PR
キーワードサーチ
カレンダー

1810年に誕生した国定忠治は今年でちょうど200年目に当たる。群馬県内では色々なところでイベントが開催される予定とのこと。
田崎早雲 筆の国定忠治の絵である。
早雲という画家がどこでこの絵を描いたかは不明だと言われているが、何か心の底まで見通すような鋭い目つきと長脇差を後ろ手に握りしめている姿は縄張りを守るという固い決意と同時に、強きを挫き弱きを助ける悪政権力への反抗心が映し出されているような気がする。

当時、正統派の代官であり勘定吟味役を務めた羽倉外記という人がいた。
この羽倉氏が国定忠治を知ることとなり、忠治の生き方に魅力を感じ色々と見聞きして書き残したものが唯一忠治の伝記もの「赤城録」であると言われている。
今となっては当時を知る唯一の歴史書ともなっている。
これをもとに書かれたものが「国定忠治」高橋敏著という本で2000年に出版されている。
私としては今なぜか国定忠治という人が気になる存在となってしまったのである。
奥さんは、お鶴さん。その他に、お町さん、お貞さん、お徳さん、小出かねさん、畔上つまさんがいたと言われている。
身長は5尺5寸(165cm)体重は23貫(86kg)1日に40里(160km)を走ったという。
髭が濃く、胸毛が長く、眉は太く濃く、目玉はギョロッと大きく、色の白い無口な男だった。
思ったらすぐ行動する。勘が鋭く、眼は八方目で見てるようで見ない見ないようで見てる。
これは現代人が見習うべき行為行動かも知れないね。
また寝ているところを子分の誰にも知られなかったと言われていた。用心深かったようであるが病には勝てなかったようだ。
40歳前後から中風を患うことになり、これがもとで捕えられてしまったのである。国定忠治がこの世を去った後から江戸幕府は次第に崩壊の道を辿ることになってきて、維新へと突入していくのである。