのであって、何処にも、判例法理を踏襲するか否かについて、言及していません。これは単純に裁判管轄権の事を言っているのであり、「当該裁判所(連合国)に、日本国として管轄権を認めるか否か」の問題であって、それは直ちに「判旨に同意する」という結論には至りません。我々の普段の裁判を見ても分かるように、負けた側は、基本的に判決に納得出来ないでしょうが、法廷に立つという事は、裁判所んの裁判管轄権については、認めているという事です。西村氏の答弁は、頭から「裁判」以外の用語の選択肢について、考ているのではなく、単に日本政府が、(「裁判」だろうが「判決」だろうが)この11条にサインしないと、裁判自体が違法になりますよ、と言っているにすぎず、この「裁判」の用語が、「判決」であったとしても、何らこの問題の抗弁にはなり得ませんね。次に佐瀬議員の質問----------------------------次に平和條約第十一條の解釈に関連する問題でありますが、この條約によると、日本が極東裁判あるいは各地の戦争犯罪の軍事法廷において下された判決を受諾する、そして刑の執行について国内にある受刑者を担任するということになつておるわけでありますが、この判決受諾という意味が多少あいまいな点があるように見受けるのであります。申し上げるまでもなく、裁判というものは法を大前提として、また事実を小前提として三段論法で結論つけられた判決主文によつて構成されております。ところが戦争犯罪に適用さるべき法そのものについて、あるいは軍律あり、あるいは成文化された国際條約あり、あるいは国際慣習ありで、なかなかこの法自体が捕捉しがたいものがあるのであります。しかして事実については、外地における戦争犯罪、特に俘虜虐待とかいうような事柄になりますると、言語の関係あるいは弁護の不十分等いろいろな点からして、事実を証拠上確定することがきわめて困難であるにもかかわらず、そういう法に基いて、またそういう事実のとらえ方に基いて、死刑に、あるいは無期、あるいは有期の懲役に処されておるというのが戦犯裁判の実相であります。そこでこの條約十一條のその判決を受諾するという意味は、そういう法やまた事実等の前提とされた事柄をも全部含めて、裁判全体として日本がそれを承認する意味であるのか、あるいはさにあらずして単に有期懲役あるいは無期懲役というようなものに処せられたその結論的な主文だけを日本が承認して、その刑の執行を連合国にかわつて、あるいは委任に基いて、あるいは委譲に基いてそれの執行の任に当るにすぎないのかどうか。もし法や事実の認定についてもこれが日本政府として受諾するということであると、いわゆる再審すること、すなわち再び調べ直しをするということは、これは除外され、出来ないということにもなるように考えられ、もしまたそうでないとするならば、あるいはこれに対する再審なり、あるいは異議の申立てとかいつたような、さらに根本的に救済する道がなおそこに許されておるやにも思われるが、どうか。--------------------------要するに佐瀬議員の言いたい事は、裁判内容を受諾 → 一切の疑義を差し挟んではならない。判決内容を誠実に履行 → 権限の委任を受けるわけだから、審理をやり直す権利アリというかんじでしょうが、そもそもこの考え方自体が間違っています。個人間に例えるなら、これは無権代理の話になりますが、無権代理で為された契約といえども、本人が追認するまでの間は「取り消しうる」契約であって、契約自体が原始的に無効であるわけではありません(法律効果はある)。ですから、効果について、本人(日本政府)が包括的に追認すれば、当該契約効果自体が有効になり、一から契約を作り直す必要はありません(判決効果の確定)。しかし、だからと言って、無権代理人(連合国)のやった事や、契約手続について本人が代理人を非難するな抗弁するなという、左様な要請は、どこにも無い。単にそういう非難や抗弁は、法律効果としての前法律関係(契約)の抗弁とならないだけの話です。「契約効果」と「契約過程」は切り離して考えるべきであり、サ条約については、契約効果に関する包括的合意にすぎないというのが、ボクの解釈です。次に、大橋法務総裁の答弁について。-----------------しかしながら第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります。従いまして今後これらの受刑者に対する刑の執行にあたりまして、日本政府が日本の裁判所あるいは行政手続によつてその判決の内容を再審査するというようなことは考えられないと思います。一応確定の裁判としてこれを受諾する。------------------なかなか的を射た答弁ですが、ちょっと誤解を招きかねない所もあります。法律用語で言う手続法上の「裁判」とは「判決」「決定」「命令」を合わせた概念を指す(刑事訴訟法43条、44条等参照)ので、ここで言う「裁判」とは、裁判所の権限で行われる、法律関係を生ぜしめる効果宣告を意味します。だから、連合国の裁判管轄権を争わない以上、「裁判」だろうが「諸判決」だろうが法律効果については、日本国は言わば「追認」したものと考えるのであって、かりに事実関係を再審査としたとしても、法律効果を生ぜしむる事は出来ません。大橋法相は、至極当然の事を言っているまで。佐瀬議員は、おそらく、この法律上の「裁判」の用語の意味について、具体的に知ることなく、一般的な意味あいで認識して質問したのでしょうが、その危機感については、やはり正しかったと言えます。案の定「裁判」を判旨や論理構成まで、全て包括した概念であると解する連中が出てきました。次に、法律効果というのは、法律の要件を原因として発生する、法律関係の変動の事ですから、例えば「AさんがBさんに対し、Xを法律の根拠として、Yという債権を持つ」という事を言うのであって、それ以上でも以下でもありません。問題となるのは「Xを法律の根拠として」という部分ですが、ここで裁判所が使う「事実認定」は、司法権が個々の事実に関して、合理的な疑いを容れない程度の包括的心証の事を言いますから、「お前を色々な角度から見てみると、どうも人を殺したらしい、人を傷つけたらしい」という広範な裁量での包括的な疑いがあれば足りるので、個別の証拠で小さな齟齬や矛盾が出てきても、あまり問題はない。しかし、当事者は、個別的な証拠についてプロテストする権利は、常に留保されていると解するべきです。ですから、被告人には、個々の事実については、常に真実を語る権利があり、この被告人は、裁判所の裁判管轄権を認めたとしても、例えば「殺人罪で懲役3年」という法律効果を受忍すれば足り、生きている限り、自分の裁判の事実認定や判例法理について、一般人と同じように文句を言う事ができます。(まあ、そうでなけりゃ、三審制自体が成立しませんけど)それにしても、外務省見解ですが…http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/09.html>この裁判については様々な議論があることは承知していますが、我が国は、サンフランシスコ平和条約第11条により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しており、国と国との関係において、この裁判について異議を述べる立場にはないと考えています。 官僚の考えそうな、文章ですね(笑)
2007.01.29
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前エントリに対する反論みたいなのを頂いたので。>英語がどうのフランス語がどうのスペイン語がどうのという、まあよくパターンであり、フランス語、スペイン語については、日本政府が「裁判長は英語で読み上げた」と門前払いしていると申しているのに、お分かりになってない様子。そもそも日本政府が「裁判」という用語を追認する根拠自体が薄弱だと言っているのに自説の正当化根拠として、日本政府見解を持ち出されても、困りますね(笑)ましてや、「英語で読み上げたから」というのが、「裁判」という用語を支持する理由に足るのか、甚だ疑問だと思いますけど。で、当時の公式訳は、英語、仏語、西語、日本語であったのだから、比較する事に何か問題でもあるでしょうか?日本政府が一つの「解釈」を示すこと自体に反対はしませんが、明らかに別の解釈をしている例が、当時の連合国側が公式の文書として出している以上、権威性は同レベルです。少なくとも、おそらく英語圏の人間も「判決」を意図し、フランス人が「判決」、スペイン人が「宣告」、すなわち、総合して「決定事項」を受忍する事であると解している事を「判旨」も受忍すると解しうる訳をした事について、翻訳当時は問題にならなかったのかもしれないが、解釈の倒錯が出てきた以上、問題であると言っているのです。>私もこのjudgementを判決と訳すことに反対しませんけど、「有罪無罪の判決及び刑の宣告」ってのはどこから出て来たのか不思議。有斐閣の国際条約集「極東軍事裁判所憲章」の該当部分です。で、第9条ハについてですけど、In the absence of such request the Tribunal may appoint counsel for an accused if in its judgment such appointment is necessary to provide for a fair trial.について、ここで使われている「in its judgment」という言葉が「法廷の判断において」という意味だから、サ条約の当該部分も別の解釈をし得るんじゃないかって批判ですけど…はっきり言って言いがかりのレベルであると思います。何故なら、上の部分におけるjudgmentは、法律用語のjudgmentではありませんし、むしろ当該憲章が、意思決定の主権者たる「法廷」を「tribunal」、意思決定過程としての「裁判」を、「trial」というふうに、確定的な法律用語を使用して書いている以上、「judgment」をそれと混同の恐れのある訳語「裁判」と訳す事自体が、不可能であったという事です。Tribunalが行う、trialという一連の行為の中に含まれるjudgmentやsentenceが、施行細則と妥結法規(まあ、最広義で判決と解釈してもいいでしょう)で違っていては、法律関係が成り立ちません。これと似た例を挙げるなら、例えば、「悪意」という言葉は、民法の世界では、一般的に「当該法律関係について知っている」という事を意味しており、「悪い意図をもっている」という意味ではありませんが、民法の条文の中には、817条1項のように、「悪意の遺棄」という言葉が出てきます。この場合、「悪意」とは、「悪い意図をもって」という意味でありますが、この事を取り上げて、民法全体における「善意」「悪意」という言葉自体の意味を当事者の判断に任せたり、他の部分についての意味を覆したりする事など、あろうはずもありません。論争になるのは「どの位知っていたか」であって、用語の意味自体が論争になる事はありません。是と同じように、当該法規の中に別の意味の「judgment」という言葉があったとしても、手続き上の主体や行為形態等を示す基本概念たる、「trial」「court」「sentence」「judgment」等の言葉自体が、解釈の余地を残しているというのは当たりません。まあ、そもそも「裁判を受諾する」という日本語自体が意味不明ですが、裁判所が当事者に判決を申し渡した場合、当事者に求められるのは、判決の決定事項、執行内容に関する受認であって、判旨に関する受認義務等、あろうはずもありません。もしあったとしても、実効性は、限りなくゼロに近い。だから、裁判内容の受忍と解するのは、相当ではありませんね。
2007.01.28
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最近、ここに便乗して反論するのが日課になっとりますが…(笑)今回は所謂東京裁判の「裁判」か「判決」か論争ですが、はっきり言って、理論的、学術的には「裁判」なんて訳語が通るわけがないのに、政府が無理に押し通しているとしか思えません。まるで「自衛隊は戦力ではない」と未だに言っているのと同じで、さっさと判例変更(笑)してくださいって言いたくなりますね。現在、国際法学会においてどうも学者達はこの件に関しては、名言を避けているようですが、青山学院大の佐藤先生が「判決」派の中心人物です。ボクも、この件に関しては、佐藤先生の説を支持したいと思います。ボクが、佐藤先生の説を支持するのは、用語の正しい意味、及び、比較言語学的な見地に立っての事です。確かに、judgmentには、「裁判」という用語の使用例も無いわけではないです。一般的には、trial、proceeding、case等の単語が使われますが、それが、問題をややこしくしています。judgmentは、「裁判」という訳語を当てるにしても、必然的に裁判所の表意行為、即ち心理部分を強調した形で使われます。東京裁判の根拠法「極東国際軍事裁判所憲章」の第五章の表題は、「judgment and sentence」とあり、これの日本語訳は、「有罪無罪の判決及び刑の宣告」です。このjudgmentを「裁判」と訳すと、意味不明な表現になってしまいますね。judgmentを裁判と解すれば、sentenceは必然的にそれに含まれるのですから、わざわざsentenceを特徴化する必要が無いからです。故に、根拠法に忠実に解釈すれば、これは「判決」を意味している事になる。入り口で「判決」だった物が、外務省が何をとち狂ったのか、「裁判」なんて訳し、それに政府がこれまたわけもわからずお墨付きを与えている物だから、倒錯した解釈が罷り通っているようです。東京裁判に関する佐藤先生の本から、引用しますが、該当部分のフランス語文。>Le Japon accepte les jugements prononc s par le Tribunal Militaire International ボクは、フランス語はあまり詳しくないので、佐藤先生の説をそのまま引用しますが、ここでは、「言渡された判決を受諾する」(accepte les jugements prononc s par……)と書かれており、フランス語では prononcer un jugement と使った場合、「判決」を下す(言渡す、宣告する)の意味であって、この場合 jugement に裁判の意味は、ないようです。まあ、動詞が英語のpronounceですから、「裁判」だと、意味不明になっちゃいますね。次に、ボクの第二の母国、スペイン語文。>El Japon acepta las sentencias del Tribunal Militar Internacional del Extremo Orienteスペイン語文は、非常に明確です。解説しておくと、スペイン語訳では、あえて「el fallo」(英語のjudgment)ではなく、「la sentencia」(英語のsentence)という言葉を使っている、即ち、「判決」の中でも「刑の宣告」に限定しています。何故、「la sentencia」という言葉を使ったのかは不明ですが、これは、ヨーロッパ人の共通意識を明確化している「意訳」と解されます。即ち、裁判所の「宣告」は、お聞きしました、お話は承っておきましょう、という事で、非常に明確です。外務省の「裁判」の訳語は、ポツダム宣言の「黙殺」と並んで、戦中戦後の最大の誤訳だと思いますね。
2007.01.26
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最近、徴兵制の危険を訴える方に反論する形で書いていますが…「未来は、我々にコントロール出来ない」まるで「将来、社民党が政権を取る事もあるかもしれない」とか、「当選確実が出ているからって、そのまんま東が知事になるとはまだ決まっていない」と言うのと同じくらい説得力の無い理屈だと思います。100%でなければ、統計学的に結論付けられていても、「可能性がある」と言いたいのでしょう。戦力配備に関する、ナナシィさんの計算は、非常に参考になりますが、もし、シナとの全面戦争を想定していたら、日本の自衛隊オンリーでは防ぎきれません。しかし、北の将軍様ならいざ知らず、日本を攻めるのには、無茶苦茶なリスクがある割には、領土的利益は、殆ど無いに等しいと思います。ガキのように玩具を欲しがる野心しか持っていない人間ならともかく、常識的に考えて有り得るのは、経済封鎖や核脅威をチラつかせて、実質的利益を取る事であるし、又、南沙諸島等でも見られた、局地的な小規模な紛争でしょう。逆に日本の側は、それを撃破して、網を食い破るだけの戦力を保有していれば足り、持続的に補給を必要とする軍隊構造を取らなくても良い、という事が言えます。これは、日本が島国であり続ける限り有効でありましょう。次に、「徴兵制で集めた兵隊」と、「志願制の兵隊」では、例え、同一の年限でも能力差は、著しいという事が言えます。例えば、徴兵で集めた兵士と志願制の兵士、徴兵で3年の年限を定めてあったとして、10人のうち、同じように技能を修得した人間が、5人いたとしましょう。当然、徴兵制は、入れ替え制ですから、当該年度の技能取得者は、次の年度には限りなくゼロに近くなる。ゆえに、毎年5人しか技能取得者がいないという結果になります。ところが、志願制ならば、5人の内、少なくとも2、3人は次年度も在籍するでしょうから、毎年度平均的に7人以上の技能者を雇っておく事が出来る計算になります。(無論、同じ5人であるのは、理論上の話であり、選抜を受け、モチベーションも高いこと等を加味すれば、志願制の方が、技能取得率が高くなるのは自明です)そうすれば、年限が同じであったとしても使える隊員が、どれだけいるか、という事に関しては、雲泥の差が出てくるという事になりましょう。ですから、アメリカ陸軍の若年兵率をデータ提示しても、何の意味も成さないといえます。ハイテク化は、「素人でもよい」と同義?至極当然な話、F1は、ハイテクの塊ですが、F1のピットクルーは、あのマシンのオイル補充やタイヤ交換を一般ピットで概ね8秒以内に、済ませられなければ、仕事になりません。戦闘機の整備員は、スクランブルのたびにあれと同じような事をいつもやって、高稼働率を維持しなくてはいけませんし、パイロットには、さらに技能が求められるでしょう。特にパイロットは、若くて体力があり、運動能力にも相当な物が必要でしょうが、彼らが若い事をもって、「徴兵制でも補える」と言えば、ちょっと待ってくれとも言いたくなります。同じ数のパイロットを揃えるために、一体、何十倍の「ムダ」が必要になってきます?冗談じゃないって事ですね。まあ、この方のコメントを見れば、兵士を会社にいる、「いないよりはマシ」な警備員程度にしか考えていない事がよく分かりますけど、自衛隊が欲しがっているのはそういう人材でない事は、二等陸士と、曹候補士以上との倍率差を見れば、誰もが納得出来る事かと思います。つっ立ったり巡回したりしていれば仕事になるなら、そんな物は、徴兵制でやらなくても、俸給アップすれば、世の中、自分に生命保険かけて自殺するほど追い詰められている人間はたくさんいますから、いくら危険でも、喜んで応募してくるでしょうね。自民党が草案から徴兵制を削除したのは、徴兵制を視野に入れているから?何とかの勘ぐりという奴だと思います。徴兵制よりも考えられる選択肢は、昨今、人気の予備自衛官補のような予備役の隊員を増やすとか、アメリカのように警備会社等民間企業に、部分的にアウトソーシングしていくという方法です。要するに、もし本当に人員難になれば、徴兵制を採らなくても、グレーゾーンの人間は、存在する可能性が高くなります。こういった人達の憲法上の地位を巡り、争いが生じる事を避ける為には、憲法上多くの規定があるよりは、(事実上の徴兵に当たるのではないか、といった論争を故意にしたがる人がいますからね(笑))身分関係を規定した下位法規でかっちり決めてしまえば、当該法規が違憲判決を受けない限り、そういった論争を生じさせる素地を生まないであろう、という政策的判断があるでしょう。まあ、こういった議論とは別に、現実に本格的な戦争になった場合、草莽の志士即ち義勇兵をどう扱うかという事も視野に入れておけば、徴兵制禁止の規定をわざわざ置く必要も無いと個人的には思います。それでは、ボクが有り得ない…という理由を整理したいと思います1.あのアメリカですら、徴兵制をしいていない。人口1000人あたり5人が兵士のアメリカでも!現在、日本は、人口1000人あたり2人の25万人。即ち、単純計算で63万人が軍人でも、徴兵制を採らなくてよいので、現在の2倍の人間を雇っても、余裕でお釣りが来るって事ですね(笑)2.海外に出て行くとしても、防衛上、海空に重点を置いた地政学的組織構成から考えて、主要な軍事活動の補助要員に過ぎない日本の陸上戦力が致命的に欠乏する可能性等、無いに等しい。3.ギブ・アンド・テイクだから、軍隊を派遣しなければならない、故に、兵員の穴が出来、徴兵制を敷かなければならない、というのも論外。何故なら、徴兵制をしく前にまず、そういう選択をとらないという政策的判断がなされるはずであり、又、百歩譲って欠員が出たとしても、アウトソーシング等で技能を持つ人間を賄う方が、経済原則からも妥当である。日常的に膨大な数の人間を雇わなければならない(徴兵基準が公平でなければならない以上、組織を制度に合わせるしかない)のは、如何にも燃費が悪い。4.軍隊構造からして、兵站部隊をあまり多くない日本が、自国の防衛に穴が開くほど多くの兵士を海外派兵出来る筈が無い。仮に、自衛隊の構造改革をして、大量に派兵可能なシステムにすれば、領土防衛の観点から、異常なムダが生じる事は、否定できない。故に、やらない。こんなかんじですね。
2007.01.22
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ずっと今まで、父方の祖先については、色々教えられ、又、自分でも学習していたのですが、母方の祖先については、田舎侍であった事ぐらいしか知りませんでした。この間、ひょんな事から好奇心にかられ、母方の直系のルーツを調べてびっくりしました。なんと、司馬遼太郎の「峠」という小説に実名が出ていました!凄い…(汗)中学生の時に読みましたが、まさか自分の御先祖様だったとは!400年以上も郷士として在来で土地にへばり付いていて、姓が地名になっているような大身旗本の父方の祖先と比べて、母方の祖先は随分移動が激しかったようですが、もとは、北陸は長岡藩牧野家の400石クラスの侍だったようです。400石というと、いかにもショボいですが、幕末に河井継之助という不世出の英雄を輩出した藩において、藩政改革では、彼を下支えしながらも、戊辰戦争において、彼と対立した数少ない「勤皇派」の一人が、うちの母親の祖先。風雲急を告げる時代にも、刀を抜くことなく、民百姓と遊んで暮らしていた父方の祖先と全く正反対で、激動の時代に、若くして藩政の重大な役を引き受けた母方の祖先には、頭が下がる思いです。結局、河井の逆鱗に触れて失脚し、長岡の復興を果たした後は、歴史の表舞台から去っていった、父方以上の斜陽族だったみたいですね(笑)ちなみに、山本五十六氏のルーツである山本家とも深い関わりがある事がわかりました。ますますもって凄い…山本提督と繋がっちゃった(笑)そんなわけで、話は飛びますが、ルーツを調べるべく北陸を旅して、やっぱり「専守防衛」「武装中立」は、夢物語だと実感しました。ボクは、河井の戦略は、佐幕派と薩長を天秤にかけて、第三勢力として、調停役になる事だった、と思っていましたが、どうもそうではなくて、ただ単に、戦いたくなかったが、藩論が、薩長ぶった切ってやる!だった為に、仕方なく武装中立論を採ったというのが、真実のようだと、色々調べて知りました。ならば恭順派であった、母方の祖先の気持ちは、痛いほど分かったはず。手塩にかけてかわいがった部下を処罰しなければいけなかった、継之助の無念、いかばかりの物か、察して余りあります。しかし、敢えて守勢で迎え撃つ方法を取った河井の戦略は、如何にも筋が良くありません。近代装備の官軍に、太刀打ち出来なかったというのが通説ですが、雷管式の銃が、そこまで高性能だったかは、ちょっと疑問が残りますし、アームストロング砲にしても、攻城戦ぐらいにしか役に立ちません。敵の戦線を延ばし、銃騎兵による奇襲を繰り返せば、敵は、野戦を挑まざるを得なくなる。野戦になれば、ご自慢のアームストロング砲も、大して威力を発揮しないどころか、かえって部隊行動の足手まといになります。結局、日本の戦争は、どうしても城取り合戦になりがちで、誘導や奇襲、天嶮を利用した戦術が見えて来ない。戦国時代、そういう事を生業とする人達(傭兵)を「○○衆」と言うように、蔑んで呼んでおり、戦術の外道だと解していた事からも、「本当に勝つ気があるのか」と、現代人の合理的思考では、疑わざるを得ません。欧州の要塞のように、ちょっとやそっとの兵糧攻めではビクともしないような都市型要塞ならいざ知らず、小城を守るのにそこまで、努力しなければいけなかったのでしょうか。政策面でも、河井の戦略は何もかもが後手後手に回っている。会津には、長岡の縁続きの者も多く、当然、藩論は反薩長だったでしょう。一戦交える事も辞さず、という態度は良かったけれども、正攻法にこだわりすぎ、機を逸してしまった感があります。無論、北越軍が正面から薩長軍と当たる事は避けるべきでしょうが、会津が、薩長と紛糾するであろう事は、藩主松平容保の性格からして、自明の事だったのですから、会津が破れてから助命嘆願した所で、それは、黄犬的な講和条件にならざるを得ません。だとするなら、薩長に二正面作戦を取らざるを得ない方法を取り、戦術的な勝利をおさめて、講和にもっていく方法をとるべきだったのではないか、もし、それが出来ないなら、恭順の意を示すべきだったのではないか…合理的に考えれば、そうなのですが、河井にも「武士の一分」があったという事でしょうかね。
2007.01.19
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ここ何日か書いている徴兵制のネタ元は、ここなんですけれども、今度は、「兵の士気について」です。いわく、徴兵制で集めた兵隊でも、危険を認識すれば、自ずと一生懸命戦うはずだ、要するに「豚の木登り」の理屈ですね。確かに戦史上、豚をおだてて木に登らせた例は存在します。一番に思い当たるのは、韓信の「背水の陣」ですけれども、(韓信は、決して袋小路に味方を追い込んだのではなく、正確には川に沿って、自軍をスライドさせる事で、敵の戦線を延ばし、敵城を空っぽにする時間稼ぎをした、というのが、正確な表現だと思います。)これは、奇襲や誘導等の、戦術的なカンフル剤とでも言うべきものであり、これが主たる戦略になれば、むしろ逆効果になります。大量の奴隷を生きるか死ぬかの状態まで鞭打って働かせたところで、資本主義経済の効率に到底追いつかないのと同じように、精神的な重圧が長引けば、四面楚歌になった楚軍のように、組織を土台から崩しかねないのは、想像に難くありません。ところで、昔の戦争では、数の少ない部隊が大軍をやっつける例は、たくさん存在しますが、これは、昔の軍隊の性質として、大将がやられてしまうと、各部隊の意思疎通がうまくとれなくなってしまうという状況があったからですね。要するに、大将がやられてしまった時、下士官クラスがきちんと指揮を取れない為に、兵隊は蜘蛛の子を散らしたように逃げてしまう。そこの所を是正して組織改革を行った武田(軍人としては、信玄公より勝頼の方が才能があったように思います)や真田という戦国武将は、その異常に高い統率力で、戦国の世に足跡を残しました。こういう事を加味すると、士気とは厳密に言うと、「やる気」とは違います。逆境に立たされたとき、経験則上導き出される、知識や泰然自若とした心、味方が裏切らないという暗黙の信頼感も士気の重要な要素であり、単にやる気だけの問題ではありません。将棋で言えば、定石を知っていても名人になれるとは限らないが、定石を知らざれば、須らく名人になれないのと同じで、駒の動かし方を知っているだけでは、いくら能力があっても、所詮、各駒がスタンドプレーしているにすぎず、組織は機能しない物です。しかし、定石を知っていれば、少々ヘボでも、それなりに将棋を楽しむ事が出来ます。士気とは、まさしくこの「定石を知る余裕」と符合すると思います。話を戻して、もし「生命の危険」だけが士気の根拠だとすれば、そういう人間は、追い込まれれば、敵と内通したり、勝手に逃亡したりしないとも限りません。日支事変中、シナには、逃げる味方を射殺して、前線へ戻す督戦隊という部隊がありましたが、それがあったから、シナの軍隊は強かったかというと、そんな事は全くありません。日本軍は、数の圧倒的劣勢を跳ね返し、連戦連勝。マッカーサーをして、一個師団を率いてみたいと言わしめた統率は、士気という土台があったればこその話ですね。しかしそれにしても、「愛国心」という言葉に異常に拒否反応を示す人々が、それを根拠にした徴兵制の利便性を訴えているのは、ブラックジョークとしか思えません。
2007.01.16
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・徴兵制の方が、優秀な人材を集められるのかまず、難しく考える前に、みなさんの会社で考えてみましょう。新入社員がある程度使えるようになるまで、何年かかりますか?後輩にちょっとした指示を出すことが出来る、例えば係長クラスになるまで、何年かかるでしょうか?飲み込みの早い人でも3、4年はかかるのではないでしょうか。徴兵制とは、入れ替え制ですから、普通の会社に例えるなら、バイトやパートです。傭兵制が、ハケンでしょうか。バイトやパートは、最も広い範囲から人材を集められますが、その事をもって正社員よりもバリバリ仕事をしているかというと、そんな事はありませんよね。また、傭兵のように、個性に着目して雇用する事が出来ません(傭兵の値段は、個性の値段と言っても過言ではないでしょう。)から、自ずと「期間限定」「雑務的」仕事しか出来ません。なので、訓練する側も、それに合わせたプログラムしか組めない事になり、質の低下は、免れない…と簡単に結論が出ます。実際に、現行の自衛隊内部を見てみても、昭和50年に下士官クラスを養成する為に、一般曹候補学生制度を設置してみたものの、二年間の訓練期間を終えて自動的に曹クラスに上げてしまうと、どうしても能力不足の人が出てきてしまう為に、これと合わせて平成2年に、昇任に選抜を要する曹候補士制度を導入しています。又、幹部候補生の年齢上限は25歳と、一般的な官公庁の幹部職員に比べて厳しく、自衛隊が幹部の質を求めている事がよく分かります。要するに、自衛隊は、下士官クラスもしくは、幹部候補生クラスを欲しがっているのであって、兵卒クラスから早く卒業してくれるように、一生懸命バックアップしている事がよくわかりますし、二年やそこらでは、年がら年中、軍隊づけでもやはり一人前になれない人も一定数いる仕事だというのも、お分かり頂けると思います。よって、兵卒クラスでもいいから、とにかく、頭数を揃えろというのは、旧時代の発想以外の何物でもないと、結論付けられます。・徴兵制は、国民皆兵制とは、違うのか国民皆兵制は、徴兵制の一つであって、徴兵制=国民皆兵製ではありませんが、現代の法の下では、徴兵の選定基準に差別的規定を置く事は出来ません。戦前のように、戸主や跡取りを免除したり、身代金を払えばOKなんて事は、差別以外の何物でもありません。だから、徴兵制を導入すれば、韓国のように大物俳優でも行かなければいけないし、そういった事を避けるために免除規定を増やせば、実質、シナのように徴兵制自体の崩壊を招く事になります。また、合理的な選定基準を満たした上で、国が作為をもって採用対象を絞るのも、違法だと言えます。即ち、「健常者」と呼ばれる者の中から、国が必要な数だけ、体の大きい人や、格闘技の心得のある人等、欲しい人材をピックアップして採用するのは、明らかに違法な差別です。これは、憲法が禁ずる所の「奴隷的拘束」以外の何物でもありません。よって、実質的に徴兵制となれば、組織を制度に合わせるしかない。こんな本末転倒な事は、およそ軍政上の外道だと言えるでしょうね。
2007.01.15
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改憲によって、徴兵制が復活するという論理が見受けられましたので、ボクも若干言及しておこうと思います。まず、歴史的に見た場合、徴兵制という物が何ゆえ発生したか、という事を考察しましょう。これを見れば、徴兵制のメリットが理解でき、そのメリットが現代に通用するか否かも導き出せる事でしょう。近代的な徴兵制のメリットは、若く健康な男子を一定数、前線に配備出来るという事と、兵員の均質化を図れるという事。要するに、何処の馬の骨ともわからない傭兵連中が、今日はドイツ軍で明日はフランス軍というように、戦場で跳梁跋扈していた時代にあっては、ある程度出自がはっきりしていて、働き盛りの屈強な若者を沢山お膝元に置いておける、というのは、確かに魅力的だったとは思います。また、山賊の親玉みたいな傭兵と毎度毎度、ぶるぶる震えながら金額交渉し、法外な金をむしり取られる王様にしてみれば、自分の国の若者達に働いてもらった方が、精神的にも負担は少ないでしょう。しかし、これはある意味、総力戦と国民軍時代の産物だと言えますから、非常に時代遅れです。ナポレオンがドイツの精強な傭兵相手に勝てたのは、彼の指揮能力もありましょうが、基本的には、数の論理と、国民的団結という、士気高揚効果があったればこその話です。しかし、どちらももはや、現代にはそぐわない。むしろ、軍隊の図体が大きくなれば、コストの方が馬鹿になりませんし、安かろう悪かろうの軍隊が通用したのは、朝鮮戦争まででしょう。何故なら、大国同士が、覇権国家を除いて、全面戦争を想定した軍隊づくりをしなくなったから、数を揃える必要が無くなった。大戦後になって、世界の国が特殊部隊を揃えるようになったのも、民間軍事会社が、特殊部隊の訓練課程を修了した退役軍人に高額なマージンを用意して待っているのも、そういう需要が高いからであって、世界は、再びプロを求める時代に入っている、と言えます。また、日本の戦闘機の稼働率がダントツ世界一なのは、整備員の技能が世界トップだからであって、これらの事は、一朝一夕に習得出来る事ではありません。これを俄かごしらえ整備員にやらせる事は、素人に毛が生えた程度の人間にF1のピットクルー以上の仕事を要求するのですから、敵に殺される前に味方に殺されそうです(笑)要するに、現場のプロ(軍事土木や、無線技術者、衛生等も含む)、作戦参謀やアナリスト等の分析のプロ、データ解析、化学系…と、それぞれ求められる物が全く違いますし、また、自分の持ち場だけに特化してくれたほうが、効率もよい。防衛庁が、世界水準に比べてかなり高学歴の隊員を欲しがっているのも、そういう専門技官や、研究者、幹部職員を育てたいという事情があったればこそでありましょう。そして次に、徴兵制復活は、アメリカの州兵とは、全くシンクロしないと思います。まず、州兵に入隊する人間は、対外部隊が活動するという前提で入隊しているのであり、日本で言えば、警察官に毛が生えたようなものだという前提のもとで入っています。陸軍プラス虎の子の海兵隊があって、その上で内勤の兵隊になろうという人と、国土の特質上、よもの海が、いつ何時、前線になってもおかしくない国の防衛組織を志願する人間が、同程度の認識だとは到底考えられませんね。戊辰戦争に例えれば、官軍の後詰めであった尾張藩兵と、列藩同盟に参加していない時の河井継之助率いる北越軍が、同じ「専守防衛」を根拠として、士気も同様と言っているようなもので、全く正当性が無いと思います。次に、イラクに10万、ドイツ、日本に各5万程度を配備して、世界展開している軍隊と、派遣とは言ってもシンボリックな意味しか持たない国の軍隊では、前提が違いすぎるという事。これは、政策的な議論であって、「例外の例外」に目くじらを立てる法律論ではありませんが、現実的に見て、一年間に平時で新兵を最低でも6、7万人は採用している国家の軍隊と、文官を合わせても陸海空で25万人に満たない軍隊と、数字の面から見ても、その飛躍ぶりは明らかだと思います。まるで、モナコやルクセンブルクに日本の財政赤字を指摘されるようなもので、指摘されても片腹痛いというものだと思います。
2007.01.13
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年末年始と、目の回るような忙しさ、正月ぐらい寝正月で過ごしたいと思っておりましたが…何とか生きています(笑)新しい職場へ行かなければいけないのですが、どうも副業?が忙しい。いくつもの肩書きを持つ経営者ってのは、やっぱりすごいなぁ、と思います。小さな会社一つでヒーヒー言ってるバカとは、バイタリティも能力も雲泥の差って奴ですかね(笑)それにしても、「初売」って文化は、昔はあんまり無かったんじゃないでしょうかね?うちの母親なんぞは、「正月から働いたら、一年中、バタバタ貧乏になるぞ」とか、迷信チックな事を言っておりますが、郊外の商業施設は、ここぞとばかりに大売出しをやるもんだから、うちのテナントさんにも頑張って貰わないと、ということで、我々も全力で応援。まして、うちのテナントさんのような在来資本は、百貨店の人気復活、小売大手資本との競争で、最近は、かなり苦戦しています。まあ、景気が上向いているから、アナリストが見れば、「堅調」とか言うんだろうけれども(笑)正月に儲けるのは神社だけ、それ以外は働くべからずって、誰か法律で決めてくれませんかね(笑)
2007.01.10
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