何のことはない、アメリカは、奇襲を知っていたわけだが、それがどこで行われるか迄は知り得なかったのであろうか。この一時を以てアメリカは「真珠湾攻撃は日本軍の騙し打ちである」(Remember Pearl harbour)とのプロパガンダに使うのであった。 義理を重んじる対日本人相手故にこのプロパガンダはかなり有効に働いたものと思われる。
いずれにしろ、公的時系列では、明らかに最後通告の前に攻撃を行っていることに変わりはないのである。しかもその引き金となったハルノートには、“Strictly confidential, tentative and without commitment” (極秘文書。試案にして法的拘束力無し。)とあるのだが、外務省が“tentative and without commitment”の箇所を削除して枢密院に提出し、当時の東郷外相が昭和天皇に上奏して「最後通牒」と解釈されるようになったという点が不明のまま残されている。