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2012.12.08
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之は、本日が真珠湾攻撃から71年を迎えたという事で掲載されていた。

1941年12月8日は、日米開戦の日である。真珠湾攻撃は同日、日本時間の午前3時20分であった。それに対して日本の最後通告の手交はその1時間後の午前4時20分だったのだという。(「ワレ奇襲ニ成功セリ」を意味する「トラ・トラ・トラ」の打電は午前3時23分である。)

勿論日本が戦闘に入る準備はその前から行われていて、12月2日には大本営より機動部隊に対して「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号電文が発信された。ニイタカヤマ(新高山)は当時日本領であった台湾の山の名(現・玉山)で当時の日本の最高峰(標高は3,952m)、一二〇八とは12月8日のことで、「日本時間12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」の意味の暗号であった。ちなみに、戦争回避で攻撃中止の場合の電文は「ツクバヤマハレ」であったという。

しかし実際の戦闘は陸軍によるイギリス領のマレー半島コタ・バルでの奇襲上陸作戦が先行している。これは日本時間の12月8日午前1時30分に敢行されている。
しかし、この辺りの情報をアメリカ軍が知らないわけが無く、今回の九州大学三輪宗弘教授の新事実発見もアメリカのメリーランド州にある米国立公文書記録管理局に保管されていたアメリカ海軍によるこれら一連の伝達を傍受していた資料に基づいている。

何のことはない、アメリカは、奇襲を知っていたわけだが、それがどこで行われるか迄は知り得なかったのであろうか。この一時を以てアメリカは「真珠湾攻撃は日本軍の騙し打ちである」(Remember Pearl harbour)とのプロパガンダに使うのであった。
義理を重んじる対日本人相手故にこのプロパガンダはかなり有効に働いたものと思われる。

同じようなことが第2次世界大戦で、1939年9月にドイツとソビエト連邦がポーランドへ進撃したときには宣戦布告が行なわれなかったにもかかわらず、このように喧伝されることはなかったというのである。


しかし、その中身は誤字が175カ所もあり(如何に何でも多すぎる嫌いはあるが)、その他は訂正の為の電報や暗号解読機の破壊を命じた訓電などだ。175カ所に及ぶ誤字などの訂正電報は903号、906号の2通で、逐次打電され、大使館に送信しされた。

外務省は戦後、この2通の原本を紛失したとして、発信時刻に関して謎が残ったまま(意図して隠滅したか)だったが、三輪教授が今回の調査で2通の発信時刻を突き止めたというのである。
前に送った電報に誤りなどがあれば直ちに訂正電報を打つのが通例だが、調査結果によると、2通の発信時刻は前の電報(902号)から十数時間後と大幅に時間がたっていることがわかったというのだ。

なぜ訂正電文の2通が遅れたのかについて三輪教授は「発信の大幅遅れは、陸軍参謀本部のみならず外務省も関与していたことを示す証拠」だと分析している。即ち外務省が故意に電報を遅延させた可能性が高いというわけだ。

こうしたことを突きつけられると、先ず指令電報902号がなぜそのように間違いが多かったと言うことからしてなにやら腑に落ちない気がする。そして、最初の訂正電報を打つまで、12時間55分間(ほぼ反日)をかけ、それも間違いが多くて次に第2段目の訂正電報が、さらに1時間10分もかかっていたという事実に何かしら意図的なものを感じるのである。

これらの電文を既に日本側は処理していると言うことだから、ますますきな臭い。戦後の極東裁判でもこの問題は取り上げられて、陸軍参謀のみならず、外務省が之に関与していたと言うことが明らかにされているという。

そう言った流れを知らないのは、日本国民だけで、アメリカは既に承知しながら、この問題を対日戦意高揚の手段として使っていた節があると言うことだ。
通告文書作成が遅延したというのを出先の大使館の責任として押しつけて、本国政府はぬくぬくとしていたのかと、今更乍らに驚くのである。

いずれにしろ、公的時系列では、明らかに最後通告の前に攻撃を行っていることに変わりはないのである。しかもその引き金となったハルノートには、“Strictly confidential, tentative and without commitment”
(極秘文書。試案にして法的拘束力無し。)とあるのだが、外務省が“tentative and without commitment”の箇所を削除して枢密院に提出し、当時の東郷外相が昭和天皇に上奏して「最後通牒」と解釈されるようになったという点が不明のまま残されている。





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Last updated  2012.12.09 15:41:07 コメントを書く


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