PR
今、つくづく感じていることがあります。
感謝の気持ちを忘れずに、
頭にきていることでも、心から感謝して
ありがとう
って言えれば、自分も幸せになるし、相手にも変化が訪れる
そう聞いたり、本を読んだり、講演会で聞いて
そうだな
って思っても、なかなか心からの感謝ができなくて
どうしたら心から感謝できるの?
私は、まだまだ未熟なんだな…。
って思うことありませんか?
私は、ありました。
「私を傷つけた」と感じた相手に感謝するとこなんてない
目の前の憎い相手をなぜ愛せるの?
今日、知人からチベットの僧侶の話を聞きました。
「雪の下の炎」というドキュメンタリー映画の
バルデン・ギャツォ氏の話。
本も出ています。
彼は、自らを拷問した相手に下記のような心を寄せているというのです。
(私はまだ映画も観てないし、本も読んでいないので
はっきりと断言できませんが・・・)
「33年に及ぶ監禁、拷問の中、何度も死にかけた中で、拷問を加える軍兵もまた、手を抜くことにより、愛国心が無いと非難を浴びる。彼もまた被害者だ。」
なぜ、その心境になれるのか…。
それは人によって違うかもしれない。
バルデン・ギャツォ氏の壮絶な経験もあれば、
日常の生活の中のほんの些細な経験とでは
比較できるものではないとは思う。
でも、子どもを持った親が、自分の親の気持ちにハッとすることが
あるように、自分がなんらかの形でその人の立場や気持ちを経験したときに、おもわず過去に立ち返って思いやりの気持ちが
出てくることがあるんじゃないだろうか?
今、目の前で怒っている人の気持ちはどうなんだろう?
今までどんなことを経験してきて、
今、何を感じているのだろう?
その人の心の中は、その人にしか真実はわからないけれど、もしその人のことを思いやれるとしたら…。
昨日のブログで、私は、私を罵倒した人に
ありがとう
という言葉を書いたけれど、
上記のようなことを考えたのです。妄想かもしれないけれど…。
実はとても悲しかったんじゃないだろうか?
今までも、裏切られたと感じたことが何回もあったんじゃないだろうか?
自業自得ともいえるけど、それに気づくことの恐れもあるんじゃないだろうか?
少なくとも、怒りを感じるたびに
私のことを思い出しているわけで
それだけ思いが深いということ…。
それって、気持ち的にはすごく辛いんじゃないだろか?傷口広げてるようなものだから。
わざわざ自分の時間を使って、苦しい思いをして
身体に負担をかけて(彼は高血圧症)、身の危険を犯してまでも、私の人生の中の悪役をかってでている彼は
凄いかもしれない。
表現は、罵倒とか怒りとか嫌味だけど、裏を返せば、それは愛のような気がしてきちゃって・・・・
9月30日で、縁を切った会社なんですが、
10月中旬くらいまで、ほぼ毎日、その会社の関係者に
偶然会ってました。
すっごく嫌な気持ちになるのに、道でぱったり会ったり、車ですれ違ったり、たまたま寄った郵便ポストの前に立ってたりとか、して。
こりゃ何かあるな、とは思ってはいたけれど、
基本的に関わりたくないから、偶然のメッセージに
気づかなきゃってわかってても、無視してました。
でも…ちょっと視点を変えてみたら
なんてありがたい存在だったのだろう
と、心の底から思えるようになってきたら、パタッと会わなくなりました。
(といっても、まだ4日しかたってないけど・笑)
感謝の気持ちって、なかなか持てないこともあるかもしれません。
でも、少しでも心が穏やかになったとき
ちょっとだけでも相手の気持ちを思いやれたら…
その経験があったおかげで、自分が得たものの大きさを知ることができたら…
その存在がいかに自分にとって大切なものかに気づいたら…
感謝を感じなきゃ、と思う必要もなく思わず感謝が溢れてくるんだと思いました
感謝って、しなきゃ、と思うものではなく、自然に溢れてくるものなんですね…
--------ちょっと宣伝------
☆『天国はつくるもの 107+1 パート2』 の上映会
■会場:長崎平和会館
■11月1日(日)
■開場:12時30分
■開演:13時15分 ☆「空色のカマキリ」巨大紙芝居
13時30分 てんつくマンからのメッセージ上映 (17分)
■上映:14時から16時 本編上映
16時15分 てんつくマンからのメッセージ上映 (21分)
■鑑賞料
大人前売り 1000縁 当日1500縁
中高生 500縁
Keyword Search
Freepage List
Comments