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いつか何処かで・・・。34 倉敷は梅雨の晴れ間とはいいがたい。どんよりとして空。昨日から今朝にかけては激しい雨音が続いた。雨は落ちていないがいつ落ちて来ても不思議ではない。たぶん明日は降るだろう。私は気圧を敏感にとらうることが出来て気象庁より正確に変化を読み取ることが出来る。 アジサイ、またライラックという。この花を市区町村のものとして指定しているところは全国で多い。北斎がアジサイを画いているので探したが見つからなかった。 ドイツの医師シーボルトは愛妾の小滝さんをおもじって「おたくさん」と呼んだ、後にオランダで「日本植物誌」を書き日本のアジサイ14種を紹介している。 アジサイを「七変花」「八仙花」と呼ぶ。「またぐりぐさ」とも・・・。 花言葉としては「辛抱強い愛情」「一家団欒」「家族の結びつき」という事だ。 だが、美しいものには常に毒があることを忘れないこと…。 いや毒があるから美しいともいえる。 私はアジサイを見て思い出すことがある。 季節もちょうど今、雨が激しくはないがしとしとと落ちていた。 私は、書き物が一段落したので家人がやっている茶店のカウンターに座りコーヒーを飲んで書いたことを頭に並べて整理していた。普通なら店は終わっていて明かりを落としているところだが、カウンターの上だけはつけていた。 ドアに着けている鐘が揺れて音がかすかに響いた。風の悪戯かなと思ってほっておいた。その音は断続的に響いていた。 「あの、まだいいですか・・・」とドアの外から届いてきた。 私はドアに近づき鍵を外してあけた。そこには傘もささず立たずむ30くらいの女性が立っていた。 「すいません、こんな時間に、御無理でしょうか」 言葉の端にこの人の性格が出ていた。 「いや、コーヒーくらいならお出しできますが…」 「いつも昼間にこの道を通って店の前に咲くアジサイを眺めていたのですが、夜分に無性に見たくなって…」 店の前にはアジサイが咲き誇っていた。雨に濡れてより鮮やかに見せていた。 「どうぞ」 厨房に入りサイホンでコーヒーを淹れた。 30歳前後でしっとりとした女性で何か憂いを含んでいる顔だった。 彼女はコーヒーを口に運んで、 「おいしい」と言った。 「このご近所ですか」 「はい、会社の社宅です、今日は主人は夜勤なもので、トーレスの仕事をしていたのですが、雨のあじさいがみたくなり・・・ご迷惑をおかけいたします」 「そんなに恐縮していただかなくてもいいです。私も暇でコーヒーを楽しんでいたところですから」 「少しお話を聞いていただけますか」 「構いませんよ、答えを求められると困りますが」 「私って駄目な女なのです。主人にたくさん隠し事あって、亡くなるまでもっていかなくてはならないのです」 「・・・」 彼女は自分の過去を語り始めていた。 だれにも言えなかったことを私に吐き出すように語った。 「聞いて戴き心が軽くなりました」 彼女の顔に今までにない微笑みがこぼれていた。よほど思いつめていて誰かに聞いてほしかったのだろう。 私は聞いている間、何か不思議な思いに駆られていた。 それは彼女の若かったころの壮絶な体験だった。 倉敷水島の公害闘争に関わって東京から男女5人で入ってきていた。 運動資金を稼ぐために、彼女たちは夜の街に立って客を取っていたという。 そのあと主人と巡り合い結婚していた。 このことは主人には絶対に言えないことだと言った。 私もその闘争に関わっていたので、なぜ、という感じがした。 「子供たちが、お年寄りがなくなるのをじっと見つめていることが出来なかった」 彼女は最後にそう言葉を落とした。 私は何も言えなかった。呆然として公害闘争のことを思い出していた。 ドアの鐘がかすかになり、彼女の姿が消えていた。 アジサイは家族の絆。人間の絆、一つの命を尊ぶ行いが彼女を街角に立たせていた…。
2017年06月28日
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いつか何処かで・・・。33 倉敷は鬱陶しい憂鬱に一日、雲はどんよりと低く垂れこめている。いつ雨が落ちて来ても不思議でしない。元気に花ビラを開いているのはアジサイ、ひきわりが時期に遅れまいと急に成長の度合いを増している。 そんな自然の営みに頬が緩む。 衰えを感じている。もともと持病として持っていた自律神経失調症は交感神経と副交感神経のゆがみから来ていて、体の随所に支障をきたす。医師に行ってもどこも悪くなくという人になればこの病名をくれる。 まあ、人間は生き過ぎているという事なのかもしれない。明治のころまでは平均寿命は50年、平均身長は5尺、よくもよくも体躯で大男の白人と互角に戦ったものだ。識字率では日本は群を抜いていた。60%の人たちが読み書きそろばんが出来ていた。その頃、イギリス、フランス、アメリカは10%に届いてはいない。シナにしても朝鮮にしてもほんのわずかの知識層しか読み書きは出なかった。アジアの向学心と向上心を持っている人たちは日本に来て世界の文学思想を学んでいた。日本は諸外国のものを日本語に翻訳して国民はそれを読んでいたから、その中に混じって日本に勉強をしに来ていた人たちは学んだ、シナは世界の名著の翻訳はしていなかったから日本でそれらを習得して帰っていた。「阿Q正伝」の魯迅も日本で学びそれを持って帰ってシナの文化に貢献した。 今シナで使われている漢字の単語の70%は日本人が翻訳時に作った漢字である。そんなことを知るシナ人はいない。漢字の単語はシナが作ったと誤解している。日本が作った漢字を使わなくては意思の疎通などできないのだ。 今日本でも盛んにカタカナを使って表現している方が多いが、そのカタカナでは日本独特の意味をあらわすことはできない。それを知ってか知らずか得意になって使っている。言語の表現で飯を食っている作家と称する人たちがカタカナを多用していることはほとほと嘆かわしい。日本固有の細やかに表現ができないことの気が付いていない。 それは朝鮮のハングルで表現するときにおおざっぱな言葉しか書けないという事と同じで、朝鮮人の心を書けないという事だ。 人間にとっての言語はなくてはならないことで、しかもそれを表現する文字がないという事はその人たちの限界になる。 日本語ほど一つのものを見ていろいろな感情を表現できる言葉はない。世界のどこを探してもそれはない。 素晴らしい日本語だけの表現の言語があるのだからせめて物書きはそれを使って書いてほしいと思う。 今、私は新刊など読んでいないし、芥川、直木賞など相手にしてないので皆目分からないが、カタカナの置き換えはたくさんあるだろうことは感じている。言葉の端々にそれが出ているという事は書き物にも多用されていることだと結論が出来る。 古典を読み砕いて詩を書き曲を付けて歌っているのはさだましさ 位か。日本語の言葉の中にカタカナが混じるので理解できない人も多かろう。 まず、カタカナの表現をなくして日本語で語れと言いたい。英語をカタカナにして語ることがさも立派なと勘違いをしている日本人の偽文化人はここを改めてほしい。 広辞苑を開いて見てほしい、一つの漢字で幾通りにも表現が書かれている。物書きはその一言にこだわるところから始まる。もっともっと自分が表現したい漢字がないかと探す。それが一つの喜びになってこそ物書きの端くれになれる。今はその漢字も使用は制限されている。が、一度書いてあとは編集者と話し合うことだ。若い頃新聞に書いていたころには漢字は中学校1年生程度でという制限を与えられた。物書きとしたらこの制限は殺されたようなものだった。3年間ほど連載したがそこで逃げた。 劇作も同じで話し言葉で書かなくてはならない、それはそれで理解できたのだが、小説の世界ではその制限はどうか…。 今、自分のために書いているから自由に漢字が使え、表現も書き連ねることが出来る。 長い道のりで今漸くに物が書ける、社会が認めようが認められなかろうが、そんなことは知ったことではない。 自分の好きなことを書いているとき程楽しく生きていると感じることはない。 メソポタミア文明の中のシュメール文明の文字と日本のカタカナが酷似している、これは何らかの交流あったという事…。縄文紀人には文化があり文字が作られていた…。
2017年06月27日
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いつか何処かで・・・。32 倉敷は一日中曇り空、つい少し前から雨がちらついている。梅雨であることを実感している。 人間が季節を感じるのは長くて80、普通で70回、いくら桜を見たいと言ってもそれ以上は見られない。その季節の巡りが人間の寿命という事になる。長いようでたいした時間ではない。日にちにして27500日、その間に様々な生き方人生がドラマティクに繰り広げられる。その間どの様に生きてもいい、人様に迷惑をかけるような生き方をすれば法律により裁かれる。また、宗教によっていろいろな戒律が齎され生き方を決められるという事もある。 宗教と法律らによって縛られることは人間にとっては楽な生き方だと言い続けてきた。そのようなものに縛られなくても人間の理性としてそれを行うということが出来なくてはならないという事を言いたかった。 孤独とは一人の時ではなく多くの人の中で初めてそれを実感する。孤独を愛するという事は精神を自由に保つことだ、が、この自由というのが厄介なものですべてが自分の考えで行われるからこれほど難しい生き方はない。人は自由をほしがりながら法律と宗教の戒律を喜んで受け入れている。その方が楽なのだ。 今の世の中、様々な生き方の流行があってその流れの中にいる方がこれも楽という事。まんまと乗せられているのが現代の女性と言える。肉食という言葉に惑わされてセックスをオープンにして積極的になっているのが今の女性社会だ。それについて何も反論の言葉がない。 性欲は男より女性の方が強い、男は誘因性性欲熱で女性によって誘導されて初めてスイッチが入る仕組みになっている。 女性は何か勘違いをしていないか、何を求めて太ももを晒し短いスカートをはいてピップをあらわにし、カップを乗せて胸を強調するのか、それは女性の勘違いというものだ。男たちは目のやり場がなくて困っているという現実を知らない。女性の体験は低年齢化している。男の経験はその逆で高齢化している。そこに不幸がある。正常ではない構図がある。 私はそれを不道徳だという事は言えない。が、メスがオスを選ぶときには強くてたくましく頭のいいオスを本能として選んでいた。それが動物を繁殖させ増やした規範である。人間も昔はその例にもれなかったから人類の今がある。 維新以前には人間は意外と本能で生きていた。性におおらかさというものがあり比較的に自由であった。 江戸時代の職人は2時ころで上がり銭湯に行き汗を流しはて家に帰り家族団らんの後吉原へ繰り出すという生活パターンであった。江戸時代は物価が安定していて、例えば職人の一日の稼ぎで1か月分の家賃が払えたから宵越しの金はいらなかった。安かった原因は便所のくみ取りで家主は稼ぐことが出来ていたというのもある。 「大根一本、小便一回」と言われた時代だ。 おおらかと言えばかかあが産めば誰の子であろうが我が子として育てた。 処女性などには見向きもしなかった。吉原はおろか、銭湯も、飯屋も宿屋の女中も夜になると男と女に代わっていた。 維新の伊藤博文などは遊女を妻にしている。 処女性を問題にしだしたのは維新後の明治政府である。これは戦前まで続いた。 男女の中にはタブーがなくていい。それが世界の風潮であった。 が、過ぎたるは及ばざるがごとし、いま女性に対しての男の反乱が起ころうとしている。男には風俗があるが女性にはないところから不倫が増加の一途をたどっていて離婚が急増している。男は怖くて結婚に躊躇している。 江戸時代には女性が男を買える場所があった。歌舞伎役者である。舞台に投げ銭をする、そこで金額により落札をするという制度があったのだ…。 私は古代に男が女性を求めなくなった時代を知っている…。そんな時代が来るような予感がしている…。 つつましさが最大のエロスなのだという概念をもっているからなのだろうか…。
2017年06月26日
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いつか何処かで・・・。31 倉敷は一日風もなく日が照らずどんよりとした時間が過ぎていった。梅雨にふさわしい一日だ。 この5年ほど倉敷の町に行っていない。という事はどこにも行っていないということになるが、家人を連れて県北の美作の湯郷温泉に行った。その記憶がもとで美作は「砂漠の燈台」の舞台にもなった。自然に囲まれた長閑にところだが、山林はやはり崩壊の一途をたどっていた。自然は常に自らが再生を繰り返している。木々は枯れて倒木し朽ちて自然に返る。その朽ちた土から芽を出して成木を目指す。花を咲かせ胞子を飛ばして新しい木々を広げていく。光と風と雨に任す。鳥たちが実を食べて拡散していく。その営みは地球が誕生した時から変わらない。 そんな自然の中で果たして人間はどうであろうか…。 今、古代の歴史は大きく変わろうとしている。例えば黄河文明より長江文明が古いという説がある。私はその文明には否定的である。中国が広大に見えるが、それは今を見て判断している。シナに限って言えば日本より遥かに狭い。イギリスも、ドイツも、フランスも日本より小さい国である。人口もイギリスが6500万人、フランスが5000万人、ドイツが7000万人位だ。さてシナにどれほどの人口があったのか、文明が栄えるほどの成熟した人々が住み成長があったのか、その遺跡はあるのか…。 マルクスの「国家の起源」に例えるまでもなく、古代にはみんなで食料を作るために土地を耕していた。農機具が改良され生産は飛躍的に増加する。他の鉱石とは違い鉄は地上に露出するほど多かった。これは地球が出来たときにすでにあったCO2と雨により酸化していた場所にあった。鉄の釜や鍬が作られたのはもっと古い時代だ思っている。それにより食料は豊富になり溢れていた。働かなくていい人が生まれ、山ら登り天と地の稜線を眺めて人間とは何か、という真理を考え始め、瞑想するようになった。人口が増えたために土地を確保するために戦う人も必要になった。人々を安心させるためでもあり、土地を拡大するためでもあった。それらを指揮する人たちが生まれ国家という組織が作られた。マルクスはそう書いていた。つまり農耕が規則的に始まって国家が生まれたと…。マルクスのかいたものが真実かどうかはわからない、貧乏な学者が食べる為にロスチャイルドに書かされた「資本論」があるので疑わしいともいえる。なぜ、ヨーロッパに古代の文明がなかったのか、それは常に戦いの場所であったからだ。国家が形成されていたか、あっても直ぐにつぶされていた。つまり国境というものはなかったという事だ。爾来、隣国とは仲が悪い、スイスが永世中立国を維持するために、徴兵制を敷き、国民に火器の所持を認めているのは敵に対する侵略への防蟻である。 まあ、これは世界の歴史家にお任せしよう。道がそれている。 私が言いたいのは人間と自然の共生、いや一体なのである。 今、自然がなすことに慣れてはいないか、これが当たり前と思ってはいないか。 花粉症で問題になっている杉と檜は自生したものでなく、人間の都合で植林している。自然のものならば花粉が飛ぶような繁殖はしない、人間が植えたから自然の受粉が出来ずより多くの花粉を飛ばさなくては繁殖しないのだ。これを一体とは言わない。人間は共生という便利な言葉でごまかす。 自然を尊ぶならば自然を管理するなという事だ、自然の再生に任す、良く自然に人間の管理が届かないから洪水が起こるというが、、それはどうか、山の頂上まで家を建て、一つの県の面積に等しいゴルフ場を作り、ダムを作り、人間の欲望のために自然を壊していれば当然だ。自然破壊を憂う、それは傲慢である。人間が作ったという事を忘れている。雷に依っての山火事、焼き畑は自然の再生を助けているのだ。 今、日本近海で魚が取れなくなったというがそれは当たり前のことだ。 考えても見てほしい、昔漁師たちはなぜ山に入りその生成にこだわったか、雨が降り山の表土を川に流し海を魚たちにとっての餌となるプランクトンを作ってくれることを熟知していたからだ。 静物にしても動物にしても時が来れば自らが絶滅をしてきた。それが自然の生業である。 人間はどうか、何か忘れていることはないか…。 アジサイが美しく咲いている、人の心と同じでいろいろに色を変えて、まさに人の心を代弁しているように…。 ルソーのことば「自然に帰れ」・・・それはモクモクと大地を耕していた無欲の時代への誘いと理解している…。
2017年06月25日
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いつか何処かで…。30 倉敷は空に雲がかかり晴れない一日であった。 風もなくよどんでいた。工場の煙突からいつもより多くの煤煙が吹きあげられていた。書いていると雨の足音がだんだんと激しくなっている。 今日は少し良寛さんのことを書いてみたいと思う。 良寛は出雲崎の大庄屋、橘屋の跡取り息子山本栄蔵として生まれた。平らに時が過ぎていれば山本栄蔵として何不自由もなく人生を全うしていたことだろう。 だが、ひとの定めとは時に悪戯をする。父親の左門泰雄は商いに向いてなく五七五に魅せられ惹かれ以南と号を持つ程の歌うたい。だんだんとお日様が当たらなくなって家督を栄蔵に譲ってしまった。 栄蔵は十七歳で庄屋見習いになった。 代官所と村人の仲を取り持ち、佐渡の金山から送られてくる金を荷揚げすることになる。 その頃、飢饉が続き百姓一揆が起こりその斬首に立ち会い胃のなかのものを吐き卒倒した。栄蔵は名主の重圧を受け止めることができなかった。栄蔵は女に酒にと溺れる日々が多くなって行った。そして、何もかも放りだして光照寺へと逃げ込んだのであった。 そこで寺男のような生活をしてのんびりと本ばかり読んで暮した。 以南はそんな栄蔵に見切りをつけて弟の由之が後を継いだ。 実家から仕送りを受けながら四年間過ごしたことになる。 二十二歳のときに大忍國仙和尚が越後に来られ得度し剃髪をして仏門に入った。 國仙和尚は栄蔵の顔をじっと見て「大愚良寛」と名付けられた。 良寛は國仙和尚に連れられて備中玉島の円通寺にやってきて、そこで十三年間修業をすることになった。 良寛はその修業の中で縋るように仏の道を修めた。が、知れば知るほど、縋ればすがるほど身を縛られる事を感じた。 良寛は円通寺の庭に出て遠く瀬戸の海を眺めることが多くなっていった。小波に操られながら漁をする舟を眺めながら人間の道もまだ同じなのだと思った。 同輩の仙桂が田地を耕して作物を育て汗をかいているのを見ても何も感じなかった。道元の教えの「只管多坐」のなかには「一日作さざれば一日喰わず」という教えがあるがその言葉の真意を理解しようとせず、経典の中に救いを求め生き死にの導きに縋ろうとしていた。 そんな日々の中に良寛はいてもなにもすることなく日向ぼっこをしながら内海の波が返すまたたきを見つめるだけだった。この当時にはうたの心も持ち合わせてはいなかった。 そんな日々で良寛の心に芽生えたのは虚無であったのか、師の國仙和尚が示寂された後良寛は円通じをさった。手には國仙和尚から下された「印可の下」、どこの寺の和尚になってもいいと言うお許しの言葉が書きつけられたものを持っていた。 良寛のそこ後の足取りは良寛しか知らない。 この数年間の行方は分からない。その後に国上の五合庵、乙子神社の境内で30年間ほど暮らすことになる。 俗説に良寛は子供たちと毬遊びをし、商家の屋号を書いたり、祝いの言葉を書いたりして、酒台を貰っていたというのがある。高名な寺の住職にと声がかかったというがこれは怪しい。良寛は越後に帰って自由に生きていたので声がかかるとは思えない。 「愛語,戒語」書いているがそれは若かったころのものとして笑っていた。 人に戒めなどいらないというのが良寛の精神であった。むしろ戒律の中で生きる方が楽なことは知ってそれを否定している。 自由に生きることは自分を律しなくてはならないからこれは苦行である。それをなぜ選んだのか、生き方の上で考えるという事を彼は望んだ。教えられて学ぶのではなく、自分で考えて学ぶ事の大切さを、「何事も教えられて学んではならない、自分で作るのじゃ」と良寛は語っている。 70歳のころ30歳の貞心尼と巡り合う、この出会いは良寛を人間として完成させることになる。 今までのすべてを棄て、なくなる4年間に良寛の心に芽生えたものは老いらくの恋であった。 「貞心さん、この世は総て夢、夢に生き、夢に遊び、この良寛、貴方のお陰で好い夢が見られた」 形見とてむ何か残さむ春の花 夏ほととぎす秋は紅葉(良寛) 生き死にの界はなれて住む身にも 避けぬ別れのあるぞかなしい(貞心) 生きることは自らが作る、道を開くのだという事を私は感じた…。
2017年06月24日
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いつか何処かで・・・。29 倉敷は30度近く気温が上がった。スッキリと晴れたというのではない。何かむしむしする一日、そんな事あることだろう。 人間の日々が同じではないように…。 人間は常に煩悩に作用されて生きてきた。その煩悩がなかったら人間は成長しなかったともいえる。 「人生のすべての知恵は幼稚園の砂場で拾った」 幼い頃の経験が人生を左右するという例えであろう。今の幼稚園の砂場に落ちているかどうか、それを確かめることできない。が、おちていたらぜひ拾ってほしいという思いはある。 世界で一番に幼稚園を作ったのは、ドイツのフレーベル、教育学者。幼児教育がそのあとの人生に及ぼす影響を考えて幼児教育の重要性を説き、自らも八角園舎の幼稚園を作りそこで幼児の教育をした、それが日本に入ってきたのは明治の中頃か、日本にもその八角園舎が全国に広がり、まだ存続しているところもある。 人間関係、円滑にするすべ、遊びにおいての感性の芽ばえ、知ることの好奇心、許すことの情け、強調して作り上げる達成感、それらを砂場で拾うのだ。教えるのではなく学びながら気づかせるその自立を大切にしていた。 その名残として倉敷にも八角園舎は現存している。今の幼児教育について私には何も言えない。とにかく元気で明るく過ごしてほしいとしか言えない。 私はその教師に取材をしたことがある。 「園児というより親に教えてあげたいことが沢山あります」控えめにそう言っていた。 昔は幼児教育の場なく家庭ですべてが行われていた。これは世襲だったから出来たことだ。 私は常々教育の貧困は幼児教育の問題だと言ってきた。 その声はむなしく響き届くことは無い。子供たちの瞳の輝きを見れば何をほしがっているのかがわからなくてはならない。 今の日本社会がわかっていない、いくら教育を付けてもその家庭が貧しければまず官僚にはなれず、一流の企業には就職は出来ない。どこどこの息子という事が優先されている。その人間の資質などまるで関係なくそれが優先されている。勉強が出来れば大企業に就職が出来高給がもらえ幸せな結婚が出来、家庭が作れるという幻想は捨てるべきだ。大学に通わせている家では母親がコンビニで深夜にパートをしている風景をよく見る。だが、いくら頑張っても金持ちと続いている名家にはかなわないと知るべきである。そんな社会構造がまだまだ残っている。子供の特質を考えて進路を語り合うべきである。 佐藤義清、後の西行法師は徳大寺という公家の血筋で、鳥羽帝の北面の騎士として御所を警護していた。朋輩には平清盛もいた。彼は鳥羽帝の女院の待賢門院に恋をした、同時期友が若く急逝しこの世をはかなんで、紀伊の国、田仲の荘に残した妻子を棄てて出家する。これが西行の生き方であった。生きて何が起こるかわからない、将来を約束されていてもなお別の道へと歩むのが人間というものだ。西行は後に、 「歌を作るという事は仏を作るという事だ」と語っている。月に花をこよなく愛し、南河内の葛城山麓の弘川寺で円寂するまでの彼の生き方を見詰めて思うことはこころに沿った生き方だったと言える。 西行については「花時雨西行」として舞台で公演しているのでここにはこれ以上書かない。 が、人は何かのきっかけですべてを棄てて生き方を変えるものだという事だ。ここで書いておきたい。西行の父は彼が幼少の時になくなっているという事だ。これは西行にとって何を意味するのか、育ちゆく中で父のうしろすがたを見ることが出来なかったという事だ。 これは、釈迦にも言える、このことは皆さんも知っておられるので書かない。 今、必要なのは教育を付ける為にコンビニで深夜パートをすることなのか、人間の本当の姿を見せることではないのか、 私は答えを探している。 人に必要とされる人間になれと姿で心で教えることではないのか。 生き方に差別はない、それを作ってはならない、それを作るのは教育だ。それにこだわっているは親たちである。 夜の11時に塾の前に子供を迎えに来ている親たちの車の列を見る。 「今のままで、そのままで、何も世間に振り回されることがあろうか、自分の人生じゃ、思う様に生きなされ・・・」 良寛に語らせた言葉を付けたしておこう…。
2017年06月23日
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いつか何処かで・・・。28 倉敷は梅雨空になっている、いつ雨が降っても可笑しくない…。こんな日は何をするにも億劫だ。 もう無理をせずに病と道連れで生きていこうとしているが。私のおねも枠のようにはいかない。毎日違ったところが文句を言う。まあ、不養生して生きた付けなのか…。 先日老いについて書いたが、いくら男が誘因性性欲だと言っても、け世間では女性が勇ましく露出をして誘惑する。ここには確実に表現の自由がある。と確認する。取り締まりは掛け声だけで放置している。緩衝地帯を割くるという事で性犯罪を緩和させているともいえるが、若者ならいいが、年寄りにとっては地獄である。歳を取っても男は男である。 私が東京に招かれても行きたくないのは目のやり場がなく立ちどまるしかないという事もある。過激すぎ、ついていけない。 そんな中で昔書いたものを思い出した。 創作秘話 「天使の子守り唄」 この作品を書いたのはもう四十年も前のことだ。私の住む水島の公害が緩やかになり喘息の死者もそんなに出なくなっていた。と言うのは工場の煙突を高くして煤煙を拡散させ遠くの土地に其の被害が出ている時だった。 私を文学に導いてくれた、先輩の山本信夫さんの哀悼として書いた。 山本さんにはアントン・チェホフを私に教えてくれた人であった。其の造詣は近隣では及ぶ人はいなかった。 この作品の中で私は人間の老いにおける本能を問いたかった。男に取っての本能は自分の血を繋げると言うものだ。そして、女の本能もよりたくましく頭のいい種を持つ男との子孫を残すことであることだと思っていた。 老いても其の欲望は消えることのない本能の業火に身を焼かれる一人の男を、ヘルパーと言う職業で出会う女性との時間と偶然を書いて問題を提議すると言うものだった。当時私は三十そこそこの若造であった。年寄りのことなど知る由もない立場にいた。 訪問看護をするヘルパーの事は承知していた。あくまで其の二人の本能をあからさまに書くのではなくそうなる必然を筋立てた。 夫を事故で亡くし子供を抱えた未亡人を、ヘルパーとして登場させた。 まだ今のように老人介護の福祉基盤は作られてはいなくて手探りの状態の中に無いよりはましと言う程度の政策の上に成り立っていた。 この頃私は努めて取材をしている。また、ヘルパーの実態もある程度つかんでいた。 一人暮らしの年寄りを介護して金品をせしめているというヘルパーの実態も知っていた。また、其の年寄りを慰めることもあったという事も感知していた。 年寄りの性、今その年になってつくづく厄介なものであると手に余ることが多い其の現実に直面して、よくも其の当時に書けたものだという感慨を持つことがある。若さゆえ、今だったら書けたかどうか、年寄りの性への執着、それが生きることの辛さと重なって悲哀すら感じることをよくも書けたものだと思う。 この二人を私は鬼と表現した、人間ではなく鬼、なぜ、人間の倫理も理性もかなぐり捨てて本能だけで遇いまみえる行為を鬼畜としか思えなくて書いた。 今、歳を取って読み進めていたら、真実が見えることに驚愕している。人間の悲しい実存なる行為、これは現代社会においても避けては通れない福祉の現実だった。 年寄りは行為の対価をそっと落とす。それを子供のためと拾う、其のドライな感情は人間の欲なき自然営みに思える。 私はこの作品で性を書こうしたのではなく、人間の在り方のひとかけらを明らかにしたかった。 図らずも、この作品は現在の高齢化、障害者の性に対しての問題に対してのテーゼーとして、そんな大層な事を思ったのではなく、年寄りもただの人間の男女の生きざまを私が歳をとった時に対しての定義であることには違いない。 歳をとる、それは何を意味するのか、快楽と言う、本能、またはそれを凌駕して生きる人間の業を問いかけることで人間のもののあわれを、悲しみを書き遺しておきたかったという事だ。 今、其の歳になって遺された本能だけに振り回されている多くの人達が其の業火の中でのたうちまわっている現実を前にして茫然と佇む影が長い事を知る。 それは国による福祉の枠では到底おさまるものではなく、これからの世代の人達はそれを凌駕出来る手立てを日頃から整えなくてはならない…。 この作品も「砂漠の燈台」の中に収めた。 生きるという事は何時までもその執着が消えないという、これは一種の拷問である…。その業火の中で生きる男の悲哀と切なさを書けていれば・・・。
2017年06月22日
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いつか何処かで・・・。27 倉敷は朝方の激しい振り込みと違って薄日の刺す一日だった 梅雨のしとしとという降りではなかった。風が吹き植木が飛ばされ木が倒れていた。 余り熱く無い日でも頭を冷やす為にクーラーは欠かせない。 今回、出版するものの中に「麗老」という短編も載せている。 老いていく中でどのように生き考えるの書き連ねたものだ。 「麗老」は定年をした男がいかに生きるのかを一面的な視点で書きたかった。綺麗に老いる、それはどういう性質のものか、真実などあるわけもないことを承知していた。少し遊び心を入れて重たいテーマを軽く書こうとした。老いという側面を多少なりとも書けていればと思いたい。書いた後、私には弁解の余地などないことを承知しています。読まれた方がなんだーと思われてもそれについて煩労をする勇気もない。こんな生きかた、があってもいいとご寛容に理解していただければ、書いた甲斐があったというもの、書き手のいい逃れは一切しません。 今、老いた人達の生活苦や生きがいについての問題も取り上げられているが、老いは等しくみんなに訪れる。 若い時から老いた時間をどの様に過ごすのかを、私なりの観点で書いた。 釈迦は人生を4区切りしている。 25までを学業期、25-50までを家住期、50-75までを林住期、75-100までを遊行期としている。 定年のころは林住期、人生で一番充実した時期であるという。今までの生き方を閉じて新しい人生を新しい気持ちで優雅に生きよという事だ。生きて感じたものをもってその時代を充実して生きよという。 なにかの転換期、今までしたいと思ってもできなかったことをする時間だという。 私は50歳ではないが60歳で劇作家も演出家もすべて捨てて75歳まで遊び人に徹した。その間できなかった、世界の歴史、日本の歴史、世界の宗教、古代の文明の中に15年間遊んだ。その期間で書きたくてしょうがない時期があり、拘らなく書いていた。それはそれぞれ出版した。やはり過去を引きずるものだが、それもありだと五木寛之氏は言っている。 それは言って見れば年寄りの玩具の様なもので子供がほしがるように年寄りもほしがる物と実感した。 この遊び人の期間があったことで「砂漠の燈台」という本が生まれることになった。 老いと生きる、そこに時間の無駄をないことを知った。 人は利他的に生きてこそ利己を評価されることも、人に必要とされる生き方が健康を呼んでくることも・・・。 老いて経済的に困窮しても今の日本の福祉では最低の生活でも生きられる。金がないからと何もくよくよすることは無い社会である。 定年制の廃止、年金支給の延長、人は体が動けばその時間があれば働くべきである、それが社会に役に立っているという自覚が持てる。 生きているとはそうしたものだ。 「麗老」の中の歳よりも突き詰めて考えるがなるようにしかならないことで今を生きることで明日を待つという生き方にたどり着く。 私は劇作家から小説家へと流れたが、皆さんも今までしたかったことに果敢に調整して新しい生き方に挑戦してみてはどうか、そこには今まで見えなかった世界がひられていることは間違いない。 老いるとは新しいあなたを作るためのチャレンジなのだという事で、林住期を、遊行期を第二の人生として歩み始めるチャンスの始まりである。 老いて何も失うものはない、そして何かを作ろうなどと考えることはない自由に生きて結果を期待しないことだ。その過程が楽しければいい、そして、明日を迎える喜びを迎えてほしい。 そんな意味で「麗老」を書いた。 年寄りの人たちに、幸あれ、健康であれ、そして遊び心を失わないでほしいと思い書いた。 物語の中ではいろいろに問題に直面し心惑わされ人とは何かを考えるが、自分が人間であることを認識したところで終わりにした。 老いは素晴らしい時間である。生きた人生を整えるのではなく、旅立ちの時である…。
2017年06月21日
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いつかと何処かで・・・。26 倉敷は一日中どんよりしていた。風もなく、雲は梅雨空に見えたが雨は降りそうになかった。背中が痛く、頭が重い、呼吸も浅い症状だった。 昨日晩、幻冬舎から最終校正提案がメールで届いた。文字の統一が主だった。時をとき、事をことにしていいかという事でそれが編集のルールだと言った。私はどちらでもよかったからお任せすると返事をした。 これからそれを直して製本にかかるという。来月の終わりには完成し全国の本屋さんや、Amazonにて通販されることになる。 今小説なるものが読者に受け入れられるとは思っていない。まあ、読んでくれる人がいれば奇特なお人と思いたい。 なぜ、遺作として書いたものを出版するのか、お祭り騒ぎが好きなのかもしれない。最後の花火と思っているのかもしれない。 劇作は「日本演劇協議会」が戦後の戯曲の変遷として全国で公演されたものを全10巻に収めた、その中に120作ほど紹介されている。また、文化庁の要請で早稲田大学が公演の映像をデジタル化して保存してくれている。 これらは私が劇作家も演出家もやめた後のことで、出演した多くの人たちにとってよかろうと資料を提出したものだ。 決して私から望んだものではない。私は自分の作品が舞台で公演されているものを観客席から見たことがない。劇作を書いた時点でその作品から離れていたからで、次作を書いていた。 劇団を主宰しているときに3年間で3千万円提供するからという提案が国のある機関からあったが、国民の税金を演劇に浪費することと、ひも付きになることを良しとしなくて断った。貰った人もたくさんいた。 私は好きなことをする人たちはまず身銭を切れという考えだったので、身銭を切らずに人間は成長も責任も生まれないと考えていたのだ。いとも簡単に行政の支援を受けて公演する団体の衰退を見てきた。金がなくては何もできない実態はあるが、好きなことをするのだから何かを節約しても身銭を切れという事だった。 私の考えが正しいかどうかはわからない。が、それが私の矜持でもあった。 今の日本では、宝塚と劇団四季くらいしか儲けてはいないことだろう。後はひも付きで公演しているところが多い。 俳優も役者も食べられるのはほんの一握り、あとはアルバイトで食いつなぎながらスポットライトが当たる日を待ち続けているのが現状だ。ひと昔前の演劇人たちは酒も女も男より舞台が好きだという人たちがやっていたが、今では女に男にもてたいという人たちの方が多いし、金をほしがる人達であふれている。 私達との時代との乖離を感じている。 60歳に何もかも辞めてから新聞も、テレビも、映画を見ていないからそのあたりのことには疎いが、流れてくる情報をもとに書いている。 作家も今の人たちは知らない。買わないし読んでいない。 そんなこともあって現在の出版社のことには疎いというところがある。昔、編集して本を出していた時とは違うようだ。 私は三島由紀夫氏が自決して以来日本の文学は終わったと思っている。作品を書く上で辻邦生氏の作品を読んだ程度だ。 私は60歳で遊び人になってからのために若い頃から5千冊ほど買いそろえてきた。そこには文学、哲学、心理学、などなく、人間の細胞、遺伝子、地球学、宇宙、歴史、古代文明、など今まで読まなかった本を買い求めていた。 計画通りにはいかずに開いていない本が多い。 蔵書を図書館に寄付したいと言ったら断られた。 5千冊ほど書斎をリフォームするときに破棄した。図書館にない本だけを残したがよくも読んだ、買ったということで呆れた。 今は原稿用紙に書くこともなくワードに打っている。 だが、原稿用紙に書き連ねることに哀愁を感じる歳になったのか、今では時にその升目をうずめている自分がいる…。
2017年06月20日
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いつか何処かで・・・。25 倉敷は今日は暑い、何か頭がぼんやりとして熱ポイ感じ…。 頭の重さから明日は天気が崩れる予感。 今、ぼんやりと考えている…。 時代が進んで過去の歴史が書き換えられている。文明で言えば世界最古の4大文明は確実にもっと古い文明があることが実証されて崩れた。 その一つに1万3千年前の山形の遺跡から出土された一体の土偶である。当時は縄文紀で、そこに文明が栄えていたことが明らかになった。縄文の女神である。その土偶は今の彫塑家でもあれだけの表現が作れるかという精巧なものだ。当時の土偶には女性のものが多く、驚くことにすべてが妊婦の土偶である。今と異なり、男は女性に手飾りや首飾り、頭を飾る冠を作り求婚し、身ごもれば彼女に似せた妊婦の土偶をつくり、それを壊して住い地の各所に埋めている。それは妊婦を思う土偶による身代わりであった。 なにかほのぼのとしていて心が安らくものだ。当時の寿命は25歳位だったろう。女性は初潮を迎えると直ぐに男と生活し身ごもった。その頃は温暖化で北海道、東北は食料が豊富で高度な文化圏を作っていた。 旧石器、石器、青銅器と言われているが、鉄器はもっと時代を廻らないと出てこないが、意外と早く人々によって使われていたと思っている。 鉄は、地球が生まれた時から地球のどこにでもあったもので人々にとって身近なものだった。大気の中のCO2が海に溶け込んで石灰を作り地殻変動で露出して今があるように、鉄はもっと昔から人々によって使われていたという方が文明の布石から見て正しいように思える。貴金属、宝石はマグマによって吐き出された火片石である。鉄はもともと地上にあったものでそれに含まれない。 縄文紀の女性たちは幸せだったのか、男たちがなぜ妊婦の土偶に託したものはなんであったのか、子供を作り次世代に繋ぐその遺伝子の本能 だった。 動物の世界ではオスは子孫を作る能力がなくなると死んでいく、メスは閉経すると死んでいく、人間にはこの自然の動物界の摂理は理解できないことだろう。 人間が手本としなくてはならないのは狼であろう。一夫一婦制を厳重に守り、子供を育て、 愛をはぐくむ動物だ。また、群から離れた動物を自分の子のように育てている。 この狼の生態を見ているといまの人間が愚かしく思えてしょうがない。 今の人間の姿は本当に男女にとって最善なのかと問いたい…。 本能で生きるのではなく、ただただ快楽だけを求める、物欲と性欲だけの動物に見えてくる。 繁栄が必ずしも人間にとって幸せとは言えない、 私は子を孕んだ連れ合いのためにその安否を心配し土偶に託した縄文期の男女の思いに限りなく思いを深めたい…。
2017年06月19日
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いつか何処かで・・・。24 倉敷は今日はあまり暑くない穏やかな日だった。6月の風は5月の風と違って緑ではない、緑が枯れていく褐色のようだ。 人間は自然によっていろいろと様々な恩恵を抱いている。例えば雨の音には心の安らぎを、風にざわめきには生きている証を、雪には落ち着いた精神を、その変化に人間は順応し過ごしてきた。そこから生まれ築かれたものは大きい、季節と日々の気温の変化が強靭な肉体を作ってと言える。自然と共生というが、ともに生きてきた歴史はない。あるとしたら一体という事だ。自然の共に自然の中に溶け込んだ歴史は幾らでもある。自然と合体して作ったのが古代の歴史である。自然を人間の手で毀している、その生成に手を貸す、これは人間の傲慢というものだ。人間が都合のいいように自然に手を入れて作ったものがそれを共生というだろうか、それは利用という事にしか過ぎない。 自然の営み、その再生にまで人間がかかわることはどうだろう。植林は自然破壊、そのサイクルを無視した行為だ。森林をほっておいたから森林は死滅しているというが、さてどうだろう、自然には自己のその再生力がある。それは歴史が物語っている。風が吹き付け弱い木々を押し倒し腐って土にかえりそこには新しい芽が育つ、、雷が山火事起こさせ焼き払い、新芽の森林を再生する。日の循環が営々と続いた自然の再生であった。森林に手を入れなかったから洪水になった、それは人間の考えである。自然はそれをめぐって続いてきている。山に降る雨がやま旗の肥沃な土を海に流すから魚が繁殖して海の幸が豊魚となるという仕組みなのだ。昔から漁師たちが山を大切にしたのはその摂理を知っていたのだ。 自然に人間は手を貸すことは無い、自然の持つ再生力を信じて見守る勇気が必要だ。灌木などしなくても自然の競争力と生命力によって淘汰されるものが出る。日当たりが悪いところにしか育たない木々もある。朽ちた木々から新芽が必ず生えて成木する。 木々はCO2を吸収し成長して果実を作る。吐き出される酸素は動物がそれを戴く、また、余分な酸素は地球の上空にオゾンの幕を作り太陽の熱を和らげている。これが自然の循環である。 私達が食べている米は半以上がCO2であることを、そして人間の口に入っている植物もCO2であることを知らなくてはならない。今、この地球上に0.04パーセントのCO2しかない。 かつて恐竜が2億年も続いていた時には20%もあって植物が栄えに栄えた時期であったから恐竜の時代は長きにわたったのだ。恐竜だけではなくあらゆる動植物にとっては楽園でもあった。 食べ物が豊富であったから恐竜は巨大化し、心臓の血圧が頭まで到達できなくなって絶滅することになる。隕石がという説もあるが、確かに恐竜時代の末期にそれは起こって死滅した後の事である。 人間の誕生はCO2と海水、雷が作ったと言われている、両性の小さな生き物。体を分けて繁殖していた。これはアダムとイブの物語によく表れている。アダムが胸の骨からイブを作る、まさに初期の人間は体を分けて増えていったのだ。 全てが自然の生業であったと言える。 私はメソポタミアのシュメール文明に遊んで、その文明が忽然と地球上から消えたのは、チグリスとユーフラテスの川の流れによって豊だった大地を破壊し喰いつくしたこと知った。 人間が作った文明はその文明によって駆逐されていた・・・。 この地球はCO2によって作られている、事を知り地球温暖化を阻止するためにCO2を削除しなくてはならないという出鱈目を信じないことだ。削減すれば確実にこの地球上の動植物はすべて絶滅をする…。 京都議定書、パリの温暖化を蹴とばしたトランプ氏は正しいが、果たしてこのことがわかっていたのかどうかは不明だ・・・。
2017年06月19日
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いつか何処かで・・・。23 倉敷は晴れていても気温が上がらない…。がクーラーはいる…。 こんな日も頭は重い、考えるのか億劫だ。 今日は少し横着をさせて頂きます。 創作秘話 「ふたたび瞳の輝きは」2013/8/4 この作品は、「あの瞳の輝きとわに」続編として戦後の焼け野原で生きていく子供たちの姿を書いた。私も其の世代に其の中にいたので是非書きたかった。 あの瞳の…の女教師は登場させているが戦後の日本の現実を書くことで、其の中で生きた子供たちの事を書くことに専念した。 子供たちはどんな境遇にいても、明るく、笑顔を忘れず、瞳はきらきらと輝いていた。そこには子供としての未来に対しての夢と希望が満ち満ちていた。食べるものがなかったから腹をすかしていたが、これから何が始まるのかと言う好奇心はあふれていた。 戦争が終わって自由になれたというのではない、爾来子供たちが動物として持っている生命力を遺憾なく発揮していたのだ。何ものにも恐れず逞しい、まるでライオンの子のように悠然と構え未来を見据えていたと言える。 戦後は酷かったという言葉をよく聞くが、子供たちに取ってそれは的確に該当するだろうか。自然が何の力も必要とせずに再生するように、人間は其の生命力を持って立ち上がる事を知っていた。これは古代から、戦火の中で生きてきたすべての人達にも言える。 この公演には五十人に及ぶ出演者がいる。その人たちに戦後の悲惨な生活を演じさせるつもりはなかった。それは一つのエピソードとして入れた、テーマを盛り上げるための、専門用語でいえば反貫通行動、戦争で打ちひしがれる姿をそれに使い、子供たちがいかなる環境の中にも友情が芽生えそれは永遠に続くと演じさせた。 肉親との離別はさらなる社会の中で生きる活力を生むものだと叫ばせたかった。 出会えたことの素晴らしさを感じてほしいという思いを持ってくれと切望した。 人間なんて小さな物でこの地球の中ではなにの役にも立っていないのだから、まず、自らを律し前に進み、何が本当に必要なものかを見つけよ。と言いたかった。 子供たちの生き方、そこに友情を生む素地があること、時間と偶然が結びつけた人と人との出会い、それは人知では測れない奇跡なのだ、其の奇跡を大切にし、感謝してはどうかといいたかった。 どこにいてもどんな暮らしをしていても生きることには変わりはない、ならば、人として最高を目指そうではないかといいたかった。 この作品を書いたのは五十代の半ば、演劇人会議の実行委員、篠田正浩監督の映画製作に参加、新聞にコラムを、小説を連載していた時、子供たち五十人と演劇を作っていた時、私は其の時間を充実したものとして過ごした。 そんな中、この作品は二時間もの、一晩で書きあげている。 この後、大変に忙しい時を経て、子供たちを卒業させ、演劇人会議を「財団法人舞台芸術財団演劇人会議」として立ち上げ発足させ、総ての物を一区切りつけ、六十にして総てを捨てた。 総ての作品には思い出があふれている、花盛りとは言えないが心に一輪の花を咲かせたということであれば本当にうれしい。 今、この世の中に、戦後拾ったものを捨てた時代をもう一度考えてみて拾えるものがあったら拾う事を勧めたい…。 それは、限りなく崇高な友情と言う宝石だと断言できる。 あの夕陽に真っ赤に焼かれた田舎の駅舎の庭にそびえる銀杏の姿を今も思い興し銀杏に恥じない生き方が出来たのかと自問自答しているのだが…。
2017年06月17日
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いつか何処かで・・・。22 倉敷は晴れて蒸し暑い日、梅雨に入ったのに梅雨らしくない日が続いている。頭は今日も重たく何かかぶっているようだ。 このところ書きたくてしょうがない。 作品が書けないから「いつか何処かで…。」を書いている。 世界の動き、日本の動きを見ていると人間の劣化を感じる。教育は金を儲ける手段なのかとも思う。物欲に支配された世界、宗教の教義などまったく関係がない。民主主義、共産主義など相反するようだが欲望、金銭欲に操られている。 宗教戦争、民族戦争は終わりがない。常に我執の中でその争いは起きている。それを起こすのは政治家、後ろに軍事産業が控えていて操られている。 アラブの春ときれいなことを言って、リビアのカダフィ、イラクのフセインを殺した。今またシリアのアサドを歯牙に懸けようとしている。この内乱を意図的に作ったのはヒラリークリントンだという。石油産出国を内乱に導いた、その裏にはきな臭いものがある。 国連決議など何の役も塊ていない。常任理事国、戦勝5か国の使い走りに過ぎず、失業者救済でしかない。いろいろな委員会では敵国条項の残る日本を晒しものにしているだけ。日本もおめでたくそこに分担金を払っている。お粗末すぎないか日本は…。 その間シナは世界に金をばらまきしたい放題の蛮行を重ねている。 今シナがやっていることは自国の戸籍のない人たちに戸籍を与え パスポートを支給し海外への移民の国の奪略である。 今、イギリスで問題になっているのは過疎の町や村に不当に移民が住み着きコミュニティーを作ってそこの住民なりすまし、 占有していることである。これはイギリスだけでなく世界的に行われていて、日本も過疎地帯にシナ人が、朝鮮人が無断で住み乗っ取っている例は書ききれないほど生まれている。 世界は民族の移動で確実に恐怖にさらされている。かつて、アーリア人が世界を制覇したようにである。 寝ぼけた日本政府はその手立てをまだ作っていない、移民受け入れに動いていることは危険過ぎる。 アメリかは日本海に空母の大部隊を展開しているが、シリアの問題が解決しなければ攻撃が出来ないという問題がある。シナに北朝鮮を抑えさしているが、秋の全人代の大会が終わると一転アメリカとのいざこざが起こり南シナ海での戦闘に発展する恐れが大きい。 また、アメリカ国内ではマスコミがこぞってトランプの排斥の放送を流し続けている。何が起こっても不思議ではない。第二のケネディーになる恐れもある。 一方日本に目を転じてみれば国会で玩具をひっくり返して遊んでいる。 日本国民が心すべきは、国民のレベルで議員となっているという認識だ。 議員の中にはシナや朝鮮のスパイが入り込んでいて、また、フリーメイソンに所属する人たちもたくさんいるという事だ。つまり紐付きである…。 ここで、国民は政府をあてにせずに自分の命は自分で守ることを心掛けてほしい…。
2017年06月16日
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いつか何処かで・・・。21 倉敷は晴天が、余り気温は上がらなかったが、私の病気にはクーラーが適しているので入れている。 気圧が人体にどれほど作用するのかはホ通に健康の人には皆無だろう。 今、書こうとしている「今の女性は本当に幸せなのか」をテーマにした作品、「めぐりくる季節の中で」の構想は行き詰まっている。あまりにもテーマが壮大で出てくる人たちもかなりの数になりそれをかき分けなくてはならないという事は大変な作業になる。舞台の戯曲は50-80人の書き分けをしたことがあるが小説ではそんな長編は初めてである。 古代の女性がどのように生きたか、歴史の中の女性の生き方を生活を見本として現代の女性の本幹を書くことになる。 構成としては「春告げ鳥」「夏告げ鳥」「秋告げ鳥」「冬告げ鳥」4章にして書くことにしている。 祖母が残した日記を娘と孫たちが読み祖母の生き方の中から女性の真実の姿を見出し、比較するという流れである。 下書きは筆ペンで書いているが、その日によって思いが変わり前に進まない。 戯曲の2時間物120枚は一晩で書けたのにという思いもあり焦りもある。衰えを感じることもある。 今回、幻冬舎から出版する「砂漠の燈台」200枚「銀杏繁れる木の下で」100枚「天使の子守唄」60枚「麗老」50枚の作品が納められる。 創作秘話 「砂漠の燈台」 この作品は、私が読みたいから書いたものだ。この歳になって若かったころに読んだ物を引っ張り出してと言うのも億劫なので書きながら読むと言う事で書き始めた。五年前に書斎をリフォームして五千冊以上は破棄した。あとには、図書館でもないというものを遺したが六畳の間に平積みをしていて、昔の書斎のようになにが何処の棚と分かっていた時と違って何処にあるのかも分からなくなったからと言う事もある。 今は背表を見てこの本を読んだのはあの頃だったなと記憶を呼び醒ましてほくそ笑んでいる。私は読んだ本はすぐに忘れて次々と乱読していたから覚えていないと思っていた、が、背表を見ていると何処にこのような事が書いてあったと思い返している、と言う事は記憶のなかに蓄積しているということになる。そんなに精読をしていないのにと、作者に 申し訳ないと思うが、今思い出されると言う事はある意味で作者が作品を通して私の心をつかみ、私はその思いを心に畳んでいたという事なのだ。 忘れていること、そのなかから私の書くものに影響を、人間を教えていてくれたことに感謝しなくてはならない。 多い時には二・三万冊はあったから、積読ものもかなりあったが、そのなかから知識となり知恵に切り替えられたものも沢山あったろう。それが私の頭の中で私なりの表現に変えながら書いたと言えよう。 福沢諭吉氏が、国家、民族、と言う言葉を発明し、作り、今では世界中で使われるようになっていることもありがたいもので、総ての言葉を先人が発見し、名前を付け、たものである。が、それらを使い書いて創造物だからと言って著作権を欲しがる作家の多くは何と言ういやしい考えしか持ち合わせていないのだろうか。 作家が金に執着をし欲を持つと碌な事はない、それが今の日本に文学が育たないと言う事に通じている。まず先人が残した言葉を使って今を書き後の世まで遺すと言う事は無いらしい。今、金が欲しい乞食根性なのである。 私はそんな本を読みたいとは思わないから、自分のために書いている。 爾来、書きものをするという事は自分の備忘禄として、また、子孫のために書いたものだ。作家は金に目がくらんだ亡者、著作権なんか溝に捨てることをお勧めしたい。 この「砂漠の燈台」は自然と人間の一体化を基軸にして人間のこころに巣くう曖昧な心の中から光を見つけると言う物語にした。 敗れ成就しなかった恋、青春の思い出が何時までも心に燃えていて、それを心の糧にして人生に挑戦すると言う物語を書いた。そんな小説を読みいと思ったからだ。歳をとると若い人たちの物語を、はかない時の巡りのなかに生きる人達の物語を読んでみたいと言う事も書く動機であった。 今を生きている人達に文句は一言もない。その人たちになにが正しいかを言う資格は何処の誰でもない。ます、自分はこのように生きると言う事を持って生きることだと思うからだ。それを世間に対してこれが生きることの大切さだ、と言うのは宗教家、哲学者である物書きではない。物書きはその人たちよりもっと先に進んでいなくてはならないと言うのが持論だ。これは、歴史家、郷土史家の人達と大いに違う点だ。物書きはロマンを持たなくては書けない、常識ではなく知恵がなくては書けない、足元を見て全体を想像する力を持っていないと書けない、時間を感じてその時代に飛んでいける感性がなくては書けない、人の死を見てその人の全人格、過去と現在と未来を感じなくては書けない、雲のあり方を見て世界の趨勢を感じ取る機知がなくては書けない、顔や名前を物語の中で人格を持ったひとりの人間として書かなくてはならない、それがなくては一行も書けないものなのだ、が、今の作家はそれがなくては書くことが出来るらしい。見上げたものである。 私は、明治大正時代の偉人の物書き宮武外骨が大好きである。見えていたから何ものにも動じず書きたい事を書き放り出したのだ。この反骨精神こそが人間の証しである。 また、坂口安吾、この人からは狂気とあくなき執着を見て取れることになぜか親しみを感じる、堕落、それは一番に人間らしいなどとほざくあたりは喝采ものだ。この人の物が今は読まれているのか、これほど心やさしい作家はいないと言える。何をしてもそれが人間と言うものだからいいのだ、この言い訳は見事としか言えない。 宮武外骨と坂口安吾の共通しているものは人間の優しさであり、それゆえに持たなくてはならないものは狂喜なのだと教えてくれる。 私は二人ほど優しくはない、だからきれいなものを書いた、書きたいと言う自己満足をしているのだ。 砂漠の中で道に迷う人達のために砂漠の中で明りを灯そうと言う一人の女性の姿を書き著わした。それは、人の心に巣くう不遜と傲慢なことなのかも知れないと思いながら書いた…。 明日、私はサハラ砂漠にいるかも知れない…。と言う言葉を最後として閉じた…。 続編は、人間と自然との関わり合いについて、また、これからの人間の進む道を問うという形で書いた。 燈台、それは人の心にある事を書きたかった
2017年06月16日
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いつか何処かで…。19 倉敷の朝方は涼しいというより寒かった。 私は書き物をしない時にも夜型の人間で5時位就寝する癖がついている。この生活は50年間も続いていて変わることは無い、が、最近とみに3時ごろになると眠くなる。これも歳かと思う。 病との道ずれの生活をしているが、体はだるくても頭が重くても思考力は関係がないのかものを考えることが出来る。 今、作品を書いてはいない。構想を練るという段階である。まあ、これが出来上がると90%は完成したのも同然だ。が、しんどいテーマに取り組んだと後悔している部分がある。 人間の本能と遺伝子、専門的な勉強もしていないから今まで生きて来て知っている人を解剖することになる。そこから生き方の中に本能と遺伝子を見るのだ。 日ごろ、人の顔を見てその人の生き方、ものの考え方を推量し判断をする訓練は積んできた。顔を見れば先祖が見えるというところまで感じるようになれた。これは大変失礼なことで不遜であることは承知している。が、物書きにはそんな部分が不可欠なことなのでお許し願うしかない。 今の科学では平安の末期の待賢門院の月経の周期までわかる。待賢門院とは、白河法皇の寵愛を受け鳥羽帝の女院になられた女性でその頃美貌を謳われ人なのだ。この人の局としては堀河の局がつとに有名である。百人一首にも取り上げられ待賢門院堀河として登場している。西行法師がまだ佐藤義清と名乗りまだ北面の武士として御所の鳥羽帝警備していたころ、歌を習ったのが堀河の局の父親であった。 「心のひだまで読みおる」と言わしめている。その堀河によって待賢門院と知り合うことになる。この二人のことはここには書かない、 待賢門院は崇徳帝と建礼門院を出産しているが後にできた子は不遇で早くなくなっている。 このあたりのことは戯曲「待賢門院堀河」で書いた。西行と女院の間を取り持ったのは堀河と書いた。この件があって西行は出家して、妻子を棄てるのだが、友の早死に心痛めての出家と言う説もある。真意は歴史の中で分からない。女院は疱瘡でなくなっている。西行とは徳大寺家の一門で縁戚関係があった。 また平清盛とは鳥羽帝の北面として同期である。荒法師文覚は白河帝の北面であった。源氏の名前がここでは見られない。このあたりのことはまだつまびやかには語れない。 滝口入道と横笛の悲恋もこの時代である。 まあこのあたりは想像して楽しめばいいということなのだ。 西行法師は南河内の葛城山のふもとの弘川寺で円寂されている。 西行については女性がしなを作り近寄った女性の相手を辞退しなかったという話もある。 また、 「歌を詠むことは仏を作ること」という有名な言葉がある。 私は 「小町歌人六歌仙」を書き小町が政争に巻き込まれて亡くなり、その祟りを恐れて六歌仙に入れたということも書いた。全国に小町塚があるが、それはその祟りを恐れての逸話であろう。 平安京、その下には琵琶湖に相当する地下水が蓄えられている。 また、今の鴨川は京都盆地の真ん中を流れていたが平安京を造設するときに東に運河として流し水神様として時の陰陽師賀茂氏に任せている。賀茂氏こそ陰陽師の開祖である。 京都には隠された歴史がいっぱいに詰まっている。 それを知ることが出来るのは何時か、また、表に出ない方がロマンを醸すか・・・。 京の都には長く行っていないが、昔の面影だけは鮮明に心に落としている…。
2017年06月13日
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いつか何処かで…。18 倉敷は今日は曇り空…。気温も上がらず肌寒い…。 私にとって、煙草は体の調子を計るバロメーターでもある。調子が悪い時には煙草を歯牙もかけないが、調子がいい時には自然に煙草に手がでいる。 煙草について禁煙派は罪悪人のように責め立てる。が、たばこの害について科学的には証明されていません。 禁煙を推奨するhホームドクターも私には禁煙を進めない。自律神経を患っていることを知っているからそのストレスの方が怖いという。 煙草は私にとってストレスを緩和させてくれると医師は言っているようなものだ。 また、物を書いていると無性に煙草の煙がほしくなる。飲むと頭が冴え理論をくみ取ることが出来る。 今の世で人の嗜好品までとやかく言うのはどうか、酒を飲むなと言うこともそれではあっていい、攻撃してもいいということになる。ゴルフも自然を破壊するのでやめろともいえる、旅客ジェット機も排気ガスを車に何千台分も吐き出すから乗るなともいえる、それは車にも言えそうだ、それらに対してたばこ排斥の如く批判しているというのか…。 ばかばかしい、やがて酒もやめろという排斥が始まりそうである。 原発が、温暖化が、政府が悪いなどと言う声に国民のレベルを高めるということを提唱してこのくだらない政治を変えることに情熱を燃やしたらどうか、それには国民が国民の嗜好品まで文句をつけるという低レベルな行いがあっては改善の余地はない。自由の中に基準をはっきりとしてけじめをつける、不当な差別的発言、例えば自分が嫌いだからと言う一方的な言葉を履くことのないと柔軟さがいる。傲岸な態度はやめにしなくてはならない。 これが世界的に行われているということはドイツのヒトラーが行った政策そのままである。 なぜ日本がそんなに堅苦しい世の中になったのか、これは個人主義の行き過ぎであることを認識しなくてはならない。 また、自転車の駐輪について罰金を科せる、これなど警察の利権でしかない。地方自治体は自転車道路も作らずに事故に対して損害賠償に加担している。地方自治体がその保険を作ればいいだけである。有権者が困っていてもそこの議員は何も手立てを行わない。 選挙の立候補のうたい文句には安全のためどこどこにミラーを付けたとさも仕事をしたと言わんばかりのことを堂々と載せている。それは議員の仕事なのか、警察の仕事である。孫に議員としての職分もわからぬ人が議員になっているのも市民の人を見る眼がないということだ。これは国会議員にも言える。 何度も書くが、 国民のレベル以上の議員は誕生することは無い。国民がより良い選択をするしかない。 人は哲学、宗教によって生き方を学ぶというが、それが本当に人間の徒って規範となり幸せになる方途なのか、教えられるということはそれに準じて生きていれば楽なことだ、法律によって縛られていた方が楽に暮らせる。何もカモ何かに頼って生きていいのだろうか。本能をゆがめられてはいないか。 私は作品を書き為にメソポタミアのシュメール文明に遊んだ。そこにエデンの園はなかった。 天文学、医学、建築学などの最高の功績を見てもなぜか感動はなかった。ただ驚いただけであった。 星座に名を付け、地球の生成を説き、太陽系に名を付け、月の満ち引きで1か月を計算し1年が12月あることを示し、天動説を説き、脳腫瘍、白内障の手術をし、数学を用いて巨大な建造物を作り、ビール、ワインを飲み、穀物の飛躍的に収穫を齎す農機具し、文字を作り、芸術作品をたくさん残し、その文明は周囲の木を切り倒して何もなくなり消滅していた。 この例を引くことなく人類は同じ過ちを犯しつつある。 やがて何万年か後に、 日本では、日本橋と皇居の石垣、明治神宮の鳥居の遺跡しか発見されないということになるだろう。 このことは出版される「砂漠の燈台」の中に書いた。 今の人間の進化はその時代に形を変えて存在することだろう。 進歩も進化もしなくていい、今の世の中を人類のユートピァにする努力が必要だと書いた。 文明によって人類は駆逐されたその遺跡は世界に数多く存在しているのを見ても明らかであろう。 これは私の妄想にしか過ぎないことだろう。が、せめて…。
2017年06月12日
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いつか何処かで…。17 倉敷は晴れたり曇ったり、夜になって少し冷え込んでいる。梅雨の日の一日である。 近所では田植えが行われている。川には水量が増え田地に入れている。もうじき稲を植えた田地が緑に代わることだろう。長閑な田園風景がみらることだろう。 それにしてもこの時期にこんなに寒い夜が続くことに少し戸惑っている。私のような夜型の人間にとってはつらいことだ。 世間のことにあまり触れたくない。その思いはある。あくまで専門家でもないので知ったかぶりはしないことにしている。 世界の、日本の動きに対して適切な提言を持っていないからだ。私はこう思うという範疇でしか語れない。 はっきりと言えることは、 国民のレベルで政治も社会もレベルは決まるというしかない。と言うことは世界のレベルが低下しているということだ。いくら大学がたくさんできても人間としての資質は向上していないということになる。 哲学はなくなり、文学も低迷している。人間の精神を高めるものがこの体たらくであるから仕方がない。また、国民はそれレベルを上げる努力をしていない。相も変わらず仕事ができない議員に投票をしている。その人に自分を信託していいのかの判断はない。マスコミの先導や周囲打算に迎合しての思惑の中でそれを決めているということは人間を洞察するこころの目を持ってはいないということだ。 国民のレベルを上げない限り相変わらずの議会になる。それをとやかく言うことは自らを貶めることに気づいていない。 例えば、今盛んに言われている天皇陛下の譲位の問題にしても、平安時代には譲位は当たり前に行われていた。天皇が譲位すると上皇になられ、また、その上の法皇になられ院政が行われていた。いまさら皇室の在り方に政治が言うべきことなのかと疑問に思う。 また、女性天皇、女系天皇という問題が浮上しているが、この違いが判る人はそんなに多くない。これは昔にはよくあったことで女性の天皇も何人か出ている。これらは政権争いに関係していた。この女性と女系の問題を書かないがどうか調べて認識を新たにしてほしい。そこには遺伝子の問題がかかわっていることを知るだろう。 天皇についてあまり書くと快く思わない人も多いのでやめておく。 私は西行法師を書くために平安時代の末期に遊んだことがある。そのことは戯曲「花時雨西行」として書いた。ここに大きく色を落とすのは鳥羽天皇の女院の待賢門院だ。崇徳帝の母親である。また建礼門院の母でもある。平清盛にも深いつながりがある。平安の時代を遊んでも末期が創作意欲をくすぐることがなんと多かったか。この時代から鎌倉にかけて7大仏教が誕生している。天台の僧兵が盛んに活躍をしたのはこの時期である。それぞれの仏教の宗派を調べると大変面白かった。 親鸞が男の性に苦しんでいた時に、 「越後の冬はまるで墨絵のような世界であった。その極寒の地直江津に私は流されたのであります。時は鎌倉、この私は愚禿親鸞と申す乞食坊主である。比叡山で二十数年の修業を捨て山を下り、彷徨い歩いた末に比叡山よりもっと激しく辛い百日間の六角堂での荒行に挑みました。煩悩、女人が齎らす苦しみを乗り越えたかったのであります。天台真言臨斎曹洞の教えは殺生をしてはならん、つまり肉を食ってはいかんということと、女人と媾合うてはならん、と言うものであったのだが・・・荒行も終わりに近ずいたある日、聖徳太子の化身といわれます、救世観音が現われ、「もしお前が女人なしでは生きて行けぬと言うのであるならば、この私が玉のように美しく清らかな女身になりお前に身を任せよう」との言葉をむつがれ、肉食妻帯をお許しくだされ、「これから法然の許へ身を寄せよ」との道を指し示してくださったのです。私はその足で直ぐ様法然上人を尋ねました。その教えに心洗われ涙を流し、弟子の末席に加わることを許されました。「南無阿弥陀仏」と唱えれば、極楽浄土へ往ける、ただただ念仏を唱えれば、何も小難しい経も読まなくていい、そのことが民衆に受け入れられて、広がりつつあったときでありました。伸びよう、大きくなろう、民衆の受けがいいということは、比叡山延暦寺としては快い事ではありますまい。僧兵の武力による嫌がらせ、非難中傷が巷を駆け廻りました弟子の何人かが、朝廷に出入りしていた女人に手を出し、檄に触れ、女犯の罪で、法然上人以下すべて流罪を言い渡されたのでありました。直江津で恋をいたしました。地領を持つ身分の高い家の子女、その子女が後の恵信尼であります。流罪の身でありながら所帯を持ち、なした子が八人。流罪が解かれても京都には帰らず、恵信尼と信州は笠間で、浄土真宗を布教いたしました。法然上人の教え、ただただ「南無阿弥陀仏」と唱え参らせば、どんな極悪人でも極楽浄土へ行ける。その教えは広く広まっていきました。子供は一世夫婦は二世その絆を説きました・・・ 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや 」 平安時代はとても面白かった…。
2017年06月12日
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いつか何処かで…。14 倉敷は今日も一日曇りが多く晴れたのはひと時であった。 梅雨入りが宣言されジメジメした日が続くと私の頭は重く目がちかちかして思考力は極端に低くなる。 昔から春と秋にはものは書かなかった。その間いろいろと様々な馬鹿なことをしながらその中から知識を知恵に変える作業をしてきた。 ほんまかいな、と書物から得た知識を体験し実行してその真意を推し量っていた。 書く材料の真意を、裏を取ってきた。あまりそれらを詰め込むと独自の想像力がそがれるので書かれたものより想像力に重きを置いていた。 つまり書き手の妄想を重視したということだ。私にとって妄想こそ、妄想から生まれた社会の人間の新しい発見こそが書く必然でもあった。 今、世界を俯瞰して見て一番危ういのはイギリスだという結論に達した。日本と非常によく似た島国である点と、EU加盟での移民で苦しめられ、離脱を国民がなぜ支持したのかは国内の秩序が乱れに乱れたことに対しての危機感であった。 日本はイギリスの現状を注視し分析してそれを反面教師としなくてはならないということだ。 学校の崩壊、教室の秩序のなさと暴力によって教師は次々とやめていき外国から教師を招く事態になっている。教団の机の下にはベルが設置され身の危険を感じた教師はそれを押して助けを呼ぶ、学校の周りには警官が常駐していてすぐに駆け付けなくては教師は生命の危機に瀕するのだ。英語がわからない子供たちに教育をすることはできない。教室は暴力教室に代わっている。そんな学校が急速に増加しているという。 所得税は40%と、消費税は30%近い、その代り医療は無料と言うことで病気を治すためだけにイギリスに来る人であふれているという。むろん税金は一銭も払ってはいないが治療はただで受けられる。なんだか日本の姿を見ているようでもある。教育に対しては莫大な税金が使われているがその金は無駄なものになっている。 イギリスの財政は日本人が考えているよりはるかに貧困である。 経費削減のために警察官がリストラされ治安は頗る悪くなっていて、テロ捜査もままならなくなっている。テロを止められないわけだ。このままでいくとイギリスと言う国は沈むだろう。また、これは日本に取っても注視して見守りその弊害を避けるような政策を打ち出さなくてはならないことは言うべくもないことだ。何か日本を想起した人も多かろうと思う。在日特権、健康保険をただで渡航者に使わせていることなども解決しなくてはならない明白である。 イギリスは中間層が音を上げている。今のところは経済成長率はいいからどうにかなるかもしれないがお先真っ暗なのだ。 EUはドイツの一人勝ちである。中国のバブルの崩壊に引きずられることは確実でさらなる発展は望めない。 まあ、ドイツと言う国は三国同盟を結びながら中国において日本と戦っていた国で、それは表向きであっただけ。なんでもありの国である。が今までのようにEUの覇者でいつまでおられるかはわからない。 長く続いた白人至上主義の終焉に向かって拍車がかかりそうである。 要するにヨーロッパの文明が終わるということである。 今も民族の大移動の時代だと考えている。歴史上この移動は度々と行われ世界の地図は変わってきた。 植民地政策を取った国々は強奪とレイプと虐殺をほしいままにして土地とを奪ってきた。その遺産がなくなって消える定めを迎えたというだけである。その復讐を受けていると言ってもいい。 今日必しぶりに為替と株の動きを見た。日本の株価が2万円近くになっていた。 これを見てまず戦火はないと判断した。 金持ちがそのことを予想していない、陰で世界を動かしている金持ちが動いていないということは戦火は今のところないと言える。 それにしても日本国民は呑気なものである。その呑気さが国会にも表れている。朝日、毎日、東京新聞が売れていることである。 この国は国民が死ななくては何も動かないという不思議な国である…。
2017年06月09日
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いつか何処かで…。13 今日も頭が重い、昨日も重い中をたくさん書きすぎていました。 外に出ると冷え込んでいます。梅雨の便りもちらほらと出ているのにこの寒さは…。 地球は確実に寒冷化に入りつつある。人口の移動は寒冷化と不思議に合致している。 ここで温暖化の嘘がばれてしまった。CO2の排出が温暖化を促進させるなどと戯言を言っていた気象学者や専門家やそれにより利権に群がっていた人たちの嘘がバレたことになる。まあ、言葉の責任は取らないだろうが。 まず、NHKは特集を組んで温暖化だと叫んだがその責任は取らなくてはならない。またそれに賛同した学者やコメンテーターの面々はまず頭を丸めなくてはならない。 アメリカのトランプ氏がパリの議定書の離脱を宣言した。まあ、温暖だエコだと言って削減をしていたのは日本だけだから、アメリカがそれを正式に離脱をするということは環境問題を経済問題のネックになることを問題として捉えたからだろう。エネルギーを使って増産する、それを抑えて日本から家電が消えていった。 クーラーの温度も制限され、クールビス、デフレは改善しない、消費は落ち込む、少子化、晩婚、日本のあらゆる負の遺産を抱え込んだことになる。 日本人は何も考えないらしい、自然環境を守ること、再生エネルギーを推奨してエネルギーを大幅に消費していることに気が付いていない。また、それが自然環境を壊していることも関係ない。目先の金に右往左往している。 南極の氷も北極の氷も解けてはいない。この何十年間で気温が上がったということは無い。まあ、都会で、その近くで測ったものから温暖化と決めつける、都会のヒートランド現象では正確な数値は出せない。これはインチキという。 安倍公房氏は「第四間氷期」「水中都市」で温暖化していく日本を書いているが、この作品が書かれてのは日本は寒い時期だった。 温暖化だけではなく利権に絡んだ嘘がはがされている。 医学界では血圧、コレステロール、メタボ、抗がん剤、人工透析、これらの儲けと癒着は国民が認知するに至っている。 政府の借金を国の借金だとして国民に負わせようとしていた。財務省の消費税の増額を目論んでの嘘であった。 議員も公務員も国民の公僕というのも嘘である。国民のためには最善を尽くさない。言って見れば税金泥棒である。 寝たきりを増やしたのは、定年制なるものである。働けるものを失業者にさせ生きる活力と生きがいを奪ったということだ。 人間は自由を欲するものだが、自由には制限がかかっていることを知らなくてはならない。今の世の中には嘘の自由がまかり通っている。本能を劣化させることを自由とは言わない。義務と権利が果たされて初めてそれらは与えられるものだ。 また、自虐史観という言葉でいとも簡単に片付けられている現実がある。これも嘘である。真実を知ろうとしなかった、考えることをしなかった付けである。GHQがと言うだろうが、そんなに簡単にその誘惑にかかってしまうほど日本人は純粋で未熟であったのだろうか。日本人の精神は脈々と続いた遺伝子によって継承されているものがある。それまで奪うことはできないものだ。 堕落でしかない。堕落の方が生きやすい、それを選んだだけである。今の状態を次世代に引き継がせたくはない。それが遺伝子からの死生観でもある。そこには反省と責任と覚悟がなくては生まれない。ただ生きている亡霊である。過去の遺産を無駄に使い未来に遺産を残そうとしないわがままな生き方である。 マスコミも嘘の羅列である。国民を奈落へ向かわせる洗脳に余念がない。国民はそのことにいち早く気づく、それは危機に関して反応する防御がないということだ。 ここに嘘を書いてきたが、 国民のレベルで政治もマスコミも文化も経済も決まるということだけは知っていてほしい。すべてが国民にあることを・・・。 すべからく国民はそれらの嘘を見抜きそれに振り回されないことだ、それはみんなが持っている本能である、偏に危機に対しての身を守る本能の劣化である。奴隷のように飼いならされていることに気づき何が本当に必要かを判断することなのだ。 人間の証として・・・。 生きるということは目的ではなく一日を無事に終わって明日を迎えることの喜びなのだ、その喜びを確認するには利他的な生き方をしなくてはより多くの喜びはないことを知らなくてはならない…。 嘘か真か、それは皆国民のレベルで決まることを…。
2017年06月07日
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いつか何処かで…。12 気圧に作用される健康も何十年と経験すれば慣れようというものだが、そうはいかない。今日も頭は鬱陶しい日だった。そんな日が続いている。作品など書ける状態ではなくこうしてここに書くのがようやくというところ…。 「めぐり来る季節の中で」で女性を書く為にいろいろと思考し構想を練っているのだけれど、 今の女性は本当に幸せなのか、という疑問をもってしまいます。それは幸せ、生きがい、という概念に関してだが、私にはわからないことが多い。 動物のメスとしての女性の本能を書こうとして、それがどうしても現実を見ていると書けない。女性の本能を書こうとして、昔からの女性の生活の中での本能を見ていくと、日本は決して性奴隷ではなく、 平塚雷鳥が言った「かつては女性は太陽であった」という言葉にぶつかる。かつてではなくいつの時代も太陽の様な存在であったことをあらゆるものから確認できる。雷鳥はなにを言いたかったのだろうか。女性解放、馬鹿な、女性は常に開放されていた。振り回されていたのはむしろ男であった。大正デモクラシーの盛んなおり、あの開放的なモダンないでたちを見ても女性は隷属されていなかったということがわかる。 また、足尾銅山の鉱毒事件に物申した福田英子氏、大獄自県の時菅野菅氏を見ても堂々と政府と渡り合っている。そこに自由がなく考えがなかったとは思えないし、つまり、自立して自我をもって生きてなくてはその行動は出来なかったということだ。 松井須磨子氏のことを書かなくてはなるまい。 「カチュウシャの唄」を歌い一世を風靡したこの歌はトルストイの「復活」を島村抱月が訳して脚本にしたものでその主役のカチュウシャを松井須磨子が演じて歌ったものだ。この時代には眼を見張るべき活躍は素晴らしいものがある。日本の一人者になった。「人形の家」のノラを演じ、あまたの作品に出ていて日本の演劇界をリードした人である。 妻のいる島村抱月と恋愛関係になり世間を騒がすことになるが、寧ろこのスキャンダルは世間に好意的に受け入れせられ、女性の自立として持て囃される部分もあった。 抱月がスペイン風邪で亡くなるとその2か月後の命日に花と線香を二人の写真に備えて首をつり人生の幕を閉じた。これは大変な衝撃を与えたものであった。 ここに女性の自我をとらえるべきか純真な愛とみるのかで意見は分かれることだろう。 が、私はこの自殺は完成ではなく未完成とする考えがある。何か太宰の甘えを見、愛というものを勘違いしているとみる。 このように流れがどのように女性に変化を与えていくのか、江戸時代には戒めとして姦通罪があったが、維新以後にはなくなり性に対しても非常におおらかな時代、家庭持ちの男とのいわば不倫が正当に恋愛という形を取り受け入れられた社会へと変貌していく。与謝野鉄幹と晶子、それも奪略婚である。晶子の「君死に給うことなかれ…」という弟に書いた詩など男を奪った女性がよくも当たり前のことを書いたものだと可笑しくなる。 このような時代の女性の遍歴を見ていてもなお解放と叫ぶ雷鳥の言葉の意味が分からない。 私はむしろ安倍貞のように愛するあまり男を独占するために男根を切り取った貞の方がいとおしく感じている。爾来、女性の本能は貞に軍配を上げたい。 女性は子供を育て、男は戦場へ赴く、これが世界の歴史であった時代、子供を育てる為に精一杯に働き育てている。夫の戦死後は決して孤高を守ったのではなく、戦争未亡人として社会に貢献している。例えば夜這いの相手をする、この風習は男を経験させ男女の夫婦生活にとって何にが必要かを感じ取らせて貢献をしている。未亡人は決して不幸ではなく一番にもてはやされた階級であった。 昭和33年3月1日に売春禁止法が出来、日本の伝統的な制度はなくなった年だが、それが正しいものであったのかは疑念だ。今。世界の風潮としてはそれを合法とする国が先進国で多いということでもその必要性を認めている。その制度がなくなってレイプが増えたという報告もあり、政府は売春は禁止しているが風俗営業には見て見ぬふりをして緩和地帯を作っている。いってみれば合法ではないがそれを恋愛としてなら構わないということに塗り替えたのである。 市川房江氏などがやさしく女性はこうあるべきだということでウーマンリブが盛んになり男女社会の変革を問う時代もあった。がすぐ下火なった。それは何もデモなどしなくてもそれらのは女性の地位は保たれていることを知って後退した。 私は現代の女性は極言すれば不幸であると思っている。結婚が出来ない、少子化だと、世間から騒がれているが、自立と自我のバランスが崩れていて社会に取り残されているという感じだ。女性の体験の低年齢化、男の体験の高齢化など、中高で何もかも知り尽くした者が結婚という縛られた関係を作ることはできないと思う。結婚してもこの浮気の多さ、離婚の増加を見ても、性に呈してわがままに享楽的な行動をしてのふるまいは、男を委縮させ結婚願望を喪失させる以外何もない。一部の男にとっては喜ばしいところだが、大方の男は女性から逃避し一人の方が良いという現象が生じている。 早い未来には男が女性を求めない時代が来ることを予見する…。 このあたりのことはまとめて書き続けたいと思っている。なぜ。 これが次作のテーマであるからです…。
2017年06月05日
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いつか何処かで…。11 最終のゲラ校は送った。あとは幻冬舎の編集下平さんがやってくれることになっている。私がしなくてはいけないことはすべて済んだ。あとは本が完成するのを待つだけである。 なんだか不気味な静けさを感じている。北朝鮮、シナ、ロシア、韓国、アメリカ、そして日本。ここに戦火が起こればそれにかかわった国がなくなることを恐れ手が出せないのが現状だろうか…。果たしてアメリカの国民は本当にこの戦いを後押ししているのだろうか、アメリカの財政は皆さんが考えているより厳しい、それは国民が一番知っていることだ。先にシリアに打ち込んだミサイルは賞味期限が切れそうなもので、軍事産業は儲かった。最新の攻撃機器は常に研究開発しなくては儲からないし金を使う。それを戦争で使ってもらうことで成り立つのが軍事産業だから使ってもらわなくては研究もはかどらない。 今、世界で使われている家庭用の便利な製品はすべてが軍事産業からの技術である。技術革新は戦争に使うものから派生している。 次世代の戦争機器によりこれからの家庭用の便利な品物が生まれるということだ。 今、完成を急いでいるものとして、レールガン、レーザー砲がある。レールガンの技術はすなわちリニアモーターの技術がなくては作ることが出来ない。これが完成すれば一番安価な武器になる。日本にはリニアの技術があるからその研究も盛んで完成が待たれる。 人々は平和を望んでいるが、平和では儲からない産業、軍事がある。 これを翻って考えたら、ロシアがあれだけの軍事産業を持っていてほかの産業がないのか、人工衛星、などの技術は世界に誇れるものなのにである。それは家庭におけるものへの転用がなされなかったということに尽きる。戦車があり軍用トラックがあっても自家用自動車を作る技術がない。ロケットを飛ばすことが出来て家庭電化製品が作れない。その他の技術産業もない。軍事産業で儲けていた国の弊害であろう。それは何かシナとか韓国のようにコピーを良しとしなかったことである。大国の面子か…。 まあ大国と言っても国民生産力は日本の半分である。原油とガスで息をついていたがその売値が下落して所得が大幅に減少した。 油田の閉鎖が行われている。ロシアの今後を握っているのは安倍総理である。 トランプ氏がパリ議定書の脱退を宣言したという。これは正しい認識として捉えている。CO2が地球温暖化を促進していないということを宣言したに等しい。テレビがこの件で喧しく騒いだというが、温暖化の根拠を示して文句を言ってほしい。ただ幻想で 自分の錯覚で反論はしないでほしい。科学的に証拠を示すことだ。南極の氷が解けているとアメリカの元副大統領が書いて一躍評判になったが、まったくのでたらめにおどろかされたことを忘れたらしい。トランプ氏は正しい判断をしたということだ。 また、アメリカは北の大陸弾ミサイルを想定して迎撃に成功したということも、核には核をもって迎撃をしたのだ。 2千発も核実験をしていて地球は放射能で汚染されているから空での核爆発は地上では日常の放射能と変わらない。 そんな世の中も好きではないがこれも地球の生成から幾度なく繰り返されたことで、人類の滅亡は何回もあった。その時に人類は進化している。 まあ、進化の途上と考えればいいが、これほど人間が死を恐れた時代はない。戦場の歩兵は銃弾の矢面に進軍し死んでいる。死を全く恐れることはなかった。その人たちは人間の本能である子孫を残したということでその恐怖を持たなかった。 今はも死を恐れ死生観も持ち合わせていない。これは一重に本能の減退、喪失である。 今の世の中を見ても助成の反乱があり、その反乱の素は男性が女性を求めなくなったという焦りである。この件は別に書きたい。 小池東京知事が自民党を離脱した。これは当たり前のことで遅すぎる。また、豊洲の問題を解決が出来ないということは知事として失格である。税金を垂れ流しているだけ、東京都民は怒らなくてはならない。支持者の後退が顕著に表れている。歯止めが来そうにない。くだらない人間ばかり集めて新党を作り、橋元氏を真似てみても知識と理論が異なる。都議選は彼女の奈落への道になるような予感がしている…。いろいろと渡り歩いた末にたどり着いたところが終焉となりうる。都民の勘違いで知事になれたがそれに気づいた都民は愚かなことはしないだろう…。 後がない、終わりという文字が見えている…。
2017年06月03日
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いつか何処かで…。10 強い雨が大地に突き刺さっている。遠雷が響き渡っている。 今年初めての雷である。 こういう日も私は苦手である。気圧の変化に体がついていけない。 そんな中、幻冬舎から最後のゲラ校が届いた。私は書いたものを直すつもりはない、書いたときの心をそこに置いたのだからそりことを大切にしたいと思っている、今直すとその時の気持ちが消えることになる。 幻冬舎の校正者は丁寧に校正をしてくれている。広辞苑を引き漢字を適切なものに変えてくれている。人物事典をもとにして実名を探し出してくれている。さすが名のある出版社だけの仕事ぶりである。私がその校正に対して同意の〇を入れればいいのだ。すべて〇を入れた。ワードで書いているから変換ミスがかなりある。爾来私は横着者であるので書いた作品は1カ月後に読み返すことにしているから、そこでも手抜きをして書いているとして読んでしまうところがある。 流行作家のゲラ校も見たことがあるがほとんど真っ黒だった。校正者が指摘し、作者がそれをなおして汚すのだ。それに比べれば汚すことはなかったが、作者校正はは得意ではない。先に先に読むから間違いに気づかないのだ。人のゲラ校は校正するときに間違ってはダメだという心があるから十分に時間をかけてやったものだ。 一度来てほしいと言われた。 東京は15年前に月に1-2回会議に出席をしていた。5年間も続いた。往復の新幹線とホテル代は出してくれたのでこちらの腹は痛まなかった。だが、私は窮屈なに事は苦手、たくさんの人に会うのも気恥ずかしいという性分で億劫で仕方がなかった。パーティーは国際的なものが多くいろんな国の人がいたが、言葉など分かるわけもなく、その人たちの大きさにびっくりしたものだ。 飲めないからやたら食べていた。早く追われて祈っていた。 ここで東京に行くとなると15年ぶりの上京になる。「砂漠の燈台」では東京の風景を書き連ねているが、行っていたころから15年間の発展を予想して書いた。舞台を東京にしなくてはならなかったから書いた。たぶん書ききれていないと思う。 体の調子もあまりよくないから返事はしていない。 今夜ゲラ校をするがなるべく早く返したいと思っている。手元に置いておくと気になってしょうがないからだ。 私は小説家ではない、劇作家だったのでこだわりはない、が読んでくれる皆さんのためにも丁寧にやらねばならないと思っている。 作品を書いたものとしてその責任を逃れることは許されない。 雨は小降りになったが稲妻の光が走っている。 出版が決まったときは興奮したが、今は冷静さを取り戻している。 それより、 来年、この中の作品を脚色して公演する準備が行われている…。 無性に舞台がしたくなった。 小説を書くという個人の作業でなく、舞台は何十人との連係プレー、観客と一体になれたときはこれほど体が歓喜することは無い。 役者は舞台に上がると観客の目が突き刺さって切る。その時には何にもまして恍惚とし体が宙に浮く、オルガスムスを味わうのだ。 映画、テレビの女優が舞台をやりたいというのはその喜びを知っているから。 昔は、男より、食事より舞台に上がりたいという女優がたくさんいた、舞台役者が晩婚なのはそのせい。 食欲と性欲をはるかに超えた喜びが体中を駆け巡る。 が、今の役者はなんとその喜びより、ギャラをほしがっている。 今の現状の環境では優れた役者が育つはずがない。 大根役者がいなくなった。と書いたら大根役者ばかりの間違いではないかと思われるかもしれない。が、この大根役者という言葉を間違って認識しておらわれる、大根役者とはオールマイティーな役者のことで煮ても焼いても刺身のつまにもと食べられるという役者のことを言うのです。 東京の劇団は在日ばかり、映画もテレビも在日の演出家、日本の文化的なその世界はもう終わったと言える…。 日本人による文化の継承がなされていない…。
2017年06月02日
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いつか何処かで…。9 皆が許してくれたから好き勝手に生きて、色々なものを作り、手に余るほどの思い出をありがとう。家族にはいい手本を見せてあげることが出来なかったと思う。許してほしい。これでも精一杯に生きたつもりでいる。 どのように生きても構わない、後悔は常に付きまとうものだ。その思いが成長をさせてくれる。総ての行いは次へのステップと考えてほしい。受動的にならずに能動的に生きてほしい。 まず体の健康を整え、人に対し、社会に対して生きてほしい。どのような環境にあっても感謝の心は持っていてほしい。それがあれば幸せに生きられる。そんな思いで生きてきた。 常に君たちの幸せを祈っていた。それしかできなかった。 ただ一つだけ言わせてほしい。どのような不平不満があってもありがとうと受け止め最善を尽くしてほしい。 私が生きてきた歴史として「yuuの一人芝居」に載せている。後半の人生の生き様である。それ以前は自分史を見てほしい。総ての作品の著作権は放棄している、どのように使ってもらってもいい。言いたい事は、総ての人間の命は皆等しくとおといという原点を忘れないでほしい。 色々と言う人の言葉を精査して判断して生きてほしい。頑張らなくてもいい、人に迷惑がかからなければゆったりのんびり適当と言う事が人間の精神には必要なものだ。 思うままに生きる、それでいいと思う。 「東大に行って国を動かす人になるより、人様の邪魔になる石を動かす人になれ」これは蓮井家の家訓の様なもの、だが、このように生きる事はなくていい。もうひとつ、死生観を持って生きてほしい、これは私の作品の骨子となっているので見つけてほしい。名誉も金も縋るべきではなく、平凡のなかに幸せを感じ取ってほしい。 「人が生きると言う事は、一人一人の心のなかにある大切な種から芽を出すものを育てること、それには夢と言う肥やしがいる」 この言葉を残す。夢を持ち夢のある生活をしてほしい。 これから人間の世界は大きく様変わりをすることだろう。そんな中、良心をもって生きていれば生きられる。それも大きなものでなくていい、小さくて深いものを持ってほしい。誠実と言う言葉に尽きる。社会においての評価など気にする事はない、真摯に生きていることであれば何も怖がる必要はない。 学歴社会は終わった。人に役に立つ生き方を見つけて生きてほしい。それを見つける時間を大切にしてほしい。一つのことに打ち込むその生き方を会得すれば、社会に役立つ人になるだろう。人生において無駄という時間はない、総てが貴重な時間であることを知ってほしい。 私は、私の父と母は心の中で生き続けてくれていた事を伝えたい…。 また、ともに歩んでくれた妻には感謝していることも…。 そして、みんなから沢山の感動を貰ったことも併せてありがとうと言う言葉を残したい。 人はどのような言葉を残すのからわからない。私はこのように言葉を書き残そうとしている。 それは私が生きて感じたことを書いただけだ。私の演劇台本の幕を下ろす前の言葉として…。 思えばいつも死を感じて生きてきた。そして、人間の偉大さを書き続けてきた。 日本に生まれてきたことを、そこで生きられたことをいくら感謝しても言い尽くせない。自由な精神で暮らせたことはありがたいと思う。たくさんの素晴らしい精神を持った人たちと出会いその人たちから頂いたものは多い。その人たちから頂いたものはその人には返していない。次代に生きる人にその思いを伝えることを使命とした。 これから後いくら生きられるかわからないからやることだけはやりたい。人類の歴史を作ってくれた人たちの後の歴史を書き残したい。そして、普遍の人間の在り方を綴りたい。 それが生きている証として…。
2017年06月01日
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