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2020.10.25
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今日のウォーキングは第1802日目で10442歩だった。

今日は姉の引越日だ。水無瀬から高槻に移ることになった。水無瀬が閉鎖になると云うので致し方ないが、移動先は私たちの家とも遠くなるのと使えるスペースが狭くなったとかで、一寸不満があるようだ。
終の棲家になるので、何とか心を静めて欲しい。幸いなことに、入居者の中には気に触る人もあまり居ないようで、それが慰めだ。

***

かつて東アフリカで暮らしていた古人類は、オロルゲサイリエ地域で約70万年にわたって安定した生活を送っていた。その技術と生存戦略はずっと変わらなかった。彼らは手近な石で作った単純な大型の手斧で、獲物を切り刻んだり、枝を切ったり、イモを掘ったりしていたと考えられている。

こうして平和で平穏な生活は、32万年前まで続いたようだ。石器を細工して、矢じりを作ったり、するまでになぜこれほど長時間を要したかとはすこし疑問だが、小型のとがった石器の材質には、何10kmも離れたところで採れる黒曜石もあった。また、彼らは赤と黒の顔料も集めて自らの生活を洞窟画に描くなどしていた。

そんな激変をもたらして原因として、気象条件の大いなる変化があったと推測されている。それは、アフリカの大地を引き裂いた地殻変動だ。

ヒトの生活は湿潤化や乾燥化といった気候の変動に合わせて進化していたと考えられていたが、どうやらこうした地殻変動が劇的にヒトの生活を変えたのだという推測だ。

こうした事を検証するために、研究者らはケニア、ナイロビの企業と協力して、かつて石器が発見された場所から約24km離れた古代の湖の跡を掘削した。そこで、長さ約140mの堆積物コアを採取して調査した。その堆積物コアには、火山灰の層がいくつも挟まっていて、各部分の年代は特定が出来た。



今から約50万年前に、オロルゲサイリエ周辺の地形が大きく変化した。かつて盆地だったところが高台になり、風雨にさらされて浸食を受けた結果、この約50万年前~32万年前迄の18万年前の間が空白期間となって仕舞い、この大変動で、人類の行動はがらりと変化してしまったのだ。

32万年前に単なる無骨な石器が、小型でシャープな道具へと変化を遂げたのだ。そこには何があったのだろうか。湖の地質記録からは、丁度その頃に新しい技術が現れてきたようだ。気候と地形の変動が激しくなり、それまで安定していた水や食料の入手が不安定になった。そのため、東アフリカの初期人類の生活は混乱に陥り、革新と適応を余儀なくされた可能性が高い。

気候と地殻の変動はそれまで生きてきた他のヒト族(ホミニン)の中で、唯一ホモ・サピエンスだけが生き残る力を有していたのではないか。そうした変動によって、それまで生き延びてきたヒトの仲間であるデニソワ人、ネアンデルタール人、ホモ・エレクトスなど多くの種が絶滅に向かったのではないか。

ではどうしてホモ・サピエンスが生き残れたのか、それは未だに大きな謎である。

また、大型哺乳動物の約85%の種が絶滅し、代わりに現代的な小型の生き物が出現したのだ。
そうした獲物の小形化などに対応するように、彼らの道具は以前よりはるかに多様でコンパクトになり、小さな三角形の矢尻のような石器も作られたのだ。

オロルゲサイリエ地域の地質史は地殻変動による断絶で複雑になっている。そして、この地域は、アフリカ大陸のプレートが2つに分裂しようとしている東アフリカ大地溝帯にある。引き伸ばされた大地は薄くなって割れ、平らだった場所に新しい谷や丘が形成された。そのような大地殻変動が約50万年前に始まっていたということだ。

地殻変動で形成された比較的小さな谷の影響で降雨量の変動が大きくなり、約40万年前から氾濫原と乾燥地の堆積物が短い周期で交代するようになったという。このように、この地域では水の量と植生が絶えず変化していた。

研究チームの分析によると、新たに形成された植生も、利用できる水の量の変化に応じて、樹木が多くなったり草ばかりになったりと環境に応じて変化した。このように絶えず変化する環境が、ヒト族の行動の飛躍的進化のきっかけとなった可能性が高いという。

生物にとって水の存在は必須だ。水のあるなし、多寡で、生命の存続の可否が決まるのだ。
そして、利用できる水の量が変化した場合、生物には3つの基本的な選択肢のいずれかになる。それは移住か、適応か、絶滅だ。



そうしたことを解き明かすことが研究者には求められている。オロルゲサイリエ地域には、なぜか人骨が乏しい。地殻の変動と気候の激変が、そこに住む人類の祖先をどのように行動させたのか、人骨が発見されると更に詳しいことが判明すると思われる。

ヒト族の系統樹は単純では無い。互いの族の間での戦闘や交雑が起こることは珍しいことではなかっただろう。地殻や気候の変動をこうした人たちはどのように乗り越えてきたのか、更に興味深いところだ。

大地溝帯について再考しておく。ウィキペディアにはこう書かれている。

大地溝帯(グレート・リフト・バレー:Great Rift Valley)は、主にアフリカ大陸を南北に縦断する巨大渓谷で、プレート境界の一つである。大地溝帯の谷は、幅35 - 100 km、総延長は7,000 kmにのぼる。正断層で地面が割れ、落差100 mを超える急な崖が随所にある。

ここでプレートの境界面であると言われるが、プレートテクトニクス的に見れば、この辺り(アフリカ大陸)は1枚のプレート上にあるとされ、境目などは記載されてない。



この大地溝帯の形成が、初期人類(ヒト科)の誕生を導いたとする仮説もある。大地溝帯によってもたらされた周辺の高地や山脈等の隆起帯が大西洋側から大陸東部に湿った空気を運んでいた赤道西風が遮られ、大地溝帯の東側は徐々に乾燥して森林が衰退し、やがてサバンナに変わっていった。

こうして、森林に住んでいた多くの類人猿は、この環境の変化に適応できずに絶滅した。然し、ヒトの祖先は樹上から地上に降りて、直立二足歩行に移行する事でこうして天候の変化に適応していったのだ。

こうした傍証として、ケニアやタンザニアをはじめ、大地溝帯周辺では人類化石が多数発掘されている。これは、この地域は火山活動が活発であり、ヒトを襲い、降灰などで閉じ込めてしまったとも考えられる。

アフリカが人類誕生の地とされるのは、こうした多くの化石の発掘から称される所以だ。

化石の発見は西側の地交代と東側の地交代に挟まれた部分に多く発掘されていることでも見て取れる。然し、その後、大地溝帯からはるかに離れた中央アフリカのチャド北部で、トゥーマイ猿人(サヘラントロプス・チャデンシス、600 - 700万年前)が発見されたことにより、最初期の猿人がアフリカ東部以外の地域にいたことが明らかになった。

ヒトの発祥が、化石の発見と共に右往左往している感じがする。

推論と現場の化石発掘などで、ヒトの誕生とその行動が、徐々に明らかになっていく。大変興味深いことだ。





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Last updated  2020.10.30 10:04:49
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