1
2023/05/16/火曜日/突然初夏となる今年のゴールデンウィークは山も行かず。家で庭仕事と読書と編み物をする他はほぼぼんやり過ごした。昨年のコロナ渦中の方がもっと活発だったような。あ、ミュージカルと映画には出かけたけれど。遠出はしなかった。しかし。編み物をめぐる私の状況は沸騰していた。大量草木染のギャップ糸を何とか!プロジェクトが進行中で、あむひび さんの↑これにトライすること4月下旬よりしかしギャップの太いところで糸は緩み、細いところに合わせると歪み、どうも気に入らず。とうとうヨーク部分全て編み終わっていたけれど昨夜に解いてしまった。そして、頭を切り替え、針も6号から10号へ倍増させ、かねてより編みたかった広瀬みどりさんの カシス と命名されたベストを編むことにした。広瀬みどりさんは編み物フォーラム、ravelry で人気のニットデザイナーしかしravelryでは製作方法が手に入らず。結局、作成図が掲載されているLAINE なる冊子 をフィンランドの出版元から取り寄せた。2冊送料込みで10,000を少し超えた!お高い!お高すぎやろ〜円安ジャポン(;ω;)ところで、後日Amazonで買う方が安いと知った∑(゚Д゚)かくなる上はこの二つの冊子を有効利用したいと決意も新た。カシス は青い方に紹介されている。1〜12とサイズは沢山。そのための表記が多くて対数かなんか?みたいだし、アルファベットニット記号満載だし、取り掛かるのに気合いが必要。編んだものを解くと嫌でも気合いは充満するのだ。正しく、ポジティブフィードバック。指定より針、糸共に小さめなのでゲージも目数を増やす必要がある。けれど、2番目に小さい2サイズで手慣らし開始。この段階ではギャップもあまり気にならない。問題はメリヤス編みになったらどんな具合になるか、ちょいこわい。雰囲気が気に入ればこれでサイズ展開して、子どもたちの伴侶のクリスマスプレゼントなるべし。
2023.05.16
閲覧総数 830
2
2021/09/28/火曜日/曇り時に晴ただ今 幸田露伴『五重塔』を読書中その雰囲気を味わおうとひぐらしの里の天王寺を訪ねた。『五重塔』には感応寺の寺名で出て来る日蓮宗のお寺。しかし碑文にあるように、1698年、幕府の命で天台宗に変更された。しかしこの時はまだ感応寺の名のままだった。後、日蓮宗への帰宗を願い出たが許されず、その代案に雑司ヶ谷感応寺が新たに1836年に開山された。そのときに今に至る天王寺と改名された。ところで、話はそれるが谷中にはもう一つ別の感應寺(應は応の古い字)があり、ややこしい。山門に神田山とあるが寺名は、光照山 感應寺とは?元々は神田にあったお寺のようでそのご縁か、かの渋江抽斎の墓碑と渋江家のお墓がある。さて、1644年。感応寺の日長上人が境内に建立した五重塔は1771年の目黒行人坂の大火で焼失するも、わずか20年後にはに再建され、上野戦争、関東大震災、東京大空襲も生き延びたのに、不倫の焼身自殺で跡形無く燃え尽きたとは無念なり。幸田露伴既に亡き後だった事がせめてもの慰めだが、幸田文の事件に寄せる衝撃を何かで読んだ記憶がある。五重塔が能く見えていたろう露伴の2年間暮らした屋敷跡には当時からあったという珊瑚樹が健在。谷中霊園は何度か訪ねているが、お寺、五重塔を中心に眺めてみたのは今回が初めて。今は真っ直ぐな寺前の道路がかつて参道であったと寺の人から聞く。霊園外に日蓮宗のお寺の沢山あることからもよほど大きな寺領であった往時が偲ばれる。日蓮宗は権力から嫌われた一点で胸がすくなぁ。ところで上野戦争では会津藩士の戦死体は新政権が埋葬を禁じ野ざらしの累々たる状態だったことを何かで読んだ。吉村昭だったか。恐らく当時この近辺は人の住める状況では無かったろう。五重塔そのものも土地も、公称では「東京市に寄進」とあるものの、寺側からすれば没収であり敷地の大半が上野戦争後、公営墓地にさせられてしまった事になる。日蓮上人は極楽の池から覗いて何をか思われん。初めの画像の銅製釈迦如来坐像は感応寺が天台宗に変わる直前に建立された。その時の日蓮宗十五世日遼が最後の住持と銘板にある。隣接の谷中霊園寛永寺領の徳川家霊廟の最後の将軍も十五代。そのすぐ側に控えるように渋沢栄一の墓
2021.09.28
閲覧総数 100
3
2022/07/08/金曜日/35°C未満なら何とか宅配便が指定時間に届かない。どこにも出かけられずひたすら待つしかない。カウンターに残りものマンゴスチンが2つ。ナイフを入れ指で裂き、白い実を取り出すのだけど、そのとき爪先が赤くなるのが以前からハテ?だった。何かを待つ、没頭できない時間が間伸びしているときの過ごし方、染めなんかどう?目の前の生ゴミと化すマンゴスチンの皮で染めてみる。殻は二つしかないので染液量は期待できないかも。ところが。思ったより濃く採れた。これにシルクコギレを浸し30分ばかり煮てみると、おお小麦色にしっかりと。元の生地との違いが歴然!手持ちのダンス着の黄色が化学カガクしていて不満だったので、この染液に浸すことにしてみた。量が少なすぎるので、2番出し?で染液量を増やす。↑左が元の色、水に浸けているところ。染液に米酢をおちょこ一杯分足し、沸騰しない程度に30分煮る。あ、この米酢はお高かったからケチるのである。水洗い→ミョウバン水に浸す→水洗い→軽く脱水。天日干し→半渇き→アイロン。同じ条件元の撮影ではないけれど、俄然黄色のニュアンスが落ち着いた。満足。浸し水は玄関まあ道路に打ち水。安全な材料だからねー
2022.07.09
閲覧総数 76
4
2024/11/25/月曜日/晴れ、初冬の〈DATA〉出版社 中央公論新社著者 藪本勝治2024年7月25日 初版2024年8月10日 再版〈私的読書メーター〉〈平家物語後のリクエストが今頃。本居宣長からご一新の時代を600年遡る。とはいえ、歴史のダイナミズムよ。黒船来航と蒙古襲来、度重なる自然災害、帝を頂点とする都人の興亡、鏡映し。幕府の正史であれば民衆宗教語らず、されど新仏教、新興宗教と世情不安の折に栄える。著者曰く「蒙古襲来という未曾有の事件」は東海の小島の我らご先祖さまを震撼させ、上から下まで「寄って立つアイデンティティ」の補強なり創設を促した。本願は権力者の正当性だが、その仕付け糸を解けば異なる紋様を目の前に展開させ、解く前から想像力裏打ちの知性を説く。〉潤色、曲筆という言葉がリフレインされる。著者は灘高国語教師である。ナイーブな歴史甘受を戒める。知性は反権力モーメントで時代を平衡するのであるなあ。自己の肯定に資する情報を選択的に信じようとする我々自身の姿に対する自覚を促す。覚園寺の開基目的は異国降伏だが、その裏の貞時の意図は得宗家の先祖義時を追慕するため記念建造に絡め、源氏将軍時代に遡り、その正当性を語り直すこと。泰時と貞時の徳政フィクションは韻をふむ。頼朝の奥州合戦は幕府の強い影響力が奥羽に及んだ、また泰時の承久の乱はそれが京都に及んだ画期。そんなふうにメリハリが効く。幕府の西国出先機関、六波羅探題東海道、東山道、北陸道頼朝以来幕府と密接な関係をもつ諏訪明神の助力宇治川渡河の合戦で名を馳した春日貞幸、彼は諏訪氏某系、諏訪明神に加護されたと神掛かり義時と比企家の姫の前の間に生まれた長子、名越朝時、極楽寺重時兄弟はなぜ義時を継げなかったのか。実家では名越を祖とする過去帳があるというが、はて。あまり褒められた人物でないのが曲筆抜きではどうか。時宗の母は重時の娘なので、執権北条とは何かと寄り合っている。頼家、実朝の悪王化も度を越している。実朝暗殺を三浦義村とする魅力的な解釈が永井路子から出たが、今は公暁とその一味の単独が通説という。後鳥羽院の祟りこそ仏教繁栄のよすが。権力者は祟られる。その自覚がある、脛のキズどころか。
2024.11.25
閲覧総数 10
5
2024/02/01/木曜日/三寒四温に入りつつ一本の糸が太くなったり細くなったりする糸はスラブヤーンと呼ぶらしい。その名と計上が合致したのがこの冊子私自身は ギャップ糸と呼びならわし。それの草木染めが色違いでどっさりあるため、昨年からあれこれ、延々と試作は続く。気ままに糸を取っ替えては編み、ラフなベストに仕上げる。ツレはお気に召したらしくよく着ている。この糸にはやはりワイルドなデザインが似合う。まさに、『ヨーロッパの手編み』冊子の表紙画像に近いセーターを先月仕上げたところだった。広瀬みどりさんのトップダウンで編むセーターホワイトマウンテン比較的ギャップの少ない糸とのバイカラーで前後面積を変えて編んでみた。今までの試作の中ではこれが一番しっかりしている。お気に入り。今後、これをアレンジしながら編んでみよう!
2024.02.01
閲覧総数 136
6
2024/03/08/金曜日/雪残る朝2月末の連休は中の土曜日が晴れて、娘夫婦と鎌倉に出かけた。温かい日で散歩にはもって来いなものだから、当然観光客でいっぱい。中国韓国の人が多い。彼らの地声が大きいので倍くらいいるように感じられるけれど、実際は関東近来の人が多いのだろう。大好きな駅、北鎌倉で降りて鎌倉駅まで歩き、江ノ電のって長谷寺で降りるコース。円覚寺境内だけでもゆっくり眺めれば半日過ぎてしまうかも。昔は一度はこの辺りに住みたいと考えたものだった。凄いなあ、こんな文字が書けたら生まれてきてよかった!と実感しそうた。金澤翔子さん。悉皆仏性か悉有仏性か。仏心この清潔な空間よ。緑色の細い枝が斜めに伸びる。方丈のピャクシン。これはエントである。観音さま盛りを過ぎても花を残す枝も。風が渡って、眺める間に花びらを吹きこぼす。おおお、これは面妖な。龍神さまがお一人能登に向かわれ、被災した人びとを救わんとされておるのか。いずれにしても当地にお寺が建立されて幾星霜、こんなことはあったことがない。元寇の時も足利幕府に席捲された時も黒船の時も明治クーデターの時、即ち廃仏毀釈の時にも。何か大きなことが起きようとしているのか。竹林は春夏秋冬、好天雨雪どれも好い。敷地内には小さな墓地が付随していて、そこに小津安二郎の、家の墓がある。鶏頭の花は無いがお酒は沢山。信州で買ってきたのだろうか、ダイヤ菊もお供えしてある。ゆるゆる円覚寺を出て縁切寺、東慶寺へ階段を登る。ここは寺領内の撮影はできない。庭園に力を入れている様子。小林秀雄はじめ鎌倉文学に携わった多くの文人の墓があるらしいが、若い人たちに突き合わせるのも申し訳なく遠慮した。とても良い感じの聖観音さまがおられる。帰り、縁道の梅の花にメジロが2羽、人を恐れることもなく目の前でしばらく無心に花の蜜を啄んでいた。なーんて可愛らしいのだろう。
2024.03.08
閲覧総数 15
7
2024/03/10/日曜日/春日和北鎌倉の茶飯事で海老しんじょうや茄子田楽のランチを頂く。この辺り道の横断が難しい混み入り。散策路があれば良いのに。さて、鶴岡八幡宮まで来たら何か祭祀を取り行っていた模様。それは婚礼の儀でした。白無垢の花嫁御寮さん、いついつまでもお幸せに脇道から境内を出てそのまま川喜田映画記念館へジェラール・フィリップ特集で映像公開も。入館200円、鑑賞500円という格安、近在ならば足繁く通ってしまいそう。岩波ホール支配人だった高野悦子さん、フィリップさま!と呼びならわしてらした当時の様子。敷地内には年に数回公開される哲学者、和辻哲郎の旧宅が移築されている。欧米の絢爛たる映画人もここを訪れたのだから、哲学者もびっくりだ。ここから細い小川に沿って南下すると間も無く、話題のくるみっこ鎌倉紅谷の新店舗がある。おや、店頭には人が並んでいない!チャンスと店内に入れば当日のくるみっこは完売。まだ一時過ぎなのに…聞くと開店前から既に並んでいるのだとか!別菓子とチョコを買う。そのまま鎌倉江ノ電駅へ。もうもう小町通りからこっち、すーごい人、人。若い人が多く、その様子は浅草みたい。若い人は古いもの、日本らしいものがお好きなのかしらん。やっぱり鎌倉来たら高徳院の大仏さまにご挨拶をせずには帰れない。昔は由比ヶ浜にあった会社の保養所に、家族で毎夏訪れた。海はそんなに綺麗ではなかったけれど人も少なく、何より保養所の庭隅の扉を開けるともう砂の小道で直ぐ海という塩梅。その頃の大仏さまは観光客なんぞまばらで自由に中に入り遊んでいたように思う。今は昔。昔ならざるのは美男のかんばせ与謝野晶子歌碑を眺め、口にする かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな実は阿弥陀如来であって釈迦牟尼ではないのだとか。それで後年歌を改めたというが。これはこれですっかり定着した。最後の訪問地は長谷寺何も紫陽花の時でなくても季節ごとに花々が眺められる、洞窟に弁天さまをお祀りするだけあって、女性好みのお寺初瀬に初声、地名の美しさ大和の長谷寺、鎌倉の長谷寺。一本の楠から二つの観音さまが現れ、西と東に安住された、物語のような縁起私はここに入った記憶がない。海に近い所ならではの、地形の洞窟でもあるだろうか。沢山の神さま眷属や七福神の中で一際優美な弁天さま四時にはカフェも閉じてしまう。駅手前でソフトクリームの念願果たし帰途につく。
2024.03.10
閲覧総数 16