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昨日のこと左手首を捻挫していたので、パナウル診療所に行った。 診察中にいつもの通りのカル愚痴を初対面の先生にほざいた。尻もちをついたときに捻挫したらしい。尾てい骨は痛まないのに なんで左手首が痛いのかよくわからないです。実は 植物泥棒をしていた最中でした」と正直にしゃべった。罰があたんだろうなー・・・。心中で つぶやいた。 聴診器を当てるというので牛小屋のにおいが残るシャツをめくりあげた。脈はくが・・・。 たかいようですが 血圧は 平常より低めです。断酒、禁酒、を乗りこなして 「節酒」 に切り替えようと思います。 難しい 自己診断とは思いながら正直は一生の宝・・・。 優しい先生だな・・・。 それからどうした。直になっていた。 マスクをとってください。 明日の向かって 生きる。 朝日を 祈る 芽出る。 核とダニ 恵弥は息吹の 砂嘴もぐさ 砂嘴も しらじら 砂州となり いつか 陸繋島 あーよは 幸せだ ふなdesuru . osimai .
2024年03月17日
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朝活を兼ねて朝日を拝む 日の出と朝日の光
2024年03月06日
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数日前から右肩の下の筋が腕の動きを邪魔する。角度によって激痛が走る。これまで何度か経験しているので腕の使い過ぎによる筋肉痛だと自己判断した。医者の薬が残っていたので飲んでみたら効果あり朝と夕方に一錠剤を服用するようにと指示が書いてある。昨日は9時に服用した。夕方、少し痛みが来たが堪えられたので夕食後の服用は避けた。今朝起きたときは少し痛みを感じたが服用しないでいる。高血圧の薬一錠を朝食後に飲むだけだ。ひと月に千五百円ぐらいの薬代は健康な証拠と思いたい。アルコール依存症と診断されて、月一回 精神科の先生のカウンセールを受けるようにと、そして、精神安定の薬など、馬に食わせるぐらいをもらった。2か月して、これは一寸おかしい。周りの人が私をアルコール依存症に押し込めている」 と思った。私も自分が依存症であると認め、3か月一寸、専門病院に入り、内観の治療中から病院を無理に退院した。そういう前科があるので、断酒を諦めて禁酒に切り替えることにしたのは、去年のクリスマスのころである。楽しく飲みたい」 が本音であるので、このまま今を続けることにしたい。 健康が 一番ですね。 命あっての物種 今朝も元気です。
2024年03月04日
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不思議 砂嘴が砂州(トンボロ)になっていた。 2023.2,13気が付いた。 写真だけでもアップできるだろうか? できた。
2024年03月01日
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腰の下まで潮水に浸かって渡ることができた。 写真だけでも あの世の島に渡って 魂を預けてきた この世に帰って 今朝も朝活を楽しむ。 新しい道を造るためには 続けるしかない。 断酒続行
2022年11月26日
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捨てる神あらば拾う神もある 貧乏神を拾ったなどと嘆く前に 貧乏が身に染みてついているのだから 貧乏を楽しまなければ損をしている と考えられたら 前向きの生き方だろ。 それがいい。 神具と仏具をたくさん譲ってもらった。 仏像や掛け軸や線香たてロウソク立て 神のお金やくっついた線香ももらってきて倉庫においてある。 あるべきところに直したいので お告げが欲しい。 月の石は 朝活を見守ってくれる場所に安置してきた。 干支飾りの陶器の酒も持って行った。 今朝も何か探して持っていこう 拝む場所が増えている。 まだまだ大きな預かり物がある 年内にはお告げがあるだろう 今日も意志をを磨こう
2022年11月24日
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自分の信ずる神探し仏に関心が行くようになって久しい家には仏壇はなくて神棚がある子どものころから神様を拝まされて習慣となっていた郷土研究をしている今廃仏毀釈があったこと知りそれを受けなければならなかったことに屈辱を禁じ得ない神を選ぶか仏を選ぶかということではなくて否応なくさせられたことに対する抵抗みたいな気持ちがある素直ではない自分は 正直者だと思う現在は神も仏もキリストやマホメットも包含してくれと思う宇宙紳を頼りにしている太陽系の中に生きているので太陽を中心に世の中が動いているのは目に見えている目に見えない神があるとしたら銀河系宇宙の神様だろう銀河系も島宇宙の一つに過ぎないと学習した限りなく広がっていっていると聞いた。 宇宙に存在する物と時との関連がまだ私には理解できない。理解できないものを解決してくれるものは神しかいない。私のアルコール依存症を治せるものは神しかいない。 自分の信ずる神は やはり自分だ 今朝も 宇宙紳に祈った 今日を明るく生きよう 望みをもって それを叶える努力を続ける あの世の神様が向けに見えるまで頑張ろう 宇宙に帰る 時がやがて来る 今朝も元気です。
2022年11月23日
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写真だけでも載せとこう 久しぶりに ログインできて書き込める。 忘れ去られたブログになりつつある。 満足して帰ってきた。 古里環境保全むらづくり活動組合地域の環境を考える。生物たちが持続的に生きるため人間は何をすればいいかを知る。
2022年11月21日
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あせらないでいられる。申請書を手に入れてから書類に目を通してみたら前回との違いに気が付いた。「活動場所の所有者の承諾書」が必要なことは当然なことだが当然だから求められなかったのだろう。 別の事業でも同様なことがったので驚かないが個人の承諾書は簡単だけれど国や県や町が管理している所有物は管轄が色々絡まって承諾を得るのに時間がかかる。 町役場の管理する保安林を借りて沿道植栽を計画したみた。船倉海岸の鳩の湖」の史跡に通じる道路の沿線になっているが、道路は建設課、浜や岩礁は国有地。国立公園にも指定されているので公園法にもひっかかる区域だ。植える植物も指定外植物出ることが審査される。 わかっているから相談に役場に行った。案の定 たらいまわし・・・。 昨日は担当に会えなかったのでやむなく帰ってたがきょうは時間をかけて粘って相談しよう。町長にも掛け合う覚悟ができている。 こういうことがこれから民間でいざこざが起きる前に自分でやってみるとやり方を教えることができる。前例になろうと腹をくくった。 昨日は 砂浜で遭難した車を助けようとして自分の車もはまってしまった。助け人がやってきてくれたが ダメだった。時事を尽くしたがだめで 諦めかけていたところに神が降りてきて めでたしめでたし。遊歩道の工事現場より顔見知りが来てくれた。坂元建設さん トートゥガナシ。 写真を撮ったつもりが 善意は写っていなかった。 徳を持て! わがふるさと
2022年10月21日
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1と月と19日落ち着きを完全に取り戻すことができた。 読者が100を割ってしまった。飽きられても仕方がないが続けよう。 写真だけでも載せることにする。 小さな努力 力を合わせて 社会現象を作ろう。 続けよう 与論力
2022年10月20日
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今年は友人の手伝いのお陰様で マンゴーの収穫ができて 贈り物に少し分けていただいた。 来年に向けて本格的に手入れすることにして 作業を始めている。 除草を草刈り機を使って徐々に始めた。根元には弟の牛小屋のたい肥をもらってきた。 枝の誘因に漂着ヴイを使って見た。面白い景観になった。意識して紐の付いた大型ヴィを集めていたのが役に立った。小さめのヴィも枝の小さいところで使えそうだ。海岸で紐の付いたヴィを探すのが楽しみになるだろう。工夫するのは楽しい。 今日もマンゴー畑に足を向けよう。息抜きだ。
2022年10月19日
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古里集落 久しぶりの優勝 祝い
2022年10月10日
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ゴミステーションの周囲を活動拠にしようと思ってから 数年が過ぎた。 伯父が生きていた時は花壇も整備されていた。 花壇に面した道路の片隅にゴミ収集場所が設けられた。 それが現在の私たち川久保組のゴミステーションである。ゴミステーションを利用する家庭を集めて景観について話し合った。 ここ半年あまり周辺が野暮ってきた。これまで誰が掃除していたのだろう。南さん・本さん・それからそれから・・・・。集落で特に目に付く場所に設置されている。なんとかしないと」と思ってまた怒られてしまった。写真を頼んだ結果がけんかになってしまった。前途多難。
2022年10月06日
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朝活の続きをした後マンゴーハウスに水やりをしていた。ふと思い出して昨日 元妻が言っていた運動会があるから 暇があったら見に行って」 食卓にプログラムが置いてあった。時計を見たら10時前だった。急いで着替えて 駐車場を考えながら茶花小学校に向かった。難なく駐車できて正門を入ると顔見知りがいっぱいいる中で孫の家族はすぐに目に入った。らっきー かけっこ競技やら遊技はこれからが出番だった。 しかし競技姿のユニホームはどれが孫の姿なのかもわからない。取り合えず 校内を一回りして元の位置のもどってきたら気分も落ち着いて他校区の運動会を楽しんで孫の出番の演技が終わったので仕事に戻った。 保育園児の孫は案外と活発だと知った。家族で弁当を囲めない運動会は寂しいものだ。コロナで家族が和合できない世の中はどんな将来を子どもの心に残すのだろう。 書き込みしながら 扇風機を止めて 秋を感じている 朝の3時から申請書の書類とにらめっこ 昼は 肉体労働 完全断酒から一月経過 順調に回復している
2022年10月03日
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摩訶不思議 乗っ取られたと思ったが 救われた 仲間が増えて嬉しい 拾い箱 船倉海岸では有効に活用しています。 里海の思想が広がっていきますよう祈ります。 着替えて出かけよう 今日もここで朝活
2022年09月27日
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与論では在来ミカンのことをクニブと呼ぶ。 沖縄では シークゥワサー 922とゴロを合わせて設定したらしい。 我が家は 裏年らしくとーくにぶ(唐九年母)が1個しかついてない。正月の庭が寂しく感じられるだろう。 成功した接ぎ木のミカンは4か所で大事に育てている。 大事にとってたキーツは 船倉の浜で出会った東京の学生に持たせてやった。 政治経済学部の3年生だと言ってた。 マンゴーを自宅で栽培して実らせたというので 気に入った。 細谷と名乗った。 明日帰るらしい。 また会えるといいな
2022年09月23日
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2023年度環境市民活動助成募集のご案内 手にしてみている。2022年度からはすべての助成金には目をくれないで休養してアルコールを飲める体になる挑戦をしてみた。アルコール依存症に完全に敗北したのは先月だった。9月の初日から完全断酒を誓って何度目の再出発だろうか? やっと「底をついたと」悟ったような自分が今ここにいる15日ごろから目が覚めた昨日は 突然に神がやってきた。 ボランティア活動の環境整備をこれからもセブンーイレブン記念財団さんにお世話になりたいと思った挑戦してみよう 新たに「里海」の活動内容を目にして私が今やっていることだとの思いが強く出てきた 頑張ろう自分」と言い含めてみた活動現場の写真を撮ってきた。3年続けて1年休んで3年続けたら80歳手前 之も終活と言えるだろうか? それぞれに自分に合った生き方で 終活を目指したい 地域美化と活動助成の二つを考えている 書類つくりがパソコン操作に手間取ってなかなか進まない。 サポートが必要になって 年を感じて侘しい・
2022年09月21日
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例の船倉河岸で復旧作業をしている。土嚢の積み方がいい加減だったことに気がついた。砂を集めようとして積んだつみ方が台風で裏目に出た。昨日は積みなおしをして植えた植物を守るための積み方に変更した。それと見えない部分についてはサトウキビの肥料袋で十分間に合うことが分かった。袋の再利用ができる。 最前線の数本と浜にハマゴウがやっとが根付いていたのに流出してしまった。砂を引き留める役目の植栽木も高波には負ける 土嚢の積み方の角度を高くした。次の台風で答えが出るといいのだが・・・・。それだったら 失敗は成功の基」 といえるの 今朝もここで朝活 肥料袋が見苦しいので 白い土嚢袋で目隠しをしたい。 朝のコーヒーでも飲むとするか・・・。 それにしても 僕にとっては いい台風だった。
2022年09月20日
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夜明の被害調査は5時半から懐中電灯をもって朝活の場所で証拠写真撮り 陸部の被害は少なくて済んだが 海の試験地は予想していたよりも大きかった 進路がずいぶん離れて通過したが 海洋はやはり陸とは違う 暴風林の代わりにリーフで守られてはいるけれど 満潮時には越波して押し寄せてくる。 この台風が大潮と重なっていたら浜辺の植栽は もろともにさらば」だったろう。 それを考えると 運がよかった 神さま仏様 トートゥガナシ
2022年09月19日
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直撃を避け 東海上を通て種子島付近を通過本土に向かっている 大型と言われた割には海鳴りが聞こえなかったので海岸の浸食は少なくて済みそうだ小潮にもなっているし 幸いだ雨が欲しい 20~30メートルの風速だったら屋敷は防風林で守られている 家は雨漏りはしても借金で建てたコンクリートしかし 古い倉庫が二つ直撃だったら樹の枝が折れてそれこそ大変なことになったであろう夜明の被害調査が楽しみである 昨日はマンゴーハウスで枝の選定作業をした今年は友人に手伝ってもらったので果実まで管理をまかせたので10個ほどしかもらっていない。ネズミのかじったのを追熟して食味した。甘さがちょっと落ちてる気がしたが美味しくいただいた。 リンゴマンゴー(アーウイン)はニワトリの卵大のしかたべてないが之の味がまた格別だった。贈り物に少しはもらいたかったがあるチューしている間に終わっていた。まともなキーツがひとつ神棚に追熟を待っている今日は台風後の片付け老いを楽しもう
2022年09月18日
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隣との境界が私の植えた植物が繁茂して迷惑をかけてきた。数日前から雑木や雑草と戦っている。 整地はいつものように浜砂を運び入れる単純の作業なので没頭できたら色んな考えが浮かぶ環境に関すること人生のこと友人・知人のことなど・・・、一歩一歩進むことが楽しみである 雨漏りで腐って落ちた天井の穴をふさいだ。雨漏りのしずくを受け止めるため衣装ケースを3個設置した衣装ケースの中に大好きだった祖母の着物が出てきた。捨てられない・・・・面影をしのぶため。下半(腰巻)だろうか別の倉庫にある長持ちには祖父の着物もしまってあるだろう芭蕉布の着物は僕のもあるだろう。喜山の祖母が織ってくれたものだ。倉庫のかたずけもしなければならないがやりたいことが多すぎる貧乏暇なし
2022年09月17日
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逃がして しまった・ 下書き保存 ニンニクカズラの他のつる植物は見つからなかった。 原因は?
2022年09月17日
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台風の高波は割れ目を遡って陸部を侵食する。この繰り返しを続けてきたしこれからも続く 自然エネルギーを加工せずに直接利用できないかを考えてきた。波の力 風の力 水の力 などなど・・・。 昔は自然エネルギーは 直接利用で道具が造られた 人の手で 今は 人の手と 機械やパソコンなど 人間の頭脳が相当深化してきている。 基本に返って 人間の手や足で 考えてみた 土嚢を積んで 高波を防いでみよう と 積んだが すぐ流される 流されない方法を 試行錯誤している ゴミを拾って焼却すると焼却灰が残渣として残る焼却炉の窯はそれなりに消費が進む最終処分場はゴミの墓場だが満杯になったら又つくらなければならい。役場の最後の担当は環境係長でリサイクルセンターのストックヤードを国の補助金をもらって完成させた。 計画書を作成する段階で他町村の計画書、ゴミ処理施設も勉強させてもらった。皆の知恵と努力で島を奇麗にしたい。
2022年09月16日
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久しぶりに熱を込めて島内案内をした。 家系図を調べたいということだった私の家系図に関係する竹のついた姓だったのでますます興味がわいた。 奈良女子大出だというので思う存分話せると思って宿泊所のメーダフ・ゆい に迎えに行った。USBに調べた家系図が入れてあるというのでそれを印刷して見てから案内することに話が決まっていた。メーダフ・ゆいはお客さんが満杯で印刷のサービスまでは手が回りそうになかったので自宅に誘った コピー機がうまく作動しなくて印刷できなかったが家系図はパソコンに入れてもらった。竹川性は少ない。面識がなかったので彼女を連れて行ったら逢いやすい(シタゴコロダッタ)10時ごろ訪問したが留守、瓦の大きな家には人気が感じられない。 先祖を調べるにはお墓の場所を知ることが必要だと説いて 風葬の墓(ジシ)を案内することにした。 私の家系の竹と貴方の家系の竹は違うことを確認したかった。 アジンチェーのチンバーを皮切りに 神社の南崖下 シミャー 前浜墓地・・・・・。 最後は彼女の祖父の墓のある品覇に行った 品覇の墓地はほかの墓とは雰囲気が違うので とても興味があった。墓碑が立ってない墓とサンゴで囲まれた道に惹かれていた。墓はきれいに掃除がされていた。貴方がしたの? いいえ。骨壺の埋め方が間隔があきすぎて不自然だ異様な空間 僕にはない空間だ 最後に祖父の屋敷を知っているからそこを通って宿まで送ろう5時には30分残していたが疲れてもいた。 まだ家は修理して使えるじゃないか」 「ここは違う」・・・・。ここで「勘違い」に気が付いた。あそこだったね」 と 笑ってすませた。 人を入れ違えていた。お世話になった二人だったので性格まで知っていた。納得して帰宅した。ドット疲れが出た。 話の通らないとこの謎が解けて 安心 夜はぐっする眠れた。
2022年09月14日
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団子の盗人」と直訳した。中秋の名月に供えた団子を子どもたちが集める競争(遊び)を私の子供のころには与論島では とぅんがぬすどぅ」と呼んでいた。 盗人という呼び方がよくないと いちゃもんがついてとぅんがもーきゃー」と呼び方を変えたようである。 今は モーキャー」ではなくなりつつある。物貰いに」変遷した。 とぅんが 下さい」 進化していっている。 方言を教える」 方言をを学ぶ 間違った方言をおしえてしまってるのじゃーなかろうかと」 思うこの頃である。 教える事はいいことであるが 方言の肝心なところのニュアンス そこのところを 子どもに教えることは とてもむずかしいと 若い父親だった私は思った。 それが そもそも間違いの大元だったのだろう。 二十四孝の踊りを元妻に説明した。 なんて残酷な民族 人の心を試すなんて・・・・。 鹿児島の女性は 直球 琉球の男は 変化球 性格の不一致 生き方の違い それが子供にまで伝染してしまった。 我思うゆえに 我あり 断酒して 精一杯 生きる
2022年09月12日
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埼玉から十五夜踊りを見るために帰郷したこと知った。 数日前旅に出ることを知っていたが 多分 東北の文化を訪ねる旅だろうと思い込んでた。 まさかの帰郷 あいたくなった 風来坊と連絡を取り合っていること知って 約束の時間を聞いた それに合わせて出かけて行った。 成城大学の小島先生も自宅に学生を連れて挨拶に来られた。 嬉しかった。 学生たちの研究の手助けを本気で考えている。 もう一度 学生たちの研究テーマを読み返そう。 鳥居のペンキを塗ってくれたボラティアのメンバーとも会える。 踊りの後に一重一瓶でもてなすという。 ピャースーを手持ちに断酒の誓のマイボトルをもって いざ会場へ・・・。 続く 出会いで 自分が変われると信じられた 自分の信ずる神と出会いが始まっていた
2022年09月11日
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鯉を飼っている水タンクの周りを整備する作業に取り掛かった。写真だけでもアップしよう。
2022年09月10日
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生きた証 それだけを 考えて暮らす。 最近」 自慢話ばかり。 日本人はどこから来たの? 宮本y恒一 土佐源治 あの語り口が できtらいいなー・・・。 自分で 聞き取りをしながら思った。 エアーてぅっく FM不安ン オリビア にゅーとーんお r0-図。 73さいで あの世は 早いと思う これだけの文い 青春が詰まっている。 昨夜 プロポーズをした 脈あると 感じた 73歳になって 片思いを 両想いにしたい。 オリビアは 外国の人だが あの世にも 外国があるのだろうか? 不思議
2022年08月09日
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海辺を歩きまくる 何か 珍しいものとの出会い
2022年07月17日
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謙虚になれと説かれる。 プライドを捨てろ 捨てるほどのプライドが僕にはないが 小さくても 僕なりのプライドはあると思ってきた。 それまでも捨てろ」というのだろうか。 自分が歩んできた道を捨てろと言われているような気がしてならない。 何処かに 思い違いがあるだろう。 傲慢を捨てろ」 と いつも謙遜しているつもりだ。 其処をさしてると 思った。 砂の道を 今日も続ける。
2022年07月15日
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元気を取り戻して やる気になってます。 続けること それが望みをかなえる 秘訣
2022年07月09日
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流れ着いた漁網を持ち出さずに 流れつた現場で利用できないかを実験している。 災害ゴミだと思われるので 災害を受けた人の苦労を分かち合っている 思い上がりかもしれないが 平穏無事に生きてる自分をこうすることで 償いたい 亀供養も 此処で始めた
2022年07月06日
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私にとっては有難い台風だった。雨が欲しかったので助かった。 勢力が弱かったせいで 高波の被害も守られた 浜の砂の動きも観察できた。 雨が時々止むので 写真も撮ることができた。
2022年07月04日
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きゅしに一生 生き返った
2022年06月30日
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パピヨン 僕は 現実で パピルと戯れている。虫新新庄駅で 降りた。 40年たっている。 ドキドキしながら 歩いた。 下調べは 十分しておいた。 泊まりは だ一ホテル。 行きたいところは とどろきの緑地 漫画寺 見や鬱 交差点 中原街道 神奈川にどっぶり使っているのは 私みたいな 人だと思う。 最初は 海老名に住んだ。 其処で であって いまも思いを 建ち切れていない 自部がいる。 独り言。 忘れよう。 これは ドラマです。
2022年06月19日
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久尻(クズレ)の浜を歩いていた。 この前 風来坊という あまりに李くっつっぽい男から 古い写真に コメントした。 あの 理屈でやると 女房は 駄文持てないだろ。 いいじゃないか。 それが 始まりのよう な 気がする。 元 女房と やりあった得 君がいた。 渡辺 モリクボ ヤマウじゃ お藤村は文化財 菊千代には負けない。 もちろん 徹先生も 浩や加も 吞みたくて 書いている。 良いたい肥がある。
2022年06月19日
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希望という遊び 海草の観察を続けた甲斐あり 湧水調査の結果を こんな形でも検証していきたい もともとはこの付近が 天然モズクの生息地 この後ミナタ海岸に寄った 浜の形を変える仕組みを考えている。
2022年06月15日
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悪さしてみたが もう少し やってみよう 昨日は徹底してやってみようと思って 思い切って実行に移した。 国立公園としての存在価値を高めていきたい。この美しい浜辺と海を繋ぐ岩礁植物を守り育てる環境整備の手法を提案したい。 これまでに与論島でやった人があったら 一緒に取り組みたい。浜の清掃は 定着したようだ。新たな環境への取り組みがあってもいいと思う。 軽石騒動に感化されて 思い切って 毒舌を吐こう。
2022年06月14日
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依存症にならないように気をつけよう。 書き込みが 多すぎてしまった。 ブログを二つもは ネタがない。 清掃員に見つかる前に 処理しよう。 今朝も元気に 出かけよう。
2022年06月12日
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このぐらいで止められたら 酒を楽しめる人 もう一杯 神棚に 備えている 酒を飲む 父や母 そして祖母 祖父には 甘えない ニワトリ小屋の続きを思い出すには もう一杯必要だ。 見えてきた。 凹の記憶は 人の記憶にはない。 それを 文字にできるのが 作家なのだろう この記憶を 絵画で表現できないので 造園で 少しでも やりたい。 僕が 死んでも 残したいものを 思う。 やはり 菊 千代さんに 憧れる。
2022年06月09日
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いいも悪いも 心ひとつ 人間である」 愚かさに気づいたとき」 あの世から 迎えに来てくれる。 未だ自己主張をしている。 これが 島人 森久保の宝 明日も 続けたい 得る土 ラド
2022年06月09日
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朝活で一緒になって 話を聞いてくれる人 励ましあう。
2022年06月08日
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家畜は家族のようなものだったのだろうか・・・。 豚小屋は屋敷の北側の大きなガジュマルの下にあった。 便所と併設していてコンクリートでできていた。 便所は左側は父や祖父が使用するため右側の女子供ようとは仕切られていた。 今思うと 家族の役目の分担が男と女の性の区別をしっかりとして育てられたと思う。 差別とは思ってなかった。 年の上下関係 性の差別が確かにあった。 家の作り方にそれがあはっきりあり 便所や風呂に入る順番 食台(10人座った)の席順 私は長男だったので優位な席についた。 鶏小屋は西に在り 金網で囲ってあったように思う。 昼間は逃げ出して 庭の隅から牛小屋で餌をあさっていた。 ゴミ捨て場は石垣で囲ってあって 西側のほうを向いていた。 牛小屋への通路だった。 エジソンの伝記を読んで タマゴとヤカンの実験をしてみようと思ったことや オオカミ少年ケン」のうそつきの教訓など 屋敷から畑や田んぼに抜ける道の記憶がとても懐かしく 今それを再現したくて 砂の道を造っている。 風呂は五右衛門で トーグラの西にあった。 わずかの目隠しがあって 夢入り前のおばさんが隠れて浴びていた印象がある。 夏場は 井戸端で浴びていた。 親父の金玉がどでかいのにびっくりした記憶が新鮮。 マックルゴー・ジュンスイ」などとはやし立てた。 お転婆の二つ上の姉さんが 囃子のリダーだった。 今も使ってるその井戸 そこまで砂利道を造った。 今年の夏は そこをもうちょと造作して ドラム缶風呂を と 妄想してしまった。 写真とぶんは 関係ありません
2022年06月07日
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調子が戻ってきました。 抱えてきた問題が解かれていくことで 気持ちの負担が 軽くなる。 70歳到達で 責任を軽くしていきたい。 気張らないこと やれること楽しむ 今年の花を 期待 希望 夢を見る
2022年06月06日
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一人息子に農業を継いでもらって親から譲り受けた農地を登記して私の責任はとったつもりでいる。 息子を東京から呼び寄せた時点では観光と農業と環境を合体させた複合経営の組織体を立ち上げたかった。農事組合法人だったが、息子と女房には受け入れてもらえなかった。マンゴーを主軸に熱帯果樹を栽培しながら宿泊施設と体験農園、観光ガイドをしたら新しい産業のモデルになれないだろうかと考えていた。 国の「リフレッシュ村構想」の先取りだった。田舎で働きたい」を一年やたその続きがやりたかった。 役場では統計を取る仕事があるが、私が勤務を始めたころは統計の出元は産業課が主であったと思う。経済の概要」がそれであった。 先輩からそれを知らずに引き継いでしまった。園芸担当になったつもりでいたのがいつの間にか農政を担当してしまったことを考えてなかった。あとで それがあったこそ今があると この文章も書ける。 そんな話はまた後で 産業部門として話したい。 父の農業を思い出して書き始めた。近代与論農業を思い出してみたい。 そのころをこの屋敷によみがえらせてみたいと奮闘努力をしている。明るくなったので 朝飯食って 今日も朝活に出かけよう。
2022年06月04日
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無農薬栽培のブドウ(巨砲)が食べられると聞いてMさん宅を訪ねた。Mさんは板金工場の経営の傍ら数人の仲間とブドウを栽培していると聞いていた。すでにそのころ沖縄では巨砲が栽培されていると「緑と生活」を購読していたので知っていた。 先島から始まって本土の南部そして北部へと北上中のころ与論島にも、時の観光課長が導入した。私も試しにと1本買ったので覚えている。 藤原さんという方の指導があたあようで、沖縄では産地化ができなかった模様。奄美大島まで渡ったという。まがい物だと思い、産業課では本気で取り組む気持ちはなかったので、Mさんの棚仕立てのブドウ園の巨砲を食べたときはびっくりした。しかも 無農薬栽培でできた巨砲だった。数年前から有機農業に取り組んだらしい。与論町での有機栽培を唱えたのは 池田さんだった。のちには彼の農法 アイドーラ農法が島中に広がって県もそれを支持し国の予算で現在も運用しているたい肥センターが活躍している。 有機農業を私が本気で取り組む決心をしたのが平成になってからだと記憶しため元年としたのは、農薬ありきの農政にいちゃもんをつけたかったからだった。農政部の指導では無農薬では作物はできない」頭ごなしだった。 農薬や除草剤の使用の仕方に躍起だった。私も無学だったので、農業改良普及員や生活改善普及員と組んで農家の指導をすること10年余り、唯意義に過ごしたが、自分の屋敷の片隅からMさんと一緒に有機栽培を始めて父から農業を引き継ぐときには屋敷内を無農薬栽培にしている。 完全無農薬栽培です」と言い切れないのは牛糞たい肥を使用しています。除草剤の散布はしませんが、大木を枯らすには幹に除草剤を注入する方法が有効であること、空からは 色んな物質が雨とともに降ってくるからです。 空気に 境界は引けないことを知っています。 あの世と此の世の境がないように・・・。 続く
2022年06月03日
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現代農業」とかで無農薬の農業をやってる体験談を読んだ。学生時代に「沈黙の春」に感化されていたので農薬の恐ろしさを知っていた。光化学スモッグなどの問題が起きていたころが進路を決めようと悩んでいた時期と重なっていたと思う。環境を科学する」と今では表現しているが学生の頃の僕は狭い意味の造園の設計・施工よりも都市計画とか自然公園計画に夢をえがいていた。 与論島が国定公園に指定されていたことも自然公園計画に興味を持ったのだろう。与論島が観光ブームに沸いたころことだった。3年生になって研究室を選ばないと卒論が書けない。第4研究室の自然公園に関する分野を選んだ。東大教授の高橋進先生が室長だった。先生の講義は「観光」だった。卒論は「離島観光ブームと与論島の将来につて」を提出して優しかもらえなかったが与論島観協会でアルバイトさせてもらいながら資料集めをしたのがのちに ためになっている。パロディ王国「ヨロンパナウル王国」が建設されたばかりのころだったと思う。大使館や宿泊所、お店、喫茶店などに5000円で会員の証の看板を配った。茶花港に出迎えの民宿の車の整理や臨時観光案内所を設けるなど、あれこれとの客との対応で接客のを学んだ。事務所では役場職員の仕事様子も学べた。 公務員が無難だと思っていたので願わくば鹿児島県庁 あるは何処かの市役所の公園管理部門の就職を考えた。学生に戻ると暇つぶしに星や音楽や美術の本も手あたり次第読んだ。彼女ができたのでお金のかからない自然公園や都市公園で読んだ本の知識をと夢を話しながら歩きまくった。主に多摩川べりと等々力緑地だった。深大寺や井の頭公園、与論にはない景色、武蔵野の面影が今でも好きだ。 そのころは 与論の役場で働くことは思ってなかった。そして 有機農業との出会いがあり 「私のパーマカルチャー」に進んでいった。 続く・・・。
2022年06月02日
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東北の漁師が山に樹を植えた話を聞いていた。理にかなっていると思った。 昭和43年ごろに与論において第一次農業構造改善事業が立長地区で実施されたが時期早々だったようで続かなかった。 隣の沖永良部島や喜界島では計画的に実施され農業の構造改善が着々とすすめられ現在に至っている。基盤整備は区画整理で排水路と道路が整備され人工のため池もできた。 水田からサトウキビへの作物の転換もなされていった。 奄美農業の転換期が昭和40年代の半ばのころから始まったようだ。 (資料を見てかいてないので 年代はあやふやです)園芸農家でかぼちゃを栽培していた家に育った。昔の暮らしを思い出しながら書いている。 複合経営農家(サトウキビ、畜産、園芸)の父は働き者で、数々の表彰を受けていた父の後ろ姿を見て育った。 小学校のころは 遊びが専門で 手伝いもそこそこして早く済ませると弟たちの年代お誘って やまぐ いて遊んだ。 やまぐの先輩は面倒見がよくて 海での遊びなど 貴重な体験をした。農家の父は 海の物は買って食べればいい 野菜の代わりに 魚介類は親戚の家から返ってきた。そんなこんなで中学校、与論分校を卒業した。船乗りになる夢破れ、母は教師になってくれという。家を継ぐなら農業部門だらうと思い農学部を目指すが二浪桜島を眺めながら方向転換造園学科に舵を切って いまがある。そこで学んだことを生かそうと頑張っている。 続く(自分史を書きたいと思っているので 御障り)
2022年06月01日
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瀬良(しーら)の護岸 砂が北側に移動した。 トゥーシのチジが 百合が浜のビューポイント その下に洞穴があって そこで造作をしている。 木漏れ日 夏になると 此処はとても涼しく感じる。 サンゴ石についた 苔を楽しもうと思っている。 レオ先生の作った ふるさと の看板の文字 捨てられないので持ってきた こども育成会の思い出 いい家族だった。
2022年05月31日
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飲んだくれた状況から少し良くなった。 完全によくしなければいけないのだが それができないのが アルコール依存症 姫路大学と鹿児島大学の保健科の教授が聞き取り調査に来てくれた。 待ってましたと 想いを喋りまくった。 3年ぐらい前に 慶応大出の研究員のその手の調査があって 家族や周りの人に の聞き取り調査があった時 私がその実験台なろうと思っていた。 与論憲法を 文化としてとらえたら いいか悪いか考察してみたかった コロナのせいか 調査が中断した。 私がしてきたこと これからもやろうとしていること 専門家と考えてみたかった。 チャンスをもらった。 徹底的にやろうと 今考えている。 73歳までに 仕上げるつもり
2022年05月30日
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