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今 考えること 「考えてみると、世の中の重大なことは、総て一人でしなけれ ばいけないのである。生まれること、死ぬこと、就職、結婚。 親や先輩に相談することはいい。しかし、どの親も、どの先輩 も、決定的なことは何一つ言えない筈である。すべてのことは 自分で決定し、その結果はよかろうと悪かろうと、一人で胸を 張って引き受ける他はない。本当に学ぶのは、一人である。」 『人びとの中の私 ~どちらを選ぶかはあなた次第~』 (曽野綾子) 「いつも、新人の新しい感性による新しい作品の刺激を願って選 考に臨むが、今回も期待外れでしかたなかった。 それぞれの作品の主題となっている家庭内暴力とか離婚という別 離、あるいは虚無感に繋がる鬱症状とかは時代粧に関わり無い人 間社会には普遍的な主題だが、・・・・、現代というかなり歪んだ時 代の背景を感じさせない。」 芥川賞の選考に携わった石原慎太郎氏の言葉 文書のテクニックではなく、心の叫びなのだ。 人生も同じだ。生きるテクニックやノウハウでもない。 生きることなのだ。自ら学ぶことだ。 朝は明日も来るが、生きていくために生きるのではなく、自分は 何で生きて動いて存在するか、という人生のテーマを持ち続ける ことではないか。 おしまい
May 23, 2007
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今 考えること 人が皆同じ感覚を持ち、同じ行動ができるようになることはできな いだろうし、それを目指すことは危険なことだと思っている。罪を 犯して良いわけではない。しかし、罪を犯さないようにするために、 他者を罪に貶めることは許(許可)されない。 人は自らが弱さや罪深さを認めない限りは、どんなに正しいことで あっても結局、自己実現だったり周囲との利害・利権絡みでしか考 えられないのだろうから、ゆえに憐れみを乞うしかないのだろう。 本当のことを知り、自らを知るために。 その点においては人は皆同じだと思う。 人は自分が心に信じたとおりにしか生きられない。信じたとおりに なる。自分が選択した道を進むのだ。 だから自分の心の中に何があるかを知る必要がある。恐ろしいこと を心に入ることを許可すれば、それが心に満ちる。そして、あるそ の時それが芽を出し悪い実を結ぶ。 「良い木は悪い実を結ぶことはない。」 ラストへつづく
May 22, 2007
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今 考えること 何のために生きるのか。真剣に考えなければいけないこと。 「生まれてきたので生きなければいけない」「命は大切だか ら」といった理由で、生きなければいけないのか。死んでは いけないのか。 この世界がビッグバンを始めとする進化論からなるもので今 現在があるのなら、何のことはない。それらが偶然の重なり でここまで来たのなら、これからも偶然で生きていけばよい のだし、何の責任もないのだろう。では何故生きることに執 着するのか。自分と考え方や思想などが違う者を悪者扱いして まで、自分の正しさをアピールするのか。「戦争反対」などと いいながら、他者の生き方を否定している輩はいっぱいいる。 自分だけで相手を悪者にできなければ、回りの人間を仲間にし て責め続けるのだ。周りの人間もだんだんその気になっていく。 いつの間にかその様子がその通りとなってしまう。でっち上げ。 自分が生きるために、他者に媚諂う必要も、認めてもらう必要 もないのだ。自分は自分なのだし、別に他者に迷惑をかけるの でもないのだ。往々にして、自分の信条と違う状況や様子を他 者に見え、それが大勢に認められるとき、自分があたかも否定 されてしまったかのように錯覚する。また、「それが良いのだ」 と皆が言い出したとき、追い討ちをかけられる。これもまた、仕 組まれて起こることが多い。 この世界を造られた者に意思があって、その意思によって世界が 造られこの世界が司られているとしたら、その意思を知りそれを 自分の思いとし、それに生きることができれば、それこそが自分 の生きる目的なのだ。私はその意思が神であると思っている。そ の生き方は「幸せだ」と言える生き方で、それに全てを掛ける生 き方に踏み出したい。失敗してもそれで誰かに責められても、そ んなことは関係ない。意思である神にさえも認められる必要もな い。何かをしなければ受け入れてもらえないというようなことな いのだから。これが自分らしく生きること。 良い人になろうとすること、良い人であろうとすること、良い人 を続けること、良い人であること、が自分らしく生きることをさ せまいとするものだ。また、「良い」を「正しい」に置き換えて も同じことが言える。自分らしく生き、また他者の存在を認め合 うことだ。 つづく。
May 21, 2007
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今 考えること 農村は負け組みか?都市部は勝ち組か? 農村は儲からない(農業は儲からない、税金は入らないのに 金がかかる)と言う人たちがいる。「農村にそんなに税金を かけてはいけないし、もっと自律するべきだ。」という輩も いる。農村は食糧を生産し、その業によって自然、環境を守っ てきたのにだ。このまま日本全国を一括りにして皆同じでなく てはいけない、というのは考えものだ。 日本の食糧自給率は40%。今日食べたもののうち6割は海外か らの輸入ということだ。安い食料を海外から輸入できているう ちはよいが、いずれやがて必ず世界的に爆発的な人口増時代が 来る。そうすれば食糧は不足し、今までのように金に物を言わ せて、何でも輸入することはできなくなるだろう。そればかり か、日本へ食糧を輸出する国で飢える人たちが出るだろう。そ んな状況に耐えられるだろうか。現在、全ての人が食糧生産に ついて何らかの形で関わっておくことが良いと考えている。食 糧不足になればどんなに金を積んでも食べられない時代になり、 食糧生産できるノウハウを持つ者が大切にされるだろう。農林 業を軽んじてはいけない。 だから、こう考えることができる。農家が食糧を生産していると いうことは、‘業’として生活するための仕事ではあるが、非農 家側からいえば、「食糧を生産していただいている」「環境を守っ てもらっている。」と言えないか。 この時代にあって、勝ち組・負け組み、良い人・悪い人の二極化が 過ぎるような気がしている。いつも結論を急ぎ、結論を出せなけれ ば、負け組み、皆と一緒でなければ悪い人、というものだ。 よくよくあることだ。例えば、他人と違うといじめに遭うとか(子 供の世界ばかりではない。大人の世界ではもっと陰湿で狡猾なやり 方)仲間外しとかだ。そしてこれには自分の立場を守ろうとする利 害関係が深く関わっているのだ。国際問題でも理不尽なことが多い が、身近な所にもあるある。自分で気付くと自己嫌悪になることも ある。他者の振りを見て自分を反省し、他者を労わることを忘れて はいけない。自己主張ばかりで他者に耳を傾けないと、必ずそれが 自分に返ってくる。「さばいてはいけない。さばかれないためだ。」 金のあるところに金が集まる仕組みになっている。しかし、金はな いよりあったほうが良いが、なくても幸せに暮らしている者いる。金 が全ての人生はその様になる。でもそれで本当に満足する人生だった かは、死に対して向かう時に自ら分かる。 何がなくても、他者と違っても、自分は「幸せだ」と言える人生を送 りたい。「幸せだ」と感じる時の一つは、他者に優しい気持ちで接す ることができる時だ。利害を求めず、その方の喜びのために生きるこ とだけ考えられたらいいのに。それが欲しい。 つづく。
May 20, 2007
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今 考えること かつて農業も効率化を求め効率化することで儲ける農業を目指していた。 その一つが小さな水田を集めて大きな水田(広い意味で構造改善という) として大型機械の導入によって効率化を図ろうとしたものだ。アメリカの 広大な小麦畑のイメージだったが、果たして日本の狭い国土には馴染まな かった。増して中山間地域ともなるとその現状は如実だ。 儲かる農業を効率化に求めた結果、誰が儲けたのか。農家ではない。農家 には水田を大きくするためにかかった費用の一部(一部と言ってもかなり の額)を負担しなければならず、また大型機械の導入にも費用がかかって いるから、かなりの負担となっている。さらに、日本が選択した工業系に よる経済成長と引き換えに海外からの安い農産物を輸入しなければならな くなった。農家が儲かっているならば、農家が減少することはないことか らも、農業だけでは生活が苦しいから兼業農家になり、やがて離農するこ ととなっていく構図ははっきりしている。お年寄りだけが農業をひっそり 続けていく、というのが大方の現状である。 では一体誰が儲けたのか?構造改善に参加した建設会社らと大型農作業機 械を作るメーカー、農家に費用として融資した金融機関であり、「農業の 所得向上を目指す」という大儀が反対に農家への負担を強いる結果となっ たのだ。 現在環境問題が叫ばれて久しく、国際的にも国内、地域でも益々エスカレ ートしていくだろう。今までのこのツケを農家や林家に求め続けることは 本当に正しいことか、またできるのか、を考えて欲しい。「日本国土は皆 のもの」「農地や山林は社会共通の資本」という考え方に立つ時、都市部 も田舎人もそれぞれその役割を果たすべきなのである。その手法はいろい ろあるだろうと思うが、その精神だけは変えてはいけないし、訴えていか なければならない。直接活動に参加できなければ、それが具体的にはお金 で弁償することも一つの方法である。実はそれが、今まで地方にも税金が 使われてきたことなのである。今になって、その役割も果たさず、金も出 さないなんてことは、無責任な話だ。田舎人が皆生きるための効率を求め て都市部へ移住したらどうなるのか。日本の林業、農業は壊滅するだろう。 そしてその地域だけではなく、国土全体が被災し、環境問題どころではな くなる。だから、今本気で考え取組まなければいけない。自分にできるこ とは何かを真剣に考えなくてはいけない。環境破壊が進んできてしまった 歴史や現状を学び自らトライして欲しい。環境にやさしい電化製品や自動 車を使用すればそれでいい、なんて短絡的に考えないでください。環境問 題を取り上げて儲かっているのは、政治家と環境にやさしいと言って製品 を作る企業なのですから。(本気で考え取組んでいる人もいますが。) 環境問題を同じに考えていてもそれで儲ける人は勝ち組で、草の根の活動 して儲からない人は負け組み。世の中はそう評価するだろう。でも本当に 必要なことは儲かることではない。それで負け組みと評価されるなら、喜 んで負け組みになりたい。 つづく。
May 20, 2007
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今、考えること 朝食 食パン、 牛乳、野菜サラダ 昼食 ざるうどん、 夕食 カレーライス、味噌汁 標準的な食事だ。食べた食材の中に海外から輸入されたものはあったろうか。 まず、食パン、うどん、カレールーは小麦を使っている。これはアメリカから の輸入が多い。 カレーに入っている豚肉はカナダやアメリカのものが多い。シーフードなら海 老はタイやインドネシア。味噌汁の味噌の原料は大豆。これも中国やアメリカ が大多数。 日本の食糧自給率はカロリーベースで相変わらず40%。農業はほとんど儲か らないし、海外からの安い食材がどんどん輸入されればどうしようもないか。 しかし、昨年上伊那では豪雨による災害が著しかった。 その原因は、 異常気象 → CO2による地球温暖化 → 自然のかい廃 → 森林や農地の放棄 → 林家、農家の高齢化 → 農林業の衰退 → 農林業は儲からない → 工業製 品の輸出の代わりに海外からの安価な農産物の輸入 → 日本の経済成長 こういった構図が考えられる。 極論だが、「日本の経済成長(工業による)のために農林業を犠牲(あるいは見 捨てた)にした」と言える。 今日、信州大学農学部で田園環境工学研究会シンポジウム「人と、森と、動物と -人里への動物の出現と森林整備―」が開催された。上伊那では昨年住宅地に熊 が出没する等が起きたが、それらは里山での人間活動が低下したことによるもの だ、と講演があった。また、自然が自然であるために人間が何も手を掛けない、 入れないことが本当に良いことなのではなく、里山に人間活動(山林での間伐や 農業活動)があったからこそ、そこが人間と動物の緩衝帯となってきたし、また、 生物の多様性というのは人間活動があったほうが増加することをオサムシの調査 によって明らかにされた。自然は人間活動によってその結果が変わるのだ。 戦後 ~ 高度成長時代 ~ バブル時代 ~ バブル崩壊 ~、と時代は移り変わって きてもう戦後80余年が過ぎた。経済成長による80年分のツケを、それによって犠 牲にしてきたものや人があることを反省しなくて良いのだろうか。このことをし ないで、往々にして効果のないものや儲からないものは切り捨てる、という成果 主義的な考え方はいかがなものか。農林業が果たしてきた役割は生産とともに、 そのあるべき活動によって守られてきた自然や環境があるのだ。その「活動」を 経済成長とともに、それらを衰退させてしまった。というのは、経済成長ととも に儲かる農業も考えられた(農業に夜所得は低かった)が、政府は単に生産者米 価を上げることで対応したのだ。しかしだ。アメリカから安い小麦を輸入しなけ ればならなくなり、その消費はパンや麺類によって、米の消費量はどんどん減っ ていくこととなったのだ。小学校の給食で食パンやコッペパンが出たのがそれで、 米余りが出てくると米飯給食が始まった。その様にして‘利用されていたのだ’ とも思う。 現代は環境問題がクローズアップされてはいるが、CO2削減のための環境にや さしい電化製品や自動車が発売されている。確かに良い傾向ではあるが、食べ過 ぎの腹痛に胃腸薬を飲んで、また食べ続けているようなもので、本当に必要なも のを必要なだけ食べることが大切であるように、昔のような山林や農地での人間 の活動が必要なのだ。しかし、林家、農家の高齢化は著しく進み、先ごろ発表さ れた記事では、県内のある過疎の村では高齢化率が50%を超えた。(2人に1人以 上の割合で65歳以上の方がいるということ。)これでは昔のようにはいかない。 ではどうすれば良いのか。よく考え読んで欲しいが、今まで田舎でのそういった 活動を通して都市部でも恩恵を受けてきた、ということだ。近くの川で洪水が起 こらなかったのは、上流での森林や農地での活動があったからなのだ。それをな くせば、いつ災害が起きないとは保証はない。日本の全てをダムやスーパー堤防 で災害から守るなんていうことはできない。今こそ農林業を見つめなおす良い機 会であると思う。 私は、「日本の国土は皆のもの」という考え方を持つとき、それぞれが自然から 恩恵を受け生活しているのだから、それぞれがその役割を果たすべきだと考える。 「農地や山林は社会共通の資本」だと。 つづく
May 19, 2007
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このブログを閉じることにしました。 いろんな方々とお知り合いになれて、 とても嬉しい期間でした。また、挫け そうになった時に励ましていただいた り、勇気が与えていただきました。 次週24日にインターネット契約を解除 しますので、前日まで今考えることを 書き綴って終わりにします。 いつか、違った形でブログに復帰する こともあろうかと思います。
May 19, 2007
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