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今年に入ってすぐ、母が肋骨を骨折した。人生100年を真っ直ぐに進む母は後期高齢者。頭ではわかっていたけれど記憶力も理性もわたし等よりよほどまともな立派なヒト。その、母が。少々離れて暮らす私は日常はほったらかし。病院通いの両親は近くに住む姉にまかせっきり。たまに顔を見に行く程度の親不孝物。共に年には見えない元気な両親に甘えきり油断しきってた。それでもだいぶ衰えが顕著になり始めた両親をバリアフリーの明るい所謂、高齢者住宅に引っ越す計画のまさに真っ只中の出来事。歩くことはもちろん、立つことも座ることもできなくなった母は寝たきり状態。介護申請をして、認定待ちのためいろいろ動けない。姉が奔走し、ケアマネさんの強力な協力のもとにヘルパーさんが日に3回。それでも、足りない。要介護2の父も母の介護。老老介護だ。痛みと不安と、おそらく時間の感覚が不安定になっている母のそばにつきそうと言うのは予想以上にしんどかった。父の、姉の、悲鳴と疲労に泊りがけで手伝いに行った。本当に、甘かった。ほんの一日で打ちのめされた。何もしてやれない。何も役に立たない。小さくなってしまった母の慰めにもならない。夜中中痛みを訴える母に何も出来なかった。無力な私とは裏腹に母のそばには強力なサポートが敷かれている。日々通ってくれるヘルパーさん。介護のアドバイスをくれるケアマネさん。在宅治療をしてくれる鍼灸治療の先生。新たに加わったショートステイ先の担当者。たくさんの人に支えられて母は生きている。そんな中。ひときわ熱心に母に寄り添ってくれる方々にお会いして驚いた。知人に似てる。本当に良く似てる。顔もそうだが、雰囲気というか優しい信頼できるオーラが。一目見て全部安心できそうな感じ。最近初めましてな方々が良くも悪くも知人に似ていることが多い。その中でもダントツに似ている。これはどういうことなんだろう?と、思いつつご無沙汰ばかりの知人を思う。元気にしているだろうか。幸せに暮らしているだろうか。今日も初めてお会いしたショートステイ先の担当者が、またまた知人によく似ていて驚いた。なんだろう?これは!幸せに暮らせなくなった母を、思う。今の自分の生活は弓道が殆どを占めている。なんとも幸せな日々だ。母が骨折をしてからまず、父と姉の生活が一変した。当然、自分も。もう、弓道はしばらくできないんだろう。試合も、初めて欠席した。主催した練習の会もとうとう欠席してしまった。来週の団体戦も行くことはできない。天秤にかけたくないものを天秤にかけ、優先順位を決めるというはなんと切ないことだろう。
2019年01月20日
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ビバ!「2357」「2357」ってなんだろう素数っぽいよな。でもただの素数の訳ないよな。確かに「2357」は350番目の素数である。そしてただの「素数」ではなかったまずは「2」「3」「5」「7」は10以下の素数の全て。ふむふむ。なるほど2+3+5+7も素数2×3×5×7×2+3+5+7も素数2×3×5×7×2-3-5-7も素数表記できないけどそれぞれのn乗ってのそれを足したものも素数。2357それぞれの19乗を足したものも素数2357それぞれの1013乗を足したもの素数さらに2357223335555577777772357も素数↑これでもか!って程2357づくしじゃんそして「メルセンヌ素数」である「メルセンヌ素数」って何まず、「メルセンヌ数」1、2、3、4、…という自然数をnとした時、「2のn乗-1」の式で求められる答えが「メルセンヌ数」。答えが素数の時は「n」も素数であるが、答えは全てが素数ではない。n=2 2×2-1=3n=3 2×2×2-1=7n=4 2×2×2×2-1=15n=5 2×2×2×2×2-1=31n=6 2×2×2×2×2×2-1=63n=7 2×2×2×2×2×2×2-1=127n=8 2×2×2×2×2×2×2×2-1=255n=9 2×2×2×2×2×2×2×2×2-1=511メルセンヌ数の答えが素数の時「メルセンヌ素数」という。上記の表を見るとn=2、3、5、7の場合が素数。わ。ここでも2357なんだついでにこの「メルセンヌ数」ってやつ、なんか面白い性質があるこれらの数値を二進数にした時に全部「1」になる。「二進数」0と1だけで表すヤツね。0=01=12=103=114=1005=1016=1107=1118=10009=100110=101011=101112=110013=110114=111015=1111……3、7、15が「メルセンヌ数」で、最初に戻って「2のn乗-1」で計算した答えを二進法にしてみる。n=2 2×2-1=3 二進数では11n=3 2×2×2-1=7 二進数では111n=4 2×2×2×2-1=15 二進数では1111n=5 2×2×2×2×2-1=31 二進数では11111 n=6 2×2×2×2×2×2-1=63 二進数では111111n=7 2×2×2×2×2×2×2-1=127 二進数では1111111n=8 2×2×2×2×2×2×2×2-1=255 二進数では11111111n=9 2×2×2×2×2×2×2×2×2-1=511 二進数では111111111メルセンヌ数を二進数で表すとnの数に等しい回数だけ1が並んでるで、現在までにわかっている50個のメルセンヌ素数があるんだそうだ。へえ。面白いぞ「メルセンヌ数」ま、それはともかく。「2357」楽しいねそれを見つけて遊んでる数学者ってのはやっぱり凄いなそれを表現に使おうとするヤツラもすごいんじゃないかな
2018年04月19日
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新選組史跡散策いやぁ、こういうちゃんとした(ちゃんとしなくても)史跡巡りは久しぶりだぁ!好天にも恵まれ、朝もはよから出かけました。集合は新宿駅。今回の散策は結構生活圏内なので、なんとなく親しみを感じちゃう。大江戸線、牛込柳町まずは近藤さんの試衛館界隈から。文久三年一月、仲間と共に浪士隊に参加した近藤さんの身上書によると「四代浪人 当時市谷加賀屋敷 山川礒太郎地借り仕り候」とあるとのこと。この「山川礒太郎」邸、1851年版の切絵図で探すと「山川清左衛門」という名前がある。ここは試衛館も近いんだよね。ここには永倉さん、総司、平助も一緒にいたらしい。左之助は不明(笑)山南さんはもう少し離れた場所に住んでたようですな。試衛館は本当は現在試衛館跡地の碑が立っている場所を正面に見ると右斜め後ろ。現在マンションが建っているあたりのようですな。その碑が立っている場所のすぐ隣は稲荷社があり、ここは祭礼が行われていたという、まさに地元密着の神社。その祭礼の日が11月18日だと言う。11月18日!平助が殺されたその日もここでは賑やかにいつもの様に祭礼が行われていたんだろうか。平助も行ったであろう、その祭礼を思い浮かべただろうか。近藤さん、「甲良町屋敷」から「試衛館」に通っていたのね。なんとなく試衛館に住んでいたイメージだったよ。牛込柳町から飯田橋へ。ここは永倉さんがいた坪内主馬の道場があった。坪内主馬は「心形刀流」。「心形刀流」と言えば伊庭八郎。永倉さんは伊庭くんとも知り合いだったよねぇ。近藤さんの本妻、ツネさん。この方は松井八十五郎さんの娘。その松井さんン家が早稲田通りを一本入った現在は床屋さんのあたり。ところがこの二軒お隣には鈴木さんちがある。この「鈴木さん」家は斎藤一の生まれたお家。お友達…とまではいかなくてもお知り合いだったよねえ。縁とは、誠に意なもの不思議なものですなぁ。さらに飯田橋。新徴組の広大な屯所があったのだ。なんと山田弓具店の並び。うわぁ。都内は史跡の宝庫とは知っていたけど、こんなに身近だとびっくりするなぁ。さらに山南さんの大久保弥九郎道場、講武所跡を通って伝通院へ。文久三年二月四日。近藤さん、土方さん以下「将軍警護」を目的とする「浪士組」に参加するべく訪れた面々は伝通院で会合を持ちました。と、あるその「伝通院」実際に会合があったのはその伝通院の子院、「処静院」だそうです。その「処静院」は現存していませんが、その山門に建っていた石柱が現在伝通院の門前にある、あれ、だそうです。「不許葷酒入門内」とあるあの石碑です。これ、その眼に写ったよなぁ。ところでこの「不許葷酒入門内」禅寺では、匂いの強い野菜は心を乱し精が付くため、酒は頭の働きが鈍り集中力が弱るため修行の妨げになるとのことで持ち込みが禁止されていたようです。神社は「お神酒」とあるように神様にお供えをすることで霊力を宿った神聖なお酒を頂くことで、その神様の霊力を体内に取り込む。と言う意味があるらしいのに。「神社」ではOK。「禅寺」ではNG。興味深いですな。永倉新八。のちの名を杉村義衛。この方、長く生きました。そしてハジメさんと交流がありました。住まいをところどころ変えました。最初ははじめさん家の近く。だんだんと遠くになったようです(笑)その、何度か変えた住まいのひとつには食事処となっている所もあり、今回はそこで昼食となりました。だから何?って、感じですが(笑)ま。そゆことです。さて。その、さいとうはじめさん。新選組隊士ながら、会津で戦い、そのまま会津藩士として捕らえられ会津藩士として生涯を終えたフシギなお方。会津藩士の娘、時尾を嫁とし会津藩士と生涯親交を持った人物。この方は本当に不思議でならない。その方の住居が特定されたのだ。今まで斎藤一いや、藤田五郎邸とされていた春日通りの左側ではなく、右側だ、と。残された資料に「春日町のところに錦秋女学校っていう学校がありました。そのそばに石の段々がありまして、それを下りると少し窪い感じの所に藤田五郎様と時尾様のお住まいがありました。」と土田敬子さんが言ったとある。なるほど、その言葉通りに坂があり、そうなのかな。と思う。ま、どっちでも良いね。最近思うのは史跡はざっくりで良いとの思い。ここ!と特定するよりもこのあたり。と、ざっくりした方が大きく見える。と言う事。当時の住まいの感覚は今とは違う。道路も、街も、感覚も変わっている。「ここだ!」と、思うとその場所しか想えない。「このあたり」と思った方が、当時に想いを飛ばせる。そんな気がするのデス。だから、写真も撮りませんでした。ここ。と、思ってしまうより、このあたりと想った方が、今はリアリティを感じられる気がして。次ははじめさん、いや、五郎さんの勤務地。御茶ノ水。湯島聖堂。へ?ここ?湯島聖堂?はじめさんの勤務地「高等師範学校」と言うのは、湯島聖堂でした。迂闊にも全然気付かなかった。大好きな湯島聖堂にはじめさんが20年も勤務していたなんて。しかも、大成殿に向かう石畳は当時と全く変わっていないなんて。今回、一番感動した場所でしたな。だって、大好きな湯島聖堂、はじめさんが20年も通った場所だったなんてねぇ。庶務掛兼会計掛 勲七等 藤田五郎 福島士さらに赤坂へ移動し、勝海舟邸、篤姫が明治になって暮らした場所を確認したあと、千駄ヶ谷へ。大江戸線、国立競技場駅。総司の終焉の地。と、言われるところには碑が建っている。が。ここではないという。古地図を調べた方が、正しい場所を特定した。と、言う。道路を渡った、ビルとビルの間。ここが、こここそが植木屋平五郎の家、総司がその生涯を終えた場所だと。以前流れていた河の名残がある。架かっていた橋の名残がある。これで特定できたのだと。史跡巡りは楽しい。そして日々、いろんな資料が発見され検証される。どれが真実なのか。を、求めて。だけど。たくさんの資料を検証し、想いを馳せ当時を偲ぶことが大切なんじゃないか。たくさんの人とと想いを共有し「忘れない」ことが大事なんじゃないか。このあたりにこういうヒトがいた。こういう建物があった。こんな時代だった。それをつないでいくのが良いんだ。きっと。それが楽しい。それでも良いのではないかな。ひとりひとりのキモチの中に、何かが残るということ。それで良いのではないかな。幕末。混乱と動乱の中。日本を作り変えようをしたヒトがいた。守ろうとしたヒトがいた。壊そうとしたヒトがいた。どれが正しくてどれが間違っているのか。それは。判断なんてつかないよねぇ。みんな真剣なんだもの。その上に作られた「歴史」の中に我は生きているんだもん。
2017年10月08日
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風薫る5月が過ぎ去り、夏も近づく6月の最初の日曜日。2年前。泣きそうな思いで必死になってた四段に漸く、漸く合格できたのも束の間、目の前には高い五段の壁。それでも仲間に手を引かれ、背中を押され恐る恐る踏み出した五段への道。もうね。いちいち書くほどの間も無く、審査の日々はやってきた。今までの審査は「地方審査」と呼ばれるもので、会場は自分の地元近辺。年に四回。五段審査は「関東連合審査」を言われる、その名のごとく関東近県で受審出来るのでその気になれば毎月のように審査を受けられる。でもさ。ただでさえ緊張の極地。毎月なんて神経が切れちゃう。どこの審査をどのタイミングで受けるか、受けないのか。そんなところから悩む日々。ただ。仲間に恵まれた。さすがに五段を受ける方々は、すごい。個々なのに気遣いは半端なく、優しくて、強い。そんな仲間と共に挫ける気持ちに鞭打って、必死についていきました。心挫けそうな、キビシイ講習会にも参加しました。そこでご縁を頂いた先生の教えも受けました。さらに知り合いが増え、たくさんの方々に叱咤激励を受け、共に励ましあい、時には愚痴を零し合い…。先生にたくさん教えてもらえば貰うほど出来ない自分が歯痒く。期待されればされるほど、落ちた報告にがっかりされる先生を見るのに忍び無く。このままでは教えていただいている先生方の名を落とすのではないかと怯える様な思いもしました。でもねぇ。半端ないのよ。この壁。大体の合格率は4~5%。「バカじゃないの?受かるわけないじゃない」と面と向かって言われたこともありましたっけ。ハハハ。それでも。挑戦したかったのです。仲間と共に。6月最初の日曜日。「奇跡」って、あるんだねぇ。「神様」って、やっぱりいるんだねぇ。2本的中が最低条件。その、1本目。なんだかとても素晴らしい音がして的に吸い込まれていきましたよ。後で仲間と笑っちゃったほど、すんごい音がしたんですよ。今回の審査ではいつもと違うことを考えてた。いつもは「自分の思い描く射ができますように。」と。自分を信じて迷わず引こうと思っていたけれど、2日程前に先生に教えていただいて射の型を少し変えた。うまくできる自信なんてなかったけど、自分は信じられなくても先生は絶大に信じてる。先生が教えてくれたことは心の底から信じてる。そう、思いましたのさ。2本目は正直、1本目程は良くなかった。それでもきれいに真っ直ぐ飛んで、ストンと的に収まった。ここのところ、射形が収まらない。いわゆる「早気」というやつに襲われている。充実する前に離れちゃう。それだけは絶対にやりたくなかった。例え当たらなくても、審査の先生に「見る価値なし」とだけは思われたくなかった。それだけ。だけど、当たったからといって合格というわけではない。そりゃそうだ。400名を軽く超える受審者がいるのだ。当たったから合格出してたら4%なんてことにはならない。逆に、当たって落ちるってのが一番怖い。モチベーションを上げる術が見つけられない。発表までの時間は本当は怖かった。こっそり震えるほど怖かったんだよね。それでも、見ててくれた仲間が感心してくれたほど、どうやらがんばれたらしい。「良かった」と、キビシイ先生が言ってくれたときは正直涙が出た。ほっとしたぁ。発表で自分の番号があって、しばしボーゼンとした。なんか、意味がわからなかった。そしたら、仲間が泣いて喜んでくれて、それ見て泣いた(笑)発表見て泣くって初めてだよ。その日のビールの美味しかったこと!だから。心の底から思うのですよ。どうか。どうか、みんな早く来て。みんなにお祝いしてもらったように、みんなをお祝いしたい。全力で応援するからね。今回、挑戦し続けていてつくづくいろんなことが身にしみた。応援って本当に力をもらえるんだなってことを思い知った。昔から体育会系じゃなかったし、スポーツ観戦もそんなに興味ない。正直応援してもダメな時はダメだし、逆に騒がれたら余計なプレッシャーとか、気詰まりだよなとかそんなふうに思ってたんだ。だけど、応援してくれるヒトがいるってのは、私みたいに自分が信じられないヤツにはありがたい。応援してくれる人が居るならもう少し頑張ろうかなと、思えたから。発表を見て泣いた時からもう、感謝の思いばかりが溢れちゃって、言葉にならなかった。「感謝」この言葉しか出てこなかった。仲間に。指導してくださった先生方に。友に。家族に。ありがとうございました。何度言っても何十回言っても言い足りないし、伝えきれない。合格を伝えたら、スマホに続々とお祝いメールが来た。びっくりするほど、いろんな方がお祝いメールをくださった。それみて、また泣く訳ですよ。当日は遅くまでそんなメールに泣きながら返信しました。本当にありがたくてうれしくて、感謝しかないですよ。次はまだまだ考えらないけれど。1年猶予がある。いちねん、じっくり自分の射を見つめ直しなさいと、そういうことです。この「いちねん」をどう過ごすかも実は課題なのです。今週は浮かれに浮かれて過ぎて行きました。穴に落ちるんじゃないかってほどにさ。そして疲れ果てました。ちょっとだけ休んだらしっかり考えようと思います。自分の目指すものがなんなのか。どうしたいのか。なんて、思う間もなく講習会、月例会、合宿と怒涛の土日なんですけどね。そしてこの「昇段」は即日反映。再来週の講習会では「五段」として参加するのです。名簿ももう順番が変わっています。ちょっと怖いです。周りの目も変わるのですから。だけど。「嬉しいよぅ!」
2017年06月12日
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風薫る5月。気づけば桜はその花びらを散らし、風薫る5月がやってきた。「和泉守兼定」の展示。連休は忙しい。何が忙しいって、密かに続けている弓道が。お稽古は毎日あるし、審査も近い。普段練習出来ない分、ここで一生懸命練習したい。でも。土方さんの兼定展示は別格。「本気の命懸け」だから。まさか、自分がそんなことはできないけれど土方さんの「命懸けの本気」に毎年勇気をもらうのだ。でも。「人間完成の必要」とはかけ離れていくような、そんな一日でした。ワタシ、弓道やってる資格あるのかしら?
2017年05月07日
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この感情を誰かわかってくれるだろうか。感動と言ってしまうにはちょっとフクザツな想い。会津の殿様が、新選組を語ったのだ。もちろん、それぞれご本人ではないし、遠慮や社交辞令もあるだろう。でも「大変お世話になりました」とおっしゃった。(笑)初めて聞く「殿」の講演は聴き障りの良い声と、「誠」と「愚直」が会津と新選組を繋いだ。とおっしゃったその言葉が表現するには難しい感情を連れてきた。ときにはユーモラスに冗談を交えながら、史実を淡々と述べ、「会津藩」と「新選組」を語ったのだ。近藤さん、土方さん、井上さん、沖田さん、齋藤さん、永倉さん、隊士の方々のご子孫と、容保公のご子孫。不肖、会津藩士の末裔のワタクシ。分不相応ではあるけれど、歴史を遡ってそれぞれのご先祖が見ていたらどう思ったろう。笑っただろうか、分不相応だと怒るだろうか、嬉しいと思ってくれるだろうか。「殿」の語る歴史は正之公から始まり、家訓15か条、さらに幕末のあの動乱の京都守護職拝命を語り、白河の戦いを語り、五稜郭落城までを語ったのだ。近藤さんに至ってはその辞世まで丁寧に紹介してくださった。忠義と誠の心をもって戦ったのに時の利なくして敗れてしまった。主君の恩に報いられなかった。「義に倒れるとも不義に生きず」この「主君」と言うのは慶喜のことではなく容保公のことではないか。と。うむ、うむ。そう思う。「幕府」に忠義を感じていたとしてもそれは「慶喜」ではないよな。近藤さんも容保公には格別の想いがあったと思いたい。容保公が終生大切に身につけていた「御宸翰」と「御製」それは鳥羽伏見後江戸に戻った新選組が屯所にしていた場所に大切に保管されている。容保公は壬生浪士隊の稽古を見たことがある。記録に残っているのは斉藤さんと永倉さんの稽古を見た。というもの。その強さを喜んだ容保公は酒と肴を振舞ったというもの。八・一八の政変の警備を記した配置図が発見された。そこには「壬生浪士隊」の文字がある。お預かりの「壬生浪士隊」が正規軍として認識されていたという、証であると「殿」は言う。この八・一八の政変で容保公は孝明天皇から「御宸翰」と「御製」を賜ったんだよねそして会津藩で以前使われていた「新選組」の名前をくれたんだ。それは容保公の壬生浪士隊に対する信頼だとおっしゃった。そして「斎藤一」さん会津とどんな関係だったのか謎も多いけれど。会津藩が降伏したとき会津藩士として扱われ、その後会津で生きたのは周知の事実。正規の会津藩士ではないのだから脱走することも出来たろうに、会津藩士としてその後の人生を生きたのだ。「志を捨て去るは正義にはあらず」はじめさんらしいよね。「微衷を尽くす」ってヤツよね。そしてこのはじめさんと容保公の不思議な縁ははじめさんの結婚式を見ればよくわかる。上仲人が容保公、下仲人は山川浩さんと佐川官兵衛さん。そして嫁は祐筆の時尾さん。豪華よね。まるではじめさんの結婚を会津が藩を上げて祝っているような。それぞれのエピソードは有名なものだし、びっくりするようなものではないのだけれど。それが「殿」から語られると…。う~ん…。感慨深い。会津藩の犠牲者2973名。と「殿」がすらすらと語られたとき、なんかね、その中に我がご先祖様も居るのかとすごーく思ったのですよ。本で読んだり調べたいわゆる有名な方々だけじゃない、実際にご子孫の方々とあったりした、そのそれぞれのご先祖様がさ、どんな思いで、どんな状況でと思うとね。殿がちゃんと戦った戦士を覚えていてくれるのだ。とかね。会津のために命を賭して戦ってくれた新選組。感謝と深い尊敬の念を捧げたい。と。40分くらいの講演であったけど、満場の拍手の中、講演を終えられた「殿」になんだか手を合わせたくなるような想いがしましたよ。今回「新選組の隊士」の慰霊祭ではなく、「新選組隊士及関係者尊霊」の百五十回忌総供養祭。それがなんともね。うれしいとかよかったとかそんなんじゃなくてさ。なんというか、あの戊辰戦争で戦って命を落とした全ての人に。もちろん、会津を攻めたヒトたちには恨みというか絶対忘れないゼ。みたいな想いがあってそれはもうDNAに刻み込まれてるから仕方ないよぅと思うし、ぬくぬくと現代を生きるわたしが気軽に「ごめん、いや、お互い様!」みたいなことはご先祖様の生き様を思えばなかなか出来ないけれどさ。ヒトは忘れることが出来る。ヒトは許しあうことが出来る。と、信じたい。忘れてはいけないこと、忘れたくないことを踏まえて、それでも様々な思いを胸に、歩み合うには150年と言うのは短いのか長いのかわからないけど、でも。互いの傷にそっと手を当てるような想いは持つことが出来るんじゃないかな。150年前。 「実に此の事有り、山上に石を立て以って厥の志を表す」
2017年03月19日
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ほったらかしの毎日。2016年。開けたと思ったらもう年末(笑)こんなふうにゆっくり落ち着いてPCに向かうことも久しぶり。飛ぶように過ぎていく日々に為すすべもなく置いていかれる毎日。言い訳すれば「忙しい」のです。土日、祭日はほぼ弓。平日は2日は弓。その合間に舞台鑑賞へ行き、ライブへ行き、友達と呑む。あらら、本当に忙しい(笑)落ち込んだり、舞い上がったり、やっぱり凹んだり。感情も忙しい。痛かったり、良くなったりご飯食べれなくなったり。体調も忙しい。それでも寝込んだのは…わずか数日。意外と健康。もひとつ言い訳すると。今年の年初めに派遣で行った会社に就職しました。一昨年長年勤めた会社に追い出され(笑)大好きな職場を失ってから1年放浪してましたが、漸く落ち着き先が決まりました。終の棲家となるように日々努力です。余談になりますが、この会社、とてもユルいのですが、なかなかハードな面があり、「簡単な試験だから受けてみて」と試験を受けました。最初は「基礎」だけで良いと言われたのですが、無事合格すると次々に試験が目の前に繰り出され、気付けば「一般試験」と呼ばれるものを4種類、月に一度のペースで受けました。4コ目の試験が終わる直前、次のステップの試験のための講習会が開かれ何故か参加しました。参加したら受けなくちゃならないじゃん!ってことで残り2つ、受けました。これがね、めちゃめちゃ難しかった!「法律」と「税務」まったく畑違いの試験ですよ。しかも、私の仕事には関係なーい!と、思うまもなく試験勉強、がっつりしましたよ!だって、だって、全然わからないんだもん。講習を受けても、単語も意味もイメージも全然掴めない。本当に焦った。「何度受けても良いからね」そんな風に言われて、尚焦る。試験前の一週間はさながら期末試験のように、いや、それ以上に勉強しましたよ。もうね、理解できないから覚えるしかない!ってことで。問題集、何度も何度もやりました。それでも全然合格ラインに達せず、絶望的な気持ちで受けた試験。これがまあなんとも。問題集に出た問題が出ないっていう。かと言って、テキストにあった!って言う感触もなく。ただただ呆然としながら受けました。そしてマサカの合格。これはね~。誰もが唖然としましたね。なにより自分が一番びっくり。7月に最初の試験が有り、最後のマサカの合格が12月。いや、大変だった。その間に審査ももちろん受けまして、こちらは安定の不合格。まだまだ道は遠いのです。新しく見えた世界はとても広く、感動している間に時間は過ぎていくのです。講習会でお世話になったK先生にみてもらえる機会も増え、それにつれて道は険しくなり(笑)先日新たにもうヒト張り弓「Bob」を購入しました。こちらの弓は3ヶ月程時間をかけてなじませていくので、来春には引けるようになる予定。冬の審査には間に合わないので、通常使っている「龍太郎」で臨みます。四段に受かったら幕末にまた戻りたいと思っていたのにますます忙しく、なかなか戻れません。でもなぜか「坂本龍馬の手紙を読む」会には参加してるし、彦五郎忌にもちゃんと参加。兼定も特別展示があったので今年は2回、見ることができました。夏には中禅寺湖で船に扇を立てて、射るという、「扇の的弓道大会」に参加。那須与一です。そんなこともあり、義経の時代に寄り道したりしてました。「水干」とか「直垂」とか「狩衣」とか興味がつきません。舞台は少なかったかな。夏の「ジャージーボーイズ」がめちゃめちゃインパクトが強く、ミュージカル苦手なんだけど、「タイタニック」に続く良作でかなりイメージが変わりましたね。いや、本当に良かった。また観たい。絶対観たい。他はまぁ、ちょこちょこと。行って失敗した舞台はなかったけど、感動するほどのモノはそうなかったかな。いや、「ジャージーボーイズ」がすごく良すぎて霞んじゃったってのが正しいかな。あ。Dazzle。Dazzleの「りんどろんど」は良かったな~。ダンスで泣けるのはDazzleだけだな。「花ト囮」も衝撃的だったけど「りんどろんど」は本当に良かった。迫力が凄かった。もっと観たかったな。やっぱりこれはどうしても私の中では受け入れがたく、未だに信じたくないのだけど。「SMAP」ジブンを構成している細胞がぽこんと欠けた。こうやって、世界は変わって行き、知らない世界になっていくんだな。書いてて気づく。結構ハードな一年だったな(笑)そうそう。なによりなにより。PCがね。なんかインターネットが不安定ですぐ切れちゃう。そしてしばらく繋がらない。これが一番大きいよね。なんとかせねばな。以上、こんな感じに楽しく生きてます。今年も一年の締めくくりのトキが迫ってきました。昨日まで弓、引いてましたが(笑)今年は大掃除しました。年内にお会いできた方、逢いたくてもお会いできなかった方々。逢えても逢えなくてもいつも思ってます。折に触れ、どうしているかなと大切に思ってます。来年はお逢いできると良い。と、切に思います。そして感謝しております。本当に今、ジブンがこうしていられるのはひとえにみなさまのお陰なのです。そばにいてもいなくても、ココロの中にいる方々のお陰なのです。本当に感謝しかありません。皆様の、次の一年に幸、多かれとお祈りいたします。来年の目標「ちゃんとする」もうすこし落ち着いて日々過ごせたらなー(笑)
2016年12月31日
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弓道、やめようかな。腕、なんだか治らないし。どこが痛いのか医者へ言ってもわからないし。弓、引かなきゃ痛くないんだもんな。痛いの我慢して我慢して我慢してやる意味が分からなくなってしまった。言われてることが出来れば良かったのかな。痛みには随分強くなったと、思っていたのにな。痛くて涙が出るなんてコドモじゃあるまいし。痛くて頭真っ白になっちゃうなんて、そんなの。ヤだな。気のせいだと、引いていればそのうち慣れると、思っていたんだけど。はぁ。こうやって、ひとつづついろんなことあきらめて、それが「年を取る」ってことなのかな。とても、大好きだったんだけどな。はぁ。
2016年03月01日
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久しぶりに、ようやく行かれました。念願の、会津。今回はまず、土津神社にお礼を。久しぶりだよ、新幹線。実は前日ぜんぜん眠れなくてオメメギラギラでした。磐越西線でまずは猪苗代へ。なんか、ドキドキするよぅ。駅前は結構賑わっていてはてはて?と思ったらなんでも猪苗代ハーフマラソンがあるとのこと。なるほろ。紅葉が、始まっていました。鎮石のまわりはぐるりと回れるようになっていて、ゆっくりゆっくり巡ってきたよ。拝殿まで降りてきて、そこそこに染まり始めた山を見上げる。まだまだ見頃には早いんだろうけど、私の目には本当にキレイに見えた。山も。神社も。で、泣けてくる。まだ会津にも到着してないのに、泣けて泣けて仕方なかった。出来るだけ丁寧にお礼を申し上げ、新しいお守りを頂きました。御朱印も。そして願いを叶えていただいたお守りはお返ししました。同じお守り、売ってたんだけど同じものとは思えないほど色が違ってた。え。こんな色だっったっけ?ってほど…笑握り締め縋り付いたからなぁ。てへへ。新しいお守りはふたつ買いました。共に戦う仲間にも。今回の挑戦は本当にいろんな事に気づかされましたな。ひとりで頑張ってると思ってたら、いつの間にか周りにたくさんの人がいて、共に同じ方向を向いて、共に背を押してくれた。自分もそんな風に、誰かを応援したいと、誰かのチカラになりたいと思いました。応援がチカラになるってこと、実感したし、涙が出るほど嬉しかった。そんなこと思ってたらもう…笑えるほど泣けてきた。ま、そんな気持ちも空腹を満たしたらがっつり元気を取り戻しましたけどね。なんとなく食べた普通のラーメンだったけど、やたらと美味しかったよぅ。そして、そしていよいよ会津へ。宿に荷物を預けると、チャリを借りて一目散にまずは「阿弥陀寺」一応、ご先祖様へお参りせねばね。でも行ったら驚いた。先月のお祭りの名残なのか、常設なのか、境内に屋台が…\(◎o◎)/!は?な、な、なんですか?!コレは?気を取り直してご先祖様へ報告とずっと来なかったお詫びをして、フト見たら。御三階が開いてる!なんかいろいろ変わってるぅ!おそるおそる近づいたら人が寄ってきていろいろ解説してくれるの。マサカと思って聞いたら御朱印も頂けるとのこと。以前はなんだかんんだと頂けなかったのだが…。う~ん、フクザツな気持ちです。藤田さんにもちゃんとお参りをしてから「長命寺」へ。ここ、いっつも迷う。小学校の方から来ると入れないのわかってるのに、なんか近道に思えていつもまっすぐ行っちゃうんだよね。で、結局戻って入りなおすという…。学習しないなぁ。そして相変わらず、道が悪いなぁ。自転車コワイよ。会津の街をふらふらしながら、城へ。なんか武者姿の方がいて、なんとなく眺めてたけど切なくなってきたので急いで城へ登った。歴史を辿りながら、観光客の会話もちらちら聞こえてくる。やっぱり幕末あたり、白虎隊のあたりは人も多く熱心にみてるけど明治になるとガラガラ。いやいや。あの幕末を経験した会津藩士たちがどんな明治を生きたのか見てよぅ。しばらく城でうろうろしたあと、一休みしに「麟閣」へ。抹茶を頂きしばしぼんやり。そのぼんやりしたまま暮れていく夕日を眺めてた。思いついて城の弓道場へ行ってみた。ちょうど練習が終わったようで中学生?高校生?の方々が弓矢を持って外にいました。もっと早く来たらお稽古、見れたかも。残念な気持ちで未練がましく眺めてたけど、指導者はいないようで、みんな弓に寄りかかってケータイみたり、弓で遊ぶような素振りも見えてちょっと、いや、かなりがっかり。学生さんたちのマナーの悪さは東京もがっかりかりかりだけど、マサカ会津もそうだとは。会津の方々にはただならぬアコガレがあるので清く正しく美しいヒトばかりと勝手に信じてる(笑)現実を見せつけられたキブンでした。少しオトナにならないとね、ワタシ。それにしても街のアチコチに「八重」のポスターがたくさんある。思いついてスーパーにも寄ってみた。「身不知柿」はまだ早いのね。そう言えば「菊」って会津の名産だよね。昔よく母が菊の酢の物を作ってくれたのをふと思い出した。そうそう。会津行ったら欲しかったものがある。「豆麸」東京には売ってないもの。こづゆには欠かせない豆麸。ちゃんと買いました~。最近あまり体調が良くなく(年のせいで)熟睡できない。夜中に何度も目が覚めて眠れなくなる。でも会津は。やっぱり会津はぐっすり眠れたわ。宿は定宿(笑)いや、いつも止まる宿。朝食が付いてるのだ。会津コシヒカリおいしかったけど口内炎3つにはツライ。半分くらいしか食べられなかった(泣)ひとつお寺によってから院内に行きました紅葉!そして容保公の墓所の脇、松平家の墓所に看板が。照姫さんがここにいるよっていう、看板。大正6年、容保公がここに改葬された時、一緒に改葬されたのだけどなぜか墓誌から削られてしまっていたのだ。良かった。本当に、良かった。院内からひと仕事してから天寧寺へ。近藤さんの墓所と、土方さんの墓碑へもお参りを。そう言えば早乙女貢さんもこちらに。そして古川家へもお参りしました。時間に余裕があったので融通寺にも寄りつつ、そろそろ帰路へ。昨日は割と穏やかなお天気だったのに、今日は風が強くて、寒い。電車もどうやら遅れがちのようで、ちょっとした嵐のようになってきた。こんなふうにのんびりを時間を過ごしたのは久しぶり。ずっとずっと追われるように暮らしてきた。漸く一息ついたけど、まだまだ道は長い。でもあせることはないさ。残された時間は短いかもしれないけど、大丈夫。もう、大丈夫。ちゃんと自分のペースでやれるから。いま、この時期。会津に来られて良かった。本当に良かった。森羅万象、すべてにどれだけ感謝したら気持ちが伝わるのかしら。
2015年10月25日
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昨日の体調不良はやはり口内炎を連れてきて、体調、絶不調。それでも行きたい。弓が引きたい。ヨロヨロしながら準備をして、立ちを見て思わず二度見した。メンバーが豪華すぎる!毎回、性懲りもなくびっくりするんだが、四段になると「一般」という括りで称号者と同じ立ちに立つ。しかも大前。私が皆さんを連れて立ちに立つのだ。豪華すぎるメンバーと苦手な四矢。でも。こんなふうに的前に立てるのが楽しくて楽しくて。結果は…。自分の不甲斐なさに呆れかえるけど。八寸的で1本、中った。ところどころで思うような射が出来た。これがコンスタンスに出来るようになりたい。先輩のように「筈打たないようにしないとなぁ」トカ「10点は1本入ればいいかな」トカ言ってみたい。今の自分がそんなこと言っても笑われるだけだけど、先輩が言うと、真実に聞こえるし、実際そうなる。そんな風になりたい。頑張るのだ。一生懸命。
2015年10月18日
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錬成講習会~2雨だよぅ。体調崩したよぅ。でも行かれるところまでは行こうと家を出たのは良いけれど。会場までの道のりの遠いこと。途中で貧血2度起こしたわさ。それでも行く私って、もはやなんか取り付かれてる?だってさ。体調崩した原因はわかってるし、頑張って行ってしまえば絶対なんとかなるんだもん。そして、楽しみにしてた「遠的」そりゃ、行きますよ。顔、真っ白ですよと言われてもさ。貧血はもはやオトモダチ。気にすることはありません。一昨日、ようやく坂田先生のところへ行って、呆れられてきました。曰く。「なんだこの筋肉の収縮は?」ストレスだそうです。仕事、辛いんスよぅ。と言ってみたが、「そうか。でも生活のため頑張れな」とのお返事。そうよね、仕事は辛いもの。それでも逃げ出すわけには行かないのよね。「仕事、辞めたいんですよぅ」と、泣き付いてみたが。「仕事、辞めるのは構わんが、次探せよな」って。だよねぇ。でもさ、悩み事相談所ではないけれど、自分の常識を疑うことがある。私の常識ではこうだけど、それって世間的には受け入れられてないんじゃないかなって。いろいろ話していると、気持ちが沈んでしまう。今の職場で、何が辛いってやっぱり人間関係。「アナタの言っている意味がさっぱりわかりません。わかるように説明してください」「アナタの行っていることを俺は全部最初から確認しないといけないんですか」そんな風に言われるのが辛い。自分はニホンゴがうまくない。説明も下手だ。だから。聞く気のない相手に上手に説明できる自信なんてない。一生懸命説明しても何言ってんの?わかんない。と言われれると、もう、どうして良いのかわからない。アタマの悪い自分が悪いのはわかるけどじゃぁ、どうしたら良いのかがわからない。弓道の先生はいつもいう。「相手が何をしたいのか、何を望むのかそういうことを汲み取って、自分を相手に合わせなさい」日頃人格者に囲まれ、思いやりあふれる方々と共に、精進し、自分もそうありたいと熱望しているけれど。ばっさり、切られる。こう言えばこう突っ込まれるとわかっていても、それ以上の説明が出来ない。本当にアタマ悪くてごめんなさいと思うけど、聞く気のない相手にどうやったら気持ちが伝わるのか、それがわからない。体調も、崩すわな。金曜日の夜は天国だ。仕事、行かなくて済むんだもの。でも、体調が崩れちゃう。ストレス、すごいな。と、言われてもどうして良いのかわからない。どうなっても、構わない。この、至福の時が過ごせるなら。前置きが長くなったけど、講習会。遠的。もうね、楽しくて仕方ない。もちろん、射技的にはぜんぜん、治すところ満載だし、近的で出来ていないところがやっぱり足をひっぱる。それでも。楽しくて、楽しくて仕方ない。本当にもう、楽しくて仕方なかった。どんな体勢になっても、基本は「並行」体と矢が平行になること。これはねぇ。本当に難しいけど簡単なこと。先生がいつもおっしゃる「正しいことを正しくするだけ。ただそれだけ」それだけですよぅ。徐々に仲間も増えてきた。そりゃそうだよね。皆さんが、きちんとこちらに手を差し伸べて、「共に精進しましょう」と、気持ちを投げてきてくれているんだもの。仕事の上司とは真逆。楽しくないわけがない。気持ちをOPENにして、共に。と、言われ、こちらも是非、共に。と、返せば自ずと気持ちが通じていくんだな。これって、すごいよね。なんとも、心地よいよね。そんな至福な講習会、帰り道に大好きな講師の先生にお会いした。この先生、本当に大好きな先生なのですよぅ。その先生がおっしゃった。「一緒に帰ろ」は?一瞬、耳を疑いましたよぅ。同じ地区の先生なので、自宅が近いのは知っていたが。マサカ、そんなこと言われるなんて。本当に、先生方はOPENで、おおらかで、おやさしくて。靴、半分しか履いてなかったけど、走ってお供しましたさ。あぁ、でも。今日は仲間に頼まれて弓具屋さんに行かなくては。でもでも、先生と共に電車に乗って、ふたりっきりでお話が出来るなんて!お話が出来るなんて!!!いやぁ、もぅ、どうして良いのやら。口が上手くないのがもどかしい。弓をモタモタと扱いかねている私に笑顔が言います。「弓の扱いが下手だな。もっとひょいひょいと扱えないと。手の内がだめなんだな」あぁ、もぉ。そのとおりでございます!あぁ、もぉ。K先生、大好き~~~!ガチガチと緊張しながら、先生のお隣に座りぽつりぽつりとお話をしながら電車に乗りました!!弓道仲間にお使いを頼まれたので、途中下車してしまいましたが、次回は是非、最後までお供したい、先生!もぉ、大好きですよぅ。その、お使いに行った先で、弓巻きと同柄の掛け袋を見つけ、テンションが上がってしまった。しんどい想いをしても、がまんして、頑張れはこうやって、ご褒美が待っているんだなぁ。そんなことを思い、やっぱり今日は良い日であったとホクホクしつつ帰宅。体調不良?もう、どうだって良いさ!
2015年10月17日
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以前は泊まりがけて行っていた「合宿」昨年から、誰でも参加できるようにと近くで日帰りとなった。それでもみんなで近くとは言えいつもとは違う広々とした場所でお稽古できるのは浮つくくらい嬉しい。しかも昨年に引き続き、介添えを仰せつかりましたよぅ。今回は第二介添え。実は初めてです。でも。仕事がどうにも上手く行かず、思うようにお稽古に行かれない。加えて第一介添えの方とは全くお会いできず。結局本番、ぶっつけになってしまいました。介添えは何度も見てるし、ようつべでも何度かオベンキョしました。本も読んだし…。でもねぇ。やっぱり、実践でお稽古できないとダメなのね。頭ではわかってるつもりでも行動がついていけなかった。先生にもきっちりそこんとこ指摘され、恐縮するばかり。射手の先生にも気を遣わせる始末。あらら。久しぶりに自分にがっつりダメ出しです。そう。ここんとこ、講習会講習会で浮かれていた。見える景色の広さに浮かれ、お稽古がおそろかになっていた。そこを。きっちり叱られました。だから。だから、すごいと思うのです。ウチの先生方は。本当にありがたいというか、見逃さずきちんと指導をしてくださる。やっぱり、この連盟に入って本当に良かったなぁと、しみじみ。今年度から運営役員が変わり、それに伴って手伝う事も増えました。理事の方々にお任せっきりだった仕事も少しずつではありますが、我らの世代に移ってくるのです。担当の仲間に気を遣い、共に運営に携わる。そんなことも増えていくのです。矢渡し、ひと手行射のあと、基本の体配をお稽古し、お昼。基本の体配ってのは、いくらやっても上達できない。できているつもり。やってるつもり。なのだから、治しようがないでしょうそこを、コテンパン。出来てない、息合いを使えていない…。厳しいご指導でくらくらしますが、こんなこと、やってくださる先生はいないのです。ありがたくて、本当に感謝感謝です。なんとか、体配を正しく行いたい。品格のある射を目指すためにも。歩き方、立ち姿、目線、息合い。どれをとっても重要で、でもなかなか教えてはもらえないものなのです。本当はすべてを。先生方に教えていただいたことのすべてを、全部、自分のものにしたい。でも、そんなに簡単なものではないので、せめて言われたひとつでも、自分のものにして体配を。そして。遠的。昨年はすごい雨でできなかった「遠的」一度しかやったことなく、でも興味津々の「遠的」先生のご指導のもと遠的場へ。3名でひとつの的を使います。立射です。少し足踏みを狭くして狙いをうんと高くします。近的は離れた瞬間に結果がわかりますが、遠的は飛んでいく矢が見えます。遠的は大きく離れること、胸を開いて離すことが求められるとのことで、近的にも充分通用するのです。でも。やだわ~。楽しいよぅ。来週の講習会でも遠的があります。その、練習にと思っていたのですが、ダメだ、楽しいだけで終わってしまいました。遠的のあとは休憩して射技指導。ひと手ずつ先生に見てもらい、ご指導が受けられます。なんと豪華な、贅沢なラインナップ。日頃お忙しい先生方が、我らぴよぴよひよこどもをきっちり見て、指導してくれるのですよぅ。ありがたや~。日頃の疑問や、今気をつけていることを見てもらえるのです。楽しい時間はあっという間に終わってしまい、今年の合宿も無事終了しました。企画、運営をしてくださった、理事の皆様。教授方としてご指導いただいた先生方。本当にありがとうございました。なんだかさぁ。弓道って個人競技だと思ってたけど、やっていくうちに団体戦なんだなぁと、つくづく思います。しかも。自分ひとりがちゃんとしていれば良いとか、そういうことではなく。タチに入る5人。運営に携わる人々。先生方。その、どれか一つが欠けても出来ない程の団体。そんな気がします。共に立ちに入る仲間は、お互い、どうしたいのか、どうするのかを互いに察知しあい、心を合わせ、気持ちを一つにして射行する。自分を相手と合致させ、誠を尽くし、己を埋め込み、そしておおらかに引く。すごいなぁそして。楽しいなぁ。幸せだよぅ。
2015年10月17日
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昇段したらやりたかった事が幾つかある。お道具。弓道を始めた時に揃えた色々は、「初心者だからね」と言う気持ちで「形から」はいったもの。そろそろ、お道具をきちんとしたくなった。弓も矢も欲しいけれど、弓の「龍太郎」はまだまだ変えるには早い。自分の未熟な射に良く良く応え、会での伸びも申し分ない。矢は先日、修理に出してキレイになって帰ってきたばかり。だからさその他のお道具を。えへへ。「襷」少し固めのモノ。どうしても縦に折れてしまうのを先生に聞いたら少し固めだと折れにくい。と。ナルホロ。で、模様が前面に入っている固めのものを購入。」「弦すべり」着物の色に合わせて白いのを。ただしゴムは江戸組紐に取り替えました。「内掛け」これはねぇ、もうはっきり言って「趣味」です。最近は色柄物も多く、選ぶの楽しいの。それにしても最近の下がけは本当に派手なのが多くて、これ大丈夫なの?と私でも思ってしまうほどカラフルです。さすがにあまりにも派手なのは使う気もしないので、黒のトンボ柄とかをチョイス。「石突」器用なヒトなら作れるよねぇ。と思うような可愛らしい石づきも多く悩んだ末に弓巻きに合うように選びました。翌日、意気揚々と新しい石突に変え、先生方に誇らしげに報告したのに、お一人の先生がバッサリ。「随分汚い色ねぇ」( ◔ิω◔ิ) そりゃないよ、先生。セメテ「しぶい」と言って欲しかったよぅ。弦は先日昇段した直後、先生が「お祝い」にくださったのがあるもんね。小物をいろいろ選ぶのは楽しいけれど、弓具屋さんにも特徴があって楽しいの。欲しかったものがなかったので別の弓具屋さん…と久しぶりに弓具屋さんのハシゴです。本当はもう一軒行きたかったのだけど、キリがないからね。そんな風に金木犀の香る街を弓具を求め、友人とともに彷徨っていたのです。いやあ、楽しかったなぁ。11月に審査があります。査定、初段、二段、三段、四段、五段、六段、教士、七段、八段。我が連盟からも沢山の仲間が受けるようです。ヒトリでも多く。沢山「おめでとう」と言いたいな。そんな中に紛れます。受かる訳ないケド、やっぱり挑戦してみたい。大先生達の目の前で緊張しないように射いてみたい。とおく、遠くに居る先生たちがホンのすこぅしだけ目に映るようになった今日この頃なのデス。
2015年09月27日
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ほとんど1年ぶりに試合に呼んでいただきました。予選で8射。上位から8チームが本選に進めます。その8射。大好きなN先生の目の前で大前でした。先生は覚えてないだろうけど、先生に言われたことは守ってるつもりです。心の中で見ててください!とお伝えして、射ました。4/8。まだまだです。チームメイトが頑張ってくれたおかげで本選への競射になりました。6チーム中、1チームだけが進めます。なのに。全く当たらなかった。ここまでなんとか分けで来たのに、当たらなかった。チームメイトが当てる中、ひとりで当たらない。3チーム、1チームと脱落していく中、最後の2チームに残ったのに。当たらなかった…。最初の2立ちで当たっていたら本選に進めたのにィ。残念。ほんとうに悔しいし残念です。でもとても楽しかった。怖かったし、不安もあったし、自分に負けたこともあったけど。ひたすら楽しかった。心から楽しかったのデス。精進しましょう。いろんな想いを抱えて、一生懸命やりましょう。
2015年09月23日
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講習会が続きます。こちらは参加人数100名を超える大掛かりな講習会。それでもそれでも言われることは同じです。先日言われたばかりの事をなんとか自分なりに具現せんと努力してみます。講習会では「講義」もありました。故障の予防、ストレッチ。ストレッチはしますよ。適当に、自分流に。先生がどの筋肉に対してどんなストレッチが聴くのか。故障しないようなストレッチはどんなものなのかを講義してくださいました。ほほぅ。それならできるよね。ってなことばかり。もうすこし、いや、もっともっと講義が聞きたかったのだけれど、これから射技指導も待ってます。四段以上の講習会ってのはすごいね。先生方の言うことはわかりやすく、目からウロコがボロボロ落ちていくけれど。それを実践するのはなかなか…。射技指導ではすごい先生が目の前で手とり足とり教えてくださいます。私は離れの瞬間、左手を振ってしまうのですが、その癖を「本気になってもなかなか治らない」と言われてしまいました。自分では全然自覚がない、無意識をどうやって意識したら良いのか。ずっと悩んでいたことでもありましたが。なんと先生は会でかたちが整った左手を抑えていてくださいました。そのまま離せと言われ、思い切って離しました。抑えられているので当然、動きません。が。自分の感覚がでんぐりがえりをしたような衝撃がありました。「え。こんな?」驚く私にそれでも先生はあくまでも冷静に残身をチェックして指導をくださいました。たった一度のご指導でどうこう出来る程器用ではないし、簡単ではありません。でもあの感覚は。ちょっと忘れられそうにありません。てか、忘れたくないよぅ。先生はアメもくださいました。「うまいよ」どれだけ感激したか!だからこそ、本気で治さねばね。講習会。つくづくすごい世界だなぁ。
2015年09月22日
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三段の頃は良く参加させて頂いていた場所で初めて四段以上の講習会に参加です。人数が少なかったのでがっつりじっくり見ていただけたと思います。とにかく、基本。基本がどれだけ大切か、そして出来ていないか。正直、言われていることは理解できるし、知ってるし、当然自分では「やっているつもり」だった。「出来ていない」と、言われて自分じゃないと正直思っていた。それが。個別指導になって、直される直される。持ち的謝礼の際の、本座での意をそそく仕草。マサカの射技の「弦調べ」。そんなことを今更直されて正直ショックでした。あんなに「気をつけてやっている」と思い込んでいたことが、できていなかった。いや、思い込みってコワイわね。執弓の姿勢や歩く姿勢は自覚があるから必死です。それでもやっぱり下を向いてしまったり、やってはいけないとわかっているのにやってしまったり。「基本」こんなに簡単で難しいことはないと改めて実感。でもでも。上達したいのだ。基本を「正しいことを正しくするだけ」デス。もっと言われました。立った姿勢が悪い。基本中の基本。ここから。やっぱり最初から見直しましょうね。楽な姿勢=基本の姿勢では絶対にないのだ。骨法。思ったよりもはるかに手ごわいようですな。
2015年09月19日
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ここ2年ほどなんだかんだで参加できなかった「彦五郎忌」ようやく参加。毎年恒例のお坊さんのお説教を聞き、丁寧に手を合わせて法要は終了。午後は講演会です。今回の講師は清水隆先生。信用できます。2時間があっという間です。しばらく幕末から離れていたせいか、聞くこと聞くことが新選。え。いつの間にそういう話に?状態で少々焦ります。そんなにブランクあったっけ。ひとつひとつ、確認していると幕末のあの時代がよみがえります。やっぱり歴史はすごいです。ロマンです。それが連綿を続き、今を作っているのです。やっぱり好きだなぁ。懐かしいお顔にもお会いでき、忘れていたモノが胸に蘇る。斎藤一さんの諱が「広誠」だということ。山南さんの名前が「さんなん」で、「小野派一刀流」だということ。まだまだ発見は続く。まだまだ歴史は見つけられる。
2015年09月13日
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「四段になったら見える景色が違う」そんな先生の声に励まされ、頑張って頂いた四段。そう、景色は随分違って見える。今回の講習会は長丁場。来年3月までの10回コースです。会場は結構遠いけど、午後からだしなんとか射技向上したい。四段の景色はとてもキレイだけれど、反面厳しいし、なにより射技の向上がしたいの。申し込んだ講習会はお馴染みのK先生と初めましてのお二人。なんとか付いていくのデス。初回。まさかの早朝、初めて経験する震度5の地震。正直びびりました。3,11よりも凄い揺れにビビりました。でも。余震もなさそうだったので一安心。奇しくもこの日、修理の矢が完了した連絡も頂き、矢を引き取ってからの講習会。心配した電車の乱れもなく、無事到着。初日なのでひと手見ていただくだけだったけれど。案の定、自分の弱点を指摘され、これからの課題がクリアになりました。なるほと。こうやって課題を自覚させ、治す努力を促すのね。先生の言葉にありました「アドバイスは出来る。だけど治すのは自分の意思だ。教えられたことをどう活かすのかは個人の問題」なんとなく、今までの感覚で「直してもらえる」ものと思ってた。でも本当は違うよね。治すのは自分。アドバイスをどう、自分に取り込むか。それが問題。こんな講習会に参加する人は皆さん意識が高い。ついていくのだ必死に。ヒト手しか見てもらえなかったけど今後に期待を込めて1回目は終了。今日は毎年恒例になっている無外流の演舞を見に行きました。相変わらずのみなさんの「本気」に充分すぎるほど刺激を頂いて来ましたよ。
2015年09月13日
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毎日暑くて息苦しいです。四段昇段してから初めての講習会。朝早くからこンの暑い中、一生懸命に会場へ行ったのだけどテンション殴られるようなヤなことが待っていた。最近は落ち込むことや辛いことはあっても怒る事はあまりなかったのだけど。漸くニンゲン丸くなったかと思っていたのだけど。スルーして笑えない。パンクしそうになっちゃった。初めての講師の先生。緊張するよりも楽しみの方が優っていたはずなのに、全部いっぺんに色が消えちゃった。そんなテンションで始まった講習会。もちろん、一番最初デス。気持ちを切り替えて、せっかく教えていただけるのだから。まずは見てもらいましょう。そんな感じで午前中が終了し、お弁当を食べる頃には漸くいつもの自分になれた。そんな私を見ていたかのような、午後の講習会。先生の講義から始まりました。きっかけは全然違うお話だったのだけど、仰った。「おおらかに、ゆるせ」何も、それは私に対して言った言葉では全然ないし、朝、経験してしまった事に対しての私の気持ちではないのだけど。あんなことに腹を立てた自分を。いろんなヒトがいていろんな考えが有り、自分の常識や観念が通じない事なんて山ほどある。醜いココロも呆れるココロもいじける気持ちなんて売るほどにある。そういうのもね。全部。正しいと信じた事を正しくやる。それだけをココロに思え。一番不可解なものは、自分であると。いや、範士のセンセイの言うことは違うね。わかりやすくてとてもシンプル。余計なものを削り落として正しいことを正しくやる。それだけ。今回の講習会は本当に良かった。サイアクな始まりはとても穏やかに満足と感謝の気持ちでいっぱいになって終了したのです。厳しいことをたくさん言われるだろうと覚悟してたし、みなさんの足でまといにならぬように、先生に少しでも見てもらえてご指導いただけら良いと。そんなふうに思っていたけど。講義の後の射技指導もわかりやすく、丁寧で熱心だった。なぜ、そうするのか。どの筋肉を意識するのか。理論的でわかりやすい言葉で一生懸命ご指導くださったのだ。この暑さ、先生方だって応えるだろうに。「範士の品格」ってこういうことなのね。以前、私の先生が仰った「四段になると見える景色が違う」と。称号の先生は雲の上。そんな先生方がまさに手とり足とり、噛み砕いてご指導くださる。今までの講習会とは全然違う。受講生の意識とレベルもそりゃ高い。いや、楽しかった。充実したわ。そして課題もできた。目に見える課題。頑張ったら乗り越えられそうな、手の届く課題。いや、すごい。N先生、K先生。惚れたな~。本当に暑かった。着物はしんどかったし、汗だくになった。それでも行ってよかったと思えたことが一番嬉しいな。
2015年08月08日
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お誕生日おめでとう。あの日のことは今も忘れられない。梔の花が綺麗に香ってた。明け方、土砂降りになった。肩の上に乗せられた君はとてもとても暖かくて、小さくて、重くて、頼りなくて。あの暖かさは忘れられない。頼りなく手を震わせ、すがりつくように伸ばされたか細い腕。いとおしい。第一印象は「なんだこれ?」だったのよ(笑)なんだよこれ?本当にしんどかった。全然寝ないし、泣くし。どうしていいのか全くわからなかった。手探りどころじゃない、途方にくれた。そんなことをずっと覚えてる。とっくに成人し、立派になった。でも。まだまだコドモだ。可愛くて仕方ない。憎たらしくて仕方ない。どうか。 幸せに、生きて。と、そう望むだけです。おたんじょうびおめでとう。生まれてきてくれて、本当にありがとう。
2015年07月09日
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なんだか本当に疲れてしまった。疲れた…ちがうなぁ。メンドウ。そんな感じ。面倒になってしまった。やらなければならないこと。やりたいこと。たくさんあったんだけど。それがみんな「メンドウ」とくくられてしまう。どうした?ジブン。行きたいところも。見たいものの。やりたいことも。全部。「メンドウ」という括りに染まってしまう。どうした?ジブン。どしたらいい?全てを捨ててしまうのは簡単だと思ってたのに。意外と「メンドウ」なんだなぁそこが、自分のヌルサかな。茅の輪をくぐってみた。厄を払いたかった。でも厄は自分の中にいてべったりと張り付いて剥がれない。ならば。自分ごと捨ててしまえばいいのに。勇気がない。意気地がない。聞きたくない言い訳が多すぎる。…。世の中に面倒なことは多々あれど。我が心が一番面倒くさいなんてなぁ。
2015年07月03日
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仕事へ行くよりも早く起床し、待ち合わせ場所へ。天気は上々。楽しみだった箱根合宿。合宿スタートです。最近、調子はあまり良くありません。一時期のように「筋肉をガッツリ使って骨で引いてる」感じが薄れ、なんとなく手先で引いてるような、そんな射です。案の定、当たりません。でも。自由練習の時にO先生が見に来てくれました。ほんのちょっと、触れただけで真っ直ぐに矢が飛んできました。「!!!」驚く私に先生がニッコリして言います。「動かさない」あぁ。こういうご指導だった!この先生はいつもこうしてほんのちょっとの言葉と仕草で迷って迷路に飛び込む寸前の私に道を示してくれるのだ。3年前。合宿の数日前に倒れた先生は闘病の末、戻ってきてくださいました。神様にどれだけ感謝したかしれません。リハビリ。と、一言で言ってしまって良いのかと思うほどゆっくり、すこぅしづつ私たちの前に戻ってきてくれた先生は、それでもあまりお会いでいず、お会いできてもなかなか指導が受けられれず、どれだけさみしい思いをしていたか。漸く、漸く合格の報告が出来、「おめでとう」のメールがどれだけ嬉しかったか。その先生が近くでご指導してくれます。まだまだコトバは不自由です。それでも一生懸命話しかけてくれて、一生懸命見てくれて、指導してくれて…。こんなすごいことってないよなぁ。最近は連盟の先生方にもあまり見てもらえません。ご指導も受けられる機会もなく、ただ、ただ、自分の信じる道を手探りで歩く様な日々でした。なんだか時間が戻ったようです。ひとりひとり。丁寧にご指導頂き、独特の言い回しでわかりやすく噛み砕いてくれます。O先生に教わったことって、忘れられないんだよねぇ。今回の合宿第一介添えを仰せつかりました。これもO先生のご褒美なのです。第二介添えは同じ地区の先輩です。射手は初めてお目にかかる先生ですが、なに、臆することはありません。日頃連盟の先生方に教わっていることをやれば良いのです。介添えはあまり緊張しません。本当は良くないのでしょうが、介添えはそんなに嫌いじゃないし、やればやるほどいろんな発見があり、どちらかというと楽しい。我らの矢渡しで今日が始まるのです。光栄です。この合宿、何がすごいってお互いあまり素性を知らないの。それでもガッツリご指導が受けられるの。あとで調べてすんごい先生だったんだ~!って冷や汗をかくの。今回も、わざわざ見に来てくださった先生もいていろんなご指導をいただきました。本当に、ありがたい。食事。という名の飲み会。その後の反省会という名の飲み会。それらの時間でいろんな方が、いろんなアドバイスをくれました。人によっては指導が多くて余計に分からなくなった。という方もおりますが、普段ご指導頂けない私には貴重で新鮮な時間。そしてなによりありがたいのは「君の射を見ていたんだけど…」と言ってわざわざ来てくださる先生。そして翌日、奇跡が起きたのです。合宿2日目はイベント盛りだくさん。「上がり的」と言って大きな的から小さな的までいろんな大きさの的を当てていくゲームをしました。普段使っている的は真ん中でその前後の大きさの的を使います。大きな的はもちろん当たりやすいのですが、一番ちいさな的は24センチ。通常の的は36センチなのっで一回り小さいのです。ご指導とその後のいろんなアドバイスから射を変えました。当たりはもちろん欲しかったのですがとりあえず射形を良くしたい。そんな気持ちで引いたら。当たった!それもど真ん中。それも四番的まですべて1本で。信じられない。いろんな方が褒めてくださいます。う、嬉しいっ!そして最後の8寸的。これはやっぱり当たらない。それでも。先生がひとりすすっと寄ってきてアドバイスをくださいました。様々に言われ、ひとつひとつ確認しながら引いてみたら。なんと!当たったのですよぅ。こんなに嬉しかったのは審査以来。多くの先生方が背中を押してくださったようで嬉しくして嬉しくて。当たった的の矢を自分で抜いておいでと言われます。写メ撮っておいでと言われます。恥ずかしいけど本当に嬉しいですッけれど。落とし穴が待っていました。次の点数的で1本目はど真ん中、10点入ったのですが2本目、なんと変な飛び方をして矢を、大切な大切な矢を!壊してしまいました!!!うえ~んッ!!あまりの落差の激しさに皆さんに笑われます。うえ~んっ!!終わってみれば上がり的は第2位。だけど。上がり的の優勝者が個人戦で優勝したので繰り上げで上がり的、優勝になりました。何が嬉しかったかって、最後の集合写真で大好きなO先生の隣で優勝を持って写真が撮れたこと。光栄です。本当に楽しかった。宿もさらっと高級で、温泉も良かったし、お料理も良かったし。お部屋も良かったし。楽しいことばかりでした。矢を、壊した以外は。様々に偉い先生なのに、全然偉ぶったところもなく、気さくに声を掛けてご指導頂ける。本当に凄い、ありがたい合宿。どうかまた来年もと願わずにはいられません。どんなに偉い先生も基本はO先生のご人徳なのです。O先生ご自身が段や称号にかかわらず気さくにご指導下さるので本来なら声もかけてもらえない高段の先生方も気さくに気さくにご指導くださるのです。本当はこんなことないんだよね。弓の世界は段位がすべて。本当に楽しかった。そして為になった合宿でした。願わくば。来年もO先生をはじめM先生、H先生、H先生にまたご指導いただきたい。特にH先生はわざわざそばに来て話を聞いてくれて、ご指導くださったのですよぅ。ありがたい。楽しかったなぁ。でも疲れたなぁ。
2015年06月21日
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合格しました。この一言が書きたくて書きたくてどのくらい経つのだろう?ブログにかけない辛い思いもたくさんしたし、惨めな思いも歯がゆさに涙したことももう、数え切れない。そのくらい必死だったのだ。それがようやく。たくさん、お祝いの言葉をいただきました。本当に嬉しそうに答えてくれる先生方に、どれだけのご心配をかけたことか。くじけそうなキモチをずっとずっと支えてくれた仲間たち。叱咤激励と温かい励ましと繰り返し繰り返し指導してくださった方々。本当にたくさんの方々に支えられて私はいま、ここにいるのデス。どうやって伝えよう。どうやったら伝わるのだ。このキモチは。合格した嬉しさももちろんひとしおだけれど。たくさんのヒトに支えてもらえている。嬉しくて、幸せ。だけど。ここからなのだ。漸く入口にたどり着いたのだ。明日からまたちゃんと精進します。だから今日だけは。このシアワセと喜びに溺れたい。急遽お祝いしてくれた仲間。駆けつけてくれた先生。たくさんのメール。感謝の言葉しか思い浮かばないし、どうしたら返していけるのか見当もつかないけれど。ありがとう。本当に、ありがとう。言葉がこれしか思い浮かばないのがもどかしい。だけど。いつも自分が感じていた感情を味わってしまった仲間もいるのだ。わかってる。辛かった自分の思いは忘れるわけないから。今回涙を飲んだ仲間のフォローはちゃんとしっかり、忘れずに。そして今度は全力で応援するのだそして共に上を目指すのだ。ここが、頂上じゃないから。また一歩づつ。だけど。あぁ。だけどさ。本当にシアワセだよぅ。
2015年05月10日
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なかなかブログも更新できず、幕末からも遠ざかっていましたが。還ろう。自分らしくイこう。弓道に心を残したまま生き延びてきた。それをなんとかしたかった。ちょっと余裕が出来たとき、弓をやりたかった。訪れた連盟はとても暖かく迎えてくれて、夢中になった。弓が引きたかっただけだった自分に目標をくれた。それに夢中になった。ムキになった。なんとしても昇段したかった。でもさ。これがもうむずかしいのなんのって。自分はとても恵まれていて、家族の理解もあるし拘束もない。好きな時に好きなだけお稽古に行かれるのだ。仲間もできた。たった一人で引いていた自分にも仲間が。仲間が居てくれて共に頑張っていかれる楽しさも心強さも知った。同時に置いて行かれたくないと言う思いも。本気でのめり込み必死になった。上手く行かなくて落ち込むし、期待に応えられないことが苦しい。それは今でも変わらない。だけど。だけど、だけど。疲れてしまったのだ。ちっとも上達しないジブンに。仕事もなくし、次の仕事もなかなかうまくいかない。自分を全否定される日々に。気づけば幕末の歴史もうろ覚えになってきてた。知り合った宝物のような方々とも疎遠になり…。還ろう。そう思う。日光へ行った。楽しくて楽しくて。でも前回に行った時に覚えていたこと、知っていたはずだったことがうろ覚えだった。やっぱり幕末をもっと知りたい。もっともっとちゃんと。あした。ひとつの答えが出る。ずっと頑張ってきた昇段審査。ここで昇段できないのなら、少し休もうと、オモウ。もう、誰も覚えていてもくれないだろうけど。
2015年05月09日
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日野 相変わらずの混みようです。 なんでも昨今ゲームの影響らしく兼定人気がものすごいらしい。 ま、なんで興味を持っていただけるのは良い事だ。という事で。 和泉守兼定。 二尺三寸一分 刀の味方なんてわからないし、説明を受けても「美しい」としか思えません。 この刀を作った兼定さんは当時会津藩のお抱え刀工。 その縁で土方さんにも刀を作ってくれたって訳。 その割には新選組の隊士で兼定を使っている人はいなかったよねぇ? 鞘は朱塗りと思っていたが朱に近い茶色の※乾漆粉(カツシツフン)を撒いた※石目塗り。 牡丹と鳳凰が黒粉撒と銀蒔絵の二通りで描かれている。 目貫は枝山椒。 鍔のデザインは七夕図。 七夕に梶の葉に降りた玉露で墨をすり五色の短冊に書いた願い事を笹に吊るして祈ると願いが叶うという。 ※乾漆粉…漆をガラス板に薄く塗り、乾いたのち、はがして粉末にしたもの。蒔絵(まきえ)・漆塗りなどの材料に用いる。 ※石目塗…漆工で,漆の表面に炭粉や乾漆粉などを蒔き,石の肌目のような凸凹をもたせる技法。 誰のアイデアでこういう造りにしたのかは知らないけれど、 ものすごく現実的で冷静な土方さんが、これを愛用して実践でバッサバッサと使っていたと思うとなんとも。 いままで沢山いろんな刀を見たけれど、こんなに美しい鞘に入ってるのは見たことないよ。 もちろん豪華絢爛な鞘もたくさん見たけど、ひとつひとつにいろんな 想いが篭ってるような そんな刀はないよねぇ。 そしてここに来るとやっぱり泣きそうになる「安富才助さんのお手紙」 隊長の死を「誠に持って残念至極に存じ奉り候」と嘆き、自分は無事で申し訳ないと言う、あの手紙。 大混乱の中で急いで書いたであろう乱筆乱文のあの文字が切ないのよ。 数々の想いのこもった品々を本当はゆっくり眺めたいが、この混雑ではね。 いつもシーズン外して訪れようと思うのだが、今年こそ少しゆっくり幕末に戻りたい。 あまり知られてないけれど加藤福太郎さんの手紙。 土方さんの幼馴染だった平忠次郎さんが当時室蘭警察に勤めていた加藤さんに土方さんの埋葬地を探してくれとお願いしたのだ。 詳しい年はわからないけど多分明 治15年以降。 手紙の日付は5月15日。 調査したのは5月13日。 桜が咲き始めたよって言う出だしに北海道の寒さを思い出す。 当時存命だった柳川熊吉さんにもお話を聞いているから信憑性は高いと思うのよ。 戦死者名簿の「第一の初筆に顕し居り」と言う記述に土方さんは大切に思われてたんだなぁと感動。 それによると土方さんのご遺体をなんとか探し出して火葬にして碧血碑に納めたって書いてある。 他にも見てると涙が出そうになって漸く引き上げました。 墓所にお参りしたけど、ここでも結構な人がお参りしていて相変わらずのモテぶりですな。 まぁ、マヨネーズを供えるようなヤカラはいなかったので安心しましたが。 思いついて高幡不動にも行きました。 先日日光で鳴き龍を聞いたせいか、お不動様の龍の声が聞きたくなりました。 こちらはいつも人が少なく、心ゆくまで龍を愛でました。 その足でいつものように奥のお位牌にお参りに行く途中。 「楊州周延」の浮世絵の展示が。 なにげなく立ち寄って驚いた。 この「周延」さん、元高田藩士で神木隊として戊辰戦争を戦ったヒト。 しかも歌川国芳に師事した事もあると言う。 知らなかった。 仰天してじっくり眺めてきましたよ。 ふぅ。やっぱりこのあたりはタカラモノがゴロゴロしてるぅ! 水琴窟の水音にココロ癒され帰宅。 いや、暑かった。 なんだかばててしまいました。 ★楊洲 周延(ようしゅう ちかのぶ、天保9年8月8日(1838年9月26日)-大正元年(1912年9月29日) 江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師。 歌川国芳、三代歌川豊国及び豊原国周の門人。 橋本作太郎、諱は直義。楊洲、楊洲斎、一鶴斎と号す。 越後国高田藩(現新潟県上越市)江戸詰の下級藩士橋本弥八郎直恕(なおひろ、家禄5石6斗2人扶持)の長男。 嘉永5年(1852年)15歳で国芳に絵を学んで、一丹斎芳鶴を名乗る(有署名作品は未確認)。 安政2年(1855年)頃から三代目豊国につき、二代目歌川芳鶴、一鶴斎芳鶴と称して浮世絵師となった。 その後、豊原国周門下に転じて周延と号した。 周延の作画期は文久頃から明治40年(1907年)頃までの約45年に及んだ。周延は3枚続の風俗画を得意とし、美人画 に優れていた。 慶応元年(1865年)、幕府の第二次長州征討に従軍。 慶応3年(1867年)橋本家の家督を相続した。 幕末の動乱期には高田藩江戸詰藩士が結成した神木隊に属し、慶応4年(1868年)5月上野彰義隊に加わる。 8月朝日丸で品川沖を脱走、すぐに長鯨丸に乗り換え、11月北海道の福島に上陸。 陸路で箱館を目指し、翌1月5日亀田村に到着。 榎本武揚麾下の滝川具綏指揮第一大隊四番小隊のもとで官軍と戦ったが、3月の宮古湾海戦において回天丸に乗り込み重傷を負う。 戊辰戦争終結後に降服、未だ傷が癒えていなかったので鳳凰丸で明治2年(1869年)8月に東京へ送られ、高田藩預かりとなった。 故郷の高田で兵部省よりの禁錮50日、高田藩から家禄半知または降格、あるいは隠 居廃人の処分を受けた。 大正元年(1912年)9月29日、胃がんにより死去。 享年75。 墓所は台東区無縁坂の浄土宗講安寺であったが、豊島区雑司が谷の雑司が谷霊園に移された。 法名は覚了院直誉義誓居士。 以上wikiより。 いろいろツッコミどころ満載。 私のツボ刺激しまくりな、お方。 今更ながらだけど。 土方さん家とお不動様は近いよね。 でも日野とは遠いのよ。 当時とは道も違うから余計そう思うんだろうけど、本当は日野に行きたかったの。 いや、行かれないことはないんだけどさ 石田寺~お不動様まで20分くらい。 石田寺~日野まで35分くらい。 …あまり変わらないんだけどなぜか遠くに感じるのよね。 日野はそのうち。 お祭りが終わって から。
2015年05月04日
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http://www.hijikata-toshizo.jp/ 突然でなんとも。
2015年01月28日
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遅ればせながら 新年、おめでとうございます。 また一年、とりあえず過ぎました。 昨年は今更振り返りたくもない数々と、輝かしい栄光にも恵まれた不思議な年でありました。 生活の基盤を失いました(笑) まさかの失業。 まさかのはらすめんと。 沢山の「まさか」についていけないうちにこんなことになっちゃった。 結構な喪失感がありまして。 「さぼり」とも言うのかな、やる気が…全部ぶっ飛びましたね。 惰性で弓道も行きますし、舞台もライブも行きますが、なんかね。 ぽっかり。 かといってばりばり次の仕事を探す気にもならず。 恥ずかしながら我家の経済状態では少し休んで…ってなわけにはいかず 明日からでもバリバリ働かなくちゃ生活が困窮する。 なのに。 な~んにも出来ない気がするのよ。 仕事。 特技もない、経験は役に立たないものばかり。やりたい仕事はスキルがない。 体力も若さもない(笑) 社会のくず。 一方で、一生懸命に真摯に生きたい思いも強くなり。 つらい思いをしてる人もたくさんいるし、自分は全然甘ったれている自覚もあるの。 恵まれている自分が今へらへらしていてはだめだと思うし。 弓道も。 昨年の栄光が重くのしかかる。 なにより自分が、そこまでできたのになぜ今駄目なのかつかめない。 こういう面倒な性格が人に疎まれこんな結果になったのだと思うけど。 どうしていいのかわからない。 ひとつだけ良いことが。 目が、見える。 仕事してた時はメガネをいくら変えても見えなくてしんどかったのに、 今はメガネなくてもPCできる(笑) 不思議よね。 体調も良い。 口内炎もないし、毎日痛かったおなかも胃も痛まない。 ひどかった肩こりすら痛くない。 こんな年明けでどーしたもんかなぁ。
2015年01月03日
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特別公開って事で、休みだったので父を誘って行ってみました。 昨日の雨で綺麗に洗われ、澄んだ空気が気持ち良い。 かなりの混雑は予想通り。 でもここまでとは。正直びっくり。 みなさん、余裕だなあ そんなに多くはない紅葉🍁 でも雰囲気がね。 やっぱり非日常なのよ 青空。 東京のど真ん中とは思えない広々とした敷地に広がる紅葉🍁。 なかなかの経験です。 今でこそ「皇居」だけど「江戸城」なのだ。 ワクワクしちゃうよね! 到着から坂下門を潜るまで1時間。 二重橋駅から行ったけど、桜田門のほうが良かったみたい。 坂下門から乾門を出るまでが1時間半くらいかな。 ちょっと目を離したら迷子になりそうな人混みですよ。 でも。 行って良かったな。 お天気にも恵まれたけど、何やら父はたのしそうだった。 うっかり自分のペースで歩き回ってしまったので乾門を出てからは休憩しつつランチ。 そう言えば最近は父と出掛けることもなかったよな、と、反省。 以前は割と一緒にあちこち行ったのだ。 年取ったなぁ、と思う。 以前は驚く程元気で、いくら歩いても平気だったのに。 階段を上がった所で休憩するのを見てちょっとさみしくなった。 自分が年を感じて切なくなってる分、親も確実に年齢を重ねているんだよな。 いつまでも、とは言えないのかも知れないけどせめてあと数年は元気で居てね。 またね、と別れた後ろ姿に祈るように思いましたよ。
2014年12月05日
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仕事が無くなった はっきり言うとクビになったの。 7月に異動になった時から予感はしてたさ。 それがいわゆるパワハラってもんかなと思い出したのは随分経ってからだから私も本当に鈍いよね。 辞めちゃえ。と、思った。 でも言いたい事も言わずにやられっぱなしはダメだよ。と、言ってくれた声に励まされて言ってみたら…。 もう要らないって言われた。 どうしますか?って言われて、なんといえばよかったんだろう? 15年。いろんな事があって、仕事で本当に大変な時もあって、でも一生懸命努力して立て直して「ありがとう」って言われたのにな。 呆気ないものね。 知らない内に業務の遅れは全部自分の所為になってた。 ミスは許されないのだそうだ。 ヒトだからミスは無くならないと言ったら、その態度がダメなのだと。 ミスしても防げる体制を作りたいと言ったら、その態度が甘いと言われた。 自分の今までは一体なんだったんだろうか。
2014年12月02日
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常識あるオトナってなんだろう?早朝から微妙な緊張を孕みつつ会場へ。もちろん一番乗りですとも。誰も来ておりませんが、その隙に今日の手順などのレクチャーを仲間から受けました。何度かお手伝いをした仲間が以上に緊張しているのでこちらも不思議な気分になります。だって、相手は大先生といえど、大人だし、接待を受けるために来るわけじゃない。あくまでもメインは別、それを気分よく滞りなくやってもらうための「接待」なはず。第一皆さん「人格者」なのだ。お茶の出し方ひとつで文句を言う方々ではなかろうになぁ。準備をしているとだんだん人が集まりだし、緊張しつつご挨拶。とはいえ、みなさんご自分の準備に忙しくお茶係になんて注意を払わない。当然よね。ま、いろいろありましたよ。基本的には休憩時間にお戻りになる先生方にお茶をお出しする。食事時にお茶を出したり、お菓子を置いたりする。お疲れ具合を見計らいおしぼりを準備したり、ご所望があればコーヒーなど入れて差し上げたりする。それだけです。「邪魔にならない」これを心がけていればよいのだろうなぁと思っていたのですが。すべて終了して片づけていたら仲間がぽつり。(この仕事を任せてくださった先生の)「顔に泥を塗ったかも」へ?初めての接待というせいもあり、正直なにがなんだかわからないまま。というところはありました。でも先生の「顔に泥を塗る」ような失態って何やらかした?「うるさかった」手順のわからないことを聞いたり、給湯室のドアの開け閉めや、お菓子を準備する袋の音、水を流す音、出入りの足音…。そういうものが「うるさかった」というのです。座布団とひざ掛けの準備も遅れたし。立ってる位置が悪かった。退出の時期が遅かった…。などなど。沢山のダメ出しがあったようです。気づかないうちにしでかす失敗程始末に負えないものはありません。「常識のあるオトナの振る舞い」をしたつもりだし、それがあると思っていただいたからこそこんどの「接待役」を仰せつかったのに。「顔に泥」を塗ってしまったんだろうか…。
2014年11月03日
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審査がまたまた近づいてまいりました。今日は本番を想定して審査会場の道場でお稽古してきました。あいにくの、雨。それでも気合いは十分です。だって。審査を受ける仲間4人と、ご指導いただく先生。それだけでガッツリお稽古出来るなんて、そんな幸せな事、良いのだろうか?状態。入場、退場、位取り…。そういう細かいところをガッツリお稽古して、午前中はそんな感じで終了~☆先生をランチをして、ホームグランドに戻ると夜の稽古に参加。本当にガッツリお稽古したのでくたくた。昨日ほぐしてもらった体がまた疲労しそうです。でもココロがとても喜んでるぅ~。今日はチケット取もその隙間に発生していたりして、本当に忙しい1日でした。無事、チケットは取れたもののそれに付随するチケット取が…。明日は、高段者の審査のお手伝いに行きます。え?ハイ、始発で行きます。審査より緊張する「お手伝い」です。…がんばります。紺ブレザー、白ワイシャツ、黒靴下。全部揃えました!ちゃんとした社会人なら当然持っているものが私は持っていない…。でも、でも。揃えたもんね。ちゃんとした社会人のフリは出来るもんね。そう思っていたら…。腕時計…?!…もってないよぅ。やっぱりちゃんとしたオトナが手伝う、「お手伝い」私にはかなりハードルが高いようで。
2014年11月01日
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仕事で大変なことになっている。もう「わーっ!」ってなって坂田センセのとこへ逃げ込んだ。体中、コチコチ。そりゃそうだろ。仕事でずっとPC使ってマウスコロコロしてるから固まるよ。むくみもひどいし、足もすぐ痙攣する。おまけに弓でもあちこちの筋肉を使おうと努力してるし。ぱんぱんになってセンセにほぐしてもらいたかった。で、今回は苦手なハリはなく、只管ほぐしてもらってリラックス。本当は何度も通えると良いのだけど。なかなか…。センセの所行く時間があったらお稽古行きたいしね。足もイタイ。これは筋腫のせい。筋腫って破裂したりしないのかな。大出血して血の海でのたうちまわったりしないのかな。センセー!やっぱり鬱病みたいですよぅ!なんかちょっと聞いたところによると。青山に美顔鍼のお店を出したらこれが当たってるらしい。あ。名前聞き忘れた。ま、いいか。
2014年10月31日
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神代植物園。秋の薔薇目当てで到着。わくわくと盛り上がっていたのに雨…!まさかのこんなタイミングで!!どこにも雨宿りできるところなんてないよぅしかたなく大木の下でやり過ごそうと文句を言いつつ見渡すと。おや、薔薇園とは違う方向に鮮やかな花の気配。なんだろね?綺麗だねと言い合っていたらあっさり雨が止みました。さっそく行ってみると…ダリア!おぉ。美しい。大輪の鮮やかな花が誇らしげに咲き誇っている!…ダリアの神様はこれを見せたかったのかしらね。そして念願の薔薇園へ。美しい。香りが良い。ココロがうっとりする。この写真のサイズ、何とかならないのかしらね。植物園の後は鬼太郎茶屋を除いたり、お土産屋さんで盛り上がったり。〆のビールまで心行くまで楽しんだ休日デシタ。
2014年10月28日
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夏の暑さも過ぎ、台風も過ぎ、漸く秋らしい陽気。「秋の薔薇を観に行きましょう」住宅地だけど崖の上。青空が高い。気持ちが良い。薔薇の実だって。軽くお茶をして散歩がてら逢いに行ったよ。「ふくろう茶屋」店内には様々なフクロウが。おっきいのもちっさいのもいて可愛らしいったら。こんなに近くで見られるなんてね。まるで抱っこしてるみたい。気持ちの良い秋の一日、さてメインは。…つづく
2014年10月28日
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頑張ってお稽古。これがなかなか出来なくなってきた。異動になってからどうにもやる気がない。お稽古だけじゃない、すべてにおいてやる気が出ない。そうして月日だけが飛ぶように過ぎていき、気づけば再びの、審査月間。はふ~っ!でも時々、先生のおっしゃっていることがちょっと分かった気がすることがある。ずっと言われ続けていた「弓手を動かすな」それだけのことがどうしてもわからない。それがここにきてちょっと気づけたような…。とはいえ、実践できるのは一日に2、3射。うまくできない。仲間の上達に焦る。比べるものではないし、そもそも比べられるものでもない。それでも、焦る。自分のふがいなさに。お稽古不足に。そんな日々だったが、大好きな先生とランチの機会に恵まれた。射技の話はもちろん、精神論、先生の日頃の思考などなど、沢山の話を聞かせていただいた。もちろんダメ出しも多いのだけど、稽古着を脱ぐと先生は穏やかだ。和裁も上手な先生は胴着もご自分で手作りなさるとか。も、意味が分からないくらい凄いわね。その胴着を譲っていただけることになったのデス!ま、経緯はいろいろあってわざわざ私に下さるというわけでは無く、偶然なのだけど。それでもなんだかうれしいよね。そんなわけですっかり心を入れ替えた(カナ?)私は心行くまで久しぶりにお稽古しましたとさ。昨日のお稽古でもやる気は密かに胸で燃え、全身へろへろになりながらもお稽古。そしたら。別の先生がしっかり見ててくれたのだ。出来なくても出来なくても言われたことをやろうとしているということに気づいていてくださったのだ。直接言葉はかけてもらえなくても、ちゃんとやっているな。それでいいんだよ。と、遠くから見ててくれたよ。そんな、それだけのことがなんだかうれしかったお稽古でしたな。
2014年10月27日
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「高須四兄弟」新宿・荒木町に生まれた幕末維新 高須家の有名な四兄弟は新宿で生まれたのだ。幼少の時を新宿で過ごし、それぞれ他家に養子に行き養家に尽くすのだ。それぞれに有名なこの方々、だけど四人兄弟から見た幕末というのはちょっと興味がある。内容自体はそんなに目新しいものはなかったけれど、視点が違うと違うものも見えてくる。この方々に限らず、大名と呼ばれる方々はみな教養が深い。書でも画でもとても素敵。嗜みだからと言ってしまえばそれまでだけど。なんというか。こういう人たちがニホンを動かしていたのだ。この四兄弟、それぞれに思い入れもあり、いろいろ思うことも多いのだ。でも基本は「大名」だという事だよ。慶喜もそうだけど、殿様なんだよ。いい意味でも悪い意味でもね。そんな中でやっぱり目を引くのは明治十一年に撮られた四兄弟の写真。今とは写真事情が全く違うとはいえ、四人ともそれぞれ全く違うものを見ているこの写真。皆、洋装で幕末を思わせるものは何もない。それでも。四人がそれぞれ過ぎ去った時代を自分の眼で見ていると思うのは考え過ぎなのかしらね。決して安くはなかった(だろう)写真代はは四人できっちり折半だったとか。なんだかじっと見ていると泣けてくるのデス。そしてもう一つ。三の丸尚蔵館所蔵という、明治天皇の発案で収集されたという、写真帖。なるべく洋装で。との思し召しだったらしいのだが、容保公は風折烏帽子、大紋の武家の礼服姿なのだ。この時、容保公四十五歳。戊申から十年。どんな思いでこの衣装、この写真に納まったのか。そんなところにもいろいろ感じてしまう訳ですヨ。会場となった新宿歴史博物館は津の守坂のすぐ隣。そんなわけでもなかろうが、四谷のご生家も結構詳しく展示されていた。今はもう面影もないけれど、七万ヘクタールという広大な敷地に風光明媚な佇まいだったという、上屋敷。ずっとずっと以前に行ったね。また行きたいね。図録がまたなんだか立派なのよ。ちょっともったいないくらい。論考とかも載っていて結構興味深く読みました。この新宿歴史博物館。ちいさいけれどお庭にはコヒガンサクラがあるのだよ。春にね。また来たいよね。新宿歴史博物館にて。11/24まで。
2014年09月29日
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先日矢の修理を自分なりにやりましたが、頼んでいた矢ができたとの連絡をいただいて行って来ました。わずか2年前、されど2年。ずいぶん違う感じです。先日減っていると指摘を受けた矢先も全部取り替えてもらい、バランスを直してもらいました。さらに。どうにも不器用で道具の手入れは苦手なのですが、握り皮がね。握り皮がずれてきてしまうのですよ。握りすぎなのですな。今回握り皮もすっかり取り替えて、いちからやり直しました。いままでなんとなく使用していたものを全部剥がして自分の手に合わせて調節するのです。市販のパーツも売っているのですが、先生方はそろってそんなの必要ないというので、仰せに従いはがきを枕に使いました。はがき…。はがきを使う…。はがきったってねえ。ダイレクトメール…?大事な龍太郎にダイレクトメール…?大事な龍太郎に使う大事な握り。大事なものを使いましょうということで、レコーダーのポストカードをね、使わせていただきましたよ。一枚では厚すぎるので、半分。ごめんなさいして上半身。「龍太郎」に「レコーダー」最強でしょ。なんだけど。つい最近までちらちら見えていた弓道のしっぽは完全に見失いましたな。また最初に戻っちゃったみたい。「どうしてあたらない?」「当たればね」「あれでなんで当たらない」つらい日々、再び。それでもやっぱりお稽古に行くですよ。
2014年09月15日
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毎年お邪魔させていただいていている無外流演舞by天祖神社。今年もやってまいりました。毎年暑くてしんどいのだけれど、今年は秋風吹く中心地よく観覧。なんだかだんだん見慣れてきましたよ。初心者の方から上段者の方まで。型の披露と、試斬。鎖鎌までみせていただきましたよ。今年もたっぷり堪能して…と思いましたが…。我らがTLの試斬が見られなかったのが残念。組太刀がなんか少なかったのが残念な印象でしたな。でもまぁ、毎度毎度思うのだけど。きちんとお稽古すれば必ず結果はついてくる。そうだよね。
2014年09月15日
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道具の手入れも大事なことです。私の矢はカーボンなのですが、塗りがはがれたり、傷ついたりしたので、ちょっとお手入れ。まず、マスキングテープを貼りますちょっとだけ水で薄めて塗ります乾かします。たったこれだけなのですが、なんだかひとりで大騒ぎでした。弓道のしっぽがちらちら見えた気がしました。まだまだ捕まえるのは難しそうですが、なんとなくいつも見えるようになるといいな。時々、触れたような錯覚も起きます。頑張ろう。共に闘おう。
2014年08月24日
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結婚式に参列してきました。普段ばらばらな我家の久しぶりの公式行事です。「仲の良い家族」としてふるまうのデス(笑)久しぶりの親戚の集まりですが、本当に内々だったので気楽☆しかも私は大好きなのです、この親戚たちが。陽気で懐の深い方ばかり。日頃好き勝手ばかりしている家族(特にワタシ)が久しぶりに親戚と共に過ごす時間。なんかね~。イイよね。式もアットホームで微笑ましくてとてもよかった。イマドキの結婚式事情もちょっと垣間見えたりして、非日常な時を過ごしました。いくつになってもおしゃれをするってのも楽しいもので、久しぶりにきちんとメイクをして、髪をセットして…。はしゃぎたくなってきました。あまり天気は良くなかったけど、おかげで酷暑は免れたかな。汗だくにはなったけどさ。幸あれ。そう思ったけど、この親戚たちを見ていると、きっと大丈夫ってのはわかる。幸せになる。必ず。このヒトたちがいるからね。そしてその隅っこに我らがいるからね(笑)ご招待、ありがとう。シアワセでいてね。シアワセそうなキミの笑顔。おすそ分けは十分いただきましたよ。今日は本当に良いお日和でございました。とさ。
2014年08月24日
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恥ずかしい思いも、悔しい思いもしてきた。情けなくて歯痒くてなんて思いはそれこそもう、数えきれないほどに。夏休み。さまざまな思惑で自分なりに目標を持ってお稽古に励んだ。連日の講習会も。日頃行かれない時間のお稽古も。一度は行きたかった場所でのお稽古も出来た。割と好調で、「筈一個」の魔法のおかげで楽しく当たってきた。その、集大成だったはずなのに。昨日、今日と仲間がそれぞれの場所で、立場で昇段試験に臨んでいる。合格も残念もいて、またそれを乗り越えて共に精進するのだ。なのにこの体たらく。うぅ。結果を言えば3位。まあまあでしょ。でもね。内容が悪すぎる。4/10でしかも競射で負けての3位。なにやってんのだ。「筈一個分」の魔法でちらりと見えたしっぽは、なかなかつかまりませんなぁ。それでもめげずにお稽古。行かれるかしら。
2014年08月17日
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なつやつみ弓道が一日お休みだったので、おうちで片付け…の予定が。こういう時に限って体調を崩す。ま、こんなもんさ。 それでも何とか片付けの目途が立ちました。で、今日はいつもの施設が使えないので別の施設でお稽古です。K先生に連れて行ってもらった弓道場は広くて新しく気持ちの良い場所でした。「筈一個分」の魔法がまだ効いているようで、気持ち良い音が鳴ります。楽しいよ。楽しくて楽しくて、体力が続くならこのままずっとお稽古していたいさ。それでも3時間ガッツリお稽古をして、先生と食事をして帰宅。楽しい気分のまま。でも、まぁ。いつもの弓道場がすぐに恋しくなっちゃうのさ。今度の土日は審査です。今回は受けるのを見送りました。がんばっている仲間の応援だけ。参段を頂いてから、ずっとずっと昇段試験頑張ってきました。そりゃぁもう、一生懸命。でもね。なんだか…ぽきんと音がしたのだ。この前落ちた時。ちょっと泣いて。激しく落ち込んで。拗ねた。たまたま当たったり、たまたま出来が良かっただけで受けても合格しないのだ。きちんと信念を持ってできるようになりたい。審査の先生方に自信を持って「見てください」と言えるような射をしたいのだ。そのご褒美に「昇段」があるのだ。ここに来て調子が上向いた。昨日の「筈一個分」の魔法がまだ効いている。正直、明日試験を受ければよかったと思う自分もいる。だけど。やっぱりそれは違うような気がするんだよ。今当たっているのは、休みの解放感と好きな時に射てる気楽さ。それだけの気がする。来週、ちゃんと仕事をしながらいつもの景色で魔法が解けなかったら。その時はやっぱり次回の昇段に向けて気持ちを作ろうと思う。来週、やっぱりいつも通りに腑抜けたら。それまでなのだと、あきらめよう。日曜日には射会がある。そこでひとつ答えが出るだろうか。
2014年08月15日
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暑い。でも酷暑ってほどではないもんね。お昼からお稽古。夏休みのせいか、みなさん張り切ってますなぁ。種々用事を済ませつつ、お稽古お稽古。昼間のお稽古に行くと日頃お会いできない方にたくさん逢えますな。それは良いんだけど。昨日矢師さんに言われたことを半信半疑で実践してみた。まずは通常通りに一手。これがまた見事に2時に二本とも抜けた。では。言われた様に筈ひとつぶん、ずらしてみた。ウソデショー2本とも入った。あんなに当たりに苦労していたのに。あんなに先生方がそろって「なんで当たらないかわからない」とおっしゃったのに。唖然としながらもまだ信じられず、以前使っていた矢を引っ張り出して番える。笑っちゃうくらい矢師さんの言うとおりだった…。丁寧に筈ひとつぶん、いつもよりずらして番えた。ウソデショー。ぽんぽんと当たる矢に先生方にも先輩方にも聞かれます。「筈、ひとつ分」ここ数年、苦しんで来た原因がコレなんでしょうか。立て続けに受けた講習を思い出しながらなぞり、ただ、矢番えの時だけ「筈ひとつ分」ずらして取りかけました。それが。すぽんすぽんと当たる矢に顎が落ちそう。もちろんこれがすべてなんて思っているわけではありません。今日は今日。明日はまたわかりません。それでも。道具の、手入れの大切さを痛感どころが殴感したお稽古でした。どうにもこのままではすまず、次の練習枠まで延長し、お稽古をつづけました。だけど、悲しいかな体力には限界があり。それでも1時間半程頑張ってから帰宅しました。あんなにあたるなんていや、まだ信じられません。明日はお稽古休日で出来ません。明後日また試してみますけど…。シュレーディンガーの猫のような確率ですよぅ。でも。道具。K先生もおっしゃってました。カケの重要性。道具に使われちゃだめだ。きちんと使わなければ。と。もっともっと高段者の話だと思って、雲の上の話として聞いていたのにねぇ。いつの間にか道具にも気を配れるようなそんなところまで来たのかしらねぇ。
2014年08月13日
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今日は朝からがっつりお稽古。火曜日の午前中。一番行きたかったお稽古。神前拝礼をして、入場からの体配と審査間合いのきっちり稽古。先生も大勢いらして指導が入る。先日の講習会で言われたこと、筋肉の使い方など、日ごろ聞けないご指導に真剣に耳を傾けた。いや、いつもちゃんと真剣にやってるけどね。けどね。やっぱりひとりでもやもやしながらやるお稽古とはちょっと違いました。なんとも内容の濃い、重たいお稽古だったのです。昼からは引き続き講習会です。内部の先生方の着物での講習会。夏休みのせいか受講者も少なくて本当にガッツリきっちり見ていただけました。とても丁寧なお稽古が出来て嬉しい。酷暑は免れたとはいえ、猛暑には変わりないし、着物は暑いし。でもやっぱり今日は来られて良かった!と、本当にありがたいお稽古でした。そして、先日のK先生の講習会で言われたことをH先生はちゃんと覚えていてくださったのです。「物見とねらい」当たらない私にK先生がそれを重視して観てくださったのですが、こればっかりはひとりでお稽古できません。特に言ったわけではないのですが、H先生はそれを覚えていてくださって何度も何度も観てくださいました。うれしいよぅ。そして漸くちらりほらりと当たりが出ました。あちこち、完全ではないものの当たりが出たことで先生が笑顔になりました。漸く、漸くご指導に応えられたかも。まだまだ課題はありますが、一応方向が出来たことでちょっと元気が出た講習会でした。う~む。なかなか今年の夏休みはすごいことになってるなぁ。お稽古帰りに矢師さんのところへ行きました。そこで衝撃の事実に直面しました。「矢がだいぶ減ってるね」はい?今使っている矢は2年前の冬に作っていただいたもの。2年の間に2ミリ。「矢が2時くらいに抜けてない?」…確かに。外れるのはいつも1時2時です。時には全く同じところに抜けていきます。「短くなってるし、先が痩せてきてるから重心がずれてきてる。」えええ~っ!話には聞いたことがあったけど、まさか自分の矢がそんな状態になっているとは…!さまざまなアドバイスを頂いたり、矢のレクチャーを受けたり。この矢師さん、今回の伊勢神宮遷都にあたって奉納矢を作成した方。お話はどれも興味深く楽しくて、気づけば一時間も過ごしてしまいましたとさ。いや、もっともっと話をお聞きしたかったけどね。足、がね。痺れて…というか、もうね、大変なことになっちゃって…。ヨロヨロしながら帰りましたとさ。でもさぁ。なんだか半信半疑。今まで弓を変えようが、矢を変えようが、カケを変えようがまったく違和感なかったのに、そんな「たった2ミリ」でそんなことあるんだろうか?
2014年08月13日
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3日目今日は15時からのお稽古。午前中は片付けものをして買い物に行き…と、いろいろ考えていたのに予定外なことも起こり、お稽古に行くのがぎりぎりという…。ま、そんなこともあるよね。ひとりでもくもくと講習会で言われた事を思い出しつつ練習。でもね。共に講習を受けた仲間がいるからね。確認し合ってやってみたり。弓の先輩なのだけど。共に昇段に挑戦し、同じように苦しんでる人がいて。先日京都に行ったそうで。「私たちに必要なのはこれかもしれないよ」と、お守りを買ってきてくださった。三十三間堂の必中守り。言葉が出なかった。共に、闘ってきた仲間ではあるけれど、私なんかより全然上のレベルの景色に身を置いてる人で当たりもあるし、選手にはいつも名前がありちゃんと実績を残している。そんな人が私を気遣ってお守りを買って来てくれたのだ。そんなヒトが言うのさ。苦しい。止めて良い条件があるならやめてしまいたい。答えられなかったな。それでも。共にやりましょうとしか。居てくれることが嬉しいのですとしか。もやもやしつつもそのまま残ってお稽古しました。小学生や高校生も共に戦う仲間なのです。講習会で言われた様々を、いろいろ試してみたりしてうまくいったのかいかないのかそんなこともわからぬまま。いつもより少し早めに切り上げた私にlineで連絡が。いつも気にかけてくれる先輩からです。先日、ご主人が出張から戻ってくるからお稽古になかなか来られないかも。と言っていた、先輩です。軽い気持ちで開いたlineに重たい文章。そんなわけで、しばらく練習にはいかれそうもない。衝撃的な内容に暫く言葉が出ません。続けたくても続けられないこともある。恵まれた環境にありながらいじけてる自分がいる。…恥ずかしいよね。「しっかりしろ!」
2014年08月12日
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2日目。今日は雲の上のセンセイ、K先生の講習会。日頃教えていただいている先生方と一緒に受けられる講習会です。今日も、キモノです。昨日に引き続き、少し涼しいのでキモノも…苦…では…あ、りま、せ、ん。受講は15名。ちょうどよさげな人数です。そして、初心者の私は久しぶりのスーパー大前です。これでK先生にガッツリ見ていただけますよぅ!軽くお稽古したときはそこそこあたったのですが、いざ先生のご指導が始まったらまったくの無音です。「1本入れば(4段)行けるんだがな」と、また言われてしまいました。まったく進歩がないんだなぁ。先生にも聞いてみました。「なぜ当たらないのでしょう?」首をかしげてしまわれました。それでも手の内のご指導を受けたり、取りかけのお話を聞いたり、カケの役割を教わったり、とてもたくさんお話をしていただいて充実した時間を過ごしました。おこがましいことではありますが。他の先輩方に言われていることを聞いても自分に当てはめて考えられるような気がしました。先輩方が悩んでる意味が、私にもわかるようになったような気がしました。射技指導で、私が言われたのはまさかの「矢の持ち方」…射技以前のオハナシですな。それでも丁寧にわかりやすく教えてくださる先生に本当に頭が下がります。このK先生、大好きなんだよね~。やさしいのだ。言ってる言葉は厳しいのだけれど、聞いたことには嫌な顔もせずに丁寧にご指導くださるし、一生懸命見てくださるので大好きなのだ。一手先生に見ていただいた後はまさかの「持ち的座射礼」え~!お正月以来やってないよぅ。でも出来ないと私の先生方が恥をかくよぅ。しかも、大前だよ、ワタシ。ええい。とりあえずやってしまえ!…ってな感じで出ました。早矢を射て下がるとき間違えた。それ以前に入場のときの歩き方を間違えたよ。それでも丁寧なご指導、イタミイリマスル。なんだかんだと射技指導、3手見てもらえた。その間、一本も当たらず。先生も首をかしげておりましたな。…ハハハ…。orz先生をお見送りし、待ちかねたように自主練に移る。今日はラストまでやっても良いのだよ~♪K先生がお帰りになった後、自主練を始めようとした私にわが師、H先生が厳しいお顔で来られた。「射がいじけてる」は?「どうせ当たらないと思ってるでしょ。射がいじけてる。いつものようにどーんとやりなさい」え。え???いじけてる…?本当、先生にはかなわない。すべてお見通し。ご指導いただいたK先生が射技指導でおっしゃった。「的付と物見」それをH先生は聞いていてくださって、何を思ったか見てくださった。そしたら。ぽんぽんぽーんと、当たったのだ。あれだけ当たらなかったのに。「まっすぐに押してない、ばーんって離してる」…そうなのだ。私の悪い癖。押せって言われると上押しをぎゅうぎゅうしちゃう。伸びろって言われると引き分けから伸びちゃう。そのまままっすぐ離せって言われてるのにばしーんと離しちゃう…。K大先生ももちろん大好きだけど。やっぱり日頃見ていただいてるH先生はもっと凄い(内心思ってる)見てないようできちんと見ていて、たらたらしてたり、いじけてると的確に指摘して叱責してくださる。まっすぐに押してバランスよく離す。離すというより離れる。自分で常に言い聞かせているのに、先生に言われるとちゃんとできたりする。…なんでなんだろ~?先生方がお帰りになられた後自主練。もっと頑張りたかったけれど、イキナリの台風の本気にビビる。矢どころか弓まで濡れる激しい風雨にお稽古中断。明日もあるしね。ってことで帰宅。明日は午後から。龍太郎、よろしくね。
2014年08月11日
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毎年嫌いな夏休み。でも今年は楽しみでたまらなかった。だって。だって、だって「お仕事行きたくないも~ん!!!」飛ばされて一か月。涙目でこらえにこらえて仕事してますから。どんだけ楽しみにしてたか…!でも、まぁ、行くところもやることもナイワタクシ。夏は苦手デス。H道場での独自講習会。9時にはすでにスタンバイOK!人数も35人と少なめでガッツリできそうな予感。だけどまぁ、予感は得てして外れるもので、最初の一歩から叱責のお声。「やり直し!」まぁ、新人さんが多いようだから仕方ないよね。しかし。酷暑は免れたとはいえ、猛暑には変わりなく。着物はしんどい。すでに汗びっしょりで体力が奪われます。漸く我が順番が回ってきました。…。「先生に見てもらえるような射」そして。「自分らしい射」を心がけましたよ。そしたら綺麗に一本だけ当たりました。ほっとしました。まずは「歩き方」から始まります。そして襷掛け。特に注意もされずに終わりました。当然といえば当然。だってだって。日頃先生方に教わっていることばかりなんだもん。出来なきゃ先生の指導が「?」って言われるようなことばかりだもん。出来るさっ!受講生の質問にだって答えられちゃう(モチロン心の中でだけど)だってだって。ウチの先生ならだれでも教えてくれるような質問ばかりなんだもん。こういう外部の講習会に参加するといかに自分が恵まれた環境でお稽古しているかを痛感します。もうここでお昼休憩です。出来ているかどうかは疑問ですが、歩き方はいつも先生に言われているのでなぜ皆さんが今更こんな指導を受けるのかちょっと不思議でした。でもよくよく見てると皆さん、言われてることの意味をちょっと分かってらっしゃらないようでそれにも衝撃でしたな。そして、漸く、いよいよ、射技指導。「うん。悪くないね」日頃キビシイ先生からのお言葉なのでウレシイのですが、じゃぁなぜ当たらないのでしょう。という、質問には答えはなく。以前「ただきれいなだけ」と、言われた射からは脱したようで、ほっとしました。そして以前「無駄な動きが多すぎる」と言われた先生からは「だいぶ良くなってるね」とのお言葉をいただき。なぜ当たらないのでしょう。との質問に「それはわかないなぁ」と笑顔で言われ。う~ん。モヤモヤ。どちらのセンセイにも「当たればね」とのお言葉をいただき、もやもや。その「当たらない」ことに苦しむ私には答えはないのでしょうかネ。そんなこんなで講習会は台風の影響もなんとか過ごし無事終了。久しぶりにお逢いできた先生に感謝です。そして他道場の方々にもお会いできるといろいろ刺激になりますね。暑かったけど、風が気持ちよく吹き、頑張って一日着物でお稽古しました。はぅ。皆様。お疲れ様でした。先生。本当にありがとうございました!
2014年08月11日
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僕らのいる世界は平面で丸い。それがたくさん集まって球になっているんだ。重なっているようでよく見ると重なっていない。そんな、世界さ。そんなひとりぼっちの世界、どうやってつながるか知ってるかい?そう、それが「コトバ」ってヤツだよ。言葉を交わすと世界が交わる。交わす言葉が多ければ交わる面が増える。「知り合い」とか「友達」とか「仲間」ってやつになるんだ。言葉を交わすために必要なものは「名前」だ。これは自分のためにあるものじゃない、自分のものだ。相手が自分を認識するための、道具だ。名を呼ばれ、コトバを交わす。そうやって「自分」は作られていく。呼ばれる相手によって見える自分が違うだろ?そういうことなのさ。同じ空間、同じ部屋、同じテーブルに付いていても全く知らない人なんてたくさんいる。そうさ。だからそういう風に人と付き合うことだってできるんじゃないかい?シュレーディンガーの猫を知っているだろう?本当の理論は難しすぎて面倒だけど、こう理解することはできる。「有るものと無いものは同時に存在しない」生きている自分がいるなら死んでいる自分はいないってことさ。哲学じゃない、理論の方さ。あれは理論では無理だが、哲学的にはイケるんだ。だから僕は猫になる。知っているけど共有しない。いやいや、シュレーディンガー程大したことをしようと言うんじゃないよ。並行世界を使えば可能だ。きっと、簡単なことだ。…こんなの見つけたけど。本当にできるのかな。
2014年07月12日
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慣れ親しんだ駅も通いなれた地下道もビルも今日でサヨナラ。ここで仕事をさせてもらってそろそろふたけたになる。シアワセな職場だった。好きなようにやらせてもらってた。あまり仕事は出来る方ではないのだが、いろいろあってサブリーダーみたいなことをさせていただいていた。ずっと、居たかった。仕事、大好きだった。もっと後輩にきちんと仕事を伝えられれば良かった。もっと工夫の余地があったよな。もっともっとMTGをすればよかった。…言い出したらきりがないのだけど。荷造りをして荷物を送りだし、みなさんに挨拶をして…。メンバーに呼ばれた。プレゼントをくれるという。思っても見なかったよ。退職じゃないしね。メッセージの入ったアルバム。みんなが私の好きそうなものを探してラッピングしてくれた。やだ~うれしい。そんなのを見てると…。自分のやってきたこと、自分の生きてきた証(大袈裟か)が決して無駄じゃなかったんだな。と。やってきたことに価値があったんだな。と。仕事は私が抜けても大丈夫なのは知ってる。仕事だからさ。なんとかなるし、何とかしていくはずだから。それは心配してない。それでも。居なくなったら不安です。と言ってくれる人がいる。なんだかんだと慕ってくれた後輩。ずっと一緒にやってきた仲間。やっぱり泣けるよね。もう一緒に仕事できないんだもん。いつも隣にあった笑顔がないんだもん。明日からまた違う職場。知り合いも多いのだけれど。職場を去るにあたって。どんな気持ちがするんだろうと思っていたけど。探しても探しても、感謝しか出てこない。本当に仕合せな職場だったのだ。平和で明るくて和やかで。ありがとう。あなたたちと共に居られて本当にシアワセでした。明日からは見知らぬ場所でまたイチから人間関係を作り、信頼関係をつくり、仕事を覚えて自分の居場所を作るのだ…。気が、重いわね。今日まではまだ感謝と幸せを噛みしめておこう。
2014年06月30日
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いつの間にか改修が終わってる!…いや、終わってないけど。以前から比べると夢のように綺麗になりましたな。まだ中には入れないし、奥の拝殿(?)は改修中のようなのですが、こんなに綺麗になってるぅ。唐門の内側。閑古鳥。ぴかぴか。ぼろぼろだった透塀も唐門も日光の様。漆の手すりは自分が映るほどピッカピッカです。す、すごい。一日、上野で遊びました自分が自分に戻ってきたような、そんないちにち。
2014年05月17日
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