ゆうさんの日記

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2026.05.28
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携帯電話の無機質な振動が、仕込み中の厨房に響いたのは、ある火曜日の午前四時のことだった。
画面に表示されたのは、地元の警察病院からの番号。数年前に父を亡くし、実家で一人暮らしをしていた母が、自宅で倒れて救急搬送されたという知らせだった。
「ごめん、智恵子さん。ちょっと実家に戻らなきゃいけなくなって……」
「いいから、お弁当のことは気にしないで早く行きなさい!」
一人っ子の私には、頼れる兄弟姉妹はいない。すぐに店を「一週間臨時休業」にすることを決め、私は着の身着のまま地元行きの新幹線に飛び乗った。
病院のベッドで小さくなっていた母は、まだ還暦手前だというのに、すっかり痩せ細っていた。
下された診断は、悪性の腫瘍。しかも、すでに手の施しようがないほど進行していた。
「明美、お店は大丈夫なの……? 帰らなくていいのよ」
かすれた声で私の心配ばかりする母の went(手)を握り締めながら、私は必死で涙をこらえた。

そこから、私の過酷な二重生活が始まった。
平日は朝三時に起きて下町でお弁当を売り、金曜日の営業が終わると同時に新幹線に乗り込んで、週末は母の看病のために地元へ帰る。智恵子さんや大吾さんには「無理しないで」と何度も心配されたけれど、休んでいる暇なんてなかった。店を開け続けなければ、あの雀の涙ほどの慰謝料から作った私の「城」も、母の治療費も維持できなくなってしまう。
何より、大企業の役員だった元夫に「やっぱり母親としても、娘としても一人前になれなかった」と、後ろ指を指されることだけは絶対に嫌だった。意地だけで、私は平日の厨房と週末の病室を往復し続けた。
しかし、奇跡は起きなかった。
そんな生活を始めて半年が経った秋の終わり、母は静かに息を引き取った。
葬儀を終え、誰もいなくなった小さな実家を片付ける。
私に残されたのは、古びた家具と、数々の思い出だけ。もう地元に戻ってくる理由もなくなった私は、母の医療費の精算と、これからの自分の生活のために、実家を完全に売り払う決断をした。
引き渡しの前日、自分の部屋の机の引き出しから、一通の古い手紙が見つかった。
それは、私が離婚して樹里を奪われ、絶望のどん底にいた三年前、母が私に宛てて書いてくれたものだった。
『明美へ。
今は何も考えられなくて当たり前です。でもね、明美が作ったご飯は、いつもお父さんもお母さんも元気にさせてくれた。あなたの手は、人を幸せにする手よ。だから、顔を上げて。あなたが自分の足でしっかり立っていれば、樹里ちゃんは必ずあなたの背中を見つけてくれるから。』

看病に追われていたこの半年間、張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れ、私は誰もいない実家の床で、声を上げて泣いた。
「明美ちゃん、おかえり。本当によく頑張ったね」
下町に戻った私を、智恵子さんは何も言わずにきつく抱きしめてくれた。大吾さんも、黙って私のガチガチに凝り固まった肩を、言葉の代わりに深く、深く揉みほぐしてくれた。
実家もなくなり、私は本当に、この下町の小さな弁当屋だけが唯一の居場所になった。
でも、悲壮感はなかった。母の言葉が、私の胸に温かい火を灯してくれたからだ。

頼れる親も、実家も、もうない。
けれど、私にはこの五百円のお弁当を待ってくれる常連たちがいる。そして、いつかこの暖簾をくぐるはずの、最愛の娘がいる。
「お母さん、見ててね」
まだ暗い夜空に向かって呟き、私は今日も、下町で一番威勢のいい笑顔でシャッターを開けた。





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Last updated  2026.05.28 19:19:32
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