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台風一過の土曜日。10時くらいまで寝て、だらだらと昼までテレビを見てひとりで『わはは!』と笑い、ちょっと暑いけど散歩に出た。夏を惜しむようにセミが鳴き、私も夏の名残を楽しみながらお気に入りのアジアン系のブルーのスカートをひらひらさせながらノロノロと歩いた。ナチュラルハウスで有機栽培の梨を1個買い、店から出ると前から派手なオープンカーがやってきて、運転していたのは所ジョージだった。あは。そして、お気に入りのパン屋さんでお気に入りのパンを買った。チーズたっぷりのオニオンブレッド。んまいのです。何も買ったことないけど、いつものぞく雑貨屋さんで30分ほどウロウロ。これまた買ったことないけど、いつも入るハーブとアロマオイルのお店でウロウロ。ここに引っ越してきてちょうど3年。ここが好きだなーと思う。いつのまにかお気に入りのお店が増えて、いつのまにか『いつもの散歩コース』が出来ていつのまにか『地元の人』みたいな顔して歩いている自分。なんか幸せだなー・・・と思いながら見た空がそれはそれは美しくて、すばらしく青くて。この瞬間を写真に撮りたいと思った。だから、これから散歩にはカメラを持ち歩くことにしよう。お気に入りの和菓子屋さんで、あんこアイスを買って、食べながら歩いた。暑いので溶けるのが早くて、急いで食べた。あまりにアイスが美味しくて、あまりに空がきれいで、セミの声も穏やかでそしたら、あの人に逢いたくなりました。家に帰って、洗濯して、コーヒー牛乳とオニオンブレッドをモソモソと食べました。風が強いからタオルが飛びそう。
2007/09/08
私は、重曹愛用者であります。重曹愛用暦6年くらいになります。重曹を使うようになったきっかけは、一人暮らしを始めた事でした。前から、“カビ取り”や“トイレ用”や“お風呂用”等とデカデカ書かれた洗剤の容器が気に入らず(カワイクないよね・・・)用途に合わせて洗剤を買っていると結構な額になってしまうし、本当にこんなに多種類の洗剤を使う必要があるのか疑問でした。そんな時に、重曹が掃除に良い!という雑誌の記事を読み、それからすっかり重曹のトリコになったのでした。今ではトイレ、浴室、キッチンの掃除は重曹とお酢で済ませております。重曹を使って洗っていると、重曹が水といっしょに流れ、下水管までもきれいにしてくれるし、環境にもとても良いらしいです洗濯にも使えるみたいだけど、一回使ったら重曹が溶けきらなくて大変な目に遭ったので洗濯に使用するのは止めましたお湯に溶かして洗うと良いみたいです。参考HP→シンプルで行こう食器洗いにはアクリルたわし(毛糸で編んだもの)と重曹を使っています。でもひどい油汚れの時用に合成界面活性剤不使用の石鹸洗剤も常備しています。エスケー石鹸という会社のモノがお気に入りキッチンの汚れは、アクリルたわしと重曹とお酢。浴室は重曹。洗濯には石鹸洗剤。柔軟剤代わりに「洗濯布ふわふわ」という不思議な布を使用しています。ソフ○ンとかを使わなくても、ふわんふわんな洗濯物に仕上がるのだ環境の事を考えたら、洗濯にも重曹を使うのが良いのかもしれないけど自分の出来る範囲で、今の自分に負担のない程度にしたいので市販の洗剤を使用してます。これまたエスケー石鹸社の洗濯石鹸。ゆくゆくは重曹や他の自然なもので洗濯したいと思っております。環境に優しいこの洗剤、ちょっと高いナーとは思うんだけど、良いモノを作ってくれている会社には貢献したいのでしばらくは頑張って購入するつもり。家の中から、どんどん容器が減ってきています。シャンプー使わない。ボディシャンプー使わない。掃除用洗剤使わない。柔軟剤使わない。化粧品ほとんど使わない・・・化粧水以外の基礎化粧品、化粧下地、日焼け止め、使用するのを止めました。この生活はとっっても快適で、無くても平気!という物が増えると、顔がゆるんでしまいます。ほんとにほんとにオススメでなのであります
2007/09/05
歯の矯正を始めて、下の歯に着けてるマウスピースへの着色を防ぐために飲み物は水だけにした。食事中は外すから何でも食べたり飲んだり出来るけど、着用時はお茶なども色が着くのであまりよろしくないらしいからだ。あと、食事以外では出来るだけ外したくないので間食もやめた。毎日チョコを食べていたので耐えられるかな~と心配していたんだけど、歯の為なら・・・と簡単にやめることが出来た。そしたら、だんだん、体に悪いものを触れたり食べたりするのが嫌になってきて食べ物にすごーく気を使うようになったのです。調味料なども『ナチュラルハウス』や『F&F』などで求めるようになった。自然食品を扱ってるお店に入ると気持ちが落ち着いて、癒されるので何も買わなくても毎日のように通っております。6月に入ると体に変な湿疹みたいなものが出来始めた。かゆくて、何かに刺されたのかな~くらいにしか思ってなかったんだけど段々、汁みたいなのも出てきたり、胸やお腹や足にも出始めた。・・・これはナニ?・・・と心配になりネットで調べたら、ストレスが原因で出来る湿疹と分かった。ひどい人だと大人アトピーになり得ると書いてあった。これは大変!!どうしたらいいのだろうと思っていたところ、『何もつけない美容法』というのを発見した。秘密の化粧品コチラのHPを見つけて、むさぼるようにバックナンバーを読みあさりました。何もつけないのが肌にいちばんいい・・・。目からウロコでした早速、化粧水や美容液一切をやめました。私は化粧品大好きで今までエステも通ったし、化粧品を買うのが本当に大好きでした。でも、何もつけなくても、化粧水や美容液をつけていた頃と肌は何ら変わりはありません。変わらないということは、つけてても意味なかったの?!金返せーーーーーーーー!!と思いましたよ、実際。これには驚きでした。顔に何もつけなくなってから、界面活性剤を体につけたりするのがすごく嫌になってしまい今の私は・・・顔・・・クレンジングはマスカラにのみ使用し、アレッポの石鹸で洗っておしまい。 朝は水洗いのみ。体・・・石鹸は使用せず、手ぬぐいでこすります。あと週に1度くらい天然ヤシで出来たタワシで体をゴシゴシとこすります。皮膚が丈夫になり、新陳代謝が活発になり内臓も丈夫になるそうです。髪・・・始めは石鹸シャンプーに替え、界面活性剤に慣れてしまった皮膚を徐々に慣らし今は海草の粉で洗っています。・・・と、いい香りも何もしない生活を送っております。髪の毛から香るシャンプーの香り・・・湯上りの石鹸のいいかほり・・・無縁になりました(泣)でも、皮膚の湿疹はキレイに消えましたし、界面活性剤を皮膚につけなくなってから体が汚れにくくなったというか、垢があまり出ないようになりました。タワシでこすってるせいもあるのかもしれないけど、肌の調子すごくいいですそして夏になると背中に出来るニキビに悩まされてたんだけど、今年はまーーーーーったく出来てません。シャンプーを止めたのと、体を石鹸で洗わなくなったからかな~と思ってます。これは私にとって本当に驚きですわ。体にも優しい、お財布にも優しい、お風呂がすっごーく簡単になり、地球に優しい。使うのが当たり前と思っていたけど、不要なものってたくさんあるんだなーって思う。しかも、それがすごく心地いい。めんどくさがり屋の私にはピッタリの生活です。これがシンプルライフに目覚めたきっかけでした。
2007/08/26
遅ればせながら私もやってみました。脳内メーカーなるもの。秘密主義で夢見がちな妄想族ってところでしょうか。ちなみに『顔ちぇき』では、稲森いづみ に似てるそうです。わはは。
2007/08/26
実家帰ってました。今日、帰宅。明日から仕事です。いつもは休みのギリギリまで実家にいるんだけど今回は最後の休日を東京で過ごしてます。でも、変に寂しくなっちゃって。久々にホームシックになってます。やっぱり次回からはギリギリまで実家にいて慌ただしく翌日仕事へ行くパターンにしようと思います。即、仕事モードの方がキモチの切換えが上手く出来る気がする。わはは。おととしはオカンが手術。去年は私が入院。ここ数年、お盆は家族揃って過ごすことが出来なかったんだけど今年は無事、全員揃って(と言っても母、兄、祖母、自分の4人)過ごせました。ありがたいな。オカンは庭の畑で野菜をたーっくさん作っている。無農薬で安全な野菜。とうもろこし、きゅうり、じゃがいも、たまねぎ、トマト、ナス、ズッキーニゴーヤ、ブルーベリー、キウイ、いちご、すいか、メロン、枝豆、他。今年のスイカは当たり年だったそうで、実家で甘くてみずみずしい美味しいスイカをたらふく食べてきました。なんとかって言う皮が黒いスイカ。『買うと高いんだぞー』とやたら自慢してましたが・・・。生のブルーベリーもたっくさん食べてきました。うまいねぇ~。いつのまにか、子供だと思っていたイトコが親になり、友人のお子達も大きく成長し、私だけいつまでも何も変わらないようなキモチになりました。ウチに遊びに来る友人達もお子達を連れてやってくる。オカンはとっても嬉しそうにジュースやらスイカやらを出してもてなす。そんな姿を見ていると、私が子供を産んだらどうなっちゃうんだろ・・みたいな。きっと、朝から晩まで『かわいいかわいい』と言い、ニコニコしてるんだろうな。孫を見せてあげられなくてごめん・・・・・と、心の中で何度も謝ってしまう。東京に戻る時、野菜をたっくさん持たせてくれた。でっかい100均のビニール袋にゴロゴロと野菜が入っていた。重かったけど、私も必死で持ち帰りました東京の家に着いて、中を開け、この野菜達をどうやって食べよう~と悩んでしまった。まずは、大好きなトウモロコシを茹でてみました。トウモロコシを見ると私は涙が出てくるのです。おととし、オカンが入院しているとき、畑に実ったたくさんのトウモロコシを毎朝摘んで茹でて一人で食べていました。そして、病院のオカンへ届けていました。オカンが大事に育てた野菜を見ながら、毎朝泣いたのを思い出してしまう。去年も入院しながら、オカンが作ったトウモロコシ食べたいな~と思っていた。今年はこれでもかっ!という位持って来たから、しばらくは贅沢な日々を送れますでも、なんか涙が出ちゃうのだ、トウモロコシは・・・。わはは。
2007/08/15
1回目の調整日 上の奥歯にリングみたいなのが取り付けられた。先生に『うがいしてくださ~い』と言われ、クチの中に結構ビビル物が着いた事を確認した。 左右の奥歯内側にワイヤーを引っ掛ける物が装着され、いきなり話しにくい。ご飯食べたら、舌をどう動かしていいのか分からなくて舌をその突起物で何度もザクザクと噛んでしまった・・・。まだ矯正始まってないのにとってもゆううつになってしまったけど、でもすぐ慣れて上手に食事が出来るようになった。 抜歯 上の左4番を抜歯。 神経が死んでる歯だったのであまり惜しくないと思っていたが、抜く前に歯磨きしながらちょっぴり別れがつらくなっていたわはは。歯は一般歯科の先生に抜いてもらった。腕がいいのか私の歯がおりこうなのか分からないが簡単に抜けた。血もあまり出ず、痛みも我慢出来たので痛み止めも飲まずに済んだ。 笑うとマヌケな私の顔。歯抜けばーさん。話してると空気が漏れて歯なしばーちゃんだよ。タ行とサ行がヤバイ。 2回目の調整日 左上の奥歯から4本に装置が着いた。左側の舌がかなりボロボロ。先生は歯が痛いかもって言ってたけど、歯はまーーーーーったく痛くない。装置が当たる舌が痛いっつーーーーの!!じっとしてても痛いし、ツバを飲むのも痛いので気付くとクチを半開きにしたままヨダレを溜めてる私。しかも話しづらさ満開。先生は『ちょっと可愛い感じの話し方になっちゃいましたね』と言ってたけど、この歯抜けばーさんの話し方のどこが可愛いんじゃ!ベロ痛い・・・ ベロが痛すぎて話すのが億劫です。すぐ言葉が出て来ないの。話すために3秒くらい準備が必要なの。今日駅で思いっきり人にぶつかってしまったんだけど、すぐに『すみません』という言葉を発する事が出来ず、謝れないダメな子になっていました。 そして、下のマウスピースは次の型へ移りました。 これもまた痛いかも・・・。実はこの2週間ほど、ほとんどマウスピースを着けてませんでした。だから多分あまり動いてないと思うの。なのに次の型へ移っちゃったからね、痛いのです。マウスピース着けちゃうと、いよいよ何話してるのか意味不明なんですよ。ただでさえ歯抜けばーさんなのに・・・。 痛いし、話しづらいし、この先どうしたらいいの~・・・と不安になってしまいました。食事も不便です。噛むのに時間がかかるし。食べ物は引っかかるし・・・洗濯物のように食べ物がぶら下がるんですよ、装置に。特に菜っ葉類。モヤシも危険。 先日はエリンギを炒めて食べてたら、装置にエリンギが引っかかったまま飲み込んじゃったので、装置からエリンギを外すまでエリンギが喉に詰まってしまい大変な目に遭いました。 クチの中に針金着けたまま、歯抜けばーさんのままでは死んでも死にきれないよ。 飛び出してくるワイヤーを寝かせるためにクチの中に指を突っ込んだり、会社のトイレでもダラダラとヨダレを垂らしながら歯磨きする事も平気で出来るようになりました。 しかし、この矯正装置って体に優しいのかしら? 地球に優しいのかしら?
2007/08/07
報告が遅くなりましたが、ケニアへ留学する話は白紙になりました。キモチは既にケニアだったし、軽く準備も始めていたんだけど。留学するにあたり、いくつかの心配の種があって。 でも、それを見ないようにフタをしてた。ダイジョーブ!なんとかなるって!って思ってた。正確には そう思いたかったんだよね。だって、この機会を逃したら、もう一生留学なんて出来ないかもしれないし~とか何かやりたいっ!っていう思いが強すぎてパワー有り余る感じだったもの。風が吹いてるんだから乗らなきゃ!ってあせってたような気もする。今思えば。そんで、心配の種がチョコチョコ顔を出すたびに心が揺れてた。そんなゆらゆら状態の頃、私が絶大な信頼を寄せているある先輩に相談してみた。『何がしたくてケニアへ行きたいの?』『子供に関わった仕事がしたい。その為に行きたい。』『ケニアでなければいけないの?』『そういう訳ではないけど、ケニアへ行ってこの目でケニアの実状を見てしまったから。役に立ちたい。ケニアの子供たちの為に何かしたい。』『日本の子供も救えないあなたがケニアへ行って何か出来るの?』・・・・・・・。そして、その想いがあるなら日本の子供たちを救ってあげなさい と言われた。その想いがあるなら、隣人の為に、自分の家族の為に、友人の為になる事をまずしなさい と。それすら出来てないのに、ケニアへ行って何が出来るの?と。日本の子供は物質的には恵まれてるけど、とっても可哀想なのよ・・・とも。そう言われて、確かに と思ってしまった。それから、自問自答の繰り返し。何がしたいの?私は何がしたいの?この道でいいの?そして、私はひとつの答えに辿りついてしまった。こんな自分さらけ出すのはかっこ悪いけど・・・・・結局は現実逃避したかった。見栄で留学したかった・・・。そこに辿りついた。自分で言うのもなんだけど、大手電気メーカー本社勤務で、それなりにキャリア積んで都内23区で一人暮らしして、オフィスは銀座よーって・・・そんなステイタスを田舎の友人には羨ましがられて。でも実際は今以上の出世なんて無いし(望んでもいないけどねだんだんお局と化し、結婚もしないもんだから何かにつけて独身ネタでいじられる。私も私で、自虐に走ってるしね。だから『アフリカへ留学するので退職します!』なんて、ステキな幕切れだと思ったのよね。正直なところ。何も出来ない、中身の空な三十路じゃないわよ。この歳でも留学しちゃうのよ。すごいでしょ、かっこいいでしょ!みたいな。だからいくつかの心配の種を見ないように見ないようにしちゃってたって事に気づいた。子供に関わりたいキモチに嘘はない。今のボランティアでも十分関われるし、ここで頑張ろうと今は思う。あとね、あきらめた理由・・・もういっこ。5月に38度~39度の不明熱が一ヶ月ほど続き、会社を休んだり通院したりと体調がボロボロでした。私は自分で自分の体を攻撃しやすい体質のようで免疫機能がちょっとおかしくなってるらしい。今回の熱もそれが原因のようだった。そしてちょうど体調を崩している時に留学先の方からメールをもらった。『9月入学でよろしいんですよね?』と・・・。私は正直に、揺れている事、心配の種がある事、去年入院していた経緯と熱が続いている事などを返信した。すると、『揺れている事、心配の種がある事よりも、体調の事が問題だ。』と返事がきた。ケニアは衛生状態も、医療設備も悪く、感染症が蔓延っている。HIVは深刻な問題だし、赤痢やマラリアは誰でも感染する可能性がある。免疫の弱い私はすぐに何かしらの感染症に冒される危険が高い。そんなリスクを負ってまでも来る覚悟はありますか?と聞かれ、アフリカで長期間過ごすには、精神力と体力と何より健康が揃ってないとダメなんですよと優しく諭されてしまった。正式に今回の留学は白紙に戻してしまったが、ケニアへ来るときは学校の寮に泊めてあげるから、いつでもおいでと言っていただいた。それはそれは、とっても嬉しく、そんな校長先生がいらっしゃる学校へますます留学したくなったのだけれど。ああ・・・恋しいアフリカ・・・。愛して止まないアフリカ・・・。いつか短期間でもいいから滞在したいな。私は、ここで頑張るよ。
2007/07/21
矯正を始める人、既にやってる人、考えてる人、迷ってる人たちの何か役に立てば良いなーと思い、矯正について綴っていきます♪自分の備忘録、記録にためにもね。乞うご期待!←ダレモミネーヨ ●病院選び よく、矯正専門医院がいい!という噂も聞くし、ネット上でもそんな意見の人が多い。でも、私は一般歯科に通っています。 矯正は頻繁に病院へ通わなくてはいけない(何かとトラブルが多いからね)。私は休みの日を通院に使うのは嫌だったので、会社と同じビルに入っている歯科に決めました。お昼休みや仕事が終わったらすぐ行けるし、トラブルが起きてもすぐ行けるもんね。しかも治療は全て完全個室なので、他人に見られる事もないし、落ち着いて治療が受けられます♪これも決め手でした。 私の通っている歯科には、矯正専門の先生が定期的に通ってきます。先生の来る日に予約を取ることになります。同じ時間にカケモチで診たりしないし、治療、作業は全て先生がしてくれます。 ネットの書き込みを見ると、カケモチで診る先生が多いようで金具を着けたり、型を取ったりするのは歯科助手の女性が多いようです。中にはワイヤーの付け替えも歯科助手がやるトコロもあるようです私はそんなの嫌なので、やっぱり今の歯科を選んで良かったですちなみに、私の先生は型も取ってくれますヨ。始めは、かっこつけた先生だなーとか、石田純一みたいな生活してそうだなーとか、腕悪そーとか思っちゃたけどね。 病院選びは重要です。やっぱり下手な先生には任せたくないしね。でも、病院内の雰囲気、働いている人たちの雰囲気、先生と話しやすいか、話を聞いてくれるか、気が合うか・・・というのも結構大事だと思います。長いお付き合いだもんねー。 まとめ ・会社と同じビル内なので通院に便利・綺麗・清潔 ・完全個室での治療 ・矯正専門歯科だと、わざわざ他の一般歯科へ行き抜歯を行うが、私の場合、同じ歯科で抜歯可能(もともと一般歯科だからね) ●初診相談 最初に説明されたことは、 ・だいたい親不知4本、健康な歯4本抜くのが一般的 ・料金 80~120万円 ・治療期間 2~4年 ・装置の種類 こんな感じだったと思います。約30分間くらいだったかな。 先生は「何でも聞いてください」と何回も言ってくれました。どんな質問もちゃーんと聞いてくれたし、何回でも相談に来てくださいと言ってくれた。ここで矯正するかどうかは、ゆっくり考えてみてくださいと言ってくれました。 でも、心は決まっていたので『やります!やってください!』と声高らかに宣言したのであります。 まとめ ・初診相談無料 ●精密検査 まず写真をたくさん撮られます。 背筋をのばしてニッコリ、歯のアップ、横顔などなど。 いや~恥ずかしかったですね~。 だって、普通に『はい、笑って!』とか言われるんですよっ。 イケメン歯科医に写真撮られるんですよっ。 しかも歯のアップなんて最悪ですよ。 プラスチックの器具で、思いっきり唇を広げられます。 切れるって!!と泣きたくなるくらい広げられて・・・。 初めてなのに・・・私は『今、どんだけブサイクな顔なんだろう・・・ヒゲ生えてるかも・・・ハァ・・・』と、どんよりしてました。 でも先生は、毎日やってる事だろうから、私の小汚いクチやブサイクな面なんぞ興味ないだろうさ。 でも、親にも恋人にも見せる事の無い顔だったことは間違いねーよー。 レントゲンを撮ります。 前からと横からと、360℃ぐるーーと回るパノラマタイプを撮りました。 噛み合わせを見るために、厚さ2、3mmで、あったかいピンク色のガムみたいなものを噛みました。あったかくて(というか熱かった)びっくりしました。噛んだ後がつきます。 最後に歯型を取ります。上下。 この精密検査結果を基に、先生が私に合った治療方針を考えてくれるのです。 まとめ ・化粧は治して行った方が良い ・ヒゲも剃って行くべし ・相当ブサイク顔になることを覚悟する ●治療費 私の場合・・・ 上→裏側 下→表側 を希望しました。 ・精密検査代 \30,000 ・矯正料 \850,000 ・調整料 \7,500(月1回通う) 2年間通った場合\180,000 ・抜歯料 \10,000(虫歯ではないので保険利かない) 合計 \1,070,000+TAX\53,500=\1,123,500 予算は100万だったので若干高いですが、許容範囲内です。 先生曰く、矯正代というのは地方の方が安く、地方に行けば行くほど安いそうです。『ここは銀座価格になるので日本でも高い地域ですね』とのこと。うーーーーーん。 でも、都心で最新の治療が受けられるのもメリットだし、場所柄仕方ないと思います。 ●治療 下は表を希望したにも関わらず、透明なマウスピースタイプの装置になったので見た目は全く矯正してるって分かりません 精密検査の結果、私の治療計画はこうなりました↓ ・噛みあわせが深いので、上の裏側装置に下の歯がぶつかってしまう為、下の前歯を下げる。 ・下は非抜歯。 ・前半は透明なマウスピースタイプを装着し、後半は表から金具の装置を装着し、仕上げます(下)。 ・下の歯が下がったら、上の歯の裏側へ装置を着けます。 ・左4番抜歯 治療期間 1年半~2年 早く、ワイヤーとかゴムとかでガシガシ動かしたくてたまりません!でも次は7月なんだよね~。 予約日が待ち遠しいよー
2007/06/09
6月1日から歯列矯正やってます。 このガタガタの歯並びにコンプレックス抱える事、十数年。 これまで何度も矯正したい想いにかられましたが、期間が長い事と、保険が利かないので高額な事、あとは何と言ってもあの銀色の装置が嫌で断念してまいりました。 でも、年齢と共に顔のゆがみも歯並びもどんどん悪化してる気がしてならなかったのです。 3月初旬、歯のお掃除をしてもらう為に歯医者へ行き、矯正専門の先生と出会った事がきっかけで思い切って矯正する事に決めました。 その矯正の先生は話し方がすごーーーーーーーーーーーーーく優しいし、説明も丁寧で、年も近いから話しやすい。 そして何より、顔がイケメーンなんですよ即決でした(笑) でも、いちばんの理由は会社と同じビルに入ってる歯科なので通院に便利という事と、この先の人生、ずっと歯並びを気にしながら生きていくのは嫌!ぜぇったい嫌!という想いが強かったから。 通院が便利だから行った歯医者なのに、先生がステキなんてラッキーですそして・・・ 4月上旬 矯正についてのカウンセリング 4月中旬 精密検査 5月上旬 治療計画について説明 5月中旬 治療開始の為の型取り等 6月1日 治療スタート(下のみ。上はまだ先) という運びとなりました。 私は目立つ装置がとにかく嫌だったので、料金は少し高くなりますが上は裏側、下は表側で治療する事にしました。 本当は上下とも裏側が良かったのですが料金がねぇ・・・。 30万くらい高いんですよー、上下表側より。 ムリです・・・。 でもね♪下側は透明なマウスピースのようなモノを歯にはめて歯を動かすという画期的な装置になったんです。 矯正に抜歯は付き物で、多い人だと8本抜くらしいんですが、先生の分析によると、私の場合、下は抜歯しなくてもOKとの事なのでこの装置が使えるみたい。 抜歯の理由は、歯がキレイに並ぶ為のスペースが足りなくなり、出っ歯になるからとの事 私もカウンセリングの時は、抜歯するかもと言われました。 親不知:上下2本ずつ=4本 健康な歯(主に4番):上下2本ずつ=4本 私は既に親不知は数年前に抜歯済み。 精密検査で先生が分析してくれた結果、上は左の4番の1本を抜歯、下は抜歯無しでキレイに並ぶと踏んだようです。 でもあまりにも歯が出過ぎる場合は抜くからねと言われてるので、心に留めておきます。 上の写真がその装置なのですが、こんなので歯が動くの?と思いますが、最新の治療法らしい。 最初の形は、ほぼ今の歯並びと同じ。 ガタガタなの分かるでしょ?すげーべ?(笑) 先生曰く、私はアゴが小さく、歯が大きいのだそうです。 だからガタガタになったんだねぇ~。フムフム。 しかも今回知った事実!下の前歯が3本しかないという事。 どこ行った~私の前歯~ 今日で装置を着け始めて5日目ですが、特に歯が動いてる感じはありません。装置を着けている違和感はあります。歯が常に浮いてる感じというのかな~。気になって装置を舌で常に触っちゃいます。出っ歯になるから止めてねと言われているのに・・・。危険だ~。 私は上下とも左に八重歯があります。 八重歯が無くなったら顔の印象かなり変わるだろうな~。 この装置の注意事項は ◆1日、18時間以上装着 ◆食事の時は外す ◆変色するので装着している時は水以外飲まない方が良い この装置を着けていて困ってる事 ◆装着する時に歯茎がこすれて血が出る ◆装置の角が粘膜にあたり、粘膜が傷だらけ。口内炎になりそう。 ◆装着しながら食事が出来ないのでおやつが食べれない。(食べたら装着前に歯磨きをしなければならないのが面倒で外したくない。着けるとき痛いしね) でも、粘膜は丈夫になるそうだし、おやつが食べれないのも、水しか飲めないのも体にはいい事だし、そんなに苦じゃないです何はともあれ目立たない装置で治療出来るのは嬉しいのであります♪ そして、早く針金とか着けて、がっつり動かしたくてたまらないのであります。 矯正始めて良かったなぁ~ 自分の備忘録として、矯正の記録を綴っていきたいと思ってます。
2007/06/06
私がこれからしたいこと。 ずーーーーーっと子供と関わった仕事がしたいと思ってきた。 もう何年も。 でも私は、慎重な山羊座。 今の会社を辞める勇気なんかなかったし、具体的にどう子供と関わりたいのかが分からず時間だけが過ぎてしまった。 去年の9月、友人より学童教育がらみのNPO活動へ参加しないかと声がかかった。職員としての話だった。 答えは2月くらいまでに出せば良かったから、ケニアへ行ってから決めようと思っていた。 でも、せっかくの子供に関われるチャンスなのに『やりたい!』とは思えなかった・・・。 ケニアへ行ったら答えが見つかるような気がしてた。 で・・・ケニア行った訳なんですが。 具体的ではないんですが答え出た気がします。 私は親のいない子、親からの愛情を得られなかった子、自分は誰からも愛されていないと思っている子達に関わりたい。 私は10代の頃に父親を亡くしました。 私の父は自ら命を絶ってしまった。 その経験のせいなのか、親のいない子供が気になって仕方ない。何かしてあげたくて仕方ない。 偽善者だと思われようが、おせっかいだと思われようが、うっとうしいと思われようが何かしてあげたいのだ。 だからJACIIに入学して、NewLifeHomeで学んで、そういう子供に関わった仕事がしたい。 現実を知らないくせに何言ってんの??って思う人もいるだろう。私の考えは甘いと思う。 でも、私の進む道が間違っていれば神様がストップかけてくれると思っている。『お前の道はそっちじゃないよ~』って。 だから、神様に止められるまでは進んでみようと思うのです。
2007/02/03

ステキくんは、無事、部屋を引き払い、4月に向けて次の準備を進めています。会うことは出来ません。里心(?)がついてはいけないからと、連絡は取らないと言ってました。既に日記にも書きましたが、私、ケニアに行ってきました。目的は色々あったんだけど、いちばんの理由は、自分の進むべき道を探すためでした。ステキくんが新しい道を歩き出したように、私も新しい道を進みたかった。使命というものが与えられているのならば、私はこれから何をするべきなのか。そして、ステキくんがなぜこの道へ進もうと決めたのか・・・。ステキくんをもっと知りたかった。ケニアに行くと決めてからは、黄熱の予防接種をしたり、ビザを取ったりと慌ただしかった。ステキくんとのお別れも近づいていた。ステキくんにはケニアのことを伝えなかった。ステキくんは引越しでとても忙しそうだったし、仕事の引継ぎもあり、ゆっくり話す時間がなかった。ゆっくり話すヒマもなく、ステキくんは準備の為、年が明けると共にある場所へ篭ってしまった。携帯も解約すると言っていたし、これで終わりだと思った。こんな終わりなの?と思った。でも、私もケニアのことで頭がいっぱいで、ステキくんのことをあまり考えずに済んだ。ケニアにいる間は、色んなことがあり過ぎて息が詰まりそうだった。初めてのアフリカ。想像以上の貧富の差。私はスラムや小学校、幼稚園、エイズ孤児院などを訪問し、ある村へホームステイした。せっかくなので、マサイ村、サファリなどへも足を伸ばした。毎日毎日イヤになるほどの感動。毎日が、うるるん滞在記。涙を流さない日はなかった。心の隅っこにはいつもステキくんがいた。『ステキくんだったらどう思う?』『ステキくんだったら何て言う?』といつも話しかけた。大感動のうちに旅を終え、帰国した翌日。携帯に着信アリ。ステキくんからだった。携帯は解約したとばかり思っていたのでめちゃめちゃ驚いた。でも、呼吸を整え平然を装い電話に出た。『もしもーし』『もしもし、僕です。分かりますか?』分からないはずがない。なぜ、電話をくれたとか。なぜ、携帯を解約してないとか。そんなことはどうでも良かった。私達は、ブランクなんて何もなかったかのように会話をした。ステキくんの今の生活も知ることが出来た。その流れで『昨日、ケニアから帰って来たばかりなんだよ』と言ってみた。ステキくんはとても驚いていた。電話をくれたのが今日で良かった・・・。ケニアに行って感じたことや、これからやってみたいと思うことなどを話した。そんで、なんか2人で盛り上がっちゃって『一緒にケニア行って、子供達を救おう!』みたいな話になった。そんでそんで、なんかステキくんが『10年待ってください』と言った。そんでそんでそんで私も勢いで『待つ待つ!!』と言った。私達は意味がよく分からないことを言ってしまっても、お互いそれを確認しないのでその会話もそのままになり、うやむやになった。読んでる人も全然意味が分からないと思います。すみませーん。あぃとぅみまてぇーん。うまく言葉には出来ないけど、とりあえず私に風が吹きました。風に乗ろうと思います。怖いけど、それがいちばん自然な気がしてます。
2007/02/02
昨日、男友達と飲みました。 ある相談をしたかったのです。 彼は学童教育へ関心があり、生業とNPO活動の2足のわらじで ずっとやってきたが、2月で生業を退職しNPO一本でやることに決めたそうだ。 今年は無収入なので貯金を崩しながら生活していくため、中目黒のマンションを引き払い、川崎に安い和室の部屋を借りたとのこと。 彼のやりたいことは、小学生から塾通いをなくすことだ。 放課後は楽しいんだ!ってことを小学生に教えるために。 学童活動でどんどん楽しいことをやる。 その活動を通して自分が夢中になれるものを見つけてあげる。 まだ統計はとれていないが、夢中になれるものが見つかった子供は、自ずと学校の成績も上がるらしい。 その事を立証するために、データを取り始めるそうだ。 私は彼に、今、自分がやろうとしていることを話した。 悩んでいることも話した。 すると一言 『1秒、目をつぶれ』と言った。 そして 『何が見えた?』と聞いてきた。 わたしは 『ケニアの子供が笑っていた』と答えた。 彼は 『それがお前のやりたいことだろ、やれよ』と言った。 心が決まった気がした。 そして流れもどんどんそっちへ流れている気がする。 でも、今は地に足がついていない気もするので もう少し冷静に考えてみます。 でも、考えは変わらない気もします。 でもでも、もう少し考えます。 石橋を叩いてみて大丈夫だって分かっても、なかなか渡れない自分だったけど、今回は渡ってみたい。 するべきことが何なのか見つけたいのです。 自分の使命のようなものが見つかる気がしてならないのです。 いてもたってもいられないのです。
2007/01/27

ただいま。 すごい旅でした。 毎日が感動で、自分たちは生かされていると思えた。 見えない何かが働いてるとしか思えなかった。 見えない何かを信じざるを得ない事だらけ。 アフリカへ行って思ったことはたくさんあるけど 人間の原点、生物の原点のような気がした。 村の人たちは挨拶を大切にしていて、年配者を敬い 困ったことがあれば何でも長老に相談し、神様、ご先祖様と共に生きている。 昔。ものすごーーーーーーーく昔。 人はこんな風に神様に何でも聞いて暮らしていたのではないかと思えた。 子供達の目はキラキラしていて、ゲームやテレビが無くてもとっても楽しそうだった。 音楽があればそれでいい人たち。 伝えきれないのがもどかしいけどとにかく私はすごい経験をしてしまった。 もうケニアを・・ドゥルマ族を・・子供達の笑顔を知らなかった頃には戻れない。 昨日までの出来事を思い出しては、笑ってしまったり、切なくなったり。 とにかく今は新しい夢に向かって頑張ろうと思う。 千晶さんの言うとおり風に乗りたいと思う。 走り出したら止まらないのだ。※求む!観葉植物お世話してくださる方・・・w
2007/01/26
今日は抜管。一週間、お世話になった管ともお別れ。振り返らなくてもいいのに、この一週間を振り返り機械を愛おしく思う。このドレナージ装置を引くようになってから色んな人に声かけられるようになっておじちゃんとも話すようになったんだ。抜管の処置はあっちゅー間に終わり、痛みも不快感もなかった。またまた主治医に貧乳をさらすことになり、それだけは照れた。私の体と一体化していたドレナージはガラガラとナースに引かれて次の患者さんの為にどこかへ行ってしまった。そして私は晴れて自由。外出許可も出た。痛くて上がらなかった腕も管を抜いた途端痛くなくなった。不思議なものだ。外出許可も出たことだし、1ヶ月振りに外に出ることにした。まずはコンビニ。外はまだまだ暑い。日差しも強い。ユニクロのスウェットとTシャツ。足元はサンダル。ノーメイク。そしてマスク。仲の良い患者さん4人で出かけた。マスクの集団は傍から見ると変だっただろうな~。久々に外を歩いた。たった1ヶ月なのに、外ってこんなんだっけ??と思うほど新鮮だった。普通の家の普通の生活風景。すれ違う人。車。小学生。自分だけ全然違う世界で生きてたような感覚。約5分程でコンビニ到着。病院の売店には無い商品に目がくらんで興奮を抑えられない。夢にまで見た塩っからい食べ物たち。選べないほどの品数。コンビニでこんなに興奮するなんて自分でもおかしかった。初めてコンビニに入った人みたいにキャッキャキャッキャとはしゃぎ2000円近く使ってしまった。(買わなくていいもの多数購入)帰りは病院に向かう坂道があまりにもキツクて、やっぱり体力落ちてるんだと再確認してしまった。病室に戻ると、買ったアイス(ダッツのヘーゼルナッツ・・うめぇんだ)がいい感じに溶けていて美味しかった。管抜いたことは少し寂しかったけど、やっぱり自由っていいなー。コンビニ行けるってことがこんなに幸せだなんて思いもしなかったよ。ありがたや~ありがたや~つづく。
2006/11/06
管が入っていると行動も行動範囲も限られてしまう。管が入ってからは、毎日読書(漫画)三昧だ。食堂に、本棚があって結構たくさん本が収納されている。小説、漫画など種類も豊富。退院する患者さんが置いていきどんどん増えているようだ。そこへ足げく通い、一日中漫画を読んでいる。こんな毎日でいいのかな・・・と思いながらも他にすることもないし。仲のいいメンバーは次々と外出許可が出て、散歩と称してはコンビニやお茶に出かけている。外出とまではいかなくても、病院の中ですら自由にならない状況にイライラする。でも、ラブリー主治医のK先生が自分を気にかけてくれているのが嬉しく、K先生担当の他の患者さんより特別扱いされているようで(勘違い)嬉しい(まじ勘違い)このまま、病状が快方へ向かわなければ、先生はずっと私を気にかけてくれるのではないかとか怖い考えをしたりする。だから治らなきゃいいのに・・・とかね。病気って心まで蝕むね。みんなに優しくされても、もっともっと優しくして!もっと私を気にして!って思うんだ。そのくせ、病状をあまりにも根堀葉堀聞かれると、ほっといてよー!とも思う。勝手だよね。今の私は、K先生やナースだけが自分の味方のような気がして、被害妄想モードになっている。今日の回診で先生から『これ以上管を入れといても水はもう抜けないようなので、あさって管抜きます』と言われた。邪魔だと思っていたけど、いざ抜くと言われると寂しいものだ。先生が来てくれる回数も減るだろう。ナースも同じ。自由にはなるけど、なんか寂しいよ・・・。治っているのに罰当たりだけど・・・。16時を過ぎていつもの売店タイム。久しぶりに、あのおじちゃんに会った。ゆ『私、あさって管抜くんだって』おじちゃん『良かったなー』ちょっと立ち話をしていると、ちょっと待ってろと言い病室へ戻って行った。数分後、おじちゃんが桃を持って現れた。おじちゃん『お見舞いにもらったんだけど男は果物とか食わねーから』と言い桃をくれた。ゆ『桃だいすき!!いいの??ありがとう~!!』男の人が果物を食べないのはキライだからではなく、自分で剥くのがイヤなだけなのだ。剥いてあげると食べるんだ。今度は私が『ちょっと待ってて!』と言い、病室へ戻った。桃を洗い、皮を剥き、食べやすい大きさに切った。それをアルミホイルに包んで、おじちゃんのところへ向かった。おじちゃんに桃を渡すと、おじちゃんの顔が少し赤くなった。日に焼けて黒い肌のおじちゃんだけど照れているようだった。なんか私も照れた外の喫煙所まで行き、桃を食べた。そこに居合わせた初めて会う患者さんにも振舞った。桃はすごく甘くて、外は蝉が鳴いていて、暑くて、太陽が照っていて。久しぶりに外の空気吸って、太陽浴びて。ドレナージ引いてる私とおじちゃんが目立っていたけど、みんな何かしらの病でここにいる人で。うまく言えないけど幸せな時間だった。おじちゃんは食欲がないと言っていたが、桃を美味しい美味しいと言って食べていた。少しでもおじちゃんにとって楽しいと思える時間になったかな?充電時間に限りのある私達は、あまりゆっくりもしていられず、そそくさと部屋へ戻ったのでありました。つづく。
2006/10/21
排水を始めたら、すこぶる体調が良い。食欲もあるし、体が軽い。顔色も全然違う。ほっぺに赤みがさしてきた。ポ。肺に溜まった水が胃を圧迫し(そりゃ3リットルも溜まればね・・)食欲が無かったようだ。今は食欲はあるのだが、病院の食事に飽きが来て味の濃いものが食べたくて仕方ない。お茶漬けの素でムリヤリ食べている状態だ。退院が近くなると、外出の許可が出る。許可が出た人はここぞとばかりに近くのスーパーへ買出しに行く。今日は、外出許可が出たKくんという男子患者のコが買出しに行くという話しを聞きつけた。誰かが『刺身食いてぇなー』と言った。満場一致で今夜はお刺身パーティーをすることに決定。みんなで500円ずつ出し合ってKくんにお刺身盛りをお願いした。病院の夕飯は18時。消灯は21時。結構お腹が空くのだ。ナースの見回りが終わったあと、食堂に集合。Kくんが得意げに『じゃ~ん』と言いながらお刺身の盛り合わせを出した。『おぉ~~!!』と感動の声が沸く久々の生のお魚だ。病院食ではフルーツ以外生の食物は出ない。生野菜も出ない。私は迷わずマグロをいただいた。『おいしいーー』お醤油の味の濃さとマグロがからまってほんとに美味しかった。みんなで食べたこの日のお刺身の味を私は一生忘れないと思う。ただただ笑い、美味しいねと言い、みんなの身の上話を聞き、病人ということも忘れて楽しい時間だった。入院して、食欲が無かったり、病院食があまり美味しくなかったりするけどこうやってみんなと過ごせるから食事の時間がダイスキだ。ほんとに家族みたいな時間なんだ。お刺身が無くなり、23時の見回りが始まる前にみんな食堂を退散した。部屋に戻ると蕁麻疹が出ていた。いつもより多く出ている見回りのナースに伝えると『何か変わったもの食べた』と聞かれた。実は、薬の副作用が強くなる恐れがあるので魚はあまり食べないように言われている。気にはなっていたけど誰もクチにしないから、まぁいっかーと思っていたんだけど・・ナースに正直にお刺身を食べた事実を伝えるべきか迷いに迷って『お刺身を・・・・』と答えざるを得ない状況になり、お刺身パーティーのメンバーみんなが叱られることになったのでした・・・アーメン。つづく。
2006/10/18

肺に溜まった胸水を排水する為に、管が挿入されどこに行くにもドレナージ装置を引いて歩くことになった。トイレもお風呂も一緒に移動。これを引いてると、やはり目立つようで患者さんから声がかかる。患者『気胸か??』ゆ『水を抜いてるんです~』充電は20分~30分しか持たないのに長話されると結構あせるこの装置を転がしながら売店へ行くと、同じ装置を転がしてるおじちゃんと目が合った。どちらともなく会釈をし、歩み寄る。おじちゃん『なんでつけてるんだい?水か?』ゆ『そうなんです~3リットル位抜けたんですよ~』おじちゃん『なんで水が溜まったんだい?』ゆ『私、結核なんです。結核性の胸膜炎で水溜まったんですよ~。隔離されてるし最悪です』※ゆきじマスク装着してます。おじちゃん『結核か~。大変だったな~。でも治る病気だからいいな~。』ゆ『そちらはどうして水が溜まってるんですか??』おじちゃん『俺はぁ~癌なんだよ~。肺癌で水溜まったんだ~。まいるよな~。』ゆ『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』おじちゃん『俺の部屋から結核病棟がよく見えるんだけど、治る病気だからそっちの病棟の人がうらやましいと思ってんだ~。』ゆ『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』おじちゃん『まぁ、ガンバレや!』正直、何を言ったらいいか分からず、変な愛想笑いをするだけで精一杯だった。”自分は大変な思いをしている、こんな装置が体に入ってんだよ、どう?大変そうでしょ?”みんながジロジロ見るたびにこう思っていた。隔離されていることも、水を抜いていることも”私、可哀想でしょ?”とまるで悲劇のヒロインだった。でも、私は、おじちゃんの言うとおり治る病気だ。病室に戻るとすぐカーテンを引いて、布団をかぶって声を殺して泣いた。おじさんの白髪と、手に持ったテレホンカード、笑ったときの歯が無い顔が頭から離れず、自分の甘さが恥ずかしくて涙が止まらなかった。『おじちゃんだって治るよ』とは言えなかった。『おじちゃんもガンバってね』とも言えなかった。装置を充電させるのも忘れて、シクシクと泣いた。おじちゃんとは翌日も売店で会った。リンゴのジュースを買ってくれて『少し座ろうや』と言った。ゆ『私、結核だし、あまり一緒に居ないほうがいいですよ。』おじちゃん『どうってことねーよ。ままま、座れ。』おじちゃんとソファーに座り、ドレナージ装置を並べた。私とおじちゃんの胸水が並ぶ。同じ胸水なのに、病気は違うんだなー・・・。おじちゃんは先月奥さんを亡くしたばかりだと話し始めた。おじちゃんは数ヶ月前から体調が悪く、変な咳が出て、体重も減少していたと言う。奥さんがくも膜下出血で病院に運ばれ入院したときに、娘さんが体調の悪そうな父親を心配し、その病院で健康診断を申し込んでくれ、検査したところ癌が見つかったのだと言う。そして、気の毒なことに奥さんは一週間後に息を引き取り、初七日が済むと同時におじちゃんが入院したと淡々と話した。『あっけないもんだよなー・・・』昨日会ったばかりの見ず知らずの私にこんな事まで話すなんて・・・。寂しかったのだろうか・・・。誰かに聞いて欲しかったのだろうか・・・。病気は違えど、同じドレナージ装置を引きながら歩いている私に親近感を覚えたのだろうか・・・。どうか、おじちゃんのこの先の人生、楽しいことばかりでありますようにとおこがましいけれど願わずにいられなかった。つづく。
2006/10/07
肺に胸水が溜まった理由は、合併症で結核性胸膜炎を併発したため。無事、管が入りどんどん胸水は排水されている。痛み止めは4時間おきに一日5錠まで服用可と言われた。痛み止めを飲んだばかりなのに傷口がズキンズキンと痛み、姿勢を変えることが出来ない。座ったまま動けずにボーッとしていると主治医が様子を見に来た。主『どう?痛くない?』ゆ『痛いです・・・』主『どこが痛い?』ゆ『どこが痛いか分からないくらいに色んなところが痛いです』主『体に管入ってるんだもんなー。痛いよなー。でも痛いからと言って抜く訳にはいかないから頑張ってもらうしかないなー。』ゆ『はぃ・・・』何と説明したら良いか分からないんだけど、この処置をしたことで、私と先生の間に見えない何かが生まれた気がした。信頼関係・・・と言うか、絆と言うか・・・。恋心と言うか・・・私が先生を信頼し、全てお任せしようと言うキモチになったことが大きいのかもしれないが。先生を見る目が180度変わってしまった。動くと痛いので(動かなくても痛いんだけど)横になった。携帯でメールを打つのも一苦労。リモコンを持つのも一苦労。さっきまで何気なく行っていた作業が簡単に出来ない。姿勢ひとつ変えるのも時間がかかり痛みが伴う。たった1センチ程度切っただけでこんなにツライなんて・・・。帝王切開で出産した友人と、去年癌の手術をした母の顔が浮かぶ。どんなに痛くて苦痛だっただろう・・・。想像がつかない。それを思うとコレくらいで痛いと言ってられないな・・。母が手術のあと、寝返りが打てずにツライようで、タオルを丸めて背中を浮かせてあげるとラクだと言い、夜中に何度もタオルの位置を替えてくれと頼まれたのを思い出した。真似をして背中にタオルを丸めて入れた。確かにラクだ・・・。母もこんなキモチだったんだな~・・。傷口が痛くてたまらないが、まだ4時間経過していないので痛み止めを飲むことが出来ない。管の一番先っぽは腰の辺りまで来ている。腰骨の辺りにポコッと管の先があるのが見て分かる。体内の管が肺壁にぶつかり、それが激痛で体がエビ反る。これが一番ツライ。傷口には何枚も重ねたガーゼが当てられている。その上に手を当てると不思議と痛みが和らいでいく気がした。ラブリー主治医が当ててくれたガーゼが、まるでラブリー主治医の手のような錯覚に陥り、傷口にラブリー主治医が手を当ててくれているという妄想を抱きつつ浅い眠りへと導かれていったのでありました。つづく。
2006/10/04

昨日、体調不良を訴えたので今日はレントゲンです。いつもは夕方からなんだけど、午前中に呼ばれ写真を撮った。ベッドに戻り横になったり、同室の人たちと話したりくつろいでいた。すると主治医がレントゲン写真をピラピラとさせながら現れた。主『水が増えてたよ。今から管を入れて水を抜きます。』ゆ『えええ!今から??』主『そう今から。ここで私が処置しますから。』レントゲン写真を見ると、左肺が全て真っ白だ。一週間前に写真を撮った時は肺の下の方が白い程度だったのに。排水をしなければ危険だというのは素人の私にも明らかだ。覚悟は決まった。ゆ『管が入ってる間、入浴は出来ますか?』主『しばらく出来ないと思います。』ゆ『処置をせめてシャワー浴びてからにしてもらえませんか?』と交渉。主『そうだね。じゃあ、さっぱりしてからにしようか。』はぁ・・・・・怖い・・・・・。この年まで体にメスを入れたことのない私。こぇ~よ~。しかもあの水の量。半端じゃね~よ~。シャワーを手早く済ませ、部屋に戻る。上半身裸になり横になるよう、主治医から指示される。医者とは言え、乳を見られるのはこっぱずかしい・・・服を脱いで横になる。『こいつ、胸ちっちぇ~な~とか思ってんのかな・・・』と勝手に主治医に対して被害妄想なゆきじ。超音波装置で管を入れる場所を確認するため、左胸の横あたりをニュルニュルと触れられる。決してキモチいー訳じゃないけど、くすぐったくて何とも言えない感覚。この時点で私は主治医に対して心を開いておらず、むしろ敵対意識を持っていた。なのに、こいつの前で乳をあらわにし、こいつに乳の辺りをニュルニュルとされているのだ。恥ずかしくて消えてしまいたい・・・。管を入れる場所にペンで印を付けられる。なが~い針の注射器で麻酔を打たれる。奥のほうに痛みを感じる。いよいよ始まる・・・。少し切られたのが分かった。軽く痛みが走る。主『今の分かった?』ゆ『分かりました』主『じゃあ、これは?』と言ったのと同時に激痛が走った。深く切ったようだ。ゆ『いーーーーーたーーーーーーーいーーーーーーー』主『ごめん、ごめん。もう1本麻酔追加するから。』感覚残ってるのに深く切るなよ~ゆ『先生、ひどいっ(泣)』主『ごめん、ごめんっ。』あとは、なんか体の中に何かがグリグリと進入して来る感覚先生が何かをエイッエイッと押し込む感覚で吐き気がしてきて『う~う~』と唸っておりました。主『管入ったよ』ゆ『はぃ・・・・オェ・・・』すると、ジャバジャバと物凄い勢いで水が私の体内から流れ出した。準備されていた容器がすぐ一杯になり、交換された。主治医が嬉しそうに『こんなに出てきたよ』と容器を見せてくれた。既に2リットルくらい排水されたようだ。主『多分、3リットルくらい抜けると思うよ』ゆ『そんなに~?』・・・なるほど。だからご飯食べていないのに3キロも太ったのか・・・。管は最低でも1週間以上入れることになるらしい。その間、移動する時はドレナージ装置を引いて歩くことになる。不便だけど仕方ない。さっきまで主治医に対して敵意まで持っていた私だったが、一緒に大仕事を成し遂げ同士になった気分でいっぱいだ。むしろ、ゆきじ的には胸まで見せちゃって、触れられちゃってもう他人ではない感覚。何だか、関係を持ってしまったようなキモチにさえなっている。って言うか・・・惚れた?先生×生徒上司×部下医者×患者 ありがちです。多分、私、惚れたかったんだと思うんです。惚れるきっかけを探してた・・・みたいな。無愛想で淡々と話すこの主治医に惚れたかったんです。それが、体を切られた瞬間・・・・・・・・・『好き・・・』ってなっちゃったんです(ハードMですから)。バージン捧げた気分とでも言うのかな~・・・。全てあずけたような気分・・・。とりあえず処置は成功し、この後、激痛に苦しむことになるのです。つづく。
2006/09/30
体調が悪すぎる。階段を普通に昇り降りしただけで息が切れる。午前中は体がしんどくて常に横になっている。横になっていても胸が苦しい。話をしてても息が苦しくて、笑うのも一苦労。とにかく咳が出る。食欲が無い。主治医のK先生に訴えてみる。ゆ『明らかに体調が変ですぅ・・・苦しいんです・・コホッコホッ』主『うーーん・・・。水が増えてるのかな~。』ゆ『歩くとすぐ息が切れて死にそうです。咳も止まらないし・・・』主『水が増えてるかもしれないから明日レントゲン入れとくね。』ゆ『も~し水を抜くとなったらどれ位切るんですか?』主『1センチくらいです。』よかった~・・・・゚・(ノД`)・゚・管を入れるのは怖いけど1センチ位なら安心。医者ではないし、根拠はないんだけど、多分水を抜くことになるだろうと思う。だって、この体調の悪さ・・・。明らかにおかしいもん。他に理由があるなら、そっちの方が不安。まぁ、明日レントゲンを撮れば分かることだけど。管を入れる覚悟はしておこう。つづく。
2006/09/30
入院して、服用が始まり、菌はどんどん弱っているはずなのに体調が良くない。入院当初に比べて咳がひどくなっている体がとても重く、食欲が全くない。食事の時間がとても苦痛だ。食べたくないけど、体の為に食べなければ・・・。給食を食べれない小学生のように時間をかけて食事をする。ヨーグルト1個の間食さえ、お腹が膨れてご飯が入らなくなるので控えてしまう。なのに、体重は増えていた。3キロも・・・。いくら運動不足とは言え、なんで太るんだろう私とは正反対に、同室のAさんは過食気味だ。3度の食事はもちろん完食。病室にいるときは何かしら食べている。アイス、スナック菓子、ケーキ、お饅頭・・・。消灯が過ぎてもカップラーメンを食べたりしている。『食べても食べてもお腹が空くのよね~』とAさん。食事のときは元々の味が分からない程に、何にでもマヨネーズをかける。夜は眠れないので睡眠薬をもらっている。突然機嫌が悪くなって空き缶を壁に投げつけたりと精神状態も不安定なのだ。夜、眠れず屋上へ行くとAさんがいた。ゆ『眠れないの?』A『そうなの・・・。ちょっと聞いてくれる?』ゆ『聞く聞く~』A『彼氏と連絡取れないんだよね~。電話もメールも返事がないの。やっぱ浮気してるよね。』Aさんはいわゆる業界でお仕事していて、彼氏も同じ業界の人なのだが今まで付き合って来たコはモデルとか、モデル並に可愛いコばかりなので心配だと言う。Aさんだって凄く美しい。でも、すぐ太る体質なので食事は気をつけているそうだ。今の彼氏は細い人が好きなので、食べないようにしていたら結核になってしまったとの事。入院当時の彼女は168センチで43キロ。今は50キロ近くまで体重が増えたらしい。それでも細すぎるくらいなのに『こんなに太っちゃったし、こんな病気だし、もう嫌われたんだ・・』と言う。Aさんは付き合っている人の素顔を見せたことがなく、お泊り対策の為にアイラインと眉毛のアートメイクを施している。まつ毛もエクステでばっちりだ。すっぴんを見せるのは死んでもイヤなのだそう。私は付き合っている人にはどんどん素の自分を見せてしまう。相手にもそうして欲しい。まぁ、それは置いといたとしても連絡がつかないのはやはり不安だ。入院中の身では、連絡がつかないからと言って家まで様子を見に行くことも出来ない。待つことしか出来ないもんなー。そりゃあ、過食にも不眠にもなるよなー。そして時間を忘れ、会った事もない他人の彼氏をあーでもないこーでもないと批評をしていると見回りのナースに見つかり部屋へ連れ戻されました。『修学旅行みたいだね』(笑)布団に入っても、Aさんのこととステキくんのことが頭に浮かんできて眠れない夜を過ごしたのでした。もちろんAさんも・・・。いくつになっても恋する乙女なんです・・・つづく。
2006/09/30
今日で入院2週。検査は2週間毎に行われる。朝、6:30。まだ寝ている私のところへナースがやってきて『血圧と採血しま~す』と腕に器具を取り付ける。寝ている間に色々勝手にやってってくれるので楽チンだ『朝一のお小水と朝食前に体重測定と痰採っておいてね~』と言い残し去って行った。痰の検査は大事なので痰が出ないと大変だ。どうしても出ない場合は鼻から管を入れられ吸引となる。それだけは避けたいので必死に痰を出す努力をする。毎朝、トイレからは男性患者が『カ~ッカ~ッ』と痰を絞り出す音が聞こえてくる。さすがに女子はそうもいかないので静かに『コンコンッ』と咳をして痰を誘導する。痰なのか唾液なのか分からないようなものを容器にいれ検査物入れへ置いて完了。この唾液のような痰から菌の数を見るのだ。2回連続ゼロになれば退院となる。しかし検査は2週間に1回なので2回連続と言っても結果が出るまでには4週間かかる。結核菌は分裂が遅く、検査結果が分かるまでに時間がかかる。結核の入院期間が長いのにはそういう理由もあるのだ。夕方、レントゲン検査に呼ばれる。咳は出るが、副作用も出ないし順調に回復しているだろう。早ければ1ヶ月くらいで退院かな?と勝手に妄想していた。17時頃、主治医が来た。K先生だ。主『ちょっと肝臓の値が悪くなってるね。あと、肺に水が溜まって来てます。』ゆ『ええええ』主『肝臓の値がこれ以上悪くなれば薬は一時止めます。肺の水はもっと増えるようだと管を入れて抜かないとだめだね。』ゆ『水が増えなければ抜かずにそのままですか?』主『そうです。自然に吸収されるか固まってしまいます。』ゆ『固まると肺はどうなるんですか~』主『心肺機能は落ちます。でも肺は片方あれば生きれるので大丈夫です。どっちみち病気する前のような状態には戻りません。確実に心肺機能は低下します。』ゆ『( ; ゚Д゚)・・・』簡単に言うなよ~。水が溜まってるなんてビックリだよ~・・・。主『他に何かありますか?』ゆ『いえ・・・』主『じゃ』と足早に去ってしまった。主治医は色んな時間にやって来て風のように去ってしまう。聞きたいことは常にメモっておくかまとめておかないと。・・・にしても、もっと愛想良くならないのかよ~。淡々と話しやがって・・・。肺はひとつあれば間に合うと言われても・・・。前のような体には戻らないと言われても・・・。こないだまで子供たちと一緒に走り回ってたのに~酸素ボンベを引いている自分が頭に浮かぶ。左肺には空洞が出来ている。更に水まで溜まってしまった。先生もっと優しくしてよ~~と甘えたいお年頃のゆきじ3○才なのでした・・・。つづく。
2006/09/29
ボランティア活動で、私が行っていた業務を代わりにやってくれているSちゃんがお見舞いに来てくれた。みんな心配してくれていることや、みんな元気だから絶対感染してないよ!というようなことを話してくれた。そんで帰り際に手紙と本をくれたSちゃんが帰ってから手紙を読むと自分がゆきじの代行をするようになって初めてゆきじの苦労が分かった・・・というような私への感謝の手紙だった。ボランティア活動とは当たり前だけど一切が無償であり、全て奉仕だ。みんな仕事や学校があり、忙しい中活動に時間をあてている。自分の時間を削って、クタクタになりながらも頑張れるのは同じ志を持った仲間がいること、なにより喜んでくれる人がいることだ。”ありがとう”と言われたらそれだけで疲れが吹っ飛ぶ。Sちゃんの手紙を読んで、私のやってきたことは無駄ではなかったんだと思うことが出来た。ステキくんがいるから頑張ってるのか、心から人の役に立ちたいのか、ただの自己満足なのか・・入院してから活動に対して考えてしまう。どこかで、こんな病気になったのは活動のせいだと思う自分がいる。自分はただの偽善者なのではないか・・・・。自分にとって活動とは何なのか分からなくなってきた。Sちゃんへお礼のメールを送るゆ『ありがとう。あまり頑張り過ぎんなよー。』S『お互い、うん○もらすようになるまで頑張ろうよ。』人間、うん○もらす位がちょうどいいのかもねつづく。
2006/09/28
毎日天気が良いので毎日洗濯。洗濯は1回200円なんだけど、実は私、洗濯病なのです。使用済みの下着とか置いておくのが我慢出来ないの。でも、ここ数ヶ月は忙しくて週末にまとめて洗濯してた。しかも夜。久々に昼間洗濯をして天気のええ外に干すのがかなり気持ちええそれだけでストレス発散になる。にんまり。ゆっくりシャワー浴びて(シャワーは毎日OK)ゆっくり洗濯をする。入院して良かったと思う瞬間だ午前中は薬が強いせいか、だるくて動けない。横になって寝たり起きたり、TV見たりしているうちに昼になる。動かないからお腹空かないんだよね~。薬は全部で4種類。+副作用を抑えるためのビタミン剤が2種類。朝から食前に粉薬と錠剤、カプセルを12粒も飲むのです。一気飲みです。尿がオレンジ色になるのよ。始めは驚いたけどすっかり慣れました。結核の薬は副作用が強く、飲み始めて2週間くらいにはほとんどの人が何かしらの症状を訴えるらしい。私は今のところ異常なし。出てると言えば倦怠感くらいかな~。まぁ入院中だし問題ない。同室の人は首から下にかけて赤く湿疹が出ている為、一時的に薬ストップ。投薬が治療のメインなので、薬が飲めないと厄介なのです。入院が長引いたり、薬が効かなくなり菌が耐性菌になってしまう原因になるらしい。実際、薬を飲むと吐いたり、高熱が出てしまい服薬出来ず5ヶ月くらい入院している人もいる。薬を飲む以外治療の術がないこの病気。肝臓にかなり負担がかかる。私の肝臓頑張れ毎朝、ナースがトイレの回数を聞きにくる。ナ『お小水は何回ですか~?』ゆ『6~7回です』ナ『お通じは?』ゆ『2回です』ナ『すご~い』申し訳ないけど、テキトー。尿の回数なんて数えてないし、お通じも毎日2回と言っているwたまに3回と言うと逆に心配されるんだけど。ナースの反応が面白くてつい出なくても2回と言ってしまうま、呼吸器の入院なのでね。いーーーんだよ(志村風)。ステキくんは大事な試験が近いのでせっかくの土曜ですがお見舞いは来ない。試験が終わるまで来ない。でも、もしかして来てくれるかもなんて淡い期待抱いたけどやっぱり来ませんでした。しばらく会えないと思うと寂しくて悲しくなります同室のAさんは付き合い始めて3ヶ月の彼氏が浮気するんじゃないかと気が気ではないそうだ。Aさんは入院して1ヶ月になるが、彼氏は一度もお見舞いに来ないそう。そんなAさんと恋バナに花を咲かせながら土曜の夜は更けていくのでしたつづく。
2006/09/27
お天気が続くと思っていたら梅雨が明けたっぽい。ここの病院は木に囲まれているから朝からセミの声がすごい。音だけ聞いてると夏だが、外には出られないし、病棟は空調と温度が管理されているから常に涼しく(て言うか寒い)窓も開けられない。涼しいところで自分だけ静養。まるで避暑地。何だかみんなに申し訳ないなー。でも、無いものねだりで、どんなに暑くてもいいから外の空気を吸って太陽浴びて、汗かきたい気分な私なのです。一日の生活は6:00 起床時間 一度起こされるがまた寝る6:30 トイレの回数と体調をナースが聞きにくる また寝る7:30 朝食10:00 検温 12:00 昼食18:00 夕食19:00 検温21:00 消灯 本読んだり、TV観たりで寝ない1:00 やっと就寝消灯のあとは、2時間おきにナースが見回りに来る。そのたびに『早く寝なさーい』と注意されるが、そんなやりとりもまた嬉しい(?)。ここの病棟はみんな同じ病気だし、治る病気なので、患者もナースも結構明るい。年代はバラバラだが、隔離されているということを除けば合宿や寮生活のような感じだ。午後、女性の保健士さんがやって来た。いつ頃から咳や微熱といった症状が出ていたか、普段の生活パターン、行動範囲など結構細かく聞かれた。あとは、よく接触していた人の確認。私の場合、ボランティア活動のことがあったので検査の範囲は広がる。会社と活動でかなりの人数になりそうだ。覚悟はしていたが、自分のせいでこんなことになるなんてほんとツライ。だって、もし発病していたら長期入院で、感染だけだとしても薬を服用することになる。薬の量は多いし、副作用も強いし・・・。会社の上司は『あなたも被害者なんだし、もし誰かが感染していたとしてもそれは不可抗力なんだから気にすることはない。ゆっくり療養しなさい。』と言ってくれた。でも今は何を言われても後ろ向きの考えしか出来ず、ゆっくり療養しなさいと言われても二次感染のことが頭から離れずどうにかなりそうだ。自分のことなのに、何もかも放り投げて現実逃避してしまいたい。現実逃避するには隔離病棟というのは実に都合がいいと思った。結核予防法第35条というのが適用になるため、私の治療費のほとんどが公費から支払われるらしい。結構な入院費用になると思っていたので助かった。涼しい避暑地で、静養しながら、勝手に食事は出てきて、お金はかからない。・・・・・・・・・・・・・贅沢病と言われる所以だな・・・。接触者検診のことは保健士さんと、会社の担当者に一切お任せし、あとは結果を待つだけだ。そう簡単に感染しないと何度も言われたし、それを信じて暗くならずに待つことに決めた。今は、神様がくれたバケーションだと思ってのんびりしようつづく。
2006/09/26
入院してみて、同じ患者さんと話すようになるとこの病気のことがだんだん分かってくる。気が楽になったり、逆に重くなったり。男性は結構、吐血をして病院へ来た人が多いみたい。女性で吐血した人は聞かない。よく昔のドラマや映画で咳をして血を吐いているシーンがあるがまさにアレだそうだ笑えるのが、入院している人がみーーーんな細いこと。自分がプクプクに見える。何人か外国人もいる。入院生活にも慣れてきて、話せる人も増えて、色んな人がいてちょっと楽しくなってきたぞ~同室のAさんのお母さんがお見舞いにやって来た。お父さんも来ているのだが、うつったら嫌なので病室までは来ないのだそうだ。お母さんはケーキやら惣菜やらを持ってきていた。Aさんが『こんなに食べきれないから少し持って帰ってよ』と言うとお母さんは『嫌よ。この部屋に入ったものを家に持ち帰るなんて~。食べないなら捨てなさい。』と言った。理由をつけて置いて帰るのは母心だろうと思って見ていたが、お母さんはAさんに少し触れただけで手を消毒している。帰り際には、自分の服までも消毒液をかけていた。触っただけでは感染しない。結核患者が使用した食器や布団からだって感染しない。でも、誤った知識の人が非常に多いというのが現実だ。やはり、年配の人たちにはあまりいい印象はないようだ。Aさんは『うちの親、しょうがないのよ~』と笑っていたけど自分に触れた手を、目の前で消毒されてどんなキモチだろう。同じ病気の者として切なくなる。明日は住んでいる自治体の保健士さんが病院へ来る。感染源の特定と、二次感染を防ぐために接触者の調査に来るのだ。事情聴取みたいなものもやるそうだ。どこで感染したかなんて分かんないよ・・・・・つづく。
2006/09/25
スーツケースと旅行用のでっかいバッグに荷物を詰め込みヨタヨタと駅前まで歩く。今日からしばらく帰って来れない。でも実感ないな。ちょうど今日は燃えるゴミの日だったので生ゴミは出せた。燃えないゴミは大家さんに頼んで置かせてもらった。7月も終わりに近いのにまだ梅雨は明けない。湿気が多く、どんより曇っている。タクシーに乗り込み行き先を告げる。電車だと30分くらいかかるのだが、車だと15分くらいで病院へ着いた。受付を済ませると、病棟のナースが迎えに来てくれた。この病院は結核の隔離病棟があるので、そこへ入院となる。診察室へ通され婦長が来た。今から、入院検査一式をしますとのこと。身長、体重、血圧、血液検査、尿検査。心電図、レントゲンは外来が終了したあと夕方から行われるらしい。隔離患者の為、制限が多いのだ。いくつか書類も書かされた。入院中の注意事項やこの病気について婦長さんが色々話してくれる。婦『結構、ムリしてた?この病気はね普通はあまり発病しないのよ。』ゆ『ムリしてたと言えばしてましたけど・・・。』婦『多分、精神力だけで頑張ってたと思うけど、体力は相当落ちてるはず。今日からは食べることと、療養が仕事。何にも考えないでゆっくり過ごしてね。食事制限は一切ありません。いくら食べても肺を治すほうに栄養がとられちゃうから、何でも食べてね。』今日から何にも考えなくていいんだ・・・・・。ゆっくりしていいんだ・・・・・・。置いてきた仕事や活動が気になるはずなのに、心とは裏腹に解放された気分。何もしないでゆっくりできる・・・。検査が一通り済むと部屋へ案内された。4人部屋だそうだ。部屋へ入ると同年代の女性が2人いた。2人ともめちゃめちゃ細くて、かわいくてモデルみたいだ。少し照れながら挨拶を交わした。一人は34歳のAさん。広告の仕事をしているモデルのように美しい方。168センチで43キロだそうだ。やせすぎ・・・。もう一人は27歳のOさん。色が透き通るように白くて細くて守ってあげたい感じ。老人しかいないと思っていたのでちょっとびっくりした。結構、若い人多いよとAさんが教えてくれた。話しやすい人たちで良かったぁ部屋もきれいで新しい。昼食の時間。買いに行ったり、作らなくてもご飯が食べられるなんてありがたい。病人食なので薄味で素っ気無いけど、栄養バランスが考えられてるのだから残さず食べた。ご飯を残さず食べることが仕事なんだから・・・。着替えて、荷物を整理する。スーツケースを開けると自分の部屋のニオイがした。少し切なくなったけど、同室の人たちも同じだし頑張ろうと一気に片付け、ベッドに横になった。ここ数日の疲れが一気に出て熟睡。夕方近く、心電図とレントゲン検査の為起こされた。検査が終わり、部屋に戻ると主治医という男の先生が来た。外来で診てくれたドクターとは違っていた。私の予想・・・30代後半、独身。主『私が主治医のKです。今日から入院ですが何か質問ありますか?』ゆ『早く退院したいです。』主『それはムリです。他には?』ゆ『いえ、特に。』『じゃ。』と言うと主治医は足早に去って行った。なんだよ~・・・愛想悪いな~・・・”白い巨塔”の財前先生や里見先生みたいな主治医を想像していたのに・・・。まぁ、でも、病室から見える景色もなかなかいいし、今日からゆっくり出来るということに実際ホッとしている。私、疲れてたんだ・・・。つづく。
2006/09/24
入院を明日に控え、ここ数ヶ月の自分を振り返る。いつ、どこで、誰から菌をもらったのか・・・。考えても分からない。ネットで『結核』について調べた。咳やくしゃみで飛んだ菌を吸い込むと感染。感染しても発病するのは10人に1人の割合。・乳幼児期、思春期(15~29歳)、老年期にある人(思春期は一般的には病気への抵抗力が強いがなぜか結核には弱い)・不規則な生活をしている人・栄養状態が悪い人(偏食やダイエットをしている人)・ストレスの多い人・たばこをたくさん吸う人・糖尿病、塵肺の患者、人工透析を受けている人、大手術を受けた人・副腎皮質ホルモン剤(ステロイド剤)、抗がん剤を使用している人・エイズやHIV感染者・麻薬やアルコール中毒の人・細長型の体格の人が、発病しやすいと書いてある。ドクター曰く、病巣の状態、症状から推測されるのは今年の3月頃発病、感染したのは昨年の末頃では?とのことだった。不特定多数の人と接していたこの一年。どこで感染してもおかしくない。私くらいの年代で発病するのは「栄養不足、睡眠不足、ストレス」が一番の原因だそうだ。全部思い当たる。でも、自分はもっとたくましいと思っていた。健康だけが取り柄のはずだった。最近は夜中に発作のようなものが度々あった。背中の痛みで目が覚め、咳が止まらなくなる。咳が出ると、肺のあたりを何かで刺されている様に激痛が走る。息が出来ない。このまま死ぬんじゃないかと思うこともあった。左肺上方に約5センチ程の空洞が出来ていて、下の方にも病巣があった。痛む場所と一致する。原因が分からず、もしかして『癌・・』と疑ってみたり。原因が分かった今、少しホッとしている。ただ・・・・・誰にもうつしていませんように・・・。それだけが願い。ふと友達のHPをのぞいた。なんと、友達は出産の最中にも関わらずHPを更新していた。色んな事情で帝王切開になり、HPには『いたいよ~』と生々しい一言が書かれていた。「何もしてあげられないけど、頑張れ~」そう思いながらBBSへ自分が明日から入院する報告と、赤ちゃん誕生のお祝いコメントを残した。すると・・・・携帯へ彼女からメールが・・・。『大丈夫かよぅ。何がどうなってるかわからないけど頑張れ!頑張れ!おいらも頑張る。残りのパワーで申し訳ないが~全部送っぞ!はっ、送っぞ!いだだだだぁ(マジ泣)頑張れ!頑張れ!』出産という人生で一番と言っても過言ではない大仕事中に、その大事な大事なパワーを私に送ると彼女は言う・・・。彼女のことだから、建前とかではない。きっと本当にそう思ってくれたに違いない。彼女はそういうやつなんだ・・・。『もう~出産中にメールなんか送ってきてばっかじゃないの~?しかも残りのパワーを私なんかに送らなくていいよ~・・・』当然号泣彼女の励ましに感謝しつつ、彼女のベイビーが誕生した喜びをかみ締めつつ、枕を濡らし、早めに就寝。明日からいよいよ入院です。つづく。
2006/09/24
とりあえず、いくら泣いても入院は決まった訳だし準備です。入院は初めてだけど、去年おかんが入院してたので入院に必要なものややっておくことは何となく分かっている。足りないものを買いに行く。道行く人がわたしのマスクをジロジロ見る。触れただけでは感染しないのだが、うつしてしまう気がしてすっごい端を歩いた。歯ブラシ、S字フック(以外と使える)、洗剤、箸&箸箱を買った。夜、ステキくんから電話が来た。暇つぶしの本を今から持ってきてくれるとのこと。来るなと言ったが、どうしても来るときかないので来てもらうことに。部屋にはうじゃうじゃ菌がいそうなので、部屋の外で会った。ステキくんは難しい本を10冊くらいえっちらおっちら持ってきてくれた。添加物、狂牛病関連の本、世界情勢関連、戦争の本・・・などなど。さすがステキくん。漫画はないのね・・・。ゆ『重かったでしょう~ありがとう』ス『本はいくらあってもいいでしょ?』ゆ『頑張って読んで賢くなるよ!!』ス『読みやすいのを選んで持ってきたからね!』ゆ『・・・』うーーん。漫画がスキな私。国立大法学部卒の彼。価値観の差に、たまに悩む・・・
2006/09/23
軽い栄養失調と言われボーゼンとしているとドクターは続けてこう言った。ド『レントゲン写真と症状から疑われるのは・・・結核です』ゆ『はぁ・・・結核??』ド『でもまだ痰から菌の結果が出て無いから、ツベルクリンで反応を見ますから』ゆ『はぃ・・・』ドキドキ・・・結核ってどんな病気?昔の人がたくさん死んだんだっけ?するとナース入場。ナ『結果出ました!陽性です!』ド『あ~!出ましたか!やっぱり結核です。あなた入院だから。』ゆ『へ???ぬーいん??えーーーーー!!どれ位?』ド『2~3ヶ月だろうね~。』ゆ『えーーーーーーーーーーー!!ムリ!!絶対ムリです!!イヤです!!』ド『あんた!昔だったら死ぬ病気だよ!保健所が来たりして大変だけど今は治るんだから頑張ろう』ゆ『保健所??ど、ど、どうなるんですか??私』ド『よく接触してた人や会社の人たちにも検査してもらうことになる。』ゆ『・・・・・・・・・・』ド『猶予与えてあさってから入院。でも今から人には会わないで家でじっと過ごすように』ゆ『さっきまで一緒にいた人もいるし・・・明日も予定があるんですけど・・・』ド『とにかく今から人に会っちゃだめ。止むを得ず外出するときはこのマスクを必ず着用のこと』ゆ『・・・・・・・・・・』ド『隔離病棟で不便だけど休養と思ってじっくり治療しなさい』とにかく大変なことになったと思った。さっきまで一緒にいた子達、友人、いつも顔を合わせてる活動の仲間、職場の人・・・。自分だけが苦しいなら我慢すればいいだけなのに、何でよりによってこんな・・・。わんわん泣きたい気分でいっぱいだったけど、一応オトナだしグッとこらえた。ナースが入院について説明を始めた。全然頭に入らない。とにかく書いてあるとーりにして、あさってから入院すればいいんでしょ?ナ『あと、食事の希望ありますか?細かく選べますけど』ゆ『・・・・・そんなこと考えるよゆーありません・・・』かなり低い声。ナ『ですよね?ゆっくり家で考えてきてください~』ゆ『・・・』放心状態のまま会計を済ませ外に出た。どうしたらいいか分からなくてとりあえずステキくんに電話。ス『もしもーし』ゆ『ズ、ズデギく~ん・・・。』号泣かくかくしかじか 診察の結果を報告。ステキくんと話していたら大分落ち着いた。ゆ『ステキくんにうつってるかも~。』ス『だいじょーぶ、僕の体は。心配すんなーー』とにかく、もう会えないことを伝え、活動のことなどこれからのことを話し合った。そして会社や友人、とにかく思いつく人たちへ連絡した。迷惑かけますと・・・。みんな驚き、大変だねと同情された。『隔離病棟ってセカチューみたいにビニールに入るの??』入らないよ・・・多分。中には『えー!!うつってたらどうなんの??死ぬ??』と言ったやつも・・・。こっちは病気なんだぞ!熱もあるし、体もだるいし、具合悪いのにこれから入院準備だぞ!あほーーーー!!これから誰にも会えない・・・。体のしんどさと、自分はばい菌なんだという事実、ただただ不安で泣くしかありませんでした。つづく。
2006/09/22
今日は病院だけど、朝7時からボランティア活動の一環で渋谷の清掃へ参加した。朝から蒸し暑かった。梅雨が長い。私は歯医者以外ほとんど医者にはかかった事がない。薬も飲まない主義だし、健康だけが取り柄で親に感謝している。でも今回だけは自覚症状もあるし(胸痛など)もしかして・・・・・・・。肺の影の正体って・・・・・・・清掃が終わり、ステキくんと大学生の女の子と3人で軽くお茶をしてから病院へ向かった10時位に呼吸器内科の受付が済む。産業医からの紹介状を渡し、イスに座る。しかし眠い・・・。熱を測ってくださいと体温計を渡される。38度。間もなくナースがマスクを持ってきて着用するように指示される。咳が出ると言ったからかな?と思いつつ着用する。すると、すぐまたナースがやって来て「こっちのマスクに替えてください」と見た事も無いマスクを渡された。「着け方分かんないよ~」と思いつつまたまた素直に着用。しかし分厚いマスクだな~・・・。変な臭いするし息が苦しいし、ゴムがきつくて顔も痛い。暑いよ・・。そして「痰の検査をしますので別の場所へ行きましょう」と案内されたのは外来から遠く離れた病棟。誰も居ない診察室でスチームのようなものを口から吸い込み痰を出して欲しいとのこと。ゆ『痰出ないですよーー』ナ『頑張って!誰も居ないから思いっきりカァ~~ッってやっていいわよ』と言い残しナースは去った。急に痰なんて出ないよ~でも言うとおりスチームを吸ってると吐き気がしてきて、むせて咳が出てきた。喉の奥に痰らしきものを感知したので思い切ってカァ~~ッカァ~~ッとやってると出てきた。痰のお出ましだ。急いで渡されたケースへペッと吐いた。 (゚Д゚)≡゚д゚)、カァー ペッ!!痰の検査して何が分かるんだろ~・・・。ナースへ痰を渡すと『呼びに来るまでここにいてね』と言い残しまた去って行った。遠く離れた診察室で、変な分厚い臭いマスクさせられて、一人ぼっち。「ウィルス性の肺炎かもしれないな・・・」なんて考えながらベッドに横になった。眠いな・・・・。気付くと私は眠っていた。何回かナースが様子を見に来た。『ごめんね、外来混んでるの。もう少し待ってね。』まぁ、いいさ。寝れるからちょうどいいや。1時間半が経過し、やっと外来へ呼ばれた。ナースもドクターも私と同じマスクを着用している。始めにドクターがド「ご飯食べてる?」ゆ「最近は食欲が無いのであまり食べてません。」ド「軽く栄養障害起こしてるよ。栄養失調になりかけてます。」顔と体のブツブツは栄養失調のせいとの事。この時代に栄養失調・・・・・・・・・・・・・・。顔がカァーと熱くなり涙が出そうそしてドクターの話は続く。ド「でね、実はあなたの病気は・・・・・・・・・です。」えええーーーーーーーーーーーー!!つづく。
2006/09/22
数ヶ月前から顔に湿疹が出来始めた。最近は体にも出来ている。気になりながらも放置。体もずっとだるいし、食欲無いし、寝ても寝ても眠い。気になるのは、長引く咳と、微熱と、胸痛。私の一日と言えば朝6時起床→7時半出社→9時仕事開始→18時退社→ボランティア活動の為の活動→23時帰宅平日は仕事が終わってからの時間はボランティア活動の運営、企画等をこなし、休日はメインの活動をするという生活が半年以上続いている。帰宅しても資料作成やスタッフへ連絡取ったりで、寝れるのは1時過ぎ。食事も入浴も家事も全部二の次。ここ何ヶ月もドラマなんか観ていない。活動へ全力投球してきた。自分で選んだ事だ。どうしてここまで頑張るのか・・・。きっかけは恋だった。その活動を通して出会ったステキくんと一緒にいるうちにこの活動こそ自分が求めていたものだと感じるようになった。ステキくんと同じ目的に一緒に進むこと、共有出来ることが私の日々の喜びだった。ゆっくり食事したり、ゆっくり入浴したり、昼間洗濯や掃除をしたいな~と思ったりしたけどステキくんはもっと頑張っていたし、負けられないと思った。だけど、体はどんどんしんどくなる食欲も皆無。夏バテかな?位にしか思ってなかった。仕事中もフラフラする。眠さが半端じゃない。胸痛も日に日に激しくなる。針で刺されているようで呼吸がツライ。すると、先日行った会社の健康診断の結果、胸部レントゲンにて所見有りとの連絡。会社の産業医より「紹介状を書くので指定の病院へすぐ行ってください」と言われたってことで、ドキドキしながら翌日病院へ向かったのですつづく。
2006/09/22
今日、退院した。 退院したかったはずなのに いざ退院したらホームシックならぬホスピタルシック?になってる。 今頃ご飯だなーとか検温だなーとか。 Sばーちゃん、ご飯食べたかな・・。 Sじーもご飯食べたかなー。今朝は胃が痛いって言ってたけど。 桃をくれたAさん。みんなで食べた桃は甘かったねー。 病院出るときは声かけろって言われたけど、なんか泣いてしまいそうだったから黙って出てきた。ごめんね。 食欲が無くてご飯残してたら「これ食ったら何杯でもおかわりできっぞー」ってぶ厚くたくあんを切ってきてくれた、ずーずー弁のSさん。 熱が続いてた時、夜中に何度も氷枕を替えてくれたナースのYさん。 黙って外出したのを見られて「こらー!」って追いかけてきたナースのNさん。 いつも傷口を消毒してくれたナースのAちゃん。 大判焼きを買ってきてくれたヘルパーさん。 アンコのお饅頭が入荷したら教えてくれる売店のおばちゃん。 花火を見るために脚立を持ってきて屋上の更に上へ一緒に登ったHくん。 UNO仲間のKさん。 刺身パーティーのメンバー。 いつも気をくれた写真がでかいDさん。 同室のOさん、Aさん、Yさん、Kさん。 始めは感じ悪くて好きになれないと思った主治医。 他のドクターは週に1回くらいしか回診来ないのに、私の主治医は毎日来てくれることに気付き、私が管を入れてる時は何度も様子を見に来てくれた。ドクターなんだから、仕事なんだから当然と言えば当然なんだけど、途中から大好きになったよ。滅多に笑わない先生が笑うとこっちも嬉しかった。 抜糸してくれたM先生。 毎朝、ゴミを集めてモップかけてくれたAさん。 想いだすと泣けてきます。 私はすぐ情が湧いて、別れがつらくなる。 高校生のとき猫を一日預かっただけなのに、返すときは号泣。 人や物や場所にすぐ情が湧いてしまう。 愛着というのか執着というのか・・・。 こんな性格が面倒くさいときもある。 淡々とした性格になりたいと思う。 薬の袋見ただけで、担当薬剤師さん想い出してクスン。 主治医の書いた診断書見ただけでクスン。 検温の時間になっただけでクスン。 疲れる・・・・・・・・・・・・。 退院した日に一人でいる自分が悪い。 こんな日は誰でもいいから誘って笑って話をするべきだった。
2006/09/21
久々過ぎてログイン出来んかった・・・。ってことで今年初の日記です。サボリ過ぎ。しかも7月から入院してました。そして今日、本日、トゥデイ退院してまいりました。私が今まで何をしていたのか!!どうなっていたのか!!日を遡ってUPしていきたいと思います。頑張って書くよー。
2006/09/21

久々の更新です。ちょっと忙しくて疎かにしておりました・・・。最近のわたしは、色んな感情がちょっと大げさになっているようです。楽しいことも、嬉しいことも、切ないことも、悲しいことも全部MAX。涙腺もぶっ壊れてます。情緒不安定とは違うんだけど。ちょっとしたことに感動し、喜び。悲しいことは、立っていられないくらいに悲しい・・・。先週、仲の良かった後輩♂が亡くなりました。27歳。急性リンパ性白血病。亡くなる二週間前に白血病と診断され入院した。そのたった二週間後。彼はとーーーーくへいってしまった。わたしは思った。後悔したくない。人っていつか死ぬ。今、自分の周りにいる人がずっと一緒にいられる訳じゃない。今、行きたい場所が永遠にあるとは限らない。今、出来ることがこの先も出来るとは限らない。だから、無駄に生きない。くだらないことに執着して、くだらないことに大事な自分の人生の大切な時間を費やさない。今日は、おかんの58回目の誕生日だ。夏に癌の手術をしたおかん。誕生日を迎えたことが本当に嬉しい。今までだったら、きっと照れて何も言えなかったと思うけど今日は電話をして『おめでとう』と言った。いつかいなくなるから、後悔はしたくないから。おかん、生きててくれてありがとう。それだけで泣けてくる。どっかの偉い人は、花粉症がイヤだと言って杉を切るってさ。戦後、みんなで植えた杉が成木になったから、花粉たくさん飛ばすから。だから何十億かけて杉を切るってさ。木の役割を知ってるかい?二酸化炭素を吸って酸素を造ってくれるだけじゃないんだぞ。水分を保ってくれてんだぞ。根っこと土にからめて。根っこを張ってるから土が崩れずにすんでるんだぞ。木をそんなに切ったら砂漠になっちゃうよ。頭の良い人だから分かった上で切るんだろうけど・・・。わたしも花粉症になったけど、時期が来たら勝手に治ったぞ。薬なんて飲まんかった。病気じゃないし。花粉症ひとつ耐えられないなんて、この先生きてゆけんのか?ほんと・・・哀しいというか虚しい。好きな人が近くにいて大事な人が元気に暮らしててご飯が美味しくて笑えて、泣けて、また笑って。ステキくんは今日もステキで、きっと明日もステキに違いなくて明日はどんなことが待ってるんだろうと思うと、明日が待ち遠しくて。毎日、自分が変わっていくのが分かる。明日を楽しみに眠りにつく。それだけで泣けるほど幸せで。今までの長い長いトンネルを歩いて来たからこそ味わえるのだと思う。ほんと涙腺ぶっ壊れてるな・・・。
2005/11/15

ステキくんとサッカーをした。芝生の上で安いゴムボールを必死で追いかけて、蹴って、転んで、笑って。かっこよすぎて、まともに見れなくて。最近のわたし、まじで韓流ドラマを地でいってるんですよ。純愛なんですよ。『初恋のきた道』(中国映画)を地でいってます。今まで出逢った人とは全然違うタイプなので戸惑ってます。ちょっとしたことにも運命的なことを見出そうとしてしまうわたし。同じ場所にホクロがあったり、偶然駅で会っちゃったり、家庭環境が似てたり・・・。そんな些細なことにイチイチ運命を感じるからバカなんだよね。まじで、すっごいセーブしちゃうよ。この先、未来がないとしたら楽しい想い出は増えないほうがラクとさえ思ってしまう。ケアに入ってます。でもステキくんはやっぱりステキでした。キュン。
2005/11/06

去年の11月4日に某サイトへ書いた日記↓--------------------------------------------------------------- タイトル:ふらふらつめたくしてごめんね。つめたくすることしかできなかった。キミをとても好きでキミをずっと待っていたことがとても悲しくて とてもくやしくてとても嬉しかったのにどうしようもなくて つめたくしてしまった。砂浜にほっぺをくっつけてはしゃいで笑ってたあの頃のキミをへたに知ってるものだから今のキミの思いつめた表情は何よりも強い告白ですね。会いたいと言い出すのはいつもキミ。でも、こうなってからの会いたいからと言って会うことのむなしさ。わたしもキミも結局は自分の中心がどこにあるのか分からないんだね。不安定に転がってる。--------------------------------------------------------------------去年の今頃がいちばん辛かったな。時間が解決したのか、心が変わったのか・・・。今は霧が晴れていくような感じ。身も心も軽いってこういうことを言うのかな~ってかみ締めてる。朝、通勤中に聴く音楽の種類が変わった。歩きながら考えることが変わった。寝る前に想い出す人が変わった。ヤツのことはキライになった訳ではないから今も心の隅っこにちぃーーちゃくして置いてある。たまに、取り出してきゅぅ~んとなる。それもまた今の季節にちょうどいい。明日も良い一日でありますよーに。
2005/11/03

一時間かけて書いたインドア芋煮会の日記・・・・・・・・。PCが固まって消えた・・・・・・・・・・・・・。アップ目前だったのに・・・( ;∀;) カナシイナー。めげずに再チャレンジ!!(泣)---------------------------------------------------------------某日。わたしは埼玉に向った。友人宅(こっこ)へおじゃまするのだ。インドア芋煮会に参加するためだ。友人と会うのはこれで3度目だ。もともとネットで知り合った。最寄の駅まで友人が車で迎えに来てくれた。こ(゚∀゚)『乗れ~!乗れ~!』ゆ(*゚∀゚*)『こんちは~!』友旦那『こ、こんにちはっ!』こんにちはと言えた夫を嫁が『よく頑張った!』と誉める。いつもはもっと無口なのだそうだ。そして言われたとーり牛乳を買いに行かされた友旦那がフラフラと戻ってきた(夜勤明け)。友旦那『あは♪この牛乳ラブミルクだって♪やらしくね?エヘヘ』こ(゚∀゚)『いきなり下ネタかよ!しかもコーヒー自分の分だけかよ!』と突っ込まれながらもニヤニヤな夫。この夫、彼女のブログに何度も登場してるんだけどホント、ブログのまんまで笑っちゃうよ~♪そうしてるうちに友人宅へ到着。ゆ(*゚∀゚*)『おっじゃましま~す!!』あ、あ、あ、あ、あ~ん!!ブログで見たまんまの小物たち、風景。萌える・・・。あん♪てんてん(猫)♪めっけ!さらに萌え・・・。土産に持ってきた柿を渡すと、『仏壇があるなら供えるとこだよ~♪ありがと~ん。』やっぱ、おまいスキだ!!(愛)こ(゚∀゚)『ゆきじ、コタツに入れ~。そして横になれ~。その為のコタツだ~ん』ゆ(*゚∀゚*)『いいの??』ジャージで来て良かった・・・。遠慮なくゴロリ・・・・・。しやわせ・・・・。そして友人が柿を剥いてくれる。台所で剥いて、お皿に並べて、フォークとか爪楊枝で食べるんじゃなくてコタツで剥いて、お皿に並べて、それぞれ手で食うみたいな。それがいいんだよ~♪実家みたいでよ~♪客に気を使わせない彼女の気配り。おら、スキだ~ん♪コタツで友旦那とゴロリとなる客。鼻歌まじりに魚介をいじる嫁。ザルに入る猫(しつこくし過ぎて一回怒らせた)。なに?この空間・・・・。程よくチカラの抜けた空間。ここん家、すげぇ・・・・・・。通いたい・・・。しばらくするともう一組のお客さんが到着した。いづみちゃんカップルだ。クーリッシュだと聞いていた彼女はホントにそんな感じでいちばん年下なのに落ち着いた様子。そして『犬くんです』と彼氏を紹介してくれた。彼は彼女のバター犬?(照)いづみちゃん料理を持参して来た。こっこ:芋煮いづみちゃん:土鍋味ご飯、煮玉子、高級ティー何も作ってないのはわたしだけ。ちょっと、悪いな~と思って『何か手伝うことな~い?』と聞くとこ(゚∀゚)『あ?ゆきじはただ笑ってろ~。』ゆ(*゚∀゚*)『あい♪』猫と遊ぶか、芋煮の蓋を開けてクンクンするか、意味もなくわ~い♪わ~い♪と踊ってる間に宴の準備完了♪宴の様子はローション水槽へ。 (だって一回消えたんだもん。許して;;ごみん。)しかし、ふたりとも料理上手なんだよ~。ほんっと美味しかった・・・。こ(゚∀゚)『芋煮おかわりする?』友旦那『お、おう。』こ(゚∀゚)『ご飯おかわりする?』友旦那『お、おう。』『お、おう。』しか言わない友旦那。それを嫁がマネをして、それを見てわたしが爆笑していづみちゃんは常に落ち着いていて・・・。そして犬くん飯を食うみたいな。ホント、ウソみたいに平和な時間だったよ。飯は美味いし、ティーは贅沢だし・・・。帰り、大宮まで送ってもらい(かなり遠回りだったと思う・・・)いづみちゃんの衝撃恋バナ(笑)で、芋煮会は閉幕した・・・。友人が持たせてくれたお土産の袋の中身。■ホタテ・サザエ・はまぐり■土鍋ご飯■みかん3個■氷結1本■ガム2個お土産、ものすご~く嬉しかったです。ありがとう♪ただ・・・・・・・・・・・ガム・・・・・?おいら、息臭かった・・・?クチ臭かった・・・・?略してクチくさだった・・・・・?ガム噛んでから話せ~!という無言の優しさ?一抹の不安を残しつつインドア芋煮会は嵐のように過ぎたのだった・・・。笑あだす・・・・・やっぱり、あんたがスキだよ~ん(愛)。らびゅだよ!らびゅ!!べろべろ~!
2005/10/30

朝からわたしはイライラしていた。満員電車だけでもイライラするのに目の前でイチャつくカップルがいた。男子が女子の鼻を指で『ほらほらほら~』とつっつく。女子が『やめてよ~んもう~』と言う。でも・・・その場面にイライラした訳ではないのです。おい!男子!イチャつくのはいいんだけどさあたしの足踏んでますけど!! 結局、降りるまで踏まれ続けましたとさ。。。。。。(-∧-)チーン
2005/10/27

最近、色んなことが順調にまわっている。それは、ものすごく嬉しいこと。全てに感謝したい気分。疲れきって、しおれきって、混沌としていたわたしに急に出口が見えた。恋をして世界が変わったなんて言葉はもうまっぴら・・って思ってたけど最近のわたしは、目の中にハートが住んでいるみたいです。何もかもがキラキラしてて、わたしをとりまく全てがピカピカしてます。こんな日記書いてる自分が信じられない(&ちょっとキモイ)。でも、つらい時期が長かった分このキモチに浸っていられるのはどれくらいなんだろう・・とか喜び過ぎないように期待し過ぎないように嬉しいキモチをセーブしてしまう。キモチに拍車はかかるけど急ぐことはない。ゆっくり進もう。
2005/10/23

道の真ん中で今、ここで踊りだしたい気分。ホンモノの恋ってなに?本当に好きってなに??そんなのもう考えない。あーだこーだ考えても答えは同じ。また毎日がピカピカに光ってきたよ。身体の真ん中から何かがこみ上げるよ。あ~なんかソワソワして落ち着かないよ。はぁ~・・・。
2005/10/20

わたしに初めて彼氏というものが出来たのは中2の秋でした。相手は忍くんという同級生。中2になって初めて話して、告白されて付き合うようになった。凄くかっこよくて(わたし的に)大好きで大好きでどうしようって感じだった。毎日、部活が終わってから一緒に帰り、途中にある公園で少し話してから家に帰っていた。初めて手をつないだのも、初めてのチューの相手も忍くんだった。でも、その先へは進まなかった。体を見られることが恥ずかしくてたまらなかった。すっごいすっごい大好きな相手に、この体を見せるなんて有り得ないことだった。だって・・・・・・・・・・・・・だって・・・・・・・・・・・・・ゆきじったら・・・・・・・・・・毛が薄いんだもん・・・・・・・・。とっても・・・・・。中2にもなって、アソコの毛はまだ大人ではなかった。生えてない訳ではなかったけど、ほんっとに薄くて、それが悩みだった。(今も薄い)胸も小さかったし(今も小さい)こんな体で先に進めるはずがないと思っていた。てか、中2だもんね・・・。子供だよね・・・。そして中3の春。いよいよ我慢ならなくなったようで彼はゴムを購入してきてわたしに見せた。ゆ『え・・・?なにこれ・・・。』忍『やってみようよ。』ニヤニヤ。来てしまった・・・・・・・この日が・・・・・・・・・・。どうしよう・・・・。恥ずかしい・・・。でも・・・・・・・・・・・・好奇心旺盛の中学生。ゆ『体見ないって約束出来る?』←絶対ムリ;忍『見ない!見ない!』ゆ『絶対だよ!!布団の中でだかんね!!布団から出たらダメだかんね!』忍『わかった!わかった!』体を見ないという約束で、わたしは事を行ってみる決意をした。だが・・・・・・・・しかし・・・・・・・・・・事はうまくいかなかった。わたしの体が受け入れ体勢にならず、あきらめたのだった・・・。今、思うとかわいい。体を見ない約束を彼は一生懸命守っていた。なんか2人とも必死だった(笑)微笑ましい。それが原因ではなかったけど、それから間もなくわたしたちは別れた。そして、修学旅行で事件は起きた。ホテルの廊下にゴムが落ちていた。それを先生が拾い、問題になった。誰が持ってきた!!!(゚Д゚ )ゴルァ!!という話になりまして・・・。犯人は忍くんというオチ・・・。奴は誰かとヤル気だったらしい。おまいにわたしの大事なものを捧げなくて良かったよ・・・と思った青春時代のお話でした。めでたしめでたし・・・。ちなみに、アソコの毛ですがいつ完成するんだろう・・・。いつになったらみんなのようにもっさりするんだろう・・。あのコでさえジャンゴゥーなのに~!!と悩んだ思春期でしたが結局この年になってもジャングルではありません。。。薄毛体質・・・。脇は羨ましがられるけどね・・・。温泉行ったら、他人の毛ばっか見てます!今のところ負け知らず!!(泣)
2005/10/18

床にぺたんとしゃがみこんで壁におでこをくっつけてサリーの手を握りながら泣いていた日がウソみたい。楽しくて楽しくてたまらないという日がまた来るのだろうか。このままいいことが何もないんじゃないかとさえ思っていた。でも、悲しくさせた方も、悲しくなった方もそれしかなかったんだから仕方なかった。今は、ウソみたいに穏やかな気分で過ごしている。今は、ステキだと思っているあの人をもっと知りたい。どうして、わたしを惹きつけるのか・・・その理由を知りたい。わたしの思い過ごしや早とちりではないかを確かめる為にもっと、あの人を知りたい。顔がいいとか頭がいいとかやさしいとかそういう理由じゃなくてもっと違う何か・・・。出会いのタイミングって、自分の手の及ばないところにあって何かのチカラに引き合わされている感じ。今度は必要とされて会いたい。
2005/10/16

-------------------------------------------------------------------もし、全世界を人口100人の村に縮小するとしたら・・・もし 現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を人口100人の村に縮小するとしたらどうなるでしょう。その村には・・・・57人のアジア人、21人のヨーロッパ人、14人の南北アメリカ人、8人のアフリカ人がいます。52人が女性で、48人が男性です。70人が有色人種で、30人が白人です。70人がキリスト教徒以外の人たちで 30人がキリスト教徒です。89人が異性愛者で、11人が同性愛者です。6人が全世界の富の59パーセントを所有し、その6人ともがアメリカ国籍です。80人は標準以下の居住環境に住み、70人は文字が読めません。50人は栄養失調で苦しみ、ひとりが瀕死の状態にあり、ひとりは今、生まれようとしています。ひとり(そう、たったひとり)は大学の教育を受け、そして ひとりだけがコンピューターを所有しています。もしこのように縮小された全体図からわたしたちの世界を見るなら、相手をあるがままに受け容れること、 自分と違う人を理解すること そして そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火を見るより明らかです。また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。もしあなたが今朝、目覚めた時、病気でなく健康だなと感じることが出来たなら・・・ あなたは今週生き残ることのできないであろう100万人の人たちより恵まれています。もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や、獄門の苦悩、あるいは餓えの悲痛を一度も経験したことがないのなら・・・・・ 世界の5億人の人たちより恵まれています。もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことが出来るなら・・・・ 世界の30億の人たちより恵まれています。もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上には屋根があり、寝る場所があるなら・・・・あなたはこの世界の75パーセントの人々より裕福です。もし銀行に預金があり、お財布にもお金があり、家のどこかに小銭の入ったいれ物があるなら・・・・・ あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8パーセントのうちの一人です。もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・・・それはとても稀なことです。もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間 2倍の祝福を受けるでしょう。なぜならあなたのことを思ってこれを伝えている誰かがいて、その上、あなたは全く文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。昔の人がこういいました。 わが身から出ずるものはいずれわが身に戻り繰る、と。お金に執着することもなく 喜んで働きましょう。かつて一度も傷ついたことのないかのごとく 人を愛しましょう。誰も見ていないかのごとく のびやかに歌いましょう。あたかもここが地上の天国であるかのように 生きていきましょう。このメッセージを人に伝えて下さい、そしてその人の一日を照らしてください。-----------------------------------------------------------------わたしの友人はこの文章を読んで『他人との比較による幸福感は優越感にしか過ぎない』と言った。確かにそうともとれる。でも、そう取るかぁ・・・とも思った。今の生活に感謝しろっつーことなのかなと、わたしはとった。そんで、自分が当たり前に過ごしてる生活を許されてない人がこんなにいるってことにショックを受けた。『お金に執着することもなく 喜んで働きましょう。かつて一度も傷ついたことのないかのごとく 人を愛しましょう。』一度も傷ついたことのないかのごとく人を愛する。。。なんか、人生のテーマが見えた気がする。そんな人に俺はなる!! まじでそんな人になりたいよ。てか、目指す。
2005/10/14

最近気づいたことがある。わたし、ちょっと苦労してる感じの人に惚れがち。最近、好きになる人はみんな片親だったり両親がいない人ばかり。自分がそうだからなのかな・・・。元彼は、高校のときに親が離婚をして母子家庭になった。大学は奨学金で通い、バイトも2つかけもち。働くようになってからは、奨学金を返しつつ親へも仕送りをしている。見た目は・・・すっごく軽そうなんだけどね。ちゃらんぽらんそうに見えて、そんなしっかりしてるギャップにやられたと言っても過言ではないかも。今、ちょっと気になってる人は両親がいない。幼い頃、お母さんが亡くなり、間もなくお父さんも亡くなりおばあちゃんに引き取られたが、今はそのおばあちゃんも亡くなったそうだ。最近知ったんだけど、彼は某有名国立のT大卒らしい。彼も見た目軽そう。やっぱりギャップかな~・・・。別に学歴はどうでもいいんだけど、こんな風にちょっと苦労して頑張ってる人に惚れてしまう。守りたくなっちゃう。わたしが全部守ってあげるよって思う。そして尽くし過ぎちゃって、守ってあげてるつもりが逆に相手に依存している。尽くしてるつもりが、彼がいないとダメな自分になってしまう。一緒にいないとダメで・・・。元彼と別れた当初は、ひとりでスーパーへ行ってひとりで帰ってくるだけで泣いてた。コンビニへひとりで行くだけでメソメソしてた。思い出いっぱいの部屋へいるときは、寝てる以外泣いてた。会社からの帰り道、電車を降りて駅を出た瞬間から涙がこぼれた。泣きながらいつも家へ帰った。男の人にちゃんとフラれたのが初めてだったんだ。この年になってちゃんと失恋というものを経験した。だから余計堪えた。今は、最近気になる彼を想いながら帰っている。残念ながら元彼を完璧に吹っ切ったわけではない。でも、とても穏やかなキモチだ。行き詰っていたわたしに風が吹いたような気がする。このまま追い風に乗って行きたいよ。親がいないから好きになった訳ではない。と思いたい。ただ、キモチは共有できると思う。そこがわたしの弱みかもしれないな。
2005/10/12

『はじめてのおつかい』だいすきな番組のひとつです。コレ見たら絶対泣いてる。今も泣いてる。母性本能をくすぐられる。わたしが育ったところは畑と田んぼだらけで近所の人たちとはもちろん顔見知り。近所に『ルイさん』と呼ばれている店があった。その名のとーり、『ルイ』というお婆さんがやってる店だった。『ルイさん』には駄菓子が箱に入ったまま陳列されており小さい店だったが、近所の子供たちは皆そこへ通った。『ルイさん』は狭いけど物がたくさんあって、でも整理されてなくて、迷路みたいだった。宝箱みたいな店だった。ガチャガチャもあった。夏になると花火も売っていた。花火は、一個買うと一個おまけしてくれた。しかも、必ずトンボ花火をルイさんの手で一掴み分おまけしてくれた。買った花火は倍になり、しかもトンボ花火がついてくるのだ。お店大丈夫なのかな~と子供ながらに心配したものだ。中学になるとお湯をもらってカップラーメンを店の前で食べたりした。当時は近所にコンビニなどは無かったので『ルイさん』がたまり場だった。はじめての万引きも『ルイさん』だった。初めはガム、ジュース。みんなやってるし・・・くらいのキモチだった。そして、それはだんだんエスカレートしていった。タバコを吸うようになった男子はタバコも盗むようになった。しかも、1カートンとかを平気で盗っていた。結果・・・。『ルイさん』の店内にミラーが付いた。万引きしてるのがバレたのだろう。ルイさんは何も言わなかったけど。わたしはそれから『ルイさん』へ行かなくなった。ルイさんはお婆さんで、ひとりで店をやっていたのに、わたし達の為に毎日お湯を用意してくれていたのに・・・。申し訳なさでいっぱいだったけど、謝ることも出来ず足は遠のいた。近くにコンビニが出来たこともあり『ルイさん』の話は誰もしなくなった。現在も『ルイさん』は存在している。ルイさんは今も元気だ。かなりのお婆さんだけど店を開けているようだ。今年の夏、帰省していた時、犬の散歩をしながら『ルイさん』の前を通った。ほとんど店の見た目は変わっていなかった。ミラーもしっかり付いていた。店の前には数種類のガチャガチャ。花火も相変わらず売っていた。今もおまけしてるんだろうな~と思いながら店の中を覗くとルイさんが座っていた。すんごくちぃーーーちゃくなったルイさんがちょこんと座っていた。わたしが大きくなったせいもあるけど、びっくりするくらい小さかった。今は、タバコとジュースくらいしか店には無いようだった。あと、昔は無かったけど『照井商店』と書いた小さい看板があった。『ルイさん』は『照井商店』という名前だったらしい。誰も呼んでいなかったけど。笑入ってみようかな~と毎日思っていたけど気恥ずかしくて結局入ることが出来ないまま帰省は終わった。東京へ戻る日。兄に駅まで送ってもらった。母は曲がり角を曲がるまでずーーーーーーーーっと手を振っていた。畑仕事をしていた近所のおばさんもわたしに向かって『気をつけてな~』と両手でブンブン手を振ってきた。ぐっと涙をこらえながら車に乗っていると『ルイさん』が近づいてきた。チラっと見ると、ルイさんが花火を出しているところだった。ルイさんの小ささと、さっき見たお母さんの手を振る姿が小さくなっていく様子がダブった。お母さんもいつかあんなに小さくなるんだろうな~。でもそんな小さいお母さんを見れることは幸せなことだな~と思った。そして、今日『はじめてのおつかい』を見ながらいつか自分に子供が出来たら『ルイさん』へ花火を買いに行かせたいと思った。はじめてのおつかいは『ルイさん』で。この夢絶対叶えたい。その前に・・・・・相手っつーオチ・・・。(-∧-;) チーン。
2005/10/10

わたしの父は高校時代バンドマンだったらしい。毎日、家にメンバーを呼んではガジャガジャ演ってたそうだ。家にはビートルズのLPがたくさんあった。ギターやアンプもあった。今から40年以上前の話だから、当時の田舎にしてはなかなかモダンな趣味だったと思う。父のバンドの話は何度も聞いたことがあった。酔うといつも『娘と一緒に演奏するのが夢だ』と語っていた。と言っても、弾いているのは見たことがない。あるのかも知れないが記憶に残っていない。そんな父の夢を意識した訳では無かったが小・中と続けたバスケを辞めて、高校では音楽系のクラブへ入った。弦楽器中心のクラブなので、いわゆるブラスバンドとは違う。どちらかと言えば、女子十二楽坊のような感じ。そこでわたしはウッドベース担当になった。父は嬉しそうだった。演奏会へは必ず来てくれた。小学校の頃、一度も運動会や授業参観には来てくれなかった父が演奏会へは毎回来てくれた。チケットを何枚も買ってくれて、パンフレットも何部も買っていた。わたしは嬉しかった。父と母が揃って席に座っているのを見るだけで幸せだった。数年後、父はいなくなった。父は車庫でいなくなった。父がいなくなった翌日、わたしはひとりで車庫に居た。父の車のドアを開け、運転席へ座った。すると・・・・・・・これ、本当の話なんだけど何もしてないのに音楽が流れ出したんだ。びっくりしてエンジンをかけようとキーを回したけどエンジンはかからなかった。ずっと乗られてなかった為にエンジンがかからなかったのだ。事実、その後車は修理に出した。その時、流れた曲は『A Day In The Life』車の免許を取り、父の車を運転するようになったわたしは父の影響でスキになったビートルズの曲をカセットテープに録音して車に積んでいた。そのテープが勝手に流れ出す・・・。そんなことがあるのだろうか。今でも不思議に思う。書いてて、出来すぎた話だと自分でも思う。でも、事実なんだ。普通に考えたら怖いけど、全く怖くなかった。ただただ、涙が流れた。その時は、流れていた曲のタイトルが分からなかったけどあとで調べて『A Day In The Life』と分かった。A Day In The Life・・・人生における1日・・・人生の1日。何らかの刺激でカセットが動いたのかもしれない。覚えてないだけで、ホントは自分で再生したのかもしれない。本当のところは今となっては分からない。でも、あの時あの瞬間にあの曲が流れたことに意味があるんだ。あれから、この曲を聴くことが出来ない。
2005/10/04

今日会社でちょっとした事件があり激しくボーーーーーーーーーーっとしながら帰ってきました。気づくと部屋のドアに向かって定期を出していました。鍵と間違った・・・。がっくし。今日は久々にピアスをして出勤した。高校生の頃、ピアスの穴から白い糸状のものが出てきたらそれは神経だから抜いてはいけないという噂を耳にした。実際に目が見えなくなった人もいるというもっともらしい噂で疑いながらも少し不安でもあった。ある日、何日も同じピアスをし続けていたのでピアスを替えるために抜いた。すると・・・・・・ピアスの穴からピロ~ンと白いものが5ミリくらい出てきた。わたしはすぐ『神経だ!!!!!!』と思い頭の中がまっちろになった。触っても痛くない。でも出てきたこれをどうすることも出来ない・・・・・・。とりあえずまだ目は見える。あ~~・・・どうしよう・・・・・。ピアスなんか開けなきゃ良かった~・・・・・。お父さん、お母さんごめんなさい。神様ごめんなさい・・・。いいこにします~~・・・。そのうち見えなくなるんだ~~。あ~、えらいこっちゃーー。オロオロするわたし。友達に言うのも親に言うのも怖かったのでとりあえず寝ることにした。でも白いものは出たまんま。どうしよう・・・・・。『そうだ。見なかったことにしよう。』と思いついたわたしはその白いピロ~ンをむりやりピアスで穴に戻しピアスを装着した。そして、むりやり寝た。いつもはちっちゃい明かりを点けて寝るのに真っ暗にして寝た。そして・・・・・・・今日までわたしの目はおかげさまで無事だ。あの白いピロ~ンの正体はきっと垢だったのだと思う。それしか考えられない。今日の会社での事件は、あの動揺っぷりを思い出させるほどでした。オロオロしてしまいました。はぁ・・・情けない。しっかりしろ!!おれ!!!パチンパチンパチン!!なろーーー!!明日は朝からハイテンションで挨拶!!!!!ハイテンションで電話応対!!!!!よろしく~!!!
2005/09/29

子供のころ、親は共働きだった。母親が仕事に出掛けると、親の寝室へ行き色々あさった。2才年下のイトコ(♀)と母親のブラやシミーズ(キャミソール?笑)を身に着けて遊んだ。レースがヒラヒラしててキレイで、肌触りが良くて、早くこんな下着が似合う大人になりたいと思った。下着を身に着けたままイトコ(♀)とキスをした。そして、布団に横になり抱き合っていた。その行為はたまに行われた。わたしが5才くらいでイトコ(♀)が3才くらいだったと思う。どうしてそんなことをしていたのかは謎。でも、子供なりに興奮していたのを覚えている。子供で、しかも女同士。どこでそういう知識を得たのか・・・。本能なのだろうか。テレビで観たのか・・・?少なくとも親のそういう場面を見たことはないんだけど・・・。子供にも性欲ってあるんだなぁ。わたしが変態なだけなのかなぁ。最近、結婚するまで一線を越えない付き合いも悪くないって思うようになった。有り得ないのかもしれないけど。一線を越えちゃうと、相手を好きになり過ぎて相手の何もかもが良く見えて相手の何もかもを許してしまってそれで失敗してきたから、もう失敗はしたくない。いや、失敗することが決して悪いことではない。(どっちだよ)失敗することによって学ぶことは計り知れない。糧となる。そもそも抱かれたいから好きだと思うのか好きだから抱かれたいのか・・・。って、H覚えたばっかりの女子高校生みたいなこと書いちゃって少し恥ずかしいんだけどさ。(もぅ~!やりたいだけなのっ?みたいな)一線を越えなくてもそれでも、好きでいてくれる人っているのかな。好きな人に抱かれる幸せも知ってる。つながってる喜び(悦び?)も知ってる。(オトナっすから)でも敢えて、そんな人を探すのもいいかなと思った。この日記読んでこの人欲求不満なんじゃないのっ?!ヤバイんじゃないのっ?!と思う人いるだろうな。昨日、ある話を聞いてこんなキモチになったのです。その話はまた後日書きます。(別に知りたくない?)ではでは。
2005/09/22

哀しいことを知らないはずないのに哀しいことを敢えて言ったりしないところがスキ。分かりにくい優しさがスキ。頭のニオイがスキ。こどもみたいにはしゃぐところがスキ。全部、勘違いだったらよかったのになー。
2005/09/21
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