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明日は今日より素晴らしい・・・。5 倉敷は空に重たい雲がたけ込めていたが、いつの間にか晴れて日差しが厳しくなった。 私にとって今年の夏は今までに経験したことがない日常感がある。年をめぐると昨年のことか言えなくなる。 今年は小学校と高校の同窓会のお誘いがあった。往復はがきを眺めながら同窓の友の息災と幸せを思った。私には鮮明に記憶する思い出がない。宿題は忘れていたというよりしなかったので。廊下に立たされたりバケツを提げて立たされたことを思い出す。思い出すといえば近くの駅舎に聳えていた銀杏の木は今まで生きて忘れたたことがなかった。 その頃に少年のすべてが、野球少年であり映画少年であった。そんな日々の中で、こっそりと銀杏と約束を交わしていた。 「将来、映画の仕事をしたい、物書きになりたい」というものだった。 そのことは「銀杏繁れる木の下で」という作品を書く動機にもなった。その作品は「砂漠の燈台」の中に載せている。その場所を訪れてはいないが心のよりどころとして生きた。 学生時代に暮らした町は昔の面影のかけらもなくなって近代的にビルの町に変わっている。私が見たものではなくもれ聞いたことだ。 東の岡大医学部は変わってしまっているだろう。西の大本教の宗忠神社は昔のたたずまいでそこにあると聞いた。倉敷にいて岡山に行くこともなく、東京へ行くことの方が多かった。 75歳で同窓会を閉じると書いてあった。今の世の中だから半数は残り生きていることだろう。 私はたくさんの人の中に入ることは苦手にしている。 子どものころには茶目っ気があってオチバケばかりしていた。明るい子供だった。その頃の同窓会も秋にあるという。 私は今まで堅気の生き方をしたことがない。遊び人として自由に生きた。みんなの中に入ることを避けてきた。ひたすら銀杏との約束を果たすために生きてきた。 「砂漠の燈台」の後書きでそのことに触れている。 「砂漠の燈台」と「天使の子守唄」「麗老」、これらの作品は六十歳で書く事を辞めていたが、十何年かぶりに書くことになった。書いていて、若い頃の事を思いだしていた。浅草のストリップ小屋の喜劇役者の方々に舞台の面白さを教えられ、新橋演舞場では、新派の北条秀司先生、台本を書いておられた池波正太郎先生に教えていただいたこと、また、岡山県下の多くの文学を志していた人たちとの交流、原稿を読み雑誌を発行し全国に配ったこと、特に『新日本文学賞』を受賞したが断らせた大江壮さん、「女流文学賞」をとりながら作家にならずに日本舞踊の流派を作った梅内女史の事は心に残っている。小説を書いていた私を倉敷で演劇の世界に引っ張り込んでくれた倉敷演劇研究会の土倉一馬さん、とその仲間たちから沢山の思い出を頂いた事。未熟な台本を公演してくれた事。また、私の作品で岡山県代表として日本青年大会に四度も出場し数々の賞に輝いたこと、それは倉敷の青年たちの熱意ある功績として、また、それを率いた土倉一馬さんのお手柄であること。そこで学んだものが貴重な歴史のページである。それらは走馬灯のように心の中で再現されていた。若かったころの夢物語である。 後に日本一の演出家、鈴木忠志さんにも手を差し伸べていただき、全国の演劇人たちと「財団法人舞台芸術財団演劇人会議」を立ち上げる一役を担い、鈴木メソッド演劇の真髄を魅せられた。鈴木さんの温情は忘れてはいない。日本劇作家協会に不満があり辞めたこと。映画の世界では表現社の篠田正浩監督、鯉渕優さん、永井正夫さんらのプロデューサー、岩下志麻さん他たくんさんの俳優さんと何作も仕事が出来たことも記憶を新たにした。それらの人との関わりで多くの思い出を貰った。そんなことを考えていたら書き上がっていた。子供たちと青年たちに支えられながら劇団滑稽座は存在した。七十二回も公演が出来たのも彼らが私を支え学ばしてくれたおかげである、子供達も育ち青年たちも成長していった。それも心に残る残照がある。私の我儘といたらなさのために傷を与えていたとしたらお詫びをするしかない。 「砂漠の燈台」は文明と自然の再生を追いながら人間の務めと幸せについて書こうとしていた。幸せ、それは人さまざまな形でそこにある。その中の一つの姿をとらえられていたらと思う。作中小説として「銀杏繁れる木の下で」を入れた。この作品は銀杏と言う自然の総体に対して人間の心の動きを追ってみた。私は無神論者で運命論者ではないが、何か不思議なものに導かれていると感じている。草稿は二・三日で書きあげた。六十歳までがむしゃらに走り抜けたが、年を経て気づくことが多い。後悔はない、私の心のままに生きてきた。夢を実現するためにいばらの道を、ぬかるんだ道を、多少の中傷も、試練として受け止めただ前に歩いた。これはすべての人が歩んだ道だろう。名利名聞には関心がなかった。ただ歩いた。人の評価に対しては反省の材料にしたが心には遺さなかった。 それだけになまいきだと叱咤されたかも知れない、それも私は前に進む材料としていた。 私は常々ありがとうという意味で言葉を書いた。 「人の世の哀しみにも華を咲かせ、人の世の悲しみにもたわわに実をつけよ」 「人には大切な種が心にある、それを育てるためには夢という肥やしがいる」 「この娑婆には、悲しい事、辛いこと、が、一杯にある、わすれるこった、日が暮れて、明日になれば…」 これらの言葉に幾度助けてもらったことか。 今思えば沢山の人に応援をしてもらった、沢山の人に出会えた。その人達とめぐり合えたことで何百という作品が生まれた。出会いに感謝している。 日本を代表する沢山の名のある人達から温かいまなざしと言葉を沢山頂いた、また、人とは何かを学ばせて頂いたが、その人たちに返す事はしなかった、私が生きていて出会った人達にその人たちの想いを伝えることでお許しを願うしかないと思って接した。この作品を手を差し伸べてくださった人達と支えてくれた人達、私と出会った総ての人達に捧げたい。不遜であるが…感謝をこめて…。 七十五歳 吉 馴 悠
2017年07月25日
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明日は今日より素晴らしい・・・。4 倉敷は晴れていたが先ほどから雨が落ちてきた。てきめんに私の頭を直撃し頭痛が起こりしばし茫然自失・・・。慌てて血圧を測る。年齢+90より少し高い…。 昔は雨が降ったら天気が悪いとよく言ったものだ。書き込みながら思いだしている。 イラクでモスクを奪還するために銃撃戦がありイラク軍に200人以上の死者が出たと報じていた。これはテレビ、新聞ではなくパソコンで読んだこと、私は見ないし読まないからそこからいただくしかない。 シリア問題も硬直状態が続いているらしく動きがみられない。 目を転じて日本の状況を見ればこの国は戦争しているのかと見まがうほどである。 放送局、新聞各社が表現の自由と称して、書かない権利もあるとほざいている。全く独断で、読者に対しての忖度がない。崖ぷちの最後のあがきがそうさせているようにも見える。 書かない自由がありそれを表現の自由というのなら、公器としての存在はないから、機関紙にならなくてはならない。国民はもういい加減飽き飽きしているからそれをお勧めする。 国民の活字離れは加速している。テレビにすがっているのは年寄りたちという少し認知症がかかっている人たちだ。私はも年寄りたがその人たちを弁護するつもりは毛頭ない。その年に到たるまで何を考え生きていたにか、要するに勘違いをして金があるときには身の程知らずの贅沢をし年を取った時のことは一切考えてなくて生きた、つまり生きていなくて時間の浪費と徒労な生活をした付けである。が、その人たちがマスコミに洗脳されて思想信条もないのに金のためにデモに駆り出され看板を掲げるさまはいとおかしいというべきものだ。そのほとんどが国民の税金で生きている人となるとあほらしくて言葉が出ない。 この国はいつから金のためには何でもするという国になったのか、何も国民がマスコミの金儲けなら何でもうそを書くということになじんでも結局一銭にもならず己の至らなさを披歴していることに気が付いてない愚かしさである。 また、官僚たちの横暴ぶりには目を見張るものがある。認可権を盾にしての暴尺無尽ぶりにはあっけにとられる。総理より偉いと思っている証拠である。国民に信託された人と一回の公務員との差がわかっていない。パジャマパーテイー、しゃぶしゃぶパーティー、幼児売春に至っては開いた口が塞がらない、そのために天下りに関しては懸命に働くという為体 である。それでやめ刺されるとあることないことリークして官邸と対立する。認可権という特権を持っていて官邸が主導したとうそぶく、人間の良識など持ち合わせてはいない。ただ恨みつらみを叫んでみても己に非があることに気がかない下衆である。 ここは総理が総理の権限でそうしろといった、それに不都合でもあるのかといえば済むことだ。認可権があるから官僚 この問題もテレビと新聞に後押しされて共産、民進が議会を混乱させている。主犯は朝日である。下らない三文芝居はごめん被りたい。 そんな混迷する日本にあって、為替111円に、株は2万円に達し、失業率は2.5%になっている。ここで安倍総理が消費税をなくしたら人のデフレは解消するのだが、財務省という壁がある。 第一次安倍内閣の時に、財務官僚をリストラするといったばかりに社会保険庁の無能を長妻にリークされて退陣に追い込まれた経緯があるが、ここは踏ん張っての英断がほしい。そうすればデフレは解消し税収も増えるというものだ。 蓮舫の二重国籍、四重国籍問題…。 石破の獣医師会の癒着、北朝鮮からの砂利の利権問題・・・。 鳩山前の蓮舫の二重国籍問題を知っていた発言の共犯性・・・。 マスコミの金まみれの報道…。 8月初めの内閣改造問題・・・。 NHKの受信料は在日は免除の実態…。 反日評論家の一層…。 日本は今年も厚くなりそうなことが多い…。 認知症、体を壊すことなく乗り切ってほしい…。
2017年07月23日
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明日は今日より素晴らしい…。3 倉敷は昼間を灼熱地獄、夕方には涼しくなった…。 私は暦では生きていない、海の日、山の日、も知らない。 梅雨が明け、夏休みが始まっていることも知らなかった。 世間音痴なのか、いいえ、自分のサイクルで生きているのであまり関心がない。 そんな日々にも日本の現状が耳に届く。 テレビと新聞社の情けない真実にはうんざりしている。国民の無関心さには腹が立っている。 国民は国に憲法を盾にして権利だけを要求しているが、国民には義務も付きまとっている。義務ありての権利であることを知らない。 なぜそんな品性下劣な国民になったのか、考えることを忘れて時の流れに身を任せたというのか。欲望に負けて将来のことを、歳をとることを忘れていたのか。快楽に酔いしれ溺れて慎みまでなくしたのか。自分は悪くない政治が悪いと言っておれば楽な暮らしができるのか。いつも被害者の演技をして端役でいたいのか。生きることの何たるかを知ろうとしないで終わりを迎えるのか。 世界の中にあっさて日本国ほど恵まれている国はない。その認識はなくもっといい国があると錯覚して叫ぶのか、努力もしないで。 水道水がそのまま飲める国は世界でも20国もない、停電することもなく、鉄道、道路は整備されている。200万の年収でも食べられる、健康保険は国民に平等に与えられている、年金も贅沢をしなかったら飢えることはないだけもらえる、車は全員が持っている、市場には商品があふれていて持っている金に見合った生活ができる・・・。 イギリスでいうところの生まれて墓場までを日本は国民に約束しそれを実行している。世界でも長寿としてはこの国である。高校まで授業料の無料化、子供たちの医療費は無料、馬鹿でもはいれる大学は無視の数ほどで教育補助を一人の生徒当たり年間300から1100万円を国民の税金で払って教育環境を作っている。何を言っても罵倒しても言論の自由として罰せられない。夜に女性が独り歩きをしても襲われることはない。玄関にカギをかけなくても泥棒は入らない。 こんな国に住めて何の不都合があろうか、とはいえもっともっとと激しい欲望に振り回され叫ぶ人たちがいる。 自然の四季に恵まれ山海の珍味を味わうことができる。国民の贅沢が自給率を下げている、それは食べ残しをすることに起因していることを知らない。 日本は領海を含めると世界で6番目の領土を有している。 私は若いころ東京にいたが家人の故郷へきてもう50年になろうとしている。本当に良かったと思っている。公害の町だが、そこには自由があったから…。東京にいたらたぶん死んでいただろう。圧し潰されていただろう。 今思うことは昔の東京の姿である。いいところしか思い浮かばない。 「砂漠の燈台」で東京を書いたがそれは想像で書いた。55歳から60歳まである組織を作るために月に2回ほど東京の会議にでていたが倉敷に帰りたくてしょうがなかった。その時に眺めた東京を書いた。 3年間で3000万円提供するから演劇公演を活発にやってくれないかと言われたが、政府の金をもらうことに憚れてお断りをした。ひも付きになった劇団もたくさん出た。 そんなことで拘束されることを望まなかった。 博打の儲けで文化が振興できるとも思えなかった。私は、人は身銭を切らなくては正しい成長がないという考えに固辞していた。 自由を謳歌しながら劇作家と演出家の道を歩んだ。それも60歳ですべてを棄てた。足らずを補うために深呼吸をした。 「砂漠の燈台」の最終部をここに…。 縄文期の出土される土偶には女性の妊婦の姿をしたものが大量に発見されています。そこに縄文期の男と女の濃厚な愛を見るのです。男は妻になる人のために首や手首を飾る装飾品を作り頭に載せる飾りを作るのです。求愛する、素朴な出あいで純真な関係が生まれ、女は初潮を迎えると一緒に暮らすようになり、やがて子をはらむのです。何の打算もなくただ愛という絆が続くのです。男は女の妊婦の姿に似せて土を練り作るのです。完成して壊して住居地にばらまいて隠すのです。妊婦の息災を願い、身代わりとして壊すことで女を守ったのです。二十数歳の寿命の中で彼たちは次の世代に託す命を誕生させ命を終えるのです。ただ遺伝子を残して…。 そこに今では考えられない幸せな時間を共有していた歴史があるのです。縄文期の男と女の時間、それは動物の女としても、私は羨ましさを感じてしまうのです。そこに人間が存在した証拠として真の人間社会があることを思うのです。なぜ、そのような縄文期という時代が一万七千年間という長く続いたのか、そこには動物として、人間としての誕生と死んでいく中に愛という相互の関係の中になにか最も大切なものがあったとしか思われません。それは命を運ぶこと、その本能の中に充実した愛による生活の支配があった、だから縄文期が長く続いたという結論を見るのです。 人間の心の中に巣くう遺伝子を解き明かし引き出してこれからの人間を創造することに生涯をかけたいのです。あなたと一緒に…。 滅びることのない二人の文明を作るために… 砂漠の燈台の灯りに導かれた人類のためにも…。 生きることも死ぬこともそれを超えた時に本当の人間の姿が見えてくることも…。 そして、愛する思いを永遠にしようとするとき、その永遠は遺伝子しかないことも…。 あと数日の後、私は緑なす北海道の大地の中に、今までと異なる思いを抱いて立ち尽くしているでしょう…。 出版は8月の中頃か、全国の書店にて販売される。 これは私の遺書として書いた…。
2017年07月20日
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明日は今日よりすばらしい・・・。1 倉敷は今日も燃えている。 風は熱風が流れ拒否しているようだ。 北陸や北海道では集中的に高雨量であるらしい、事故のないことを願っている。天災は毎年あっている、そのための防災の準備ができていない、この国は人が死ななくては何も前に進まない。 自然をないがしろにしている証だ。台風や地震に対しての付き合い方も忘れたというのか、自然が作り上げた斜面を造成すれば水害による家屋の崩壊は想像できたはずである。一部の人たちのために日本国土の一つの県に相当するゴルフ場、自然の営みから生まれた自然林を植林地にする、植林されて物は大きく育っても根を張らないから保水能力はなく流され流木となって川を下り堰き止めて一層氾濫する。毎年のその繰り返しである。 江戸時代の藩の殿様は領内の防水を第一に考えていた。 政府も、地方地自体も考えているとは思われない。温暖化、エコに3兆円も使い、防災には何百億とは情けない。 反対の人がいるかもしれないが、私はインフラにもっと投資しろという考えである。必要としない設備投資も盛んだが、全国の各県になぜ飛行場があるのかと訝る人も多かろうが、それは有事を設定して作られている。私の住む倉敷にも100メートル道路があるが、その道路は三菱重工の前まで続いている。これは普段は全く必要のない道路である。が、飛行場になる。また、全国を高速道路が走っているが、それは自衛隊の車両が緊急に走るために作られている。これも国防の一環である。 このように書くと私を右翼に染まっているという人もあろう。しがない戯作者をし、その頭で妄想をしたこととして聞いてほしい。 が常に国民を守るために作られているという考えもあっていいのではないか。 私は幸か不幸が反日教育を受けてはいない。戦後の教育を受け復員してきた先生に教えられた。その先生から戦争の実態と人ではない心理の状態を学んだ、と言っても当時は勉強などしていなかったからまともに聞いていなかったともいえる。 その頃はみんな貧しかった。平等にひもじい思いをしていた。 あの頃の子供たちはそんな状況にあっても明るかった。ポケットには夢と希望があふれていた。 学校給食が始まったのは小学3.年生の時だった。机の上にコッペパンと脱脂に乳がのった。 野球少年であり映画少年でもあった、そんな中で生活していた。 ラジオでは「赤胴鈴之助」「新諸国物語」などが流れ、子供たちはラジオにかじりついて聞いていた。菊田一夫の「君の名は」で風呂屋が空になっていた。 源氏鶏太、北条誠、などが週刊平凡、明星に連載小説を書いていた。そのような大衆小説にも自虐史観は見られなかった。 楽しい恋愛物語だった。 時代小説では、柴田錬三郎、山手樹一郎、海音寺潮五郎、山本周五郎氏らが活躍していた。 その頃からたくさんの小説家が登場することになる。 志賀直哉、芥川龍之介、菊池寛、谷崎潤一郎、太宰治、坂口安吾、川端康成、そして少しして三島由紀夫、安倍公房、遠藤周作、松本清張、水上勉らの時代へと移る。 この当時には私も20歳を超えていたがなんでも読み砕いていた。ここに列記するには多すぎるので省略した。 映画の世界では何といっても、長谷川一夫、中村錦之助、市川雷蔵、勝新太郎、三船敏郎、石原裕次郎を上げなくてはならない。 その人たちによって日本の映画産業の頂点を期した。 それらの作品を読んだり見たりしても自虐史観はどこにもなかった。 「新日本文学」系の野間宏、埴谷雄高らの作品は読んでいない。 歌謡曲では、東海林太郎、藤山一郎、岡晴夫、小畑実、春日八郎、三橋美智也、並木路子、美空ひばり、菅原津ズ子、コロンビアローズ、以下と続いて島倉千代子につながりそこから大挙して歌手が増えている。 私たちより少し早く各県に国立大学が作られ駅弁大学といった。 今振り返ってみても、今のように千々に乱れるという世相ではなかった。60年70年を境にして大きく様変わりしていくことになる…。 そのことはまた別に記したい…。 明日は今日より素晴らしい…と書いているが人の心が豊かになり幸せになったかは、どうなのか・・・。
2017年07月16日
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いつか何処かで…。49 倉敷は33度の暑さで外には出られなかった。体調は頭がぼーとしているが思考力に変化は見られない。目がほちほちする。 「頭痛肩こり樋口一葉」ではないが、そんな中貧しいながらも心穏やかに暮らしている。 「小町うたびと六歌仙」を途中で終わったが、今平安初期の小町を訪ねることは体力が持たないので、ここまで読んで下った人たちには誠に申し訳ない。 この件は、柿本人麻呂と同じで殺しておいて「柿木神社」を立てて、怨念や恨みを被らないとした当時の習わしが、小町を「六歌仙」に仕立て、全国にその話をばら撒いたという事です。 これ以上は今は書けません。差しさわりが大きい…。 さて、小町にうつつを抜かしていたら、日本国民に📺テレビ、新聞、俗にいマスメディアから宣戦布告が届いているではないか、テレビと新聞の情報を信じる年寄りたちが亡くなるまで維持できないとわかり国民に喧嘩、交戦状をたたきつけている。 正常ではないことは見当がついていたが、ここまでとは、なりふり構わず安倍総理を引きずり降ろそうとしている、つまり民意を無視して狂ったように制御能力までなくしている。 今、政府では朝日の押し紙について審議されている。発行部数の80%が購読されていないと事業を閉じなくてはならないという法律がある。が、朝日はそんなこと知ったことかという押し紙を刷って、発行部数に対する広告料を詐欺していたことになる。広告主は詐欺として訴え賠償を要求できるのだ。今、朝日は新聞の使命を無視しねつ造記事と変更記事を書き散らかしている。新聞記事には著作権はないが、盗作の問題なら鬼の首を取ったように書きなぐる。が私の劇作の中の創作した文章を許可もなく記事にしていて文句を言えばなしのつぶてであった。サンゴの自作自演のころのことである。 私も愚かにも朝日を取っていた。やめるというとやくざ屋さんが来てどうしてやめるのか、何が不満なのか、景品がほしいのかと威圧的に脅迫的な態度で喚いた。 朝日は「赤が書いてやくざが売って馬鹿が読む」と言われているがこのことはには信ぴょう性がある。 水島で石油会社がタンクから原油を流出し、構内はおろか、水島灘、瀬戸内海まで広く原油が流れて汚染した事件があった。その時、現場に駆け付けた記者がストロボを焚いて写真を撮ろうとし、工場の保安課にカメラを取り上げられ叩きつぶされたこともあった。この程度の記者たちが記事を書くのだから、引火していたら大変なことになるという認識はゼロだった。 さて、 新聞社を潰すのには、購読をやめて部数を減らす。広告主に文句を言い不買運動を行う、国民の怒りを教える、押し紙の実数を知り拡散する、国民にできないことはない。朝日の葬式は国民が出す…。 新聞社がつぶれると自然にテレビ局もつぶれる、放送記者など何の役にも立たなくて系列の新聞社から記事をもらっているからだ。 今、朝日はその危機を感じて死に物狂いの反抗をしているがそれが死期を早めることを知らない。 毎日は聖教新聞、公明新聞を印刷している。部数としては200万部そこそこと聞いた。聖教、公明を印刷してようやく維持しているともいえる。 テレビにしても新聞にしても電通事件で広告がたやすくはいらなくなっている。また、テレビでは電通の息のかかった俳優で跋扈していたがそうはいかなくなっている。 それにしても理念も倫理もないマスコミが多いことに驚く。 青息吐息・・・その悲鳴はより政府批判を増し、国民には虚偽による洗脳が増すことになろうが、国民は成否をしっかりと判断して惑わされ振り回されてはならない…。・ 私の尊敬する言論人でジャーナリストの宮武外骨氏は、 「たくさん新聞はあるが尻を拭くには朝日が一番いい、だから売れている」 と、滑稽新聞で書いている…。
2017年07月13日
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いつか何処かで…。48 倉敷は今日。晴天が続き暑い日になるという。32度と予報…。 それにしても昨今の日本国は異常事態である。この混乱はテレビと新聞が理性を失ったことで始まっている。また、それらは金というものしか見えていない。それをさえている資金源潰すしかない。 今日もそんな中小町を載せようとしている。浮世の憂さ晴らしというところか…。 十三歳の清子様には・・・。 「あなたは殿方を知っているのですか」 殿方の文が届くようになるとそのように私にとったのでございます。 「はい」私は小さく言葉を膝に落としましてございます。 「そうですか・・・。私は殿方が嫌いなのです」 利発で明るい清子さまの裏の面を見たようでございました。 「更衣として上がられると・・・」 私は呼び水をさしました。 「怖いのです・・・このごろどうして女に生まれたかを嘆くのです、考えるのです」 今まで見たこのないくぐもった顔と理性を捨てた声でございました。清子さまの本音を見たのでございます。 「それでどのような・・・」 恥ずかしそうに言われて、 「いいえ、もう・・・」 うなじが赤く色をつけておられました。 「男は獣でございます。心と体をばらばらにして弄ぶのですから・・・」 私は初めてのときのことを思い出しておりました。 いかつい獣が襲い掛かり体を引き裂いたときのことを・・・。 「なんという・・・おぞましいこと」 「ですが、その獣が・・・」 「私が・・・この肌が・・・あなたのように白くないと・・・湖に向かって立ち尽くすあなたの白い体を見たとき・・・」 「いいえ、肌の色ではございません、これから・・・。男を知れば瑞々しい肌に・・・」 あの夜の事を見られていた。そう思うとなんだか意地悪心が頭を擡げてきたので御座います。 「そんなものなのですか・・・」 思案げに言葉を落として、 「女とは悲しいものなのですね」 といわれたので御座います。 そんな日が御座いまして・・・ 館様が訪れになられたときに、さわりを語りまして御座います。 「それは困ったな、男嫌いでは・・・」 館様は私の肌を愛おしく撫でながら、 「地黒が仇になっているのか・・・」 「いいえ、あのお年ですとそのようにお考えになられます。自然なので御座います。ですが・・・」 「男を知ったら狂うか、お前のように・・・」 「はい。押しつぶされたい、壊して欲しいと考えるものなので御座います。女の体とはそのようなもので御座います」 「ならば、清子の教育はお前に任そうかのう」 「そうしますと、もっとしばしばのお運びがなくては・・・」 「そうじゃのう」 館様は頬を緩めて・・・。 琵琶湖からの風は心地よい流れで御座いました。 3 わびぬれば身をうき草の根をたえて さそう水あらばいなんとぞ思ふ 小野小町 はい、清子様も更衣として上がられたのでございます。におうばかりのお美しさと申せば良いのでございましょうか・・・。咲く前に咲く密かな一輪の花が表舞台へと歩を進められたのでございます。 十四歳とは思えぬほどの立ち振る舞いで、堂々としておいででございました。更衣の吉子様、清子様、館様の出世はもう誰がなんとも言えない所まで上がろうとしていたのでございます。 私は館様の「待っていてくれ」の言葉を恋しがるそんな女に代わっていたのでございます。 咲く前に毟り取られた花は蜜を滴らせて待つ、そんな花の命にようやく芽生えていたのでございます。 館様は足しげくお運びになられました。官位が上がれば蝶の羽ばたきはより旺盛になるのでございましょうか、狂ったように蜜を欲しがりましてございます。 ここまで書いて、言葉として書いていない。なぜここで、と考えても、在原業平、深草の少将、紀貫之、ここで立ち止まった…。私の構想のミス、弥生式部を吉子に伴をさせた、これでは清子が書けなくなったということもある…。が、ひとまずここで、今回で閉じたい…。 認識として日本は狂ったテレビと新聞による国民への宣戦布告である…。 これは何の序章であろうか・・・国民は自己防衛しかない…。
2017年07月13日
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いつか何処かで…。47 倉敷はどんより曇り時に薄日が差していた。気温は固い、じっとりとした風がまとわりつく。 私は読んでくれる人もないものを載せている。時間つぶしの行いをして、心のイライラを和す利用としている。 今の日本は戦争中である、秩序の乱れは、人の心は、・・・。 秋風に逢ふたのみこそ悲しけれ 我が身空しくなりぬと思えば 小野小町 ときの訪れと同じであろう女の定め、その苦悩を知らずに、純白の衣を風に泳がせ蝶に戯れるそのお姿はまるで天女のさまでございました。 何も知らずに天女として過ごされるか、衣を汚しながら女の命を全うされるか、清子さまの生き行く道を思い浮かべながらひと時の想像をめぐらせ心躍らせたのも確かでございます。案ずるゆえの悪戯の心がそうさせたのでございます。 殿御の文に身を焦がす事がそれほど遠いときの運びを待たなくてもすぐであろう事は・・・。そのときのお顔を頭の中に描きながら成長する一輪の花を眺めていたのでございます。 純白の敷物の上に扇状に広がる豊かで長い黒髪、戯れる一匹の蝶、その姿を心の奥に期待していたのでございます。 美しいものに対してないものが求める悲しい性なのでございましょうか・・・。 華麗なものを壊したいという寂しい女心なのでございましょうか・・・。 私のことを・・・。 弥生式部と名乗っておるが、それは真っ赤なうそ。 小野の荘のこの館で雑仕女をしていた女ですわ・・・。 吉子さまと年は同じ、更衣としてあがられる女もおれば、里の館で雇われて手伝う女もおりました。身の不運、いいえ生まれた家の違いとあきらめていたことと申せ、あでやかな御出でたちの吉子様を知らず知らずに比べ羨ましく眺めているいたいけない少女だったのであります。 湖面に顔を映してもさして変りのない容貌と思ってもその隔たりはあまりにも大きかったのでございます。 吉子さまが更衣としてあがられたその夜、お酔いになられた館様が・・・。 琵琶湖の漣が大きなうねりに変り私を飲み込んでいきました。 風が吹き雨がたたき雪に弄ばれながら嵐が通り過ぎた後・・・。 私は琵琶湖からの風を体に受けようと衣の前を大きく開き何時までも立ち尽くしていたのでございます。 ―女になった、この館の女より先に、おんなになったーー 心の中でそう叫んでおりました。 だけど、その居丈高もこれからの道のりへの歩みの不安と恐怖で揺れ、それゆえの叫びであったのでしょうか。 引いてゆく更け待ちの月明かりがそんな私を照らしていたのでございます。影は足元にうずくまりじっとしていたのでございます。 頬は微かに笑みを浮かべていたのでございます。 熱い獣の血がざわざわと動き出しているのを感じながら恐怖におののいていたのでございます。 回廊を渡る風は雨を予感させるように・・・。火照った体から噴出した汗を奪い取ることはございませんでした。 そんな日がありまして・・・。 館様は思い出したように・・・。私の幼い性はだんだんと開花していったのでございます。 十二歳になられた清子さまは相変わらず和歌に親しみ書に励み女子としての素養教養を身につけておられたのでございます。 その頃から館の池にお顔を映して化粧をほほに広げるようになりました。だけど白い化粧をなされても地黒の肌は隠せなかったのでございます。 それに引き換えこの私はだんだんと透き通ったような肌に変わり、乳房も大きく張りを持ち腰の括れも滑らかになっていったのでございます。 男が女の体を変えていったのでございます。 館様の寵愛を受けながらの雑使女の働き・・・。 いつかそれは吉子さまが更衣として宮中に上がられたすぐ後、館様が、時あらば書を習い、歌を鍛錬せよとのお言葉を・・・。 それはほんにうれしいお言葉でございました。 今こうして弥生式部と・・・。 父が式部の将ゆえ名をそのように・・・。 いいえ、いいえただのばばでございますが・・・。 そのことには後がございました。 清子さまが十四歳になられると宮中に上がられることが決まり、私もお側つきの女としてお供いたすことになったのでございます。そのための支度であったのでございます。 小町は成長して、その思惑に翻弄されることになる。 人が生きた時代には社会のしがらみから逃れられず、その流れに逆らえず、ただかいだんを上った…。
2017年07月12日
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いつか何処かで・・・。46 倉敷は今日はすこぶる暑い日であった。今でも余熱が残り外は蒸し暑い。 といえば。性゛市の世界にはまだ三文芝居が続いている。国民の在り方は日々の安らかなはずだが、その中に入り主人公を演じたい人たちがあふれている。 今日は少し長くなるが、小町を載せたい お妹子はお姉さまよりご活発で何をなさっても華が御座いました。それは見事に大輪が咲くと申せばよろしいのでしょうか、黒髪が腰のくびれに届く頃には立派な花びらを開いたようにあでやかに咲き誇っておいでで御座いました。黒髪が少し赤みを帯びていたのですが、それがまた違った美しさを見せていたので御座います。 切れ長の澄んだ瞳、その瞳は何かを訴えようとしているいたずらの光がちらりと、幼いお子のものではございましたが、男はその光に当たると痺れて立ち尽くすので御座いました。男を誘い込むというのではなく、男は花開き滴らせる蜜に吸い寄せられる蝶のように群がってきたので御座います。 琵琶湖の畔の館には二つのあでやかな大輪が陽の明かりのもとすくすく成長し花開くときを待っていたので御座います。 吉子さまは北国の育ち、純白のきめの細かい肌をお持ちで御座いました。北国のときのめぐりがより肌を磨いたのでしょうか…。 幼き頃よりお側で面倒を見させていただいていた私でも惚れ惚れするおいでたちで御座いました。お姿で御座いました。先にも申し上げましたように清子さまはお日様に当たりすぎたような肌であったことは申し上げました。それが健康的に映りお元気な姿に見えたので御座います。お二人のことは都にも噂は届き、男達が一目でも見たいと訪れるので御座いました。まだ開かぬ蕾を見られて大きなため息をつかれるのが常でございました。 穏やかな琵琶湖の水面に映る朝焼け夕日、風が起こす漣、渡る鳥の群れ、囁く虫の声、自然のめぐりに様々に色を変えるその様を眺めながら心に蓄えられて大きくなられたのでございます。心躍らせながら眺め万葉の世界を歩む、書き物の修養で心を整えられて、その道を辿りながら大きくなられたのでございます。 館様の心配の種は清子さまのおぐしが栗毛の馬のような色をしておいでで、カラスの濡れ羽色のような黒髪が長く腰に流れ、床に届こうかというのが当たり前、女子の値打ちだったころのこと、それを案じておいでで御座いました。 また、男のように地肌が黒いと言うことも、雪のように白く透き通っているのが女子の価値をきめる基準であったため、ひどう心を悩ませておいでで御座いました。 たしなみに筆を持ち景観をものにする事の好きな館様も、それにもまして外に出て琵琶湖の風や鳥の渡りを小筆で絵にすることも慰めにはならず、胸を痛めておいでで御座いました。 吉子さまと清子さまをお比べになり、ため息をつくことも多かったので御座います。 吉子さまは十五になられてすぐに仁明天皇の更衣にあがられまして御座います。唐風の衣を脱ぎ捨て十二単に着替えられた吉子様は静かな中にも凛とした美しさを備えられいたずらの風にも揺るがない出で立ちでございました。 更衣への道のりには館様の思惑が多くはらんでいたようでございますが・・・仁明天皇の寵愛を受け親王を授かるとなりますと館様の地位はどこまで上がりますか・・・。そんな駆け引きがちらほら見え隠れしておりましてございました。 お孫が天皇にでもなればその一族は政の中心に・・・というのが世の習いでございましたゆえ・・・。 屈託のない清子さまは大空を白い雲が遊ぶようになすままに日々を営んでおいででございました。 女としての体の変化を見たのはそんなときでございました。 そのころから清子さまはおぐしもわずかに黒味を持ち始め濃いい栗毛に変わりまして御座います。ですが、黒色では御座いませんでした。 肌も地黒では御座いましたが僅かに白くなり果実が熟れて粉を吹くようなみずみずしさを保つ健康な色に変わりまして御座います。 清子さまは水仙の白い花の中に一輪の黄色の花が目立つようにより人の目を引いたので御座います。 とき過ぎれば頭を垂れる水仙の花の中にあって凛としてたち花香を放ち見事に咲いて見せたのでございます。 同じ年頃の女の子の中にあって誰もが目を見張りため息をつき、近寄りがたい不思議な雰囲気を持っておられましてございます。肉薄き少女の体からふくよかな張りのある女の体へと脱皮しつつあったのでございます。 怪しげな女の色香に満ち満ちておりました。匂たつとでも言うのでございましょうか・・・その芳情の香は、幸か不幸か清子さまの持って生まれた資質でございました。その香りがどこから出ていたかは・・・おそばに仕えていました私だけが知っていたことでございました。 男の行く極楽には女がいないと聞いた・・・。 女の行く極楽には男がいないと聞いた・・・ なんと理不尽なことを・・・女と男・・・そこに極楽も地獄もうまれ悲喜こもごもが生まれるというものでございましょう。・・・男があってのゆえに女は体に香を染込ませ一重の絵模様に心砕き顔に化粧(けわい)を施し黒髪に櫛を流し花びらを開き・・・。 切ない、花の開かぬ極楽なぞ・・・ このわしは地獄に落ちてきっと花開こうぞ・・・ あの清子さまの匂いは極楽の、または地獄のものあったのでございましょうか・・・。 人と同じ煩悩の色に染まるもみじ 身を変えたいと生まれ変わって女の道を生きたいと舞う女舞い もみじの化身として赤く身を焦がしてなお求め行く女の哀れな性、悪戯の心・・・。 女の滴る蜜は尽きることなく滴り落ちて地獄へ流れつくのでございます。 まだ開かぬ清子さまの蕾は花の命をはじめようとしておいででございました。 やがて天女の衣を脱ぎ捨て単衣の重ね着を羽織られ女となっていく・・・。 いつの世も争いはある。こくたみの思いは日々の平安である。今まで人間が生きてその心の安らぐときは果たしてあったのか…。
2017年07月11日
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いつか何処かで…。45 倉敷は朝方に雨が降ったが、今はやんで薄日が差しいている。 この季節は小野小町が生きた時代と少しも変わっていない。 同じ環境の中で同じ生き方をするということはない。そこには機根があり、時代を背景にしていとなみがある。その一コマを覘いたといえようか…。 これば小町を書いた時のノートです。 「小町」創作ノート 小町がだんだん形になっていく。小町の姿が見えてきた。顔かたち、瞳の大きさ、鼻の高さ、朱唇、腰に垂れる豊穣な黒髪などがだんだん見えてきた。こうなればこっちのもの90パーセントが出来たようなものです。 才色兼備の美人であった。が謎が多すぎる。文徳天皇の皇太子惟仁と惟喬太子との確執に、藤原家と紀家の争いに・・・詰まり政変に巻き込まれた形跡が見えてきた。 小野家と文徳帝の中宮紀静子の第一太子惟喬との関係、文徳帝と藤原明子の子惟仁皇太子後の清和天皇、この図形になにやら謎が隠されていそである。 小野滝雄には二人の女の子があった。姉は仁明天皇の更衣であった。が、妹は姉を大町というので妹を小町と綽名したとしたら・・・。そして、なぜに六歌仙となったか・・・。政変に巻き込まれ不遇の死・・・。そして歌の神へと立てまつわれたのか・・・。 前回の本文に続いて…。 季節で申せば春であったのか・・・。それとも冬への道のりの秋・・・。 この館にはお二人のお姫ごがおられました。上のお姫子は吉子さま、下のお姫ごは清子さまと申されました。お二人の歳の開きは四歳、吉子さまはこの琵琶湖に面した小野の荘でお生まれになられ、清子さまは北国の出羽でございました。お父上の小野龍雄様が出羽に国司としておいでになられていたときに清子さまはお生まれになったので御座います。 当時流行の唐風の衣をまとい、髪を両の耳の上に束ねて組み庭に出て遊んでおられる姿はまるで天女のようでございました。いつもお二人は同じお伊達をなさっておいでで御座いました。二人の天女が風に舞って空を泳いでおいでのようで御座いました。 幼さをちりばめたお顔にも育ち行く後のお顔が見えるようで、それは咲く前の蕾の開いた花を思い起こすことが出来たのでございました。 吉子さまは肌の色は卵の白みのように透き通っておられ、それに引き換え雪国生まれの清子さまは雪焼けした肌のように地黒で御座いました。なんと言う不思議なえにしで御座いましょう。 お父上の出羽守の任が解かれ琵琶湖畔の小野の荘へ帰られたのは吉子さまが十二、清子さまが八歳のときでございました。 幼い頃からそれは利発なお子でございました。万葉集を学び、書を習い、お父上の文章博士のお勉強もずいぶんと積まれておいでで御座いました。そんな従順なお方で御座いましたから館様もお喜びになられ大事に育てておいでで御座いました。 お二人とも劣らぬお元気なお姫子で御座いました。 人の世の習い、小町は女人として成長するに従いそこに無常を感じるようになる。 この続きは明日にのこして…。 昨今は自分の至らなさを棚に上げて被害者ぶり横柄な態度でまかり通る輩が多くみられる。すべて自分のため、社会を騒がす愉快犯のように…。幼稚園のおっさん、ロリコンの官僚、定見なき政治家、自分の言葉を持たぬ似非文化人たち、金のために転ぶ学者、人権なき弁護士たち…。 狂っているとしか思えない。 この国は海に漂う島なのか、行き着く港は遠く果てしない…。
2017年07月10日
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いつか何処かで・・・。44 倉敷は曇り激しい雨…。 この季節になると自然の災害が増える。 大雨と台風、日本風土はそれが特徴として成り立っていた。 昔からの神社仏閣は言い伝えにより災害が少ないところに作られている。それは風水とも一致するという。地震と台風にも崩壊されることなく今も威容を保ち存在している。 神社仏閣の雌雄には巨木が林立して風邪を防ぎ、根を張って地盤をしっかり捕まえている。これが日本の姿であろう。信仰の対象としてはあるものが常にあるということが原則なのだ。それがあることで安心して生きてきた歴史がある。 私は「砂漠の灯台」の中で、自然のままで放置されている森林を国家が買い国有林にすることを書いた。また、自然の自己の再生に期待してはどうかという提言もしている。さらに今の人間の進歩を、進化を止めることも書いた。 それは日本人ほど自然とともに生きた民族はいないという観点から生まれている。それは日本人の中に自然を精神の主軸にして生きたということだ。 それには日本国の生成にさかのぼりその時代を生きた人達の魂との交流し必要と思った。 古典の中にそれを見つめた。和歌の中に当時の世相と風俗、当時の人たちの心を探す旅をした。 花の色は移りにけりにいたずらに わが身世にふるながめせしまに 小野小町 美しいの…綺麗じゃのう…ここからの眺めは極楽への道のりでふと立ち止まって須弥山を眺めておるようじゃ。 琵琶湖には沈み行き隠れてゆく夕日がさかさまに映りのみこまれ・・・。 緑の風が湖面に白い漣を立たせて…。その上を小さな生き物が飛んでおるようじゃ…。陽炎か・・・あれは…。 自然の景色の移ろいは何にもかわっとらん…。変わるは人の心か…。 穏やかな紅い湖面に映る周囲の山々も波が立つとゆれて変わっていく…。人の心も物思うとその時々で変わり行く…。三千の煩悩一瞬にしてまた変わり行く…。 人とはなんと倣岸な罰当たりの業を背負っているものか…。 嫌じゃ嫌じゃ…。何もかも忘却の川に流し…。 ひと時この風に誘われ自然の懐にあって癒され和むことにしよう…。 なにこのわしに聞きたいのは、京への道かそれとも越前への道かな・・・。 人がひと時のんびりと風と共に遊び心地よい夢を見ていたというのにそれを起こし、この現実に引き戻すとは何というお人じゃ。 人の世の苦しみから夢はひと時何もかも忘れさせてくれる・・・。 なに・・・。うん・・・うん・・・。 それは・・・それは遠い日のことじゃ。わしの空っぽの頭の隅に残っておるじゃろうかのう・・・。このばばがまたうら若い乙女であった時の事じゃゆえ・・・。 東山科の里から琵琶湖畔の小野の荘、この地は今日と変わらぬ時の日差しが降り雪いでおった・・・。 それは一日として変わってはおらん・・・。 長閑な日々の繰り返し、風たつ日、雨の雫の落ちる日、雪の舞う白い花びらの散るような日、陽が滾々と降り注ぎ心乾く日、それぞれがこの琵琶湖の美しさをより際立たせ、変化のある景色のさまを飽きることなく見せてくれましたぞ・・・。 あれは・・・。遠い古の思いを手繰り寄せ・・・。 今は人の影とてないこの館、風雪にさらされ朽ちゆき、館の外塀も破れて剥げ落ちて・・・。 夜盗にあらされ破れた簾が垂れ下がり・・・几帳は倒れて壊れこなごなに・・・。磨きこまれていた部屋の板の間は土煙が立ち・・・。 明かりをなくした屋敷はなんともおぞましいものでしょうかな・・・。 あの頃、この館は花が咲いたように・・・。 これは「小町うたびと六歌仙」に幕開きの一説である。 小町というのは女官の位を指している。局、更衣、町という名で呼ばれていた。小町は町の位の名前である。その小町がなぜ全国にわたりなおつけられているのか、ここには政変の犠牲になった小町の存在がかかわっている。 ここで書くと少し長くなるので、なぜ、そんなにもうまくない歌詠みが六歌仙に名を連ねているのか、百日通いの逸話が残っているのかは・・・。 次回に書きたいと思う…。 常により中の不条理によってその犠牲になった小野小町をなぜ書いたか、私は三島由紀夫氏の「卒塔婆小町」を読んではいない‥。 小町と平安の初期に遊び話すうちに小町を想像して書いた…。
2017年07月09日
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いつか何処かで…。43 倉敷はどんより曇って時に雨がぱらついた。相変わらず工場群の空はばい煙が作った厚い雲が垂れ込めていた。 空にはツバメも雀も、カラスさえいなくなっている。川にも魚が泳いでいない。公害は負ったという感゛終わってはいない。目に見えなくなっているが動物たちの動きから予測したら見えない公害が広がっている。 毎年検診があるが、肺のレントゲンは真っ黒け、肺機能の検査で肺活量は極端に少ない。もうこの生活をして50年になる。 シナのスモッグについて日本の公害を知らぬ人たちが盛んに激しいというが日本も相変わらず公害が空を川を海を汚している。調査もしないで無責任に論じる似非文化人たちには困ったものだ。 水島の病院、医院は公害病患者を抱えようと必死ななった時がある。公害認定病患者は国費で肺に関する治療費は無料となっていて、それらの患者を抱えることは儲けにつながったからだ。 50メートル先の家が瞬く間に消えた。スモッグによるものだった。洗濯物は乾いても黒ずんでいた。ぜんそくで幼い子供たちはなくなり、年寄りもなくなっていた。PPMというわけのわからない基準値が横行していた。 海に匂いのしない魚を、空に自由に飛び交う鳥たちを、川にたくさんの魚が泳ぐ、それらを返せと叫んだ。 爆弾が落ちた様な音が昼夜続いていた。工場の爆発だった。 新聞各社は専従の記者を置いていた。各政党はただ見ているだけで何も手を打たなかった。邪魔者にしか見えなかった。 私にはそれを遠い昔とは言えない。 安全基準のPPMでごまかされ、煙突はさらに高くなり公害を拡散させただけで、工場の排水がいかにきれいかを証明するために川の水を流していた。 港には大型の船が着眼し、工場建設、従業員が夜の店に集まり何でもが売れて素人でも商売ができていた。従業員たちは事故に巻き込まれて重傷を負っても労災にかからない処置が病院との間でやり取りされていた。医院がたちまち大きな病院へと様変わりしていた。企業の労組から市会議員になった人たちとは公害問題に対して取材をしたが発言はなかった。加害者意識があって公害のことは絶対に私たちの取材には答えなかった。 ただ 煙突を高くして拡散し、水で薄めてキレイを装ったのが日本公害対策だった。公害先進国、シナに技術をと何も知らない人たちはそういうが今の実態も知らない人たちである。 そんな街で50年が過ぎていく…。自然の浄化で一見元に戻ったかに見えるが、海も空も川も絶対にもとには戻っていない。 人間は環境になれる、そんな汚れた環境に慣れて生活をしている。 当時栄えた街並みは今はシャッター通りに変わり、人影もまばらで、当時の面影はない。 漁師たちは漁業権を売り、家を建て今では工場の従業員をしている。農家は土地を売り本家普請をし借家やマンションを賃貸しし優雅に暮らしているが、ものを作る喜びを棄てたものにはもうその喜びも帰らないし、金であがなえる安物の生き方しか出来なくなっている。 生まれ、発展し、成熟し、退廃し、やがて瓦解する、それが自然と人間の関係、定義でもある。 私はそれをここにいてかかわった関係でぜひその過程を見届けたいと思う。 世界の情勢を見ても、その定義は変わらない。 海賊国家と言われていたイギリスの凋落と混乱は目を見張るものがある。また、植民地政策で成り立ち豊かであった国ほど、ポルトガル、スペイン、オランダ、フランス、アメリカ、が経済危機に直面しているが、それも自然の采配であろう。 日本がシナで戦っていたのはドイツとアメリカであって蒋介石の国民党軍との戦いは記述するほどではない。山賊の野盗の親玉の毛沢東との戦いは一つもない。 ドイツもこうも世界から嫌われたらおしまいだ、シナの発展と成熟は過ぎて滅びゆく道に入っている、世界への野望はその焦りであろう。 ロシアの困窮ぶりは筆舌に余る。国民の生活を見ればその事実が見えてくる。韓国の民族性が世界から嫌われていることは周知の事実である。北も孤立を深めている。シリアの問題もロシア、イラン、トルコ、イスラエル、アメリカの思惑があり終結を見ることはないだろう。元凶を作ったのフランス、イギリスはもう蚊帳の外、石油利権がほしいからとイラクとシリアを分断し、そこの国民から人頭税を取りがこの戦いの元凶だが、ここにきて何もなすすべがなくアメリカに助けられているとは、移民による混乱と疲弊はしかるべく与えられた退潮への道のりてある。 フランスは世界の核廃棄物の処理を一手に任されてやっていたが、そのほとんどは西太平洋にドラム缶に入れて投棄するか、ロシアに金を払いシベリアに運び野ざらしに積み上げられている。フランスの原発は海岸線ではなく内陸の川沿いに50何基も作られているが、核廃棄水が今のところ汚染されていないが今後はわからない。下流の水で作られたワインを喜んで買って飲んでいるのは日本人である。日本人に福島の汚染を論じる資格があるのか…。 原発といえばシナのその施設は老化してきた。ダムや河川のインフラもその例外ではない。少し大きな地震が来れば三峡ダムは崩壊し何億の人たちが飲み込まれる。原発に事故が憂きれば周辺国は甚大に被害がもたらされる。 人間は危機に直面しながらも平々凡々と過ごしている、これは偉大というほかない・・・。 そんなことを雨の音を聞きながら書いていて惨めな思いに駆られらいる…。 これも人間の定めなのか…。
2017年07月08日
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いつか何処かで…。41 倉敷は朝方激しい雨に見廻われた。梅雨という実感がしている。 そんな夏の初めに私は昔を思い出していた。 「夏告げ鳥とはツバメのことを言う。ツバメは渡り鳥で環境を熟知していて巣を作るにも居心地のいい環境を選んで作る。それは風水的にも正して作り方であるらしい。昔からツバメは縁起がいいとしてきた、それは環境と風水が整っているということだ。水田の稲作において害虫をたべてくれ益鳥として収穫をもたらしくくれる。 またツバメが巣を作ってくれるとその家には幸せが来るという。つまり繁栄するということだ。巣を作るときには作る家の人を見て作るともいう。その判断力を持っているということだ。 恋愛、子宝、商売繁盛をもたらし成就に高家するとも言われている。 そのツバメが最近全くいなくなり姿を見ることができない。私にそれだけの徳がないということなのか…。 夏を告げてくれるツバメ、ツバメだけではない秋を告げてくれる雀にも何年か出会っていない。 生き物についてはいろいろな説があるが、それだけ自然は崩壊しているのだろうか。生物は環境によってつねに絶滅の危機にさらされている。その繰り返しの歴史でもある。 先に書いたことで思い当たることがある。50-60歳の10年間には私の家のスタジオの天井に毎年ツバメが巣を作っていた。その頃はものすごく充実しい裾が獅子吼楽しい期間であった。ツバメのことを今書いていてツバメによる幸運の縁起を感じている。何もかも捨ててからはツバメは巣を作らなくなった。私ほ毎年応援に来てくれていたのかと思う。 皆さんの家にはツバメが巣を作ってくれているのでしょうか。 これはあくまで延期話かもしれないが、ふるくから伝承されている言葉でもある。 巣を作る家を選ぶときにそこに住む人を見て作る、燕には本能的に良し悪しがわかるということなのだ。恐れ入りましたというほかない。 ツバメといえば昔の仲間、梅内女史の小説「片つばめ」を思い出す。この作品は女流文学賞の佳作に入ったものだが、女性の運命をツバメに託し今年巣を作ってくれたら何も醸す捨て恋する人のとこへ行こう、来なかったら今のままで耐えて生きようという物語であった。 この作品にはとことん付き合わされた。毎晩書いたものを電話口で読むのを聞かされる、女優を目指していただけに滑舌も鼻濁も完璧で感情をこめて読まれる。それを聞いたことは私にとっても勉強になった。が毎晩、朝までということもしばしばで私が原稿を書けなくて困るということもあった。が、一日一日と作品として完成する、それは聞かされている私も楽しく自分のことのようにうれしかった。 私が相槌を打たずに黙り込むと、 「ここがだめだといいたいのでしょう」 と言い切り返してくる。それは一種の禅問答のようなものだった。 選者の三浦哲郎氏に激賞されたが惜しくも佳作だった。 彼女はそこで書くことをやめた。 「文学をしたのは人間としての生き方をさぐるため、言ってみればこころのせんたくなのよ」 と言ってのけ、つくば市でフランス料理店を経営し、その後には岩井半四郎につついて舞踊を習い流派を作った。彼女のそれが最終の目的で作家になることではなかった。 若かったころ、文学座の杉村春子に内弟子に来ないかと言われるほどの役者根性を持っていたが、彼女には付きまとう父の影があった。それは戦争中のものだった。彼女の父親は人間魚雷の製作にかかわっていたことがc級戦犯に問われ拘束されその罪が解かれても居場所がなくて逃げ回っていたと聞かされた。 私はそこに戦争の一つの影を見た。 彼女の父親が公職追放になったのではないかと思う。 のちに呉服屋の次男坊さんと結婚して二人の女の子の母になった、そんなころ文学仲間として知り合った。 着物の似合う人だった。いつも着物に身を包んでいた。 そんな過去をもって「片つばめ」を来るか来ないか、そこに人生を託する女性の生きざまを書き綴っていたのだ。 父親のこと、母親のこと、そして自分の運命をツバメに託したということだ。 花があり才能はこぼれるほど持っていたが賞を区切りとして別の人生をえらんだ。通過点として次なる挑戦をしていった。 私が今あるのは彼女からもらったものが心に残ったからだと思う。 書く執念と開き直り、人に歴史ありを知らされた。 ツバメ、それは未来を予言するものと認識している。 今、ツバメを見ることはないが私の心の中にはたくさんのツバメたち、人生を背負った人たちの姿が思い浮かんでいる…。
2017年07月08日
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いつか何処かで…。40 倉敷は午前中は雨が降っていた、風はそんなに強くない。今年初の暑さを記録、外は熱風が流れいたたまれない不快さを感じた。これは台風は影響なく午後からすっかり晴れて台風一過というところ…。 今の日本を見ているとあほらしくなる、言葉が出ない、国民の民度がなぜ低くなったのかと情けなくなる。 これでは戦中の朝日の戦争を煽る記事と一緒ではないか。それに振り回される国民は戦中と変わらないのか…。 自民大敗、国民はこの問題の裏を見る力もないのか、都民、国民が自己防衛を計っただけ、建設的に行動ではない。また、立候補者からそれが出なかったという事か。世界の選挙を見ても好きか嫌いか、風体が、顔がという範囲で投票している。政索なんか聞いていない、寧ろ邪魔としている。マニフェストでいれたのは前回の民主党の詐欺にかかっただけ。 後は小泉旋風の後を見ればいかに国民が苦労されていたかがわかる。ただムードで入れた、呑気な国民である、将来のことなど考えていない。 今回の都議選、風が落ちてきた小池であったからここで止まったが、もう少し前だったら自民は一けたになっていたかもしれない。 問題はこれから、小池は代表を野田に返した。さてここからが第二の小池劇場の幕があがるのはこれから、シナリオは私の中ではできている。 豊洲の早期移転、築地の後にテーマパークとはちゃんちゃらおかしい、時代錯誤も甚だしい。築地は五輪のために使われることは決まっていた。道路整備と選手村、前の渋谷の選手村は老朽化していて使えない。そこを新しく作り変えていれば、東京体躯館、国立競技場は歩いて行けた。それが出来ているとは聞こえてこない。小池の豊洲反対で10カ月遅れている。その間税金は垂れ流された。これは共産党の責任でもある。が、都民はほとんど知らない。 江戸は家康が来る前にはまだ沼地であった。太田道灌のころは潮が波打っていた。江戸時代も地下水は緯度として使ったがそれはわずか、川の水、玉川から江戸の町に用水を作り上水道としていた。築地で魚を洗うのに地下水を使っていたと知りびっくりした。はっきりと言って東京の地下には地下鉄が網の目のように走り、洪水を避ける為に幅20メートルのトンネルが走りまわっている。そこから地下水が出るのかと言いたい。豊洲も地下水を使うというような架空の物語で都民を誤解させている。 豊洲より築地の方がはるかに汚染されているのに共産党は継続を後押ししている。何でも反対という愚かなことをしているのだ。専門家が入って検査をして無害という判断を下したがそれは信じられにないという、根拠は何かを語っていない。それに振り回されたのが小池である。諦念のなさである。つまり理念がないという事が判断力を低下させている。またこの問題を議会をと通さずに独断することは民主政治に反することである。この一つをとっても徳川幕府が上水道を玉川から引いたという決断には負けている。 このままでは東京五輪が危うい、という事は前に書いたが、その危機感は都民にはない。それを反対する都民が多いという事ことなのか・・・。 小池は安倍総理との間で国政選挙は自民でと約束している。 これも何時反故にされるか分かったものではない。 小池も代表を野田に帰した、この二人は改憲主義者・・・さてどうか…。野田はもともと維新の人、松井大阪知事とは親しい。 それにしても泡のように生まれた素人議員に政治を行われるだろうか・・・。堕落した議員を選んだ愚かな都民は自己責任としてこれからを共有しなくてはならない。 私はもう今のマスコミに見切りをつけて国民の国民によるマスコミを作り国民の利益になる情報を伝達すべきであると思っている。その機運がまるでないことにがっかりしている。 私は公害運動をしていた時に、店の前に壁新聞を毎日書いて掲げていた。道行く人が読んでくれていた。新聞社が取材に来ていた。その頃はまだ新聞も理性があつたが今はない。 教育補助を莫大に使っても国民の知性は向上していない。酒と女と男と金に振り回されているのが日本人の実態である…。
2017年07月04日
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いつか何処かで・・・。38 倉敷は曇り空・・・。 良く雨女という言葉を聞く、何かの約束や行事の時には必ず雨が降るという事で名づけられた。昔の女性は着物姿で番傘を指していると一つの情緒を見せてくれていた。男の目から見たらみなおしとやかに見えたものだ。 私は雨の日が嫌いではない。気圧の関係で体に変調をきたすが、それでもなお雨の足音は好きだ。いろいろな振り方が心に片輪系くれるように感じる。激しい土砂降りの音にはベートーベンの戦慄を思いおこし、軽快な響きの雨音にはモーツアルトを思いでしていたりしている。 風も、雷も、雪も嫌いではない。自然が差配してくれるものは阿振りがたく受け止めることにしている。自然の中に生まれ自然の中に帰る、自然の営みはすべてが人間にとって、慈愛だと感じている。だからすべてを受け入れる。その方が穏やかに日々を過ごせるからだ。いわば自然という筋書きのない未知の世界を彷徨っているようなものだ。自然に抱かれながら日々の暮らしの中で忘れているのだ。生き物の中で人間だけが自然を都合のいいように作り替えようとしている。それは傲岸でもある。 時はひととき、私の一日は・・・。 夜空け前の四時に起き、お隣の井戸から一番の閼伽水(あかみず)を汲み戴き。それは仏様へのお供えする清浄水になります。手足を清め、朝の勤行・・・。お勤がわりますと、お堂の掃除を丹念に熟し、麦飯を炊き、味噌と漬物で頂き、洗い物を済ませ 、庵をい出て自然のなかへ、立ち木の生きる息吹、健気な草のいのち、鳥の囀り、鳥といえば鳥を私 は羨んだことが御座います。あの翼があれば、雪の塩入峠をいとも容易く跨ぎ良寛さまの囲炉裏端へと。この暫しの散策が私に色々のものを感じ取らせてくれるのです。 良寛さまのように・・・。私にも、生きものと、話すことが出来るようになるのでしょうか。 帰って頼まれ物の仕立てに取り掛かります。大店の奥さまの打掛けから、可愛い娘さんの人生の角での嫁入りの晴れ着、遊女の褥着、ありとあらゆる針仕事が、私を頼りに持ち込まれます。さして得意ではなかった嗜みの針仕事、根を詰めて糸で綾なします。その間は、良寛さまのことを忘れて着る人 の幸せを糸に託して・・・。ひと段落すると、明かり取りの下に転がる手毬のかがりに時を使います、良 寛さまはいつか、 「貞心尼の手毬は飾りも見事なら良く弾む」その世辞とも思える賛嘆を頂きたいと精を注ぎまする。良寛さまと今まで過ごした時の楽しさを思い起し、これからなにをどうと考えていますと、頬はぽかぽかと 、身体の中に温石をい抱いたように火照り、仏に仕える身でありながら不謹慎な事でございます。その 念いが、次には墨と硯の世界へと・・・。 「なあに~何事も自然が一番じゃ、逆ろうことが何であろうかな」 良寛さまの言葉が軽やかに鈴を鳴らすように響きます。 この、何の変わりのない繰り返しが、私の修業、解脱への道程・・・そんな一日はほんの一時。時の流れの速さに繰り言のひとつもと・・・。ですが、雪の季節はむしろ有り難いと念う、人間とはなにかと思いて・・・。深く祈念を仏典の中に求めて彷徨、あれこれと応えのな い思を巡らせ、その一時が御仏に寄り添える時でございますゆえに。 「はちすの露」を公演、その貞心尼のセリフです。 何時の世も繰り返される心の文様、その単純な日々が穏やかな生活なのかもしれない。自然の巡りはこころに波風を作りそれを乗り越えて成長を促す。自然からのいざないである。 自然の営みに支えられながら生きているという実感を持って・・・。 決して地球温暖化でco2 の削減などと言う詭弁の迷わされることなく自然をたたえることが自然への恩返し返しかと…。 私は自然の織りなす変化の中で生きることの至福を感じている…。
2017年07月02日
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いつか何処かで…。37 倉敷は晴れているがむしむしして暑い。 7月に入った、歳を取ると月日流れはまるで五月雨のように早い。 毎日が青息吐息である。 若かったころには夏と冬には集中して作品を何本も二、三日で書き上げていた。それはもう夢とぞと思うになっている。 「めぐりくる季節の中で」の構想がまったくまとまらない、主人公の秋子が見えてこないのだ。見えてこないと何も分析が出来なくて途方に暮れることになる。途中まで書いて寝かせている。何も焦ることはない、これは現代女性へのメッセージとして書いているので頼まれたものではない。 この歳になっても人間がわからない、暗闇を彷徨ている。女性も男性も私の思考の範疇からはみ出していて理解の壁を越えられない。 この物語は女性の本能の美しさを書こうとしている。だから、古代からの女性を見詰めてその実態を捜そうとしている。男からしたら女性は永遠に神秘の中にいることになる。 物書きにとっては男女の恋愛は主要のテーマであるが、果たして本性まで書ききれているのかはわからない。 私が初めてそれらの作品を読んだのは、武者小路実篤さんの「友情」であった。今までも筋書きは覚えている。強烈に心に沁み込んだのだ。恋に悩む青年達の姿が描かれていた。明治維新後の女性の処女性を重んじていた時代だから簡単に恋することでは結ばれることもなかった。 その頃に、華厳の滝に身を投げた一高の学生、藤村操氏の辞世の句に衝撃を受けた。 「ゆうゆうたるかな天上、朗々たるかな古今、この五尺の小体をもって大を計らん・・・万有の真相一言にして尽く曰不可解・・・」華厳の滝にはこの文が碑として刻まれている。 何もわからないことが真相であると言っている。これもまた生き方なのだと思えるようになったのは時間が過ぎたころである。 森鴎外の「高瀬舟」により安楽死を自覚した。罪を犯した弟を安楽死させる兄の物語であった。 田山花袋の「蒲団」、幸田露伴の「五重塔」志賀直哉の「小僧と神様」芥川龍之介の「蜘蛛の糸」夏目漱石の「三四郎」菊池寛の「無名作家の日記」それらをある時期枕にして眠った。 外国のものも、ジィド、サルトル、ベケット、ゲーテ、トルストイ、ツルゲーネフ、イプセン、チェーホフ、ドフトエフスキー、 このころはなんでも読み漁っていた。哲学書、心理学書、マルクス、スミス、などもわかりもしないのに読んでいた。 読んでいまもこころにのこっているまのは、チェーホフとドフトエフスキー、ジィド、ラシーヌ、ヘミングウェー位だ。今ではすっかり忘れているが名前だけはこころに引っかかっている。 坂口安吾の「風博士」は脚色して公演した。懐かしさがある。 戦後、日本文学で影響を受けたのは、読んだのは安倍公房だろう。坂口安吾、谷崎潤一郎、三島由紀夫らの作品はすべて読んでいる。また、当時芥川賞を貰った作品はすべて読んでいる。書いていけばきりがない、芥川賞の作品では三浦哲郎「忍ぶ川」宮本輝「蛍川」柴田翔「されどわれらが日々」などが印象として残っている。 劇作家の端くれとしては日本の戯曲を読まなくてはと思ったが読んではいない。 なんでダボハゼのように読み漁ったという事だ。 この20年間は全く読んではいない。誰が何を書いているのかもさっぱりわからない。それがいいのか悪いのかもわからない。世間を騒がす作家が出てきていないという事か…。 出版界も大変らしい、活字離れが激しいという。 笹沢佐保、松本清張、水上勉、などは1カ月に何千枚も書いていた。今はそんな作家はいない。世界では1作がロングセラーになるからそれで次作まで食べられたが、日本はとにかく書かなくてはならない作家の宿命があった。 今では大小合わせて全国で5百ほどの荘があるが、それを取っ手作家と名乗る人もいるが作品も書けずに食べられないフリーターである。 苦節何十年という執念で出てきた作家には早晩出てきた作家との違いは歴然だ。要するに蓄積がない、当然の結果である。 そんな人が地方において賞の肩書で文化振興などしていたらたまったものではない。疲弊するのは当然である。 人間を書く人が人間ではない怪獣あれば人の心のひだなど読み取ることはかなわない。その人たちが地方の賞の審査員をしている、これは困ったものだ。 昔もあった、文学少女を食い放題していた人が審査員を、高校生を胎まして退職させられた先生が児童文学の審査員とは呆れたものだった。 今、日本には文学も哲学もその芽はない…。 色々と読んだり書いたが今はすべてを忘れている、時が過ぎれば何もかも過去になる。 が、頭のどこかに残り降臨するものかもしれない…。
2017年07月01日
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