昨日、夕方に東福寺管長更幽軒老大師の遷化の新聞記事を見ました。
昼に、永源寺管長仙巌室老大師との相見の際に、『どうなされてるだろうか。』と話題にされたばかりで、岡山で静養されてるとばかり思っておりました。
その時には、すでに遷化されてたのです。無常であります。
弊社の創業の初期の時に、やはり、社名の名づけ親でもある恩師元南禅寺管長寒松軒老大師の遷化という父にとっては、辛い別離がありました。
入院されていると、沢山の衣を着たお坊さんが見舞いに来られるので、入院患者には、気持が好くないだろうという柴山老師の自らの計らいで、エレべーターに近い病室への変更を申し出られました。すると、病院側が老師の思いが分からず不満を言ったそうです。すると、温厚な父が、猛然と抗議したそうです。
本師柴山老師の看病におられた福島老師が、その様子を何処からか見てられて、当時の様子を何回も、私に話して下さり、弊社を温かく見守って下さった原点を教えて下さったのだと理解しておりました。
晩年は、私の字の下手な事を心配下さり、『親父に教われ。千眞工藝の社長として恥ずかしいやろ。』と言われたもんです。
最晩年は、柴山老師の話をすると、嬉しそうに涙を流されて、墨蹟依頼をすると『何とか、トライしてみます。』と言って下さった状況を鮮明に思い出します。
お書き頂く事は叶わず、以前にお書きになられた墨蹟を掲載させて頂いておりました。
それは、老師の千眞工藝を盛りたててやろうという温情に他なりません。
臨済禅を、人に伝える事のみに尽くされて、美術品やお金には、興味を示されない、禅僧であられました。
思い出は尽きませんが、老師に教わった今を生きるという気持ちを大切に、仏心を宿し、残り少ない人生を生き抜く覚悟であります。
合掌。

