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2024/05/08/水曜日/突然雨或いは晴れウチの事務所から徒歩圏内に鎮座する神田明神何度かお参りしているが、お札は未だ頂いたことがない。大体ニレイニハクシュイチレイ、できればご朱印、で済ませる不届者。お札をいただこう、商売繁盛の霊験アラタカというではないか。しかもこの地域の、吹けば飛ぶようなウルトラマイクロ事務所で働いてるんだし。↑男坂よりキツイ謎の階段をはあはあ上り、昨日のお昼休みに思い立ちでかけてきた。お参りを済ませ、やはり御朱印を頂く。コロナ以前からこちらでは書き置きのみ、なのだそうだけど、御朱印が丁度収まるクリアファイルが付いてきた。何かと潤沢なんだなぁ。肝心のお札である。左からずいーと眺めていくと右の方にある。それにしてもありとあらゆる人間煩悩のお守りがうち揃い、守備範囲が広うござります。参拝者がまばらで暇そうな雰囲気なので、日頃疑問に思っていたことを尋ねてみた。今お札を求めると、一年後新たに求め直さなくてはいけないのでしょうか?応えて曰く一年で効力が落ちたりするものではありませんが、そのくらいの頻度でお参り頂けるとよいですね。(こんなにあれこれお守りお札があって)、商売繁盛のご利益あるのでしょうか?などと不躾な質問に必ずあります!と、こうきっぱり肚の底から仰るではありませんか。すごい。この大肯定に背中をびしっとどやされ、背筋を伸ばして緩め男坂、降りる。私はあなたの真っ直ぐな心意気を信じますとも。
2024.05.08
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2024/05/07/火曜日/小雨3月からのチョー大変だったブリオッシュレース。今は解放されて、ワシワシと細編みだけで編む手袋に取り掛かった。先月立ち寄ったオカダヤさんでサンプルを見て、何だかニットで編むより簡単に5本指が編めそう!とついついサンプルに対応するブリティッシュファインを購入し編み図を頂く。因みにサンプルはグレー×ブルーだったが、あれこれ考えてブラウン×黄色に。そしたらなんと!図書館で借りた冊子に、この編み方で、ミトンタイプで同じ配色を発見!わぁ、すごい奇遇と喜ぶ。指定の針号数より落として、かっちり編んだのだけどどうしても編み目の穴部分が大きい。次はもっと細め糸を使用して、3号くらいで編んでみようかな?と編むたびに手習いばかりが増える。
2024.05.07
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2024/05/06/月曜日/曇り、風強いもうゴールデンウィークも最終日。瞬く間に過ぎた、とはいえ詳細を思い出すと色んな経験体験が積もったお休みだ。今年のゴールデンウィークの始めは、長野県原村近くの稗之底古村を娘夫婦と散策した。とても印象的な日になった。◼️プロローグ稗之底古村には実は2ヶ月前、大先神社を探して踏み入ったが、雪に足止めされていたのだった。↓車道からすぐの林は、人の立ち入りが多いのか雪はあまり見られない。↑しかし村址近くなると雪カサは増していく。八ヶ岳南麓は降雪は少なめで、通い始めた30年ほど前に比べ本当に雪が少なくなっていたので思いがけないことだった。結局、大先神社の背戸の台地をうろうろしたあげく絶縁帯入り口も見つけられず諦め帰途に着いた。◼️大先神社?水神社?リターンズ村址近くに車を止めて、入り口を探す。ソーラーパネルとたんぽぽの広場、それは雪の台地だった訳だけど、その涯に絶縁帯を示すオレンジの布が下がった入り口を認め、そこから入る。↓入り口近くの山桜は満開、一ヶ月で姿がすっかり春に今回初めて分かったが、この村址には他にも幾つかアプローチがあり、山間の散歩道からふっと入れる水路と一体となった青い細い橋が目印だ。さて、私たちはここを渡り、一旦車道を越えてまるで小人たちの隠れ家のようなウロのある、木の根本にこんな祠を見つけた。周りは手が入れられているので、地域の方が定期的にご奉仕頂いているのだろう。さて、ここまで足を伸ばす前に、村址に入ってすぐに小さな水路沿いを歩きこんな表示と階段を発見していた。でも水神社とあるので、求めている大先神社とは異なるかも、と先を歩いたのだった。八ヶ岳の雪解け水の流れは美しく、林は輝かんばかりで足元には高山植物の花花それらを踏まないように水路沿いの細い道を一列で歩くのである。先頭をゆく私が突然止まり後ずさる。後ろの二名、えと驚く。ナニナニ!道に蛇の胴体が横たわっているのよΣ(゚д゚lll)こちらも驚いたけれど蛇も驚いただろう。鎌首もたげて水路と反対の藪に入り、先端の裂けた赤い舌をシャーシャー出したり引っ込めたり、まるで小さな炎のようなのだ。三人が固まったままじっとしていると、当初の目的と思われる水路に、頭の方だけ落として胴体は小道に尻尾は先ほどの薮に。蛇、じっと動かない。えー、なになに何してるの?後ろ声、あーお水飲んでる。えーどれどれ、うわ。蛇がお水飲んでる所を初めて見た!水路の水は透明で流れが早い。その中に頭ごと沈ませて、流れの中でゆらゆら膨らんだり萎んだりするみたいにして水と同化して補水しているのである。ゆうに2メートルは超える薄緑色の蛇はゆっくりと優雅な様子で水神社の方へと上って行くのだった。日記に動画が貼れないのを今回ほど残念に感じたことはない。先まで行ったけれど結局、水神社が大先神社だろうとあいなり、始めの地点に戻る。◼️不思議な図形、御神体?図柄が刻まれた石を真ん中に祠が二つ↓石に刻まれた図柄これやはり水分神社のシンボルではなかろうか村の記録を示す看板があった。1570年の記録にも残る古村だったが、この地で作物が実らず木も全て伐採され、結局住人たちは村を諦め、立沢と乙事に移って行った。この乙事はもののけ姫に登場する、おっこと主の名の由来。この辺りではゴールデンカムイもキングダムも撮影されているのだ、そういえば。さて言い伝えでは植松、北原、五味などの苗字は、稗之底村からの移住者とされる、とある。苗字があったということは、戦国時代の敗者や信玄の歩兵たちが集ったのかもしれないなあ。水路工事は四百年前から営まれたものだとしたら、立派な仕事だ。それにあの石に刻まれたのは剣、と見るのが正しいかもしれない。◼️エピローグ偶々、こんな本も読んだ。↓鹿児島睦さんの皿絵あの蛇は青大将と思われる。しかし、私たちにはこの村址の御神体のように感じられ、去り行く後ろ姿に手を合わせたのだ。
2024.05.06
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2024/05/05/日曜日/暑くても爽やか立夏〈DATA〉出版社 新潮社著者 橋本治2007年12月20日 発行初出 「新潮」2004年、2005年、2006年最終章書き下ろし〈私的読書メーター〉〈どんな恵みなのかと読めば存外、小林秀雄の『本居宣長』を論破するような箇所が多々見受けられ刺激的。いきなり第1章から炸裂、源氏物語の中で和歌がどのように仕組まれているか。地の文に対する「生の声」=和歌が身分の上下を無効にする考察が小林秀雄にあったかなんぞとエクスキューズする。橋本氏曰く、小林秀雄は本居宣長を近代知から理解しているが自分は近世は理解しているが近代に疎い、ってそうなの⁈その場所から宣長にかぶく小林秀雄を観察して近代知識人の理解に迫る、と。そして尚小林秀雄を自身のおじいちゃんと仮定し敬愛捧ぐ、とな〉港の見える丘公園の県立近代文学館で開催されている橋本治展。そこで彼の夥しい量の生原稿に目を奪われるだろう。若い頃に何個か潰したらしいワードプロセッサーも展示されていたけれど、いつの間にか手書きの人になっていたのだった。手編みの人でもある。とにかく手を動かす事が好きだった、と想像する。考える手、の人。37歳の時に、ちょっと前にベストセラーになっていた『本居宣長』を読んだ所、悪路を行くバスに乗っている気分になったとか。しかし小林秀雄っていい人じゃん!と思った橋本さん。いい人じゃん、と思わせる小林秀雄の社会人、生活人、家庭人としての骨格が清潔な音を立てている、と私も感じる。その背景の本居宣長なのだね。橋本氏、五十を超えて再び読んだ時には、既に清少納言も紫式部も超訳しており、徒手空拳ではなかったのだった。多分、古典にどっぷり浸かった体験をとおして、小林秀雄に向けてなかなか鋭いツッコミを入れている訳だ。〈「本居宣長をよむ小林秀雄」の本を読んでいる近代的センスの知識人〉なる層を、本書のターゲットにしている橋本さんとしては、小林秀雄に、ほーほーと感心している場合ではないのだ。仮定おじいちゃんとも仰ぐ小林秀雄の本居宣長観に新しい視座をぶつけないでは仮定おじいちゃんは喜ばんやろう!といった橋本流の仁義の切り方なんだろうなあと思う。天晴れ。何となれば、深いトンネルを掘って無意識の内にそれら古典へと橋本氏を辿らせてくれたのが、若いときに遭遇した小林秀雄に他ならない。だから、小林秀雄の恵み。↓長女の白州明子さんと、小林秀雄。白皙の、と言わずして何と讃える美貌小林秀雄が指摘していた、「下順上」から「下剋上」に至る歴史の流れの中で、時代の要求に先駆けて学問の独立に目覚めた中江藤樹なら、大言海が解くでもくらしいを理解する云々への、橋本氏の平安時代からそちらへの長い論考も興味深い。小林秀雄が能の当麻を観て、シテの登壇した刹那、美の敗北者になった件、橋本さんは小林秀雄の著作をさまで読んでない、と弁解を重ねながら、実のところしっかり他の作品も読み込んでいる訳だ。そして終章。私にはこれが一番、本居宣長にも小林秀雄にも近づいていると感じられた。橋本氏曰く「詠むに値するものをちゃんと詠む」が起こるためには、「物のあはれを知る必要」を理解する必要がある。「必要」が二つもあって十分にややこしいが、小林秀雄はこの二つの「必要」を抱えて読者を引っ張て行く二つの迂遠なところは読者用、至近なところは小林秀雄自身、と橋本氏は述べる。どこに出られるかは分からないトンネル、小林秀雄の思想とそんなものと看破した橋本さん。初めて読んだ小林秀雄の著作『本居宣長』を読み終えて、もう一度学問というものをちゃんとやってみようかな、と感じた所が私は大好きで、それこそが小林秀雄の正しい読まれ方なのだ、と思わされた。なら、やはり古典に行くよね、和歌だよね、というのは素晴らしいトンネルの出口だなぁ。でも一足飛びではなく、枕草子を足掛かりにするのがとても用意周到な橋本氏なのだった。↓小林秀雄とお嬢さん、お二人の写真が掲載されていた本
2024.05.05
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2024/05/04/土曜日/穀雨の末期、7月の暑さホール内アナウンスは人間国宝、人間国宝と喧しい。それが何よと鼻じらむほどである。ご当人は本物であればあるほど耳汚し、そんな芸人であってほしいもの。お上の権威箔付けなんぞ無用。庶民は名人とか達人とか口に膾炙して褒め称えるだけでござります。今回よいなあとしみじみ感じいったのは四世山本東次郎の太郎冠者、素袍落スオウオトシ大杯を干すごとに酔いの回る振り、明るく正直で図々しい様もどこか憎めない。そんな人物を観る側以上に楽しく演じて何のけれん味も見せない。笑顔が実によろしい。高砂の翁おもてな味わい。間も無く米寿のこの芸を先々も楽しみたく、ぜひとも長く演じてくださいますよう。観ている内にひょっとして落語は狂言の発展系?かと感じた。言葉のやり取りのスピード、間の取り方外し方、円熟、円熟。アド2人、東次郎の弟で昨秋亡くなられた山本則俊さん長男の則重さん。身体に恵まれたっぷりしている分、声量豊かにして美声。30年後どんな太郎冠者を見せるだろうか。一番若い凛太郎さんは三世東次郎の芸風を引いたらしい、則直のお孫さん。あの固さが豪放磊落な狂言スタイルに発展していくか?司会役を務められたのが、御歳96歳の馬場あき子さん。いや、これは凄い、とても信じられません。この方はお年をとることを忘れてしまわれたのでしょうか。淡い利休ねずに濃いめのグレーの帯、無地。帯留は濃いめベージュ、モダンで大変おしゃれ、そんな地味色なのに艶やかで目を惹きます。話される内容も用意しているような、その場の雰囲気で如何様にも伸びゆくような。短い時間に何とまあ、滋養に溢れた言の葉の贈り物人というもの、かくありたい。羽衣のワキ漁師は我は白龍と名乗るのも、室町頃に現れた能楽では珍しい。個別の名が付与された一般人なんぞツイぞいない時代の話で、その事に関心を向ける馬場さんは、音曲で露払いしながら仏教を中国に伝えた龍王伝説の行き着いた果てが三保の松原とみなす。なるほど!天の原ふりさけ見れば霞立つ雲路惑ひて行方知らずも天女は羽衣を盗られ、みるみる内ウズの花もしおしおと、涙、汗、体臭、垢、天人五衰の相を呈す。漁師は同情して羽衣を返すが、代わりに舞を見せてほしいと伝える。その態度に馬場さんは、感心する。金品ではなく芸術を求めるのだ、一介の漁師が。ワキ漁師、舘田義博。なかなか風采がよく元気がみなぎっている。羽衣がなければ踊れないと応える天女に、返してもらうと踊らずそのまま天に帰るのではないかと言われ、いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものをと返され、恥いる漁師は素直に天女に羽衣を返す。さて、馬場さん。さすがにこの言葉で世相をちくりと刺す。東遊の舞、序の舞、他天界の舞を踊り人間の住む地を寿いでやがて春霞の中に消えてゆく春霞棚引きにけり久方の 月の桂の花や咲く げに花桂 色めくは春のしるしかや 面白や天ならで ここも妙なり天つ風 雲の通ひ路吹き閉ぢよ 乙女の姿 暫し留まりて この松原の 春の色を三保が崎 月清見潟富士の雪 いずれや春の曙 類ひ波も松風も 長閑なる浦の有様さて友枝昭世である。彼の羽衣を白州家、武相荘庭で観たのはいつだったか。妙にドラマチックで、天女が肉的過ぎた記憶がある。今回は美しさ儚さ蘇りを味わった。後から知るのだが、今回付けた能面はいつもの小面ではなく、若女?面で、少し目の穴が大きくそれだけで体の負担が少ないのだとか。考えてみればお三人の年齢は足すこと269歳!平均年齢限りなく90歳!お元気の秘訣は毎日の肉食、お酒ですと!はあ〜〜蕎麦、高山茶は降参でございます。
2024.05.04
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2024/05/02/木曜日/びっくりな涼しさ、高原の夏先週聴いた落語落語はいいなぁ。こんな艶やかな語りこそ庶民の宝さて私が楽しんだのは柳家三三さんざの明烏あけがらす小すみさんの音曲おんぎょく昇太の身体から発する雰囲気、語り口、間の取り方なんかはいいなぁとも思うのだけど。創作モノというのがそもそも、なんだなぁ。やはり多くの語り手によって歳月、磨き上げられた古典はよろしいなぁ。ダイレクトには知らなくても、吉原もキセルも甘納豆、なんてのもよく分かるし、落語の場面場面が自分とつーと地続きで嬉しくなる。それに対して創作物。退職サラリーマンの夢破れた老後は何だか語り手の昇太と結び付きすぎて、また今の時代が繁栄され過ぎて元気が湧かない。小すみさんはその点、華やかで元気がみなぎって声も360度響き渡って良かった!今必要なのはこんな明るさなのよ。何でも政府給付留学生でイタリアでミュージカルの修士を得ているのだとか⁈はあ、そんな方の惚れ込んでいる三味線、さのさに都々逸信州信濃の新蕎麦よりもあたしゃあんたのそばがいい〜西洋音楽の一面かジャズを三味線で演奏してくれました♪でもね、さすがは噺家のみなさん、まくらが噺よりも笑いをとってました(^^)
2024.05.02
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2024/04/30/火曜日/雨のち晴れ間3月のニット教室は久しぶりのブリオッシュ編みしかも作品作る系とは嬉しい。↓この模様の左は編んだことがある。右は挑戦したことはある。こんなレベルの私め。3月お教室で習った後、今月1日からひたすら挑戦しているのが、右より複雑なブリオッシュレース編みのスカーフ。↓この状態で編んでは解くこと日に10回ではきかない。何でこんなに間違うのか?イタリアンキャストオンばかり上達T^Tというのも、二本の糸をそれぞれ独立で編み、かつ斜めの絵柄なので、間違えた所まで戻るのもややこしく、えいやっと始めまだ戻ることに。少しばかり、過ちを記録しておく。↓涙の5日目くらいにはおや、いけるの?私。広げて見るとなに、ここ、なのだった。この製作はフリー、先生曰く彼女の初期頃発表の作品だから、丁寧に説明されているとか。英語の文字、省略形をひたすら目で追う内に眠りの魔法はかかる。あらぬ方向に編み進むを繰り返し、とうとう同じミスを犯していることに気がついた。そこで製図説明書を自分なりに調整して、一目を作るところを省略、その目に二目入れる、戦法に切り替えた。そしてシンメトリーな法則を最優先で編んだ。ようやくブリオッシュレースの中では比較的シンプルなこの模様編みが自分のものになりつつあることを実感T^Tそれでも途中に何回か編みほどいてやり直したけれども、始めまで戻らずリカバリーできた。4月のお教室では、殆ど完成品を先生に見ていただけた((o(^∇^)o))寒くなるのが待ち遠しいなあ、しみじみ。
2024.04.30
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2024/04/29/月曜日/八ヶ岳は薄曇り同じ神奈川県なのに、ウチからは本当に遠く感じる電車三本乗り換えの1時間30分。それが元町・中華街駅が最寄りの近代文学館そんなわけで近代文学館では興味深い催しがあっても腰が重い。しかしながら、今、絶賛積ん読中の橋本治の回顧展が開かれていて、彼の編み物も展示中。しかも前期後期で若干入れ替えがあるというではないか。むりくり時間を拵えた。爽やかな晴れ間、港の見える丘公園を散歩しながら海風を感じお散歩を楽しめるのも一興と。橋本治はたまたま今読書中でもあった。一番の楽しみはやはり彼の編み物。残念ながら撮影ができない。これ、近代文学館の方はちょっと考え直してほしいなあ。彼の作品は基本が編み込みで、その緻密な色彩配分にあり。やはり桜のカーディガンに目を奪われた。ところで橋本治が影響を受けた作家2名、久生十蘭と有吉佐和子、との紹介である。有吉さんとは交流があり、千羽鶴?鶴?のセーターをプレゼントする口約束をしていたらしい。突然の有吉さんの訃報の後、セーターは編み上げられ、親族の方に贈られた。義理堅いのである。真面目に遊べる人である。駒場祭ポスターデザインで一躍有名になったように、彼の仕事のスタートはデザインだったのだなあ。ポスターは着れないが、セーターなら着られる。これが編み物開始のきっかけという。沢田研二ステージに衝撃を受け、突発的に編んだ作品が素晴らしいできだった。丘を南に下りて、李園でエビそばを食べ、再び港の見える丘公園沿いに駅に戻る。日本的な味付けの町中華。人気店、うむ旨し。横浜雙葉を通り過ぎたところに素敵な住宅を見て、ベーリック・ホールだけ早足で見学。弘前でもこれと似たサンルームの洋館があり、そこでアップルパイを食べたなぁ。子ども室らしい演出が施されている。ここが一時期学生寮になっていたとは!しかしどんな具合に部屋を分割したのだろう。パタパタと次の集会所でバナー作り。私の持分は き の文字。チチアガールをイメージして、とりあえず作りあげました〜これは政治的手芸部のフラッグに。
2024.04.29
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2024/04/27/土曜日/曇り、涼しく過ごしやすい先週土曜日、日比谷の楽器店が持つ小さなホールでフォルテピアノとバイオリンの演奏を知人と聞く。ソナタ演奏の順番が4.3.5になっているのは、3が難曲なので、先ず手馴しのためにハモりやすい4を先にした、ということ。ただ、バイオリニストの尾池さんは弾けば弾くほどこれをベートーヴェンらしい名曲と感じられたそうだ。私にはその辺り、よく掴めない。お若い明日香さんより更にお若い尾池さんだけれど、既に輝かしいキャリアをお待ちだ。ベートーヴェンの時代、ピアノはチェンバロからフォルテピアノへ、そして現代の形へと激しく変容していた。それに比してバイオリン本体は楽器としてほぼ完成しており、弓だけその材料や反りの形が変化したのだという。明日香さんはフォルテピアノを欧州で学んだ実力派。その演奏に若く才能豊かな尾池さんが、弓の持ち位置を変えながら歌いあげる。フォルテピアノはFから始まりFで鍵盤が終わるとか。そしてベートーヴェンの勝負曲はFdurだよねー、という二人の掛け合いも面白く。最後の春、の演奏になりました。3番などは非常に心理的な響きを感じ、第3楽章で二人の演奏が溶け合う一瞬を覚えた。タイトル春が付いている5番はバイオリンからすると、2度のあまりの連続がちょっと不気味な印象を持ってしまうのだとか。ピアノと共に聞くとその印象は薄れる。
2024.04.27
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2024/04/26/金曜日/西へ東へ南へ花粉多少〈DATA〉出版社 芸術新聞社著者 平山周吉2015年4月20日 初版第1刷発行〈私的読書メーター〉〈本タイトルは意外にも物議を醸す現代アーティスト会田誠の展覧会から。彼の作品に藤田のアッツ島玉砕を読み重ね、過日著者が向き合ったその絵の背景を縦横に追う。編集者由来の執念を覚える。閑話休題、会田誠は社会学教授実父を疎い、父三島由紀夫、祖父小林秀雄を仮想しているとか、笑う所か呆ける所か揺れる。藤田の揺れ方もそのサービス精神においては三島同等か。しかしアッツ島を観た刹那、私はこれを反戦画であると直感したしゲルニカにはこんな動揺を持たなかったことを思い出す。岡本太郎には自身の同心円拡大芸術の一つのカタチを見る。〉我が市の図書館にはこの本の所蔵がない。ふん、何が平和都市宣言か。選書会議をまともに持てるほどの人材もおらぬかと毒づきたくもなる。したがって随分待った上に2週間ポッキリで返却せねばならぬ。中5日は旅行で不在。同じ著者による小津安二郎の本だと全然間に合わなかっただろうが、これは比較的早読みが可能だった。また、私の関心の寄せる分野でもあった。藤田嗣治は、現地に行かず、というより現実的には行けずに取材や写真を通してアッツ島玉砕を描いたのである。しかしその絵が現実と同じ力を持って戦争の悲惨な痛哭を観るものに訴え来るのだ。この絵は絵以上なものである、と直感した著者がその絵の根源を探っていく、そんな本である。本書にはアッツ島で玉砕した一兵卒と部隊長の実例が詳細に取り上げられている。花巻出身で帝大を繰り上げ卒業した太宰治の弟子にして詩人、三田循司の父が10年後、アッツ島に骨をかひろいに行く章の、父の哀切。部隊長山崎保代の境涯も涙無くして読むことはできない。このご家族のもつ、日本人とは何かを語りうる佇まいは、もはや令和の世で見つけることは無いだろう。 私たちが平和で民主的であろうとして失ったものも確かに存在するのだ、という事実は相当苦しい。 藤田の父は森鴎外の後任として陸軍医総監になった人物で、息子から画家になりたいと聞くと森鴎外に相談した。そんな環境で育った彼は親類縁者から戦局の機密も漏れ聞いたことが想像されるのだ。まして欧米に芸術家として受け入れられ、世界的視野をもつ藤田は、あれだけの戦争ゆえに転倒したとはいえ、その芯の芯は近代を凌駕しているように思われる。花々。北限の、短い夏を命を燃やし咲くアッツ島の花藤田が観想でとらえ、杉山吉良が歳月を超えフィルムに捉えた花の姿そこに托されたのが著者の、藤田アッツ島玉砕という戦争画への祈りでもあるのではないか。ところで、ここでも小林秀雄である。平山周吉氏は、大叔父小林秀雄と仮定かな?かなりな敬愛ぶりだ。同時に読んでいる橋本治と同じ引用を見つけたが、私もこの小林秀雄の啖呵にはしびれる。「僕は無智だから反省しない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか天皇制の問題も単なる政治問題ではないでしょう。それは単なる政治的判断ではないからだ。日本国民という有機体の個性です。生きている個性です。不合理だからやめるというわけには参らぬ。個人でも強い人間は飽くまでも天賦を生かして行くでしょう。短所欠点さえ美点に変じて生かすでしょう。偉い人は皆そういうことをやっている。日本国民がもし強いなら、天皇制を生かすでしょう。」平山周吉は『小津安二郎』から2冊目この人の日本人へのアプローチが好きだ。しかし、この人には蒋介石を書いてもらいたい。蒋介石を通して日本人を見る。なんて。
2024.04.26
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2024/04/26/金曜日/春の日の芽吹き4/15 ようやく巡り会えたお茶やさん◼️プロローグ前々回だったかの台湾訪問は阿里山で過ごした。そこへのアクセスは嘉儀市で現地ツアー申込みの上、マイクロバスでうねうねと手入れされた茶畑を上り詰めて行った記憶がある。後からホテルの往復バスが嘉儀と高雄から利用できることを知ったのだった。統治時代に建てられたクラシックなホテルには蒋介石とその妻、宋美齢の資料展示室もあった。日米戦争の真の立役者は宋美齢では?と思わされる内容をそこで知った。彼女は客家の出身だが、9歳での米国留学を考えれば精神構造は米国人である。米国芸能界や報道、ホワイトハウスへの働きかけなどの手法を知ると単なる令嬢ではない。稀有なロビーストである。おっと、お茶から遠く離れてしまった。さて、その折に求めた高山茶が無くなり、前回訪問の2020年2月には知人が教えてくれた茗心坊で幾つかのお茶を買った。残念なことにその日ご当主は不在で、留守番のお客さんの対応だった。そのお客店長がやたらとお茶の投資を勧める。お茶のビンテージはシンガポールや上海のオークションで高く落札されるのだとか。お茶はお店がキープするそうで、日本人名の書かれた壺を幾つか見たけれど、そんな景気が今、大陸にあるのかしらん、とコロナを挟んで思う。日本人を応援したい彼が親切で言ってくれたとはいえ、お茶を投資と考えるのはいかがなものか。茗心坊の独特な焙煎発酵で臭みのないプーアール茶と阿里山茶、小梨山茶がまだ少し手元にある。後者二つは香り高く美味しい。それがお茶の全てだ。と思っていた。◼️興華名茶しかし、良いお茶はよい人をも育てる、そんなことも学んだ、今回のお茶体験。オーガニック、お茶などのキーワードでお茶やさんを探すと、乗り降りしている東門駅のお茶やさんがヒットした。お店に入ると直ぐに先客と私に小さな紙コップでお茶が出された。ご主人に挨拶して、陳列されているお茶の試飲ができるか尋ねると一瞬の間の後、構わないという。後から知ったが試飲一人500元と案内が出ていた。どんなお茶が好きか、と尋ねられ高山茶、でも東方美人茶も好きだなんぞと返答し、何年か前に阿里山で美味しいお茶を飲んだ、と伝えると阿里山茶を出してくれた。◼️台湾茶の淹れ方↑興華名茶のパンフレットから茶壺←急須茶海←急須のお茶は一旦ここで受けて聞香杯に配ら れる。湯冷し、片口の形態聞香杯←筒型の小さな湯呑み茶杯←茶碗小さい筒形の茶碗に入れてくれる。それを平たい小さな茶碗に自分で移す。初めの茶碗で残り香を聞くのである。平たい方では色を見る。2杯目の時、急須の茶葉を茶匙で優しく天地替えみたいな作業をしている。それは何かと尋ねると茶葉に空気を触れさせているのだとか。3杯、4杯、味は力強くなってくる。5杯目くらいがピークで7杯ではカタンとばかり弱くなる。お茶を楽しみながら、四代目ご当主の台湾茶の講義が延々と始まる。お茶のバイオダイナミクスについて。農薬と消毒薬、化学肥料の問題について。モンサント社のことまで話が及ぶ。もちろん日本語である。或いは喫茶の哲学について。うちの店のお客さんは夜、夫婦で静かにお茶を愉しむ、本を読み音楽を聴く。そんな時間を持てるのがお茶なのだ。お茶は瞑想だ、ともいう。本物のお茶を飲むと身体は忘れない。脳の感覚が開く、というようなことを説明してくれる。ときどき私のお茶体験について質問をする。そんな話をしている内に特別なお茶の試飲をしてくれるというではないか。茶館に向かったツレに急遽電話して、そちらをキャンセルしてこのお茶やさんに至急来るよう伝える。何処の茶館?何で茶館?と聞かれて、ツレはその雰囲気が好きなようだと応える私。ご当主のお茶好きな知合いは、見晴らしの良い所でお茶を楽しみたいとき九份の茶館に行く。お茶は自前で、お湯だけ貰う?買う?のだとか。あんな観光地に美味しいお茶はない、という。なるほど。観光客=私、の知らないことだらけだ。先ほどの阿里山茶は花の香り。色は蜂蜜。私の薔薇ピローと似た香りだと帰宅後感じた。ご当主が直接管理している茶園は阿里山と梨山にあるという。梨山の茶園は高度2300m。雪は降らないとのこと。寒暖差が大切。日が昇る頃、霧が立ち込めその霧にはお茶の香りが漂うのだという。見せてくれた茶園の動画には鳥の鳴き声も聞こえ、まさに深山。お茶はこの高山の土のミネラル、草、花、熟した実、と杯を重なる毎に変化するのだと教えてくれる。確かに梨山茶は香りも味も阿里山茶の変化とは次元が違う。お茶の中に大自然が映り込んでいる。梨山のお茶の色は翡翠のよう。香りは深山とでも言うのか。香りと味の境界がないような、渾然一体の深山の体験、とでもいうのか。味の言葉の表現が追いつかない、とでも言うべきか。とにかく体験、体感するしかない。ということを知った。お茶がパワフルな時に感じる渋みは、これが甘さの元であることが分かる。間に呑んだお水がびっくりの甘さ。うーん、これが自然。ポリフェノールやタンニンに転じる土、虫、樹木、雨、風、太陽人間が沢山入り込むような茶園ではよいお茶は育たない。土がダメになる、汚れる、というようなことも言う。彼の梨山の茶園の堆肥は大豆だそうだ。発酵させているのだろうか。大型トラック一台分で120万元⁉︎←聞き間違いかも←だから店で売ってるお茶の価格は割に合わないとか。阿里山の茶園の堆肥は大豆ガラ、高度も自然環境も梨山とは違う。まあ価格が順当に反映している。ご当主のお茶の話には一切うそがない、と私は感じた。日本の水は軟水だが台湾の水はどうか?お茶には水が重要なのだ、こんな会話が弾むお茶やさんに出会えたことが今回の台湾訪問の最大の喜び。喜びはごく近い所にあったのだ。廃棄する茶葉はどうするのか聞くと、有機栽培の茶葉は政府?市?が回収して堆肥にするのだとか。そんな循環が組織化されている台湾、市民自治と公共がうまく噛み合い、羨ましい。私たちは阿里山茶と梨山茶を購入した。どちらもそれぞれのミドルクラス。このお茶やさんに私は何度も戻って行くだろう。渡りの鳥のように。
2024.04.26
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2024/04/24/水曜日/終日こぬか雨4/15 旅も4日目、明日は空港本日は月曜日。一日を猫空予定でいたらロープウェイが月曜日はお休み、もちろん美術館なども。それで三箇所目のお寺を訪問することに。行天宮 今までの観光客も信者もごった返すような寺の雰囲気とは少し違うのは朝早めの訪問ゆえか。↑手水がある。心を洗い、心に問いなさい、とある。お静かに、みたいなプラカードを掲げた人や、お寺参拝の正しいやり方を教えてくれる奉仕者の方が沢山いた。みな真剣に祈願していた。気持ちの落ち着く廟だ。元々は関羽を祀る廟で、財産家が寄進して建立したのだとか。宗教としては台湾道教といわれる。商売の神様でもある。↓これなんかは道教的?タオイズム龍山寺では占いの仕方の勉強不足だったので、今度こそと予習して出かけたら、こちらはコロナの名残で未だ封鎖中だった。明後日くらいから再開らしいT^Tお守りが頂けると聞いて建物に入ると日本人なら奥の女性に尋ねなさい、とのこと。彼女は流暢に日本語を話し、お守りを私に下さり、お守りの言葉を唱えながら祈願しなさい、と仰る。無料だという。ありがとうございますと謝意を伝えると、また来なさい、とのこと。はい!やはり正しく占いをしないと(´∀`*)↓交差点地下の通路にびっしりブースがあった。有名な廟やお寺の界隈には占いのブースが沢山並んでいる。2度も占いが不発なので、占いついでにこの近所で人気の占い師さんの所に行ってみた。私が訪ねたのはこちら。先客がいて、外の椅子に腰掛け待つ。日本語が達者で日本人に人気らしい。出て来られた方も日本人親子だった。マスコミにも随分登場している様子。こちらの先生は毎年日本までも出張されていて、当たると評判。15分で3つの手法による占いで1300元。え、かなりお高めなんですけど。これが相場なんだろうか。特に占ってほしい切実感なくふらふらやって来てしまった。まあ仕事の事や、さほど長くはない将来のことなど尋ねる。本当は聞きたいことをちゃんとメモして時間を有効に使うのが良い。名前の字画、生年月日、米粒占いが用いられた。アドバイスをいくつか頂く。宿曜占星術や四柱推命でみてもらったラッキーナンバーとカラーが同じ。細々と考えたり妄想せず、とにかく好きなこと楽しいことを何でもやりなさい、ですと!聞いたか、ツレよ。そのように生きさせて頂きますと力強く頷く。先生はさっぱりしていて好感の持てる方でした。↓先生から頂いた春節に売られる運気アップのお菓子!これ普通に美味しいゼリーみたい。おまけに商売繁盛のお守り占いの後はマッサージ。鉄板な台湾でございます。肩凝りからくる腰のモヤモヤを解してもらう。オーナーは日本人。台湾で生きるためのあれこれをレクチャーしてくれたりして興味深い。時間がなければそれなりなアラカルト対応もしてくれます。日本語が通じるのはやっぱり嬉しい。何だか本日午前はみなさまにお世話をやいて頂きました。ありがとうございました。ランチは昨日の持ち帰りフードを捨てたくない!ということで、東門市場の反対側に広がるエリアでお惣菜やご飯をテイクアウトしてホテルの朝ごはんの食堂←24時間、自由に使える、コーヒー、お湯あり←で食べる。ワサワサと残り物が片付いて主婦的満足度高し。
2024.04.24
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2024/04/23/火曜日/寒さを感じた曇り4/14 午後と夕ご飯の過ごし方さささと周囲を偵察するとノレン?にAKAcafeとある。おやびん、見つけましてござる。こんな奥まった所にいかがわしいとも思えぬキャフェバァとやら。 うむ。ここでよか。てなわけで、入店。細い路地を入る。お店の人はあまり関心を向けてくれぬが、先客と思しき人が2組ばかり。声をかけると予約されてますか?とのこと。ここは基本予約らしい!そうなの⁈でも幸運なことに、隅のテーブルをあてがわれました、親分。席に着きましたら。入店してびっくりな、良き時代の古い洋館。新建材とは全く違う空気の中でゆっくりコーヒーを啜る。予め連絡しておくと超人気で予約の取れないお店のにゅうろう麺も頂けるらしい。それ相当なお値段かと。値段以外は私のツボなカフェである。どうやらここで半日のんびり過ごす人もいるらしい。これでは予約必至である。2階はスペシャルなことで使うらしいけれどそれ以外は見学できる。細長い廊下の左右に、リノベ以前のこの洋館のモノクロ写真が並んでいる。オーナーは台湾の方で、働いている人数名の、私たち対応組は日本の方。アジアでは今やこうなのか。奥まった所から見る油化街の内側は案外バタくさい中華の風情が漂う。おやびん、もといツレとはここで別れて私は国立博物館と中正紀年堂の見学を目指す。かれこれ5.6回は来ている台湾なのにその二つを訪ねていない。実は故宮美術館も∑(゚Д゚)B級グルメを堪能して市場を冷やかしお茶やコーヒー飲んでぼーとしているだけだった、という。博物館は台北駅南だから駅から歩くつもりでバスに乗る。バスは駅前北側に停車。駅前道路は横断出来ず、地下からアプローチ。台北駅地下のどの出口が最寄りかは分からず。出鱈目に地上に出たらお巡りさんがいるではないか。博物館への行き方を教えてもらう。謝謝。建物は帝冠様式というのか、堂々として、例のクラファン国立博物館にも似る。しかし内部空間はちょっと狭い。係の人にマストシーは何?と訊ねると2階、とのこと。え?なのだがまあとりあえず2階へ。一番関心を引いたのが、台湾の街や村で暮らす様々なルーツをもつ家族の暮らし振りのスライドショーだった。主に2013年前後の、ごく普通の暮らしのスナップ。その10年以上前から大陸の成長を果実として豊かになった台湾の人びとの変化をこの15年ばかりの時間の中に強く感じる。↓天皇、台湾滞在時の銀食器。初日コーヒーブレイクした建物は昭和天皇即位を祝した建物だった。束の間の滞在、ここから公園を抜けて台湾のシンボル、中正紀念堂を目指す。徒歩30分くらい?道路幅が広く、横断待ちもなかなかなのだ。このスケール感は立派、さすが中華文化だなぁ。建物の中にまでは入らず仕舞い。1975年亡くなった、中華民国初代総統である蒋介石の巨大な座像だけ、ちらりと眺める。今回旅では北甫や故宮美術館側の蒋介石邸も予定には入れてたけれど全部パス、というハメに。ここから宿までは徒歩で12分ばかり。街を知るには歩くに限るのだ。ツレ、午睡中昨夜ホテルで予約してもらった享鴨さんへ北京ダックの夕飯に出かける。↓サインが何もなくて戸惑うけれどレストランはここの2階二人前コースを頼んだのだが、これがまあ凄い量で失敗。何しろ残せない性分なので中華は飲茶以外は要注意なのだった。↓付け出しとかビールとかで半分満たされていたらギャルソン風の店員さんが私たち胃の小さな日本人向けにアラカルト対応をしてくれようとするのだけど、お互いカタコトの英語な訳で上手く伝わらず、結局コースにしたのだった。↓まあ、これの半身だしねえ、余裕。↓皮が美味しい!生姜もっと欲しいええ⁈チョイスの4品の量、半端ない!熱々の大根餅の揚げ炒め、とても美味しいが二つ食べると鴨肉が入らぬ〜ツレは何としてもお粥=ご飯は残せぬ、とビール腹にかき込む。殆ど罰ゲームのようなディナーである。二品は持ち帰りにしてもらう。もし次回行くことになったら、時間をとってメニューをながめ、断然アラカルトである。
2024.04.23
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2024/04/21/日曜日/薔薇2本植樹、レオの夢みる4/14 旅も3日目朝一番で台北植物園に出かける。3日目も曇天で、思ったほどには暑くない。バスに乗って植物園みなみ口から入る。こちらが正門の様子。台北はそんなに大きくない都市だけど、緑が豊富で道路が広い。↑木の根?菩提樹の仲間かな?都市計画に基づいた姿と、庶民的な活気のある市場がちゃんと立派に活躍している姿。そのバランスがよい。スクーターでもあれば、直ぐにお気に入りの場所に行けそう。↑紫の花以外はみな月桃の仲間公園の大きさに比して随分大きな蓮池がある。幸運にも蓮が昨日から咲き始めたらしい。アマチュアがプロか、頗る本格的なカメラを携えている。花を眺めれば、そこだけ天上である。これは、一体どうした花ぞ。桜、薔薇、蓮しかし、こんな花も!台湾の方はみなさん大変親切だ。日本語が使える人に今回は以前より多く出会った気がする。そんな方から↑これはバナナの花だと教えてもらった。バナナには芭蕉の名札が。ストリート太極拳先生の姿の、中心の備わった清らかさよ。今日我最美、いいですねえ。蓮もそれはそれは美しいけれど、園の中で今、一番命を燃やしているのは私。目に留めてね、そんな風に呼びかけている地面には金平糖みたいな小さな小さな花が白く光っていた。台湾の植物相や分類学の礎を築き、その発展に貢献したのは日本統治時代。そんな資料がここでも垣間見える。大東亜戦争を平かに省みる必要があるのではないか。日本が100%悪だった訳ではない。小林秀雄や藤田嗣治、山田風太郎の言動にも触れ、そう感じる。あの時代を反省し二度と戦争に与しないために、世界の平和貢献とアメリカからの独立を願う。そして軍隊のない独立国というものは存在しないことも含めて、熟慮と対話ということを考える。台湾という微妙なポジションを保つ場所が私に内省を促す。森林浴とバードウォッチングを楽しんだ。植物園を出たのは北口。ここから地下鉄緑ラインの小南門駅←北口出たのに、駅は南門←がすぐ側にある。これに乗って北門下車し少し北上すると永楽市場、油化街へ出られる。歩行者道路になっていた永楽市場界隈は、若い人や観光客でいっぱい。植物園とは真逆。素の台湾は植物園や朝市にあるのかな。永楽市場は日曜日は半分以上お休み。名物の油飯←台湾チマキ←も食べ損ねたT^T果物店とすごい人気のお寿司屋さんは観光客の長蛇の列。私たちはパパイヤのミルクセーキ70元を頂く。永楽市場の建物の9階には大稻埕戲苑という人形劇を中心とした劇場があり、その使い手に人間国宝指定となった方がいるらしい。この日は休演だけど。8階の展示室は時間内なら、いつでも誰でも無料で楽しめる。人形のための楽器も精工にこしらえられている。指の仕掛けが小動物の骨のようで怖い。人の技がどんどん深みにハマるよう。辻村ジュサブローの人形が蠢く「我こそはたまずさが怨霊〜」の南総里見八犬伝を思い出す。子ども心にも恐ろしく、記憶にこびりついてしまった。江戸は中華文化のトンキンのごたる。↓好きなカシラ三つ館を出ようとすると受付の女性が追いかけて来て、立派な冊子を下さった。人形劇演目あらすじなんかを北京語と英語と日本語で解説するもの。これを無料でとは、台湾は豊かになったことを実感させられる。さて、この界隈の人気な昼ごはん屋さん、共に市場内が休店のため台南料理の度小月で台南に何店舗かあったと思う。海老ロール揚げとたんずーみーふん台南でも海老ロールは人気だったと思う。油化街を行ったり来たりして、お茶屋のピンとくるところはないか、とか。探す。ピンとくる所がなくて、結局は前回も買い物をした爵林堅果坊で一通りお土産を仕込む。お腹もいっぱい、お土産も買った、そこでツレ、コーヒーを所望と宣わるなり。へい、斥候まいりやす。
2024.04.21
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2024/04/19/金曜日/武蔵野丘陵の初夏風4/13 夜 まだ台湾2日目立派なオフィスビルの中に劇場、台湾戯棚 がある。企業メセナなんだろうか。それとも政府の肝煎か。何しろ伝統芸能だ。劇場のフロントには千里眼と順風耳の大きな鬼神像鬼神のように、ようく目と耳を働かせて京劇を堪能しなされ、という計らいかな。エレベーター脇の窓口で予約を告げチケットを貰い、劇場フロアに上がる。エスコートの素晴らしいスタッフは丁寧で、楽しんでほしい気持ちが伝わる。劇場前に様々なアトラクションがあり、これならもっと早く来ても良かった。中国琴の演奏で迎えてくれる。めちゃイケメンなメイクアップアーティストが、腕や首に絵を描いてくれたり、京劇衣装を着ての撮影もあり。顔の隈取りデザイン。それぞれ役向きがあるのだろう。歌舞伎に比べるとパワフル。レスラーの仮面マスクのようでもある。化粧に関心のある人が多い?主役の女優さんが、メークの経過ごとに役の中の人物へと変容するみたい、顔つきが変わる。眠るなんてとんでもなかった。台湾EYES は 観客を楽しませる事に徹した芝居集団。舞台装置はない。壁の、おそらく白蛇伝のシンボルのみ。舞台右奥の演奏陣は充実している。川を渡る舟に揺られる場面など登場人物の呼吸のあった動きや音楽で、その情景を表す。トーンの高い声のミュージカル仕立て。白蛇の精が風光明媚な場所に遊んで、見染めた美しい男に恋をするが、高名な僧侶がこの結婚を怪しみ、男を救い出そうとする。白蛇軍と僧侶軍の闘い場面が見せ場アクロバティックな動きや、舞踏のような武闘にハラハラワクワク、大人も子どもも大喜び白蛇は僧侶に向かい、私は千年の修行を積み、ずっと昔からこの村のものたちの病を治し霊験あらたかだ、などと字幕スーパーでは読める。僧侶の寺は水に沈める寺となりぬ。白蛇に属する水の精の激しい連続バック転がそれを暗示しているかのよう。さて、どちらが勝者かは俄かには分からない。西湖のような、美しい風景に思わず人間以外のものも呼び寄せられるのだろう。異類婚姻譚であり、アニミズムと新興宗教の転換でもあるのだな白蛇伝は様々なバリエーションがあるようだが、日本長編アニメの嚆矢となった作品とも聞く。高いキーも柔らかい中国語で聞くと気にならなかった。動画は撮れないが、画像はOK日本のエンタメも少し見習ってはどうだろうか。
2024.04.19
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2024/04/18/木曜日/昨晩四国南西部で地震4/13 お昼前に駅に着くと、目の前の広い花博公園ではファーマーズマーケットが開催中奥の方は農産物展示販売、前方では何かの催し、プロダクトワークショップ、チャリティーなど。マッサージブースを見つけて思わず立ち寄る。溜まりに溜まった肩凝りを20分1500台湾ドルくらい、の施術所をしてもらう。結構痛い。しかし目や胃に来ていたモヤモヤは時間が過ぎると消えていた。担当してくれたのは屈強なお兄さん、え〜力強いはず?暑さの中、今がシーズンの桑の実ジュースを飲む。虫さんも冷蔵庫上、0の下で休憩中どうやら一村一品運動みたいに、台湾中の特産品が並んでいるらしい。試食するとツイ買ってしまうので、要注意。あーあ、搾菜のお漬物買っちゃったよ。どうするの、手に一杯ぶら下げて。日本では食べたことのないさっぱりとした浅漬けな塩味、美味しい。フレッシュ&ジューシー。花蓮県の少数民族らしきブースで足が止まる。お茶の実?種?から採ったらしい苦味の強い油を勧められて飲んだり肌に塗ったりする。油の味はツレのお気に召さないらしく、苦茶油を用いた石鹸を3つ買うことにした。白、ベージュ、茶の色の濃さが茶油の濃度を表すらしい。真ん中を求める。娘たちへのお土産。そんなこんなで、時間が過ぎ公園北にあるMadison ACME を観てうっとり。館内は、いかにも若手アーティストの作品展示中。台北市では古い雰囲気を壊さず生き帰らせて、とにかく若い人びとに開放している。明るい指向。その小さなガーデンを眺め市立美術館前工事につき公園の横断ができない。向こう並びのローズガーデンと林安泰古暦文物館の見学は諦める。既にお天道様は真上にあり、お昼ご飯は断じて諦めない、B級グルマンとしては。この界隈なら美食通りとして有名な夜市場所にある黄記魯肉飯だ。並ぶけれど、旨い、早い、安い。魯肉飯、魚団子のスープ、イカ団子のスープ、揚げ豆腐の煮物。ふむふむ丁度良いボリューム。杏仁脆片やドライマンゴー、ラー油にお漬物に石鹸と妙な生活臭を漂わせながら一旦ホテルに戻り身軽くなるや、コーヒーで一服。ホテル側に素敵な書店発見。純良社書店。2冊新刊を買うと古本を一冊プレゼント。グッドアイディア!↓真ん中はそう、『成瀬は天下を…』なのだ。早い日本の翻訳も揃っている。小さいスペースに小さなカフェテーブルが二つ。コーヒーと確かシナモンロールが頂ける。ヘルシンキのアアルト設計の書店みたいだ。規模は違えど本好きの空間は同じ。オーナーが助けたノラネコちゃんも、店内でケアされていました。すてき。こんな本屋さんに浸りたい。しかし。うちらはドヤドヤと永康街へ。歩けばこんな家にも当たる。おやおや。足は自然と阿原ユアンに。結局待合せのレストラン前ではなくここでツレに遭遇して、よもぎや月桃、ドクダミの石鹸を買う。日本で買うとめちゃ高い。台湾で買っても円安でやはり高い!しかし一度使うとまた使いたいと感じます。ここの石鹸のインパクトは絶大で、台湾に魅せられた最初の事件?事故? 2番目が高雄のサニーヒルズ魚介類の中華店、府岸台菜海鮮城←17:00オープン、と同時に夕飯をとり、8時からの京劇を観るのだ。カニは何と一万超え。ムリ。海老と貝と芝海老チャーハンとその他野菜料理、台湾ビールで満腹。殆ど生感覚のシジミ老酒醤油漬け?これ後を引くなあ、ニンニクと共に。京劇で寝ないだろうねえ、われら。
2024.04.18
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2024/04/17/水曜日/小雨のち曇り4/13/土曜日朝一番は東門市場を通り抜け、自家製辣油を購入。円安日本人としてはカラスミは諦める。きんぴらごぼうやお稲荷さんも。ここに来ればオックステールが簡単に手に入り羨ましい。地元の人でいっぱい。食べ物屋さん意外は早い終わり。人気らしい御園坊には並び待ちの人もナチュラルな仕上がりのドライマンゴーも購入。小さくカットしてグラノラに。辣油とドライマンゴーを携え我ら、台北で一番古い龍山寺へ老若男女に観光客も入り乱れる中、午前の早い時間のためか、何といっても台北の発展と共にあった古いお寺。熱心な祈りの渦が巻いているのである。赤い半月型の石?を投じて、筮竹をぐるぐる回し一本を引いてその数のおみくじを引く、という方式。事前の予習も無いまま手前勝手に試みたら、禍々しいような内容。ありゃま。お賽銭とお祈りで罪咎憂いを洗い流してくださいまし。龍山寺の辺りは古い街並みや建物が残り、お散歩が楽しい。お寺といえば街のお菓子屋さん。以前にもここ、太和で買った杏仁脆片。大好物なのだ。ここのは素朴で美味しい。しかし円安か値上がりか。以前は一袋200円もしなかったのに、今や300円!大人買いはムリ。日本統治時代の古い公設市場建物は、地域の文化施設や若い人の活動拠点に、古いものを残しつつ、リノベしては上手に利用しているケースがここにも。お次はちょいとスイーツ休憩。消極的なツレのゆるゆる歩きもこらえて萬華仙草冰へ。あーこれが食べたかった!めちゃくちゃ美味しい。甘味はサトウキビ、それにミルクプラス。店内壁には仙草の説明があるのだけれど、解読できず。おウチの方に頼まれたかしらん、マイ容器で買いにくる男性も。気づくとツレも、お裾分けのつもりがしっかり半分食べているではないか。さて、疲れも暑さも癒すお味の次は、目を癒しにローズガーデンと林安泰古歴へ行こう。赤いラインの地下鉄で円山駅下車。
2024.04.17
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2024/04/16/火曜日/曇り桃園空港の楽しみはラウンジ!成田みたいにしょぼくないのだ。第1ターミナルの場合、ボーディングの後、左に進むと免税店と医療施設がある。その先左奥のエレベーターで上へ。降りるとすぐキャセイパシフィックのラウンジ、その奥にPlazaプレミアムラウンジがある。貧乏旅では利用価値大、なのだ。ランチワインを赤白いただく♡しかし楽しみにしていた牛肉麺の提供はなかった(;ω;)そもそも今回の台湾発動はそれ。次男オススメの御牛殿麺の側に宿予約したのに、タイミング合わず、最後の望みのラウンジも…で、チキンヌードルとるーろー飯などやけ食い気味に、しっかりとデザートも頂く。機内用に最後の台湾のお味を帯同。携行ドリンクは人気らしく、これ一つだけ。今回はジェットスター利用につき、飲み物などは全て有料なのである。13:10の桃園空港発で17:00には荷物回収あらまあ、もう日本なのだった。台北はずっと曇りでたまに晴れ間が見えた。気温もそんな時27度くらい、多湿ではあったけれど過ごしやすかった。
2024.04.16
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2024/04/15/月曜日/本日だいぶ晴れ間ありもう台北4日目あっという間の明日、帰国。さて4/12 午後の部ホテルを出たのはチェックイン後の3時半頃この時間帯は飲茶か茶館がオープンしているけれど、レストランは殆どお休み時間。まともなお昼を食べれない移動なので腹ペコなのだ。しかし双月食品店チェーンの内、大安森林公園店のみ休まず営業。バスで移動。かなり並んでいる。店頭で必要事項を入力し、番号札をプリントアウトし、待つ間にお店の外の画面で日本語とメニューを照らし合わせて決定し、オーダーにチェック。↓この汁なしピリカラ坦々が美味しい!お代わりしてしまう。350円程度!量的には控えめ。後は貝柱入りのスープと筍炒めをシェアこのお豆腐の煮込みも惹かれたがもう満腹。ここは高くない。実感でいうなら値打ち、お安い。一人700円くらい?消費税無しが痺れる。満腹の後はコーヒー、確かヘリテージビル中山堂の4階でコーヒーが飲める。地下鉄で最寄り西門駅へ。表ホールはロックされている。え〜と思いながら諦め切れずぐるぐる建物を回っていると、以外とひっそりした通りに面した扉に守衛さんがいて、カフェに行きたいと伝えると入れてもらえた。時間は既に5時過ぎ。7時までだけどよいか?と聞かれる。え?一体他のお客さんは何時間滞在しているのだろう?まあ、確かにコーヒー一杯は千円以上。場所代を含んでいるわけね。空間と美味しいカフェラテを堪能しつつ、次の行き先である饒河街觀光夜市への経路その他を確認。ここへは二つの目的お寺、慈裕宮参拝と有名な胡椒餅を食べること。お寺は縁結びで有名なんだとか。足元のスヌーピーも探せ無いごった返し状況の中、台湾の地震を含め、世界の災害が少しでも小さく収まりますよう祈念する。この熱気、日本に無いなあ。と思いきや、夜市入り口にいきなりその胡椒餅名店がありました。うーん、これは美味しい!石窯、炭火焼きで肉あんの芯まで熱々。お腹が満腹で、二人で半分こ。今度は丸々一つを食べるのだ。
2024.04.15
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2024/04/13/土曜日/曇り昨日早朝5時!自宅出発。2020年2月以来の台湾たび、二人、再び。↓LCC専用の第三ターミナルに、ヘラルボニー作品展示が!ツレにここのネクタイを3年ほど前にプレゼントしたのに、きゃつは何にもご存知ないのだった。早い出発は一度首都高事故にハマり、飛行機出発を逃した苦い経験があるから、だ。↓出発ゲートの数字も大きい。正確にいうと20分前にギリギリチェックインできたが、LCC便の哀しさで対応して貰えず、新たにチケットをその場で買うという、ケチケチ旅に相応しくない事態に陥った。思えばその頃日本円はまだ力があった。タイも台湾も確実に豊かになるのに反比例し、日本は沈む太陽の如し。↑LCCはトランクも有料故か、預ける人が少なく瞬く間にピックアップは心地よし。↓4年ノーチャージの、ちゃんとチャージできました。2年未使用だと使えないと記憶していたけどコロナ対策か、期限が延びている。カワイイお弁当屋さんは休店中。公衆電話も駅の何ヶ所かには設置されていた。今回逗留するホテルはぎりぎり、台北城市の東↓ホテルの周辺で
2024.04.13
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2024/04/12/金曜日/過ごしやすい春霞先週、知人が学びの節目を迎えるパイプオルガンのコンサートが共催された。教会でたまに数曲聴くことはあったが、パイプオルガンをこのように幅広くたっぷり堪能したのは初めてのこと。宗教的な響きもあれば、森の中をそぞろ歩きするものや華やかな曲、と随分彩りがあり可能性を感じた。荘厳だけではないのだなあ。スウェーリンクという作曲家を初めて知った。ファンタジア・クロマティカの曲に心惹かれた。この曲に耳をすませているとハンガリーの小さな村ホローケーの木造の教会が思い出された。教会にはパイプオルガンなどはないのだが、そこに設られたオルガンは森の茂みや光、風に誘われあちこちを散歩してたっぷり愉快になってしまったような。そんなイメージが広がる。知人の方はといえば、技術に裏付けられた構造と骨格と精神のある、超絶技巧?で圧倒された。彼女は学生時代にピアノ科を専攻、ここ七年はオルガンに打ち込んでいた。その成果を私たちにシェアしてくれた。帰途、桜はその命の輝きを、みなにシェアしてくれていた。
2024.04.12
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2024/04/11/木曜日/ちょうど良いお天気先週土曜日、桜の好い季節に市ヶ谷で降りて飯田橋方面へ歩いてみた。いつもは通勤電車から見るだけの風景だが、かつてはこの駅の日仏会館で、仕事の後にフランス語を習ったこともあったっけ。あそこのカフェはフランスそのものでいい味わいだったけれど、今はどうなのか。すっかり日本回帰の私は亀岡八幡宮神社の階段を上る。この辺りはアップダウンがあり、神社からはとても市ヶ谷駅側とは思えないのどかさこの階段途中にあるのが茶の木神社。元々は五穀豊穣を祈り土地神様→稲荷大明神となって祀られた所に東向した弘法大師お弟子さまも立ち寄られた由緒ある、武蔵江戸ではかなりな古刹。殆ど潟のような江戸湾地域でここには真土の丘があった?因みに成田山はここの分祀だったか、曖昧階段を上り詰めれば太田道灌が江戸城の西の守りに据え置いた八幡さま。こにらは鎌倉鶴岡八幡宮の分霊なのだとか。薄墨色のような桜が渋いと眺めているとおや。これは何だろう。石に龍と宝剣?新しいものではなかろうか?↑八幡さまを抜けたあとの、道なき道がとても好い。写真撮り損ねたが、どう見ても行き止まりみたいな所を野良猫気分で抜けられる。↓初めて見た月桂樹の花↓そうして通りに出れば間も無く市ヶ谷の杜時間がなくてゆっくり見られなかったのだけど、年代がかった古い印刷機体験など楽しめて無料!活版印刷の仕組みが分かる。ここの半地階カフェコーナーも落ち着きがある。ここからは神楽坂の下の方へと折れてゆくのだけど、素通りできない美味しそうな蕎麦やなどが並ぶ通りがある。いつも人で混雑しているメーンストリートに出る前に興味津々なお店が。↑後から調べると黒執事なサロンらしい。あったり、え!こんなギャラリーショップあったかな?というお店も。最近、生活に即したプロダクツを作る若い工芸家が増えると同時にこんなお店があちこち増えている気がする。古い建物や住宅をうまく改装して手頃な良いものと出会えるのは嬉しい。基本モノは増やしたく無いのだけど、台所用品はつい買ってしまう。↑渡邉浩幸さんのカッティングボードミズナラ。そうこうしているウチに、飯田橋駅からルーテル教会へ知人のパイプオルガン演奏へと辿り着く。
2024.04.11
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2024/04/09/火曜日/風と雨①手打蕎麦 里り世田谷区もり+ワサビ 950円店内も蕎麦も頗る清潔感高い。蕎麦はトイチ、ワサビは別途何といってもここの魅力はツユ。私好みの濃さと蕎麦湯で割った時の淡白さ、出汁とのバランス4月6日 土曜日知人のパイプオルガン発表が飯田橋であり、早めに出かけて出会ったお蕎麦屋さん②蕎麦の膳 たかさご新宿区 初訪問野菜天ともり 1750円初めてのお店ではもり、がマイルールなんだけど、腹ペコにつき野菜天付きで。いやー久しぶりにお蕎麦そのものが美味しかった。天ぷらは凡というか、まあ普通なのだけど、お蕎麦は、食べた後に身体を清流が過ぎるような。ところで、ご主人は角川春樹監督の映画みおつくしで料理検番を務めたとか。へえー。新規開拓の蕎麦屋がそれぞれ美味しくて嬉しいが、普段の生活圏に重なりが少ないと次も、というようには重ならず、それが寂しい。
2024.04.09
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2024/04/06/土曜日/訪は先週のこの日3/30 午後遅めの熱田神宮鳥居が直角に見える、というのも面白い。杜に入って直ぐ、左にある別宮八幡宮と上知我麻神社←何とも古事なひびき←が鎮座している鳥居と正門が、東面、南面している場所樹木に覆われ隠れる清潔で簡素なところ、それが清々しく嬉しい日本の神社ご祭神の熱田大神は、草薙剣の御霊代とされる天照大神、と御由緒書きにある。自分なりに考えると、やはりご祭神は草薙剣であろうけれど、剣はうつわなり。魂はいづくぞ。ということになりて、倭建命ではなく素戔嗚でもなく天照大神となる次第か。さて、上古。倭姫が霊剣である草薙剣を抱えてその鎮まるところを求め、大神神社から室生寺に至る道には一時的なお宿りもあった。天照大神が夢枕にたち、ここが宜しいとようやく落ち着いた先の伊勢神宮。ここに本来奉納されていた剣であれば天照大神の御霊と共にお祀りする、という運びなのだろう。しかし古代。三種の神器は天皇が代々保持するものではなく、時の政務を司る有力者の合議で次代の天皇が選ばれた後、その証としてこれら三種が一時的に天皇に預けられた、とものの本で読んだことがある。世襲を目論み、二代に渡り天皇に即位した、諡号皇極帝だったと記憶する。どさくさに紛れ彼女は神器のそれまでの扱いを変更してしまった。やまとしうるはし、の衰微始まりぬ。今、鏡は伊勢に。勾玉は皇居に、剣は熱田に。参道をゆくと左手にそれは立派な経年の大クスがあり、空海お手植えとのことだがそれは如何?↓熱田神宮の歴史絵巻が参道で眺められて、歴史がよく理解できる仕組み本宮前で掃除をしていた方に、ここに本当に草薙剣はあるのですか?などと尋ねてしまう。穏やかに応えてくださるには、さてどうでしょうか。剣そのものを見たことのある方はただの一人もありません、この神社でもっとも尊い方でも、儀式の折に布に包まれた剣城を運ぶことができるだけなのです。とのことだった。では、まごころでそうある、と知るのですねと重ねて尋ねるとまごころ、そうです。というお返事で会話を終えた。江戸時代。剣の箱を新調する時に大禰宜らが目にして流罪、謎の死の『薔薇の名前』事件もよく知られる。何故、倭建命は形代とも頼むべき剣を我が身から離して、交わってはならぬときの夜須姫の元に預けたか。我が太刀はや、との声が切ない。ほどよい大きさの くさなき広場は花ざかり日本が世界がどうか安寧でありますようさてさて、神宮側のひつまぶしで有名なお店、2時間待ちの時間の頃合いをみて店内へ。一人前があまりの量で、大喰らいの私も食べ切ったとはいえ、デザートなど何も受け付けない様に。しかし、本当に美味しい!あんまり美味しいを繰り返したので、後ろに控える店員さんが、感に耐えない感じでありがとうございます!と言われてしまう次回はお嫁ちゃん名付けのレディースセットに致します。ひつまぶしが半分より小さめでうまき卵のセットらしい。値段もその分可愛らしい。
2024.04.06
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2024/04/05/金曜日/晴明の小雨ふる本書を手にとってから、かれこれ4週間が過ぎたので、もはや貸出延長もオーバー。遅々として進まぬ、我が言語消化の幼さよ。というか。編み物に日々のエネルギーを吸い取られ、あちこちへの小旅行に時間をとられている節が多大。合間に仕事もこなす、という。いつ、寝るんだ!ということで寝落ちの前の、重力負けな本書との日々は、一ヶ月に及び今現在、その二部構成の外篇を読み終え、内篇に入ったところである。〈DATA〉出版社 作品社著者 熊野純彦2018年9月5日 第1刷印刷2018年9月15日 第1刷発行元々は小林秀雄の『本居宣長』を読むつもりで立ち寄った図書館の1類書架に本書を認め手にしたのは、著者の名前に惹かれたところが大きい。といって彼の経歴を既知だった訳ではない。その姓名の文字面、響き、顕れた仕事、それらの合致というかハーモニーと称するか、そこが自分には重要、というだけのこと。熊野純彦 やまとしひびきなからんやそんな訳でこんな、漬物石並みに重い大部を借入、夜話に読み、電車内では小林秀雄版を読む。こちらは間も無く読み終えるが、下巻が未完のままに遺されている。リニアな電車では小林版モノラルが。眠りの前の読書には、熊野なる研究者版に夥しく登場する本居研究並びに本居に影響を与えた国学者や儒教仏教のとつくに思潮が、山彦の如く往還の多声唱和が小波大波のように寄せてくるよ〜難儀なことである。外篇が終わるに辺り、要約、引用、防備を記す。竹岡勝也が、倫に悖る「もののあはれ」の裂け目、すなわち「不倫の恋はやはり泥水」であるところの物語世界と世の常の道理との矛盾について宣長がどのように捉えたか、言及竹岡は「物のあはれの心」を「神々」につうずる「永遠の道」として発見した宣長を高く評価した。それは「道を焦点とする国学の完成を語るものであって、彼に至って国学は初めて儒仏と対立し得る内容を組織立てることが出来た」と。世の常の道理についてならば、それは儒仏が支配するところであるかもしれない。それでも「もののあはれ」を感じとる感受性は神々から与えられた「心の本然」にもとづくものであり、こころを「儒教的道徳の拘束」から解き放ち、神々への通路をあらたに切りひらくものであったのだ。続けて熊野は、竹岡が近松の浄瑠璃へと筆を運ぶ、長めの引用で、近松の本質本年が宣長と結びつき、源氏の恋を受け入れた藤壺へと戻りくる、なかなか読むものの心に響く一文を案内する。竹岡勝也は昭和初年に活躍した文化史家。宣長歌論の蓮田善明のみやび理解、契沖の尊ぶ「歌のはかなさ」と真淵の「ますらをぶり」「たわやめぶり」を対比し、宣長は「たわやめぶり」を雅の本質とみなすことへの言及を受けて熊野は『あしわけ小舟』の冒頭を引用する。そこから『石上私淑言』へと文は歌の道を伸びる。外篇十のお終いには戦死する詩人蒲田の、若い時の仕事である倭建命の望郷の歌の現代語訳が、元歌と共に付記されている。訳のみ記す。大和は夢に包まれて重なりつづく山脈(やまなみ)の青き垣なすその中に隠(こも)る大和のうるわしさ生きて帰らん供人は平群の山の白檮の葉を永久(とわ)に生きんしるしとて髪にかざして暮らせかし遠い戦地で妻と幼い子を気遣う愛情こもる手紙を届け、間も無く上官を殺害し自らピストルで自決した彼の境涯を述べる熊野の筆は詠うが如く。十一からは小林秀雄、丸山眞男、吉本隆明、村岡信嗣、大久保正、西郷信綱、書き留めきれないほどで、丸山眞男の徂徠学が見渡されるなど、敗戦後からの国学のパースペクティブ『日本政治思想史研究』も目を通せとかや。そんな遠回りはできないので、熊野氏の咀嚼を好機とみてそれを食べ散らかすのみ、である。小林秀雄とほぼ同じ頃、足立巻一『やちまた』これは読みたい。大学紛争の最中、梁山泊のような、ひたぶるに国学研究や源氏を読む濃密な教師と学生、研究者がいた話などには相良享、清水正之、百川敬仁、東より子、藤井貞和、藤原克己、山下久夫、子安宣邦らが続々と。神野志隆光『古事記の達成』『古事記の世界観』どちらかは読むべし。
2024.04.05
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2024/04/04/木曜日/駆け込み乗客、指さはみ目標は5月中だったのに、昨日夜半には編み終わり。我ながらすごい。編むだけなら一ヶ月。その間仕事も2泊の旅二回も含む。とにかく睡眠を削る、読書をけずる。ひたすら編む。結果寝ながら編んでやり直す(T_T)↓半分繋がり、着てみる。袖方向ジャストサイズなのに着丈が随分短い。どこまで成形できるか。実はメインのTvinni tweedが足りなくなると思い、発注をかけたのだが、残り糸を繋いで何とか凌いでしまった。あーもう頼んじゃった。あの糸は一カセ100gある!不要となったのに、高いのに(T_T)どないひょーまあ、引き揃え糸を変えると表情がまるで変わるので、いいことにしよう。しばらく塩漬けかな。編みあげてからが長い作業となる。ハニカムのカラフル糸を短く切ってはつなげる、を繰り返しているため、結びコブがある。表に見えるコブは一つ一つ裏側に引き込んで端糸を始末→脇を縫い閉じる→また端糸を始末→水に潜らせる→成型する→自然乾燥をまつ。という工程の最後に辿り着く。あとは那覇の久高民藝で買ったボタンを付けて完了このカーディガンは信じられないほどよく考案されたデザインであることが編んでみるとよく理解できる。構築的な発想は西欧のもの、かなぁ。編んだばかりなのに、既にこんな糸買っちゃったーヽ(´▽`)/懲りないアタクシめ3月教室のブリオッシュレースも未だ手付かず。
2024.04.04
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2024/04/02/火曜日/穏やか晴れ日、桜二分昨年冬に益子今年春には常滑と陶磁器、手仕事の旅の続く3/30 常滑は初めての訪問だ。焼き物散歩道という細い路地にはギャラリーやカフェが並ぶ。↓実はここに友人が作品を出していて、彼の作陶場を訪ねることが目的でもあった。↑モリーナ。ご主人が大変勉強熱心で彼の眼力の適った陶磁器が並んでいる。ここで発行している手作り新聞が勉強になります。無料!古い家並みが、土地の区分も曖昧なままに開発を逃れてぽっかりと残ったらしい。↓モリーナご主人のお母さまのギャラリーも週末開催。スペースとこなべここで、浜比嘉詩子さんの観音さま購入しました。↑童女のようなふっくらした可愛らしさ甕や下水管が地場産業として栄えた往時を偲ばせる廻船問屋のお屋敷もある。アニメ聖地というよりも新鮮な郷愁を呼び起こすのか、こういう場所には古いもの好きな若い人が案外多い。みんな大好きな路地、何故モダンな都市計画はそれを見落とす?お昼はカメラ好きの知る人ぞ知る、すぎカフェへ。タイカレー、デザートアイス、初飲みのブルンジコーヒーが付いて1300円!驚きのクォリティである。カレーもデザートもコーヒーも全て大変美味しい。オーナーの方は京大理学部卒らしい?こだわりがランチ意外にも随所に。彼自身の写真作品やカメラコレクション、著名な写真集など、カメラ女子も一日満喫できそう。とうとう、友人の急須を購入。すごいなあ!こんな美しい作品を造形できるようになって、おめでとう。
2024.04.02
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2024/03/31/日曜日/岡崎市は23度一昨日は大雨大風の中をついてバス、地下鉄、新幹線で初めての静岡駅下車↑へー、そうなんだ。静岡に着く頃には雨止む、車中窓外に山水画のような風景を眺めるさて、芹沢銈介美術館を目指す。南口22番乗り場のバスで10分ほど。歩くには距離があり過ぎる。降りたのは登呂遺跡、終点。この敷地内奥に、憧れのというか、昨冬から続く民藝旅の一角を占める、芹沢銈介さんの美術館と旧住宅がある。↑位置関係。はやはや。はあ⁉️なんと。まさかの。私においてはありがちの。展示替え休館であった!へなへな〜しかし、春休みに掛かるこの季節に、何と大胆なスケジュールであろうか。一縷の望みを賭けて敷地内旧宅に向かう。あ、あ、あ。こちらは芹沢銈介美術館開館時期の日曜日が基本見学可能、とのことである。涙そうそ。せめて旧宅の周りをぐるぐると、は回れず2方向から眺める。大変好ましい佇まいだ。妻側の表情は、濱田庄司の作陶納屋のよう。そのスケッチは芹沢銈介が描いたのではなかったか。奥行き二間にはみ出し2尺が南北に伸びている。間口は四尺五寸のリズムが大らかな三間にやはり二尺壁が東西に延長。一階と二階で真壁柱が通ってないのも、小洒落感ある。二階南側思いっきりな吐き出し雨戸は全開するとさぞや清々しいだろう。吉村順三の山荘もかくや。出窓の意匠、土台の継ぎ手。漆喰と障子の白、その素材の違いと杉?の茶色は庭の緑を最も美しくみせる。建坪十坪ばかりの豊かさ住む人の人柄のよく見える心映え私ならば庭にもう少し花実がほしい。かえすがえすもおなごり惜しく、めそめそと美術館外を眺める。次はしっかり調査の上、住宅も見学できるよう予定を練ります。いつの間にやら強い日差しの元富士山が見える。静岡駅の特産ショップにて、葛布のペンケースを求める。味わいよろしい。
2024.03.31
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2024/03/29/金曜日/大雨大風のち松翁ざる 千円私なりの馴染みのお店でいつもの十割蕎麦。体調のせいか濃いめツユが薄く感じる。この所、月イチでお茶の水駅→男坂下る、猿楽町へのコースのトレース続く。手打みち ★初訪問 町田市3/27/水曜日もり 800円おそらく二八もしくは七三?もしくはへぎそば系か。ツルツル度高い。量は160gは余裕である感じ。ここも江戸前に慣れた身にはツユが薄い。出汁はカツオが効いている。サイドメニュー豊富でうどんも出す、というのが蕎麦一筋とは趣が違う。町田にはそのために出かけたい蕎麦屋が不在かな。そば半 登呂店 ★初訪問 清水市3/29 金曜日鴨鉄ハーフセット、十割蕎麦もり1480円←LINE友だちプライス、通常1780円蕎麦の下にも氷。こんな意匠は初めてなり。かなり拘りの素材で手打ち、確かに年配の職人さんが玄関で打っていました。しかしなあ。なんでこんなにツルツルなんだろうか。太麺を選択したものの、蕎麦らしさが薄い。薄いといえばツユ。これが決定的に薄い。量も気持ち少ない140g静岡なんだし、ワサビがたっぷりほしい。ネギは白いのが好み。蕎麦湯の濃さがくどすぎ。普段食べてるふじやが妙に懐かしくありがたい。蕎麦は江戸がよろし。
2024.03.29
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2024/03/26/火曜日/止まぬ雨の日近頃稀に見る良い読書時間をもった。〈DATA〉出版社 作品社著者 ジョン・ウィリアムズ訳者 東江一紀編集協力 布施由紀子2014年9月30日 初版第1刷発行2015年10月30日初版第9刷発行〈私的読書メーター〉〈よい小説は遥か遠い所へと読む者の心を運び、これが体験でなく読書であったことに戸惑いをもたらす。そんな作品だ。最終章、静かに涙をこぼす。涙の源泉が何であるかも掴みきれない。ストーナーは幸せだったのか不幸せだったのか。そんな線引きは意味を成さず、ただ控えめでよき人の偽りのない人生があったのだと感得する。学問への感激、「死にゆく肉体に生が振り付ける舞踏のような」老いの横溢も全て受容する。ストーナーの両親が一人子の彼の全てを受け入れたように。その愛はストーナーが肉体を去る間際に更に大きな光に変容し彼を包容する。〉ウィリアム・ストーナーは、「大草原の小さな家」のように、夫婦だけで原野を開墾する農家の一人息子として生まれた。彼をめぐるごくわずかな人びとが、どの人も細大漏らさず描写されている。無学だが心から息子を愛する両親風変わりだがこれまた心から英文学を愛する指導教授スローン。彼が暗唱するシェイクスピアのソネット!これがこの物語終章に共鳴しているのだ。二人の学友の内、一人は志願した第一次世界大戦で命を落とす。若くして逝った友はストーナーにとって決して不在ではない。一目惚れの美しいイーディスとの結婚狂想曲。彼女の極端さは振り切れ方が戯画的だ。プロテスタント的な純潔鬱屈の犠牲者のヒステリーと、静かで繊細だった、引き裂かれるまでは彼の支えでもあった娘。家庭の中に居場所のないストーナー。同僚、厄介な学生、大学内の政治的駆け引きキャサリンとの出会いは淡々としたものだ。大学院指導ゼミ受講者だった彼女が目を通してもらえないかと差し出した学位論文。その出来栄えに蘇生するかのようなストーナー。英文学の理解、感受性、方向性を一にするような二人の官能の日々、完璧な恋愛はストーナーに初めてもたらされた精神と肉体の一致でもあった。これこそが彼にとっての聖なる結婚という化学反応だ。二人の逢瀬はやがて引き裂かれることを理解した上での最後のクリスマス、雪の山小屋。短かくも文学的な実りの多かった二人の結晶ともいうべき学位論文は何年か後、出版される。キャサリンの献辞、W・Sに を扉に符してこのイニシャルはかの英語圏の文学王、ウィリアム・シェイクスピアと同じではないか。そして時代背景。第一次世界大戦、禁酒法、世界大恐慌、第二次世界大戦。穏やかな時などないのだ。従軍を匂わせるストーナーに、激昂するスローンの、戦争の後の人間の荒廃に関する話は、心に留めおきたい。この教授は、武力によるものではない戦争についても言及する。それはストーナーの研究者としての未来を暗示してもいる。〈感想をありがとうございます。この小説は小津好み、というか当時米国で振るわずフランスでヒットした、という背景もうなづけました。ストーナーの、見を控えて観をよくする態度や極限の悲哀に雪の風景に同化するところ、禅観すら覚えました。真に結ばれたキャサリンとの間に文学の子どもを残しましたが、その献辞のイニシャルがシェイクスピアに一致している点、冒頭のソネットがこだまします。ものの哀れを翻訳の大和言葉が掬い上げるようで。 こんな小説に再び出会いたいです。〉
2024.03.26
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2024/03/24/日曜日/歩けばコートは暑い先週辺りからまばらだった電車内の吊り広告が増えてきた?世間は景気がいいの?小田急内もこのとおり↓私にとっては殆ど暗号に近い、イサガーさんのハニカムカーディガンを、編むより解くの繰り返しで日々が時間が過ぎていく。デンマークのイサガー店で指定どおり求めたはずが、糸が足りない!というか。どう考えてもこの先心細い。イサガーの糸は買えるお店が増えている、とはいえバスと電車を使い、それでも我が家から比較的近い、サイチカさんのお店に糸を買いに行く。豪徳寺から世田谷線乗って松陰神社前スグ。なのだが本日は暑くも寒くもないので、豪徳寺からそぞろ歩くこと20分。寄り道できるのが嬉しい。まほろ堂蒼月で、青豆大福と桜のお饅頭とお赤飯を買う。渋茶とお饅頭で休憩する編み物の一日、后の位もなにせぬに。である。↑途中藤の花⁈え、違うよね何でしょうたっぷりと豊かに咲いてます。道々ステキな住宅を眺めるのも嬉しい。サイチカさんのお店にはほしい糸二つの内、一つがあった。もう一つは無いので発注待ち。さてさて最大の寄り道は豪徳寺外人さん観光客が益々増えて、昔のひっそりした侘しげな様子が薄まっている!招き猫のご利益か千客万来、看板猫は恐れをなして姿が見えない。帰り道、お腹が空いておやつ代わりに蕎麦屋に寄る。うーん。お店の表情を見ると心の声がやめとけというのだけど、今からお店探す余裕もない。珍しくタヌキ蕎麦。蕎麦そのものは割と美味しくかえって驚く。汁の濃さは昔気質。
2024.03.24
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2024/03/23/土曜日/まだとても寒い朝電車を3つも乗り換えて辿り着いた会場生前の中村哲さんの講演に伺うことはできなかったがとうとう彼の事業のパートナーともいえる藤田千代子さんの講演を聴く機会を得た。前半は中村さんの活動の記録、授業などに用いるために1時間を45分に編集したもの。以前に観たことがある内容だけれどやはり新たまる。そして思いを強くする。登山隊の随行医師として参加したパキスタンの寒村で、置き去りにせざるを得なかったパキスタン人ハンセン患者たちへの断腸の念。その贖罪に突き動かされた生涯幾つも病院を作り、井戸を掘り、最終的には用水路を作る事業を起こした。そのために治水を学び、ショベルカー運転技術を身に付けた。小柄で朴訥とした人柄はたとえ大統領の前でも物乞いの前でも全く変わらなかった。そしてペシャワールの病院には大勢のアフガニスタン難民が逃れてやって来た。彼らの多くは農民だ。当時のアフガニスタンはソ連が10年戦争で荒らし、それが去って間も無く9.11報復で国土は荒み、更に旱魃が追い打ちを掛けた。戦争どころではないのだ。旱魃による飢えからの解放のために作物の大地を潤す用水路を作ろう、と中村氏は言い出す。誰もが馬鹿げていると反対した。素人の私たちにそんなことができるわけがない、藤田さんも当初は反対した。しかし諦めるような中村氏にあらず。用水路工事は挫折も経験したが、中村氏の生まれ育った福岡市の古い治水工事の叡智がその難場を救ったという。そしてその資金は日本の一般の、市井の人びとの寄付金なのだ。水は通じた。ありとあらゆる苦労と努力と半目も全て水に流して。10年で風景は一変した。緑の農園と木々に囲まれ、武器を捨てた男たちは畑を耕す、喜ぶ母親、笑う子ども、おそらく鳥も小動物も虫たちも沢山集まって来たことだろう。中村氏はいう。自然と人びとの努力、それらへのお礼に種をまく、と。高山から吹き付ける風に揺れながら麦は見事に実っていた。中村氏は無惨にも銃弾によって突然人生が閉じられたが、今、医療関連に従事しながら用水路工事の熟練工でもある地元アフガニスタン、パキスタンの人びと90余人が育った。彼らは小さな村々から要望を受け、用水路は着実に実現されている。アフガニスタンの乾いた大地を潤す源には中村氏の確固たる決意が決起しているのだ。いつかアフガニスタンやパキスタンの国境には緑なす草原、畑、森、花々が楽園のように広がるだろう。人びとは平和の鐘を鳴らすだろう。藤田さんの講演のあと、岩手の方による鎮魂のさんさ踊りがあり、それが舞台背景で微笑む中村氏と相まってとても良かった。アフガニスタンの空に舞と楽曲が届いたかのようで。この催しは申込開始後1時間で完売したそうだ。
2024.03.23
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2024/03/17/日曜日/少し汗ばむ温かさに花粉吹雪知合いの知合いのリレーで 能オペラ隅田川 の企画を知り昨日洗足学園シルバーマウンテンホールで鑑賞する。音楽、台本はフランス在住50年!の音楽家、吉田進氏。氏による創作オペラ誕生秘話のビデオ講演があった。これがとても面白く琴線に触れるものであった。そもそもオペラってどうやって生まれるのか、門外漢の私にも分かりやすく説明されていた。講演の語り口そのものが、無駄なものが一切なく、くっきりと骨格が立っている、そんな印象。事の起こりは懇意にしているフランスの打楽器奏者からオペラを作ってほしいと頼まれた所から。打楽器だけでオペラが作れるのか、矢張り心の通じる音楽演出家、プロデューサーに構想を相談したら、面白い、やろう、と発展したのだとか。ただし歌手は2名まで、がプロデューサーの意向。その後フランス政府の金銭的支援も得たというから、件のプロデューサー氏は有能だ。氏の構想は能楽にすんなり向かう。確かに能楽は鼓中小、太鼓に笛、のセットなのだ。何年か前に小太鼓と笛の、すごいセッションに立ち会う機会があった。二人の楽器の鬼気迫る掛け合いは、恋狂い、蛇と変身する安珍清姫と修行僧を守る読経の響きを舞台上に現出させたのだった!あれほどの気魄はそうそう見られることでは無い。ミニマムでいながら最大限の音と効果を引き出す芸の洗練は、能楽の創始者の天才と長い時間の賜物なのだろうと素人甚だしい自分でも感じられる。さて、オペラは全通しではなく、いきなりクライマックスシーンから始まる。どうしても能の隅田川を基に、渡守の登壇を眺めてしまう。と、何ともこれが軽い。中世の頃の日本の人様では無い。ああでもこれはオペラ、だ。しかも21世紀に創作された。洋服を着て靴を履いてパンを食べる人の所作なのだ。160年かけて日本人に何とか定着した様式、そして西洋の音楽形式なのだ。と思い直す。ところが一人子を探し求め、京の都から隅田川ほとりの木母寺まで流れ着いた狂女を演じ歌う蔵村蘭子さんは、まるで能面でも付けているような、身体の有り様まで和に戻った体なのだ。声のツヤが少し枯れていたのは偶々か、この役所故かは分からないけれど、ビブラートの繊細さに少し物足りなさがあったけれど、彼女の解釈と表現には拍手を送りたい。シルバーマウンテンホールのB1は、芸大の奏楽堂みたいにステージ正面左右に出入り口が作られていた。客席に相対して登場するので、この時オペラ歌手として出てくるのか渡守として出て来るのか、とても重要な分かれ道だ。それに比べると、長の移動を思わせるように客席後ろから登場する梅若母は、すっと役に入りやすいことだろう。隅田川謡曲、聴きたくなった。
2024.03.17
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2024/03/15/金曜日/春が近づく今月はブリオッシュ編みのしかも増目と減目のある複雑パターンのスカーフ。Knittyでフリーパターンが公開されている。Rodekool by Nancyさん。Rodekoolとはオランダ語で赤キャベツのことだとか。そもそもブリオッシュ編み。左のいわゆるイギリスゴム編み?みたいに編むのだって十分煩雑なリバーシブル。うわーがんばるしかない( T_T)\(^-^ )このところ、先生の翻訳本からの編み方ヒントやスワッチが続いていたので、いきなりハードルが高くなりましたー。↓教室にはこんな大作を編む強者や講師資格保持者ばかりで、ひたすら初心者質問の私め。byスティーブ、のミステリアス作品
2024.03.15
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2024/03/14/木曜日/花粉の量日増し新宿界隈でお昼というとだいたいここ、手打蕎麦ふじやの十割980円で決まり随分喉越しがいい。そういえば前回食べた時も思わずこれ十割?と支払いの時聞いたんだけど。それに、小麦混在みたいなダンプリング感ある。と思いながら半分ほど食べたところで。店員さんが大変申し訳ありません!十割蕎麦と二八を間違えてお出ししたので取り返させて頂きます!というではないか。思わず、やっぱりと答えて有難くお代わりの十割蕎麦をいただく。ありゃ、思いがけず二色もり?十割蕎麦には独特の歯応えがある。またお店によって水分量が異なるので、ぬるりと滑るか、少ーし硬くぱさり感があるか。こちらは後者に属するお店。生粉内で、一応手打ちみたい。蕎麦もそんなに長くは打てず。いろんな蕎麦やに行き、よくお蕎麦を食べるけどこんなことは初めて。正直に取替えくださりありがとう、どうもご馳走さまでした!
2024.03.14
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2024/03/12/火曜日/一日中雨降りこのニット本は私のバイブルに近い。この本に出会い、ニットに縁付きました。本の中から、スカイツリー↑〈このショール〉とドミノスカートを編んだ。そしてこれ、↓ハニーカーディガンを編むつもりでイサガーの糸を購入しながら、もう5年以上塩漬け何やら後から後から別物の編み物がやって来て、随分待たせてしまいました(´;ω;`)イサガーの糸の塊から、どうやらこれとこれを使う予定だった、らしきものを集める。左、ベースの引き揃えはツイードとアルパカ1右、ハニカム部はスピニ。ベースの紫に多色で2本明日から毎日続いて忙しくなるので、思いたってスワッチだけでも編むことにした。針は3ミリ。目標は5月中の完成。がんばろー控えめな色合いなので、画像のような楽しい感じにはならないかなぁ。
2024.03.12
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2024/03/11/月曜日/13年前を思ううーんここまで時間が掛かってしまった。ミスが多過ぎて。昨年、盛岡や弘前を訪ねたときにこぎんを探して手に入れた絵葉書↓黒に近い藍の色と木綿の白何と根気強い仕事だろう。私にとっての今シーズンの大物二つ目、2月いっぱいで仕上がる予定が3月上旬に完成して、今平干しこれは合格点は貰えない出来なので、時間が取れたら再度編んでみよう。その際はもう少し大きく、レイアウトなんぞも変えてプレゼントにしたいなあ。
2024.03.11
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2024/03/10/日曜日/春日和北鎌倉の茶飯事で海老しんじょうや茄子田楽のランチを頂く。この辺り道の横断が難しい混み入り。散策路があれば良いのに。さて、鶴岡八幡宮まで来たら何か祭祀を取り行っていた模様。それは婚礼の儀でした。白無垢の花嫁御寮さん、いついつまでもお幸せに脇道から境内を出てそのまま川喜田映画記念館へジェラール・フィリップ特集で映像公開も。入館200円、鑑賞500円という格安、近在ならば足繁く通ってしまいそう。岩波ホール支配人だった高野悦子さん、フィリップさま!と呼びならわしてらした当時の様子。敷地内には年に数回公開される哲学者、和辻哲郎の旧宅が移築されている。欧米の絢爛たる映画人もここを訪れたのだから、哲学者もびっくりだ。ここから細い小川に沿って南下すると間も無く、話題のくるみっこ鎌倉紅谷の新店舗がある。おや、店頭には人が並んでいない!チャンスと店内に入れば当日のくるみっこは完売。まだ一時過ぎなのに…聞くと開店前から既に並んでいるのだとか!別菓子とチョコを買う。そのまま鎌倉江ノ電駅へ。もうもう小町通りからこっち、すーごい人、人。若い人が多く、その様子は浅草みたい。若い人は古いもの、日本らしいものがお好きなのかしらん。やっぱり鎌倉来たら高徳院の大仏さまにご挨拶をせずには帰れない。昔は由比ヶ浜にあった会社の保養所に、家族で毎夏訪れた。海はそんなに綺麗ではなかったけれど人も少なく、何より保養所の庭隅の扉を開けるともう砂の小道で直ぐ海という塩梅。その頃の大仏さまは観光客なんぞまばらで自由に中に入り遊んでいたように思う。今は昔。昔ならざるのは美男のかんばせ与謝野晶子歌碑を眺め、口にする かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな実は阿弥陀如来であって釈迦牟尼ではないのだとか。それで後年歌を改めたというが。これはこれですっかり定着した。最後の訪問地は長谷寺何も紫陽花の時でなくても季節ごとに花々が眺められる、洞窟に弁天さまをお祀りするだけあって、女性好みのお寺初瀬に初声、地名の美しさ大和の長谷寺、鎌倉の長谷寺。一本の楠から二つの観音さまが現れ、西と東に安住された、物語のような縁起私はここに入った記憶がない。海に近い所ならではの、地形の洞窟でもあるだろうか。沢山の神さま眷属や七福神の中で一際優美な弁天さま四時にはカフェも閉じてしまう。駅手前でソフトクリームの念願果たし帰途につく。
2024.03.10
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2024/03/08/金曜日/雪残る朝2月末の連休は中の土曜日が晴れて、娘夫婦と鎌倉に出かけた。温かい日で散歩にはもって来いなものだから、当然観光客でいっぱい。中国韓国の人が多い。彼らの地声が大きいので倍くらいいるように感じられるけれど、実際は関東近来の人が多いのだろう。大好きな駅、北鎌倉で降りて鎌倉駅まで歩き、江ノ電のって長谷寺で降りるコース。円覚寺境内だけでもゆっくり眺めれば半日過ぎてしまうかも。昔は一度はこの辺りに住みたいと考えたものだった。凄いなあ、こんな文字が書けたら生まれてきてよかった!と実感しそうた。金澤翔子さん。悉皆仏性か悉有仏性か。仏心この清潔な空間よ。緑色の細い枝が斜めに伸びる。方丈のピャクシン。これはエントである。観音さま盛りを過ぎても花を残す枝も。風が渡って、眺める間に花びらを吹きこぼす。おおお、これは面妖な。龍神さまがお一人能登に向かわれ、被災した人びとを救わんとされておるのか。いずれにしても当地にお寺が建立されて幾星霜、こんなことはあったことがない。元寇の時も足利幕府に席捲された時も黒船の時も明治クーデターの時、即ち廃仏毀釈の時にも。何か大きなことが起きようとしているのか。竹林は春夏秋冬、好天雨雪どれも好い。敷地内には小さな墓地が付随していて、そこに小津安二郎の、家の墓がある。鶏頭の花は無いがお酒は沢山。信州で買ってきたのだろうか、ダイヤ菊もお供えしてある。ゆるゆる円覚寺を出て縁切寺、東慶寺へ階段を登る。ここは寺領内の撮影はできない。庭園に力を入れている様子。小林秀雄はじめ鎌倉文学に携わった多くの文人の墓があるらしいが、若い人たちに突き合わせるのも申し訳なく遠慮した。とても良い感じの聖観音さまがおられる。帰り、縁道の梅の花にメジロが2羽、人を恐れることもなく目の前でしばらく無心に花の蜜を啄んでいた。なーんて可愛らしいのだろう。
2024.03.08
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2024/03/06/水曜日/山極では雪らしいあーあーあ、やんなっちゃった。んがんが、やんなっちゃった〜冊子だけ眺めて編むことの、私の力不足に(;ω;)そもそもデザイナーの意図が上手く掴めていないくせして、当たって砕けるというのがいつもの行動するパターン。ボトムアップで模様を編みながら、脇元の額縁のようなラインは何事ぞ?との疑問はあった。しかしぐるぐる輪に編むので、まさか前身ごろと背中の模様バージョンが異なるとは見逃していた。それに気がついたのは、片袖ずつデザインが異なることを発見?した後のこと。ま仕方ないやー、アレンジと思うことにします。時間のないところを頑張ったもんねーよしよし。それにしても輪に編んだ後の減目のパーツ。裏表しながらの模様編みは遅々として進まないなあサイチカさんは合理的な編み方を好む方なのになぁなんてぼやいていたら。何度も眺めたこの概略図。よくよく眺めればヨーク部分は再び輪編みだった!時すでに遅し敗残の兵なるや吾。国破れて山河あり。編図破れてパーツ転がる。輪の終了と増し目、あのポジションで熟考しながら概略図をしっかり文字面追っていれば。あーあの時、もしも!後悔先に立たず、小さなことから大きなことまで。望郷の念に襲われ、どこまで続くぬかるみぞ原点復帰はもはや諦め、ぬかるむ表裏の模様を一目一目行進する。ニット二百三高地か支那事変かインパールの如し。老兵は死なず、ただ編むのみ。これからは科学の合理性だ。編み物も、だ。
2024.03.06
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2024/03/05/火曜日/日差しのない日〈DATA〉出版社 新潮社著者 平山周吉2023年3月30日 発行〈私的読書メーター〉〈映画は何度目かのリバイバルブームで代表作を幾つか観たが、まとまった小津安二郎本は初めて。一番心惹かれたのが本居宣長との繋がりで、この章が後半にもっと深められることを期待したがそれは得られなかった。著者のいう近代日本人の最高の姿が小津監督にあるなら本居宣長との霊脈である松坂時代が重要ではないかと素人考えを抱く。「敗北を抱きしめて」の如くの一見平凡な、それでいて絶対的小津芸術の凄みに死者の眼差しがある事には深く突かれた。日本領シンガポールで米映画を2年以上観られた境遇を天与された20世紀人の心棒貫く人生だ。〉おやまあ、こんなことしちゃった。『小津安二郎』読書最中に、ひょいと娘と婿殿と鎌倉散歩に行くことになって。あー、あるね。ダイヤ菊。蓼科の山荘にもちゃんといつ帰ってもいいように置いてあったねえ、娘は覚えていた。何年か前に一緒にそこを訪ねた。そうか、著者はこの墓碑銘の無の字に違和感があるのだねえ。小津の生涯をくくる文字に、小津自身がこれを選んだのでない経緯も記されている。小津の映画の魅力の背後には矢張り人として魅力的な小津さんがいるんだろう。表現するものは全てその人そのものの写しなのだから。この墓には小津安二郎のお母さまも一緒に眠る。小津は母思いで知られ、最後まで共に暮らした。ばばぁ、ばあさん呼ばわりしていたのは照れ隠し以外の何物でもない。先の敗戦では小津も年長ながら応召され、支那事変の辛酸を舐め、弟とも思う山中貞雄をその間に戦病死で亡くした。当時若い兵士たちは天皇陛下万歳を唱え死ぬことを教えられたそうだが、殆どはお母さん、おっかさん、母ちゃん、おっかあと叫んで散ったのだ。この本を読んでいると沢山の山中貞雄たちの母恋の声が、小津の母思いにまで連なっているように感じられる。小津の軍隊階級は下士官だったけれど、そのような部下たちへの鎮魂として、安心せよ我が母なれど貴様らの母とも思い死ぬまで孝行を尽くす、と決めていたかのようにさえ感じられる。そうして独身を通した。焦土日本には社会的寡婦と戦争未亡人百万人そんな小津の情をアングルやカット、カメラアイや役者の表情、会話に先験的に感知する者は我が意を芸術にまで高めた小津に平伏するしかない。何だか能の世界である。戯作者小津は浮かばれぬ魂に慰めを与える僧侶のようでもあり。でもそれだけではない。何というか、そんな理屈を排してほのぼのとした朗らかな一つの、純な日本人の好さ、そんな味わいを笠智衆や東山千栄子に凝縮させた才覚、それが好ましい。意外な印象を持ったが、小津は志賀直哉を大変尊敬した。これもまた私自身が志賀直哉に対する貧相な経験しか持ち合わせない所以か。小津が書き留めた志賀直哉の言葉に独立した芸術には向こうからこちらへ来るものがある。趣味の世界のものはこちらから愛撫するスキがある。それはまた非常に強い魅力だ。だからどうかすると騙される。しかしどんな魅力があっても独立した芸術と一緒には考えられない。がある。これは柳宗悦とも関わった志賀直哉の、というより民藝運動を経た美意識ではないだろうか、とも思う。小津は志賀を大先生、里見弴を小先生と尊敬し、彼らは旅を共にする事や座談もした。そんな繋がりゆえか、小津は映画界で初めて芸術院に選出された。ところで、この読書から、小林秀雄『本居宣長』を読みたくなった。里見弴に至っては一冊も読んでいない。読書は次の読書を呼ぶ。宣長の言語論、和歌論、文学論。姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シを感じさせる小津の演出作法を著者は解く。同じく小林秀雄『私の人生観』に触れられている宮本武蔵の「観の目強く、見の目弱く見るべし」を引いて小津の演出にその影響を見る、という達観だ。観についての小林の引用続く。「目の玉を動かさず、うらやかに見る」目があること、即ち「意は目につき、心は付かざるもの也」常の目は見ようとする意が目を曇らさせる。だから見の目を弱くして観の目を強くするよう剣豪は教えた、と。うらやか、とは晴れ晴れとのどかな様東京物語の夫婦の会話シーンはまさにうらやかな観の目、であったのだ。 なるほど小津のワンシーンワンカットは西行の桜の空観にまで貫道するものであったのかは!円覚寺の小津の墓碑銘は「観」が相応しかったと著者は考えたろうか。登場者が多すぎる。どなたも魅力的た。氏の文章スタイルも良い。藤田嗣治のことを書いた本も機会があれば読みたいと思う。しかし先ずは本居宣長→小林秀雄これはこれで遥かな道のりだ。
2024.03.05
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2024/03/04/月曜日/暖かし、コロナ自宅控え2月はほぼ週一いつもの、手打蕎麦ふじや十割蕎麦を食べた。最近ほぼ月一の松翁でもやはり十割蕎麦を食べた。共に生粉打ちだけど蕎麦の水気がだいぶ違う。松翁のは水気多くぬるり。ふじやは硬いので噛み締めて食べる。蕎麦外皮を何割みたいな案分がそれぞれなんだろう。ツユは松翁が昔ながらでふじやは蕎麦湯で割る前から出汁が香る、かな。量は松翁が多い、と思う。千円。ふじやは980円。そんな中、定石破り、久しぶりに2/28初訪問の試み。大村庵へ通りすがりにお邪魔した。北新宿、大久保駅程近い、昔ながらの町の蕎麦屋さん。蕎麦にあれこれ3品ついて、ご飯もバンドルで830円!安い!丼に蕎麦、うどんのセットランチでも900円前後?給餌も厨房も働きもの!な印象のご婦人二人で切り盛りの小さなお店。当たりがよくて地元愛され。製麺所の蕎麦を用いてたけど、しゃっきり冷やしてくれていました。麺つゆは何だか市販か業務用か、という印象で、出汁のこだわりなんざ無用。まあそれはそれで。しかし!並んだ3品がどれも美味しい!それにこの値段。何とか食べ尽くした。空腹の時には、また是非お願いします(^^)↓松翁で頂いた。今年も蕎麦〜
2024.03.04
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2024/03/03/日曜日/暖かく少し風のある〈DATA〉出版社 光文社著者 吉村喜彦2006年7月20日 初版発行第1刷発行〈私的読書メーター〉〈サントリー広報部のご出身らしく飲酒表現が定型過ぎるキライあれど。全7章からなる本書の6と7章、泡盛と与那国の段がよく楽しめた。沖縄で失われた黒麹菌は戦前に東大で保管されていたことが近年に判明、かつての泡盛復活に首里の瑞泉酒造が取り組んだ。泡盛が好きでたまらない仙人のようなおじいが紹介されているがその夫婦の持ち味、発酵感が絶妙だ。こんな想いが重なり今の泡盛興隆があるのだろう。情熱が若い人にバトンタッチされ過去から未来へ古酒のカスタマイズリレーが世紀を超えていく。鍾乳洞で丸くなるのを待つ酒は平和の風味ならん。〉今回の沖縄旅行の前に読む。賑やかな観光冊子を追うのもとみに面倒くさくて。意外と訪問地の今帰仁や本部、羽地、大宜味村辺りの情報もあり。
2024.03.03
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2024/03/02/土曜日/鶯の初音を聴く薄曇り2/20 ツレは旨い朝ごはんを食べに行くという。私は大体朝はお茶程度だし、首里城再建の様子を見に行くことにした。方向違いのバス停で待って何台もバスを見送る。ようやく正しいバスに乗る。スイカは使えない。それでもバスからの風景が捨てがたい。↓朝の国際通りはこんなに静か。バスで移動すると、改めてお城は山上にあるのだ、という地形を実感する。尤も首里の前に中山城は浦添にあったそうだ。そうか。浦添にもゆっくり滞在してみたいもんだ。↓バス停降りてそぞろ行けば、あちこちに謂れのありそうな建物が。この側には尚氏のご先祖代々のお墓、ウドゥンあり礼を守る国、そうありたいものを。これは今の、今までの日本政府に投げかけられている言葉に他ならないだろう。この辺りまでは無事だったのだろうか。神を奉る、と門に掲げたお城を他に知らない。自分が神になろうとした俗人は歴史に暇無し。入場券、これが安い。復興の寄付金も含めるということでもう少し高くても良いのではないか。子どもや学生は無料にして。↓ここからが消失した首里城再建の建屋を右に見ながら進む。建屋内は二層に分かれていて、初めより見学できる仕組み。オープンキッチンなレストラン?焼け落ちたものや素材の展示もある。構造にどんな木材を用いるのか、実際同じ大きさの木材を持ち上げ実感できる。南洋材は軽いイメージがあったが、認識が新たになった。上左二つは私でも持ち上がる。ヒノキは特に軽い。素直で加工がしやすい故の人気材なのだ。上右の沖縄ウラジロガシ、これは重くて私では持ち上がらない。土台や船の材にもなるだろうか。恐らく腐食の耐用年数も長い。プロジェクトに関わっている方のビデオ。首里城へのひとかたない思いが伝わる。伝統建築に関心を持つ若い人が増えますように。帰りはゆいレール駅へ向かう、お城下には昔ながらの風景が残る一角がある。弁財天が祀られているようだけど、その昔は納経堂だったと記憶する。さて、チェックアウト11時近くまでゆるゆる部屋にいて、そぞろ那覇空港へ。ここで最後の沖縄そば今帰仁のスイカ、宮古島のマンゴーを夢見て再度沖縄へ、次はいつ?
2024.03.02
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2024/03/01/金曜日/昼前から晴れ那覇から休まずに、高速も運転で2時間半は軽く超える距離なので、次に来られるかは分からない。何しろ1年に一度来るのがせいぜいなのだから。いつだって一期一会である。風景や感動した記憶は心に留めおきたい、といつも願いながらあっさりと表面からは消え去る。心の深いところには地層のように重なっていると信じたい。眩しい日差しの中を展示会場へ向かう。今は使われていない保育園だった建物へ撮影者はこの方、金サジさん。はたむん、良い響きだ。やちむんは焼き物はたむんは機織りのもの、というような意撮影してよい、とのことで、お顔は外して、はたむんのみ撮らせて頂いた。それでもこの方だけはどうしてもお顔もそのままに写させていただく。ありがとうございます。はたむんとからだはいまその言葉に実に見事に応える、黒一点だ。こんなに説得力のあるからだ、それを包む年月を経た芭蕉布。確かに人間がいる。園庭に置かれたオブジェ↓特別参加のアブ?ミツバチ?喜如嘉を後に、沖縄の東を少し走り途上の食堂で沖縄そばを食べる。テビチーとソーキのミックス普段はこんなにお肉は食べられないけれど、沖縄そばは別。お肉があっさりしている。そこから名護のやんばる市場に寄る。ご当地ならではの食材を眺めるだけで楽しい。↓食べられる花!なんかが市民の胃袋を満たす市場で普通に売られていた。食いしん坊の私としては、どうしても食べたいうるま市のチュラーナというジェラート店へ丁度休憩にも良いタイミングなのだけど、お店にお手洗いはありません、念のため。↓このボードを見ると納得、沖縄本島北部は元々昭和30何台までは水田が豊かに広がる場所だった。それが花卉栽培に転じたのだろうか。今帰仁では2月下旬、そろそろスイカが売られ始めていた。本部のシークワーサーもアセロラも有名。私はマンゴー、ツレはドラゴンフルーツ。加糖をできるだけ抑えた、グルー?で粘度や照りはもちろん添加されていない印象。限りなく果物に近い、しかも沖縄産。ここだけの店舗なので、ここでしか食べられない。販売用のトラックはある模様。さてさて市場で買った沖縄のイチゴはホテルで夕食後に瞬く間に平らげた。沖縄のイチゴは甘い!パパイヤ、モンキーバナナ、赤と黄色のパッションフルーツをお土産に。果物食べてればしあわせ夕飯はホテルからほど近いなかむら家で。待っていた間は随分並んでいた魚も瞬く間に消費並んで待った。月曜日と甘く見ないで予約が必要な人気店。当日仕入れた魚と人数や調理法のおすすめをしてくれる。
2024.03.01
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2024/02/28/水曜日/日差しに力あり昨夜はちゃんやーで豚しゃぶを頂いた。しらぱまの宿の冷蔵庫で冷えていたオリオンビールを持ち込み、また道の駅で買った泡盛も持参。お店には沢山のワインが用意されているにも関わらず、このノリは嬉しいなあ。黒豚の掛け合わせで、まろりとした甘さがある。けれど脂肪分は通常の豚肉の3割程度とか。締めに出される雑炊とアーサーのお汁!内臓璧の繊維?が喜ぶような、DNAに振動が加えられるような?私にはとてつもなく美味しく思われた遅いお昼で空腹ではないのに全部頂けたのは、色々な付け合わせが少量の配慮もあったかな?一品どっさり、ではない沖縄料理。↓ちゃんやーダイナーの壁の絵は、オーナー喜屋武家のお父さんかお母さんのご実家の昔の頃と思われる。19日月曜日朝。今夕はもう那覇のホテル。3泊の沖縄はあっという間に過ぎ去る。短い滞在はあれもこれもと欲張らず、基本は一日一つ、と決めている。朝も近在を散歩のあと、沖縄らしい食材で健康な食事をちゃんやーで。味付けは薄めであっさり。 女将さんがおっとりとして素敵な方だった。この新しいちゃんやーは二代目なのだとか。さて本日は山原ヤンバルの、大宜味村、喜如嘉キジョカにある芭蕉布会館へ。その後は、一般道をのらりくらりと那覇のホテルへ向かう予定。随分前に芭蕉布を復活させた平良敏子さんのドキュメントを見たことがある。私はこういう女性に、ひどく弱い。生涯迷うことなく一つの信じた道を生き尽くす。平良敏子さんはそのように生きて、この世を去った。101歳の境涯は児童文学と共に生きた石井桃子も思い出さずにいられない。彼女もまた101歳。平良さんはここで芭蕉を育て収穫し、繊維をほぐして糸を紡ぎ、図案を考えて染色し、この会館の2階で布を織った。本日はたまたま芭蕉の畑の手入れとかで、2階の作業見学は叶わなかった。会館に設置の芭蕉布の案内ビデオは是非見たい。6分ほどと随分短い。↓敏子さんの織地に直筆喜如嘉の芭蕉布は涼しい。柄を考えて後世に残そう↓敏子さんの作品どうしてこんなに薄い、丈夫な、軽い、美しい、トンボの羽のような布地が生まれるのか。その難儀な過程が理解できる。私にはとても手の届かない反物だし、また私如きが着て良いとも思われない。そういえばプラスチックのしか持ってなかった、と思いついて、せめてハギレで作られた印鑑ケースとそれに付けられる浄めのお守りを買った。帰り際に、スタッフの方から芭蕉布に関心があるなら、それをテーマにした写真展が近所で開催されていますよ、と教えていただき足を伸ばす。時間ならたっぷりあるのだ。
2024.02.28
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2024/02/27/火曜日/穏やかな陽だまりの18日の夕方5時をいくらか回った頃から、お部屋でごろごろからむくりと外へ↓この歌碑のある辺りまでフクギ並木の道を通り、浜に出る。こんな防風林が沖縄の海辺の集落にはかつて沢山あったが、所々細い各所が車の通行を妨げるなど嫌がられてすっかり姿を消した。そんな中にあって、昔の姿を残す備瀬のフクギ並木は3.11の悲劇の半年後に、その景勝が頌栄される事になった。守り通した人の尽力があったのだ。住んでいる方は樹木のせいで大量の蚊の発生に悩まされているそうだ。短期滞在者は申し訳ないがこの風景を満喫する。そてさて。少しずつ日は落ちて、夕日を眺めるおじいたちがポツンポツンと。夕陽が沈みゆく様をゆっくり愛でる、そんな行為は日々の暮らしから失われて久しいが、ここでは誰かれ、見るもの見られるものの厚情が交わされる。それが有り難いのだ。2月の沖縄は好天に恵まれないことが多い中で、それはそれは美しい太陽と空と海の、刻々変化する様子に溶け込んでいく体験を得られたことも感謝。ところで、夕陽の散策中に出会った海亀のおっちゃんに色んな事を教えて頂いた。夕陽の位置が水納島と伊江島の間を一年でどんな風に変化するか。伊江島には戦前帝国軍の、東洋第一の滑走路があり、沖縄でいち早く徹底的に攻撃されたという。今はそれを米軍が使用している。黒潮の流れと3.11の漂流物、北風と南風↓備瀬の浜に打ち捨てられていたペットボトル心無い観光客がポイ捨て?と思いなんだか申し訳ない気持ちでいたら、バーコードの仕組みから国番号を教えられたのだった。一番始めの二桁、71は中国。因みに日本は49。確か生産地では無く、どこの国の企業によるプロダクトであるか、という規定もたると聞いた。この方は、20年ほど当地で海亀の子どもの成長を見守っているそうだ。↓おっちゃんは絵も描く。満月の満ち潮、小亀が海に帰る様、目に浮かぶよう。機会があればその場に居合わせたいもの。
2024.02.27
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2024/02/26/月曜日/寒いけれど晴れましたもはや先々週、18 遅いお昼ご飯を本部町で。というとやっぱりここは外せない、そんな風に考えるのは私たちだけではない、のだった。Googleで混み具合を確認したら通常よりは空いてる。ところが移動の内に瞬く間に並んだ模様。駐車場スペースはこの混雑でも潤沢だから、やっぱり30分越え待ち店なんだろう。そばは大小選べる。大を頼みジューシーは分け合う通常の沖縄そばより麺がコシが強く独特の風味がある。意外に量が多く、2時近いお昼でもあり夕飯にしわ寄せが。ジューシーはあっさりした味付けしかし、新垣さんところの氷ぜんざいは諦められず、しっかり食後に頂く。これまた、意外に小豆の量が多い。何事も控えめに、と思いながらもツイ完食残す、なんて選択肢はないのだ。あとはまっすぐ、しらぱまの宿に戻り備瀬崎の海に沈む夕陽をまったり待つ。
2024.02.26
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2024/02/25/日曜日/寒い朝、晴れず乙樽おとぅだる、の物語今帰仁城の東に流れる志慶真川のふもとにあり、今は川の名にのみ残る村に、光輝くような絶世の美女がいた。城の大主はその美女乙樽を側室に迎え寵愛した。大主には正室にも乙樽の間にも後継の子が無かったが、臨終の前に正室懐妊を知りみまかった。乙樽は、正室の安産と世継ぎの男児誕生を御嶽、クビ山に向かい一心に祈った。願い叶い無事男児が授かり、その後間も無く本部グスクの大主が今帰仁に攻め上がってきた。正室は産後の肥立が優れず、王子千代丸を乙樽に託し逃れるよう促す。乙樽はわずかの随身と山原の森に分け入り逃げおおせた。匿い育てた千代丸が8歳に成長すると、乙樽は貴人流離の事実を明かす。千代丸は長じて今帰仁に凱旋する。或いは北山を滅ぼした中山王、第一尚氏王統の64年後に第二次尚氏王統クーデターが起きるが、この時に王にまつられたのは、金丸という尚氏とは血外の者。これが千代丸の孫だ、という説もある。因みに金丸は伊是名島の出身と教科書にはある。伊是名島と伊平屋島は今帰仁城からは重なり見える。伊平屋島の洞窟には天戸開きの伝説が残り、神武天皇はこの島で生まれた言い伝えもある。沖縄でもっとも神秘的な島かもしれない。そして、今現在も血縁の人びとはその島じまを遥拝するために今帰仁のうがんしょにやって来る。私もそんな方がたとすれ違ったのだった。その発起、時期はただ、「呼ばれたから」というものだという。さて、金丸の孫にあたる尚真の時代、琉球というクニが整い繁栄した。この尚真、早くに父王を亡くし12歳で立つが暫く母后が政を担ったという。ある日、海難から救出され、やがて故国に帰った朝鮮人一行は、お后の行列に遭遇した。后の籠の後から馬に乗った立派な様子の少年の顔が大変美しかった、との記録が半島に今も残されているが、これが若き日の尚真だという。千代丸+金丸=千代金丸、元今帰仁王の所有であったあの国宝の剣と重なるではないか。琉球統一の王、尚真に今帰仁王の血が流れていると想像するのは、また乙樽の美が映し出されたと思うのはいかにも面白いではないか。これらは沖縄の組踊やおもろ草子にも歌われ、知れば知るほど、沖縄への愛着はかぎりなく湧く。
2024.02.25
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2024/02/23/金曜日/寒いミゾレ雨つづく〈DATA〉出版社 平凡社著者 森まゆみ2013年6月27日 初版第一刷発行カバー、扉『青鞜』1911年創刊号表紙長沼智恵デザインより〈私的読書メーター〉〈恋愛史百年冊子や朝日新聞創刊百年資料などで若いツバメなんてのも十代の頃から目にはしていた。瀬戸内晴美著作で、二十歳ほどのらいてうが禅の公安を貰い、数年掛けて解決を得、見性を許された女性であったことを知り、関心湧く。生きることへの真摯な問いを何故待ち得たのか、明治末に人格形成した少女が、何よりも人間であることを尊ぶ思想がどこから来たのか。この著作でも少し触れられているが、そもそもの主題が同人誌青鞜の歴史、そこに著者のタウン誌の興亡を重ねながらの感想が多く求めたものとは異曲だが。あとがきは、なるほど興味深い。〉先年、この方の「『五足の靴』をゆく 明治の修学旅行」を読んだ時の記憶が蘇った。そもそも『五足の靴』はなんと!与謝野鉄幹、北原白秋、木下杢太郎、実はこの斜め段は削除し、別途2時間余り掛けて仕上げた感想が消えていた、ということに昨日気づいた。かなり萎えます。あの時間読書したらどうか、とか。しかし考えを巡らせ文章を少しだけ推敲した体験そのものは消えた訳ではないのだ。と、気を取り直す。著者は、青鞜も自分たちの地域刊行物も後書きが精細を放っていた、と述べているが実は本書もそのとおりに後書きが、本篇以上に興味深い。例えば平塚らいてうお金を稼ぐことのない若いツバメアーティスト奥村の脚を揉んでやり、おやすみなさいませと床で挨拶した後に彼女は糊口を凌ぐための文章書きに精を出したのだ。当時としては自由で、母の大きな愛情に包まれ成人したらいてうも、矢張り武家の血を引く明治の女なのである。老いてなお矍鑠、凛として 奥村は私の何倍も眠ったと述懐したのは彼女の伝記を書いた馴染みの作家のみが知り得た事、そんな種々が記されている。最近、伊藤野枝のが映画化されている。原作者はらいてうより野枝を贔屓にしているとどこかで公言していたが、私はらいてうの良さをしみじみ思うのだ。奥村愛玩の石を二人の孫である彫金デザイナーが指輪に仕立て、それを今、森まゆみが所有する。そんな物語を紡いだらいてうを。
2024.02.23
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