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中島公園南の一画に、札幌護国神社がある。参道の下を鴨々川(かもかもがわ)が流れている。広い境内において、鳥居周辺や多賀神社前に遅咲きの八重桜が残っていた。この護国神社内では、4つの御朱印が頂ける。護国神社、多賀神社、山鼻神社、彰徳苑とである。 鴨々川は、豊平川からも取水し、水質保っている。中島公園内を流れ、創生川に繫がっている。豊平川が雨で増水すると、水門を閉じる仕組みとなっている。創生川の上流2.5kmを鴨々川と呼ぶ。鴨々川沿いには、歴史的建造物や親水エリア、および散策路が点在している。新緑の中を歩くと疲れが消えてゆく。 札幌護国神社は、西南戦争で戦没した屯田兵の霊を祀る「札幌忠魂社」が始まり。西南戦争が始まると、新政府の黒田清隆開拓長官の命によって、屯田兵が熊本八代へ派遣された。人吉への進軍に加わり37名の死傷者出す。当時の屯田兵は、東北諸藩の士族が多かったという。皮肉なめぐり合わせだ。 戦後昭和24年、滋賀県の多賀大社の祭神を勧請する。多賀大社の二柱(イザナギ、イザナミ)は、延命長寿・縁結び・厄払いの神様として、皇室や有力武将をはじめ広く民衆まで信仰した。縁結びの多賀神社とも呼ばれている。写真1 札幌護国神社の正門前。写真2 護国神社の正門と本堂。写真3 縁結びの多賀神社。写真4 境内の八重桜と白いライラック。写真5 彰魂苑の沖縄戦・屯田兵・アッツ島玉砕の慰霊他。写真6 鴨々川の清流と案内看板。
2024年06月20日
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神戸ハーバーランドの夜景をクルーズ船から眺める。ジュエル号は、神戸港に停泊(31時間)して明日の16時に出港することになっている。ショピング、レストラン、アミューズメントなどが揃う神戸を象徴するハーバーランド。花が咲いたようなモザイク観覧車が港の夜に彩を与えている。 神戸の夜景は、昔から函館、長崎と並んで日本三大夜景と称された。六甲山や摩耶山から見下す青味を帯びたパノラマが美しいとされる。ご当地では1000万ドルの夜景と言う。近年、高層ビルのホテル、商業施設が建てられて、飲食しながらの夜景が好まれる。小生らは、クルーズ船の高層階から神戸の夜景を楽しんだ。[西日本桜クルーズ-32]写真1 神戸ハーバーランドの夜景。写真2 神戸港の夕暮れ。写真3 観覧車がアクセントとなり、夜景を彩る。写真4 神戸市内のビル夜景。写真5 ポートタワーと電車。写真6 クルーズ船前方から神戸大橋を望む。
2024年06月18日
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書写山摩尼殿の裏手から山道を進むと三之殿、金剛堂、開山堂に到る。そのなかでも三之殿は、圓教寺(えんぎょうじ)の中核を成す場所で、大講堂、常行堂、食堂(じきどう)からなる三つの堂が集まっている。大講堂は、講義や議論する場所で、釈迦三尊像が安置している。食堂は、僧侶の食事・睡眠場所で、現在写経の場所となっている。 三つの堂は、中庭を挟んでコの字に配置されているため、テレビや映画のロケに使用されている。トム・クルーズ主演の「ラストサムライ」が有名。大河ドラマの「軍師官兵衛」でも使用。戦国時代における中国攻めにも登場する。1578年羽柴秀吉による播磨攻略のために本陣を、この山に定めたという。 江戸期になると、池田、本多、松平などの家が姫路城を治めたが、その墓を圓教寺に建てる。三之殿のさらに西側に、性空上人を祀った開山堂がある。この堂の軒下四隅に力士像の彫刻がある。左甚五郎の作と伝えられている。西北の隅の一つは、重さに耐えかねて逃げ出したという伝説がある・・。[西日本桜クルーズ-31]写真1 圓教寺大講堂。写真2 食堂と常行堂と広場。写真3 食堂の写経場その他。写真4 食堂二階の展示物。写真5 金剛堂と鐘楼。写真6 開山堂の力士像の彫刻。
2024年06月17日
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札幌市電の停車場「すすきの」から真っ直ぐ南へ800m行くと中島公園に到る。豊平川(とよひらがわ)と平行に南北に長い公園。藻岩山を背景に、札幌市のほぼ中心に位置しながら水と緑が豊かな憩の場として親しまれている。都会のオアシスとなっている。朝、散歩するに絶好な場所だ・・。 新緑の公園の中に、ひと際目立つように水色の洋館がある。国指定の重要文化財である「豊平館(ほうへいかん)」。夜にはライトアップされる。豊平館は、明治政府が建てたホテルで、開拓使建築の貴重な木造建物。大正期にはホテルとして、後に公会堂、結婚式場に利用されている。 豊平川の流れによって生まれた地形が由来の中島公園。開拓使が入府した頃、豊平川の本流以外にも分流が複数あったという。都市計画、河川工事を通じて、平坦土地が造られると、明治19年「中島遊園地」ができる。その後、開道50年博覧会を通じて中島公園と呼ばれるようになる。写真1 中島公園内に建つ「豊平館」。写真2 菖蒲池の水面を眺める。写真3 華麗な洋館。写真4 菖蒲池を一周する。写真5 新緑の池畔と花木。写真6 モニュメント「森の歌」と「のびゆく子等」。
2024年06月15日
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姫路駅北口の神姫バス停留所から書写山圓教寺をめざす。書写山ロープウェイセット券(往復1700円)がお得。ロープウェイ山上駅までの高低差211mを3分50秒で運行する。山上駅展望台からは、姫路北西の街並みと瀬戸内海を望むことが出来る。 書写山圓教寺は、「西の比叡山」とも呼ばれる。平安中期に建立された天台宗三大修行場のひとつ。西国三十三所観音霊場の二十七番札所にあたる。先ず、摩尼殿(まにでん)を訪れた。 「マニ」とは梵語で「如意」を示す。従って本尊は、六臂如意輪観音菩薩。この堂の創建前に、天人が桜樹を礼拝するのを見て、性空上人が根のある生木に観音像を刻んだとされる。岩山の中腹に舞台造りの建築。出家された花山法皇も巡礼に参加して、この地を訪れている。そのような絵馬が奉納されていた。[西日本桜クルーズ-30]写真1 岩山の中腹に造られた書写山摩尼殿。写真2 書写山ロープウェイに乗る。写真3 ロープウェイ山上駅から伸びる山道(参道)。写真4 舞台造りの摩尼殿。写真5 摩尼殿拝殿出入口。写真6 拝殿外陣と花山天皇行幸絵馬。
2024年06月14日
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姫路城の大天守は、高さ31.5mの大天守と14.8mの天守台からなる。さらに小高い丘「姫山」の上に造られている。遠くからでもその姿は、堂々としている。大天守と3つの小天守からなる連立式天守閣は、天守の屋根が幾重にも重なり、眺める角度によって異なる表情を見せる。八方正面と呼ばれる。 大天守には、菱の門を潜り、将軍坂を上りって「水の門」から入場する。外観的には5層に見えるが、6階建てになっている。1階、2階は、武者溜りといって大広間があり、防戦用の武具や仕掛を観て歩く。3階には天守を支える直径95cmに及ぶ「心柱」を見ることができる。 天守閣の内部は、通路が入り組み階段が急で狭い。攻め込むには容易ではない。窓際にはいたるところ、石落としや矢狭間が設置されている。壁には武具掛けがずらり並ぶ。鉄砲も掛けてある。大天守の外観は、勇壮華麗であるが、内部は武骨な佇まいだ。最上階には、刑部神社があり、姫路城の守護神が祀られていた。[西日本桜クルーズ-29]写真1 勇壮華麗な大天守。写真2 天守からの眺め。写真3 菱の門と連立式天守を見上げる。写真4 天守内部。武具掛けと天守の模型写真5 武者溜り廊下。ジオラマと最上階の刑部神社。写真6 内堀で花見。
2024年06月12日
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札幌大通公園のシンボルのテレビ塔が太っており、違和感があった。よく見ると足場が組まれ、ネットが張られていた。鉄骨建物の維持管理に欠かせない、錆止め塗装の補修工事だろうか・・。北海道の寒冷、夏の強い日差しは、鉄骨に毎年ダメージを与える。 大通公園は、美しい花壇と芝生そして樹木があるので、ビジネス人、観光客などに憩の場所を提供する。また、区画された公園は、ラッラックまつり、YOSAKOIソーラン祭り、そして冬の雪祭りなどイベント会場に利用される。花、集い、オアシス、フロンティア、交流がテーマとなっている。特に花壇に関しては、約40企業の参加する推進組合が花壇の美しさを競っている。 札幌駅前から伸びる北1条通りと大通公園の交差点に、重厚でスマートな石造り風のビルがある。アーチ構造と花崗岩風の外観の低層階は、レトロ感がある。ハマナスやスズランのレリーフが刻まれている。出入口の上部アーチにシマフクロウのキーストーンが使われている。2013年に札幌秋銀ビルを建て替えたもので、「札幌大通西4ビル」。大きなアナログ時計が今どき珍しい。写真1 大通公園とテレビ塔。写真2 ラッラックとネットに囲まれたテレビ塔。写真3 公園の或る光景。写真4 大通西4ビルと出入口部。昔の札幌秋銀ビル。写真5 聖恩碑塔とイルミ塔。写真6 大通公園近くの居酒屋で晩飯を。
2024年06月11日
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JR三ノ宮駅から姫路駅まで、新快速で約40分。姫路駅から北へ真っ直ぐに900m歩くと、姫路城の桜門橋・大手門に到る。大手門から三の丸広場へ出ると、周囲の桜に圧倒される。姫路城の大天守が桜の中に浮んでいた。 約千本のサクラが大天守や白い土塀に映えるので、「さくらの名所100選」に姫路城が選ばれている。サクラの時期、お城とサクラを眺めて歩くコースが「さくらの大回廊」として、5つあるようだ。小生らは、時間的制約から (1)千姫の回廊、(2)三の丸回廊、(3)お城やしき回廊の一部を辿ることにした。桜景色を満喫する。 国宝の姫路城は、1993年に世界文化遺産となっている。日本の木造建築の最高位にあたり、世界的にも類のないことが評価された。天守群を中心とした櫓、門、土塀の建造物が良好に保存されていること、防御に工夫した城郭構造が注目されている。[西日本桜クルーズ-28]写真1 世界遺産‐姫路城。写真2 桜門橋と カの櫓-ワの櫓。写真3 「さくら雲」に浮かぶ姫路城。写真4 大・小天守と菱の門。写真5 備前丸広場から。写真6 桜の額縁。
2024年06月09日
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クルーズ船は、大阪湾に入り神戸ポートランドの東沖を進んで、神戸ポートターミルをめざす。途中、和歌山県具島と淡路島由良との紀淡海峡、潮流の速い水域を抜け、早朝の大阪湾・神戸港をクルーズする。大阪湾には関西空港と神戸空港がある。機影が上空を行き交う。 神戸港には、臨海自動車道路やポートランドを結ぶ橋梁が連続している。特徴的に赤い大橋が目立つ。ハーバーハイウェイを通す灘大橋の橋梁群が犇めく。ポートターミルのすく近くに、神戸港を代表する「神戸大橋」がある。新港突端部とポートランドを結ぶ、ダブルデッキアーチ橋。 ポートランド港島から伸びる西灯台(白)と第7防波堤灯台(赤)との間を抜けると、クルーズ船は左に曲がり、ポートターミルふ頭に接岸。神戸ポートターミルのすぐ上に電車(ポートアイランド線)の駅が接続しており、便利な施設だ。この電車を利用してJR三ノ宮駅へ向かう。[西日本桜クルーズ-27]写真1 大阪湾の日の出と機影。写真2 赤色と白色の防波堤灯台。写真3 光の道と飛行機雲。写真4 神戸大橋とポートアイランド線電車。写真5 ハーバーハイウェイの橋梁群。写真6 神戸ポートターミナルに接岸。
2024年06月08日
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長崎から神戸まで約40時間を要する航海。当初関門海峡を航行する予定であったが、四国沖の太平洋を進んだ。終日航海日なので、音楽演奏やシアターショー、体操、デッキ散歩をして過ごす。その中でも食事は、船旅での大きな楽しみだ。 7デッキ中央のあるレストラン「鉄板焼き」でディナーする。人気店なので予約で埋まっている。少し早いが18時に予約できた(添乗員さんを介して)。シェフが目の前で、歌やダンスのパフォーマンスしながら調理してくれる。目に楽しく、美味しい食事タイムとなった。 翌朝7時にThe Palace(パレス)へ行く。窓際の席でトーストとコーヒーの朝食をとる。その後、デッキ13前方のラウンジでモーニングダンス、そして7デッキ周回散歩した。操舵室はデッキ11にある。見学室がありガラス窓越に操舵状況を観ることが出来る。また見学室の壁には、ジュエル号の寄港地の記念プレートが壁一面に並んでいた。 [西日本桜クルーズ-26]写真1 夜のアトリウム。ラブ・ブラザーの歌演奏。写真2 マクナムバーとレストラン「鉄板焼き」。写真3 鉄板焼きの調理風景。写真4 スターダストシアターとモーニングダンス。写真5 ザ・パレスで朝食。写真6 操舵室と寄港地プレート。
2024年06月06日
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先月5月中旬から所用で札幌市内に度々訪れる。5月、6月、札幌に限らず北海道は花の季節だ。大通公園では、多くのテントが設営され「花の祭典」が開催されていた。近くのホテルに宿泊したので、公園内を散歩する。 大通公園の5丁目と6丁目は、「さっぽろライラック祭り」(5月15日から5月26日)で盛り上がっていた。香水の原料ともなるライラックは、キンモクセン科で香りがいいとされる。しかしイベント用に並ぶ屋台から醸し出す匂いが勝っている。大勢の人達が滞留し、飲食するので独特の匂いの空間だ。 6丁目会場では、「ラーメンショー」(各店一律980円)が開催。全国有名店が勢揃いしている。共通チケット売り場には行列ができ、各店の前にも行列ができる。諦めた。小生らは、ライラックワインガーデンで、ニセコピザを頂いた。焼きたてのピザは美味であった。写真1 札幌大通公園のライラック祭り。写真2 ライラックは、札幌市の市木。写真3 ライラックワインカーデン会場。写真4 四丁目のライラック。写真5 ラーメンショー会場とテントの灯り。写真6 ライラック祭りの案内看板等。
2024年06月05日
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朝からの雨が上がり、天候が回復した長崎港。クルーズ船の出航は17時。早めに乗船して、船上デッキから長崎の街並みを眺め出港の時を待つ。大浦海岸通りやグラバー通りを歩いて戻って来る乗客が見える。 坂の港町・長崎ゆえ、斜面に建つ住宅・ビルから港が良く見える。逆に、クルーズ船からも特徴的な建物が見える。少し前に訪れた、「旧三菱第2ドッグハウス」、「旧グラバー住宅」、「旧リンガー住宅」、そして大浦天主堂を確認した。大浦海岸通り(国道499号)の交差点、レトロな「銀行記念館」が眼下に見えた。 松ヶ枝ふ頭国際ターミナルでは、30分前から「出港セレモニー」が行われた。地元高校生による吹奏楽演奏で見送られた。「SEE YOU AGAIN NAGASAKI」の横断幕と惜しみなく手を振ってくれた。また訪れたい気持ちになる。ジュエル号は、東シナ海から太平洋に出て、神戸をめざす。[西日本桜クルーズ-25]写真1 クルーズ船より長崎港を望む。写真2 大浦天主堂の方角。写真3 グラバー園の方角。写真4 銀行記念館と斜面に張りつく住宅。写真5 地元高校生による出港セレモニー。写真6 夕照を浴びて出航。
2024年06月03日
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北流山の物流タウンの散歩道沿いには、若い路樹が植栽されている。西寄りの県道側にメタセコイアが並んでいる。但し、まだスリムなので、いわゆるメタセコイア並木とは言い難い。新緑の葉に纏われ、風に揺れる。カナメの赤色が際立つ。[撮り溜めた写真から] メタセコイアと対で植栽されていのはクスノキ。若葉にクリーム色の小さな花を付けていた。近づかなければ見逃してしまう大きさだ。クスノキの葉は、昔から樟脳の独特の香りある。「薬の木」とも呼ばれ、殺虫剤、防虫材に原料に利用されてきた。 低木のツツジ花が終われると、白いシャリンバイが咲き始める。枝葉が車輪状に生じるため、「車輪梅」と名付けられた。大気汚染に強い常緑樹とされ、道路沿いの植木や公園の植木に植栽される。但し、小さな白い花は、周囲の車輪葉に埋まれて、目立たない。写真1 カナメ柵が伸びる散歩道。写真2 メタセコイアとクスノキの新緑風景。写真3 カナメとメタセコイアの若葉。写真4 クスノキの小さな花。写真5 シャリンバイの植木。写真6 車輪梅の白花。
2024年06月02日
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長崎市内における観光の定番、グラバー園を訪れる。長崎開港後(1859年)、長崎に来住したイギリス人商人グラバー氏、リンガー氏およびオルト氏の旧邸宅が丘陵地。その敷地に、市内で残っていた歴史的建造物を移築し、洋風建築建物9棟を公開している。野外博物館のようだ。 旧グラバー住宅は、1863年に建築された、現存する日本最古の木造洋風建物。日本瓦や土塀(漆喰)が使用され、広い石畳のベランダに掛かるアーチ型の欄間が印象的。ここで、クラバーと息子の二代が暮らした邸宅。国の重要文化財であり、世界遺産でもある。 丘の一番高台に建つのは、「旧三菱第2ドッグハウス」。1896年(明治29年)に港近く造られた外国人乗組員用宿舎を移築したもの。建物のベランダおよび庭園展望台からは、長崎港や市街地が一望できる。松ヶ枝国際ターミナルに接岸しているクルーズ船も見えた。[西日本桜クルーズ-24]写真1 長崎クラバー園。写真2 日本最古の洋風建築「旧クラバー住宅」。写真3 旧グラバー住宅の内部。写真4 旧三菱2号ドッグハウスと前庭の池。写真5 高台からの眺め。写真6 グラバー園内の桜。
2024年05月31日
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北流山の物流タウン(大型物流施設が12棟が直列に並ぶ)の周囲には、遊歩道が整備されている。5月中旬になると一斉にツツジが咲く。歩道端の低木の躑躅を見ながら散歩できるので、この時期が楽しみだ。この花歩道の途中に石ベンチがあり、ひと休みできる。[撮り溜めた写真から] 道路沿いのツツジは、日当りが良く土壌の水分が少ないので、色あせが早い。見頃は1週間程度だろうか。躑躅の花が枯れると、暑い日が続く。春の終わりを告げているようだ。写真1 流通タウンのツツジ。写真2 DPLの花歩道。写真3 GLPの花歩道。写真4 ツツジ花壇と花階段。写真5 石ベンチを囲むツツジ。写真6 色とりどりのツツジ。
2024年05月30日
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長崎港松ヶ枝ふ頭の背面、南山手に大浦天主堂が、「西坂」を向いて建っている。白い清楚に教会建物は、長崎のシンボルのひとつ。2018年世界遺産となった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する建物。 大浦天主堂の別名は、「日本二十六聖殉教者聖堂」とも呼ばれる。1597年(慶長元年)豊臣秀吉の命により、殉教した26名の地に因んでいる。フランス司教の努力で1863年創建された。その後、軍国主義による抑圧と原爆による大被災を乗り越えて、カトリック教が布教している。 現在の大浦天主堂建物は、創建時の聖堂を包み込むように増設されている。細くなった大塔とステンドグラス窓が特徴。入口に「日本之聖母像」が立っていた。ベルナール・プティジャン司教が母国フランスに注文したマリア像だという。[西日本桜クルーズ-23]写真1 世界遺産の大浦天主堂。写真2 天主堂に続く坂道。写真3 外国人が多い坂道と祈りの丘絵本美術館。写真4 日本之聖母像と祈りのレリーフ。写真5 天主堂裏庭と階段先の鐘楼。写真6 教会内部とステンドグラス窓。
2024年05月29日
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長崎市内を流下する中島川は、昔大川と呼ばれていた。大川に、最初の石橋・めがね橋が架かったのは1634年(寛永11年)。その後、風頭山の麓に建てられた寺社の参拝者のために、多くの橋(17から18基)が架けられた。しかし、昭和57年の大水害で、多くの橋が流失・損失した。めがね橋は、その翌年には修復されている。(国の重要文化財) めがね橋を最初に架けたのは、唐僧の黙子如定。日本最古のアーチ型石橋とされる。橋の規模は、長さ22m×幅3.6m、水面からの高さ5.5m。辺りには10基以上の橋があり、石橋群がつくり出す景観は、長崎の魅力のひとつ。まためがね橋付近の石積み護岸に、ハートストーンが埋め込まれている。 中島川の下流にある「長崎新地中華街」に向かう。横浜、神戸と並ぶ日本三大中華街のひとつ。250mの十字路に40軒ほど中華料理店がある。色鮮やか看板や龍のレリーフが中華街に彩を与えていた。小生らは、京華園でランチ(長崎チャンポン)を頂いた。[西日本桜クルーズ-22]写真1 中島川に架かる「めがね橋」。写真2 日本最古のアーチ型石橋橋。写真3 河床から見る。袋橋とハートストーン。写真4 袋橋を下流から望む。中島川の石橋群案内板。写真5 新地橋と中華街入口門。写真6 京華園でランチ。
2024年05月27日
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清水公園にある花ファンダジアを訪れ、園内を花散歩する。美しい花に囲まれた春華の花園は、敷地面積7万m2。遊歩道の順路に沿って、ゆっくりと観て歩く。花ファンダジアは、年間500種類の花々が咲き誇る。 遊水池周囲の藤棚は、見頃終盤を向かえていた。一方、白藤はこれからのようだ。池の水面には、沢山のスイレンが浮かんでいた。レストハウス前に広がる花畑のネモフィラは、ペット連れが多かった。写真1 花畑ネモフィラ。写真2 遊水池と藤棚。写真3 藤壁と白フジ。写真4 華やかな牡丹。写真5 テモリカンボクとカナメ。写真6 紅色主体のスイレン。
2024年05月26日
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江戸時代、和蘭(オランダ)商館が置かれた長崎出島。約220年にわたり外国からヒト・モノそして情報が集まり、日本の近代化に寄与した。1856年(安政6年)に和蘭(オランダ)商館され、「長崎開港」となった。明治後期になると、長崎港湾改良工事により出島周辺は埋めたてられた。電車が走るようになった。 江戸期鎖国政策のため、岬の突端に扇形をした扇島を築き、外国人と日本人とを隔離した。日本初の海に浮かぶ人工島となる。(出島は1636年に完成、一時ポルトガル人を収容)。日本の近代化に大きな役割を果たした出島の復元機運が高まり、1996年から復元整備が始まる。2016年大半の復元建造物が完成した。 復元された出島の敷地内には、シーボルト里帰り植物園や15分の1の模型が設置されている。また、明治期に建てたレトロな建物が並んでいる。旧出島神学校、旧長崎内外クラブ、旧石倉など。カピタン(商館長)部屋、ヘルト(次席)部屋では、着物をレンタルして記念撮影ができる。[西日本桜クルーズ-21]写真1 中島川と復元出島の石垣と塀。写真2 復元水門と和蘭出島古図。写真3 通り両側に復元建物が並んでいる。写真4 カピタン部屋の外観と内部の様子。写真5 明治レトロな建物。旧内外クラブと旧神学校。写真6 出島の模型と桜の古木。写真7 復元された出島の鳥瞰。
2024年05月24日
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太平洋を望む大洗海岸の岩礁に鳥居が立っている。海岸沿いの高台にある「大洗磯前神社」の鳥居のひとつ。鳥居が朝日に照らされ、荒波が岩礁に当り白く砕ける光景が神々しいと評判。正月初日の出を望むパワースポットとして有名な場所。 大洗山に建つ磯前神社は、大己貴命(おおなむちのみこと)と小彦名命(すくなひこのみこと)の2柱を祀る神社。古くから家内安全、海上交通の守り神として信仰を集めている。徳川光圀公も参拝して、和歌を詠んだという。大洗公園から沖行く、フェリー「さんふらわあ」が輝いて見えた。写真1 白い波しぶきと神磯鳥居。写真2 遥かなる太平洋を望む。写真3 大洗海岸の荒波と鳥居。写真4 岩礁に立つ神磯鳥居。写真5 大洗公園から沖行くフェリーを眺める。写真6 大洗公園案内図。
2024年05月23日
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小雨降るなか長崎港・松ヶ枝国際ターミナルに着いたのは9時頃。それまでに右舷に伊王島、左舷に神ノ島を見て、神崎鼻に架る「女神大橋」を潜り、細長い入江を3.5km進んで松ヶ枝ふ頭に接岸。長崎港は、三方を山に囲まれた天然の良港。江戸鎖国時代にあっても、唯一公認された国際貿易港。そして「鶴の港」とも呼ばれた。 2005年に美しい女神大橋が完成した、長崎港の海の玄関となる。長崎市内の南部と西部を最短で結ぶ。両側に歩道(自転車可)があり、空中散歩が人気だという。斜張橋の女神大橋は、最大支間480mで、海面からの高さが65m。大型クルーズ船は悠に通過できる。夜になるとライトアップされ、港のシンボル(ビーナス・ウイング)となっている。 松ヶ枝ふ頭の対岸(西側)に、三菱重工長崎造船所(略:長船)が展開している。戦前・戦後に渡り、数多くの船舶を創り出した。戦前には戦艦武蔵、空母赤城など巡洋艦・駆逐艦を進水させた。戦後、民間の大型船、自衛隊の護衛艦を造船している。2004年ダイヤモンドプリンセスを造船。また、150トン巨大カンチレバークレーンは、2015年世界文化遺産の構成要素。[西日本桜クルーズ-20]写真1 天然の良港、長崎港を進む。写真2 女神大橋の下を航行。写真3 斜張橋の東西の主塔を見る。写真4 三菱重工造船所と巨大カンチレバークレーン。写真5 松ヶ枝ふ頭の国際ターミナルに着く。写真6 長崎港夜景他。[観光協会HP]。
2024年05月21日
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5月初旬、清水公園を花散歩する。サクラからツツジへと花バトンが渡った頃。訪れた日、キリシマツツジの見頃を過ぎ、オオムラサキツツジが主体となっていた。公園内には100品種2万株の色とりどりのツツジが点在している。「つつじまつり」の期間は、4月20日から5月6日。[撮り溜めた写真から] フィールドアスレチックの西丘陵に、ツツジ園がある。頭上を覆うほどの高さがあり、自然つつじトンネルが形成される。樹齢100年を超えるつつじが数多くある。昔からの躑躅の名所だ。以前あった木製観望台は、老朽化のため撤去されていた。 気温が上昇したこの日、水上アスレチックが人気。少し前まで静かな池と森が子どもの声で賑やかになる。アスレチック傍の藤の老木は、日陰を提供する休憩所になっている。写真1 清水公園つつじ園。写真2 つつじトンネル。写真3 色とりどりのツツジ。写真4 階段口の2種類のツツジ。写真5 新緑に映える色鮮やかな躑躅。写真6 水上アスレチックの藤棚。写真7 2024年の桜・つつじまつりポスター。
2024年05月20日
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韓国で屈指の美しい夜景を誇る釜山。周囲が山で囲まれている港町。山はそう高くないが、展望スポットが複数整備されている。煌びやか夜景に魅了される観光客が多いという。釜山港を出航する際に、クルーズ船から夜景を眺めた。 釜山港の夜を彩るのは、各施設のライトアップと高層ビルの灯り。とりわけ、斜張橋の釜山港大橋は、7色に刻々変化する。橋桁を吊るケーブルと塔は、羽根を広げた蝶にも見える。釜山港大橋は、韓国最長の斜張橋として2014年開通した。 釜山の夜景スポットは、釜山タワー(高さ118m)、荒嶺山、金蓮山、そして影島の山頂近くなどがある。「背山望水」が港町の美夜景を創り出している。広安大橋のライトアップも有名ではあるが、今回観ることが出来なかった。[西日本桜クルーズ-19]写真1 釜山港を出航する。写真2 煌びやか港町。写真3 離岸するクルーズ船からの眺め。写真4 釜山の街灯りが遠くなる。写真5 斜め張ったケーブルが美しい。羽根を広げた蝶のよう。写真6 釜山港の夜景。写真7 釜山タワーからの夜景[ポストカード]。
2024年05月18日
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ひたち海浜公園からの帰り道、途中の「那珂湊おさかな市場」に寄る。ここまで来たからには、新鮮市場を避けることが出来ない。おさかな市場モール内の食堂で、海鮮丼やシラス丼などをランチとした。食後、市場で刺身用のマグロとサケ、そして明太子を買う。100円で発砲箱に氷を詰めて、自宅まで持ち帰る。 那須岳を源流とする那珂川の河口左岸に、那珂湊漁港がある。その対岸に那珂湊おさかな市場があり、海岸通り沿いに店舗が軒を連ねている。年間100万人ほどが訪れる観光市場。新鮮な海産物が安価な価格で手に入るため、この時期大盛況となる。大型バスから繰り出す中国観光客は、ランチで日本のさかなを食べていた。 北茨城沖は、黒潮と親潮がぶつかる「潮目」があり良好な漁場とされる。那珂港漁協では、他の港に所属する漁船を廻船誘致している。小さな魚港ではあるが、年間230トンの水揚揚げがある。ちなみに日本国内の水揚量ベストスリー港は、第1位銚子で、釧路と焼津と続く。海水温の上昇で水揚げ量・質は、どうなるか・・。写真1 那珂湊おさかな市場。写真2 那珂川河口の漁港・那珂湊。写真3 おさかな市場通り。写真4 市場内でショピング。写真5 那珂湊おさかな市場。写真6 食堂で海鮮ランチ。
2024年05月17日
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地下鉄草梁(チョリャン)駅から案内に従って、釜山港国際旅客ターミナルまで歩く。しかし、クルーズ船ジュエル号が停泊しているのは、更に先(東側)600mの第2旅客ターミナル。大きな荷物がなかったので、スカイデッキから親水公園内へと散策しながらクルーズ船に戻る。安全面を考えると釜山駅で下車すべきであった。 5階建ての大きな国際旅客ターミナルは、2015年8月にオープンしたという。周辺は整備工事が行われていた。このターミナルは、日本と韓国を結ぶフェリーや高速船が発着しているという。済州島行は、南側にある沿岸旅客ターミナルから。不定期で大きなクルーズ船は、第2ターミナル施設を利用することが分かった。 20時出港なので、シャワーを浴びる。その後13階のビュッフェで、港の風景と食事を楽しむ。釜山港は山または丘陵地に囲まれている。釜山駅の後方に三角形の山がある。長崎港に地形に似ている。湾の懐が深い釜山港が良好といわれる所以だ。[西日本桜クルーズ-18]写真1 釜山港国際旅客ターミナルから港を望む。写真2 影島と親水公園とクルーズ船。写真3 釜山中心街の後方の山と影島の山容。写真4 クルーズ船に戻る。写真5 釜山市内に明りが灯る。写真6 国際旅客ターミナルと関釜フェリー(下関-釜山間)。
2024年05月16日
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釜山・海雲台からの復路、四面(ソミョン)で途中下車する。街角見聞とロッテ百貨店免税店でお土産を観て廻った。百貨店の裏道(中央通り691番街道)に、桜並木がある。十数本のソメイヨシノ街路樹、樹齢30年程度か。満開を過ぎて、花びらが風で舞い散っていた。 四面は、地下鉄1号・2号線が交差する駅がある。飲食店が多く、若者に人気で賑やかな街。日本語メニューの外看板を出している店もある。四面市場には、「うまいもの通り」があり、「デジクッパ」や「カルグスク」の激戦地とされる。デジクッパは、豚の肉・骨を主材としたもの。 釜山市内の地下鉄は、4路線が運行している。日本と同じように、路線別に色分けして、駅番号が付けられている。ハングルを読めてない人でも、ライン色と駅番号を頼りに目的へ移動。小生らは、近くのコンビニで交通ICカード「T-money」購入して、開札口でチャージした。1号線草梁駅(オレンジ・114)で降りて、クルーズターミルへ歩いて戻った。[西日本桜クルーズ-17]写真1 四面の桜が舞い散る。写真2 ロッテ百貨店裏通りの桜並木。写真4 伽耶大通りのビル風景。写真5 地下鉄口と駅名プレート。写真6 地下鉄草梁駅構内とT-moneyカード。
2024年05月14日
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ひたち海浜公園の「水のステージ」南側に広がる「たまごの森」。例年並みに色とりどりのチューリップが植えられている。多くの人々は、ネモフィラの丘を上った後に、日陰を求めて森を訪れる。たまごの森フラワーガーデンのチューリップは、約280品種26万本。30以上のエリアに分けられている。 チューリップの開花期間は、一般に1週間程度。公園スタッフは、早咲きと遅咲きの品種を混栽して、長期間楽しめるよう工夫している。見どころエリアとしては3つ、(1)風車オブジェエリア:風車への水路をイメージさせるムスカリの帯、(2)スイーフルーツエリア:「はちみつミルク」、「イチゴスター」などの美味しそうな品種、(3)モノトーンエリア:黒(濃い紫)と白系でまとめている。 9つの卵オブジェが点在するたまごの森。「ぴょんぴょんたまご」などのように、遊べるたまご形の遊戯施設もある。アートペインティングされた「たまご」は、森の中で異彩を放っていた・・。写真1 たまごの森フラワーガーデン。写真2 森の木陰に広がるチューリップ。写真3 オランダ風車オブジェの付近。写真4 川の流れをイメージしたムスカリ。写真5 ピンクの「楊貴妃」とムスカリ(マノン)が美しい。写真6 アート卵のオブジェ。
2024年05月13日
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釜山での日本人ガイド付きオプショナルツアーが中止となった。時間的制約もあり、ガイドブックを携行して、地下鉄を利用するミニ観光とした。遠い海東龍宮を除外する。海雲台地区と南浦地区の何れが候補となったが、海雲台にした。美しい砂浜と釜山エルシティーを訪れた。 釜山エルシティーは、超高層ビル3棟からなるエリア。レジデンスタワーA棟・B棟がマンションで、その高さは、それぞれ339mと333m。高さ412mのランドマークタワーの100階に展望台がある。2020年にオープンした釜山X the sky(料金27000ウオン)。近くまで行ったが、順番待ち+専用EVの乗り方が解らず引き返す。 海雲台ビーチは、1.5kmにわたり美しい砂浜が広がり、韓国で古くからの景勝地。毎年釜山国際映画祭が行われる。各国の映画俳優も訪れる国際的リゾート地。訪れた時期は寒くかった。夏には、ビーチパラソルが一面に広がり、海水浴やマリンスポーツで賑わう場所。[西日本桜クルーズ-16]写真1 海雲台のビーチ見晴し台。写真2 釜山エルシティーとランドマークタワー。写真3 海雲台の砂浜と渚。写真4 潮騒を聞きながら散歩。写真5 駅前のプロムナード。地下鉄駅とオブジェ。写真6 釜山X the skyの入口と展望資料写真。
2024年05月12日
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お昼の12時頃に釜山(プサン)入港した。外洋(東シナ海・日本海)は、荒波のため大きな船でも揺れた。しかし釜山港が見え始めると、荒波は徐々に収まった。釜山港の南にある「影島(ヨンド)」が蓋をするように横たわっている。それほど大きい島(約14km2)ではないが、半島状に絶妙の位置にある。日本の厳島の半分程度の島。 釜山の地名は、15世紀に良港して富士浦(プサンポ)の名前で港を開いたことに由来する。日本の植民地時代に、商店・会社が多く作られて飛躍した。戦後も海運で更に発展し、韓国第2位の都市(人口380万人)となる。またコンテナ取扱量で世界5位、東北アジアのパブ港湾都市でもある。 出港が20時なので、釜山観光は限られる。釜山港国際第2ターミナルの背面には大きな駐車場(長さ500m)が広がっている。大規模な野外コンサートができそうだ。釜山駅まではこの駐車場を通り抜けた所にあるが、駅前付近は整備工事中。迷いながら歩き15分以上要した。[西日本桜クルーズ-15]写真1 釜山港へ進む。写真2 影島太宗大と五六島灯台・海雲台Lシティー。写真3 影島区中心部と釜山港大橋。写真4 駐車場と第一国際旅客ターミナル。写真5 岸壁のジュエル号と釜山駅方面を望む。写真6 第二ターミナル前広場と移動式両替所。
2024年05月10日
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春のひたち海浜公園は、ネモフィラの「みはらしの丘」が絶景を創り出す。その前景に黄色の絨毯が敷かけており、訪れる人々をウキウキさせる効果がある。一般に菜の花は、時期的に終わっている。ひたち海浜公園は、ネモフィラと菜の花が同時に見頃を迎えるように調整しているのだろう。 丘の麓「みはらしの里」は、菜の花、松の木、そして古民家を配し、日本の里の雰囲気がある。茅葺の古民家は、風景づくりと体験型施設だという。公園内に点在する松は、春らしく新芽が伸びている。この後、芽摘み(みどり摘み)が行われる。菜花と青花で、ウクライナの国旗を連想した。かの国に春はあるのだろうか。 みはらしの丘・里には、日差しを遮るものがほとんどない。晴れると紫外線と暑さ対策が必要。麓の屋台では、涼しげな「ババヘラアイス」やソフトクリームが良く売れていた。昼を過ぎる頃には、売れ切れるようだ。それだけ人出が多い・・。写真1 ひたち海浜公園のみはらしの里。写真2 みはらしの里に広がる花の花畑。写真3 黄色と青色は、ウクライナ国旗に使用。写真4 茅葺の古民家。とハナモモ。写真5 ハナモモ樹と松の新芽。写真6 暑い日には、アイスが欠かせない。
2024年05月09日
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午後5時雨と風の中、「マリンポート鹿児島」を後にする。東シナ海に出て釜山を目指す。クルーズ船出港時刻の30分前から「ふれあいポート」の玄関先で、三線に合わせて民謡を唄う見送り隊がいた。「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」の気持ちで演奏してくれた。時おり吹く浜風は、強風レベルであった・・。 鹿児島-釜山間は、今航路において最も長い約19時間を要する。その分、船内で寛ぎ、ショーなどを楽しむ。7階アトリウムで、エド・ケリー氏のピアノに耳を傾けた。サービスで日本のメロディー「サクラさくら」、「春」、「上を向いて歩こう」の演奏もあった。19時15分からのシアターでは、アニーの迫力あるボーカルを聴く。 ディナーは、フランス料理の「ル・ビストロ」で。予約していたので、並ぶことなく、そしてゆっくりと食事することができた。しかしこの夜は、海が荒れていた。大きな周期でクルーズ船が揺れる。BBCのテレビニュースやラインなどは音信不通。就寝時間帯のため、不自由しなかったが・・。[西日本桜クルーズ-14]写真1 終日雨のマリンポート鹿児島。写真2 「ふれあいポート」前の見送り隊。写真3 先端で見送ってくれる人達と雨中の桜島。写真4 遠ざかる鹿児島港とクルーズ航路図。写真5 7階アトリウムのピアノ演奏(エド・ケリー氏)。写真6 ル・ビストロでフレンチを頂く。
2024年05月08日
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今年もネモフィラを見に、「ひたち海浜公園」に出かけた。自宅から近い高速道路が常磐道なので・・。しかしガソリン代などの交通費が大きな負担となる。公共交通での「お出かけ」も検討したが、普通車4名ならば、往復2200円/人で済む。また開園早々に入園するには、やはり自動車とならざるを得ない。 標高58mの「みはらしの丘」が530万本のネモフィラに覆われると、丘が空になる。大勢の人々が空中を歩いているように感じる。訪れ日、青い丘と空は、白い竪雲によりアクセントがあった。アルパカのような動物の形から温泉から立ち上る湯煙に変化した。 1991年の開園以来、入園者が累計4000万人を超えた。2002年建設土の盛土山に、200万本のネモフィラを植えたのが始まり。雑草駆除、霜除対策を重ねて、年間230万人が訪れる春の観光地となった。今年は歴史的な「円安」で、外国人観光客の増加が見込まれている。観光バスが着く度に、日本語以外の言語が飛び交っていた・・。写真1 青いネモフィラ丘の上を歩くアルパカのよう。写真2 噴煙を上げる青い丘。写真3 青丘と空と雲と。写真4 人はみはらしの丘頂上をめざす。写真5 太平洋を望む。写真6 ネモフィラの和名は、瑠璃唐草。
2024年05月06日
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鹿児島湾(錦江湾)に面して、仙厳園の西側に尚古集成館(しょうこしゅうせいかん)、更にその西側に異人館(紡績所技師館)がある。尚古集成館(旧集成館)は、現在歴史博物館となっている。訪れた日は、リニューアル工事のため2224年10月頃まで休館だった。 集成館事業は、島津斉昭が始めた。斉昭は、アヘン戦争後欧米列強の脅威に備え、日本を強く豊かな国にすることを考えた。反射炉の建造、および製鉄・紡績・硝子製造など様々な産業を興すことを思い描いた。現在の尚古集成館の建物は、1865年に建てられた機械工場で、レンガの代わりに薩摩の溶結凝灰岩を外壁に使用している。建物は、国の重要文化財。 2015年に仙厳園と尚古集成館一帯が、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録された。8つのエリア、全23資産の一つ。集成館で培った技術が近代日本の中核になり、工業国へ導いて行く。更には明治維新遂行を精神的補完していたのかもしれない。[西日本桜クルーズ-13]写真1 尚古集成館(旧集成館)の玄関。写真2 旧集成館機械工場と産業革命遺産。写真3 尚古集成館の外壁とクロガネモチの巨木。写真4 反射炉跡。大砲製造に必要な鉄を溶かす炉。写真5 旧鹿児島紡績所技術館(異人館)。写真6 御殿の照明に使用したという水力発電用ダム跡。
2024年05月05日
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柏の葉公園の桜(ソメイヨシノ)が葉桜になった頃、萌黄色の桜が咲く。柏の葉公園野球場スタンドの前に植えてある御衣黄(ぎょいこう)桜が満開を過ぎていた。ウコン桜の樹木プレートもあり、2種類の萌黄色の桜があるようだ。 八重桜の一種とされる御衣黄桜。花弁全体が薄い黄緑色しているため、昔の貴族が好んで来た色彩に似ているのが名前の由来。満開を過ぎると、花の中心部に紋(線)が入るのが特徴。御衣黄と同じ様に見えるウコン桜は、やや黄色くて、花が大きい。 訪れた日、公園野球場では千葉県高校野球春季大会が行われていた。48校が参加する大会で、上位2チームが関東大会に進出する。この日、県内の有力高校同士の試合で、それぞれの高校の生徒が大勢応援していた。5月5日、中央学院と専大松戸とで決勝が行われる。写真1 柏の葉公園野球場前の御衣黄桜。写真2 御衣黄の桜並木。写真3 散り始めた御衣黄桜。写真4 御衣黄桜から頭を出したものは・・。写真5 花の中心部に紋(線)が入っている。写真6 さくら広場の寒山(ヤエザクラの一種)。
2024年05月04日
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鹿児島市内の天文館通りでタクシーを拾い、仙厳園へ向かう。復路は鹿児島循環バス(シティビュー)を利用した。雨宿りを兼ねて、まず「磯御殿」を見学する。島津家歴代がこよなく愛し、幕末以降も国内外の賓客をもてなした処。風水を取り入れた作庭と西洋風の調度品から、島津家当主の優雅な暮らしが伺い知れる。 島津氏から鹿児島市に管理が移管された昭和24年頃は、「磯公園」と呼ばれていた。昭和32年に再び島津氏に返却され、「仙厳園(せんがんえん)」または磯庭園と呼ばれるようになった。名勝仙厳園は、目前の桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた壮大な庭園だ。 屋根を薩摩の特産品錫で葺いた赤い「錫門」は、藩主とその嫡男だけが通ることが許された門。鶴が羽根を広げたような「鶴灯籠」は、28代斉彬公がガス灯の実験をしたもの。城下町をガス灯で照らすことを考えたが、志半ばで急死(享年50歳)する。しかし西郷隆盛を見出し、藩の近代化を進めた賢候だった。[西日本桜クルーズ-12]写真1 磯御殿と千尋巌。写真2 正門と錫門。写真3 御殿の中庭と展示品。写真4 鮮やかな青モミジと池泉。写真5 鶴灯籠と獅子乗灯籠。写真6 園内のサクラと見えずの桜島。
2024年05月02日
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薄ピンク色に飾られた枝の花量が減り、やがて葉が主役になってくる。花は一斉に咲き誇るが、散り際は様々だ。はらはらと舞い落ちる、または風で飛ばされて花吹雪となる。そんな花びらが作った惜桜の小径を散策した。 近隣には桜を植えた公園や緑地がある。樹間に作られた散策の径(みち)が散った花びらでピンク色になっていた。例年と異なり、花絨毯というまで敷きつめられていない。桜模様の日本手拭の上を歩く感覚だ。 桜、梅、モクレンなど春先に花を咲かせる樹は、まず花を咲かせ、そのあと葉が出てくる。花が散るのを待って、若葉がバトンを受け取る。葉は、枝や幹に緑の美しさと豊かさを、鳥や虫たちに提供してくれる。夏場、人間は木陰下で寛ぎ、或いは日陰を歩いて緑の恩恵をうけている。写真1 惜桜の小径、深緑の始まり。写真2 ふれあいの森と散策路。写真3 におどり公園の小径。写真4 葉桜の小径。写真5 河口公園の四阿と残桜花。写真6 花模様の地面。
2024年05月01日
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鹿児島は雨だった。明け方からクルーズ船は、春雨に煙る錦江湾を進んだ。午前9時前に中央港(埋立地)のマリンポート鹿児島に着いた。平屋建ての「かごしまクルーズターミナル」は、2018年にオープンし、16万トン級の大型客船を受入可能。近くに稼働式の浮き桟橋もある。二次輸送や小型観光船へ乗継も可能となる。 前日から雨天の予報が出ていた。クルーズターミナルからは鹿児島市内への有料シャトルバスの利用を検討した。シャトルバスは、ウォーターフロントパークが乗降場所。350mほどの距離に桜島フェリーターミナルがある。終日雨予想なので、桜島行は断念して、屋根のある場所を考えた。 鹿児島の名所、噴煙を上げる桜島は雲の中にあった。前夜のディナーは、13階キャグニーズステーキハウスでリブ付ステーキを頂く。朝食はビュッフェ形式なので、食べすぎに注意する。ビュッフェの食材台に、西瓜の彫刻「犬の顔」と「白鳥」が載っており、すこしビックリした。[西日本桜クルーズ-11]写真1 春雨降る中、マリンポート鹿児島に到着。写真2 鹿児島名物の桜島は雲の中。写真3 マリンポート鹿児島を13階デッキから眺める。写真4 鹿児島クルーズターミナルと周辺案内図。写真5 ビュッフェ朝食と西瓜アート。写真6 ディナーはステーキハウスで。
2024年04月30日
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和歌山港の出港時間は13時。早めに西浜の第3・第5岸壁に停泊しているジュエル号に戻る。船内12階のガーデンカフェでランチしていると、下方から日本語の合唱曲が聞こえた。デッキに出てみると、クルーズ船出港を見送る「おもてなし」だった。 和歌山市側は、航路変更に伴う急報であったが、よく対応してくれたと思う。仮設検査所の設営、英訳ボランティアの確保、岸壁でのお土産販売などで忙しかったと考えられる。その中でも、波止場に響きわたる児童合唱団による歌声が嬉しい・・。 生徒17名が「ふるさと」、「花は咲く」、「レット・イット・ゴー」などを元気で唄ってくれた。乗客もデッキなどから拍手と歓声で応えた。そしてジュエル号は岸壁を離れた。見送る側と見送られる側、双方が手を振って別れを惜しむ。紀ノ川の河口が遠ざかってゆく・・。[西日本桜クルーズ-10]写真1 西浜岸壁のクルーズ船から和歌山城を望む。写真2 西浜岸壁に停泊するジュエル号の船首。写真3 出港前の「おもてなし」。写真4 和歌山児童合唱団から元気をもらう。写真5 紀ノ川河口の青岸橋(赤い橋)。写真6 遠ざかる和歌山港と雑賀崎付近。
2024年04月28日
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桜・ソメイヨシノが終わる頃、八重さくらが咲く。近所でもソメイヨシノの見頃は、一週間ほど遅れた。しかし、八重さくらは例年並みの4月中旬に満開を迎えた。ソメイヨシノと八重さくらそしてツツジが同時に見られた。[撮り溜めた写真から] 桜の花弁(はなびら)は、一般に5枚。神社にサクラ紋がある。散るイメージがある桜は、武家の家紋として嫌煙された。しかし細川忠興は、「細川桜」を使用したという。一方、桜餅のようで可愛い八重咲。「八重」とは、多くの数を意味して、具体的な数値はないとされる。 ヤエザクラは、6枚以上の花弁を付けて咲く花。30枚から70枚ものが多いと言われている。100枚を超えるものは「菊咲き」と呼ばれる。近くの八重さくらの花弁を数えたら、35枚だった。枝や幹によって、枚数が異なるようだ。70枚以上あると数えるのに苦労する。写真1 八重さくら三本(三人娘)。写真2 たたわな枝振り。写真3 桜餅のような花。写真4 重なり合う花たち。写真5 八重桜、ソメイヨシノ、ツツジの競演。写真6 重層な桜景色。写真7 花びらを数えると35枚。
2024年04月27日
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和歌山城天守の北側にある「西之丸庭園」を訪れた。時期はずれなので、入園者は少ない。別名を「紅葉渓(もみじだに)庭園」とも呼ばれ、紅葉時期に大勢の人が訪れるという。池泉(ちせん)を赤いモミジが彩る紅葉の名所。昭和60年に国の名勝に指定されている。 この庭園は、徳川頼宜公が隠居する際に、西の丸御殿と共に築いた回遊式庭園。内堀に突き出した池亭で、風雅を楽しんだ「鳶魚閣(えんぎょかく)」。障子窓から酒を飲みながら紅葉を楽しんだことが想像される。庭石には「紀州の青石」が多く使用されている。 内堀を跨ぐように、西の丸と二の丸を連絡する「御橋廊下(おはしろうか)」が架っている。二の丸から11度の角度(19パーセント勾配)で下がるという珍しい橋だ。全長27m×幅3の木製。すべり止めのために段差をつけるように板を敷き詰めている。手摺と履物に注意する必要がある。[西日本桜クルーズ-09]写真1 西之丸庭園の池泉。写真2 西之丸庭園の出入門。写真3 鳶魚閣と御舟石など。写真4 19パーセント勾配の御橋廊下。写真5 春と秋の景色。写真6 天守閣から西之丸跡と御橋廊下を望む。
2024年04月26日
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紀ノ川に守られるように築かれた梯郭式山城・和歌山城。その特徴は、虎伏山の台地頂の連立式天守。大天守、小天守さらに二つの櫓を多聞櫓によって繋げ、曲線状の唐破風や千鳥破風などの装飾が施されている。出入口となる楠門は、天守曲輪石垣に沿った石段上部にある。 紀州の地で本格的な城造りは、天正13年豊臣秀長とされる。その後、浅井家、徳川家に受け継がれ拡張された。紀州徳川家の初代領主は、徳川頼宜(家康の10男)で、紀伊、伊勢、大和に跨る55万石を所領した。紀ノ川河口は、大阪と江戸を結ぶ廻船(特にコメ)の地として発展してきた。 昭和6年以降、天守など11棟が国宝に指定されていたが、先の大戦によりすべて焼失。現在の連立天守は、昭和33年に鉄筋コンクリート造りで再建され、「わかやま歴史館」となっている。大天守は展望施設で、360度の見晴しがある。紀ノ川河口、淡路島、高野山方面の山並み。ついでにジュエル号が停泊している姿も見えた。[西日本桜クルーズ-08]写真1 和歌山城天守曲輪と石垣。写真2 大天守と桜。写真3 天守曲輪門(楠門)と外国人ばかりの天守展望台。写真4 天守展望台からの眺め。写真5 紀ノ川河口と停泊中のジュエル号。写真6 本丸跡と連立式天守の鳥瞰。
2024年04月24日
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近隣の花見に出かけた。利根運河さくらは、満開を少し過ぎていた。ランチタイムを過ぎた頃に、桜並木を歩く。東武線運河駅から直ぐ近くなので、弁当持参でお花見をする人々が多い。コロナが下火になった今年は、マスク無+弁当食の風景が戻って来た。 運河さくらは、1週間遅れの見頃を迎えた。明日から風または雨に当たると、たちまち散りそうなサクラ。15時を過ぎても、木蔭で弁当や飲み物を広げて、今が盛りの桜を惜しんでいた。利根運河は、2006年度土木学会推奨土木遺産。[撮り溜めた写真から]写真1 利根運河水辺公園。写真2 両岸土手の桜並木。写真3 ふれあい橋から運河上流を望む。写真4 東京理科大側の桜並木を望む。写真5 左岸眺望の丘。写真6 花盛んな桜木と散り始めた桜並木。
2024年04月23日
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史跡和歌山城を抱く和歌山城公園は、花見の名所と知られている。岡口門から二の丸庭園までの桜並木を中心に約500の桜がある。桜まつり時期になると、園内に屋台が並び、ぼんぼりや提灯が設置される。特に石垣や城郭を背景とする夜桜が美しいとされる。 和歌山城は、標高48.9mの虎伏山(とらふすやま)に築かれ、北部をながれる紀の川を天然の堀としている。別名を「虎伏竹垣城」ともよばれる。海上から見ると、虎が伏せた姿に似ていることついた名前。大手門をしばらく進んだ場所に「虎伏像」が設置してある。 和歌山城の中を歩くと、濃緑の片岩が石垣・石段、敷石をよく見かける。紀州青石(結晶片岩)と呼ばれる。片状に加工し易い特徴がある。この地は、三波川変成帯にあたり、青石を大量に調達することが出来たのだろう。紀州青石と桜もよく似合う。[西日本桜クルーズ-07]写真1 二の丸庭園よりお城を仰ぐ。写真2 本丸御殿跡から天守閣を望む。写真3 公園内でお花見。写真4 紅しだれ桜。写真5 石垣・石段と桜。写真6 虎伏像とお堀の桜。
2024年04月22日
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寄港地の変更により、和歌山の入港時間が6時15分、出港が13時00分となる。滞在時間が短くなったので、7時頃に下船できるように準備。シャトルバスは期待できないので、タクシーを利用して史跡和歌山城に向かう。和歌山市側は、突然に大型クルーズ客船を受け入れることになったが、対応には慣れているようだった。 全長約300mのジュエル号は、和歌山下津港の西浜岸壁に接岸した。西浜の第3岸壁と第5岸壁を合わせると延長500mの大深度岸壁。この岸壁は、普段、関係者以外が立ち入り禁止。しかし大型クルーズ船が寄港すると一般解放される。17万トン級の大型クルーズ船を受け入れることが可能だという。 和歌山城へは内堀に架る「一の橋」を渡り、大手門から入場。一の橋は、最近修築されたようで新しい。大手門を抜けて、表坂を上り天守閣を目指す。途中、石材の種類によって、石垣の積み方が異なっていた。青い結晶片岩を使用したものは野面積み。砂岩を使用した打み込み接ぎ、花崗岩の切り込み接ぎ。歴史を感じる石垣だ。[西日本桜クルーズ-06]写真1 デッキ14階の前方部。写真2 和歌山港と朝日。写真3 堀に架る「一の橋」。写真4 大手門と岡口門。写真5 表坂の石垣と松の丸跡付近。写真6 青石(結晶片岩)が石垣や道路に使用。写真7 史跡和歌山城案内図。
2024年04月20日
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名古屋市役所近くの地下鉄名古屋駅からJR名古屋駅に戻る。駅構内のうまいもん通りで、名物の味噌カツでランチする。慣れない地下鉄等を乗り継いで、金城ふ頭駅に辿りつきシャトルバスで15時過ぎに帰還する。 ジュエル号の出港は17時。その30分前から地元有志の見送太鼓の演奏があった。航海の安全と再会を期した太鼓の演武。船が汽笛を鳴らし離岸すると、乗客も手を振って応える。三重の山並みに沈む夕日を眺めて、ディナーに向かう。 出港する前に、予定の高知ではなく和歌山に向かうことが知らされていた。高知港の海面水位の関係で上陸できない旨連絡があった。キャプテン判断とのこと。大型客船の日本沿岸を航行する場合、船長は難しいかじ取りを迫られるようだ。この船には、乗客乗員あわせて約3400人が乗っている。[西日本桜クルーズ-05]写真1 名古屋城駅口と金しゃち定食。写真2 ジュエル号に早めに帰還する。写真3 出港を見送る太鼓隊。写真4 客船が金城ふ頭を離岸。写真5 13階デッキからの港景色。写真6 三重の山並みと夕日。
2024年04月19日
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4月中旬なのに各地で夏日が続出している。暖かいを通り過ぎて、運動しなくても汗が出るほどに・・。クルーズ旅行へ出かける前に、撮影していた涼しげな富士山をアップします。 4月15日の埼玉県越谷市の最高気温は、27.4度。新潟県三条市では、32.5度を記録した。今後、農作物、動物や昆虫類に何らかの影響がでてきそうだ。最近、江戸川土手からは富士山が見えづらい。水蒸気、花粉、黄砂などが要因。春なのに生活しづらい日々が続く。写真1 菜の土手、白い富士。写真2 江戸川土手から富士を遠望。写真3 赤松と白い富士山。写真4 菜の花と筑波山。写真5 土手斜面の菜花と秩父山地。写真6 江戸川と富士。
2024年04月18日
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名古屋城天守閣に上れない分、名古屋城本丸御殿が混んでいた。30分待ちの行列だ。先の大戦で焼失した本丸御殿は、約9年をかけて2018年に全体公開となった。徳川家と狩野派が創出した芸術の世界だ。30を超える部屋や廊下には、一級品の絵画や彫刻、装飾品が詰まっている。入場無料+撮影可能。 観覧者が多く、ゆっくり観賞できなかった。主なポイントを順路に沿って整理しておく。 (1)玄関乃間:訪問者が待つ場所に「竹林豹虎図」。襖絵や障壁画の背景は全て金箔。(2)表書院:謁見場所であり3つの部屋が襖で仕切られている。「桜花雉子図」が描かれている。 (3)対面所:和歌山県出身の春姫との婚礼に使用したとされる場所。和歌山の風景などが描かれている。 (4))上洛殿:将軍家光を迎えたとされる場所。色鮮やかな色彩から淡い水墨画に変化する。狩野探幽が手がけた山水画「雪中梅竹鳥図」がある。 400年の歴史を持つ狩野派、時の権力者と関係を構築していた。戦国時代、一門を豊臣家、徳川家、宮廷の3グループに分けて、生き残る態勢で芸術を後世に伝えてきた。[西日本桜クルーズ-04]写真1 名古屋城本丸御殿。写真2 玄関乃間の「竹林豹虎図」。写真3 表書院の「桜花雉子図」。写真4 対面所の和歌山風景画。写真5 上洛殿の「雪中梅竹鳥図」。写真6 梅の間と廊下。写真7 本丸御殿の間取り図。
2024年04月16日
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訪れた日、「名古屋城桜まつり」が開催中で大勢の人出。クルーズ船乗客の多くの外国人も名古屋城に押し寄せた。外国観光客にとつて、お城と桜と富士山などが人気のアイテム。スマホを片手に、自由に動き回っているように見える。地図と交通路線そして翻訳機能がついたスマホが活躍している。 名古屋城の天守閣は、2018年以来閉館している。戦後1956年に鉄筋コンクリートで再建されたが、老朽化と耐震性で問題があるらしい。それに伴い、現在天守の木造復元化が進められているという。約500億円を集めて、2032年頃に完成させる計画。 コロナ禍で天守の「金の鯱」が地上に卸されて、市内等で披露される時期があった。「疫病退散 金鯱降臨」と呼ばれていた。高さ2.6mで、一対の重量は約2.5t、88kgの金量(18k)使用されている。金1kg=960万円とすれば、84億円になる。一方、大谷選手の元通訳が24億円を盗んだという。金量25kgに相当する。[西日本桜クルーズ-03]写真1 桜の名所・名古屋城。写真2 石垣と天守。写真3 鉄筋コンクリート造りの天守閣。写真4 表二乃門と金の鯱。写真5 華やかな桜祭り会場。写真6 空堀の桜並木と夜桜ライトアップ。
2024年04月15日
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ノルウェージャン・ジュエル号は、知多半島から昇る朝日を右舷に見ながら伊勢湾を進む。湾の懐深い名古屋港・金城ふ頭に、午前9時に接岸すめ。仮設テント内で、下船手続き後(パスポート、クルーズカードの提示)、シャトルバスに乗り込む。名古屋駅へ移動は、あおなみ線(金城ふ頭駅)を利用する。 金城(きんじょう)ふ頭は、昭和期に埋め立てられた島状ふ頭。大型船舶が接岸する商業港機能を担う場所。名港トリトン(伊勢湾岸自動車道、国道302号)からのアクセス容易であるため、大きな展示場施設が建っている。 金城ふ頭接岸の際、名港トリトンの3つの斜張橋を眺めることが出来た。その中で中央橋が大きく、全長1170m、支間長590m、主塔の高さは190mとされる。橋桁は海上面+47m、水深12mと言われている。因みに、ジュエル号の喫水深さは8.3m。船底が海底に接しないように、水先案内人が乗る。[西日本桜クルーズ-02]写真1 朝日を眺めて伊勢湾を進む。写真2 名港トリトンの橋(伊勢湾岸道)が見えてきた。写真3 赤い名港西大橋と白い中央大橋。写真4 金城ふ頭と中心街ビル。写真5 接岸広場と金城ふ頭駅前広場。写真6 高架式「あおうみ線」のプラットホーム。
2024年04月14日
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桜の時期、東京青海の東京国際クルーズターミナルからクルーズツアーに参加した。ゆりかもめ駅から歩いて、ターミナルビルを目指す。ターミナル建物よりも大きい大型客船「ノルウェージャンジュエル」がすでに停泊していた。船首と船尾がはみ出すほどの大きさ。3/31からジュエルで11日間のクルーズ旅行を楽しんだ。 2020年東京五輪に間に合わせるため建設された東京国際クルーズターミナル。しかし、コロナウィルスの流行で閉鎖状態だったが、2023年3月頃から大型客船が寄港するようになった。横浜と東京との誘致合戦もあるようだ。 ドレスコードが無く、カジュアルな服装で過ごせる船旅が特徴のノルウェージャンライン。乗船したジュエル号の規模は以下のとおり。全長294m×幅32.2m。総トン数が93,500トン。乗客定員2376人、乗船船員1070人。今回の国別乗客数は米国・英国人が約1200名、濠州560名、日本人128名が主な内訳。 予約した14時に乗船手続きして、船内で遅い軽ランチをとる。スーツケースの荷取り出した後、ツアー説明会に参加(約40名)。17時30分から夕食会を楽しむ。定刻の19時に出航。さあ出かけよう、パスポートと帽子とスマホをもって・・。8つに港に碇を下ろす、クルーズへと。しばらく、「西日本桜クルーズ」を掲載します。写真1 ゆりかもめ駅から大型客船を望む。写真2 東京国際クルーズターミナルを見下ろす。写真3 船上13デッキからの眺め。写真4 都心に明りが灯る。写真5 出港を見守る乗客と東京夜景。写真6 遠ざかる東京の灯。
2024年04月12日
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